Archive for the Category ◊ 徳島県 ◊

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

さざんかの紅と白が眼の底に残っている。今回の教室は、阿波市(旧阿波町)の庁舎の右隣にある会館で行われた。その庁舎の庭先に、さざんかの花が寒空の下で揺れていた。風に吹かれて、紅と白の花が咲き誇っていた。さざんかは旧阿波町の町の花だった。

花の香りを後に残して、阿波市担当の当社の井本君の車で泊まるべき宿を探して、車を走らせた。

阿波市には、土成町と市場町、そして阿波町に、温泉があるという。いつも徳島へ出張の際には、徳島市駅前のビジネスホテルに泊まるが通例だった。あまりに味気ないので、今回は地元の宿に泊まりたかった。

市役所から北の山にむけて、10分ほど走らせると、山の裾野に【土柱ランド新温泉】という看板があった。

予約もなしの、とびこみ客だったが、幸い日曜日で泊まり客も少なく、金・土は満員でしたが、今日はゆっくり泊まれます、という女将の返事だった。

寒い。今年一番の寒波だった。山の町は、徳島市内よりも2〜3度温度が低いという。それにしても暖房のボタンを点けても、いつまでたっても部屋は冷えたままだ。

思わず温泉に入った。ラドン温泉だった。今日の運動教室を思い出しながら、身体を温めた。

火照る身体のまま、食事となった。吉野川の鮎、たらいうどん、山菜。女将が土地の話をしながら、ビールの栓をぬいてくれた。“夜の土柱”も是非見てください、ライトアップしてあるから。歩いて2〜3分の裏山にあります、と言う。

“土柱”県人ながら、私ははじめて土柱という言葉を耳にした。「世界の3大土柱のひとつです」。

結局、寒さのあまり、浴衣で外へ出るのを渋った私は、夜の土柱を見ることはなかった。

南の山脈から朝日が顔を出した頃、7時、私は朝食の前に、宿の裏山にむかって歩きはじめた。“土柱とは何か?”

坂道を歩いてしばらくたつと、山の斜面が鋭く、大きな力で、削りとられたように、土がむきだしになっていた。

土の柱が何本も、まるで塔か、筍かのように、中空に屹立していた。なるほど、見事な景観だ!

絶崖には、深い淵が幾筋も走っていて、雨の力か、風の力か、途轍もない大きな力が、長い長い時間をかけて、浸食し、風化させ、土の柱を露わに晒していた。

百万年の時間の皺が、土の柱という形にあらわれていた。なるほど、砂岩、貢岩、粘枚岩、石灰岩が混ざっていて、弱い部分が消えて、強い部分が残ったのだ。

中世期の白亜紀の地層だと、立看板に書いてある。そうすると、約130万年前のものだ。

高さが約50メートル、幅は約100メートルはあるだろう。谷の底には草が繁っていて、中腹には大小の裸の“土柱”があり、松の木が土柱の頂きに生えていたりもする。

私は人間の生命をこえた、巨大な時間を感じながら、寒空の下で、土柱を注視した。

人間は人を超えたものに遭遇すると、一瞬、判断停止の状態に陥ってしまい、我にかえるのを危うく忘れそうになる。

鳥が啼いた。私は我に返って、宿へと戻った。吉野川の南の山脈が朝日に輝いていた。

宿からJR山川駅へと向かった。

冬の吉野川が眼下に流れていた。川は人を育て、植物を育み、長い長い時間をかけて、生きものたちに、豊

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

糖尿病になって、その人がかかる医療費は、平均2000万円だと、田中先生は語る。阿波市の国保の加入者の3割が、医療機関で糖尿病の治療を受けている。医療費は毎年2億円づつ、増えているのだ。

何がなんでも、意識的な運動習慣を市民の間に根付かせないと、市の財政が、医療費で破綻してしまうだろう。本当に深刻な問題である。

さて、田中先生の「1分運動から始める糖尿病予防」の提案は、2つだった。

徳島県は阿波踊りの本場である。夏、八月には、全国から数十万人の観光客が来る。観るだけではなくて、参加して、踊る。

田中先生は「阿波踊り体操」を考案したのだ。誰にでもできる身近な踊りに、ストレッチと筋力づくりと全身運動をつけ加えて、音楽に合わせて踊るのだ。なるほど、これなら音楽に合わせて、1分間は踊れる。先生は「阿波踊り体操」を全県にひろめている。評判は上々だとか。

