Archive for the Category ◊ エッセイ ◊

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• 水曜日, 2月 07th, 2024

六十有余年、「文学」の最前線で書き続けた大江健三郎が逝った。同時代を生きる文学者でもっとも、私の文学の眼を開かせてくれた作家だった。初期作品から最後の小説まで主力作品を読み返している。「三つの文体」を生きた作家である。つまり、三回、人間が、思想が変わった。生涯、現役で書き続けた。円熟した老作家ではなく、(現実)に生きるニンゲンとして。

大江健三郎は、60年代、70年代の同時代を生きる者たちにとって「新しい文学の旗手」であった。文学青年はもちろん、政治青年も「大江健三郎」を読んだ。作家であり、オピニリオンリーダーでもあった。新作が出るたび、その作品を読んで、大江が何を書いたのか、語り合っていた。立花隆も、中上健次も、立松和平も、もちろん、私も「第二の大江健三郎」をめざしていた!!

「三つの文体の移ろい」
①文体の中にしか(小説)はない。
大江の「飼育」など、初期作品は新しい時代の感性の言葉で描かれていた。まるで、ピエール・ガスカール(フランス)が日本に誕生したような、新しい文体であった。(「種子」「街の草」「けものたち 死者の時」)のガスカールの具象がそのまま抽象になるようなシンボリックな文体)
大江の初期小説の「文体」は、まるで、ピエール・ガスカール風であった。

②「実在的な文体」の出現と想像力による文体の結出
「万延元年のフットボール」は、日本にも、こんな文体が出現したのかと驚愕した作品であった。私が「新しい文学」に目覚めたのは、正に、この本の「文体」に出会ったお陰である。ハンマーで、頭をなぐられたような衝撃であった。(評論家・盟友の江藤淳は、その翻訳のような文体は、小説ではないと断言して、以後、大江健三郎の小説を読まなくなった。大江の小説の良き理解者であったのに)
フランスでは、まったく、新しい「文学」が誕生していた。ル・クレジオの「調書」「大洪水」「物質的恍惚」である。大江は。同時代のライバルとして、ル・クレジオを意識していたにちがいない。
言葉の大洪水が、ル・クレジオだった。大江の「万延元年のフットボール」に匹敵する、想像力の「文体」の出現。従来の「小説」の形を破壊した、ル・クレジオの作品。おそらく、ヌーボー・ロマンの最高傑作である。
それから、大江健三郎は「文化人類学」の(知)などを取り入れて、実験的な小説を量産した。なぜか、私は、その(知)に対して、反撥があって、しばらく、大江の小説から離れた。そして、「父」をテーマにした「水死」で大江健三郎作品に戻っていた。

そして、最後の小説の「文体」多視点的な文体である。自分の作品が、過去が、多視点的に批判的に語られる。同時に、3・11のフクシマの危機、人間の危機も語られる小説。大江自身を、作品を、他人の眼によって晒してしまう小説である。なぜ、大江は、最後の小説を「長篇詩」で締めくくったのか?ビジョンを語るには、(詩)の形が良いから?

大江健三郎の母は、生涯、息子・大江健三郎の「小説」を受け入れることがなかっただろう、と思う。大江の小説に登場する(妹、親族たち)も、ソレは(私)ではないと反発しただろう。
大江の(想像力)とは、いったい、何だったのか?大江の描く(父)は、その母にとって、まったく(現実の父)とは認められないものだった。なぜ?母の知っている(父の事実)と大江の描く(父のジジツ)が、余りにも、歪められていて、二人の共通の(夫・父)に重ならないからだ。
母は、大江の小説が、地元では、受け入れられない(異物)であると感じていた。<事実>(母の)と<ジジツ>(大江の)差異。
大江の書く人物は、自然なニンゲンというよりも、大江風に歪められていてグロテスクである。
妹は「あなたに一面的な書き方で小説に描かれて来たことに不満を抱いている」(「晩年様式集」)と、最後の小説で、大江も告白している。
自然主義作家の、正宗白鳥が書く、弟、妹、父や母たち「リー兄さん」(入江のほとり)と大江の書く親族たちは、まったく別の「小説」である。世界が違う。
ニンゲンを描くことにおいて、白鳥と大江の言葉の、どちらが、深いところに達しているか?(単に「私小説」と「全体小説」の差だとは思えない。)
(現実)の(事実)と、(小説)の(ジジツ)がある。大江は、想像力を駆使して、(小説)の(ジジツ)を描くのだ。しかし、描かれたモデルたちは、(小説)の(ジジツ)として自分に対して、ソレはちがう!!と反発するだろう。(私)は、そんなニンゲンではないと。

大江自身、膨大な小説を生涯書いてきたが、最後の小説「晩年様式集」では、長篇詩を書いて、「本」を閉じた。その中に「自分の想像力の仕事など、なにほどのものだったか、と」述懐する二行がある。
ノーベル文学賞までもらった大江健三郎に、そんな言葉を吐かれても、他の作家や読者は弱ってしまう!!

