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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「鉄は国家なり」という言葉があった。重厚長大が時代を象徴していた時代だ。現在は、軽薄短小の時代に変わってしまった。

今回訪問する岩手県釜石市は、全国に”鉄の町”として、その名は響きわたっていた。そして、ラグビー日本一も、たくさんの人々の記憶として、その脳裏に刻まれていることだろう。

宮沢賢治を生んだ花巻市、柳田国男が名作「遠野物語」で語った民話の宝庫、遠野市までは足を運んだことがあるが、釜石市を訪ねるのは、今回がはじめてである。

三陸海岸の港町、鉄の歴史を誇る町、釜石の姿はテレビや雑誌で、私の脳に刷り込まれており、果たして、現実とイメージの間にどれだけのギャップがあるのか、それを確かめる旅ともなった。

9月からはじまった「ヘルスアップ事業」の閉講式が1月29日に催されるので、前日から東北新幹線に乗って、出かけることになった。

それにしても今年の冬は、冬とは思えぬほどの温かさだ。宮城、岩手では、12月から雪と霜で、ゴルフ場はクローズが当たり前である。今年は気象庁、観測史上最高の温度で、仙台でも、ゴルフを楽しんでいるという。反対にスキー場では、雪が足りなくて営業にならないとか。喜ぶ人あり、悲しむ人ありだ。

東京駅10時36分の「やまびこ」に乗って、新花巻へと向かった。福島、仙台を過ぎても、街も、平野も、黒い地面と褐色の姿を覗かせるばかりで、雪の白は遠く、高い山々に輝いているだけだった。

新花巻で下車すると、2〜3分歩いて“釜石線”に乗り換える。40分ほど時間があるので、花巻の風景を眺めながら、駅の周辺を歩いてみた。田園風景がひろがっている。低い丘のような山があちこちに点在していて、雑木林が陽を浴びていた。風でもあれば、宮沢賢治の低い訛った声が、見事な詩句となって、流れて来そうな風景である。

農家の西と北に、杉か何かの木立があって、防風林だろうか? それを見る度に、東北独特の歴史や風俗の匂いを嗅いでしまう。

釜石線の電車は、二両編成のワンマンカーだった。のんびりしたものだ。時計は2時を廻っていて、乗客は、学生、観光客、地元の人々だった。山と山の間の低い、狭い空間を、身をよじるようにして、西陽を浴びたワンマンカーが走り続ける。各駅に停まるのだが、人家は少なく、点在している。

遠野市が近くなると、平野がひろがって、南に、北に、高い山が斑の雪を走らせている。

約1時間が過ぎた。遠野は電車やバスのない時代には、本当に陸の孤島だったのかもしれぬと、四方の山々を眺めながら考えた。

トンネルを幾つもぬけて、釜石駅に着いた時には4時半くらいで、もう冬の薄闇が巣喰いはじめていた。左右に山が迫っていて、右手に煙突の白い煙をゆったりと空に吹き上げる工場があった。”鉄の町”だという実感が湧きあがった。(つづく)

Category: 紀行文, 岩手県
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