Archive for the Category ◊ 荒川修作への旅 ◊

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• 金曜日, 1月 31st, 2020

八月の光の独楽が青空に廻っている夏である。朝から熱の風が吹いている。やれやれ、汗の中を、終日、歩き廻らなければならない。ホテルを出ると、駅は眼の前だ。養老鉄道である。切符を買って、構内に入る。小さな電車が停まっている。ものの2~30分も乗れば、目的地・養老駅に着く。乗客は、2~3割で、自由に好きな席に坐れた。
「ただの水が酒に変わって、何が悪い?何が不思議だ!!ただの水が、なぜ体液になるのか、言ってみろ!!」
アラカワの声が耳の底に響いている。「「石」をパンに変えた人もいるのに」
「幻種」を交配する。あらゆる形は変化する。どのようにも。だから、形などないのだよ。幻である。その「幻種」を交配させる場が、「天命反転地」なのだ。目的ではない。単なる手段だ。
「形」は、ニンゲンがとりあえず見るための「方便」だ。誰にでもわかるように。本当に、大事なのは、見えないものだ。「形」は、いわば、対機説法のために、あるようなものだ。(日常)を生きるニンゲン、君たちのために。
アラカワの声と(私)の思考が混ざりあって、見定めがつかなくなる。大言壮語とも受け取られ兼ねない、アラカワの声は、反芻してみると、実は、ニンゲンにとっては「ビッグ・クエッション」である。
アラカワの発想の根には、いったい、何があるのだろう?おそらく、あらゆるものを疑え(デカルト風)という規則がある。しかし、アラカワは「私は私である」というコトバを認めない。「考える、だから、私がある」というデカルトの声にも反撥する。
もちろん、「(私)は実在である」というサルトルの声にも、NOと言うだろう。アラカワは、眼も信じていないから。見る?何を?どういうふうに?アラカワは(眼)をも殺してしまう。ニンゲンが、日常で、習慣化してきたモノの見方、感じ方、考え方を、否と否定する。アラカワは、原子の人ではなくて、量子の人である。
だから、「天命反転」を主張する。不可能に挑戦する。人類が、地上に、1400億人も生れたのに、まだ、誰一人、向う側から帰って来た人はいない!!「不死の人」もいない。
”仙人”になろうとした、芥川龍之介の小説「壮子春」も、”仙人”を断念してしまった。アラカワは、養老の地で、”仙人”になる道を実験する!!”不老不死”の夢の実現!!
ヒトは、あらゆるものを、「人間原理」として、生きている。そして、死んでいく。アラカワは「宇宙原理」へとステップする。
考えてみれば、ついこの間まで、夜空に、たったひとつ輝いていた星は、ハップル望遠鏡の発明で、2000億個の星の集り。銀河と判明した。まだまだ、ニンゲンは、宇宙の百分の一もわかっていない。
”眼”も”実在”もアラカワは信用していない。一切が当てにならない。とにかく、独力で、一から考えて、実行する。「天命反転」を企てて試みる。
アラカワは、たったひとつの単細胞が多細胞になり、魚になり、鳥になり、哺乳動物になり、猿になり、ニンゲンになるーその進化の40億年の進化の時間を、今、ここで、成し遂げたいのだ。自分の手で、ニンゲンからxを出現させたいのだ。
ゆらり、ゆらりと養老鉄道の小さな電車に揺られて、夏の青空の下にひろがる、街を眺めながら、小さな旅は続いた。
吹きあげてくるコトバの群れに身を委ねていた。眼に写る風景も、夏の光の下では、幻に見えた。熱風が時空を吹きぬけている。
”養老駅”に到着した。アラカワへの旅は、なかなか、直線的には進まない。時空はゆがんでいる。そのゆがみに添って、歩を進めるしか術がない。
駅前広場で”看板”に描かれた地図を見た。ゆっくりと、山の上へ、坂道を歩きはじめた。眼の前に“養老天命反転地”が顕れるはずだ。汗が流れる夏の日和である。

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• 火曜日, 12月 17th, 2019

荒川修作が、私のココロを掴んで離さない時期があった。不思議な人である。
空海、井筒俊彦と並んで私は、日本人の三人の天才と勝手に呼んでいる。
可能なことに挑戦するのが秀才たちである。不可能へ挑戦する人が”天才”である。(99%の人が、断念して普通に生きる)
荒川修作は、天(宇宙)の法則そのものを、反転させ、あたらしい地平を築こうとした。もうひとつの宇宙を創造する。”私は死なない” ”死ぬのは、法律違反である”と。

岡山県奈義町を訪ねて、数年後に、岐阜県養老町を訪ねるチャンスがあった。
もう、何年になるか?十年は経っているか?時間感覚が波打って、その時の年、月日が、頭から消えている(本当に「時間」は存在するのだろう?荒川さん)
ある夏の、八月に、故郷、徳島県の片田舎の、宍喰にある、老人ホームへ、母を見舞った時があった。
四国から、東京へ、そのまま直行して帰るのも芸がないと思って、岐阜の養老町の”天命反転地”に立ち寄ることにした。
急ぐ旅ではない。ゆっくりと、ゆっくりと旅をすれば、歩けば、”モノ”たちは一番ハッキリと見えてくる。
バスに乗り、汽車に乗り、高速バスで本州へ渡り、大阪から一番遅い電車に乗って、街や山や川や田園を眺めながら、岐阜大垣へ向かった。