大江は小説家であるが、詩人としての資質もある。(大江の小説のタイトルを見よ!!)「万延元年のフットボール」「洪水はわが魂に及び」「ピンチランナー調書」「新しい人よ目覚めよ」「鯨の死滅する日」
126行の長篇詩で終る、小説「晩年様式集」である。
①「自分の木」がある。(四国の森の伝承)
人が死ぬと、魂は、その「自分の木」に着地する。
②「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる」
詩には、2つのメッセージが、声高らかに唱われている。(若い人たちへ)六十余年の、大江健三郎の文学的な仕事が、たどり着いたコトバである。

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• 金曜日, 1月 31st, 2020

①(社会の言葉=ネーミング)と(文学のコトバ=評論)の探求と考察に生きた人。
②「一言半句」に作者の意図を読み込んで、人間を、社会を、世界を発見しようとした人。
③不幸は、突然やってくる。訃報も、突然、舞い込んでくる。11月のある夜、会員の中津川丹さんから、突然の電話。「安藤さんが亡くなりました。」絶句。ただ、悲しい。
④咽喉が渇き、鼓動が早くなって、胸が痛んだ。二階の書斎にあがって、8月に、安藤さんから届いた、一通の長い手紙と一冊の本を机の上において、読み直してみた。深呼吸をして、「般若心経」を三回唱えた。
⑤ヒトはあらゆるものに名前をつける。星に、山に、川に、草に、魚に、もちろん、人間にも、ていねいに。安藤さんの仕事は「会社」に「商品」に名前を付けることだった。その傑作は「セシール」。主著『ネームングは招き猫』。単なる実用書ではなく、「言葉」の発見の書。(社会の言葉で)
⑥「読書会」には、いつもユニークなレポートと解釈、そして珍しい資料持参。青春の「大岡昇平『野火』論」は、見事な、文学のコトバで。(稲門会、図書館の会、年六回出席)
⑦早稲田に入って「文学」を学ぶと、誰でも一度は、作家、詩人、評論家を志すものだ。黒田夏子は『abさんご』で芥川賞受賞(史上最高齢75歳で)。下重暁子は、元NHKの美人アナウンサー。70歳を過ぎて、エッセイ集がベストセラーに。早大、国語国文(教育)卒で、ともに、安藤さんの同級生。
⑧晩年は、「読むこと」に生きて「書くこと」に生きて、「読書会」を魂の交換の場所としていた。「文学の本」を執筆していた安藤さん、出版事情が叶わず、断念。残念無念。「幻の本」に。
⑨「一言半句」の審美眼の人、いつも、物静かだが、心を貫く棒の如き意志の人。私の最後の、送るコトバは、魂よ、安らかなれと「ニルヴァーナ」である。
(岐阜県出身・早稲田大学教育学部国語国文卒 享年84歳2019年10月7日永眠)
(「四街道稲門会だより」より転載)

(注)「幻の本」が、作者・安藤貞之さんの死から四ヶ月たって、見事な一冊の「本」になりました。
タイトルは「樋口一葉を世に出した男ー大橋乙羽」です。日本初の編集者の評伝です。(百年書房刊)
一人でも多くの読者に安藤貞之さんの声がとどけば、と念しております。

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• 水曜日, 11月 20th, 2019

(私)の書架に、哲学者・ジャック・デリタの大作『根源の彼方にーグラマトロジーについて』上・下巻(1977年初版)と『エクリチュールと差異』上・下巻(1976年初版)が並んでいる。
約半世紀ばかり前に出版された、超難解な哲学書である。20代の(私)が何を読みとり、何を読みとれなかったのか、もう、一切が霧の中である。30ヶ国語を自由に読み書きできた、天才哲学者・井筒俊彦が手を焼いた書物である。(私)ごときが、ジャック・デリタの思想を呑み込めた訳がない。
ミッシェル・フーコー(『狂気の歴史』)がジャック・デリタの師である。
ジル・ドルーズ(20世紀の最高の哲学者)と並ぶ思想家・ジャック・デリタ!!
(私)は、ジャック・デリタの論考よりもジル・ドルーズの論考に魅かれていた。

先日、偶然、ジャック・デリタの『プシュケー他なるものの発明Ⅱ』を購入した。久々に、新刊が翻訳された。
「いかに脱構築を受け継ぐか」と帯文に記されている、500ページの大部作品(8700円)(岩波書店)
本書には「前書きのための五十二のアフォリズム」と「不時のアフォリズム」が収録されている。
ジャック・デリタが、アフォリズムを書いていた!!
驚きであった。が、同時に、最後は、アフォリズムに挑戦するのは、当然である、と、納得した。

