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• 水曜日, 3月 06th, 2024

増田みず子の、最後の『小説』を読み終えた時、しばらくして、最後の「本」と本人が言っている、エッセイ集『理系的』が出版された。早速、購入して、読んでみた。
全六章から成る、エッセイ集である。新聞や雑誌にも載せたものを
第一章 理系と文系のあいだで
第二章 生命の響き合いー立派に生きること
第三章 読むことと書くこと
第四章 ライフについて
第五章 本棚と散歩道
第六章 隅田川のほとりから
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「小説・詩などの作品」と「エッセイ」の言葉
増田は、多くのエッセイが、自分が「小説」を書かなかったら、生まれなかったと言っている。(おそらく、新聞社や雑誌の出版社から依頼されて、書いたものだろう)
「小説は、虚構であって、想像力を使って、自由に書くもの」(物語)①
「エッセイは?見た、聞いた、読んだ、体験した(事実)をそのまま書くもの。」(現実)②
「文学で書かれたこと、文章で書かれた「本」は、すべて「言葉」の世界の(ジジツ)であって、(現実=事実)は、言葉の外の世界にある。(現象)③
(事実)は、体験した人の、立場、位置、視点によって、異なるものであって、それぞれの(事実)がある。たったひとつの、真実の(事実)などない。(相対論)④
増田は、少女時代から、二つの夢を持っていた。(生命)の不思議を探求するために(研究者)になること。(理系)もうひとつは、面白くて仕方がない小説の作者になること。(文系)
東京農工大学に入学。研究者の道へ。実験生活。挫折する。そして、偶然にも(作家)の道がひらける。
理系の作家と文系の作家?
安部公房(東大・医学部)円城塔(東大・理系のドクター)A
増田も、その系列に入ることになる。
川端康成(東大・国文)太宰治(東大・文系)B
日本的な風土、情的世界での人間関係を描く文系の作家たちB
世界的視点(共通)で、物そのものや存在の不思議を描く理系の作家たちA
AとBを比較してみれば、理系と文系の作風のちがいがすぐにわかるだろう。

日本の風土に育った文系の作家たちは、(場)(抒情)(情念)の物語を書く。松本清張、山田洋次、小津安二郎、浅田次郎、重松清の作品は、(情)と(泣き)が中心である。いかにも日本的。
言葉の根は何処にある。増田のエッセイで、面白いのは、「隅田川」のほとりで、生れ、育ち、生活して、その感性と心性が培われて「言葉」と「科学」の二方向へと成長していった様が、如実にわかる点である。
下町の、家族の生活、風俗、風土、習慣が「隅田川」の流れとともにあることだ。芭蕉や芥川龍之介が生きた土地と川である。一葉の写真がある。増田が撮影した「隅田川」の風景写真である。川の西側に柳橋があって、その背後にビル群がある。「隅田川」の川の水が、二つの色に分かれている。濃い色が「隅田川」淡い色は、「隅田川」に流れ込んだ「神田川」である。柳橋の下を「神田川」が流れている。
水の流れる風景は、ニンゲンのココロにとって、さまざまな思いを去来させる栄養素である。朝日、夕陽に輝く水面の光の暈、昇り下りする舟、終日見ていても飽きることがない。四季の川の貌も、花見の尾形船から隅田川の花火まで、見事な変化を覗かせてくれる。
増田みず子の言葉の原点も、「隅田川」の流れととものあるのかもしれない。「方丈記」の昔から「ゆく川の流れは絶えずして・・・」人のココロに、言葉の火を点もし続けている人、(川)である。

「本」の読み方
私は、中也の「春日狂想」に感動すると、中也のすべての作品を読みたくなる。そして、エッセイも、日記も、手紙も、翻訳も、中也について、書かれたすべての「本」も読みたくなる。最後には、「中原中也全集」全六巻を読む。
ドストエフスキーも『罪と罰』に驚愕すると、結局、同じように、全集二十巻を読んでしまう。
秋山駿の「本」は、『内部の人間』から『「生」の日ばかり』まで、ほぼすべて読み尽くした。残念ながら「全集」がない。『神経と夢想』(ドストエフスキー論)を「図書新聞」で、書評させていただいてから、出版する度に新刊を贈ってくれるようになったが。
「理系的」エッセイ集は、増田みず子を知る上で、貴重な「本」であった。充実した読書だった。

ちなみに、私の愛読する「エッセー」は、
①秋山駿の延々と続く「ノート」の言葉シリーズ。「私」とは何者か、「内部の人間」とは何者か、「石ころ」とは何かと、まるで巨大なひとつの作品である。
②(私)と(他者)のココロの水準器の揺れと見事に捉えたエッセイ。上質なユーモアと、精妙な文体によって紡がれるエッセイ。『須賀敦子全集』
③一切を考え尽くす(考える人)、哲学的エッセイの名手、池田晶子のすべての「本」(考えるコトバの宇宙)
④古典、モンテーニュの『エセー』全六巻。(ニンゲンのすべて)がある作品群。
「エッセイ」は、もちろん、ひとつの見事な「文学宇宙」のコトバである。

