Archive for the Category ◊ 静岡県 ◊

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

西洋医学と東洋医学を語れる講師は少ない。長島寿恵先生は、東京薬科大学にて薬学(西洋医学)を学び、幼い頃から岳父にツボや鍼灸などの東洋医学を教わっている。したがって、講話や実技の指導も和洋の入り混じったものになる。

糖尿病のメカニズムからはじまって、メタボリックシンドロームの解説は西洋の知であり、五色の食材が何に効くのか、頭から、耳、手、足のツボはいつでも誰にでもできる東洋の知である。

身土不二、一物全体食など、6千年間続いている中国の食の文化の奥は深く、カロリーを中心とする(成分)西洋の文化に勝るとも劣らない。

ウオーキングの指導では、日本の短距離界のエース末續選手が学んだ“ナンバ歩き”を取り入れて、参加者全員が実行した。

笑いの渦が起こった。

昔の日本人は、右足と右手、左足と左手を一緒に前に出す歩き方をしていた。明治に入ってからの日本人は、左足と右手、左足と右手と交互に出して、リズムをとりながら歩く方法を学んだ。

もちろん現代人は、自然に左右交互の手足の動きを取り入れた、西洋式の歩き方をしている。

“ナンバ歩き”は古い日本人の歩き方の長所を再び甦えらせたものである。山を登るときなどは“ナンバ歩き”の方が疲れにくいそうだ。

“教室”はあくまで楽しく、楽しみながら効果を出さねば長続きしない。

30分歩こう、1万歩あるこうと言っても、単なる義務感ではなかなか続かないし、日常生活に溶け込めない。五感を生かして、眼で紅葉を、耳で鳥の声を、鼻で菊の香を、舌で食材を、肌で風を味わいながら歩いてみると、ウオーキングの幅がひろがる。

揉み、叩き、さすり、押して癒す、ツボ、東洋医学も再度見直されて、きっちりとした効果測定がなされるべき時期かもしれぬ。

休憩のあと、ホテルの安永さんから温泉の歴史とその効果についての講話があった。約30分。“上手な温泉の入り方”である。

①まずかけ湯から

②体を慣らす半身浴

③体を洗う

④入浴時間はほどほどに

⑤浴後はシャワーを浴びないで

⑥水分補給を充分に

そして酒を飲んだ後の入浴の禁止や注意。【禁忌症】についての大切なお話。

さて、お昼は京須かおる先生(管理栄養士)のレシピをもとにして550キロカロリーの食事をホテルで作ってもらい、全員でいただいた。人参で色をつけたご飯、鳥肉、野菜など。見た目には本当に量が少ない(日頃、いかにカロリーを摂りすぎているのかがわかった)。

満腹感を得るためには、食べ方の順番というものがある。野菜から食べるのだ。30回噛む。早食いの癖(習慣)のある私には、30回が長い。量が少ない。しかし実際に教わってみると、食生活の見直しが如何に必要かがわかった。

希望者、体調のいい人は温泉に入って、今日の講習会はおしまい。

地の利を生かして、環境を利用して、温泉・食事・ウオーキングの合体したプログラム。伊豆の国市のヘルスアップ事業の成功を祈りたい。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

温泉旅館で朝風呂に入った。極楽である。ひなびた昔ながらの温泉につかりながら、温泉街がたどっている光と影を思った。温泉地は昔から観光と湯治を売り物にしてきたが、社会の環境が変わって、社員旅行が減り、旅のスタイルが変わってしまった。若い人たちの生活・気質が大きく変化した今、新しく生まれ変わる運命にある。

一方で健康づくりに温泉が役立つと、温泉郷もそのPRに余念がない。また、都市にない自然を求めて、樹木や森に思いを馳せる現代人の心情もある。地方の商店街が、シャッター街に変貌している事実を各地で目にしている。