いったい、荒川修作は、養老の地で、どんな”天命反転地”を創造したのだろう。長い間、その現場に行くことを夢に見ていた。
”荒川修作”の思考回路、思想を知るには、とにかく、「天命反転地」を自分の足で歩いてみるしかない。「本」を読んでも絶対にわからない。体験なしに、荒川修作の軌跡はたどれない。

電車は、大阪、京都の街を過ぎ、山々や田園の広がるのんびりとした風景の中をゆっくりと走っていく。
眼が楽しい。スピードは、遅ければ遅いほど、風景の中に点在するものたちが、身体の中へと入ってくる。
”関ヶ原”を通れば、天下分け目の”関ヶ原”の当時の合戦の模様が、くっきりと甦ってくる。眼を彼方へと泳がせて、時間の壁を超えて、透視する。あれやこれやで頭の中がいっぱいになる。(時間の反転は?)

約七時間で大垣に着いた。夏の夕方は、まだ、日が高い。大垣は、芭蕉の「奥の細道」の結びの地である。駅前のビジネスホテルに予約して、水の街、大垣を、芭蕉の影を探して、散歩に出た。
街に水路が走り、湧き水のある風景の中を、汗を拭きながら歩いた。芭蕉の銅像があり、記念館があった。
”蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ”(最後の俳句)
その夜は、なぜ、荒川修作は”養老町”に、”天命反転地”を創ったのか?川の水が酒に変わるという伝説を思い出して”不老不死”の地、養老が荒川を捉えたのではないかと、勝手に、想像して、夜が明けるのを待った。

アラカワは、アジール(聖域)を探し求めていたのだ。土地の力、場の放つ力、神話の力、森の力、山の力、コトバの放つ力。「養老」は、老いを養う地。ただの滝の水が「不老不死」の、百薬の長・酒になる地。

私の意識そのものを、身体と一緒に旅にむけて放り出しながら、考える旅が、アラワカをめぐる旅にはふさわしい。
「本」を読んだり、「地図」を確かめたり、「資料」にあたったり、いわゆる準備をする必要はない。
「奥の細道」で、芭蕉は、そのまま裸で、風景に衝突している。そこで発火したものが「俳句」になった。コトバに変わった。
アラカワも、アラカワへの旅も、無防備なまま、日の光を受けて、汗をかいて、触手をのばせばいい。
アラカワの、思考の礫は、突然、不意にとんでくる。五感を思いきりひろげて、その思考の礫に衝突してみる。スリルである。夏の夜があける。

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• 水曜日, 6月 22nd, 2011

美術館では、常設のアラワカ展ではなくて、地域の、あるいは、若手の画家のためのスペースがあって、壁画いっぱいに、巨木が描かれた力作が飾ってあった。あるいは、音と映像のコーナーもあった。

頭が疲れて来たので、身体をほぐすために、美術館を出た。建物の前庭に芝生の広場があって、小高い、盛り土の丘がある。枯れ木やカズラを集めたトンネルへと足を運んで。眺めるだけでは、面白くないと思って、トンネルを潜って、奥へ、奥へと歩いてみた。突然、見覚えのある顔が、向こう側から、歩いてきた。やれやれ、君は、なぜ、私と同じような足取りで、私に似た顔をして、向かう側から、反対に歩いてくるのだ。

(私)は、もう一人の(私)に対面した。(私)が苦笑すると、そいつも苦笑した。腕組みすると、そいつも腕組みをした。アラカワの遊び心、仕掛けである。壁の、窓ガラスと思えたものが、鏡になった。

「君は、本当に、どこにいるんだい?その君のいる場処ってのは、そんなに、確かなものなのかい?今は何時だ?時空も揺らいでいるぞ」アラワカの乾いた野太い声が響いた。

(私は私である)の世界をアラカワは(私は他者である)の世界へと変えたいのだ。そして、本当に、存在しているのは、どちらだと、観る人を、揺さぶる左右対称の世界、京の龍安寺と奈義の、龍安寺、遍在せよ、遍在せよ、時空はひとつではない、触ってみよ、体験してみよ、アラカワの声が、建築全体に、鳴り響いている。

通常の、バランス感覚が、少しだけ、おかしくなって、微妙に狂い、変な気分になってしまう。気付きである。今まで、ソコに存在しなかったものが存在しはじめる。私の感覚、常識が揺さぶられて、(私)はゆらぎの波の中にいた。

”時空のゆらぎ”アラワカの頭脳の中にあるものを、形にしてみたのが、”奈義の龍安寺”であった。存在は、遍在するのだ。アラカワの思考の助走が終った。これも、ひとつの、実現であり、ステップであろう。

呪文じみているが、確かに、アラカワの(常識)を破壊するエネルギーが充ちている、奈義の現代美術館であった。

時代は決して、直線的に、過去から現在へと流れていない。空間は、決して、静止した箱の中のように在るのではない。遍在している。単なるトリック(光や水や音や風の性質を知尽して)ではなくて、アラカワは、本気である。知るのは第一歩さ、生きてくれよ、それを体験してくれよ、とアラカワの声がする。

