Archive for the Category ◊ 新刊 ◊

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• 金曜日, 6月 18th, 2010

手軽に読めて、ズキンとくるこのあなどれなさがいい。ワクワクする。これは、高度な挑戦だと思います。どうも「エクリチュール」の極限は、このアフォリズムに尽きるのではないでしょうか。
未知との遭遇に向かって突き進んでいる、何かの暗号・コードに招かれている神聖な行為(創造・創作)メッセージを感じされられます。感動ものです。

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• 金曜日, 6月 18th, 2010

約千にのぼるアフォリズム集、いちおう目を通させていただきました。
まるで惑星の煌きのように、ひとつひとつが自在な輝きを放ちながらも一定の運行の下にコントロールされた、まさに重田ワールドが眼前にせまってくる思いでありました。

それは、感服であったり、共鳴であったり、戦慄であったり、瞠目であったりしますが、貴兄の思考・思弁の軽やかなダンスに魅了されていることに他なりません。

小生の勝手な希望を言わせてもらえば、このアフォリズム集に、素晴らしい挿絵があったらな・・・ということです。
たとえば、ミロの絵のような明るい抽象的な、リズム感のある挿絵があれば、相乗的に重田ワールドの魅力がさらに広がるように思うからです。

出版を心から待望しております。

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• 土曜日, 7月 04th, 2009

「人間は、いつまでたっても、私という不思議を生きている、ひとつの現象だ。人の心はもっと不思議で、どのようにして作られ、どのようにして変容していくのか、自分自身でもわからない。」
著者は、私淑する秋山駿の著書への書評の冒頭にそう書き記している。本書には、紀行文やエッセイ、対談、講演、詩、小説などが詰め込まれていて、作者の姿のさまざまな側面を知ることができる。

ヘルスアップ事業を支えて全国津々浦々をたずね、車に依存している地方の老人達との交流や、母校での講演の記録などを読むと、作者が自ら足を運んで、じかに触れ合うことで、生きることの意味を、社会に対して、また作者自身に対して問い直すかのようだ。問いを投げかける根っこには強い信念がある。

形面上的な詩の言葉に、たとえば実験室のような閉じた空間で無心に精錬された言葉がありうるとしたら、本書を紡いでゆく言葉はその対極にある。作者という社会的な現象を、その、歩いて、笑って、考えたことがそのまま、粉飾されることなく、言葉になっている。

健康予防の側面から、機能としての生命をとらえる方法と、冒頭に引用したような心のありように踏み込んでゆく方法とを綯い交ぜて、現代を生きることの意味を探ろうとする。

大いに歩き、大いに笑うことを、どこかに置き忘れて生きてはしないか、と本書を読んで私は思った。歩いて考えてみよう、歩くことが生きることでありうるのだから。

 「詩と思想」(7月号)

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• 木曜日, 4月 09th, 2009

70年代から現在までの激動の時代相を如実に浮かび上がらせる

1970年、早稲田大学在学中の著者は、「早稲田文学」で文学への一歩を踏み出した。当時、東京大学安田講堂の攻防戦を境に全国の大学での全共闘の学生運動は急速に衰退しつつあった。

この当時、大学にあって60年安保闘争以来の学生運動の渦中にあった筆者が振り返ってみると、70年の大学キャンパスには学園闘争の余熱と虚無感が漂っていた。

著者重田昇はそういう時代を呼吸し、その翌年(71年)に最初の長篇「風の貌」を完成した。仄聞するところによると、「風の貌」は著者の親友の不条理な夭折がこれを書かせたという。

この重く暗い第一作の長篇は椎名麟三や梅崎春生の諸作に通うものがあった。

以後、彼は長い沈黙の時代を過ごし、1986年(昭和61年)に「現代けんこう出版」を立ち上げる。高齢化社会を見通しての設立であった。いまでいえばベンチャー企業の嚆矢であった。

今回「歩いて、笑って、考える」に収められた諸篇は、1993年(平成5年)から2007年(平成19年)に発表されたものであり、全七章、紀行、対談、講演、詩、書評、エッセイ、小説を収めるきわめて特異な一冊であることから、あえて、「重田ワールド」と呼んだ。

さて、著者重田昇からすれば、第一に巻末小説「霧箱」から読んで欲しいだろう。しかしながらこの長篇は第一章のみで未完に終わっている。都心から程遠くない、かつては不毛に近い農村が半世紀余を経て東京のベットタウン化した地方小都市に生きる老若の人びとの思いを描くこの小説は、いまを生きる市井の人びとが思い描く明日を描いてゆくものだろう。著者は還暦の60歳。現代文学を牽引してきた来た辻井喬は還暦を過ぎてから「終りからの旅」「父の肖像」などの名作を発表している。60歳を契機として事業から退いて文学に賭ける重田昇は決して遅い再出発ではないだろう。