長岡温泉郷もまた、伊豆の国市という新しい名を得て、生まれ変わろうとしているように見受けられた。

資源は豊富で、恵まれた土地だから、知恵と工夫次第で再生は可能かもしれない。

今日の「温泉パワーでウエストすっきり!教室」の会場は、川のほとりの「おおとり荘」で行われる。

講師は長島寿恵先生。薬剤師、運動指導士、温泉療法アドバイザー、西東京糖尿病療養指導士など多面的な貌を持つ先生である。

9時30分スタートまで約1時間ある。見事な堤防があるので、思わず朝の散歩となった。「おおとり荘」という名前ではあるが、実は、鉄筋コンクリートの6〜7階建ての立派な観光ホテル(?)なみである。

ホテルの庭を出ると道路があって、その向こう側に、まだ緑を残した草原があり、狩野川が流れている。支配人の話では、快晴の日には左手に富士が見えて、見事なロケーションだという話だった。曇天で残念。

土手に上がると、左から右からウオーキングを楽しむ市民の方が早足で、次から次へと歩いてくる。

眼の前は、180度、伊豆の山々だ。河原には柳、ススキが揺れていた。眼を空に向けると、太い高圧線が走っていて、大きな鳥が30〜40羽ほどとまっている。二羽、三羽と宙に舞い、孤を描きはじめたので、その鳥がカラスではなく、トンビだとわかった。

群生する植物、街にひろがる緑の木立からは、小鳥の囀(さえず)りが風に乗って聴こえてきた。

伊豆の地は温暖で、11月だというのに、20度を超える暑さだった。

ゆっくりと、ゆっくりと孤を描くトンビが急降下して、川面に突入する。戻り鮎か、川魚を狙ったのだろうか?

街をめぐると、弘法の湯とか、温泉旅館、ホテルが軒を並べていた。

のんびりとした風景は癒しの湯にぴったりの情緒をかもしだしていた。

ホテルの一室に、教室の参加者が続々と集まっていた。これから4時間「ヘルスアップ事業」の基礎講座が催される。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

はるかな昔の話であるが、学生時代、青春の真っ盛りに、過剰な熱にうかされて、車で伊豆の長岡をめざして、車を走らせたことがある。文学仲間が集って、同人雑誌を出していた。その夜も4・5人が集って、文学談義に花を咲かせていた。

誰かが「夜の富士」を見に行こうかと提案した。富士という名前が夜の街に飽いた心にしのびこんできて、私たちの首根っこを押さえた。あとは勢いにまかせて、深夜の東名高速を走り続けた。闇の中に富士が見えたのか、もう記憶にはないが、その夜は、長岡のひなびた旅館に泊まった。翌日、伊豆スカイラインを走った。富士が眩しく輝いていた。

今から思えば、衝動的で冷や汗がでる。長い間、西伊豆には足を運んでいないから、30数年ぶりの“長岡の夜”になる。

沼津インターで東名高速を降りると、一路、長岡へと車を走らせた。

“長岡温泉郷”の看板を見たのが7時だから、2時間ばかりかかったことになる。

社員旅行、修学旅行、温泉旅行が盛んだった頃の賑わいはなくて、街は妙に静かだった。昔は浴衣姿で下駄を鳴らして、観光客が夜の街を闊歩していたものだったが…。

時代が変わってしまったのか。

“ゆもとや旅館”は、昔の旅館そのもので、部屋は柱も天井も古びてはいたが、妙に落ち着いた。トイレは共同で、部屋の外にある共同トイレだった。

食事は大広間で、客は私たち二人だけだった。昔の記憶をたどって、昔、とめてもらったのが、この宿かどうか訊いてみたが、どうやら別の旅館らしいと言うことだった。

魚中心の夕食に舌鼓を打って、真新しい畳の匂いを嗅ぎながら、昔の賑わいのあった頃の幻を思い描いてみた。あの頃、温泉は人であふれていた。

夜風に吹かれてみようか? 尾沼君に声をかけて、夜の温泉郷の探訪となった。人影も疎らで、やはり少し淋しい。30年代、40年代のあの熱気がないのだ。若い人たちは、もう温泉には足を運ばないのだろうか。旅館の下駄を鳴らして、昔日をしのびながら、ふらりふらりと歩いてみた。