至高の文とは、アフォリズムだから。アフォリズムとは何か?
3400本のアフォリズムを書いてきた(私)は、ヒトに会うと、必ず「重田、アフォリズムって何だ?」と訊かれる。
眼に見えないもの、形姿。耳にとどかないもの、音声。鼻で嗅げないもの、匂い。舌で味わえないもの、味覚。身体で感じられないもの、感覚。意識で捉えられないもの、思考。
つまり、宇宙が無限に放射するコトバのことである。(私)は、そのように考えている。
哲学者、ジャック・デリタは、アフォリズムを、どのように考えていたのか?
「アフォリズムとは名である」
「裁断、決定、真実、予言、神託、宣告、(非システム)そして箴言・格言である」
アフォリズムは、「切断、分離、標記、境界・・・切り離す力」
「アフォリズムは、ソコにあっても、存在しない。そこに入ることも出ることもできない。つまり、はじまりも終りもない。基礎も目的も高低もなければ、内外もない」
どうであろうか?ジャック・デリタのアフォリズム考である。

ジャック・デリタさーん!!
あなたも、やはり、宇宙の中の無限の中の1として、コズミックダンスを踊っているのですね。
青い光の独楽として、意味も、無意味も、非意味も、無視して、ビッグ・バンの風に吹かれて、宇宙を浮遊する仲間の一人だったのですね。
ニンゲンとして、連帯の挨拶を送ります。至高の宇宙のコトバであるアフォリズム、受け継いで書き続けてみます。

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• 木曜日, 6月 06th, 2019

読書会を始めてから7年、開催回数は、平成30年度末で26回になります。年4回程度の開催です。主に日曜の午後、2時間半の予定ですが、しばしば延長。開始当初は、四街道市文化センターを借りていましたが、ここ数年は、四街道市立図書館のご厚意により、同図書館の3階会議室で行っています。

参加者は、当会会員10~15名です。交流の意味で、近隣稲門会の会員の方も見えています。固定メンバーが大半ですが、フレッシュな参加者もいます。出身学部は文学部、というわけではなく、理工から政経、法、商、教育、とさまざまです。さらに、元文学青年、文学関係者もいますが、高校卒業以来、はじめて小説を読む、という方もいます。いい意味の「多様性」だと感じます。

講師は、当会会員の重田昇氏です。私は、重田さんを超える読書会講師はいない、と思います。ごく簡単なプロフィールです。徳島県の出身で、大学在学中から小説を発表し、作家で身を立てると周囲からは思われていました。ところが、卒業後、実業界に身を投じ、会社を興し、順風満帆の職業生活を送られました。還暦を迎えたころ、会社経営から身を引き、作家生活へと転身されました。今は、出身地徳島を舞台にしたライフワークの小説やアフォリズムの作品に取り組み、文学講師として各方面から呼ばれ、講演等もされています。以上の経歴だけでも、稀有ですが、私が一番感心するのは、読書会での姿です。参加者の話をしっかり聞いて、ソフトに明るく楽しく、丁寧に答えています。文学者や作家というと、頑固で自己主張の強い人、というイメージがありますが、重田さんは、どんな人でもそらさずに、しっかり、会に包みこんでくれます。この会が続いてきた最大の秘訣は、重田さんのこの人柄のおかげです。なおかつ、文豪のエピソードや、作家の収入や生活、家族との関係、出版事情、文学賞の裏側など、マスコミでは聞けない知識も満載で、実に話題豊富な講師です。

読書会のテキストについては、講師の重田さんが選んでいます。古典から最新の文学賞受賞作品、日本文学から外国作品の翻訳まで、こちらもさまざまです。これまでのテキストと作家をご報告します。

⓵『黒い雨』井伏鱒二 ②『入江のほとり』正宗白鳥 ③『異邦人』カミュ ④『金閣寺』三島由紀夫 ⑤『痴人の愛』谷崎潤一郎 ⑥『江分利満氏の優雅な生活』山口瞳 ⑦『地下室の手記』ドストエフスキー ⑧『ひかりごけ』武田泰淳 ⑨『蝉しぐれ』藤沢周平 ⓾『月山』森敦 ⑪『黒猫』エドガー・アラン・ポー ⑫『楢山節考』深沢七郎 ⑬『門』夏目漱石 ⑭『雪国』川端康成 ⑮『徒然草』吉田兼好 ⑯『ヴェニスの商人』シェイクスピア ⑰『砂の女』安部公房 ⑱『abさんご』黒田夏子 ⑲『人間失格』『津軽』太宰治 ⑳『輝ける闇』開高健 ㉑『イワン・イリッチの死』トルストイ ㉒『青春の門』五木寛之 ㉓『奥の細道』松尾芭蕉 ㉔『トリエステの坂道』須賀敦子 ㉕『日の名残り』カズオ・イシグロ ㉖『地獄変』『歯車』『或阿呆の一生』芥川龍之介