11月の、空は、青く、奈義の街は、高原風な晩秋の中に、静かに息づいていた。なだらかな牛の背のような山脈を背景にして、奈義町役場と文化会館が、左右対称の、建築的身体を横たえている。燃え盛る銀杏の木、文化会館では、全国の各地に伝わる、地方歌舞伎の大会の準備で、看板や花々が、飾られている最中であった。

山の中といっても、丘陵地である。畑もあれば、水田もあり、牧草地もある。しかも、伝統の文化がある。そこに世界の、鬼才・アラカワが乗り込んで来た。

半日、一人で、歩いて、観て、触れて、考えて、少々、疲れた。バスで津山に出た。駅前で、B級グルメで有名になった、ホルモンうどんを食べた。満腹である。

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• 水曜日, 6月 22nd, 2011

朝のお城は、格別であった。

旅の目覚めは、期待と不安が入り混じっていて、日常の、普段の朝よりも、興奮している。ホテルの、見慣れぬ、部屋に、海岸へと打ちあげられた魚のように、異和を覚えながら、出発の準備をする。洗面、トイレ、荷物のチェックと、身のまわりに用心をして、最後にぐるりと部屋を見まわして、よし、忘れものもなし、と呟いて、外に出る。

眼の前は、一面の、朝霧であった。四方の山はもちろん、遠い街の家並みも、白い霧の底に沈んでいて、百メートル先が霞んでいる状態であった。ホテルからお城への坂道を登って、ぼんやりと見え隠れする風景の、神秘的な霧の朝は、正に、正体の知れぬ、アラカワへの旅にふさわしいものに思えた。

もう、何十年も、経験したことのない、濃い霧の流れる、旅の朝であった。高台にある城への道は、その門を閉ざしていたが、城をめぐる樹下の路には、朝の犬の散歩、ウォーキングをする人、小走りにジョギングする人たちが、霧の中から不意に現れて、おはようございますと、さわやかに、声を掛けて、霧の中へと消えていった。

津山城を散歩して、そのまま、街へと下って、朝の吉井川を眺める。そう言えば、吉井勇という歌人がいた。彼は、岡山の出身だったか?すると、吉井川から、ペンネームをもらったことになる。

JRの津山駅の駅前広場に、バス停がある。いよいよ、バスに揺られて、奈義へ。乗客は3人である。津山市内をぐるぐる廻るうちに2人が下降して、私一人になった。貸切り。大名旅行の気分である。霧が濃くて、バスからの風景が見えない。視界は、おそらく、百メートルを切っているだろう。ただ、山の奥へ、山の奥へと、向かっているような気がする。3、40分も走っただろうか、朝霧が一気に消えはじめた。山脈が、なだらかに広がる農耕地が朝日の中に、くっきりと見えた。

奈義町役場前で、バスから降りた。横仙歌舞伎の里・美作という看板があった。道を左に曲ると、背景の山にむけて、一直線に、道路が走っていた。田舎の風景には、似合わない、真直な道である。ケヤキの並木。左手に、すぐに、奈義の美術館だと思える建物があった。茶色に、濃いグレー、そして建物の屋根に、巨大な円筒が、青空を突きあげていた。道路の右手には、文化会館、図書館、町役場の庁舎、幼稚園が、整然と、並んでいた。

(荒川修作+磯崎新)のコラボレーションである。
芝生の前庭がある。木のオブジェがあって、トンネルが、網状に形成されている。

奈義の美術館に入ると、右手に、中庭がある。水に、青空が映っている。水中から、メタリックに光る細い棒が突き出して、縄飛の縄のように孤を描いている。水中には、小石が敷きつめてある。綺麗な、握り拳ほどの石である。椅子に坐って眺めていると、水面に出た棒の半円に、水面に影が写って、まるで、原子の模型のような、円に見える。いくつも、いくつも、円水と戯れている。曲線が、水に呼応して生きもののように見える。天井は、コンクリートの壁、しかも、青空が覗いている。

原子たちが飛び交う奇妙な空間である。見あげたところに、木はないのに、水の鏡には、緑の木が映っている。空と水と木と、石と壁と円い輪。上と下が、水が鏡になることで、逆転して、上下の視点が消えてしまう。水の中の空、水の表面の影、姿、曲線と直線が絡みあって、あたらしい軌跡を作りあげている。水中から突き出た円い棒は、自らの姿を水に映して、自らに重なって、立体空間を創出している。

そこでは、ないものが存在したり、存在するものが、隠れて消えてしまう奇妙な時空のゆらぎがあった。本物とは何か?影とは何か?眺めれば眺めるほどに、まるで、量子力学の世界へと突入したような、妙な気分に陥ってしまう、空間部屋であった。

さて、奥へ進む。
右手に「太陽」SUN(荒川修作)
左手に「月」MOON(岡崎和郎)
デッサン「死なない為に」視覚、イメージ、建築・・・があって、その横に、5月19日、ニューヨークにて死すとアラワカ急死の貼り紙があった。

「太陽」の部屋へと入る。
無数の、老若男女の笑顔が、円筒の空間の壁という壁に、ぴちぴちと生命の気を放っていて、波が、満ち、あふれていて、眺めている私も、光の方へと、心が魅き寄せられていくのがわかった。

何しろ、長く生きてきたが、これだけの笑顔には囲まれたことがないので、なるほど、笑顔が、光である、太陽であると、瞬時に、部屋の命名の意味が理解できた。まるで、地上の楽園が出現したかのようですよ、アラカワさん、私の身体の中を、心の中を、笑顔の放つ風が突き吹きぬけていきます、アラワカさん。