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• 水曜日, 3月 06th, 2024

敬愛する、評論家(思想家)の秋山駿が死んで、随分と季節が流れた。早いもので、もう11年にもなる。
命日の10月2日を、私は、勝手に「石の日」と呼んでいる。
秋山駿は、「私は一個の石ころ」である。と自覚して、「石ころ」の「生」を生きて、死んだ。こんなにユニークな生身のニンゲンに会えて、そのノートの言葉に耳を傾け、おつきあい頂いたのは、幸せであった。(25歳の出会いから約40年)「内部の人間」の声に触れた。毎年、命日には、処女作『内部の人間』や最高傑作『舗石の思想』や最後の作品『「生」の日ばかり』を読んで、在りし日の面影を偲んでいる。人は死んでも、その作品を読むと生身の声が、耳のそばに起きあがってくる。あの、低い、単調だが深い独特の声が「どうだい?最近は?書けなくてなあ」一年に一度は、電話で、近況を報告して、執筆の様子をお伺いした。
秋山さんが、死んでからは、奥方、法子さんと話をした。「法事、どうですか?」「誰も来る訳ないじゃないの。うちのおじさんが、あんな生き方をしたからね」義妹とたった二人の法事であった。
その法子さんも、難病に、もうひとつの病気が加わって、会話もできなくなってしまった。(法子さんには、私の「本」=「歩いて、笑って、考える」のデザインをしていただいたお礼を)
秋山駿について、書いたものなら、なんでも読みたい。私の知らない秋山駿の姿があるなら。
そんな時「図書新聞」に、作家・中沢けい氏の書いた書評が載っていた。『小説』というタイトルの小説。作家は増田みず子。(20年ぶりの小説出版)どうやら、作品の中に、秋山駿が、本名で登場する作品集らしい。(後で、作家・佐藤洋二郎も「東京新聞」で、『小説』の書評を書いていることを知って読んだ。)
早速、書店で「本」を取り寄せて購入し、一気に、一日で、読んだ。名前は知っていたが、増田みず子の小説を読むのは、初めてだった。いわゆる(私小説)である。(私)を探求する小説。「人生の検証」の小説であった。こんなに、シンプルな文体で、いわゆる(小説)になるのだろうか?エッセイとも小説ともつかぬ、ただひとつのものにむかって、進んでいく小説の文体。どこかで、見た覚えがある。秋山駿の、「私」を探求するだけの「ノート」の文体である。
一切の装飾を排して、必要な言葉だけで成立している呟きの文体の世界。リズムが心地良くて、直接、ココロに触れてくる。文章の自由度が高くて、小説小説していない。
『小説』は13篇の短篇小説から成る。増田は、約30年間で、百篇近い小説を書いている。芥川賞にも6回候補になっている。「本」は約30冊出版。増田を、「文学」の舞台にあげたのは、秋山駿だった。
雑誌の新人賞の候補を、秋山駿が絶賛した。増田にとって、秋山駿は恩人である。「群れずに暮らす夜行性の小動物のようだ」その後も、発表する度に、作品を分析、評価し、そこに、現代人のリアルを発見してくれた。
増田は、約35年間、小説を書いた後、一度筆を置いている。そして、一年に一作品のペースで(約10作)の小説を書いている。出版社の担当の編集者の元で書く小説ではなく、自分の思いの丈を、自由自在に書くスタイルで。「こころ」「雨傘」「線香花火」「言葉」これらの作品を書くために、作家になったような気がすると告白。なるほど、秀作である。
秋山駿が、実名で登場する作品が「言葉」「鏡のある部屋」「履歴」である。

小説は、何を、どう書いてもいい自由な器である。しかし、一番大事な人を、本名で登場させるとなると、最低守らなければならない「礼節」があると思う。
(実名小説の、実例は?ナタリア・ギンズブルグ著『ある家族の会話』ピエール・パシェ著『母の前で』)
「礼節」(恩人に対して)がある。書いてはいけないことがある。
①本人自身が書かなかったこと(言わないこと)
②あいまいな、他人からの伝聞
③「本人」の思想に反すること
④人間として、残酷なこと
エッセイであれ、小説であれ、実名で他人のことを書く場合、最低限の「礼節」というものがある。作家と評論家の関係も、二人三脚で(作品)を作り、時代を創り、(文学)の場を形成する場合がある。初期の大江健三郎と江藤淳、中上健次と柄谷行人。増田みず子にとって、秋山駿の役割りと言葉が、それである。書いた作家本人よりも、もっと深く読み込み、広く(作品)を時代に位置付けてくれる。
増田の作品には、秋山駿の批評の言葉に対する感謝と敬愛と喜びであふれている。発見してもらった作家の恍惚感が読者にも伝わってくる。

惜しむらくは『小説』の「鏡のある部屋」には、致命的な(疵)がある。(二ヶ所)
②「あいまいな、他人からの伝聞」をそのまま信用して、小説に書き込んでしまったことだ。しかも、それは「秋山駿の思想」を歪めてしまうことになる(③)
「子供」めぐる問題である。
「子供をもたない理由だ。イトコどうしの結婚だったから遺伝のことを心配したみたいだ、と知り合いから教わった」(引用)(秋山駿の愛読者の友より)
「繰り返すけど、秋山夫妻はイトコどうしと教えてくれた人がいる。それで子供を持たないと決意したということだ」(引用)
頭から火が出た!!なんということを書くのだ。恩人に対して。自分で調べもしないで。秋山駿の「本」をすべて読まないで。秋山駿の「内部の人間」の思想が死んで、歪んでしまう。「石ころ」は、子供を産まないんだ。「内部の人間」には、もう一人の別の血を分けた子供などいらないのだ。秋山の血を(私)で終りにしようとするその思いが歪んでしまう!!
増田みず子さん、『小説』、こんなに見事な作品なのに、たったひとつの(疵)が、作品を台なしにしてしまう。どうか、その部分を削って、消して下さい。(再販の時に)

秋山駿には「生」の綱領がある。
私は一個の石ころである①「内部の人間」の発見
私は自分の(家)は持たない②
私は自分の(土地)を持たない③
私は自分の(子供)を持たない④
私は一切の血族の関係を断つ⑤
以下、生活のすべてにおいて(必要)なものだけを最低限持つが、余分なものはいらない。(お金も)まるで、デカルトのような、合理的な方法で、秋山駿は生きた。日本風な、じめじめした、風土、習慣、人間関係を嫌悪した。
もちろん、結婚式などしない。妻を実父や義母にも会わせない。妻の父母への挨拶もなし。兄とも死ぬまで会わない(兄が何をして、生きているのか、兄が死んで、はじめて、教師だと知った)父の葬式にも出ない。とにかく、徹底している。
原因?自分の心性である。自分の存在が他人を苛立たせる。自分の言葉が他人を傷つける。
父との確執。父は貧しくて、小学校卒。国鉄へ就職。人一倍働いて、課長に。出世頭。同期の希望の星。明治の人。武士の家系。
「文学」に目覚めた息子と話が合わない。(デカルト、ランボー、ヴァレリー、ドストエフスキー、中也)
母の死。(中学校)父の再婚(義理の妹生まれる)
耳の手術(片耳が聞こえなくなる)
敗戦時の少年の体験と見聞。
「内部の人間」の発見!!
「私とは何者か?」という永遠のテーマーに憑かれて、私だけの言葉を発見(ノートの言葉)。
そして、ひばりヶ丘団地へ。秋山駿の夫婦二人三脚、同行二人の旅のはじまりである。(秋山駿は「スポーツ報知」へサラリーマン。夜は評論を書く日々。妻は、ブック・デザイナー)
妻の父は、宇都宮の大学教授。妻はその一人娘。
秋山駿の母は、長野県、須坂のお寺の娘。何もいらないから、大学へ行きたいと目白の「日本女子大」へ(卒論は?「法然」であった)
どうして、秋山駿と法子さんが、イトコどうしか、さっぱりわからない。(山梨と長野と東京池袋)
秋山駿は、自著『舗石の思想』で書いている。「私たち夫婦には子供がない。私の咎のために」と。そして、妻にはしたが、女としての母の役割りも、嫁としての役割りも与えることはできなかったと。
原因は、(私の咎)であると明言している。決して(イトコどうし)のためなどとは、書いていない。秋山駿、「内部の人間」「石ころ」その心性。歩行者。無私の人。