会の進め方は、講師によるテキストや作家の説明のあと、参加者が自由に感想を発表しています。内容は、千差万別です。大好きな作品だ、原作の映画化を見た、作家と郷里が一緒で小説の舞台がわかる、から、何を書いてあるかわからない、つまらない、まで何でもありです。敷居の高くないのが、きっと、いいのでしょう。でも、重田講師からは、「もう大学の文学の講座を修了したくらいの内容になっていますよ」と言われています。確かに、文学史、文体論、作家論、言語表現、小説・随筆・古典作品についてなど、文学上の重要テーマも、いつの間にか網羅されています。

実は、この読書会の他に、2年くらい前から、四街道市立図書館主催の市民向け読書会が年2回(4回開催)行われています。同図書館長より、当会及び重田さんに依頼があり、重田さんが講師、座長として務めています。当会の趣旨である「地域社会への貢献」に沿っています。定員15名で、30代から80前後までの老若男女が集まるため、稲門会以上に多様で、テキスト選びも難しいそうですが、皆さん、とても熱心だそうです。ちなみに、市民読書会のテキストは、①『破船』吉村昭、②『仮面の告白』三島由紀夫、③『草枕』夏目漱石、④『楢山節考』深沢七郎、でした。

最後に重田さんの言葉(抜粋)です。
~若いときには“読書”は(知)の楽しみ、生きて齢を重ねると“読書”はココロの(愉楽)である。~

本(テキスト)は、もうひとつの宇宙である。本を読み込むことは、時空を超えて、コトバ宇宙に至ること、コトバ世界を生きることである。

「本」は、もう一人の友である。しかも何時でも、好きな時に会える友である。ページをめくって、コトバを読みさえすれば、会うことができる。(私)一人では、生きられなかった人生の世界の、宇宙の貌を見せてくれる。 

『四街道稲門会だより設立10周年記念号』より転載

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• 土曜日, 2月 09th, 2019

~若い時には”読書”は(知)の楽しみ、生きて齢を重ねると”読書”はココロの(愉楽)である。(重田昇)~

「本(テキスト)」は、もうひとつの宇宙である。「本を読み込むことは、時空を超えて、コトバ宇宙に至ること、コトバ世界を生きることである。
だから、名作には、様々なニンゲンという宇宙がごろごろ転がっている。面白くない訳がない。スリル満点である。何度読んでも、新しい発見があり、楽しみがある。
一人のニンゲンが生きる現実生活の経験は、時間や場所に限定されて、さまざまな人生を生きる訳にはいかない。
「本」は、もう一人の友である。しかも何時でも、好きな時に会える友である。ページをめくって、コトバを読みさえすれば、会うことができる。(私)一人では、生きられなかった人生の世界の、宇宙の貌を見せてくれる。

現代の若者たちは、大学生たちは、「本」を読まないという。月に一冊も読まない人、年に一冊も読まない大学生がいる。なるほど、パソコン、インターネット、ケイタイ、スマートホンと、便利で、面白い道具があふれている。電子空間には夥しい(情報)が洪水のように流れている。
しかし、あくまで(情報)である。(知)の断片である。感性を磨き、深く思考し、感情や情緒を豊かにしてくれる「本」にはかなわない。

感動には、辛抱が必要である。ツイッターの一文は、反射神経の動きがあるだけで、「本」のような楽しみがない。

さて、もう、七年ばかりになるが、大学のOB会(四街道稲門会=早稲田大学のOB)で、「読書会」を始めた。日本の、世界の名作を一緒に楽しみ、感想や意見を交換して、討論する場である。年四回、今回で25回目の「読書会」が終った。

会員の参加者は、約15名。そのほとんどが、人生のひと仕事を終えた、60代~80代の方々である。
理工、商、法、政経、教育、文学部と、(文学)とは縁のなかった方々が大半である。中には、高校卒業以来、はじめて小説を読んだという方もいる。文学を勉強した方は三人。職業もさまざまである。

小説=文学には、数学のような正解はない。一人一人が、人生の現場を生きてきた力で、「本」を読む。だから、感想が、実にユニークで、面白い。
一人一人の知性が光る。討論も、実に、活発である。3~4人の方は、感想を話すだけではもの足らず、レポート(感想文)を書いてくる。その人の人生観が見事に結晶しているレポートである。

講師の私の仕事は ①テキストを選ぶこと ②作者、作品についての説明 ③一人一人の質問に応えること ④面白い裏話・エピソードを語ることである。

読書は、独りでするものであるが、同じテキストを読み、語りあうと、ニンゲンの考え方、人生観、宇宙観が、こんなにも異なるものかと、「読書会」の効用が浮びあがってくる。
一人の読書なら、絶対に、読まなかった「本」を、読むという体験は、一人一人の(知)性を刺激してくれる。

