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• 火曜日, 11月 04th, 2008

さて富津市は、昭和46年に富津町、大佐和町、天羽(あまは)町が合併して誕生した市である。人口は約5万人。町が合併してできた市の特徴として、市街地が点在し、いわゆる中心というものが、形成されていない。

緑の中に田園あり、畑あり、道があり、点在する人家があり、JRの駅の周辺に、旧(ふる)い町の商店街が集まっている。

大きな企業が、工場、スーパーがあるにはあるのだが、緑と水の量が圧倒する。漁業、農業の一次産業に従事する人は、人口比では、さほど多くはないのだが、やっぱり、富津市のイメージは海であり、漁業であると思えるから不思議だ。

市役所は、人家から離れた小高い山の麓(ふもと)にある。鉄筋コンクリート5階建ての、重量感のある、堂々とした建築物だ。広い駐車場の前には、大きな郵便局がある。

昔は役場や市役所は町の中にあって、歩いてふらっと行ける場所にあったものだ。今は車の時代だ。市役所は郊外へと移転している。

さて、堂々とした庁舎の脇には、レストランがある。訪れた人の憩いの場だ。正面玄関を入ると、エントランスの奥に喫茶店がある。くつろぎ、語らいの場も、至れり尽くせりだ。

「ヘルスアップ事業」は、庁舎の5階にある大きな会場で行われた。

私が富津で1番好きな場所は【富津岬】である。年に何回か訪問する。時間の都合がつけば、いつも、岬へと足を運ぶ。市役所から車で約15分、歩いて約1時間。

いつも風が吹き、波が立ち、松林が揺れている。植林された松は低く、地に這いつくばり、林立している。漁師の家々が軒を並べ、民宿があり、プールがあり、潮のにおいが漂ってくる。

港には舟が停泊している。食堂がある。地魚がおいしい。貝がおいしい。潮風を切って、車を走らせる。窓を開けて海のにおいを含んだ風に当たる。身体が海のにおいに染まっていくのが快い。合宿中のマラソンランナーたちが、若い足で駆け抜けていく。

松林が切れると、一気に海が貌(かお)を出すのだ。塔か、展望台か、遠くまで眺望できる建物がある。

白い砂浜が足元にある。

いつも、不思議に思うのだが、海面が立っている。地面よりも高く感じられるのだ。なぜか? 表面張力? まるで、大きな力で海面が天に持ち上げられているみたいだ。海が、私の身体の中へと侵入してくるのだ。その、浸され、占領される気分が、たまらなく快いのだ。私は海になる。

帆を立てた舟が走る。サーファーがボードに乗って、波を待っている。風の強い日には、対岸の川崎、横浜、久里浜が見える。運が良ければ、富士山まで見えるかも。

特に夕焼けは、また、格別の光景だ。黄色い太陽が、ゆっくりと、ゆっくりと沈んでいくと、大気の加減か、黄色が朱色の燃え上がる色に変わって、何倍にも膨れあがって見える。

何も考えず波の音を聴き、風を頬(ほお)に受け、真紅の太陽を眺めている。

まさに心の休暇の一時(ひととき)である。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

千葉県の地図を鳥瞰(ちょうかん)すると、私には房総半島が巨大な馬の貌のように見える。長い首から貌までの全体が、力強く、太平洋へと突き出していて、ゆるやかに弧を描く九十九里浜が荒波を受けて、しなやかな女の身体のように窪み、低い山脈がその中央に力を貯えて、内側へと伸びひろがり、東京湾の形を造りだしているのだ。

長い首の根元は、広大な関東平野へと続き、東京に隣接している。

北には日本一の利根川が平坦な平野を沃しながら、流れ、流れて、海へと至る。市町村の多くが房総半島の上か、根元にあるのだ。

野田、我孫子、成田、旧佐原、そして銚子にいたるまで、利根川の水の恵みを受けて、日本固有の水田がひろがっている。

九十九里浜は外房にあり、銚子、旭、横芝、九十九里、白子、一ノ宮、そして旧岬町に至る。御宿、勝浦、鴨川と海水浴場のメッカで、夏には家族連れで賑わい、冬にもサーフィンの若者たちが、カッパのように泳いでいる。