部屋の中央にある、螺旋階段を、身をかがめて暗闇に眼を慣らして、慎重に、一歩一歩昇りはじめると、アラカワの仕掛けが、時空を超えて、別の、異次元への旅であると承知はしていても、やはり、身体は、狭い、暗い螺旋階段に反応して、未知の場所へと向かうことを、拒絶する。しかし、意識は、精神は、一刻も早く、アラカワの、創り出した異次元へ、奈義の龍安寺へ、たどり着きたいものだと、熱く燃えている。まるで、ブラックホールに吸い込まれた者が、ホワイトホールに、吐き出されたいと願っているみたいな息苦しい螺旋階段であった。

光が来た。
眩しい光の中に、巨大な円筒があって、筒の壁に、見慣れた、京都、龍安寺の庭があった。庭が、円い筒の両壁に貼りついていた。もちろん、あの巨石、砂が、左と右に分かれて、そっくり、存在していた。京都の龍安寺を訪れた事がある人なら、アラカワさんも、やってくれるねと、微苦笑するだろう。

私は、公園によくある、ぎっこんばったん、つまり、シーソーの中央に坐って、ゆっくりと天井を眺めた。当然、上下が対象になっていて、シーソーや椅子も、天井から吊り下がっていた。左右、上下対象、つまり、天と地が遍在しているのだ。京都の龍安寺が、時空を超えて、奈義へとやって来た。

時空を超える、タイムマシーンに乗って、アラカワの頭脳が思い描く世界へと直参するのが、奈義の龍安寺であり、遍在せよ、遍在せよと叫び続けるアラカワの声が私の耳にも留いていた。

さて、螺旋階段を下りて、太陽の部屋を出た。
向かったのは、「月」MOONの部屋である。ゆっくりと、足を踏み入れると、自分の足音が、異様に増幅されて、巨大な音になる。足を止める。思わず、天井の高い、ゆるやかにカーブする、狭く、区切られた空間、そう、月形の、部屋を見廻してみる。

美術館の受付けでもらった、一枚のカタログを、そっと落としてみた。人間の耳につくはずのない、小さな音が、ゆあーんゆよーんと、大きな音に拡大された。手で拾うと、ザラザラと音が響いた。歩く、巨人の歩く足音がする。咳をする。巨大な音が発生、弾丸が飛ぶ音か?

普段、われわれが聴いていた(音)とは何か?もっと、もっと、無数の音が発生して、波となって、時空を疾走しているのだ。気がつかずに、耳にとどいている音だけを(音)として、認めて、生きていたことの、妙な、違和感。部屋は、周波数を増幅する装置だった。

沈黙の意味が変わってしまう、部屋である。空間が、決して、ただの、空っぽではない、との証明。音響の不思議を体験する。もう一度、(耳)とは何か、と考え込んでしまう、部屋であった。静かな月。

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• 水曜日, 3月 09th, 2011

どうやら、(私)は、「無限」へと「私」を開くことは可能か?そんなふうな、不可能とも思えるようなことを、アラカワをめぐって、新幹線での約4時間の間、考えていたらしい。

「人間原理」から「宇宙原理」へと吹きぬけてしまう、風の姿を、思い描こうとしていた。それを、(私)は、「無限開私」と呼んでみようと思っている。人は、誰でも、「無限」を感じている。

さて、津山市への、各駅停車の、約1時間の旅である。(私)は、(現実)へと戻った。野に菊の花が揺れていた。JR岡山駅に出て、10分も走ると、もう、山々が、眼の前に迫ってきて、街のビルや家並が遮切れて、突然、なつかしい、昔の、日本の、農村の気配が、窓の外に、ゆっくりと、ゆっくりと、流れはじめた。

電車が停る度に、駅名を読みあげて、長い、歴史という時間を、背負っている名前にも、日本の、古い時代の、気配を感じて、妙に、感動をした。名前が、風土の、風景の中に生きている。およそ、「便利」という名前の現代とは、似ても似つかない。裸の、ニンゲンの眼と耳にやさしいものである、と思った。

点在する家々、木々の蔭に、斜面に、田園に、川の両側に、道端に、地方の、固有の貌をもった、建築があった。都市の、サラリーマンの、紋切り型の家ではなくて、長い伝統に支えられて、土地の風と雨と光と冷暖に合致した、根を張った、力強い家々が眼を魅いた。

家は、ニンゲンの身体そのものである。カタツムリで云えば、身を隠す、身を守る殻である。機能ばかりを重視する都市のビルではなくて、ニンゲンそのものを育くむのが、家であった。

そう言えば、アラカワは、建築と建物を区別していた。「日本には一人も、建築家がいない」と豪語していた。「家」は、建物ではない。ニンゲンを育てるもの自体だ。いわば、カタツムリの殻である。建築するとは、そのカタツムリの殻を、創造する行為である。おそらく、アラカワは、そう考えていたのだろう。単に、雨風を防ぐものではなく、寝るための、慰うための、食べるための(家)でなくて、ニンゲンそのものを、創りあげる(場)=(装置)としての、(家)が、建築と呼ばれるに、ふさわしい、と。

