Archive for the Category ◊ アフオリズム ◊

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• 月曜日, 2月 03rd, 2025
3851. 「人間原理」の視点で見れば、おそらく、ニンゲンは(無限)だ。「宇宙原理」の視点で見れば、おそらく、ニンゲンは(無)だ。どちらの視点で生きるか人それぞれ。勝手に生きてみる。さて、いったい、何が見えるか、何があるか?

3852. 気がつくと、言葉の大海を漂流していた。耳で聞く言葉を食べて食べて、口から吐いて吐いて、放った末に残ったものが(私の言葉)だった。(言葉は誰のものでもないのに不思議だ)(私の言葉)が存在しはじめる。

3583. いつのまにか、(私)は、言葉を生きている。あらゆる現象や事象を言葉に変えて、生き直している。(モノ自体は、いったいどこへ行ったのだろうか?)

3854. ニンゲンは驚愕した。言葉で表現できぬものが顕れた。一切の統辞法、論理が役に立たない。(存在ならぬ存在の出現)さて、困った。釈尊は「無記」と断言した。21世紀のニンゲンは、どうする?ニンゲンの手に負えぬ(量子)奴!!

3855. 思考が狂うか?ニンゲンが狂うか?眼を開けて、ソレの傍らを擦り抜けるか?

3856. 詩人がいる。詩人とは?見者(ボワィアン)である。透視者だ。見者でない詩人は、贋物である。現代詩を書いている、九十九パーセントは、見者ではない。

3857. もちろん、詩人は、詩語の向う側のコトバを透視する。(量子をも)

3858. 眼で見る時代から、手で見る時代へ(手かざし)

3859. 〇〇ちゃん、遊ぼ!!楽しいよ。いったい誰の声か?

3860. 遊びも、趣味も、道楽も、仕事も、結局、ニンゲンが踊る、コズミック・ダンスの、ひとつの変種にすぎない。

3861. 小さな惑星も、巨大宇宙も、コズミック・ダンスを踊る、ひとつの時空という舞台にすぎない。存在が存在を楽しんでいるだけ。

3862. 「今日は何日ですか?ここは何処ですか?あなたのお名前は?誕生日は?」病院の医師が問い続ける。この時空の一点に(私)という存在を、貼りつけようとする。(私)は、何も応えられない。先生、(私)まだ(I)とは何かさえ、わからないのですが・・・。

3863. あらゆる物質、あらゆる生命、あらゆる時空も、エネルギーが変化したものです。だから、「(私)は光だ」と思っております。何かおかしいでしょうか?お医者さん!!

3864. 千年、万年、いや一億年も考えても、おそらく考えきれないことがあるのに、たった百年、太陽の周りを廻って、終ってしまうニンゲンなんて。不快です。

3865. 考えきれない、たったひとつのことは、そのまま、宇宙に残されてしまう!!

3866. ふたたび、誰かが、何者かが、その、たったひとつの謎に挑戦してくれるのでしょうか?(もったいない)

3867. 物質の精神化、精神の物質化。(石が考える)(考えが石になる)本当の革命とは、そんなものでしょうに。

3868. ニンゲンが石ころになる。決して、比喩ではなく。

3869. 叫び声も空に消えて、ココロは空っぽ。怒りも、悲しみも、大きな沈黙に吞み込まれて。ただ浮遊しているニンゲンの形姿。

3870. がらんどうの生きものを、果たして、ニンゲンと呼べるのか?(悲しみの底がない)

3871. 生きれば生きるほど、この惑星の一日が寂しくなります。いつも夕暮れです。さて、どうしたものでしょうか?

3872. 「寂寥」とか「寂静」とか、昔の言葉が、老いて、今ごろになって、身に沁みてしまう。困ったものです。(ニルヴァーナー)と。

3873. 本当に、何もかも、どんどんわからなくなってしまう。長く長く生きてきたのに。(とうとう一日が何かもわからない)

3874. 見えないものが在る、在るのに見えない(ニンゲンにとって、大切なことなのに)

3875. どうやら(私)ニンゲンの言葉も、宇宙言語(コトバ)に至らなければならない時が!!

3876. 「阿」や「吽」の根源に至った空海さんのコトバ(真言)は?

3877. 自然な、普通のことが、どんどん崩れていくが・・・(私)が(超私)になる?

3878. 「絶対の王」が存在した時代は、ものごとの白黒が、はっきりとわかったのに。

3879. 「光」の今は、いつも昔だ。やれやれ。

3880. 冬の淡い光に、庭の切り株が応えて。(沈黙の中のコトバ)

3881. とりあえず、正気で生きて、正気で死ねば、文句はないか。(後は野となれ山となれ)いやいや、宇宙の流れは、そうもいくまい。

3882. 無限個の光が空に舞っている。もちろん(私)もそのひとつだ。もうすぐ消えるが。

3883. 宇宙というテキストは、無限個の量子が作りだした、大きな物語であろうか?誰にも読み解けないが。

3884. ニンゲンも量子の子供だ。

3885. (私)は、私という身体さえ、充分には知らない。それでも、自然に生きている。なんだか、おかしい。

3886. 考える(知)の王は、たった一時間の、瞑想の深さには負けてしまう!!なぜか?

3887. (私)のアフォリズム「コズミック・ダンスを踊りながら」も、言語の限界を突破して、誰も読めないコトバの世界へと、疾走してしまうのか?

3888. ン?うんにゃ、ソレはちがう(父の声)

3889. 君がニンゲンなら、ボクは、ニンゲンをやめたい!!(プーチンに)

3890. 宇、宇、宇、宇宙と言い放てなくなって、茫然とする。(声が死ぬ)

3891. 来た、来た、行く行く、誰が何を見たというのだ。(何も来ない、何も行かない)

3892. もう、いいよ、お終いにしよう。断念の宇宙。

3893. 眼の死刑、耳の死刑、手の死刑、足の死刑・・・あらかじめ決定していたのか?

3894. パスカルは言った「あまり自由なのは、よくない」と。「必要なものが、みなあるのはよくない」と。なるほど、知足か。

3895. ①(私)がこの宇宙に生まれないという奇蹟。②(私)がこの宇宙に生れたという奇蹟。③(私)が死んで、ふたたび生き返るという奇蹟。さて、どれが一番の不思議であろうか?

3896. あらゆるところに、泡のように「時間」が起きあがってくる。気絶するほどの光景である。

3897. そして、ココロが、意識が、思考が、コトバという出来事の中に、ゆらいている。

3898. われわれの銀河、天の川銀河が一回転する。仮に、それを、「一銀河年」と呼ぼうか。その時、太陽は?地球は?ニンゲンは?何処へ?

3899. 月から見た、暗闇の宇宙に浮かぶ地球の写真!!全人類が写してきた無数の写真も、この一枚の、証明写真にはかなわない。(本当に、地球は宙に浮いて、漂流している!!)

3900. 21世紀のニンゲン。「哀歌」や「鎮魂歌」は、いつでも、平気で歌える(書ける)のに、いざ「讃歌」を歌おうとする(書こうとする)と、調子が狂ってしまう。「讃歌」を書こうとする右手を、左手が止めてしまう。やはり、歌も、時代が呼ぶものか!!

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• 水曜日, 5月 29th, 2024
3801. (無)が存在の母であるとはニンゲンは、長い間、知らなかった!!(無から有は生れない)と!!

3802. すると、(無)から来た存在は、当然(無)に還ることになる。なんの不思議もなく。

3803. (私)が光であったということすら、大きな謎であったのに。

3804. 宇宙塵は、結局、(私)たちの兄弟である。

3805. 夏の光も、秋の光も、光は永遠の滴だ。

3806. 巨大な存在と非在の眩暈の中にいる(私)

3807. 片手に宇宙、片手に量子、左手も右手もない。不思議。

3808. ニンゲンは、宇宙の存在を発見するために、顕現した生きものであろうか?

3809. 見る者、知る者、わかる者が存在しなければ、(宇宙)は在るか無いかもわからないまま。

3810. 意識こそ、(知るー考える)の中心にある。あるいは、意識以上のもの?

3811. 誰が、何が、ニンゲンを、宇宙に放ったのか?まさか、神とは言えまい。無とも言えまい。自己生成。進化?偶然?

3812. 宇宙がある。言葉の中にも宇宙がある。言葉の外にもコトの宇宙がある。

3813. シンプルに、ただ生きる。(生)に必要な要素だけ残して。あとは、すべて、棄て去ること。

3814. 宇宙には、解決というものがない。無限に流れる。ニンゲンの世界では、どうか?