秋山駿!!
人と人の結ぼれの、その関係を断った人。(「分裂少女の手記」など精神の病の「本」をよく読んだ。心性が自分に似ていると)
最後には、サラリーマンでもなく、非常勤講師でもなく、文芸評論家でもなく、私だけの(ノート)の言葉の住人であった人。石ころの「生」を生き、石ころの「死」を死んで「内部の人間」を貫いた人。

増田みず子の主な作品を(「シングル・セル」など)初期作品を是非読みたいと思って、書店に行ってみたが、「文庫本」すら、一冊もなかった。
(25歳で、早稲田の「喫茶店」でお会いして、約40年、座談会、対談、お酒、魚釣り、書評といろいろお世話になった秋山駿である。)

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• 土曜日, 3月 20th, 2021

若くして、その感性で時代の若者たちの「問題」を、ユニークな文体で描き切ったものの、恍惚と不安の作家たち。石川啄木、中原中也、大江健三郎、石原慎太郎、村上龍、綿矢りさ、金原ひとみ、そして宇佐見りん。
(時代)を背負って、その風俗にまで影響を与えた作家たち。
一方で、生きて、生きて、人間も、世間も、社会も吸い尽くして中年で、老年で、突然、登場して、その生きざまで、思想で、文体で、テーマで、世間を驚かせた、作家たち。深沢七郎、石牟礼道子、稲垣足穂、藤沢周平、黒田夏子、夏目漱石、井原西鶴、須賀敦子。
もちろん、どちらが幸運か不幸かは、決定できない。
一人一人の作品と、その生涯をしばし、考えてみると、やはり、若くして作家になった者たちの足取りは、苦しい。辛い。華やいでいるが、その実体は、苦難に充ちている。なぜ?まだ、よく、私を、社会を生きてない者が書く小説は、想像力に頼るあまり、(人間)を丸ごと考える力が不足している。働いたことがない、(現場)を知らないまま、(人間)を書くから、成熟した社会の人の眼に耐えられない内容になる。小説の舞台が、テーマが、狭すぎる。したがって、小説は、ピンチに充ちた苦難の道をたどることになる。
一方で、生きて、生きて、(人間)を知り尽くした上で、作家となった人たちの書く小説は、「人間」が、深く、生き生きしている。テーマは豊富、登場人物もバラエティに豊み、その世界は、読者を魅了して止まない。

今回、三島賞を受賞した『かか』と芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』の二冊を読んでみた。著者は、まだ、21歳の大学生である。書いた小説は、二作。その二作とも、大きな文学賞に輝いた。そして時代の寵児となった。
宇佐見りんは、SNS・インターネットやスマートホンの時代の子である。風俗を背景にして、ストーリィテーラーの文体が見事に、(時代)を切り取っている。この才能は、若き日の、大江健三郎や石原慎太郎の登場を思わせるものであった。

第一創作集『かか』(文藝賞受賞・三島由紀夫賞受賞)
処女作には、その作家のすべて(核)があると言われる。なるほど。
19歳のヒロイン・若者を描いた、20歳の宇佐見りんの作品『かか』にも、それからの彼女の将来を予見させる素材がすべて出揃っている。
インターネット・SNSの時代の単なる風俗小説と思いきや、実は、人間の「生・老・病・死」がすべて入っている小説だ。19歳の多感な女性の日常と非日常を描きながら。
①父の浮気で離婚した母のウツ。
②ババとジジの老い。
③母の病い・子宮筋腫と手術。
④叔母の子・明子の死。
⑤「家」の日常と非日常。
そして、熊野への旅で、対峙する「カミ」
これから、宇佐見が掘り下げていくテーマが、すべて、作品に含まれている。単なる感性の放出ではなく、物語作家としての、確かな「文体」を持っている。
小説を支えるものは「文体」であり、そのディテールの描写にある。モノにぴったりと吸いつくような文体は、三島由紀夫の文体とは正反対。黒田夏子の、練りに練った文体とも対局にある。実に読みやすい。特に、作品を支える、鍵ワードは「かか語」の発見、創造にある。家族・家庭内の「方言」の効果は、小説の柱(核)である。
SNS・インターネットを駆使する若者が、神々の国・熊野へ旅をする。横浜から熊野まで。(日常と非日常)(正気と狂気)の間で揺れるヒロイン。
宇佐見は、作家、中上健次のよき愛読者だという。熊野は、和歌山県(新宮)出身の中上が、好んで書いた、神々の棲む地である。
インターネット・SNSの電子空間を抜けて、自然の、神々の棲む熊野へ、旅するというラストシーンが、実によく描けている。宇佐見りんは、処女作で播いた種を、育て、掘り下げ、長い、長いもうひとつの旅へと出発したところだ。

第二創作集『推し、燃ゆ』(芥川賞受賞)
パソコンもできない。メールもできない。インターネットもできない。スマートホンもできない。もう、時代遅れの、「死んだ人間」である私が、実に面白く読めてしまった作品である。