山は、わずかに、紅葉していた。電車は、小さな山、中くらいの山、大きな山を、めぐって、川の左を、川の右を、縫うようにして、ゆっくりと、風景を歩くように、進んでいくのだった。身構えていた身体がほぐれて、(私)は、ゆっくりと、心の、深い層の下へと、入ってゆき、感性は、開かれて、風景に、感応しはじめていた。

正に、これが、旅であった。乗客の顔も、都市の、無表情の、殻の中の、閉じたものではなくて、その土地に、根付いて、セイカツをしているニンゲンの顔をしていた。何時の頃から、日本人は、固有の顔を失なって、”他人の顔”のような、無表情を、身につけてしまったのだろう。(私)自身も、都市では、おそらく、”他人の顔”で生きているのだろう。長い間の習慣で。

津山市は、四方を山に囲まれた、盆地の街であった。人口は、県内で岡山市、倉敷市に次いで、三番目に多い市である。海に向けて、開かれた、岡山市、倉敷市とはちがって、京都を思わせる、盆地の城下町であった。

JR津山駅で下車。友人Tと、Kホテルで、待ち合わせの約束。秋の陽が、西の空に、傾いてはいたが、タクシーを止めて、見物がてらに、歩いてみた。足で街を知りたかった。

どこの地方都市でも、同じ現象が起こっているが、津山市も、その例外ではなくて、駅前の賑わったであろう商店街も、シャッターの下りた店が眼について、人通りもなく、閑散として、テレビで、全国に、名前を売った、B級グルメの”ホルモンうどん”の看板が、秋の陽を浴びて、光っていた。

地図を頼りに、商店街をぬけると、大きな橋が架かっていた。堂々とした橋であった。陽が沈む西の山のあたりから、街の中央を二分するように、川が流れていた。河岸には、ウォーキングコースが、綺麗に整備されていて、犬を連れた人、歩く人の姿が眼についた。

川の中に、中洲というか、小さな柳の木の一群があって、透明な水に洗われていた。秋の白い風が水辺から橋上に吹きあげてきた。右手には、津山城が、夕陽を浴びて、静かに、佇んでいた。お城のある街の風景には、芯があって、統一というのか、象徴というのか、垂直に流れる時間が、透けて見えて、いつも、魅惑されてしまう。深呼吸をひとつ、空気がおいしい。携帯電話で、Kホテルを呼びだして、ホテルの位置を確認をして、橋を渡り切ると、街の中心街の、閉じたシャッターの多さに、地域社会の没落を思いながら、足に任せて、歩き続けた。

ホテルに着くと、友人Tが、ロビーで、手をあげて、合図を送ってきた。不思議なもので、友人Tは、自分の生れ故郷にいるためか、いつも、都市で見ていた、身にまとっている雰囲気とは別の、妙に、落着いた、安心した気配に包まれていた。

「遅かったな、タクシーなら、5分とかからないのに」
「いや、歩いてきたよ」
「そんな事だろうと思ったよ」

ホテルの手続きが終って、夜の、薄闇の降りはじめた街へ、と思案をしていると、偶然、友人Tの、高校時代の同級生が現れて、ゴルフが終って、これから、打ち上げだと、挨拶をした。地元に残って、商工会の、役員をしていると言う。ホテルで、呑み食いすると、東京に居るのと変わらないから、津山の、地元らしい、食材のある店を紹介してもらった。

40年前、Tにも、地元に残って、市役所に入るか、都市生活者になるか、大きな、決断の、分岐点があったのだ。で、Tは、都市・東京を選択し、40年という時間が流れた。

秋の、夜の、津山の街を、Tに誘われて、歩いた。元県庁の庁舎、木造の三階建ての旅館、料亭、路地には、ひと昔前の、古びた家々が、静かに、古風に、息づいていた。昔の、賑わいの中心地も、祭日というのに、風が通りぬけるだけで、人影は、まばらで、随分と、淋しく、錆れてしまったと、昔の家族連れと、宴会の、盛りを、記憶の中から、取り出すような、Tの説明に、うん、うん、どこも、そうだったあねと、頷きながら、城下の街を散策した。

身土不二という言葉がある。その季節に採れた、地元のものを、食べる、それが、身体には一番、適っているという思想だ。赤い堤灯が風に揺れる、古びた木造の二階建ての、居酒屋が、Tの友人に、教わった店であった。焼鳥専門の店であったが、特別に、”ホルモン焼き”が美味しいと言うので、店員さんのすすめるままに、注文し、地酒をもらった。

”なぜ、荒川修作なんだ”と旅の目標を訊かれて、まあ、気ちがいか天才か、わからないほど、面白そうな男だから、しばらくは、探求してみるよと、アラカワの、「天命反転」を語ってみた。逆に、なぜ、岡山の、田舎の、山の中の、小さな町に、荒川修作だいと訪ねてみると、自衛隊の基地があって、財政が豊かで、歌舞伎の伝統があったり、文化・芸術に熱心な人がいて、一種の”町おこし”じゃないのということであった。

アラカワを受け入れ、美術館を造るには、町長も、議会も、相当の、覚悟が必要であったろうと、推測した。独りで、津山に居る母を、関東の都市へと、連れていって、生活を共にするという話から、学生時代の、文学と、無類の、セイカツから、長い、長い、出版界での仕事から、気の置けない仲間だけの話題まで、語りはじめると、終りがない。