3815. AIは(情報)の集積する巨大な場だ。(情報)を与えなければ、ただの空箱だ。

3816. もちろん(知る)より(考える)が大切に決まっている。その前に直観すること。

3817. 光と水を与えなければ、(私)も、植物と同じように枯れてしまう。ニンゲンにとって(光)とは何か?(水)とは何か?熟考しよう。私の原理を見定めて、生きることだ。

3818. 人生に答えなどないのにコンピューター(AI)は、正しい答えを出してくれる!!(余計なお世話だが)

3819. 作曲家、坂本龍一の最後のピアノ演奏。まるで、自らに対するレクイエムであった。音楽・ピアノは、決して上手下手ではない。音がヒトのココロに、沁み込むかどうかで、音楽の値打ちが決まる。魂を洗う音!!

3820. (無)と(無)の間に宇宙時間がある。永遠と呼んでもいいが。あらゆる現象、あらゆる事象、存在と非在も、その宇宙時間内での出来事である。もちろん生きる、生きられるニンゲンも、その他大勢のひとりであるが。

3821. 生きているニンゲンが(死)とは何か?といくら考えてもわかるはずがない。(私)は、(超私)になってしまったから、他の宇宙を、その法を考えるようなものだ。だから、せいぜい(生きる、生きられる)私を、楽しむしかない。つまり、勝手に、自由にコズミック・ダンスを踊ってみせるだけ!!

3822. ニンゲン、食べるために、30年も40年も働くと、いつのまにか、(私=仕事)となってしまう。つまり、仕事が生きる最終目的になっている。

3823. 会社を退職して、仕事を離れてみると、残された(私自身)をどう扱っていいのか、わからなくなる。つまり、仕事とともに(私)が消える。で、おどおどして、途方に暮れる。

3824. (私)という魂のお守をすることが生きることだと思っている人は、(会社・職場)を離れても、残された(私という魂)の存在が確認できる。で、魂を育てる。

3825. ふたたび、最後の時まで(私という魂)のお守をし続けようと考える。仕事が目的ではなかったから。ひとつの手段だったから。

3826. (無)から(無)へ。そんな声が流れてきた。宇宙の出現(誕生)と消滅(死)。(私)ニンゲンの出現(誕生)と消滅(死)。あらゆる存在も現象も、現れては消えていく。(諸行無常)と云った釈尊のコトバは正しい。

3827. ビッグバンの風に吹かれて、ヒトは次から次へと生まれてくる。そして、ひととき、それぞれの、コズミック・ダンスを踊っては、次から次へと死んでいく。宇宙に、ただ、そんな現象がある。

3828. どんな手が?誰が?何が?そんな骰子を振っているのかまったく見えない。わからない。

3829. ひと粒の砂も一個の石ころも、原子も量子も何も応えてはくれないヒトの生涯であるが。

3830. たった一瞬の輝きか、それとも、はるかな旅であるのか、問題はすべて(私)の意識にある。

3831. 宇宙の時空の中で、変わらぬものは何もない。ただ流れて、移ろっている。(釈尊の直観力)

3832. 一粒の砂ほどの存在にも意識があるという不思議。

3833. ニンゲンは、ひとつの惑星を食い潰してしまう、奇体な生物であるか?

3834. エネルギーだけが、宇宙を存在させる唯一の力だ。無生物も生物も、もちろんニンゲンも、エネルギーなしでは存在できぬ。アインシュタインの発見は??E=mc²である

3835. 海の発見、空の発見、宇宙の発見!!発見だけではつまらぬ。何か作ってやれ、何かを変えてやれ!!

3836. ニンゲンは、持っている力を、どのくらい開発して、使用しているのだろうか?(数パーセントか?)

3837. 眼の誕生から、見る力は、どこまで進化したのだろうか?(3億年もかけて)(モノを見る、宇宙を見る、DNAを見る、それから・・・透視する力は?)

3838. 見るに、限界はあるのか?(ココロを見る、見えないものを見る・・・虚数iも)そして・・・

3839. 言葉で思考する、言葉を超えたもので直観する。(その時、わかるとは何か?)

3840. 長年、ニンゲンとして、生きてきて(77年)私が持つに至った思想?は、最後は、死ぬ時は「宇宙にむけて翔べ」だった。

3841. 一回限りの「生」だから、一度だけの試み(死)だから、上手くいくかどうかは、わからない。

3842. (私)の死後、私の死に顔を見て微笑んでいたと、他人が思ってくれれば、おそらく、成功だろう。

3843. ニンゲン、何をしたか(仕事)ということよりも、(私という魂)のお守としてきたことの方が大切であった。存在の輝き。

3844. 飢えもせず、他のものを盗ったりもせず、大きな嘘もつかず、他人を殺しもしないで凡庸な日々を生きてこれたのは、ラッキーであった。文句はない。

3845. 無限遠点にも、もう一人の(私)がいる。いや、(私)にそっくりだが、反物質である。私が右手を振ると、ソレが左手を振る。

3846. 宇宙は巨大な蜘蛛の網で、その見えない網の片方で一人が動くと、もう片方でもその動きに反応して、動くという訳だ。

3847. 「分裂少女の手記」は身に沁みる「本」。ニンゲンは、一個の石、一粒の砂の存在である。そのコトバは実に深い。

3848. (私)を見失って、五感が誰のものかわからなくなって、信じるに足るものは何もない、(わかる)ということが(わからない)。気の毒な少女。宙空に、棄てられて、漂っている。

3849. 老人も、また、新しい人である。誰もが、はじめて、(老人としての生)を生きるのだから。

3850. 少女が青年に、子供が大人になる時の、あのとまどい!!当然、老人になった時にも、とまどいがある。老人の次にはいったい、何になるのだろう?

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• 日曜日, 10月 01st, 2023
3751. 宇宙の原質に触れること。そのリアリティを楽しむこと。これ以上のニンゲンの楽しみはない。その為には?何をする?(歩くこと)と(瞑想すること)だ。

3752. (宇宙)を歩くこと(宇宙の大歩行者)(宇宙)を瞑想すること(無限者)簡単だが一番難しい行為である。

3753. 一流の詩人・作家は。来た「コトバ」を超人のように「言葉」に変換する!!だから、読者は、言葉を読んで、「言葉の向こう側のコトバ」を見なければならない。深く読むとは、そういう行為のことだ。

3754. ボクら、ニンゲンが日々見ている(現実)は宇宙が見ている夢のひとつかもしれぬ。無数の宇宙のコトバが放射されている。

3755. (私)は失神する。宇宙の2000億個の銀河を数えようとして。

3756. 時間が足りない。間に合わない。何に?なぜ?どうして?途方にくれて。放心する。

3757. 目覚めたり、正気になったり、悟ったりすることが可能であろうか?(正しいこと)も選べないニンゲンが。

3758. 生きれば生きるほど、モノが見えるのではない。(私)という存在の一切が、無化されていく。

3759. 老人になると、あの少年もあの青年も(私)ではなかった、別の生きものだと、わかってくる。(今、ここ)は単純な時空ではない。

3760. (無)から(有)は生れない。かつて、ニンゲンは、そう考えた。いや、いや、いや、今では、(無)からこそ一切が発出する!!無数の宇宙も。

3761. 在ったり、無かったり、在ったり、無かったり、同時に、在るところで、量子たちが踊る。視よ、宇宙で踊る量子たちを。過去も未来もない。もちろん、現在も。

3762. 量子を正視すると、ニンゲンは気が狂ってしまう。だから、見てはいけない。考えてもいけない。沈黙している。わからないものは、わからないまま放っておくこと。

3763. 色は脳が見る。眼は分光器だ。決して(現実の色)をニンゲンが見ることはない。

3764. 存在者は、存在を楽しむ以外に術はない。ホトケまで、自分自身を楽しんでいる。(法身という存在)

3765. 意味は、ニンゲンだけにある。非・意味の宇宙に意味を求めても仕方がない。

3766. 「無」から「零」まで、無限の旅。

3767. おそろしいことに、正確に問わなければ「問い」そのものが無効になる。

3768. 解き、解き放たれて、宇宙の迷い児。

3769. 自由を求めすぎて、十一次元に棲みついてみたが。

3770. 四次元は、結局、ニンゲンにはちょうどいい器。

3771. 音が光る。文字が光る。色が光る。(私)が光る。すべては(光)へ、(光)から。

3772. 何もしないという人は、存在自体を楽しんでいるのだ。「良寛」のように。

3773. (無)から(1)が発出するためには、(1)の存在する(場)がいる。(1)を認知するための眼(意識)がいる。

3774. 超高温の火の玉が(無)から発出するためのエネルギーと、爆発して時空を創造するインフィレション。ビッグ・バン以前の(無)から(無限)の顕現への偶発。

3775. あとは、ビッグ・バンの風に吹かれて銀河やブラック・ホールの出現の中に、恒星のチリが創る惑星の誕生、そして、終に、単細胞から(意識)が現れる。

3776. (意識)があるから、宇宙という存在が、見えてくる。

3777. (私)の誕生まで、悠久の時が流れて、日常のセイカツがやってくる。永遠の中の一日が。

3778. ニンゲン(私)は、ひとつの単細胞が咲かせた、38億年の華である。

3779. スーパーシステムとしてのニンゲンはひとつの単細胞がみた夢であるか。

3780. 量子としての(私)はあらゆる時空に偏在している。

3781. 量子はコトバである。無数の量子が(私)にやってくる、コトバとして。だから、(私)は、そのコトバを誰もがわかる言葉に置き換える。

3782. 天から降ってきたものを(コトバ)アラビア語という言葉にかえたマホメット(モハメット)の話は、どうやら、本当だ。(「コーラン」)