ある日、市の図書館の館長と課長が、「読書会」を見学させてほしいとの申し出があった。で、その結果是非市民の方々を対象にした「読書会」を開いてくれないかとの依頼が来た。
稲門会の主旨が ①OB会員の親睦 ②後輩たちへの支援 ③地域社会への貢献である。
③に該当するので、市民の「読書会」の講師、座長をひき受けることにした。春と秋の読書週間に二回開催している。(定員15名)
難しいのは、現役の30代40代から80前後の高齢者まで、老若男女の会である。「本(テキスト)」選びが、実に難しい。読解のレベルも様々である。しかし、熱心に集ってくれるので、少しは、地域社会の役には立つかと思って、努めている。

「本」を読まない時代、「本」が売れない時代と言われるが、「本」の楽しみ、「読書」の愉びが、一人でも多くの方に伝わればと、年六回、「読書会」を続けている。

今まで読んだ「本(テキスト)」作家。(稲門会)
①「黒い雨」井伏鱒二 ②「入江のほとり」正宗白鳥 ③「異邦人」カミュー ④「金閣寺」三島由紀夫 ⑤「痴人の愛」谷崎潤一郎 ⑥「江分利満氏の優雅な生活」山口瞳 ⑦「地下室の手記」ドストエフスキー ⑧「ひかりごけ」武田泰淳 ⑨「蝉しぐれ」藤沢周平 ⑩「月山」森敦 ⑪「黒猫」ポー ⑫「楢山節考」深沢七郎 ⑬「門」夏目漱石 ⑭「雪国」川端康成 ⑮「徒然草」吉田兼好 ⑯「ヴェニスの商人」シェイクスピア ⑰「砂の女」安部公房 ⑱「abさんご」黒田夏子 ⑲「人間失格」太宰治 ⑳「輝ける闇」開高健 ㉑「イワン・イリッチの死」トルストイ ㉒「青春の門」五木寛之 ㉓「奥の細道」松尾芭蕉 ㉔「トリエステの坂道」須賀敦子 ㉕「日の名残り」カズオ・イシグロ

市民の「読書会」テキスト
①「破船」吉村昭 ②「仮面の告白」三島由紀夫 ③「草枕」夏目漱石 ④「楢山節考」深沢七郎

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• 月曜日, 2月 04th, 2019

~人生の楽しみは、よき友にめぐりあうことである。(昇)~

俳句道をひたすら歩き続けて、終に俳句になった男である。
俳聖・芭蕉は、伊賀上野から江戸へ。遠藤若狭男は、福井の若狭(敦賀市出身)から東京へ。いつも、何かをはじらい、はにかみながら静かに笑みを浮かべている立ち姿の遠藤がいる。
19歳の出会い、いや邂逅、いや小説や物語よりも不思議な縁によって知り合った。
京都・百万遍にある「平安予備校」の大教室。300人から400人はいただろうか?浪人時代のことである。
ある夏の日、偶然隣に坐った、見知らぬ青年が、「僕、俳句やってや。読んでくれんか」ノオトに、数句、俳句を書いて、そのページを破って、手渡してくれた。

炎天下僕には僕の影がつく

春雷や少年遠き海を愛す

寒月や信仰なき身に翼欲し

生れてはじめて、「俳句・文学青年」に出会った瞬間であった。実に、繊細な文学言語をものにしていた。(早熟)
それから、53年間「文学」の友・いや朋輩となった、遠藤喬(若狭男)である。高校生でもない。大学生でもない。宙ぶらりんの浪人という存在。

偶然にも、運よく、早稲田大学に合格し、入学式が終って、教室に入ると、そこに、遠藤喬がいた。お互い、どこの大学を受けるとも、一切、話したこともない。ただ、挨拶を交わす程度の仲であったのに。奇妙な再会であった。
春の、大隈庭園での、スナップ写真がある。緑の芝生に横たわって、風に吹かれて、春光を浴び、笑っている。クラスメートの、石川知正君、遠藤喬君、そして、私の三人。
三人とも、一浪の末、約30倍の競争率を、勝ちとっての合格であり、ココロのやすらぎが、全身のくつろぎとなって、漂っている。
大学二年生になる年に、教育学専攻から、国語国文学科への転入試験を受けた。申し合わせた訳でもないのに、受験生は、遠藤君と私の二人であった。いわゆる「文学」を志した訳だ。
国語国文科は、俳句、短歌、戯曲、小説、アフォリズム、作詞と、多才な才能を発揮した、鬼才・寺山修司が在席した学科であった。遠藤喬は、高校時代に、雑誌に俳句を投稿して、選者の寺山修司から「日本の高校生俳人の五傑」に選ばれていた。ギターを弾き、サキソフォンを吹き、ブラスバンドで指揮棒を振っていた音楽青年の私とは、「文学」への志が違った。