半島の突端には、旧白浜の燈台がある。

さて、今回訪れた富津市、君津市は、東京湾に面した、いわゆる内房にある。京葉が誇る一大工業地帯である。

東京から浦安、船橋、千葉、市原、袖ヶ浦、木更津と来て、【君津】【富津】となる。

特急で1時間10分くらい。高速の京葉道路を使えば、千葉で館山道に出て、1時間20分もあれば、到着する距離だ。東京からぶらりと日帰りの旅ができる位置にある。海水浴ばかりではない。千葉県はゴルフ場の数は、日本でも1・2位を競うほどだ。温暖な気候に恵まれ、1年中プレーできる。

県民の気質も温和である。海の幸に恵まれ、水があり、緑があり、自然の豊かな風土は、人柄にもそのまま表れている。

しかし不思議なことに、太平洋に面している温暖の地に、実は糖尿病が多いのだ。徳島県、和歌山県、そして千葉県、沖縄と、糖尿病とその予備軍の数は郡をぬいている。

昔、秋田、青森など東北地方に、高血圧、脳卒中が多発した時代があった。その状況に酷似している。

もちろんそれなりの原因があるのだ。理由のない病気はない。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「体重が減った方、どのくらいいますか? 手をあげて下さい」最後の挨拶で、佐藤先生が問いかけると、約8割の方が笑いながら手をあげた。

「では、腹囲が減った方?」約7割の方が手をあげた。「最後に、前屈はどうですか?」これも、8割の方が挙手をした。正確なデータが出るのが楽しみである。

4カ月も続けてくると、講師も、馴染みが出来て、お別れが名残惜しいのか、声をつまらせていた。参加者からも「先生また来て下さい」、「もう一度教えて下さい」との声が飛び交った。

6人〜8人のワークショップがはじまった。各テーブルには、保健師さん、専門家が一人づつ付いて事業全般について話し合った。

感想。生活の中で何が変わったか。考え方とか感じ方とか。周囲への影響について(主人、奥さん、子供たちへ、あるいは近所の方たちへ)。目標値の達成率について。今後の抱負について。それぞれ自由に語り合ってもらった。

そして、いよいよ、一人一人が1分間、自分の体験を発表することになった。
●お腹囲りが10cmも減りました(一同歓声!!)
●便秘の薬がいらなくなりました
●体重が5kg減りました
●寝起きが辛かったのが…前屈で…頭が足につくようになりました。どこも痛くありません(驚きの声)
●腰痛が消えました
●体が軽くなって…、毎日歩きたいです
●はじめは恥ずかしかったが、今では毎日歩いています
●体重3.5kg減、お腹は5cm。近所にもひろめています
●先生の使っている音楽、講義をビデオにして下さい
●食べ放題でしたが、正しい食生活がわかりました
●コレステロール値が下がって、体重も5kg減です
●みんなで出来ると本当に楽しい(一人ではなかなか続かない!)
●せっかく知り合ったのですから、町で会ったら是非、声をかけて下さい(いつまでたっても、60歳になっても人と人の出会いは新鮮なのだ!)
●人前で話すのが嫌でしたが、今では平気になりました(体だけではなくて心の変化もすばらしい)

本当に、体験が実を結んだという声をきいていると、正に【事業】をやってよかったという満足の表情が、参加者だけではなくて、保健師さんたち、スタッフ全員の顔にあらわれていた。