3783. 宇宙まで突きぬけるコトバを放つ!!全細胞の力を一点に集中して、全エネルギーで放つコトバ。(放つと同時に死ぬ)宇宙の沈黙と均り合うほどの。

3784. テーマやプロットや物語を話しても、仕方がない。問題は、文体である。同じテーマ(事実)を扱った「本」でも、一人一人文体がちがうから、(事実)はひとつではなく、さまざまなコトバの素となる。

3785. どだい、「作品」を、自分の言葉で語ったり、解釈しようとすること自体が、誤ちである。文体をもった作品は、ひとつのオリジナルの宇宙だから。

3786. とうとう、わが地球は”温暖化”を通り過ぎて、”沸騰”の時代に入ったと(国連)

3787. もう、臨界点は過ぎて、人間の手(知恵)ではどうにもならぬ、後戻りできぬ。

3788. つまり、ニンゲンは、滅びの時代に突入した・・・と。まだ、宇宙への入口にしか立っていないのに。

3789. 便利さを求めて、効率さを求めて、速く、遠くへ、最大に。多量に。

3790. 文化も文明も、よく考えてみれば諸行無常の鐘の音だった。自分で自分の葬式の鐘を鳴らしていたのだ!!

3791. いつも、無限遠点からやってくる宇宙線に刺し貫かれるような視点で、モノを考えることだ。(目覚めよ、ニンゲン)

3792. どんな天才も、スーパースターでもニンゲンである限り、「人間原理」のもとに、生きて、死んでいく。「宇宙原理」には至れない。(生・老・病・死)である。法(ダルマ)の下に。

3793. 大事なものは、すべて、向かう側からやってくる。だから、ニンゲンは歩かねばならぬ。(出合いのために)

3794. 他界からやってくるものをも、見なければならない。(聴かなければならない)冥途の色に染まったコトバも。

3795. 宇宙が放っている無限のコトバを、ニンゲンは、必死で、言葉に変える動物である。(まだ、百分の一にも達していないが)

3796. 詩は、突然、降ってくる。コトバを、言葉に変換するものであるが、どうであろう、100作品に1作くらい、成功するであろうか?

3797. (木)は、木自体というコトバを放っているから(木)という言葉で呼ばれる。(草)は草自体というコトバを放っているから(草)という言葉で呼ばれる。以下、ココロも身体も同じこと。ニンゲンが見るべきは、もちろん言葉よりもコトバである。

3798. ニンゲンは、聞こうとする音しか聞かない。見ようとするものしか、見えない。考えようとすることしか、考えない。(存在)を発見するのは(私)である。

3799. 私の内部に音を響かせ、私の内部にモノを見て、私の内部に(イデア)をひらめかせる。

3800. いつも、外部は内部だ。その中心には意識がある。原子の存在を知らない者には原子の姿は見えない。(あってもなくても)(私の死)は見えない。(私の死)はないから。

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• 木曜日, 2月 09th, 2023
3701. 400年の時空を超えて「スピノザという風」が吹き渡ってくる!!「エチカ」という言葉の火を燃やしながら。

3702. その速度、強度、スケールは21世紀という時代に置いても決して古びることのないコトバである。

3703. 中世における、カミの時代の汎神論、無神論は、とぴっきりのものであるが、スピノザの凄みは宇宙における(私)の不思議を探求したところにある。自然はカミ。

3704. 1から無限まで、すべてを、自分の思惟のみで築きあげた、スピノザという建築。

3705. 20世紀の、最高の哲学者、ジル・ドゥルーズが思考の風となって、「スピノザ」を書きあげた。風と風が正面衝突するスリル。「読む」の究極の「本」。「来たるべき書物」だ!!

3706. 「無為の時間」は、老人の一番の楽しみであり、特権でもある。終日、風に揺れる木々を眺めている。

3707. 流れている、流れている、流れている。何が?木が、風が、時間が、空間が、私が、宇宙が!!(飽きることなどある訳がない)

3708. 役に立つ?有用?無用?会社の?社会の?世間の?家の?国の?そんなことはすべて、棄てる!!(無用の用)

3709. 何もしたくない(気力という気力が消え失せて)。そうやって、ヒトは、滅びていくのだ。何もしないヒト。

3710. 何もない日を生きている。(反復)つまり、一日の流れが、色も形も匂いも、すべてが同じものに見えてしまう。特別なことはない。

3711. 誰のコトバでもないコトバをそのコトバを(私)のものとして輝かせる固有の光。幾多の、詩人、作家たちが立ちむかっては、滅びていった。

3712. コトバの死の光り。(死)のコトバではない。

3713. 内なる(死)を宿さないコトバは、輝くことがない。

3714. 存在の消失点、不可触の地点から来るコトバ。思考を超えて。

3715. 無限噴出がある。無限消失がある。たったひとつのコトバに支えられて。

3716. わかった!!と思った瞬間に、もう、変化して、すりぬけてしまうもの。コトバも破壊されて。

3717. ココロを、ゼロ・ポイントに落としても読めるコトバ。ココロを、ゼロ・ポイントに落としても書けるコトバ、来たるべき唯一の「本」とは、そんな、言葉の向う側のコトバで書かれたものである。そんな「本」が、世の中に、何冊ある?

3718. ココロが、必要とする、コトバだけ、パンのように食べたい。

3719. 虚数のようなコトバ。自然に見ると、見えないコトバ。ひとひねりして、ある角度から眺めると、浮きあがってくるコトバ。

3720. まるで、毎秒、身体を通りぬけていく、宇宙線のように存在しているコトバ。

3721. 蝉の鳴く声には正確なリズムがある。光にも、光のリズムがあるのであろうか?

3722. (実)から(虚)へと(虚)から(実)へと吹きぬける風がある。宇宙の原初から。

3723. 白昼光の中で幽霊を見る。いったい、何の幽霊か?狂うなよ、意識!!

3724. 眼の限界を超えてまで見てしまいたいニンゲン。そこにあるのは、何?虚数のようなものか?

3725. カンカン照りの真夏日の歩行は怖い。何を見てしまうか、わからない。何時の間にか、境界を超えていて。

3726. 宇宙が見ている無数の夢のひとつが(私)であろうか?(私)も宇宙の夢を見るが。

3727. ジレンマ。矛盾。ダブル・バインド。全力で生きる-書く-すると身体が悲鳴をあげる。崩れる。ゆったりと、生きる、書かないで。-すると、毎日が日曜日。生きている実感がない。スリルがない。

3728. エネルギー。生きている限り、何かをするためには、エネルギーがいる。一番つらいのは、衰弱だ。エネルギーが出てこない。(だから、病気は辛い)

3729. バランス。何かをするために、ニンゲンは死にもの狂いなる。バランスなんか考えない。しかし、身体やココロが壊れて、悲鳴をあげると、ようやく、(バランス)が必要だと思い知る。

3730. 歩こうとしても、足が動かない。考えようとしても頭が働かない。どうする?身体もココロも、とうとう錆ついてしまった!!憮然とする。

3731. 日々のレッスン。一歩一歩、歩いてみる。一日一行でも、ものを書いてみる。

3732. 老化、衰弱を嘆くよりも(老人力)を発揮してみる。

3733. 苦の中に楽を、悲の中に喜を、瞑想でもして「空(くう)」へ。

3734. 私は狂人だという狂人はいない。私は「正義」だという狂人はいる。(ヒットラー、プーチン)

3735. コロナ・パンデミックの世界であるが、(光)でもある。もちろん(光)は、私の内部に。

3736. (知る)と(体験する)では、一と百くらいの差がある。それでも(無知)は罪である。想像力を使ってでも、映画「夜と霧」を観る。フランクルの「夜と霧」を読む。(ヒットラーの「わが闘争」を読む)コトバの正体が見えてくる。

3737. 最後に残る人間らしさとは?恐怖から無関心、無感動に。それでも、(ユーモア)と(慈愛)は残る。

3738. アフォリズムは思考(頭)で読まない。数十兆の細胞の感性で読むこと。コトバの絵を見る。コトバの音を聴く。そして、身体の中へ入れてゆっくると味わってみる。