舞台は、現代の、インターネットのSNSの時代である。「推し」もわからなかった。スターにあこがれる、スターを推しているファンである、という意味。

60年代(昭和)の石原慎太郎の小説の舞台は、湘南。ヨットにのる青年たち。海(自然)と人間。荒れ狂う、青年たちの日々。「太陽族」と呼ばれた。
『推し、燃ゆ』の舞台は、インターネットの、電子空間。ネットが炎上する。アイドルを追いかけて、そこに自らの感情を注入し、一喜一憂するヒロイン。
冒頭は「推しが燃えた。」で始まる。そこに、物語のすべてがある。短く、たたみかける、文章が、いい。
最後は「当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。」で終わる。まるで、カミューの「異邦人」のような簡潔な文体。余分なものは何もない。
ブログの時代。ブログの言葉。いや、宇佐見りんの書く言葉は、ブログの言葉を離れている。言葉をコントロールしている。(時代)は変わる。時は流れる。風俗も言葉も変わる。しかし「文学」の「言葉」は死んでいない。
宇佐見は、はじめて、ブログやインターネットの言葉を「文学」の「言葉」に変換した、はじめての作家であろう。
同時代を生きているが、やはり、宇佐見は、新人類である。詩人の「最果タヒ」の言葉も新しいが、宇佐見の言葉も新しい。二人とも、言葉の自由度が高い。一人の作家・詩人の言葉が「同時代」を代表する時は、意外にも短い。だから困難はある。
宇佐見や最果の作品が、どんな世界を見せてくれるか、楽しみである。最果タヒや宇佐見りんには「言葉の向うのコトバ」を書ける詩人・作家になってほしい。

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• 金曜日, 1月 31st, 2020

~大きな試みの詩集~
詩はひとつのコトバ宇宙である。作者の手を離れると、独立したひとつの生きものとなる。コトバ宇宙は、作者の思いをも超えてしまう。あらゆる存在がコトバを放っている。あとは耳を立てて、傾聴すればよい。

若き日の、処女作「部屋」はまだよく生きていないため、語るべき体験もないのに、(意識)だけは鋭く目覚めていて、存在に対して無限放射するコトバを放出する、いわば、秋山駿風な「内部の人間」の物語である。(意識の詩)
川中子は、出発の時から、すでに(知)的なコトバで武装できた詩人である。

問題は、そこに、キリスト者としての、地上での呻きが加わる。

長い中断の後、留学があり、セイカツの糧を得るための仕事があり(学者として)、(詩)に還る時には、最大のテーマが、(宗教)と(文学=詩)の合一となる。

副題や本文に「聖書」のコトバやドイツ語が出現する。「聖書」を「詩」にするという野望?挑戦?試みが見え隠れする。(日本にも、「仏教説話」という試みがある。)

東大教授であり、ドイツ文学・思想の研究者であり、詩人である。そんな存在があり得るのだろうか?
一人いる。西脇順三郎(ノーベル文学賞候補)である。慶応大学の教授、英文学の研究者、そして、詩人。詩集「ambarvalia(アム・バルワリア)」と「旅人かえらず」のシュールな長編詩を書いた第一級の詩人。

(私)は、文学・詩のコトバを三つグループにわけて考えている。
①自らの体験・生を、自分だけのコトバだけで語っている。中原中也、種田山頭火。
②知性そのもので武装した、アレゴリーのコトバ。ボルヘス、カフカ。
③生の体験と(知)を組み合わせたコトバ。宮沢賢治、ティック・ナット・ハン師。小説「ブッダ」田川建三「イエスという男」
川中子義勝は、どの範中に入るのだろうか?②か③か?
(私)は川中子義勝のセイカツと祈りの実践の現場をまったく知らないので、判断できない。((詩)はビジョン、(宗教)は実践。)

キリケゴールの思想、リルケの詩から出発した、川中子の(詩)の試みは、キリスト者(中村不二夫、森田進、加藤常昭)には、身に沁みて実感できるのだろう。(解説より)

「井戸」や「釣瓶」は、モノ自体に語らせるという試みである。副題に「砕けたるたましい」(詩篇)「われ渇く」(ヨハネ伝)が添えられている。
(水が渇いていた)(釣瓶は渇く)(渇き)がどのように見えるか、がポイントの詩である。ビジョンが見えるかどうか?キリスト者ではない、普通の読者である(私)には、おそらく、作者・川中子が見えているものと、同じものは見えない。深く読み込むための、副題ではあると思うが・・・。
(ちなみに、仏教による(渇き=渇愛)は、執着、欲望であって、苦の根源(四苦八苦)である。)

(詩)の方法論も主題も目的も実に明確である。知者であるから。(決して、難解な詩ではない)

デクノボウのコトバ(無知の智)で語る宮沢賢治の詩(東洋の智)と「聖書」のコトバを折り込む川中子義勝の詩を読みくらべてみた。(知者の詩)(西洋の知)

誰にでも、自由に開かれた、普通のコトバで書かれた賢治の詩には(私性)があって、風景や人物が匂い立ち、身に沁みるのに、(知)のコトバ、(聖書のコトバ)で書かれた川中子の詩の深みには、(私)は、まだ、降りていけない。(実感が)
時間を置いて、もう一度、川中子義勝の詩に、挑戦してみよう!!
(はじめて川中子義勝の詩を読んだ感想である。(私)の川中子義勝との(対話)のはじまりでもある!!)(詩)の深さについて。(信仰)の深さについて。(1月26日記)

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• 木曜日, 9月 19th, 2019

辺見庸の最新小説『月』を読む(見事な文体の振幅と強度)

ついにとうとうようやく、ぎりぎりのところで、辺見庸が小説家として自らの代表作となる「月」を完成させた。
三島由紀夫の「金閣寺」武田泰淳の「富士」埴谷雄高の「死靈」川端康成の「雪国」等に匹敵する傑作の出現である。
辺見庸といえば、代表作はルポタージュ「もの食う人びと」であった。もちろん詩集あり、評論あり、時評あり、紀行文あり、講演や対談ありと、さまざまなコトバを放ってきた。発言してきた。思想家として。その度、四種類の文体を発見し、辺見庸という思想を構築してきた。文体の進化、思想の深化。

思えば、スタートは、新聞記者の文章であり、作家として簡潔で、素朴で、竹を割ったような文体を重ねた「自動起床装置」(芥川賞受賞)であった。行間に含みをもたせて、余白に語らせる、スタイルであった。随分と地味な作風で、まだ、辺見庸が何者か、わからず、世間の注目を浴びる作品ではなかった。

三島由紀夫が、金閣寺放火という衝撃的な事件(素材)を借りて、自らの存在を、思想を語り尽くしたように、辺見庸も、神奈川県相模原市の障害者施設で発生した(津久井やまゆり園)大量殺人事件(素材)を借りて、その(事実)を想像力を駆使して、小説としての(じじつ)に変換し、ニンゲンとは何者か?存在とは何か?を根源的に問うことで、自らの思想を語ってみせた。(ニンゲンは誰でも病んでいる存在である)

ニンゲンの底が割れても(殺人者となっても)まだ、ニンゲンは、ニンゲンとして存在が可能であるのか?

