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• 火曜日, 11月 04th, 2008

阿波市は四国を代表する、吉野川の中流域の北岸にひろがる市である。旧吉野町、旧土成町、旧市場町、旧阿波町が平成17年に合併した、新しい市である。人口約4万3000人。私は全国を歩いて、利根川・信濃川・北上川・石狩川など、日本を代表する見事な川をたくさん見てきたが、河口の水量は、四国三郎・吉野川が日本一だと思う。いや、水量ばかりではなく、その姿も堂々としている。

出身地はどちらですか、と訊かれる度に、私は「徳島県です」と答えて、すぐに「徳島と言っても、私の郷里は高知県と徳島県の県境にある宍喰(ししくい)という町です」と応えることにしている。半農半漁の、美しい静かな過疎の町だ。

同じ徳島でも、私たちは徳島市の人からは、南の人ですか、人がおおらかで、人情味があって、やさしい人が多いですね、と言われる。つまり、田舎の人である。のんびりしている。

だから吉野川を中心にひろがる市町村のことはよく知らない。旧池田町まで、車で町々を尋ね歩いたことが一度あるくらいだ。

しかし、徳島から高松へ出て、岡山廻りで東京に上京する際、いつも洋々と水をたたえた吉野川の姿には眼をみはったものだ。

四国は、徳島(阿波)、香川(讃岐)、高知(土佐)、愛媛(伊予)からなる島であり、瀬戸大橋が完成するまでは、舟で本州に渡った。

今では淡路へ、今治へと大橋が3本も架かって、電車やバスや車で本州へ道路を通って、通うことができる。

瀬戸内海はもちろんだが、太平洋側の徳島、高知も、陸の道以上に、海の道が発達していた。いわば海の民、海洋民族である。

フェリーで大阪へ、和歌山へ、神戸へ、岡山へと、四国の人々は海の足(海の道)を利用してきた。

同じ四国でも1県1県、風土や気候はもちろん、言葉づかいや単語までちがう。いや、同じ県でも、南と北、都市と地方では、その差が大きい。県外の人がきけば、同じように聴こえても、地方に住んでいると、隣の町の人とも、微妙に、言葉がちがう。方言は本当に風情のある言葉だ。

言葉は正に生きものである。その土地の文化や伝統や習慣が作りあげてきたものが、方言だ。血の通った言葉である。表情も微妙なニュアンスまで伝わる。私たちの少年時代は、その方言を学校で修正されたものだ。標準語が正しく、一番いい言葉だ、と教えられた。あれは、いったい何だったのか?

日本には今でも、何千もの方言が生き生きと使われているだろう。統一化は便利かもしれぬが、味わいというものが消えてしまう。

宍喰を7時17分に出発して、特急・剣山に乗り、阿波・池田方面へと向かった。美しい海を右手に眺めながら、快晴の空の下、電車はいくつものトンネルをくぐり、川を、橋を渡り、平野を横切って北上する。

快晴と言っても、都市の快晴とは訳がちがう。山の稜線、樹木の1本1本がくっきりと見える。光の強度がちがう。風が吹き、草花も、石までが浮かびあがっている。透明な水が流れて、泳いでいる川魚の影が、川底に写っている。

特急といっても、東京の快速くらいのスピードで、ゆっくりと、眼で風景を楽しめるのだ。徳島駅に着くと、特急で約30分、普通で約1時間のところに阿波市がある。

電車は、徳島平野を流れる吉野川の南岸を走り続ける。左手に低い山脈、右手には広大な徳島平野。電車からは、残念ながら吉野川は見えない。鴨島、川島を過ぎて、JR阿波山川駅にて下車する。無人駅である。山が接近してきた。阿波市役所までは、タクシーで約10分である。

12月3日。

今日はヘルスアップ事業の予防教室がある。徳島大学の田中俊夫先生による「1分間運動からはじめる糖尿病予防」が開かれる日だ。(つづく)

Category: 紀行文, 徳島県
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