3739. 21世紀の、自由な空気を吸って育った、ロシアの若者たちが、戦場へと放り込まれて、果たして、人を殺せるだろうか?しかも、敵ではなく、兄弟を。

3740. (無)から一切が誕生(顕現)したから、当然、一切は分解されて、死んで(無)になる。

3741. そのサイクルが、無限に繰り返されるとしたら、(生)も(死)も、(宇宙)も(反宇宙)も、ニンゲンの意識と思考の外部のにある。

3742. 10の500乗個の宇宙の誕生と死を、ニンゲンは、検証できる術をもたない。

3743. 思うことは実現できる。想像できるものは、在る。しかし、量子は思考できぬ。(思う)(考える)というスタイルにも限界がある。

3744. 永遠の相の下に、つまり、宇宙に私はいるという、感覚が、人間には装っている!!どんな恐怖の中でもどんな困難な状況下でも、ニンゲンに最後に残るのは、この意識である。絞首刑寸前の死刑囚にも。

3745. ココロの中に、幻想でもいいから、(私の意識の世界=未来か明日)をつくり出すと、(私)は、まだ、生き延びられる。つまり、私の内部に(光)を発見すること。

3746. (私)が、本当に、完了してしまうのはココロの、意識の招き出す世界が、絶えた時である。ニンゲンは「内部」から死ぬのだ。

3747. (無)あらゆるものを噛み砕いて蒸発させてしまう力。

3748. 時空の外部へと放り投げる力(無)

3749. (死)(空)(無)と呟いてそのコトバをも消してしまう。

3750. 空気の流れに発生する(声)の波、時空の流れに発生する(コトバ)の波。

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• 木曜日, 9月 08th, 2022
3651. 誰でも、一度は、”無限”に触れた感覚を体験する。

3652. (私)も、当然、1から無限になる。

3653. ”無限”は、超球宇宙と呼んでもよい。

3654. その時、ニンゲンは、蟻や鳥の視点から、超球宇宙からの視座を獲得する。

3655. つまり、(善とか悪とか)(罪とか罰とか)(天国と地獄)とかニンゲンの、地上の価値や意味の一切が消える。

3656. 一切が、無意味である。非・意味となる。

3657. 私が(一即無限)に至ったのは、無意味の果ての(”無限”=超球宇宙)の視座をもった時だ。

3658. 何も恐れることはない。一切は、消える。ニンゲン世界から解き放たれる。

3659. 意味は、ニンゲンとニンゲンの関係の中にしかない。
3660. 一切は(無)へ。超球宇宙へ。

3661. (死)とは?無限となって、超球宇宙へと翔び立つことではないのか?ニンゲンという形をなくして。眼には見えないが、透明な何かとなって。

3662. (死)は決して、生命の終着点ではない。一即無限の宇宙への旅のはじまりにすぎない。

3663. 今日も、小さな、小さな、惑星・地球の日常では、ニンゲンの視点から、考え、悩み、傷つき、悲しみ、苦しみ、のたうちまわる生きものの姿が、波となって、押し寄せている。ひたすら、意味を求めて。

3664. 色に会って、音にあって、色の放つコトバを、音の放つコトバを、人は、絵画として、音楽として、楽しんているではないか!!

3665. ゆえに、宇宙は、「コトバ」から出来ている。ニンゲンの使う、(文字)(声)という「言葉」ではない。

3666. コトバを、カミと呼ぶのも自由だ。仏陀と呼んでもよい。超越者と呼んでもよい。しかし、それは、ニンゲンの究極の姿である。

3667. 昔の人も言った。「松のことは松に習え(松の放つコトバを聞け)竹のことは竹に習え(竹の放つコトバを聞け)石のことは石に習え(そうだ、私も石の放つコトバを聞いている)

3668. 光は言葉である。いや、「光」という言葉のことではない。光そのものが「コトバ」だという意味だ。

3669. 「木」という言葉がある。ニンゲンが「木そのもの」に与えた言葉である。もちろん「木そのもの」とは「コトバ」である。

3670. 友の言葉はありがたいものだ。言葉の向うに思いが見える。言葉の向う側にある「コトバ」が見える。

3671. ニンゲンは、長い間、見えない「原子」の「コトバ」にむけて、言葉を放ってきた。無限の言葉は、歌となり、詩となり、小説となり、俳句となり、アフォリズムとなり、「コトバの原子」を、表現してきた。

2672. 終に、究極には、存在は思考を裏切るか?

3673. (科学)は、宇宙が、なぜ、誕生しなければならなかったのか、証明できない。

3674. (哲学)は、その論理では、宇宙を、分析できぬ。

3675. で、何が、いったい、何を、どのように、証明できるのか?

3676. 結局、不可思議なものを、生きている不思議だけが、存在している。(存在していない)

3677. 「いったい、何を、どこまで知っている?」と問えば、(知)に限界はない。

3678. (無限)に至る(知)。(無限)がある限り。

3679. 70億人が、同時に、ひとつのことを考える、思う、祈る!!その発出する”力”よ!!

3680. 銀杏の木に、1億年の時間を視る!!

3681. ニンゲンが一線を超える時。まだこちら側にいると思って、生きている人。もう、向う側にいると思って生きている人。(時間)の相がちがう。(死者の眼)と(生者の眼)

3682. (私)という出来事が、ただ流れている、宇宙を!!一瞬と無限を。(石)という出来事が、ただ宇宙を流れているように。

3683. (物自体)など、どこにもなかったのだ!!(カント)

3684. 石も鉄も太陽も、量子の流れにすぎない、出来事であるか。

3685. ”私”などない。”時間”など存在しない。一切は、関係性の中にニンゲンが見る”幻”である。

3686. 量子は、ニンゲンにとって幽霊である。ニンゲンの思考、能力では、考えられないものである。探究すると、気が狂うと、天才、ファインマンは語った。

3687. ”石”も、また、物質としての、モノではなく、石という出来事である。

3688. 世界に、宇宙には、確たるモノは存在しない。宇宙は生成される流れである。”石”であれ”惑星”であれ恒星であれ、銀河であれひとつの「出来事」でしかない。

3689. 従って”物”自体など、どこにもない。

3690. ビッグ・バンからの、流れがあるだけ。「時間」は存在しないのだ。ゆえに”今”は、どこにもない。天の川の”今”と他の銀河の”今”は、まったく、異なる!!”確定したい私”もない。”私”という出来事が流れている。

3691. 宇宙には青空がない。360度、闇の世界である。深い深い漆黒の闇の中に星々や銀河が光っている。

3692. ニンゲンは、地球の昼間の光に慣れすぎている。空気(大気)がある。太陽の光が降り注ぐ白昼は、空は(青空)である。大気は、青い光を吸収する。

3693. 昼間の光の世界は、宇宙ではあり得ない。夜の闇の世界が通常である。

3694. 地球は生きものたちの世界。宇宙は、星、銀河とガスとが漂う(死)の世界。

3695. ニンゲンは、(闇)の中、(死の世界)では生きていけない!!光と空気と青空の下で生きる。

3696. ニンゲンは、本当のこと(真実)を言う言葉をもたない、とニンゲンが言った。

3697. さて、その言葉は、本当のこと(真実)か、あるいは、嘘(虚)か?

3698. 言葉の、コトバを表現するためにある。コトバとは、あらゆる存在、非存在の放つサインである。

3699. 言葉も、究極は、量子の存在に似ている。あったり、なかったりする-同時に。あるいは、同じものであったり、異なるものであったりする。同時に。

3700. 老子の思想は、21世紀の思想にも共振する。色なき色を、形なき形を、声なき声を、言葉なき言葉を”無為自然(じねん)”の真理の”道(タオ)”として語ってみせた。まるで、量子のコトバである。”(老子)”は、今も、新しいぞ。

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• 木曜日, 12月 23rd, 2021
3601. 孔子は「人間原理」を説き、老子は「宇宙原理」を説く。

3602. 「言葉」に信を置く孔子。「正名論」。「言葉」の外に信を置く老子。「無名論」。(孔子は言葉を、老子はコトバを)

3603. 孔子は、外部の道を歩いて人や物や風景に会う!!(実在主義者)老子は内部の道を歩いて一切を超えた(道(タオ))に会う!!(超越論者)

3604. (私)を低くすれば、(私)は海になる!!水は必ず高いところから低いところへ流れ込むから。(老子)

3605. (私)を空(くう)にすれば、(私)は必ず充たされる。あらゆるものが雪崩れ込むから。(重田)

3606. 空(くう)は、大きければ大きいほど良い。(無)(空虚)こそ、ニンゲンのもっともすぐれたココロの状態だ。(私)を四方八方に、開け放っておくこと。

3607. 人は、父と母から生まれてくる(第一の誕生)人は、コトバからも生まれてくる(第二の誕生)「内部の人間」の秋山駿のコトバの父はデカルト、母はドストエフスキーである。兄弟は、ランボーと中原中也。

3608. ヒトは、コトバに染められて、ニンゲンとして、コトバの命じるままに、生きる。血肉となるコトバは思想に。

3609. もちろん、コトバは生命である。

3610. 血となり、肉となったコトバで思考して、ヒトは(私)は、コトバだと知る。

3611. 一切の存在はコトバである。

3612. ニンゲンからコトバを取りあげれば、一歩も歩けぬ、何も考えられぬ。

3613. わが超球宇宙は、無限のコトバの織物である。

3614. 言葉も生きものである。時代によって、場所によって変化し、生きたり死んだりする。

3615. 言葉の向う側のコトバは、モノ自体が放つものだから、時代を超え、場所を超え、生き続けている。私は、小説、詩、アフォリズムと三つの言葉を書きながら、いつも、言葉の向う側のコトバを書いているつもりである。

3616. 存在たちの眩暈?木の眩暈?水の眩暈?石の眩暈?風の眩暈?量子の眩暈?宇宙は眩暈に充ちている!!