同人雑誌『あくた』(1~13号)時代。教育・国文の2つの学科の有志が集って、同人雑誌をはじめた。小説、詩、評論、戯曲、歴史小説が載った。
後に、政経、商学部、法学部、文学部、そして、青山学院の在校生も参加して、13号まで続いた。息の長い同人雑誌であった。(数十人が参加した)
私は拙い、習作、小説を書いていた。
遠藤喬は、大学二年生になる直前に突然、父を亡くして、アルバイトをしながらの苦学生となった。それでも、創作意欲を刺激されたのか、5号から投稿者となり、同人に加わって小説「風霊」(60枚)を、9号に「乖離」(134枚)と12号に「告別」(172枚)を掲載した。後に、小説集『檻の子供』として上梓。8号には、「檻の弱獣族たち」として、16才から21才までに詠んだ俳句から、50句を選んで掲せている。
お金もない学生が、なんとか、お金を出し合って、(表現)への熱い思いを実現した、同人雑誌であった。1号は200部(定価200円)、13号は500部(定価400円)を印刷して、同人で販売した。(赤字)
創刊号は約60ページ、13号は約140ページ。昭和43年から昭和51年まで約8年間続いた。
合評会「茶房わせだぶんこ」「喫茶ラビアンローズ」では、作品の批評、分析、白熱した討論が繰りひろげられた。(小説論と芸術論)

遠藤喬は、庄野潤三、森内俊雄、古井由吉、伊東静雄と大人のセイカツの中にある静かな(私性)の強い作風・作家たちを敬愛していた。(ただ一人例外は『金閣寺』を書いた三島由紀夫)

伊東静雄は、京大を出て、大阪・住吉中学の教師をしながら孤高の詩を書き続けた。(第一級の詩人)
遠藤喬は、早大を出て、東京・目白の川村学園の教師をしながら、俳句を詠み続けた。同じように、都市生活者でありながら、芸術を探求したスタイルが似ている。
第一句集『神話』 第二句集『青年』 第三句集『船長』 第四句集『去来』 第五句集『旅鞄』を上梓した。約2400の句が収めらている。詠んだ句は、おそらく、その二倍以上はあるだろう。

「父、母、故郷」への哀歌が目につく。

「金閣寺」の句も、「八月」の句も「癌」という病いの句も、すべて遠藤若狭男の、人生の(私性)が色濃く漂っている。

敬愛した作家森内俊雄が称えた句。

われ去ればわれゐずなりぬ冬景色
(この句を詠んで、12年後の12月16日冬に遠藤は逝くのだが・・・)(享年71歳)

「鎮魂」として
八月のホテルにこもりニーチェ読む
(「八月」は死者の霊を弔うお盆のためか?あるいは敬愛する伊東静雄の「八月の石にすがりて」に啓発されたのか?単に、夏・八月が好きであったのか?)

修司忌や津波のあとに立ちつくし
(寺山修司は、俳人・若狭男発掘の恩人)

ふるさとは菜の花月夜帰らばや

若狭去る日の丘に群れ赤とんぼ
(故郷哀歌、抒情あふれる句)

旅鞄重たくなりぬ秋の暮
(「旅鞄」は父の遺品。第五句集のタイトル)

金閣にほろびのひかり苔の花
(三島由紀夫『金閣寺』は遠藤の生涯の愛読書)

わが肺の癌たとふれば霜の花
(胃ガンから肺ガンへ転移)

人間の証明として枯野ゆく
(第五句集、最後の句。俳聖・芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」に殉じた句か?)

若い頃、(大学生の時か?)遠藤君に、真剣な眼差しで、質問されたことがあった。今でも、その声が、耳の底に残っている。妙にココロを刺している。
「重田、意識ってなんだろう?わからないんだなあ」私は、なんと答えたか覚えていない。
三島由紀夫の『金閣寺』を読んで「唯識」(大乗仏教)のことが気にかかっていたのか?(アーラヤ識と種子が)
現在なら、哲学者・ジル・ドルーズの「意識は、文字どうり、眼を開いたまま見ている夢にすぎない」と答えたかもしれない。

訃報のハガキを受け取って(和子夫人から)もう10日ほどになるが、遠藤若狭男の俳句を詠み続けている。
俳人を知るには、俳句を読むしかない。残された者にできることは、その俳句を、後の世に伝えることである。
俳句は、若狭男は、時を超えはじめた。友よ、朋輩よ、ありがとう。

時を超え若狭男俳句が翔んでいる。(昇)

平成31年1月29日

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• 水曜日, 7月 16th, 2014

ニンゲンには、おびただしいものがやってくる。
事象であれ現象であれ、毎日毎日いや毎秒毎秒やってくるものがある。放っておけば、数秒で、数時間で、数日で消えてしまうものたちが大半である。

