Archive for the Category ◊ 山形県 ◊

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

会場の広場で車の数をかぞえてみたら、27台あった。最初に来たときには3〜4台しか止まっていなかったから、24台増えたことになる。参加者は27人だ。いったい、どのくらいの距離を車で走ってきたのだろうか?とても気になった。

食生活の個別指導がはじまった。その間参加者は、和室で談笑しながら待っている。何人かの人にインタビューしてみた。

「今日は会場へは何で来ましたか?」

笑いながら、ほとんどの人が「もちろん、車です」と応える。

「何分くらいかかりましたか?」

「5分」「2分です」「3分です」

歩いても5分から10分で会場に着く人たちまで、ほとんどが車で来ていた。

「今日はわくわくダイエット教室ですよね」

「習慣なんです。なにしろ、ほとんどの家が、車、2台3台持っていますから」

「いやいや、時には家族の数よりも車の台数が多い家もありますよ」

まったくの車社会だった。以前は果樹園、田んぼ、畑へは歩いて言った。会社や工場へはバスがあった。今ではバスの本数も少なくなって、お年寄りが病院へ行くときに使う程度らしい。

生活の中に(歩く)ということがないのだ。意識して行かなければ、いつも車に頼ってしまう生活が、地方の現実だった。都市生活者の方が歩く機会が多いことは、明らかだった。

生活の足として車が登場する。車が必需品になる。経済、生活の向上で便利な生活が実現される。その結果、車にのることが習慣となった。

で?その結果は? 運動不足、肥満、糖尿病ということになった。

昔、食生活改善は、貧しい食生活を改めて栄養を摂って、カロリーを増やし、豊かな身体をつくりあげることだった。

今は、食生活も栄養過多、カロリーの摂りすぎ、食べすぎ、呑みすぎが問題になっている。皮肉なものだ。豊かさがアダになる。

集団指導では、加藤先生から栄養のバランスのとれた食生活、生活習慣病を防ぐメタボリックシンドロームを予防する食生活改善の知恵と工夫を、具体例をあげて、お話があった。

「肥満を解消したい人は手をあげて下さい」

ほとんど全員が笑いながら手をあげる。気質が明るくて、実直な町民だとの印象を受けた。

一人一人に、今後自分が改善する食生活について発表してもらう。人前での宣言は、記録をするのと同じくらい効果がある手法だ。

①間食をひかえます②ビールの量を減らして焼酎にする③夜食を食べない④甘いもの、くだものを控える⑤野菜をたくさん食べる⑥糖分を減らす⑦揚げ物を控える⑧よく噛んで食べる⑨早食いをあらためる。

約束する。公言する。それは、実行へとつながる第一歩だ。実現可能な改善目標をたてて、一人でも多くの人が、ダイエットに成功してもらいたい。

北国の夜は4時を廻ると、もう窓に闇が押し寄せている。講義のあとも個人面談が続いた。夏なら7時頃まで明るいが、晩秋である。6時、今日の「わくわくダイエット教室」が終わった。加藤先生、参加者の皆さん、ご苦労さま。感謝。

河北町には、ホテル、宿が見あたらず、東根市まで車で走って、駅前のホテルで一泊した。

それにしても、この車社会、町をあげての意識改革、構造改革、社会の仕組みまでをも考えなければ、“習慣”は変革できないかもしれぬと深い溜息をついた。もうすぐ一帯が雪に覆われてしまう冬という季節が到来する。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

11月の菊の香りが広場に漂っていた。今回の会場は、河北町の農村環境改善センターである。講師は米沢の大学で教べんをとられている管理栄養士の加藤哲子先生である。参加者の一人一人が、カメラで撮影した自分たちの食事を、先生に分析してもらい、アドバイスを受ける。個別指導を受ける日である。

ちなみに開講式は、9月27日に行われた。講師は医学博士で長年糖尿病を予防する運動プログラムを開発され、現場での指導で効果をあげてきた藤沼宏彰先生だった。先生は無理をしないで、楽しみながら(?)日常生活の中で、実行して習慣化できることをモットーにして、指導されている。

会場の入り口には、菊の大輪の花が数本あって、その形、真っ白な色(なぜ植物から白が出てくるのか、いつも不思議に思っている)が見事だった。その傍らには、一本の茎か、数本の茎か見分けがつかぬが、その枝に、数百個の小さな花が咲いていて、楕円形にひろがった姿は、飛行機の翼のようだった。