で、どうする、これから、何をして生きる?酒の、軽い、酔いの中で、お互いの顔を覗き込んで、二人だけの酒宴は終った。明日は、奈義である。

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• 月曜日, 2月 28th, 2011

旅は、日常を離れて、思考のスタイルを見事に変えてくれる。感性としての(私)を解き放って、時空へと旅立つのだ。

アラカワへの旅には、5つの段階・方法がある。(読む)(観る)(触れる)(体験する)(生きる)である。このステップを踏まないと、アラカワの姿は見えてこない。「君たちには、まだ、何もわかっていない、何も見えていない、何も考えていない。」アラカワの強烈な声が、耳に吹きつけてくる。

8時38分、私は、移動する箱の人となった。出発である。さっき、道路を歩いていたのに、もう、電車に乗って、窓の外を眺めている、この、時間という魔の不思議さ。電車の時間と私の時間が、重なる瞬間のとまどいと、軽い眩暈と快感。

旅の入口を、通過してしまって、もう、日常は、遠去かり、(私)の今・ここは、旅へと放たれた。全身に、素速くはしる、旅への、期待。純粋経験を求める、子供時代の感覚が甦える。

JR東京駅まで、50分。千葉、船橋、市川、錦糸町と、駅名を確認しながら、青空を、眺める。秋の、空の、青が、遠くへと投げかけた視線に、静かに応えてくれる、旅という時間である。

錦糸町駅を過ぎると、不意に、青空が消え、次の瞬間に、電車の車輌の窓に闇が巣喰い、青白い灯が、室内を照らしだすのだ。突然の、軽い、眼のまばたきは、電車の地下への侵入の際、いつも起こるものとはいえ、身体が、身構えて、硬くなり、しばらく経つと、東京駅に着いた。

新幹線での時間とはいったいなんだろう。いつも座席に坐ると、旅の途中であるのに、宙吊りになった時間、外(景色)と内(私)を流れる時間の分裂・遍在を感じて、どうやって、この流れる時間をやり過ごそうかと、考えてしまう。
①新聞・雑誌を読む ②風景を眺める ③ビールをのむ ④眠る ⑤考える ⑥話をする
今日は、アラカワへの旅であるから、アラカワの言葉、声をめぐって、あれやこれやと考えて、私の思考の波調を、アラカワへと放つことで、時間の流れに乗ってみる。

「天命反転」、「私は死なない」が、(私)の、思考の中心に、居坐った。「生きる—死ぬ」というパッケージに、数百万年、身を晒らし続けて、敗北し放しのニンゲンたち。もう、何十億人が、敗れ去っただろう。誰も、帰って来なかった。行きっぱなしの、片道切符の旅である。時間だけが生きているから、時間の勝ち、ニンゲンの敗け。

「死の美学」がある。無常であること。ニンゲン、大事を為すために生れてきた。大事は、人それどれに、異なる。いかに、大事を為すか、(私)の大事がわかれば、一切を棄てて、そのことの達成のみに全力を尽くして、死ぬ。後の事、他の事は、考えない。

「天命」=法に則った、生き死にである。毎秒、毎日、毎年、生きるということだけをしていること。過去も未来も、ないと、思い知って、今・ここだけに流れる時間の性質に、従い、考えること。

それでも、世の中を渡ると云い、世間で生きると云い、会社で働くと云い、ニンゲン(私)は、「人間原理」とも呼ぶべき、約束、規則、法律、憲法にぎっしりと囲続されていて、「身体」という条件を背負っていて、食べる、眠る、働く、考えるで、精いっぱいで、一日は、アッという間に、流れ去ってしまう。冷汗、溜息、悪戦苦闘。日常とは、永遠に、そういう、一日の連続である。四苦八苦の世界。で、「天命反転」という、人類最大の、大問題に、正面から立ち向かう、アラワカと呼ばれる男が出現する。人類史、数千年、歴史の中に何人かの挑戦者がいた。

釈迦という名前で、イエス・キリストという名前で、ソクラテスという名前で、孔子という名前で、空海という名前で、ニーチェという名前で。

どうしても、「生きる—死ぬ」という、最大のテーマに衝突してしまうと、狂と紙一重の地点まで、踏み込んでしまう、ニンゲンである。「天命反転」を思い浮かべると、必ず、(私)の頭には、「輪廻転生」「復活」「永劫回帰」「無知の知」「即身成仏」が自然に、声として、流れてくるのだ。一歩、間違えてしまうと「オウム」の麻原彰晃になってしまう、危険がある。

アラカワも、自らが、語っているように「分裂状態」に、身を横たえている。(私)の意識と存在の間に、引き裂かれて、在る人である。日本(東京)とアメリカ(ニューヨーク)に、日本語と英語に、身体も言語も、二重に(私)を生きている人であるから。深い亀裂がある。

いや、二重に、生きる身になったからこそ、人類最大の問題に目覚めたのだ。失語(言葉を失ない)と目覚め(生きる意識)の間を、右に左に、上に下にと揺れながら、アラカワは、すべてを、1から、創造してみせる、と、覚悟を決めて、生きている人である。誰も触れられない、「宇宙の法」を、反転させて、「人間原理」へと組み込もうとしているのだから、その発想、スケールは、ニンゲン離れをしている。本当は、宗教が、文学が、哲学が、芸術が、科学が、その役割を、果たすべきなのだ。逆に言うと、アラカワという存在は、それを、統合して、総合したものの名前であるかもしれない。