東北の人は“はずかしがり屋”なのだ。しかし、実行力はある。根気がある。4カ月も続けられたのだ。

全員がこういう教室を続けてほしいという希望だったのも驚きだった。

この事業は5カ年計画で、1年1年、地区を変えながら、実行する。

市では、グループの名簿を作って、仲間が今後も続けられるように支援したいと、応えていた。

民生部長による表彰式が行われた。
一人一人がニコニコしながら、表彰状を受け取る度に、大きな拍手が起こった。
部長のお話では、釜石市は少子高齢化の波を受けており、一人一人が健康で元気に生活する【健康づくり】を市の2大目標のひとつと考えており、5カ年計画に盛り込んだというご挨拶だった(もうひとつは教育)。

地域に6個所拠点を作って、【市】と【市民】が共同で作り上げる“釜石”をめざしているのだった。

最後に、血液検査が実施された。
今年度の釜石市の「ヘルスアップ事業」が終わった。

JR釜石駅前の“サン・フィッシュ釜石”で昼食をとりながら反省会を開いた。参加者の方々の笑顔をみると、苦労も消えて、また、来年頑張ろうという気になるものだ。全員の感想だった。

昨日、釜石駅に着いた時の、何かがちがうという理由がやっとわかった。山々のほとんどが、落葉樹でおおわれていたためだ。私には海・港には、松、杉、樫、厚い葉っぱ、低い木があるというイメージがあったために、常緑樹のない海辺が珍しかったのだ!

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

朝の港は、また、格別である。潮の香が漂っていて、全身が洗い清められるような気分になる。これが釜石港かと、ゆっくりと、呼吸をした。海を全身で味わってみる。耳は風の音を追い、鼻孔には潮、眼は波・波・波の変化、肌も全開、海が私をつつみこんでくれる。

左岸には、巨大なクレーン、鉄、製品の積み降ろしに使うのか? タグボートがある。観光船“はまゆり”が、優美な姿を海面に浮かべている。自然の良港だ。右岸の彼方には山の上に白い像、観音さまか?

海は、1日見ていても飽きがこない。もちろん港だって、座り込んでぼんやりと、日の移ろい、光の、波の、雲の、船の、あらゆる動きが刻々と変化していくさまを眺めていれば、時のたつのを忘れてしまう。大漁旗をかかげた船の雄姿、“釜石まつり”の時にでも、もう一度訪れたいものだ。

また、春の海、春の岬も眺めてみたい。

いつまでも、海や港を眺めている訳にはいかない。9時から12時30分まで、県の合同庁舎にて、「ヘルスアップ事業・はつらつ健康教室」がはじまる。

講師は、運動指導士の佐藤恵先生である。運動を生活習慣に取り入れようと、30人の参加者が計12回の講習会、実習、実技を体験してきた。

さて、結果は? 効果は? どのようになったのだろうか?

毎回思うことだが、【事業】をスムーズに運営するための、スタッフの準備、気苦労は大変なものだ。上手くいって当たり前、ミスがひとつでもあれば反省、反省となるからだ。

釜石市の保健師さんたち、市の職員、永薬品商事の菅原さん、佐々木さん、高橋さん、そして当社の丸野君、大塚君、30名の参加者の方々も、3時間半のハードなスケジュールである。

4カ月間の記録表の提出。体力テスト。捷敏性、前屈、脚筋力のテストがある。そして、佐藤先生の音楽を使った体操、筋トレなどなど。

ワークショップ。ひとりひとりの結果発表。表彰式。最後に、血液検査。実に盛りだくさんのスケジュールだ。体力測定は賑やかだ。ステッピング・カウンターは、左右の脚で、一定時間内に何回踏めるかというテストだ。部屋中に、バタバターという勢いのある音が響きわたる。前屈は、柔軟性のテスト。ほとんどの人が、4カ月前の自分の記録を超えている。うれしいのか、笑い声があがる。

さて、音楽を使った佐藤先生の講座は、水前寺清子の「365歩のマーチ」に合わせて始まった。参加者の皆さんの姿勢がいい。年齢が10歳ほど若く見える。歩き方も、指導がよく行きとどいている。