しかし、この「重田ワールド」は小説「霧箱」から入っては迷路に踏み入れたように、読者を困惑させるであろう。むしろ、第三章の講演「生きる元気の素」から読むことを奨めたい。

これは、母校徳島県立海南高校80周年記念の講演である。因みに書けば、著者の高校在学中に海南高校は春の選抜全国野球大会で優勝を遂げていることを語る。ここでは著者の生い立ち、哲学を語る。つまり作者重田昇の自画像を語るのだ。これは自己を客観化する文学の師秋山駿に学んだ私小説の方法なのであった。ここを起点にすれば、著者が歩いた紀行文(第一章)の鮮やかな描画の秘密が容易に理解可能になる。

特に第六回の大阪府岬町の章が印象深い。岬町行では新宮出身の中上健次の思い出が綴られている。そして、岬町の風土が的確に輪郭正しく描出される。紀行作家たちのような情緒の感傷はない。秋山駿が著者をいかに酷しく鍛えたかがうかがわれる。

このことは第二章の対談・座談会の章で明かされている。「知識や観念の言葉ではなく、自分の言葉で」「現実に生きている風景を」という師のことばをそのまま実践している文が巻頭の紀行の諸篇であった。

第三章の座談会からの発展は第五章の書評、殊に秋山駿の「神経と夢想」「私小説という人生」の批評に深い洞察眼が見られる。これは第六章のエッセイ「言葉の歩行」に引き継がれる。ということは、第二章の対談がこの「歩いて、笑って、考える」の重田ワールドの基軸なのだ。第六章では著者の経営する「現代けんこう出版」での意図「ヘルスアップ」の理念を説いた短文が収められている。文学から遠いテーマであったが、唯一、「三島由紀夫の行動変容」が興味深かった。ここから著者の「三島由紀夫論」が書かれたならば、いかなる作家論となるかとふと、思った。

最後になったが、第四章の詩に触れる。ここに収められた六篇は旧作の「四季幻想」を除いて「詩と思想」に発表された。生来の散文家であると観ていた筆者には著者の詩は初見でもあり、意外でもあった。「ビッグ・バンの風に吹かれて」は長篇小説「ビッグ・バンの風に吹かれて」(1991年)の主題の詩化であろう。

井上靖ならば詩「猟銃」は小説「猟銃」へとなるが、これは反対に小説から詩へである。六編の詩中、「いるからあるへ」は「弟・実への鎮魂歌」の副題のある散文詩。ここには文学の装いのない重田昇の心情がそのまま写されていた。

六編を読了して、率直にいえば、これからはやはり散文家の詩ではなかろうか。

しかし、筆者は詩を書く重田昇という知られざる一面をこの著書で知った。

この重田ワールドはその文学的生涯を語りかけることによって、70年代から現在までの激動の時代相を読者の前に如実に浮かび上がらせてもいる。

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• 木曜日, 4月 09th, 2009

海陽町出身で作家の重田昇さんが、紀行文やエッセーなどを収録した作品集「歩いて、笑って、考える」(図書新聞刊)を出版した。7章構成で、バラエティーに富んだ内容となっている。

3章では、2002年に母校・海南高校の創立80周年で「生きる元気の素」と題して講演した内容を掲載。「歩く」「笑う」「考える」の3つを支えに生きてきたとし、言葉や夢、ビジョンの大切さを説いている。

生活習慣病の予防を促す「国保ヘルスアップ事業」で阿波市など全国を回った際の紀行文をはじめ、詩やエッセーなども盛り込んでいる。重田さんは「生きるための基本を考え直してもらうきっかけになれば」と話している。

重田さんは早稲田大学在学中から「早稲田文学」などに作品を発表し、卒業後に小説を出版。昨年には1986年から経営していた出版社を譲渡し、作家活動を本格化させるという。

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• 水曜日, 4月 08th, 2009

正に、帯文のように雑誌のような「本」で、しかも昇華された思惟が真に溢れて熟読しております。

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• 水曜日, 4月 08th, 2009

いろいろなスタイルの文章を読ませて頂いて、言葉は豊かなメッセージを持っているのだなと感じ入りました。
詩「いるからあるへ」は最も感銘を覚えたページです。

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• 水曜日, 4月 08th, 2009

各ジャンルにわたり、それぞれにおいて本物の文章と無類の言葉の力に接し、感銘を深めました。

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• 水曜日, 4月 08th, 2009

読みやすい文章で、紀行文もエッセイもあっという間に読んでしまいました。
重田ワールドのこれからが楽しみです。
2~3年後に、直木賞にエントリーされる作品が誕生することを待っています。

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• 水曜日, 4月 08th, 2009

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