決して、妄想ではなく、迷信ではなく、分裂ではなく、狂気ではなく、アラカワは、正気に、踏みとどまって、思考の、創造の回路を、未知へと展開してみせる。
●「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」
●「養老天命反転地」
●「三鷹天命反転住宅」
1981年、アラカワ+マドリン・ギンズに「天命反転」という、人類最大の問題へと立ち向かう構想が浮かびあがった。

「ナギ」という音を舌の上で、ゆっくりと転がしてみる。「凪」「薙」⇒「奈義」。水田の、渚の、海の、風のない、静かな光景が、脳裡にゆらめいて、そこから、ひそかに、立ちあがってくるものがある。光である。光の独楽である。

あるいは、山の、森の、竹林の、奥の、奥から、モーレツに吹いてくる風が、あらゆるものを薙ぎ倒して、一切のものを、運び去ってしまう。風の吹く、光景。

不思議な、二つに、引き裂かれた、イメージのする「ナギ」という音。その音が、名前となって「奈義」。古い、心の古層に、音もなく、気が流れて、勝手に、「奈義町」をイメージとして創りあげてしまった。

新幹線は、風景を殺してしまった。「便利さ」という怪物は、次から次へと、ニンゲンのいる風景を、消し去ってしまう。ニンゲンより秀れた知識をもったコンピューターは、終に、ニンゲンを追放するに至るだろう。

東京、名古屋、京都、新大阪、岡山と、4時間足らずの時間で、新幹線が疾走する、その間、(私)は、ひたすら、アラカワのこと、アラカワをめぐることを考え続けていた。(私)のしていたことは、箱の中で、(考える)時間を生きたことだった。それでも、旅である。確実に、(私)は、移動をした。身体と頭は、別々の時空を走りくねって、今・ここを、呼吸し続けている。

岡山県には、二つの貌がある。温暖で、風光明媚な、東洋の地中海とも呼ばれている瀬戸内海に代表される貌と、中国地方を貫く、大山を中心とする山脈に囲まれた町の貌である。

津山市と、隣接する奈義町は、山々に囲まれた街である。風景を消し去る新幹線を降りて、眼で、ゆっくりと、風景を食べられる、各駅停車の、電車へと、移動をした。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

「遍在の場、奈義の龍安寺、建築的身体」への旅

岡山県に、奈義町という町がある。1994年、「奈義町現代美術館」に荒川修作の作品が設置された。

なぜ、岡山県の、山の中の、小さな町に、世界のアラカワの作品が設置されたのだろう?いったい、誰が観るのだろう。そもそも、アラカワの、良き理解者がいなければ、「私は死なない」と宣言して、世間、世界を驚かせ、「天命反転」という、人類の誰もが、挑戦したことがない「天の命=宇宙の法則」を反転させるなどという、過激な発想をする人物の作品を中心にした、美術館を作るはずもない。反道徳、反常識、反法律とも思える、「私は死なない」であり、「天命反転」である。アラカワは「不死」としてのニンゲンんをめざしているのか?とにかく、アラカワの「本」「作品」を追うことで、旅をしてみよう。

11月2日、妻が友人と、エジプトのピラミットを見る、8日間の旅へと出立した。私は、飛行機拒否症のニンゲンであるから、その旅を断念した。十数時間飛行機に乗れば、気絶するか、血圧が上昇して、脳溢血か、心臓発作で、即死してしまうだろう。

で、独り、家にいて、読書や執筆では、芸がないので、かねてから、見てみたいと考えていた、奈義町の、アラカワへの旅を決行した。と言っても、一泊二日のささやかな、独り旅である。

11月3日、文化の日、祝日である。何をするにも、腰の重い私は、追い込まれるか、約束するか、必要がある場合でないと、一泊二日の旅でさえ、ふんぎりがつかない。

一昨年は、東京三鷹市にある、アラカワの「三鷹天命反転住宅」を視察した。偶然、ワークショップがあって、カメラを持参しての、撮影会に参加をした。今年の夏(2010年)には、岐阜の、「養老天命反転地」テーマパークを訪れた。

残っているのが、岡山県の、「遍在の場、奈義の龍安寺、建築的身体」であった。

つまり、アラカワが、制作、創造したのとは、時間を逆に廻して、歩いて、観ているという訳になる。

アラカワの著した「本」も、現在から、過去へと逆のぼって、読んでいることになる。

実は、アラカワの発想の原点を知ることになるはずの、最新作「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」という大著を読みはじめたばかりの頃、(5月)に、「私は死なない」と宣言、断定した、荒川修作が、ニューヨークの病院で死去したというニュースにあった。

「アラカワが死んだ」というニュースに、心が泡立ち、混乱が来た。アラカワ自身も、人間が死なない訳がないとは、解っている、解っていて、なお、「私は死なない」へと挑戦したのだ。この「解」は、そう、簡単な問題ではないので、旅を続けながら、ゆっくりと考えよう。

「1+1」が2という公式が、絶対に疑えないように、「私は死ぬ」も、同じ強度をもっている。しかし、逆の「私は死なない」も、その不可能性という意味で、文章の強度は強い。(私)は1ではないから、(私)とは何かという「問い」に答えがない限り、実は、無限大分の1くらいは、「私は死なない」の可能性が残されている。