(私)は、やってくるものが、コトバに、変換される瞬間に、ノオトに、書き記してみた。約5年間に、3000のコトバが来た。(私)自身にさえ、意味不明のコトバもある。
イメージが来たり、気配が来たり、奇妙な音信が来たり、声が来たり、映像が来たり、その形姿はさまざまである。
深層意識から、無限遠点から表層意識から(私)の中心から、来るものがある。
必ずしも(思考)のみではない。直観もあれば、五感もある。

無数のものが(私)を構成している。
(私)の中で、あらゆるものたちが、コトバとなって、現成する。(私)は、それらのコトバを、アフォリズム(箴言詩)と呼んでいる。
書いた本人も、それらのコトバを読むと、深く、考えざるを得ないものもある。
読者も、3000の、アフォリズムを読んで、共に、コトバを、生きてほしい。

芥川龍之介、萩原朔太郎、埴谷雄高、寺山修司、パスカル、カフカ等が愛用した、アフォリズムの水脈を、私は、受け継ぎたい。現代に再生させる。
未来へ、未知へ、未だ開かれざる存在たちへ、コトバを投げかけてみる。
(私)の宇宙が顕現するものと信じながら。

2014年6月 記

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• 月曜日, 9月 26th, 2011

(私)を訪れるコトバで、一人のニンゲンを表現してみよう、と考えはじめたのは、アフォリズムが、100本を越えた頃からだ。

ひらめき、直観、思いつき、イメージ、感覚、ビジョン、幻、夢、意識、あらゆるものが、深層意識の蔵から、種子となって、立ち現れ、(私)のなかで、コトバになる。

毎日、毎日、ソレが来た瞬間に、ノオトに書き記してみた。純粋語に近いものかもしれない。

思考というものでもない。論理でもない。やはり、アフォリズム(イデア)であろう。

小説や評論とちがって、アフォリズムは、ソレが来なければ、書けない。計画して、思考して、書いているのではないから。

それにしても、2000本、コトバにしてみると、(私)というニンゲンに、こんな膨大なコトとモノが、訪れているのか、と我ながら、呆然とした。いったい、誰が、語っているのだろう!!

日々、見過したり、忘れたり、流したり、見棄てたり、(私)の外側で、消えて、死んでしまったはずのコトバが、集結して、結晶となった。

あとは、読んでくれる人が、そのコトバから、次のステップへと、歩を進めてほしい。あなたの、アフォリズムが誕生するかもしれません。

(私)は、行けるところまで行く覚悟です。

(平成23年9月19日)

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• 火曜日, 11月 02nd, 2010

歌人・福島泰樹と作家・立松和平—
9月22日、約40年振りに、母校・早稲田大学の大隈講堂を訪ねた。
2月に死んだ立松和平を追悼する集いがあった。自決前の、三島由紀夫の講演会を聴いた時以来の再訪である。
『和っぺい母校に還る』「立松和平の夕べ」—である。

1. 映像で偲ぶ 『立松和平 こころの旅路』
2. 短歌絶叫ライブ 『さらば、立松和平』 福島泰樹(歌人)
3. パネルディスカッション 『立松和平という男』
  パネリスト 黒古一夫(文芸評論家)
         福島泰樹(歌人)
         麿赤兒(舞踏家・俳優)
         高橋公(NPO法人ふるさと回帰支援センター事務理事)

今年は、いつ終るのか、先の見えない猛暑日が続き、熱中症で死者が続出して、60余年生きている私の記憶にもない真夏日ばかりで、街路樹や夏草が枯れ、異様な気候に、ニンゲンは、悲鳴をあげていた。

9月22日も、東京では、34度の猛暑日であった。額から汗が流れ落ち、下着まで濡れるほどの熱が充満していた。

受け付けと、開演が遅れて、6時まで、会場に入場できないとのことだった。30分ほど、早稲田の学内を歩いてみた。静かだった。立看板も姿を消して、閑散としており、あちこちに、談笑する学生たちの明るい顔があって、新しい、校舎が、いくつも、空に突き出していた。私の記憶に貼りついているのは、朱と黒の文字が踊る立看、ヘルメット姿の男たち、角棒、笛の鋭い音、喧躁、バリケード、拡声器から流れる、アジテーターの声、熱気と殺気の入り混じった、ぴりぴりする空気。ゲバルト。テロ。リンチ。・・・時が流れた。40年の時間が。

全共闘の時代、「自己否定」というスローガンが、40年たっても、私の中に居坐っていて、早稲田の杜を歩いていると、まるで、昨日放たれた声のように、棘となって、甦ってくる。学費の値上げ闘争にはじまって、原子力潜水艦(エンタープライズ)の入港から、安保闘争(70年)まで、学園は、揺れに揺れた。闘争の火は、全国に広がった。

この場所から、歩いて、約40年。時は流れた。団塊の世代は、企業戦士となり、働きバチとなり、停年をむかえた。

いったい、何をしてきたのか?あの、熱気と騒擾は、なんだったのか?