前に6歩、後ろに6歩、右に3歩、左に3歩、途中で手を打つ、ポーズをとる、2人一組になる。いろいろ創作してある。

運動会で良く使うマーチとか、ビートルズの「オブラデイ・オブラダ」とか。実に楽しそうだ。顔が上気して赤みを帯びている。

ラジオ体操ではないが、【集団】で【音楽】を使う手法は、全員の気分が高揚して、連帯感が生まれるのか、とても好評だ。仲間意識ができるのだろう。決して、一人一人では生まれない良さがある。リズミカルに、切れ目なく、拍手が入り、全員に一体感が生まれているのがわかる。

自宅で一人でも出来る、椅子と床を使ったストレッチや柔軟体操を実行して終わりとなる。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

夕闇の中に立ち昇る白い煙を右手に見ながら、タクシーはやめて、ゆっくりとホテルまでの道を歩いてみた。釜石は低い山々に囲まれた町だった。南に、北に、西に、葉をおとした灌木があって、東の空間がのびたあたりに港があるにちがいなかった。

陸橋の下をくぐると、甲子川が流れていて、川下に見事な赤い鉄の橋が見えた。歩いて渡る橋の名前は、大渡橋である。もう町は眼の前だ。

商店街にはアーケードがあって、延々とのびている。鉄の全盛期には人口9万人を誇ったというだけあって、商店街は見事なものだ。

現在は、人口が4万5000名ほどにまで減っている。“鉄の町”も減産を余儀なくされて、工場の社員は千葉の君津へ、北海道の室蘭へと散っていったのだ。

世帯数は約1万8000。家族が減って、高齢者率は30パーセントを超えているのだ。

夜の商店街は人足も少なく、シャッターがおりたり、看板の消えている店が目立った。

ここでも、少子高齢化の波が押し寄せている。まして、基幹産業の“鉄”の工場を誇った企業城下町は、減産のあおりを受けて、町そのものを再構築しなければ、未来はない。

釜石は、漁業の町でもある。三陸の海がある。漁業はどうなのか? リアス式海岸で良港が多い。磯があり、白砂の海水浴場がある。

【港】は、いつも文明と文化を運んでくる。人と物の出入りがあって、活気にあふれ、交流の場が出来るのが【港】である。海の道、交通の要所、窓口である。海にむけて開かれている町。水平線の向こう側からは、いつも未知のものがやってくる。

【港】のある風景は、自然に、未来とか異国の香りを漂わせている。

ホテルに着いた。冬の5時は暗く、6階の部屋から見下ろす街には、街灯が点って、山々は、闇の奥へと身を沈めている。何かがちがう。いったい何だろう? 海の町なのに。私の感覚が、もうひとつ、ぴったりとこない。明日は、早起きをして、港を見に行こう。講習会の始まるまでに街を歩いて、港でも眺めれば、私の奇妙なわだかまりも解けるかもしれない。

東北担当の営業部長丸野君と、大塚君が東京から、測定器などを積んで車でやってくる。何時間かかるのか? 6時、7時、8時まで待った。高速道路を使っても、結局約8時間かかったということだった。

夕食には、三陸の地魚と鍋を食べようということになって、夜の町へ出た。路地へ入ると、びっくりするくらい店があった。日曜日のせいか、あるいは、人口減の影響か、灯の点いていない店、看板やネオンの淋しく闇に沈んでいる店が多かった。

それでも、夫婦で、頑張っている店があった。刺身の盛り合わせには、小さな旗が刺してあって、地魚の名前が書いてある。幻の魚、マツカワか! 沿岸の魚だから白身の魚が多い。鍋はおまかせで、アンコウが中心。鍋の後の、オジヤが実に美味い。釜石の栄枯盛衰を聴いた。それでも工夫して、生きるのだと主人は語ってくれた。郷土に生きるとは、そういうことだろう。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「鉄は国家なり」という言葉があった。重厚長大が時代を象徴していた時代だ。現在は、軽薄短小の時代に変わってしまった。

今回訪問する岩手県釜石市は、全国に”鉄の町”として、その名は響きわたっていた。そして、ラグビー日本一も、たくさんの人々の記憶として、その脳裏に刻まれていることだろう。