3617. ニンゲンが、人生の目標、目的をもった時代がある。①悟る-仏陀になる。(仏教徒)②仙人になる(老子)現在の、ニンゲンは、何を目標、目的にしているのか?

3618. ただ、今の(私)を生き切る~では少し淋しい。(天国)へ行く(キリスト教)(極楽浄土)へ行く(仏教)という目標も、21世紀の科学と懐疑の時代では、どれくらいの人が信じているのか?

3619. 大きな、大きな夢が消えて、ニンゲンは、(仕事)が、夢となってしまった。(少し淋しい)

3620. 仕事は、生きるための手段であろう。(生きる)はセイカツよりも、もっと幅の広いものである。

3621. 本気で、必死に、生きれば生きるほど、滑稽に見えてしまうニンゲンがいる。なぜ?ドン・キホーテである。『白痴』のムイシュキンである。

3622. 左へ行け、決して左に曲がらずに。右へ行け、決して右に曲がらずに!!

3623. ニンゲンは、宇宙の迷子。まだ、宇宙には地図がない。

3624. 一億年も二億年も、現在の形態で生き延びてきた銀杏の樹に(知性)がない訳がない。ニンゲンのもっている(知)とは別の(知)であるが。(青葉の森で、銀杏の巨木を眺めながら)

3625. たかだか百年のニンゲンの寿命では計れない尺度が無数にある。直観や思考以外の、(知)が宇宙には、眠っているはずだ。

3626. 三密を避けても、距離をとってもステイ・ホームしても、何時、どこで感染するのか、わからない。(死)はいつも、私の足もとにある。

3627. (私)が生きる-そのこと自体が大きな問い、謎と化してしまうこと。

3628. まだ、どこにもない場を、発見し、創造してしまう文体の魔。(古井由吉と吉増剛造)

3629. (私小説)作家と呼ばれていても、二つのタイプがある。(現実=リアル)の(事実)を積み重ねて書けば、(私)の真実に至ると思っている作家と、(私)の(事実)をいくら積み重ねても、私という不思議には至らないと思って書く作家。

3630. 質の良いニンゲンに出会うことは稀れである。人生に、何人もいない。声も思考も立ち姿も、これぞニンゲンとして、存在そのものが静かに輝いている!!

3631. いい耳を持った人も稀れである。ヒトのココロの傷を、悲を、苦を、傾聴できる、耳をもっている。”やさしさ”は耳から始まる。

3632. 魂のダンディズムを具現した旧友がいる。人生で、特別に、何かを為した訳ではない。普通の生活人であった。しかし、その男の魂は、実にやさしかった。”さらば、お先に”という言葉を遺して、逝った、旧友、中川繁よ。

3633. 何が耐えられぬ?(私)が終る(無)になることではなく(永遠の宙吊り)が畏怖である。

3634. 終わりが来るのは耐えられる。終われない恐怖は、気絶してしまう!!それでも、また、眼が覚めて、(私)が続く、漂う、浮遊する宇宙に。

3635. (死)が来るから、苦しい生にも耐えられる。永遠の責苦に(私)の意識は耐えられぬ。

3636. 狂わないためにも(死)は必要である。

3637. 正気で永生を生きるのは怪物である、ニンゲンではない。

3638. 永訣の朝と夕べがあるから(美)も誕生する。

3639. 病人は、病人のコトバで考える。老人は?老人のコトバで考える。なってみてはじめてわかること。

3640. 元気すぎる人のコトバは、病人のココロには届かない。

3641. 若者の、夢を語るコトバも夢を喰い潰した老人の耳には届かない。

3642. その身になって、考える-なかなか出来ぬことである。(ココロの距離)

3643. 死の淵にいる人に、声を掛ける。さて、どんなコトバが、ココロに響くだろうか?共時的な、体験のコトバか?「君は、確かに、居たよ、僕は知っているとも」

3644. 99パーセントのニンゲンは(人間原理)のもとで生きている。1パーセントのニンゲンが(宇宙原理)でも生きている。

3645. 視座が異なると、あらゆる(意味)が変わってしまう。

3646. 11次元を発見して、11次元に生きていると思っている人は、4次元に生きている人とは、(存在)の形が(存在理由)が異なって見えている。

3647. ニンゲンは(人間原理)で生きる限り、あらゆるものに(名前)をつけて、意味付けをする。

3648. (宇宙原理)で生きる人は、宇宙は、非・意味の世界であるから、ニンゲンを、特別視しない。非・意味の世界で、眺めている。

3649. ただし、ニンゲンは、非・意味の世界に耐えられない。意識で夢を見る。

3650. 光に遭遇して、何に会ったのか?誰に会ったのか?直観できる人は、わかる人は、どのくらいいるのだろうか?

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• 月曜日, 3月 22nd, 2021

3551. ニンゲンは、あらゆるものを(言葉)の世界に封じ込めようとするが、あらゆるものが放つ(コトバ)は(言葉)の外部世界にある。

3552. だから、不可視の「コトバ」を見るもうひとつの眼がいる。

3553. 千里眼、透視者と呼ばれた人は、確かにいたのだ。

3554. 共時的現象は、何度も何度も、私の身に起こっている。私は、その(コトバ)を視た。信じている。

3555. (事実)と(ジジツ)を見分けることだ。時空を歩いて。

3556. 来る(コトバ)を、アフォリズム化する身体は、楽しい。

3557. アフォリズムは「言葉」から「コトバ」に至る橋だ。

3558. 「言葉」という記号から不可視の「コトバ」という存在そのものに至るアフォリズムである。

3559. 「言葉」の向う側の「コトバ」を、透視してくれないか?

3560. 現象・事象は「言葉」ではなく「コトバ」だ。言葉として表現したものは(事実)ではなく(ジジツ)だ。

3561. アフォリズムの「コトバ」は「瞬間の王」と呼んでもよい。

3562. 光に感応する瞬間がある。青空に感応する。木に感応する。水に感応する。石に感応する。草に感応する。土に感応する。(私)とコトバの交流である。あらゆるものは、コトバである。もちろん(私)自身も。

3563. コトバの交換が、瞬間瞬間に現成して(私)の宇宙が顕現する。そして、コトバの海を漂うニンゲンである。

3564. (私)の中に木が立っている。おそらく、木の中にも(私)が立っている。まだ、木と(私)が一緒で未分化で、はるかな太古の時代の記憶が尾を引いている!!

3565. (声)の交信。コロナ禍の中で、旧友たちから便りが届く。手紙で、メールで。もう、長い間、会っていないような気がする。眩暈の後、昔日の、旧友たちの雄姿が甦ってきて。ホッコリとココロが温かくなる。又、会おう!!