歌声が流れてきた。カラオケの店だ。ストレス解消にと、店に入ってみた。中高年の男女がカウンターに座ってマイクを握っていた。大きな声で歌を歌うと、心の中に溜まっていたものが声とともに、外へ流れ出て、少しは気分がすっきりする。日頃は大声で笑ったり、叫んだり、とにかく声帯を使うことが少ない。

歌を聴くと、私たちと同年代で、昭和10年20年代生まれの、商店街で働く人たちのグループだった。いわゆる流行歌・歌謡曲で育った世代だ。美空ひばり、フランク永井、石原裕二郎、水原宏、耳に馴染んだ人たちの歌ばかりだった。

長岡の夜は、そうして更けていった。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

【伊豆の国市】は、いわゆる平成の大合併で誕生した新しい市である。長岡町、韮山町、大仁町が合併した。人口は約5万人、1.9万世帯。もちろん、名前の通り伊豆半島にある。

富士山の優美な裾野が海に向けて伸びきったあたり、裾野市、三島市があり、駿河湾に面した沼津市、そのあたりに小さなこんもりとした山々が幾つか点在して、伊豆の国市がひろがる。

伊豆半島には伊豆と名のつく市や町が5つある。東伊豆町、南伊豆町、西伊豆町、伊豆市(旧修善寺町など)、そして伊豆の国市である。

何度か大きな合併劇があった。その度に村や町の名前が消えていく。消えた名前を惜しむ人、残念がる人、名前は単なる地名の象徴ではない。生活や文化や歴史がその名前に張りついている。【江戸】は【東京】となった。もう大昔のことになるが。100年も前のことだ!

しかし、新しい名前にも、なるほど、素敵だと感心する名前もある。

【伊豆の国市】も実に見栄えのする、いい名前だと思う。

静岡、伊豆といえば、もちろん富士山、お茶、みかん、そして温泉だろう。

川端康成の「伊豆の踊子」はもちろん、松本清張、梶井基次郎や井上靖など、多くの文人、作家、画家、音楽家などが伊豆を訪れ、たくさんの作品を残している。

東京のサラリーマンが社員旅行、温泉旅行で最も利用し、愛したのも伊豆だろう。

伊豆の国市では、国保ヘルスアップ事業に地元の温泉を利用した計画を策定した。名づけて「温泉パワーでウエストすっきり!教室」である。

静岡県は、健康長寿日本一を目指して、ファルマバレープロジェクトをモデル事業として立ちあげ“かかりつけ湯”を創設した。伊豆には約57の温泉がその指定を受けている。

①健康プログラムの開発・温泉療法医・温泉入浴指導員が入浴のアドバイスをしてくれる。

②糖尿病などの予防メニュー、食品アレルギーを持った方に対応したメニュー食が提供される。

③健康増進のために運動メニューがあり、文学散歩コースを紹介したり、多様なサービスが受けられる。

④連泊や平日利用の方には割安な料金もある。

とにかく多様な方法で、おもてなしをしてくれるプロジェクトが“伊豆かかりつけ湯”である。

当初、私は東海道新幹線“ひかり”で東京駅から三島駅(約60分)まで乗車して、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換えて、伊豆長岡駅(約21分)のルートを考えていた。そこから温泉宿までバスで10分の距離だった。

営業課長の尾沼君が、当地まで車で行くというので、思いがけぬ車の旅となった。

東京・両国の当社を出発したのが、すでに5時を廻っていて、大都市のネオンは煌々と輝き、東名高速に乗るまでは、おびただしい光の渦ばかりが眼についた。めざすは伊豆長岡温泉郷の“ゆもとや旅館”である。(つづく)