宮沢賢治を生んだ花巻市、柳田国男が名作「遠野物語」で語った民話の宝庫、遠野市までは足を運んだことがあるが、釜石市を訪ねるのは、今回がはじめてである。

三陸海岸の港町、鉄の歴史を誇る町、釜石の姿はテレビや雑誌で、私の脳に刷り込まれており、果たして、現実とイメージの間にどれだけのギャップがあるのか、それを確かめる旅ともなった。

9月からはじまった「ヘルスアップ事業」の閉講式が1月29日に催されるので、前日から東北新幹線に乗って、出かけることになった。

それにしても今年の冬は、冬とは思えぬほどの温かさだ。宮城、岩手では、12月から雪と霜で、ゴルフ場はクローズが当たり前である。今年は気象庁、観測史上最高の温度で、仙台でも、ゴルフを楽しんでいるという。反対にスキー場では、雪が足りなくて営業にならないとか。喜ぶ人あり、悲しむ人ありだ。

東京駅10時36分の「やまびこ」に乗って、新花巻へと向かった。福島、仙台を過ぎても、街も、平野も、黒い地面と褐色の姿を覗かせるばかりで、雪の白は遠く、高い山々に輝いているだけだった。

新花巻で下車すると、2〜3分歩いて“釜石線”に乗り換える。40分ほど時間があるので、花巻の風景を眺めながら、駅の周辺を歩いてみた。田園風景がひろがっている。低い丘のような山があちこちに点在していて、雑木林が陽を浴びていた。風でもあれば、宮沢賢治の低い訛った声が、見事な詩句となって、流れて来そうな風景である。

農家の西と北に、杉か何かの木立があって、防風林だろうか? それを見る度に、東北独特の歴史や風俗の匂いを嗅いでしまう。

釜石線の電車は、二両編成のワンマンカーだった。のんびりしたものだ。時計は2時を廻っていて、乗客は、学生、観光客、地元の人々だった。山と山の間の低い、狭い空間を、身をよじるようにして、西陽を浴びたワンマンカーが走り続ける。各駅に停まるのだが、人家は少なく、点在している。

遠野市が近くなると、平野がひろがって、南に、北に、高い山が斑の雪を走らせている。

約1時間が過ぎた。遠野は電車やバスのない時代には、本当に陸の孤島だったのかもしれぬと、四方の山々を眺めながら考えた。

トンネルを幾つもぬけて、釜石駅に着いた時には4時半くらいで、もう冬の薄闇が巣喰いはじめていた。左右に山が迫っていて、右手に煙突の白い煙をゆったりと空に吹き上げる工場があった。”鉄の町”だという実感が湧きあがった。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

さざんかの紅と白が眼の底に残っている。今回の教室は、阿波市(旧阿波町)の庁舎の右隣にある会館で行われた。その庁舎の庭先に、さざんかの花が寒空の下で揺れていた。風に吹かれて、紅と白の花が咲き誇っていた。さざんかは旧阿波町の町の花だった。

花の香りを後に残して、阿波市担当の当社の井本君の車で泊まるべき宿を探して、車を走らせた。

阿波市には、土成町と市場町、そして阿波町に、温泉があるという。いつも徳島へ出張の際には、徳島市駅前のビジネスホテルに泊まるが通例だった。あまりに味気ないので、今回は地元の宿に泊まりたかった。

市役所から北の山にむけて、10分ほど走らせると、山の裾野に【土柱ランド新温泉】という看板があった。

予約もなしの、とびこみ客だったが、幸い日曜日で泊まり客も少なく、金・土は満員でしたが、今日はゆっくり泊まれます、という女将の返事だった。

寒い。今年一番の寒波だった。山の町は、徳島市内よりも2〜3度温度が低いという。それにしても暖房のボタンを点けても、いつまでたっても部屋は冷えたままだ。

思わず温泉に入った。ラドン温泉だった。今日の運動教室を思い出しながら、身体を温めた。

火照る身体のまま、食事となった。吉野川の鮎、たらいうどん、山菜。女将が土地の話をしながら、ビールの栓をぬいてくれた。“夜の土柱”も是非見てください、ライトアップしてあるから。歩いて2〜3分の裏山にあります、と言う。