3566. 逝ってしまった朋輩たちの残した、俳句、詩、作品、手紙、メールを読み返してみる。コロナ禍の中だからこそ、彼岸と此岸の通信が復活。

3567. 〇の中心に起って、〇を生きる。△の中心に起って、△を生きる。□の中心に起って、□を生きる。〇と△と□が合体する、その事象を生きるのだ。ひとつの宇宙を生きるとは、そういうことだ。

3568. 確か、「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」という古人の言葉がある。なるほど。絵画は色で、音楽は音で表現される。色と音は、一種のコトバである。あらゆるものは、コトバを放っている。「石」には石のコトバがある。いい耳、いい眼を持った人には、見えないものにも、コトバを発見する。(やはり、あらゆる存在はコトバであるか)

3569. 眼の前に、竹が一本あれば、(私)は、一時間、いや一日でも竹のコトバを楽しめる。他に何もいらない。

3570. 石であれ、木であれ、草であれ、小さなひとつの宇宙であるから、ただ、無(私)になって、眺めるだけで充分だ。放っているコトバに耳を傾ける。

3571. (私)を全存在に対して、開けっぱなしにしておくこと。あれやこれやの日々の関係を断って。コトバの風が(私)を吹き抜ける。

3572. ひとつの石ころをとことん考えることが、そのまま(私)とは何者かと考えることになった。そして、「内部の人間」を発見した。今、秋山駿のコトバが身に沁みる。石ころのコトバを聴くいい耳をもっていた。ひとつの石ころとして生き切った秋山駿。

3573. 宇宙の、あらゆるものが読まれている。なぜ?存在はすべてコトバだから。もちろん(私)も読まれている。何に?誰に?わからない。ただ、不思議だ。

3574. (私)とは何か?と問われて、(私)は「コトバ」で作られた者だと答える。

3575. はじめに、来た問いを、生涯持ち続けられる人は少ない。人はいつのまにか、(生きる)間に、セイカツの中で、その問いを、手離して、忘れたふりをして、握り潰してしまう。実に、もったいない。何も片がついていないのに。もう、終りが来る。

3576. 誰でも「人生の検証」が必要な齢がめぐってくる。内省し、検証し、残り少ない日々を、最後の一滴まで使い切ってしまうまで。

3577. ニンゲンは波である。「生」も「死」も。いい波の時もあれば、わるい波の時もある。どんな波でも(私)自身である。サイクルがある。わるい波の時には、ひたすら耐えて、ただ待つ。

3578. ウツの世界へ、ソウの世界へ(私)という波は、その頂点から底辺まで、バイオリズムとなって反復する。

3579. 足もとの深淵に魂も氷りつき、青空の高みに、恍惚となり、あらゆるものを味わってやれ。宇宙の(生)の一回性にかけて。

3580. ココロの波、海の波、重力の波、素粒子の波、あらゆるものは波という形のもとに、伝わっていく。(私)の原型は波。

3581. 文字という「言葉」を読みながら、いつも、その彼方に、深淵に、見えない(不可視の)「コトバ」を読み込むのが、「読書」の真髄である。

3582. 見えないコトバが文字=文章になる(書かれて)。だから、道をたどって、見える「言葉」から、見えない「コトバ」に至る。

3583. 見るは、読む、触れるの果てにある。もちろん、(考える)の向う側にある。

3584. 透視か?幻視か?見定められなくても、ニンゲンは、もうひとつの眼を信じて、(見る)のだ。

3585. 言葉の彼方のコトバを書ける作家が、いったい、何人いるだろうか?

3586. ヒトは、誰でも、生命宇宙という(私)を生きている。高い、低い、深い、浅いに関係なく、ヒトの生命宇宙は、等しく同じものである。

3587. しかし、実は、(私)という生命宇宙の位相は、意識するところのものは、どれも、ちがった貌をもっている。

3588. 同時代を生きているから、ヒトの意識は、時代の色に染められる。(ソレは表面である)

3589. それでも、生きる意識の位相は一人一人、異っている。(深層では)

3590. 誰かに訊いてみれば、すぐに、わかる。君は、いったい、どんな生命宇宙に棲んでいるのか?と。時空は、決して、ひとつではない!!

3591. (私)にも意識が届かぬところにも(私)がいる。

3592. 脳の力が届かぬところにも(私)がいる。

3593. よって、(私)の脳は、(私)のすべてではない。

3594. 生命システムの中の脳。

3595. もちろん、ココロは、脳を超えて在る。

3596. (私)の記憶も、私の部分にすぎない。記憶の間違い、記憶以外にあるもの。

3597. (私)全体は、細胞の、DNAのシステムをも、超えている。

3598. 誰も(私)に会うことはない。完全に。”絶対”という王が死んで久しい。

3599. ヒトが生きれば、どんな心境・思想に至るのか?文豪・夏目漱石は?「則天去私」神話へ。天才・荒川修作は?「天命反転」の思想へ。重田昇は?「一即無限」の心境である。存在を、世界を、宇宙を、表現してみた。私の思想となった。(旧友I君に、空海みたいだねと言われて)

3600. (現実派)の江藤淳は、社会化された(私)の「言葉」で、歴史・文学・芸術を語った。(誰にでも共通する言葉で)「私はひとつの石ころである」という秋山駿の「石ころ」が何か解らなかった。「内部の人間」である秋山駿は「ノートのコトバ」で生きていた。社会の「言葉」の向う側の「コトバ」は、存在そのものであった。江藤淳は、秋山駿を「極楽トンボ」と呼んだ!!

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• 月曜日, 6月 29th, 2020

3501. 今日も魂(プシュケー)という(私)を運んでいる。ビッグ・バンの風に吹かれて。(私)という不思議が、コズミック・ダンスを踊っている。

3502. 毎朝、柿の木の切り株を眺めている。もう、何百日も。切り株と(私)の間にある空間のひろがり、いつまでたっても、それが、何か、わからない。

3503. ただ歩くだけの、(歩く瞑想)。美しが丘公園までの、そぞろ歩き。

3504. ベンチに腰を掛けて、六月の深い緑を眺めている。水無月の樹木は美しい。眺めても、眺めても、眺めても飽きない。日が暮れる。

3505. 巨きな楠。一年中、緑の森。新しい芽が出て、葉が開くと一斉に、古い葉が落ちてしまう。四月から五月にかけて。眩しい。自然の歯車が廻っている。

3506. ニンゲンは(私)が持っているものを、使い切って、死ぬことができない。(私)は、私が考える以上のはるかな巨きな何者かであるのに。

3507. 生きる=セイカツをするために使った力が、すべてではない。その力は、ニンゲンが持っている力のほんの一部である。

3508. 眼の前の、空間のひろがりひとつも、充分に、考え切ることができない。時空のひろがりを漂っていて。

3509. 好奇心の塊りであるニンゲンは、宇宙の迷子であるという、その不思議が気に入らない。「(私)は私である」その思考のパターンが、納得できない。

3510. ニンゲンは、未完了のまま、(私)を終ってしまう存在である。

3511. 意識がなければ、ニンゲンは(時間)を認識できない。すると、(時間)とは、意識に写るものである。

3512. 「石」にも(時間)は流れる?時空に存在するもの、しないもの、すべて、意識された時、時空のひろがりがある。つまり、宇宙という時空は、意識が発見する。

3513. (考える)、モノを考える。(考える)ということを考える。存在が考えるのか?(考える)中に存在が現れるのか?

3514. 唯物論者?唯心論者?唯識論者?「空」論者?あなたは、何を選択する?

3515. 「在る」「無い」という二元論を捨てて、ただの「一者」になる。

3516. 「宇宙には、『完全静止』しているものは、何もない」少年の頃、そのことに驚愕した。地球も、太陽も、星々も飛び続けている。「石」は静止している。「木」はそこに立っている。「私」は部屋に坐り続けている。すべて「仮の静止」である。動の中の静である。(無常)だ。で、(今)も(ここ)もわからない。

3517. どんなに長く生きても、百年、千年、万年、ニンゲンが、(私)という小宇宙を、生き切る術はない。

3518. 宙吊り、切断、中断、浮遊、尻切れとんぼ、未完という「物語」を生きているニンゲン。

3519. しかし(私)は死なない。やはり(私)の死はない。

3520. 重田昇は百パーセント死ぬのに。不思議だ。

3521. どうも、(生きる)(死ぬ)という二者択一ではない、第三の方法があるのでは?

3522. (私)は、どうやら、(私)が思っているよりも(無知)である。あまりにも(私)は、不思議に充ちすぎている。

3523. 存在者であることからは(自由)にはなれないよ。ニンゲンだって、特別な存在者ではないからね。

3524. 結局、生きてみると、他人の足を踏んだり、自分の足を踏まれたり、「世間=社会」とはそういうものだから、ね。(関係の関係)

3525. 木や石も草も水も結局、ニンゲンと共生、共存するものだし、ウイルスだって、同じことだよ。

3526. 一緒に、共に、存在して、(傷つかぬ者)なんてないんじゃないか?

3527. 歩行は、いいね。いつも、何者でもない原点を、確認できる。(歩く人)ニンゲンの原型だ。

3528. カミが創造主で、万能ならば、(私)の外部に、カミが存在しなければならない。(私)の内部にいるものは、いったい何者であろうか?

3529. (私)の内部に発見したものも、カミであるならば、(私)もカミでなければならない。一即無限で、カミか?