辺見庸は、小説を、多視点を導入することで、六つの文体で書きわけている。

①はじまりは、呟きであり、意識による独白であり、まるで、モーリス・ブランショの「謎の男トマ」風に、「来たるべき書物」となっている文体。

②ニンゲン存在の深処からくる詩、アフォリズム、ピュアーなコトバ群からなる文体。

③そして、告発、厭世、抵抗、否定と洪水のように吐き出される文体。

④更に、思考に思考を重ねて、なお、その果てまで行こうとするコトバ群の文体。

⑤(現実)に寄り添って、事象をていねいに、ていねいにたどる、リアリズムのコトバの文体。

⑥疾走する、軽妙さの中に虚無や悲しみが走る音楽としてのコトバ・文体。

辺見は、さまざまなコトバを書くことで、自らの文体を鍛えあげてきた。あたかも、この小説『月』を書きあげるためでもあるかのように。

文体が多声的であるということは、同時に、登場人物、ニンゲンも多面的存在であるということだ。文体の中にしか思想はない。ポリフォニー小説「月」は何重もの壁に囲繞されたコトバの群れから成っている。独白あり、崩壊あり、幼児性あり、大衆性あり、知性あり、偏向性あり、俗性と聖性あり、コトバは七変化している。コトバそのものが、自己生成されて、勝手に動いているようにも見える。(力業である)
つまり、存在はコトバである。物語・単なるストーリを追っても、プロットを説明しても、辺見庸が投げかけるコトバの正体は容易に捉えられない。
もちろん、小説は歪んでいる、破綻している、壊れている、なぜ?ニンゲンがそのようにも存在しているからだ。

なぜか、救いのない事件を語る、辺見のコトバの中に、”無限のやさしさ”を感じた。
このココロの揺れは、いったい何だろう?どこからくるのだろう?(「自痴」のムイシュキンのような)

ニンゲン存在のグロテスクの中にも、手で手に触れる、他人への”無限のやさしさ”と覚える場面がある。不思議だ。それは、辺見庸が、さまざまな作品の中で書く”植物たち”への視線に含まれているある心情に似ている。
(在ること)(食べること)(殺すこと)(愛すること)生を構成するエレメント。簡単で、深い。根は同じところにある。つるつる滑ってしまう世間、社会の言葉の浅さと散漫に対して、辺見のコトバは、表面を深淵に変えてしまうほどに、したたかだ。
「月」の結末は?
「ああ、月だ。月に虹がかかっている。」
が余りにも凡庸で破綻していると読むかどうか?あるいは・・・。
三島由紀夫の最後の小説「豊饒の海」第四巻「天人五衰」の結末は?
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。・・・」
コトバから生まれてきた三島由紀夫が何もないところに至ってしまう。なぜか?
ニンゲンは、動物・植物・鉱物と共生し、人間原理で生きている。宇宙原理では生きられない。しかし、実は、ニンゲンは、コズミック・ダンスを踊っている存在である。宇宙のビッグ・バンの風に吹かれて。
小説「月」は辺見庸の代表作、金字塔となるだろう。長く読まれんことを!!

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• 火曜日, 9月 11th, 2018

爆発的なエネルギーの放出と異能の発揮の秘密は、いったい何処にあるのだろう?

四つの(傷)
ニンゲンは(傷)つく動物である。意識があるから。ていねいに、生きても生きても、他人に足を踏まれたり、他人の足を踏んだりして生きる、世間、実生活という世界がある限り、(傷)つかないヒトは誰もおるまい。
しかし、(傷)から考える、そして、負を正に変えて、エネルギーとするのもニンゲンである。
見城徹も、四つの(傷)をかかえて生きている。

1. 地上に放り出されて(私)に気付いた時、見城は、自分の(身体が小さいこと)と自分の(顔が世界でいちばん醜い)ことに、深く傷ついてしまう。そして、タコと呼ばれ、いじめられっ児となる。
2. 父は、アルコール依存症で、子供の教育・子育てには、まったく無関心で、家は、いつも暗く、ココロが傷ついた。
3. 学校(小学5・6年)の女性教師のコトバに深く傷つけられた。学校に連れてきた女教師の子の前で「触らないで、あなたには触ってほしくないのよ」と叫ばれる。差別である。コトバの暴力である。通知表の「行動記録」は、見城を誤解したため「ほとんどC(最低評価)」であった。
4. 全共闘運動に本気で没頭する。高橋和巳、吉本隆明の「思想」に共鳴し、「革命」をめざすも、警察に逮捕されると、就職ができなくなる、土木作業で、大学の学費を稼いでくれている母を悲しませる、と、挫折して、サラリーマン(編集者)になる。思想よりも実生活を選んだことが、深い(傷)となる。

(快楽)は一瞬であるが、(傷)は消えることがない。
おそろしいことに、(傷)は、ヒトを潰し、叩き割り、破壊してしまう。
ある身体障害者の言葉。
「ボクは、生まれてから、怨みだけで生きている。」
マルメラードフは呟く「もう何処にも行くところがない」と。(ドストエフスキーの小説に登場する酔っぱらいの言葉。)
見城徹の、家庭を放棄した、酔っぱらいの父は、いったい、何に傷ついて、死人のように生きたのだろう???

ニンゲンが本気でものを考えるのは、存在の不思議と発生した(傷)からだけだ。無垢な魂はどこにもない。
自分のココロの声に従って、自然に、正しく、ていねいに生きても(傷)は発生する。ニンゲンは(生・老・病・死)の四苦を生きる存在である。千年たっても、そのスタイルは変えられない。(四苦)から(傷)が発生する。絶えるということがない。

「言葉」の発見、コトバの力「読書」
「本」は、現実空間から、別の場所へ、別の時間へ、別の人物へと連れていってくれる(コトバという)乗物である。新しい世界が開けるのだ。
物語は、傷ついた魂にも、やさしく、親身に、語りかけてくれる。マンガにはじまり、少年少女小説。(第一の「読書」)
見城少年も「ここではない『ほかの場所』を求めて」読書に熱中する。高校生になると「本」のコトバの力を得て、能弁になり、クラスのリーダーになり、成績もトップクラスに躍りでる。見事な変身である。
夏目漱石の『こころ』に、傷ついたニンゲンを発見する。主人公の心性に、自分の心性を重ね合わせる。他者の発見であり、自立のはじまりである。思考の開始である。見城はコトバと共に、歩きはじめる。(第二の「読書」)