“土柱”県人ながら、私ははじめて土柱という言葉を耳にした。「世界の3大土柱のひとつです」。

結局、寒さのあまり、浴衣で外へ出るのを渋った私は、夜の土柱を見ることはなかった。

南の山脈から朝日が顔を出した頃、7時、私は朝食の前に、宿の裏山にむかって歩きはじめた。“土柱とは何か?”

坂道を歩いてしばらくたつと、山の斜面が鋭く、大きな力で、削りとられたように、土がむきだしになっていた。

土の柱が何本も、まるで塔か、筍かのように、中空に屹立していた。なるほど、見事な景観だ!

絶崖には、深い淵が幾筋も走っていて、雨の力か、風の力か、途轍もない大きな力が、長い長い時間をかけて、浸食し、風化させ、土の柱を露わに晒していた。

百万年の時間の皺が、土の柱という形にあらわれていた。なるほど、砂岩、貢岩、粘枚岩、石灰岩が混ざっていて、弱い部分が消えて、強い部分が残ったのだ。

中世期の白亜紀の地層だと、立看板に書いてある。そうすると、約130万年前のものだ。

高さが約50メートル、幅は約100メートルはあるだろう。谷の底には草が繁っていて、中腹には大小の裸の“土柱”があり、松の木が土柱の頂きに生えていたりもする。

私は人間の生命をこえた、巨大な時間を感じながら、寒空の下で、土柱を注視した。

人間は人を超えたものに遭遇すると、一瞬、判断停止の状態に陥ってしまい、我にかえるのを危うく忘れそうになる。

鳥が啼いた。私は我に返って、宿へと戻った。吉野川の南の山脈が朝日に輝いていた。

宿からJR山川駅へと向かった。

冬の吉野川が眼下に流れていた。川は人を育て、植物を育み、長い長い時間をかけて、生きものたちに、豊

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

糖尿病になって、その人がかかる医療費は、平均2000万円だと、田中先生は語る。阿波市の国保の加入者の3割が、医療機関で糖尿病の治療を受けている。医療費は毎年2億円づつ、増えているのだ。

何がなんでも、意識的な運動習慣を市民の間に根付かせないと、市の財政が、医療費で破綻してしまうだろう。本当に深刻な問題である。

さて、田中先生の「1分運動から始める糖尿病予防」の提案は、2つだった。

徳島県は阿波踊りの本場である。夏、八月には、全国から数十万人の観光客が来る。観るだけではなくて、参加して、踊る。

田中先生は「阿波踊り体操」を考案したのだ。誰にでもできる身近な踊りに、ストレッチと筋力づくりと全身運動をつけ加えて、音楽に合わせて踊るのだ。なるほど、これなら音楽に合わせて、1分間は踊れる。先生は「阿波踊り体操」を全県にひろめている。評判は上々だとか。

講義を聴いていた参加者が立ちあがると、全員が音楽に合わせて、踊りはじめたのだ。6割の人がはじめてだったが、さすがに徳島の人たちだ。眼が輝き、手足がしなやかに動き、ストップという声で、そのままのポーズで動作が止まる。ストレッチの効果だ。CDがあれば、自宅でも実行できる。

もうひとつは、10〜15cmの台を用意して、左右の足を交互に台座にのせる、ステップだった。1日100回で充分に効果がでる。

とにかく、どうにかして、今までよりも動いてもらわなければならない。今よりも動く工夫が大切だ。
 ①車を自転車にする
 ②自転車を徒歩に変える
 ③なるべく階段を使う
 ④トイレは遠い場所でする
 ⑤昼食はちょっと離れた店に行く