3530. 外部、どこまでも、延長される外部、無限まで。それは宇宙という超球の自然であろうか?(スピノザ風に)

3531. 祖母は、光り輝く太陽をおひいさんと呼んで、毎朝拝んでいた。カミさまである、と。(なるほど、生命の源だ)

3532. (私)は、超球の宇宙を、カミと呼んでいる。(祖母と似たようなものだ)

3533. 結局(私)は、「入我我入」「相依相関」を生きる存在者か?

3534. 木も、また、歩行しているのに、ニンゲンの粗い眼には、木の歩行が見えない。

3535. 時空のひろがりがあるだけなのに、ヒトは、時間を探したがる。

3536. 日が昇り、日が沈む、明けない夜はない。(ソレは地球だけのこと)

3537. 日は昇りつづけ、昼だけの星。日は沈んだまま、夜だけの星。(宇宙には、そんな惑星があふれている)

3538. まだ、紫陽花は、緑の花、白い花、六月の長雨の中で紫となる。今日は5月31日(色の移ろい)

3539. ニンゲンは、(私)が考えているよりも、10倍も、100倍も素晴らしい。超(スーパー)システムである。

3540. 普通に生きている(私)は、実は(私)をよく知らない。ほんの一部分を使って、平気で、生きている。

3541. 生きていくための、仕事、セイカツの苦労ばかりが語られる。本当は、(私)という存在全体が、新しく、発見されなければならない。

3542. つまり、社会に生きる(私)から、そろそろ、存在そのものを生きる(私)へと、視点を移すべきである。

3543. 未使用の(私)が眠っている!!

3544. もったいない。(私)は、ココロの流れすら知らない。なぜ、モノが、コトが(わかる)かも、知らない。

3545. ニンゲンが(私)の中から掬いあげられるコトバは、ほんの、わずかなものかもしれない。大半は、一瞬、光って消え去ってしまうコトバ群である。

3546. 耳を澄ましても、眼を見開いても、コトバたちは、量子のように(私)の中を通過していく。

3547. 器、形のあるものは、雪崩れをうって(無)へ。

3548. 道を支えている、見えない道。

3549. (一緒に、共に、みんなで、手を取りあって)を合言葉に、汗を流して、苦も悲も乗り越えて、(生)を楽しんできたニンゲンである。(一人では出来なくても、二人なら、大勢でなら、と)突然の新型コロナ・ウイルスの登場で、セイカツの習慣が壊されて(独りで、離れて、ステイ・ホームして、仕事は家で、談笑する口も見えない、マスクをして。)新しい生活スタイルは、ヒトとヒトを切断する。

3550. (触る、撫でる、手を組む、抱く、面と面でむかいあって、息を吐く、耳元で囁く、合体する)ニンゲンを知るための、行為が、旧き、良き時代の習慣になってしまう!!(もう、元に戻らない)新しい生活習慣は、ニンゲンの美点を殺してしまう。(本当に、それで、いいのか?)

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• 木曜日, 4月 30th, 2020

3451. (私)から、どれだけ離れて生きるか、それが問題だ。もちろん(私)を消し去るに越したことはないが。(無私)

3452. (生)の達人には、どうやら(私)がない。達意の文章にも(私)がない。コトバだけが、存在している。

3453. 最高の文体は(私)を消し去ったものである、ただ、意識だけが呟いている。コトバの宇宙である。

3454. 誰が生きているのか(死んでいるのか)何が生きているのか(死んでいるのか)見定めようとしても無理だ。

3455. あれかこれか断言できた時は、まだ、ニンゲンは、ゆるやかに生きていた。今は、あれかこれかとさえ問えない時代である。書かれたものの一番はじめにあったコトバまで冥い。

3456. (私)は、私が考える以上のものである。ゆえに、私などに固執してはいけない。

3457. (木)は、木を生きている。(木)は、いつも見ている木以上のものだ。

3458. (私)を考える、と、私以上のもので(私)は構成されているのがわかる。

3459. 閑かに、静かに生きて(私)の中へ。(私)は、私以上の宇宙であるから。

3460. ヒトは、見えないものを畏れて、不安になり、パニックを起こしてしまう。放射能・3.11の。新型コロナウイルス。そして、ココロ。

3461. 狂う、破綻する、その一歩手前で立ち止まれ。

3462. (他人の死)ばかりが見えていた。新型コロナウイルスは(私の死)を直接、見せてくれる。ゆえにヒトは恐怖に捕らわれる。

3463. (私)があるのではなく(書く)作品の中で(私)が作られていく(バタイコ)のコトバ。

3464. (私)には、完全に作品を作る力はない。書かされている中から、(私)が出現して、作品を作らせられるのだ。

3465. (私)に来るコトバを、(私)自身は、制禦できない。

3466. 意識が考えるよりも、はるかに多くのものが勝手に(私)に来ている。

3467. だから(私)を開いていおいていつでも、来たものを、できるだけ正確に、コトバに変えるだけだ。ゆえに、作品は作家を超えてしまう。

3468. ニンゲンは、全員、刷り込まれたコトバで生きる。どんな天才でも。

3469. 白紙はあらゆるコトバを吸収する。子供は、誰でも、白紙から出発する。しかし、妙な大人が、手を入れる。で、子供のココロは、歪んで、死んでしまい、普通の大人になってしまう。

3470. 世間の人になる。社会の人になる。地球の人になる。もっと、もっと、もっと、宇宙そのものを呼吸できたのに。

3471. 子供のココロには、誰でも、ビッグ・クエッションが発生する。ニンゲンは、なぜ死ぬの?宇宙はどうして誕生したの?(私って何なの?)そして、いつもまにか、ビッグ・クエッションは、忘れ去られて、封印されて、子供のココロから消えてしまう。普通の大人になる。

3472. 脳の記憶よりも、生きている(私)の記憶はもっと大きく深い。他人の、私の記憶など断片である。

3473. (考える)は決して抽象ではない。意識にとっては、いつも具体的なものである。だから(考える)は(生きる)そのもののことである。

3474. わからないことだらけだから、ニンゲンは、(考える)。(生きる)も(死ぬ)も、わかる訳がないから。

3475. 「色は色じゃないんだ!!」アラカワ(荒川修作)のコトバは、実に、禅的である。極彩色の「三鷹天命反転住宅」を創ったアラカワである。

3476. 何が難しい?(私)を、いつまでも、開けっぱなしにしておくことだ。存在の自由度。知識や習慣を学習して、常識を身につけると、あとは(仕事)ニンゲンになって、生きてしまう。つまり、(私)という存在を閉ざしてしまう。開けておけ、開けておけ、(私)を!!

3477. いつまでも、危機の斜面に(私)を立たせ続けること。新しい(私)は、その中から起ちあがる。

3478. 普通の、平凡な日常の中にも無数の危機の斜面がある。見方、考え方、五感の使い方、意識のあり方で、それがわかる。

3479. 新型コロナウイルスのパンデミックは、ニンゲンをパニックに陥落させた!!(他人の死)が直接(私の死)に変化したから。

3480. 狂いもせず、破綻もせず、どうやら古希まで生きてきた。それだけで、もう、大変な道程。充分である。あれやこれやは、言うに足りない。

3481. (私)が私と、正しく関係を結ばねば、ニンゲンとしては生きてゆけない。怪物になる。

3482. 漂流する夜から、朝の時の岸辺に打ちあげられた(私)を発見する時の、あの感触、「今日も一日、生きてゆける。」生きられる時間を手に入れた。

3483. 社会に生きる(私)、世間に生きる(私)、セイカツである。しかし、セイカツする(私)は、存在者としての(私)の、ほんの一部である。もっと、全的に(私)を生きろよ!!(仕事)が(私)だなんて、つまらない。

3484. 一分一秒の休みもなく、絶えず(私)を(今)へと吹きあげているエネルギーがある。エントロピーと呼んでもよい。

3485. (私)は(今)という岸辺の縁りで、呼吸している。何時(今)から滑る落ちるかもわからない。まあ、ひとときのことだ。我慢あるのみ。

3486. いくら考えても、よくわからない(私)の(今)である。水から泡が吹きでるように(今)へと勝手に解き放たれた。不条理だと怒ってみてもはじまらぬ。

3487. で(ここ)はどこだ?(私)は誰だ?と疑っても、闇から闇への問いである。食べて、歩いて、働いて、寝て、一日のニンゲンのリズムに身を任せている。空虚をかかえたまま。魂のリズムだけがある。

3488. 宇宙地図には(私)がいない!!なぜ?(私)という視点は、私の内側にしかないから。誰か、何かが、外からの視点で作った地図の中に(私)は入れない。

3489. (今)も(ここ)も、(私)を抜きには考えられない。(私)のいない(今)も(ここ)も、実は、存在しない。

3490. ゆえに(存在)とは、(関係)の中にしかない。

3491. (私)が地図である。そんな(存在)は、果たして、可能であろうか?