あるべき人間観と世界観を刻みつけるのも「本」読書による言葉である。十代から二十代の、多感な、青春の真っ盛りに、コトバは、突然やってくる。
全共闘運動が全国に、燎原の火となって燃え広がった。見城も、本気で「革命」によって、世界を変える志に燃えた。
その中心に、高橋和巳と吉本隆明の声と行動と思想があった。
孤立無援の状態から、ニンゲンの自立を求めて、書き、闘った作家・高橋和巳を読まなかった運動家はおるまい。『わが解体』を書き、ガンで若くして死んでいった高橋和巳。そして、思想の中心には、吉本隆明がいた。『共同幻想論』『マチウ書試論』『言語にとって美とは何か』、日本の抒情詩を、「思想詩『固有時との対話』」に変えてしまった、吉本の「本」は、学生のバイブルであった。(第三の「読書」)
吉本も、また、敗戦で深く傷つき、友人の妻を奪って、結婚し、傷つき、労働運動で傷つき、その傷の追求の果てに、関係の絶対性を見い出し、詩を書き、評論を書き、(傷)を思想に転換させた。いわば、(傷)をアウフーベン(止揚)した思想家である。
運動の前線に立っていた見城徹も、当然のように、二人の思想家の「本」を熟読し、そのヴィジョンに共鳴し、自らの理想を描き、あるべき世界、「革命」によって出現する世界の実現を夢見て、行動する青年であった。
ところが、見城は、運動の前線から撤退して、ただの生活する人、サラリーマン(編集者)になってしまった。挫折である。深い、深い、(傷)が発生した。
思想は、実践してこそ、思想である。

「読書」は、読んで、認識して、実践してこそ「読書」であるという見城徹の原点は?
①サルトルのアンガージュマン(参加)の思想。
②思想(芸術)と実生活の論争。
トルストイの作品と実生活ートルストイの家出をめぐる、小林秀雄と正宗白鳥の論争。思想は、実生活で実現してこそ思想と主張する小林。芸術と実生活は別ものと主張する白鳥。
③認識と行動をめぐる、三島由紀夫と埴谷雄高の対談。認識者の限界を知り、行動(自衛隊に入隊)する三島、作家、思想家は、ヴィジョンを揚げるだけでよいという埴谷。
④「革命」とは?「革命の実践」とは?
国のかたちを変えること。人間の意識を変えること。日米安保の破棄・自立する日本へ。ベトナム戦争、日本の基地化反対。天皇制の反対、否定。ヴィジョンは実践するもの。

ドストエフスキー読む前と、読んだ後では、ニンゲンがまったく変わってしまう。(おそらく、カミ・ホトケのコトバ以外で、ニンゲンが書いた一番深いコトバである)一瞬で人を見抜く、どこまでも透視するドストエフスキーの眼。
私は、ドストエフスキーを読んでいるか、いないかで、その人を見極めるクセがある。
本書で見城徹が、ドストエフスキーを熟読していると知って、突然、安心し、信用できる男だと、今までの、世間に広がるイメージを消し去った。(見城徹は、日本のドストエフスキーを探すために、編集者という黒子に徹しているのだ!!)ドストエフスキーを中心にして、現代作家たちの作品を読めば、その良し悪しやレベルは、すぐにわかってしまう。
ミリオンセラーを23作も世に出した、その眼力が、どこから来たものか、やっと、わかってきた。
ドストエフスキーも(傷)を生きる人であった。実生活のドストエフスキーの(傷)は、四大長篇(『罪と罰』『悪霊』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』)を生んだ母体である。
ドストエフスキーの(傷)には驚嘆するばかりだ。
●皇帝暗殺未遂事件の疑惑で、シベリアへ流刑(死刑寸前)●人妻を奪って妻とした●賭けごとに狂った●借金まみれとなった●てんかん発作の持病があった●生まれた子供たちが次から次へと死んでしまった●父(地主)が農奴たちに撲殺された。
なんという(傷)の連鎖であろうか。(傷)に耐えて(傷)を乗り越えて、人類最高の作品を書きあげた神経は常人のものではない。作品も人生も超一流。超不思議。(第四の「読書」)

見城徹の人生の綱領が三つある。
もちろん、(生)の現場から、(傷)から、「読書」から得たものである。
1. 自己検証
2. 自己嫌悪
3. 自己否定(全共闘の合言葉だった?)
(詳しくは、本書を読んで、考えてもらいたい)

流行作家・大家・五木寛之、石原慎太郎との、(仕事)はじめのエピソードも、実に面白い。五木寛之の新刊が出る度に、一週間以内に、感想を書いて、郵便で送った話。石原慎太郎のデビュー作『太陽の季節』は、すべて、暗記していて、語ってみせる話など。どれだけのサラリーマン編集者が、これだけの日々の努力をしているだろうか?
同世代の作家たち、中上健次、高橋三千綱、村上龍たちとの交流、新人の発掘、見城徹の仕事の流儀が活写されている。(三つのカードのエピソードも面白い)
編集者から会社の設立。「幻冬舎」の見事な成功。すべてが「言葉」の力による。経営は、胆力のいる仕事である。限度というものがない。お金はおそろしい生きものである。
しかし、日本のドストエフスキーを探す(?)という夢があれば、どこまででも、行けるだろう。三つの人生の綱領を守って。

思想でも人は死ねるー(天皇を中心とする考え『文化防衛論』)三島由紀夫の、割腹自殺は、大きな、大きな、衝撃であり、高橋和巳、吉本隆明の立場に立つ者にも、人の生き死に、如何に生き、如何に死ぬべき、ニンゲンであるかを、深く胸に刻まれる事件であった。
68歳になった見城徹は、「葬式もやってもわらなくてもいいし、墓もいらない。むしろ遺骨は、清水とハワイの海に撒いてほしいくらいだ。・・・死後は風や波になりたい」と言う。(風や波)は、また、コトバである。言葉ではない。「存在はコトバである」(井筒俊彦)「自心の源底に至った」空海の真言、コトバを、井筒が分析した。見城徹も、死後は、コトバとなって、コズミックダンスを踊る、風や波となるのであろうか?(傷)を発条にして、ヒトの声を聞き続けている見城徹は”いい耳”を持った編集者・経営者の旅を続けるのだろう。コトバそのものになっても。
もう一仕事、頑張って下さい。お元気で。