実行するのは本人だ。病気で泣くのも本人自身だ。元気な人が増えれば、地域社会も豊かになる。

幸い、阿波市には吉野川という財産がある。見事な川を眺めながら堤を歩いてみる。旧市街の町々にウオーキング・ステーションを作って、仲間づくりをして、四季折々に語らいながら歩く習慣ができれば、町と町の交流ができて、人々の会話が弾み、4つの町が、ひとつの阿波市へと結集できるのではないか、と私は考えるのだが。

一人ではできないことも、グループができて、習慣が身につけば、恵まれた環境を本当に生かすことが可能になると思う。

吉野町、土成町、市場町、阿波町をぐるりと廻ってみたが、広い田畑があり、家々にも広い庭があり、綺麗に人の手がゆきとどき、市全体は、外目には豊かな生活に見えた。

人間は動く動物だから、とにかく車社会の弊害から脱出しなければ、心身の健全な未来はない。今日からスタート、現在(いま)からスタートだ。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

私の頭の中には、一昨年読んだ徳島新聞のトップ記事との強烈なキャッチフレーズが貼りついたままだった。なぜ、こんなことになったのだろうか?一昨年、JR徳島駅で、上京の際に買った新聞には<徳島県の糖尿病の死亡率。13年連続ワーストワン>とあった。覚えているだろうか? 昔、秋田県が脳卒中の死亡率が全国ワースト1(ワン)だった。もちろん、秋田は雪国である。運動不足になるほど冬は長く、雪は深い。新鮮な野菜が少ない。漬けものを食べる。寒いから塩っぱいものを好む。酒が美味い。呑みすぎる。家庭でも、食堂でも、味が濃い。いわば、雪国の食生活と習慣が生みだした病気だった。秋田県では、小学生からの食生活を変え、教育の場から、街での味まで気を配って、脳卒中での死亡を防ぎ、ワースト1の汚名を返上した。予防教室を徹底した。では、気候は温暖で、冬でも新鮮な野菜があり、味も薄味で、都市のような通勤地獄もない。いわば恵まれた風土で、なぜ糖尿病死亡率・全国ワースト1の県になるのか?

 私たちの少年の頃は、糖尿病は少なくて、「あれはお金持ちで、贅沢な生活をしている人がなる病気や」と大人が語っていた。

徳島大学の田中先生の講義と実技は、私の疑問に見事に答えてくれる、有意義で楽しい教室だった。

田中先生は、糖尿病のメカニズムを説明した後で、徳島県の現状分析を試み、病気の原因を指し示した。

スクリーンに2枚の写真。
 ①車だらけで、渋滞している風景
 ②歩いている人の群れる風景
どちらが東京で、どちらが徳島でしょうか?

①が徳島、②が東京だった。
 
 1日の平均歩数(他都府県との比較)
 徳島県人…6200歩
 長野県人…8600歩
 大阪府人…8500歩
 
東京都人…8300歩
 全国平均…7200歩

 肥満率
 徳島県…ワースト3
 青森県…ワースト2
 沖縄県…ワースト1
ちなみに、高知県はワースト15
      香川県はワースト14
      愛媛県はワースト13である。

つまり、歩数は肥満率に正比例している。糖尿病で、現在最も話題になっているのは、急上昇している沖縄県である。

「今日は車ですか? 自転車ですか? 歩きですか?」ほぼ全員が、今日、会場には車で来ていたのだ。

四国には、四国八十八ヶ所を廻る、お遍路さんという立派な風習があり、全国から歩き遍路が集っている。お遍路さんは1日平均4〜5万歩は歩いている。昔は隣の町へは、歩いて行ったものだと、田中先生は語る。

徳島県・阿波市もまた、山形県の河北町同様、まったくの車社会に変貌していたのだ。

徳島県の標語

 「徳島県、動かんケン
   このままじゃいかんケン」
1に運動、2に食事、しっかり禁煙 最後に薬

阿波市は、糖尿病死亡率がおそろしく高い。
全国平均を100とすると
県内男性143
県内女性135
阿波市男性167
阿波市女性194となっている。
  (徳島新聞発表)(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