つまり、ニンゲンは、(私)という存在から(宇宙)という存在までの一切を、解っている訳ではないのだ。

「人間原理」(ニンゲンにまつわるすべてのモノとコト)と「宇宙原理」(宇宙をめぐるすべてのモノとコト)は、まだ、解明されていないばかりか、人類の知も、初歩レベルの段階にあるのだろう。アラカワは、そのことを、知尽していた。

11月3日、文化の日、祝日、快晴。秋の白い風が吹いている。旅立ちには、絶好の日和であった。

千葉県四街道市の自宅から、岡山県の奈義町まで、約9時間の旅である。JR四街道⇒東京⇒岡山⇒津山と電車を乗り継ぎ、津山からバスで約40分。一日がかりの旅である。当然、その日のうちには、美術館は観れない。

奈義は、小さな、山の中の町であるから、ホテルや旅館があるかどうか、心もとない。ひとり旅では、いつも、ふらりと、現地を訪ねて、その土地で、当日、泊まる宿を探している。土地の人が、一番いい宿を知っている。今回は、そういう訳にもいくまい。

ふと、大学の友人Tのことが思い出された。大手の出版社で、編集長を勤め、旅、食、園芸と、幅広く、雑誌や本の編集を手掛けた友人である。私の生涯では、親友であり、3人のうちの、一人に入る男である。文学を語り、酒を呑み、もう、40年ばかりのつきあいである。

埼玉は、所沢市に居を構えているが、すでに、停年となって、自由を楽しんでいるはずである。津山出身であった。電話で、ホテルの紹介をしてもらうと、尋ねてみた。

驚いたことに、今、津山に、帰郷しているとのことだった。

なぜ?
老いた母の介護である。
60歳まで、企業戦士で働いたあとには、父母の、介護が待ち受けていた。団塊の世代の現状である。

で、その夜は、ホテルで、待ち合わせて、地方の、食と酒を、楽しもうという約束となった。

朝、8時、ボストン・バックを肩にかけて、JR四街道駅へと、歩きはじめた。もう、一万回以上、歩いた道ではあるが、会社への通勤の歩行と、旅への歩行では、足取りがまったく違った。まして、アラカワへの旅、歩行である。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

もう、何年前になるだろうか。

「建築する身体」という一冊の本を購った。長い間、少年期から、ずっと考え続けていた、私のテーマが、その本の中に、すっぽりとあった。

荒川修作との出会いである。

続いて、「死ぬのは法律違反です」という、アフォリズム風な、奇妙なタイトルの本を購った。世の中には、似たようなことを考える人がいるものだと思った。読了した時、アラワカへの旅をはじめてみようと考えた。

誰もが、正面から、考えない、しかし、人類最大のテーマ「死」があった。なんとなく、わかったつもりになっている「死」、「死」を考えるよりも、日々を生きるのに忙しい現代の人々。

神話が、宗教が、哲学が数千年、問い続けてきた、「生命とニンゲンの死」が、科学の出現で、終止符を打たれたかに見える、現在、誰もが、「死」は、百パーセント来るものと信じて、疑わず、疑わぬどころか、隠して、病院の介護施設の中へと閉じ込めて、葬式の時に、チラリと、頭の中で発火する、他人事の、自分には関係のない、恐怖として、扱いはじめた。

本来、一切を問い、描かねばならぬ、小説、哲学、芸術も、身辺の雑記や感想や、情況や、事象のみしか扱わなくなっている。

そんな、精神の弛んだ現在に、アラカワは、唯一、本気で、正面から、人類の最大のテーマに挑戦する人であった。先を急ぐまい。アラカワ。荒川修作とは、いったい、何者であろうか?

「私は死なない」と断言し「死ぬのは法律違反です」と書き、「天命反転」というヴィジョンを揚げ続けた人である。それらの言説を聞き、眼にしただけで、常識の人、科学の人たちは、奇人だ、変人だ、気が狂っている、狂信者だと横を向いて、遠去かってしまうだろう。

アラカワは、画家として出発している。青年期には、ダダイズム、シュールレアリズム、フォービズムの風を受けている。ダイアグラム的な作品を発表し、詩人瀧口修造に注目された。ネオ、ダダイズムの旗を揚げ、「箱にセメントをつめた作品」(棺のような)を発表している。その頃、ノイローゼにかかって、精神のリールが切れそうに、泣き、叫んでいる。

そして、渡米。生涯の、共同制作者、詩人のマドリン・ギンズと邂逅した。ギンズ婦人は、ランボー・マラルメと、天才詩人たちを愛し、アラカワ+ギンズの著作のほとんどを、彼女自身の手で書くことになる。

アメリカを、ヨーロッパを、世界を唸らせた「意味のメカニズム」が発表された。絵、文書、図面、グラフなどが、画面を占領する、未知の、大作である。いったい、これは、何か?

いや、いや、先を急ぐまい。

私は、はじめらかの、アラカワのファンではない。終りからはじめているのだ。ゆっくりと、手探りで、深く、広い、未だ開発されていない、未読のエリアへ、アラカワの耕やした、見たこともない時空へ、歩を進めよう。

画家、芸術家、建築家、哲学者、教祖、エコロジスト、天才、多面的な顔を持つアラカワへと、ゆっくりと、旅をしよう。