H30.8.28

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• 水曜日, 1月 24th, 2018

①『グッドモーニング』(新潮文庫刊)
②『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア刊)
③『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(リトルモア刊)
④『愛の縫い目はここ』(リトルモア刊)
⑤『最果タヒによる最果タヒ』(青土社刊)

「コトバの自由度」について(見事な、シンタックスの結晶がある)

若い詩人「最果タヒ」の詩集と本を五冊ほど読んだ。コトバの自由度が広いので驚愕した。

10代の終りごろから、20代のはじめの頃に、ニンゲンの内部で、突然、コトバが爆発する時がある。内的意識がそのままコトバとなって、一人のニンゲンから湧きあがってくるのだ。”天才”と呼ばれることもあるひとつの現象である。
ランボーの詩、
ロートレアモンの詩、
ル・クレジオの初期の小説、
等にも、同じような、自由度を感じた。

より良く生き、よく熟考した人の深いコトバではない。(しかし、深い)(疾走する深さである)
まだ、世間、社会、世界の約束に縛られていない、コトバの自由度のままに、想像の世界に、舞い、踊る詩である。
体験をもとに、考え、構成し、想像する作家たちのものとは、まったく異なる。存在そのものに触れる詩である。コトバが存在である。

その最果タヒの「小説」=散文を読むと、その自由度が殺されている。一歩一歩、思考して、進む散文、小説は、さほど感心しなかった。なぜだろう?
小説には「物語」があり、「時間」があり、「舞台」があり、「他者」がいる。すると、あれほど、自由度を誇った最果タヒのコトバの力が減少する。
コトバの自由度は(少ない方から考えると)
①散文
②詩
③アフォリズム
の順番であろう。
<書く>という、自由度を、縛るものがあるほどに、コトバ自体もその自由度がなくなる。
不思議である。
最果タヒは、自然に、インターネットにむかって、書いていると、他人からそれは「詩」だと言われたという。詩、散文、小説という、ジャンルを考えることもなく(私)を、(私のコトバ)を放っていただけである。

50年も原稿用紙に、モノを書き続けている私にとって、パソコンもインターネットもメールも出来ない私にとって、「インターネットから生まれた詩人」は信じられない詩人、存在者である。

詩人、石原吉郎が、シベリアのラーゲリーから帰還して(断たれてしまったヒトやモノとの関係を)コトバによって回復しようとして失われてしまった「コトバ」を求めて、「詩」を書きはじめたエピソードとは(断念から)まったく異なる。

最果タヒは、人に、読者に(顔)を見せない詩人である。(中原中也の詩集に、中也の写真があるのを、ひどく嘆いていた!!)
一切のコトバが、最果タヒというペンネームのもとにある。<実像>と<コトバ>を完全に切り離したいのだろうか?(私)はコトバである、と。

なんでも語ってしまう。(語れてしまう)タブーがない。コトバが唯一の実在である。ニンゲン世界からも自由に在る。まるで、宇宙の、たったひとつの原子のように存在する。

コトバとして、生れてしまったものが(私)であり、それ以外は、ない。その統合が「最果タヒ」という名前である。とりあえずの。

ランボー、ル・クレジオの歩みを考えると、最果タヒの歩みも、困難に満ちたものになるのだろうか?今、注視したい詩人。

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• 木曜日, 3月 16th, 2017

はじまりは、(私)が存在するという不思議と驚きと発見からだった。コトバが来た。コトバの水脈を追って、ココロの一番深い井戸へと、十二年かかって、降りて行って、第四詩集が、結実し、川となった。その名前は「真珠川」である。

詩集を手にとって初読(直観で)一日置いて再読(思考が廻る)ふたたび、寝かせて(心読する)。コトバに身をゆだねて。コトバに染められたところで、気に入った数篇を、朗読してみた。声に出して。

「本」は、何ヶ月も、何年もかけて、書かれたものだから、一日、二日で、読みあげて、終ってしまうのでは、あまりにも、もったいない。いや、読み込める訳がない。覚えて、記憶に刻んで、そのコトバとともに、歩けるようになってこそ。

風景が、単なる(描写)であったものが、(生きもの自体)へと、変化するあたりに、北原の心境の深化があって、最後の一行で、世界を、読者のものへと投げかける、転換の妙が、作品を、外部の世界にむけて、開かれたものとする、力が備わってきた。
「朝の鍵盤を押すと、あなたがあふれる」(「もえあがる樹のように」より)
「夜ごとからだと交換したことばを入れておくから」(「金柑の実」より)
「継ぐ息の波紋が返信する」(「交信」より)

見えないものを、見えるものたちで、ていねいに、ていねいに、書き込むことによって、表出する。(ソレが、見えるかどうかが、作者の腕、わかるわからない読者の、境目)
確かに、三つの世界が見えてきた。
①「水の音楽」が流れはじめた
②「あなた(カミ?)の声が響きはじめた。
③「血族」たちの(父・母・おじいちゃんなど)姿が見えはじめた。
もう、北原の紡いだコトバと一緒になって三つの世界を歩いて、苦楽を、共にしている。ようやく、詩を、そのコトバを、超えたころのものを、視はじめている。

ある夜、偶然、ラジオの深夜放送で、ヴァイオリン奏者・千住真理子のコトバと音楽を聴いた。
練習、訓練を、積み重ねれば、たいていの音楽は、弾ける。しかし、「バッハの音楽だけは、禅僧のようにならなければ、弾けない」
闇の中で、同志を発見したような、喜びが全身に走った。
”無”と”無限”の結婚が、バッハの音楽だと、長い間、考えていた私は、無伴奏パルテイターとシャコンヌのことを想った。
千住真理子は、生演奏で、バッハを弾いてくれた。禅僧になって作曲したバッハ、禅僧になって、バッハ音楽を弾いた千住真理子、当然、聴く私も、禅僧になっていた。
不思議なことに、三人は、一人になっていた(3→1)
深甚微妙な、バッハによる無限音楽があった。無限宇宙そのものであった。

北原千代も、教会で(?)オルガンを弾くひとだと知った。
やはり、あの「あなた」は、カミであろう。「あなた(カミ?)へと歩く人」から「あなた(カミ?)を歩く人」へ、北原の詩も、変容するような、予感がするのだ。
千住真理子の演奏は、北原の詩法に、ひとつの、ヒントを、与えそうな気がする。
「Barroco」に秘められたものは、深甚微妙な、バッハかもしれない。

(2017年3月14日)

(注:『Barroco』の本来の意味は「いびつな真珠」である。)

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• 火曜日, 3月 15th, 2016
ニンゲンが壊れる!!コトバが壊れる!!

