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• 火曜日, 11月 04th, 2008

夕闇の中に立ち昇る白い煙を右手に見ながら、タクシーはやめて、ゆっくりとホテルまでの道を歩いてみた。釜石は低い山々に囲まれた町だった。南に、北に、西に、葉をおとした灌木があって、東の空間がのびたあたりに港があるにちがいなかった。

陸橋の下をくぐると、甲子川が流れていて、川下に見事な赤い鉄の橋が見えた。歩いて渡る橋の名前は、大渡橋である。もう町は眼の前だ。

商店街にはアーケードがあって、延々とのびている。鉄の全盛期には人口9万人を誇ったというだけあって、商店街は見事なものだ。

現在は、人口が4万5000名ほどにまで減っている。“鉄の町”も減産を余儀なくされて、工場の社員は千葉の君津へ、北海道の室蘭へと散っていったのだ。

世帯数は約1万8000。家族が減って、高齢者率は30パーセントを超えているのだ。

夜の商店街は人足も少なく、シャッターがおりたり、看板の消えている店が目立った。

ここでも、少子高齢化の波が押し寄せている。まして、基幹産業の“鉄”の工場を誇った企業城下町は、減産のあおりを受けて、町そのものを再構築しなければ、未来はない。

釜石は、漁業の町でもある。三陸の海がある。漁業はどうなのか? リアス式海岸で良港が多い。磯があり、白砂の海水浴場がある。

【港】は、いつも文明と文化を運んでくる。人と物の出入りがあって、活気にあふれ、交流の場が出来るのが【港】である。海の道、交通の要所、窓口である。海にむけて開かれている町。水平線の向こう側からは、いつも未知のものがやってくる。

【港】のある風景は、自然に、未来とか異国の香りを漂わせている。

ホテルに着いた。冬の5時は暗く、6階の部屋から見下ろす街には、街灯が点って、山々は、闇の奥へと身を沈めている。何かがちがう。いったい何だろう? 海の町なのに。私の感覚が、もうひとつ、ぴったりとこない。明日は、早起きをして、港を見に行こう。講習会の始まるまでに街を歩いて、港でも眺めれば、私の奇妙なわだかまりも解けるかもしれない。

東北担当の営業部長丸野君と、大塚君が東京から、測定器などを積んで車でやってくる。何時間かかるのか? 6時、7時、8時まで待った。高速道路を使っても、結局約8時間かかったということだった。

夕食には、三陸の地魚と鍋を食べようということになって、夜の町へ出た。路地へ入ると、びっくりするくらい店があった。日曜日のせいか、あるいは、人口減の影響か、灯の点いていない店、看板やネオンの淋しく闇に沈んでいる店が多かった。

それでも、夫婦で、頑張っている店があった。刺身の盛り合わせには、小さな旗が刺してあって、地魚の名前が書いてある。幻の魚、マツカワか! 沿岸の魚だから白身の魚が多い。鍋はおまかせで、アンコウが中心。鍋の後の、オジヤが実に美味い。釜石の栄枯盛衰を聴いた。それでも工夫して、生きるのだと主人は語ってくれた。郷土に生きるとは、そういうことだろう。(つづく)

Category: 紀行文, 岩手県
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