開始まで1時間あり、スタッフが準備をする間、ふらりと散歩に出た。その町を知るには観光名所ではない、普通の生活の場を見るのが一番だ。

極々普通の町の路地を、あちこちと自由に歩いてみた。どこの庭先にも花があって、その香りが路上に漂っていた。足にまかせて西里地区を歩くと、晩秋の景色の中に花々の色彩が色鮮やかに、空気までも染めていた。

見慣れない光景に思わず足を止めた。広い庭の植木に、円錐形の形にした竹をたてかけて、細ひもで結んでいた。大きな植木には、太い木を寄せ木にしてある。黙々と作業をする手を、黙礼して、見せてもらった。

北国の冬支度だった。

冬には雪が1メートルも降る地方だ。植木も放っておくと、雪の重みで倒れたり、折れたりしてしまうのだろうか?

寺社があった。【曹洞宗永昌寺】とある。左手には朱に燃えるもみじがあった。門をくぐると、空気が凜と張りつめていて、音という音が吸い尽くされたような静寂があった。砂に箒(ほうき)の後が生々しい。

町のあちこちに用水路があって、透明な水が流れていた。しばらく歩くと、小学校があった。教室から遠く、子供たちの声がきこえてくる。校庭に入ると、校舎の入り口に鉢がたくさん並んでいた。

どの鉢にも咲き終わったあとの花の跡があり、鉢には子供たちの学年と名前を書いた札がついていた。(花を育てる)心のかたちを教えている。さすがに紅花で栄えた土地柄だ。長い時間をかけて育んできた文化が、こうして脈々と子供たちに受け継がれている。

河北町には紅花の交易で豪商となった堀米家があり、【紅花資料館】には紅花染の豪華な着物やひな人形が展示してある。

里の子たちにも文化と伝統は受け継がれていた。花を通じて、情操を育てるという形の中に、昔の姿が残っていた。柿の北限と言われる山形県だが、確かに熟した柿の実があちこちに点在していた。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

駅前で「国保ヘルスアップ事業」を受託している永薬品商事の菅原課長と新人の平田君に合流して、車に乗った。

“さくらんぼ東根駅”から河北町までは車で20分ほどだと言うので、今日は是非、名物の【肉そば】を昼食にしたい、と頼んでみた。もちろん二つ返事だった。

果樹園が続いていた。さくらんぼ、ぶどう、りんご、柿、ラ・フランス(洋梨)などを総称して、地方ではフルーツという。果物とは言わない。なるほど、レストランでは食後にデザートとして、フルーツがでる場合が多い。これもひとつの戦略か。ネーミングも大切な顔にはなる。

【肉そば】には冷たいものと温かいものがある。板そばは、板の上にそばを乗せてあって、ツユにつけて食べる。東京でのザルそばと同じようなものだ。

ところが【肉そば】は丼の中にたっぷりのツユが入っていて、その中にそばと鳥肉が入っている。伝統食や郷土料理には、その土地の食文化、食習慣、知恵がもっともよくあらわれている。身土不二の思想である。

見た眼には濃い味に見えたが、食べてみると、あまり油っぽくはないし、冷たいそばにも歯ごたえがあって、大盛りを注文したが、ペロリと食べてしまった。

このそばには日本酒が合うだろうなどと、酒の旨い山形のことだから、昔の人がそばと肉を食べながら、熱燗を呑む姿を想像してしまった。胃にももたれない。食堂はお客でいっぱいだった。

昔は馬肉や牛肉を使っていたと、そばの歴史を紹介した新聞記事の紹介がコピーして、透明なファイルに入れてあった。

“道の駅”はいろいろな国の政策でも成功した事業ではないかと思う。私も全国に出かける度に、山の中や辺境に“道の駅”を見つけては入ってみる。食堂やレストランばかりではなくて、その土地の産物の売店もあって、けっこう役に立つ。

河北町の“道の駅”は【ぶらっとぴあ河北】と命名され、最上川の河岸にある。国道287号が走っていて、その橋のたもとに建っている。塔のような4階建ての建物だ。展望台があるというので、昇ってみた。

曇り空で、遠方が霞んでいる。町の全容が見渡せる。最上川が眼下にあって、河原に雑木が立ち、水量は晩秋で少なめだが、草原が土手にひろがり、ウオーキングに絶好の堰の道がのびている。その姿は【川】の美しさを残している。やはり最上川だ。