ニンゲンは(善)も(悪)もなんでもやってしまう動物であった。
狂気であれ、正気であれ(兵士)となったニンゲンの振舞いは、正視に耐えぬ残虐・無残なヒレツカンのものであるが、平時(平和)に生きている(私)も、戦時(戦争)の場に生きてみれば、理性も倫理も常識も戒律も役立たずとなって、殺人者、強姦者、盗人になってしまうのであろうか?
辺見庸は、戦争の記録、戦争文学等の、文献、資料を読み込むことで、自らをも、戦場に起たせる-試みを「本書」において、実行した。つまり「1937(イクミナ)年」日本が「戦争」に突入した時点に、起ってみるのだ。

辺見庸の『もの食う人びと』を読んで、もう、何年になるだろうか?
(世界の食の現実)を、告発した、(事実)に(事実)を重ね続ける作品であった。
辺見庸の文体は、今までに、四回変わっている。
①新聞記者のコトバ(事実)
②小説家のコトバ(想像)
③エッセイストのコトバ(論理)
④詩人のコトバ(象徴)
そして、今回の『1★9★3★7(イクミナ)』で、五回目の変身である。
私は、この文体を
⑤量子的コトバ(文体)と呼びたい。
辺見庸の文体が変わった。五回目である。
(事実)を書く、新聞記者のコトバから出発した文章が、終に(事実)は、実は、多面的である、という文体に至ってしまった。
だから、(事実)は(じじつ)となり重要な単語は、ことごとく漢字から、ひらがなへと、移行している。書く人の手と、読み人の眼、それぞれに、コトバが変容してしまう。
だから、ひとつの(事実)を探求する「本書」が、(量子論的事実)の迷宮へと、至ってしまう。ニンゲンには、余りにも負担が大きく、重すぎる「問い」の方法へと、辺見庸は、超出してしまったのだ。
武田泰淳『審判』 堀田善衛『時間』のコトバと、戦争というニンゲンに刻まれたコトバの位相を、限りなく、問い続ける辺見であるが、ニンゲンは、グロテクスなまでに、奇妙な、愚、狂、悲、哀、乱の断面を覗かせる。
息が苦しい。出口がない。「問い」は増殖を止めない。もちろん、単純な、明解な答えなど存在するわけもない。
迷宮の文体である。決して、愚鈍というわけではない。(事実)を決定できず、問いという蛇は、何匹も現れて自分の尾っぽを、呑み込んでいるのだ。
文体が変わるとは、思考が変わることであり、ニンゲンの生き方が変わることであり、生きている、意識やココロの位相が、別のものになってしまうことである。
辺見の(父)を追う文体は、実に、辛い。いや(父=兵士)を見る、考える眼が辛い。
戦争で、ニンゲンの良きものを失ってしまって、ユーレイのように戦後を生きた(父=元兵士)を探る眼が辛い。
当然、その剣は、辺見自身をも斬り刻むことになる。この文体=思考に、耐えられるニンゲンがいるだろうか?死者の墓をあばくのは、ニンゲンの礼節が許さぬが、辺見は、「記憶の墓」をあばき続ける!!
辺見は、噴怒してるのだ。(事実)を消したり、(事実)を歪めたり、(事実)を塗り変えたり、(事実)を無視したり、更に、(虚の城)を築こうとしたり、コトバの意味を抜き取ってしまったり、孔子の「正名論」を否定してしまう「政治家」たちへの、怒りの、コトバの礫である。
辺見は、自分自身を、戦場に起たせて、眼になって、耳になって、思考になって、倫理の水準器となって、日本人を戦争を、糾断する!!
現在、辺見庸は、倒れるところまで歩いていく者である。(覚悟)
辺見さん亡命しないで下さい。ニンゲンは、もう、どこにも行くところがないのですから。コトバで在り続けて下さい。

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• 月曜日, 9月 28th, 2015

ー生きる知慧としての仏教ー

仏教の知慧が、21世紀の現代を生きる、一人の人間によって、これほど、深く、身をもって体験され、語られた「本」に出会ったのは、はじめてである。
「般若心経」が、実に、見事に、自らの体験の中で、噛みくだかれ、血となり、肉となり、自らのコトバとなって、語られた実例を知らない。
ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハン師である。(気付きの呼吸法・瞑想)
『死もなく、怖れもなく』は、単なる「仏教」「般若心経」の解説書ではない。
ベトナムの戦火の中で、立ちあがり、平和と終戦を希求し、行動し、国を追われても、フランスでアメリカで、釈尊の教えを実践し、活動している、禅僧である。
21世紀の科学の時代にあっても、宗教的実践、宗教的事実をもって、地球的(水平)広さで生き、人類的(垂直)深さで生き、(現実)の中に、超越を置く第三の生き方を探求する。
ティク・ナット・ハン師の生きる姿は、感動と共感を呼ぶ、数少ない、宗教者の、現身である。(法身でもあるか?)
3.11で、地震、津波、原発の三重苦に、人間が壊れてしまい、どのように、再生、復活できるか、誰にも、ヴィジョンが示しきれない時空があった。(コトバは死んでいた)
僧や神父や牧師などの、宗教者も、現場に駆けつけて、語り、聴き、唱え、祈った。
ある、大寺院の僧が、東北の海にむかって、念仏を唱えていた。
「般若心経」を、黒板に書き、住民に、説明し、語りかけていた。
僧の顔は、絶望で、青白く、その声は、おそらく、住民の耳にとどいてはいなかった。
大自然は、放射能は、宇宙は、宗教者に、背をむけた、非・意味であった。
地震、津波、原発の前には、あらゆるコトバ、経典も、無力であった。
しかし、戦争の中から、立ちあがった、ティク・ナット・ハン師のコトバは、「生・老・病・死」に対して、釈尊のコトバを、そのまま、身をもって、生き、確かなものとして、人々に訴える力をもっている。
科学的(真)があれば、宗教的(真)もある。
世界を歩く、時代を歩く、水平に、垂直に、超越的に生きる、ティク・ナット・ハン師のコトバに、お礼を!!(歩く瞑想)
ティク・ナット・ハン師の中に釈尊が生きている。
垂直に、超越的に。
コトバが生きている、ニンゲンの中に。(相依相関(インタービーイングの思想))

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