講義を聴いていた参加者が立ちあがると、全員が音楽に合わせて、踊りはじめたのだ。6割の人がはじめてだったが、さすがに徳島の人たちだ。眼が輝き、手足がしなやかに動き、ストップという声で、そのままのポーズで動作が止まる。ストレッチの効果だ。CDがあれば、自宅でも実行できる。

もうひとつは、10〜15cmの台を用意して、左右の足を交互に台座にのせる、ステップだった。1日100回で充分に効果がでる。

とにかく、どうにかして、今までよりも動いてもらわなければならない。今よりも動く工夫が大切だ。
 ①車を自転車にする
 ②自転車を徒歩に変える
 ③なるべく階段を使う
 ④トイレは遠い場所でする
 ⑤昼食はちょっと離れた店に行く

実行するのは本人だ。病気で泣くのも本人自身だ。元気な人が増えれば、地域社会も豊かになる。

幸い、阿波市には吉野川という財産がある。見事な川を眺めながら堤を歩いてみる。旧市街の町々にウオーキング・ステーションを作って、仲間づくりをして、四季折々に語らいながら歩く習慣ができれば、町と町の交流ができて、人々の会話が弾み、4つの町が、ひとつの阿波市へと結集できるのではないか、と私は考えるのだが。

一人ではできないことも、グループができて、習慣が身につけば、恵まれた環境を本当に生かすことが可能になると思う。

吉野町、土成町、市場町、阿波町をぐるりと廻ってみたが、広い田畑があり、家々にも広い庭があり、綺麗に人の手がゆきとどき、市全体は、外目には豊かな生活に見えた。

人間は動く動物だから、とにかく車社会の弊害から脱出しなければ、心身の健全な未来はない。今日からスタート、現在(いま)からスタートだ。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

私の頭の中には、一昨年読んだ徳島新聞のトップ記事との強烈なキャッチフレーズが貼りついたままだった。なぜ、こんなことになったのだろうか?一昨年、JR徳島駅で、上京の際に買った新聞には<徳島県の糖尿病の死亡率。13年連続ワーストワン>とあった。覚えているだろうか? 昔、秋田県が脳卒中の死亡率が全国ワースト1(ワン)だった。もちろん、秋田は雪国である。運動不足になるほど冬は長く、雪は深い。新鮮な野菜が少ない。漬けものを食べる。寒いから塩っぱいものを好む。酒が美味い。呑みすぎる。家庭でも、食堂でも、味が濃い。いわば、雪国の食生活と習慣が生みだした病気だった。秋田県では、小学生からの食生活を変え、教育の場から、街での味まで気を配って、脳卒中での死亡を防ぎ、ワースト1の汚名を返上した。予防教室を徹底した。では、気候は温暖で、冬でも新鮮な野菜があり、味も薄味で、都市のような通勤地獄もない。いわば恵まれた風土で、なぜ糖尿病死亡率・全国ワースト1の県になるのか?

 私たちの少年の頃は、糖尿病は少なくて、「あれはお金持ちで、贅沢な生活をしている人がなる病気や」と大人が語っていた。

徳島大学の田中先生の講義と実技は、私の疑問に見事に答えてくれる、有意義で楽しい教室だった。

田中先生は、糖尿病のメカニズムを説明した後で、徳島県の現状分析を試み、病気の原因を指し示した。

スクリーンに2枚の写真。
 ①車だらけで、渋滞している風景
 ②歩いている人の群れる風景
どちらが東京で、どちらが徳島でしょうか?

①が徳島、②が東京だった。
 
 1日の平均歩数(他都府県との比較)
 徳島県人…6200歩
 長野県人…8600歩
 大阪府人…8500歩
 
東京都人…8300歩
 全国平均…7200歩

 肥満率
 徳島県…ワースト3
 青森県…ワースト2
 沖縄県…ワースト1
ちなみに、高知県はワースト15
      香川県はワースト14
      愛媛県はワースト13である。

つまり、歩数は肥満率に正比例している。糖尿病で、現在最も話題になっているのは、急上昇している沖縄県である。

「今日は車ですか? 自転車ですか? 歩きですか?」ほぼ全員が、今日、会場には車で来ていたのだ。

四国には、四国八十八ヶ所を廻る、お遍路さんという立派な風習があり、全国から歩き遍路が集っている。お遍路さんは1日平均4〜5万歩は歩いている。昔は隣の町へは、歩いて行ったものだと、田中先生は語る。