若い世代からの批判は、胸に痛い。学園で騒ぐだけ騒いで、高度成長を楽しむだけ楽しんで、あなた達は、何を樹立し、何を残したのか?

もちろん、一人一人の、胸に描いた夢と、ヴィジョンが、生きざまの中に顕れているはずである。

私は、自立、共生、あんしんの旗を揚げて生きてきた。小さな、小さな旗であるが・・・。

大隈講堂の舞台に、福島泰樹が起っていた。舞台で、何かが発生していた。
短歌を眼で読むのではない。
眼は、「気」の発生を見ていた。
耳が、歌を聴いていた。
頭は、気となって、放射される(情)に触れて、痺れていた。
歌謡とは、全身で、声と気を放つものだった。

福島が、肉体の復活として絶叫コンサートと叫ぶものは、古代の人が、和歌として謡った、魂の気であった。
おそらく、他の追随を赦さない、このスタイルの発見が、福島の固有の思想を創造したのだ。

私は、全身に降ってくる声の慈雨に、濡れて、情念という、声の塊りに眠っていた私の魂を揺さぶれて、痙攣していた。
おそらく、日常の空間ではない、異空の時間で、私は、感動していた。

見事な芸であった。
ピアノと尺八の伴奏にのせて、朗々と、時空に響きわたる福島の声は、詩人たちの、素人の、はずかしくなるような朗読とは、無縁で、正に、プロとしての絶唱であった。

『バリケード・一九六六年二月』という歌集が、福島の処女作であり、原点である。
なぜ、肉体の復活を唱えるのか、眼で短歌を読んでいた私は、納得をした。圧倒的な声量は、僧として、鍛えられ、魂の風を起こすには充分であった。正に、立松和平の魂を鎮める絶叫コンサートでった。

久し振りに、自分の声で、自分の思想を唱いあげる快感に酔った。感謝である。

懇親会の席で、福島さんが言った。
「君とは、どこかで、会っているよな。」
確かに、どこかで、会っているのだ。記憶の壁をおしあけてみる。

私も、学生時代に「早稲田文学」(第七次)に小説「投射器」を発表した。立松和平は「自転車」「途方にくれて」を発表している。福島泰樹は、編集の立松に頼まれて、短歌を発表している。
みんな、「早稲田文学」から歩きはじめている。そして、今がある。

パネルディスカッションでは、黒古、福島、麿、高橋が、立松和平との出会い、思い出、エピソードを披露した。60年~70年代の風景が、昨日のように甦ってくる話ばかりであった。
「温故知新」である。

人、それぞれに、時代と寝る時がある。青春の作家、壮年の作家、晩年の作家。どの時代に、才能が花開くか、誰にもわからない。
私は、晩年の作家、時が満ちて、熟して、語る人になりたい。

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• 火曜日, 7月 13th, 2010

還暦をむかえて、人生の、コペルニクス的な転回を計った。

22年間、わが子のように育てあげてきた(会社)をM&Aによって、他人に、譲渡した。自立、共生、あんしんというコンセプトで、全国で、ビジネスを展開してきた。家族の為、社員の為、顧客の為に、疾走する日々であった。

(私)自身の為に生きよう。残された時間を。そう覚悟を決めた。横へ、横へと生きてきた人生を、今後は、垂直に生きる。

つまり、ビジネスの世界から、文学の世界へと戻って生きる。いつか来た道へと。

25歳の時、長篇小説「風の貌」を上梓した。そして、私的な理由で、文学から離れ、筆を絶った。

長い、実に、長い、サラリーマンと経営者の生活が続いた。

その間、まだ「文学」は、埋火のように、私の中に存在し続けていたのだ。

「ビッグ・バンの風に吹かれて」
「死の種子」
「○△□」
と、小説を発表した。しかし、経営と執筆は、容易に、両立しない。使用する頭がちがうのだ。

還暦を過ぎて、今まで、頼まれて書いたものを、「歩いて、笑って、考える」という本にまとめあげた。

さて、本気で、ライフワークの完成に全力をあげる時だ。

(純文学)を志向してきた(私)にとっては、最高の表現に達したい、一歩でも半歩でも、ドストエフスキーに近づきたい、その思いは、昔も今も、変わらない。

様々な場面を生きていた分だけ、若い頃よりは、洞察も、少しは、深くなっているだろう。素材、材料も、山ほど溜った。

衰弱した、日記のような、文章しか書けぬ作家たちに、一撃を加えよう。

池田晶子が、孤立無援で「哲学的エッセイ」を創出したように、アフォリズムも、私のものになって、読者の中で、爆発してくれるといいのだが・・・。

同時に、プルーストの「失われた時を求めて」をめざしている、大河小説「百年の歩行」も、魂の声が響きわたるものにしたい。

池田晶子の魂の断片を噛った者として、それなりの、責任がある、勝手に、自分でそう思っている。さあ、ふたたびの、出発だ!!