「五月雨を集めて早し最上川」

町並みは北の低い山のふもとまでのびていて、川向こうに東根市、北に村山市、南に天童市、山形市、西に寒河江市と、市に四方を囲まれながら、独立してる町が河北町である。

快晴ならば、月山も遠望できる位置にある。四方をぐるりと眺めながら、町の姿を頭の中に入れて、塔を下りた。

会場へは今しばらく車を走らせねばならない。町を五つの地区に区切って、毎年、その地域の人々から参加者を募るのだ。今年は、西里地区がその舞台である。
(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

河北町は名前の通り、河の北にある町である。川の名前は最上川。山形県最大の河川であり、多くの町がその水の恩恵を受けている。江戸時代に栄えた紅花や米の交易で、豪商の出現もあり、水の豊かな最上川を利用しての舟運業は、河北町にも財と文化をもたらしている。

現在、河北町の人口は約21,000名、5,800世帯、高齢化率は27%である。

山形県は酒田や鶴岡といった海の町と、山形市、天童市、米沢市など山の町に大きくわかれている。河北町は山の町である。

河北町は山形県内で、唯一「国保ヘルスアップ事業」に取り組んでいる市町村である。

11月10日・11日と、一泊二日の旅に出た。東京発9時24分発の“つばさ”に乗った。快晴である。

いつも思うことだが、新幹線の出現は、旅と出張の形を変えてしまったひとつの【事件】だった。風景が眼の中を飛び去って消えてしまう。トンネルが多くて景色が見えない。確かに、目的地には早く着くので“便利”にはなったが、失われたものも多い。

特急や急行、普通や夜行列車が次々に姿を消してしまって、各駅停車しか止まらぬ駅の人々は、さぞかし不便だろうと思う。

東北や北陸へ行く場合には、大宮・高崎・宇都宮あたりまでは新聞を読むか、眼をつむって目的地のことをあれやこれやと考えては、想像をめぐらしている。

関東平野はほとんどがビルと家屋の塊になってしまって、眼をとめるべきものがないからだ。

山形へは2〜3度、足を運んだことがある。1度目は「奥の細道」の芭蕉の声を求めて、通称“山寺”と呼ばれている立石寺を訪ねた。

「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」

真夏日で、蝉の声よりも人の声の方が多かったが、急な石段を登って、下から吹きあげてくる風を受けると、遠望する眼に時の壁がゆらいで、ふと、芭蕉の声が幻聴のように耳の奥に響いた。風景は、何重にも透視しなければ、その底に隠れたものは見せてくれない。

もう1度は、1月の寒い日に河北町で行われた介護予防教室に訪れたことがあった。雪の降る中を、要介護度1〜2の方が、町の出迎えのバスに乗って、参加してくれた記憶がある。町の温泉は元気になる源だった(べに花温泉・ひなの湯)。

河北町には新しいものに取り組む熱い姿勢がある。進取の精神、そんな伝統があるのだろうか。

「介護予防」事業だけではない。河北町には「健康かほく21行動計画」「健康づくり推進都市の宣言」「健康づくりいきいきサロン事業」と3本の柱がある。

「国保ヘルスアップ事業」に取り組んだ最大の理由は、成人の肥満者の増加と糖尿病予備軍の増加にあった。

「牛肉弁当、いも煮弁当、峠の力餅」と米沢・山形名物がアナウンスされると、風景が大きく変わって、山形県入りを確認した。空は曇天だ。

右手に堂々たる連山が続き、刈り入れの終わった田園が茶褐色にひろがり、川らしきものも眼にとびこんできた。

燃えるような赤は終わっていたが、紅葉が山一面にひろがり、ところどころに深紅のもみじが顔をのぞかせ、秋の風にススキが揺れていた。フルーツ王国らしく、鉄パイプの屋根が果樹園を覆っていた。

月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山にはじまって、鳥海山、最上川、庄内平野、さくらんぼ、花笠踊りと、誰でも知っている【山形県】を頭の中で追ってみた。

山形県を舞台にした森敦の描いた名作「月山」、藤沢周平の「蝉しぐれ」、芭蕉の「奥の細道」は、私の心の中では山形ばかりではなく、日本の文学の神髄を語る作品となっている。

12時11分、つばさは“さくらんぼ東根駅”に到着した。      (つづく)