徳島県・阿波市もまた、山形県の河北町同様、まったくの車社会に変貌していたのだ。

徳島県の標語

 「徳島県、動かんケン
   このままじゃいかんケン」
1に運動、2に食事、しっかり禁煙 最後に薬

阿波市は、糖尿病死亡率がおそろしく高い。
全国平均を100とすると
県内男性143
県内女性135
阿波市男性167
阿波市女性194となっている。
  (徳島新聞発表)(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

阿波市は四国を代表する、吉野川の中流域の北岸にひろがる市である。旧吉野町、旧土成町、旧市場町、旧阿波町が平成17年に合併した、新しい市である。人口約4万3000人。私は全国を歩いて、利根川・信濃川・北上川・石狩川など、日本を代表する見事な川をたくさん見てきたが、河口の水量は、四国三郎・吉野川が日本一だと思う。いや、水量ばかりではなく、その姿も堂々としている。

出身地はどちらですか、と訊かれる度に、私は「徳島県です」と答えて、すぐに「徳島と言っても、私の郷里は高知県と徳島県の県境にある宍喰(ししくい)という町です」と応えることにしている。半農半漁の、美しい静かな過疎の町だ。

同じ徳島でも、私たちは徳島市の人からは、南の人ですか、人がおおらかで、人情味があって、やさしい人が多いですね、と言われる。つまり、田舎の人である。のんびりしている。

だから吉野川を中心にひろがる市町村のことはよく知らない。旧池田町まで、車で町々を尋ね歩いたことが一度あるくらいだ。

しかし、徳島から高松へ出て、岡山廻りで東京に上京する際、いつも洋々と水をたたえた吉野川の姿には眼をみはったものだ。

四国は、徳島(阿波)、香川(讃岐)、高知(土佐)、愛媛(伊予)からなる島であり、瀬戸大橋が完成するまでは、舟で本州に渡った。

今では淡路へ、今治へと大橋が3本も架かって、電車やバスや車で本州へ道路を通って、通うことができる。

瀬戸内海はもちろんだが、太平洋側の徳島、高知も、陸の道以上に、海の道が発達していた。いわば海の民、海洋民族である。

フェリーで大阪へ、和歌山へ、神戸へ、岡山へと、四国の人々は海の足(海の道)を利用してきた。

同じ四国でも1県1県、風土や気候はもちろん、言葉づかいや単語までちがう。いや、同じ県でも、南と北、都市と地方では、その差が大きい。県外の人がきけば、同じように聴こえても、地方に住んでいると、隣の町の人とも、微妙に、言葉がちがう。方言は本当に風情のある言葉だ。

言葉は正に生きものである。その土地の文化や伝統や習慣が作りあげてきたものが、方言だ。血の通った言葉である。表情も微妙なニュアンスまで伝わる。私たちの少年時代は、その方言を学校で修正されたものだ。標準語が正しく、一番いい言葉だ、と教えられた。あれは、いったい何だったのか?

日本には今でも、何千もの方言が生き生きと使われているだろう。統一化は便利かもしれぬが、味わいというものが消えてしまう。

宍喰を7時17分に出発して、特急・剣山に乗り、阿波・池田方面へと向かった。美しい海を右手に眺めながら、快晴の空の下、電車はいくつものトンネルをくぐり、川を、橋を渡り、平野を横切って北上する。

快晴と言っても、都市の快晴とは訳がちがう。山の稜線、樹木の1本1本がくっきりと見える。光の強度がちがう。風が吹き、草花も、石までが浮かびあがっている。透明な水が流れて、泳いでいる川魚の影が、川底に写っている。

特急といっても、東京の快速くらいのスピードで、ゆっくりと、眼で風景を楽しめるのだ。徳島駅に着くと、特急で約30分、普通で約1時間のところに阿波市がある。

電車は、徳島平野を流れる吉野川の南岸を走り続ける。左手に低い山脈、右手には広大な徳島平野。電車からは、残念ながら吉野川は見えない。鴨島、川島を過ぎて、JR阿波山川駅にて下車する。無人駅である。山が接近してきた。阿波市役所までは、タクシーで約10分である。

12月3日。

今日はヘルスアップ事業の予防教室がある。徳島大学の田中俊夫先生による「1分間運動からはじめる糖尿病予防」が開かれる日だ。(つづく)