阿波市は四国を代表する、吉野川の中流域の北岸にひろがる市である。旧吉野町、旧土成町、旧市場町、旧阿波町が平成17年に合併した、新しい市である。人口約4万3000人。私は全国を歩いて、利根川・信濃川・北上川・石狩川など、日本を代表する見事な川をたくさん見てきたが、河口の水量は、四国三郎・吉野川が日本一だと思う。いや、水量ばかりではなく、その姿も堂々としている。

出身地はどちらですか、と訊かれる度に、私は「徳島県です」と答えて、すぐに「徳島と言っても、私の郷里は高知県と徳島県の県境にある宍喰(ししくい)という町です」と応えることにしている。半農半漁の、美しい静かな過疎の町だ。

同じ徳島でも、私たちは徳島市の人からは、南の人ですか、人がおおらかで、人情味があって、やさしい人が多いですね、と言われる。つまり、田舎の人である。のんびりしている。

だから吉野川を中心にひろがる市町村のことはよく知らない。旧池田町まで、車で町々を尋ね歩いたことが一度あるくらいだ。

しかし、徳島から高松へ出て、岡山廻りで東京に上京する際、いつも洋々と水をたたえた吉野川の姿には眼をみはったものだ。

四国は、徳島(阿波)、香川(讃岐)、高知(土佐)、愛媛(伊予)からなる島であり、瀬戸大橋が完成するまでは、舟で本州に渡った。

今では淡路へ、今治へと大橋が3本も架かって、電車やバスや車で本州へ道路を通って、通うことができる。

瀬戸内海はもちろんだが、太平洋側の徳島、高知も、陸の道以上に、海の道が発達していた。いわば海の民、海洋民族である。

フェリーで大阪へ、和歌山へ、神戸へ、岡山へと、四国の人々は海の足(海の道)を利用してきた。

同じ四国でも1県1県、風土や気候はもちろん、言葉づかいや単語までちがう。いや、同じ県でも、南と北、都市と地方では、その差が大きい。県外の人がきけば、同じように聴こえても、地方に住んでいると、隣の町の人とも、微妙に、言葉がちがう。方言は本当に風情のある言葉だ。

言葉は正に生きものである。その土地の文化や伝統や習慣が作りあげてきたものが、方言だ。血の通った言葉である。表情も微妙なニュアンスまで伝わる。私たちの少年時代は、その方言を学校で修正されたものだ。標準語が正しく、一番いい言葉だ、と教えられた。あれは、いったい何だったのか?

日本には今でも、何千もの方言が生き生きと使われているだろう。統一化は便利かもしれぬが、味わいというものが消えてしまう。

宍喰を7時17分に出発して、特急・剣山に乗り、阿波・池田方面へと向かった。美しい海を右手に眺めながら、快晴の空の下、電車はいくつものトンネルをくぐり、川を、橋を渡り、平野を横切って北上する。

快晴と言っても、都市の快晴とは訳がちがう。山の稜線、樹木の1本1本がくっきりと見える。光の強度がちがう。風が吹き、草花も、石までが浮かびあがっている。透明な水が流れて、泳いでいる川魚の影が、川底に写っている。

特急といっても、東京の快速くらいのスピードで、ゆっくりと、眼で風景を楽しめるのだ。徳島駅に着くと、特急で約30分、普通で約1時間のところに阿波市がある。

電車は、徳島平野を流れる吉野川の南岸を走り続ける。左手に低い山脈、右手には広大な徳島平野。電車からは、残念ながら吉野川は見えない。鴨島、川島を過ぎて、JR阿波山川駅にて下車する。無人駅である。山が接近してきた。阿波市役所までは、タクシーで約10分である。

12月3日。

今日はヘルスアップ事業の予防教室がある。徳島大学の田中俊夫先生による「1分間運動からはじめる糖尿病予防」が開かれる日だ。(つづく)