3492. (私)をマッピングする。その(私)は、瞬間に(私)の外になる。

3493. (私)のいる場所、(私)のいる時間、それは、宇宙のどこでもない。決定できないから。

3494. 前(過去)とは後(未来)が。「ある出来事がほかの出来事の前でありながら後でもあり得る」(カルロ・ロヴェッリ)過去は未来で、未来は過去

3495. 過去=過ぎ去ったものも(今)に参入できる。未来=まだ来ぬものも(今)に参入できる。

3496. 一歩を踏み出すためには、未来が見えていなければできない。

3497. 思い出すためには、過去を(今)へと連れ戻さなければ思えない。

3498. 過去も未来も(私)の中で入り混じって、ひとつの現象になる。区別はない。ただ想うものだ。

3499. ニンゲンの、眼も、思考も、五感も、実に”粗い” その”粗い”眼で見て、”粗い”思考で考えて、生きねばならぬ。辛いことだ。

3500. 見えないものばかりがあふれている。一歩先のセイカツも。宇宙も。しかし、透視する。見者になる。

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• 火曜日, 12月 17th, 2019
3401. 蟻が大河を渡っている。蟻が山を引いている。ニンゲンが銀河をめぐっている。ニンゲンが他の宇宙へと翔んでいる。

3402. (私)の呼吸を、宇宙の呼吸に合わせること。そのチューニングが一日の(私)の仕事である。

3403. コトバで書けると思っている作家たち(可能性の作家)コトバでは書けぬと思って書いている作家たち(不可能性の作家)

3404. 「石」に魂を奪われた人たち。宮沢賢治、秋山駿、石牟礼道子、吉増剛造、「石族」である。共通点は「無私」。(私)も「石」へ。

3405. 「無関係」は21世紀にはない。一切が結ぼれの中にある。

3406. いつのまにか、眼ではない、コトバで、モノを見ている。コトバに染められて。

3407. (悩み)のないニンゲンなどいない。だから(家)にも、必ず、ひとつ、ふたつの(悩み)が発生する。

3408. 幸せは長続きしない。不幸はいつまでも(傷)となって残るのに。

3409. 歩いて、大きな楠の下で放心して、瞑想して、そぞろ歩きをして、帰ってくる毎日。釈尊は菩提樹を仰ぎ見て、瞑想して、そぞろ歩きをした。気がつくと、(私)も自然に、釈尊の真似をしていた。なんだか、おかしい。
(そぞろ歩き→仏教では<経行>)

3410. アフォリズムは「存在の」のっぺらぼうを赦さない。

3411. ニンゲンの最後の仕事は、あらゆるものに、名前を付けることである。山に、川に、草に、木に、魚に、鳥に、昆虫に、石に、感情に。思考に。2000億個の銀河に。2000億✕2000億個の太陽=恒星たちに。恒星を廻る惑星たちに。

3412. 名前がすべてである。宇宙は名前であり、コトバである。

3413. 文字にも、声にも、どこまでも深める道がある。コトバの道は無限だから。

3414. 見る。(私)の眼で見る。意識の眼で見る。(無)から来たものも。

3415. 見るものを、すべて、コトバに変えるレッスンをしていた時期がある。

3416. ニンゲンから(名前)を抜き取って、匿名にする、単なる数にする。そして、残された、最後の、自由の(内面)さえも、ココロや意識を染め変えて、ニンゲンの尊厳を消し去ってしまう。そんな、暗い時代が到来する予兆が(AI)にはある。

3417. 正しい判断を下して、正しい基準を作って、正しい行動を決める。ニンゲンが行うのではなく(誤ちを犯すから)すべて間違うことのないAIが命令する。そして、その速度、正確さに負けてしまったニンゲンは、ただ、従うだけとなる。いったい、誰が?何が?生きているのか?

3418. ニンゲンは、何かに、迷い、悩み、苦戦して多くの誤ちを失敗の経験からなんとか、より良い(今)を、工夫し、選択して、生きている。
AIには、失敗も誤ちもない。膨大なニンゲンが与えたデーターの中から(正しい解)を選び出す。そのうちに(AI)は、自由に(考える)力をも兼ね備え、新しい(存在者)・(生きもの)となるだろう。

3419. 社会に生きている(私)、仕事をしている(私)よりも、生命記憶としての(私)は、深く、深く(私)を生きている。社会的な(私)などが知る由もない生命記憶としての(私)。

3420. 意識に浮びあがる日常の(私)よりも、40兆の生命記憶である(私)は、深淵をたたえている。

3421. その深みへと、意識を離れて降下していくと、(私)は、宇宙と同じくらいの、(不思議)として、横たわっている。

3422. さて、その深みへと降下するためには、歩き続ける、瞑想する、呼吸になるなどの、単純だが生命記憶を揺さぶって、あらゆるものの根源に達する方法がベストである。

3423. 今日は、意識が火照っている。

3424. 過剰な意識は不眠を呼ぶ。ほとんど病いと同じことだ。

3425. 意識が無限回転すれば、ニンゲンなど食い潰されてしまう。

3426. 歩行のリズムの中へと逃げる。(私)が消えて、リズムだけが残る。

3427. 時には、身体の疲れが必要だ。(考える)力もないほどの疲労が。そして、ただ(存在)している石になる。もちろん、目覚めはある。

2428. コトバよ、量子のコトバとなって、死者たちの耳にも届けよ。

3429. テレビ、パソコン、スマホで、画像を見る、文字を読む。終日、ニンゲンはそれらの情報に振り廻されている。いわば、虚の空間、虚の世界で生きている振りを強いられている。実に、滑稽な演技である。

3430. もちろん、実体には触れないセイカツである。香りも手触りもない。思考することもない。深く考えることもなく、反射している神経と意識。

3431. ああ、一歩、ただ歩くために歩く一歩一歩があれば、百や千の情報の、ネットワークの闇から抜け出せるのに。

3432. もちろん、ニンゲンは、いったい、自分が何をしているのかを知らない。ただ、浮遊している。半分死んでいる。生きているとは言えない。

3433. (私)は、小説を書くのではなくひとつの宇宙を書くのだ。

3434. ニンゲン中心ではなく、木も水も風も石も鳥も魚も山も川も海も空も一切が共生しており、相依相関の中にあるひとつの宇宙。

3435. 文字を書くのではなく、文字に至るコトバを書くのだ。一切の現象、事象が放っているのがコトバだから。

3436. 眼は、見えないものを透視し耳は聴こえない音を幻聴し形のないものには、ココロの指で触れる。もうひとつの宇宙を顕現させるために。

3437. ニンゲンは、まだ、宇宙の百万の一も知らない。宇宙は、コトバで書かれたものであるが、さて、ニンゲンがそのコトバを読み切るまで、滅びずに、生き延びられるか!!

3438. “今”を意識という光で射すことはできるが、射した瞬間に“今”は時空を移動してしまう。永遠の宙吊りだ。

3439. 現象としての(私)を、今日も、普通に生きている、重力に縛られたまま。

3440. “私”を一切から解き放つのは容易ではない。凡庸な日常という着物を脱がねば。

3441. とりあえず、ニンゲンに必要なものは、まったく新しい“ビジョン”である。

3442. ニンゲンなら、誰でも、一人にひとつずつ(ココロの水準器)を持っている。意識という光がそれにあたると、必ず(ココロの水準器)は方向を示してくれる。だから、(ココロの水準器)は、自然に保つべきなのだ。自らの魂を磨くように。決して、狂わせてはならない。

3443. モノを書く者なら、必ず、(コトバの水準器)をもっている。コトバの種子が、コトバそのものになる時、その人の根源において(コトバの水準器)が働いて、意識が触れるものを、適切な、正しいコトバに変えてくれる。ココロを無にしておれば。

3444. 一人のニンゲンが、(私)が、時代に、歴史に、宇宙にぴったりと重なったと思える時が来るのだろうか?何時も、ココは、(私)の場所ではない。今は(私)の時ではないと感じ続けて生きてきた(私)が???終に(私)が私に重なる時がなかったなら、(私)とは、いったい、何者であっただろう。

3445. (私)=非私・・・そんな存在のあり方は、宇宙に、突然、偶然、放り出された者の、差異、ズレ、遅延からくるものであろうか?

3446. 何時までたっても、決して、追いつくことがない、光という乗り物に、永遠に乗れないという感覚。(私)の外部に在る私。

3447. 量子にも意識はあるのかという問いに、量子の無数の塊りである(私)が答える。「もちろん」と。

3448. 「一即無限」である。(一=無限)一が無限でもあるという数の魔。一瞬が永遠であるという時間の魔。

3449. (無)から一切が顕現する不思議の空間、場の魔。

3450. ただ、ただ、不思議を生きるしかない(私)という宇宙。