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• 月曜日, 3月 09th, 2015

海部郡宍喰町日比原出身の重田昇氏(43)の短編小説集「ビッグ・バンの風に吹かれて」(東京・沖積舎)が長編「風の貌(かお)」の処女出版から18年という長い沈黙を破って上梓(じょうし)された。団塊の世代、立松和平などを学友とする早稲田大学在学中から早稲田文学などに作品を発表し、純文学の旗手と呼ばれた氏も、今では東京で自ら経営する出版会社の社長となっている。五編の短編集からなる作品は沈黙の分だけ重厚なテーマに支えられている。

氏が挑んだテーマとは、人類のまだわからない未知の領域である。「ビッグ・バンの風・・・」は決してSFではなく、現代の知の先端と氏の詩的感性でもって未知の領域を表現しようとする野心作である。

例えば作品「岬の貌」には、泳いでいた男がおぼれ意識不明となり意識が戻るまでに体験する、生と死の境での行為が野太く巧みな筆遣いで描かれている。タイトルとなった作品「ビッグ・バンの風に吹かれて」では、ある男が異次元でのあふれるばかりの光に満たされる体験や、未来を思い出すという体験などをした後、自分の意識ではどうすることもできず、手が勝手に人をナイフで刺してしまうという、奇抜なストーリーが展開されている。

理屈では解明できない経験をした者が、そのことを人に語るとき、二つの答えがすでに用意されている。「うさんくさい」ととりあわないのが一つ、もう一つは信じることである。体験が理性や科学で理解できないとき、人はそう答えるしか仕方がないからである。けれども、重田氏の表現の視点は、そのいずれかに、読者を導くものではない。

作品のテーマである人類の未知の領域や解明できない体験を表現するとき、おそらく重田氏のバックボーンには人間の深層心理を持つ狂気性を探ったミシェル・フーコーとか、まばゆい光におおわれる神秘的体験から精神患者が完治するのをみたユングやトランスパーソナル派の心理学者らの体験が息づいているに違いない。あるいは、二十世紀の物理学の基礎である量子論と相対性理論によって仏教・道教など東洋思想と同じ世界観を持つにいたったフリッチョフ・カプラなどに代表されるニューサイエンスとよばれる物理学者など、結局のところ「人間とは何か」を問うその他の大きな知が渦巻いているのであろう。

こうした現代の先端の知の裏付けと、詩心に基づく、帰納的な人間の探求が重田氏の姿勢であり、その姿勢が孤高の作品を形成させるのであろう。作品は、知の蓄積がもたらした純文学の高みと評価したい。

見識のある文学好きの読者にはぜひお薦めしたい本であり、現代の知を捕らえ直すにはおもしろい一冊である。

最後に作品「夏薔薇(ばら)」などに代表されるように、登場する多くの風景描写は空も海も雨も、私には県南・宍喰町のものであるように思われたことを付記しておく。

(詩人、日本ペンクラブ会員、徳島市新浜町二丁目)

(徳島新聞1991年5月10日号)

【ビッグ・バンの風に吹かれて】※PDFファイルが開きます。

【ビッグ・バンの風に吹かれて 書評】

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

観念ではなく、非現実の中軸に向かって

そこがこの小説の秘処かもしれないね。
主人公の職業が、セールスマンで歩くってこと。これは人間が生きる基本の行動で、一番単純な。そこに主人公が歩くことで、もの事がよく考えられている。思考がきちんと地についている。こういう流れは今は全然ないというわけではないが、昔はもっと沢山あった。例えば他にもいっぱいあるけど自分の分野でいえば小林秀雄の『Xへの手紙』『感想 ベルグソン』の、あのお母さんが蛍になるっていう場面だよね。ようするに考える、という行為と現実に書くということが重なっている。考える散文というようなものが小説のスタイルとして出てきたといった感じ。もう一つ言えば三島由紀夫の『太陽と鉄』もそうなんだよ。

それと以前の作品と少し違っているのは観念ではなくて非現実に向かっているってことね。そこがいい。観念に向かったって、それは知識になってしまう。知識で書いた小説は人を打たない。後半の部分もいろいろ勉強しているけど、それが歩くっていう行為を土台にしているから、うまく沈んでいる。

書籍について———————————————————————-

「○△□」(情報センター出版局) 定価1,500円(+税)
50部ほど在庫がございます。(送料290円)
(株)元気21総合研究所へお申込下さい。
e-mail : genki.21@nifty.com

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「鬼才のの放つ衝撃の力作。」

エイズ蔓延が叫ばれて久しい。今、世界中の研究者、学者、教育者はもちろん、さまざまな芸術家、アーティストが、エイズの問題に取り組んでいる。そのなかで気鋭の小説家、重田昇氏の『死の種子』は、ひときわ光を放っている。鋭い感性と巧みな心理描写で、この鬼才が映しだす「エイズ感染者とそれを取り巻く人々の心の世界」に、私は時がたつのも忘れ、引き込まれていった。
さわやかな昼下がり。キリマンジャロを一気に飲み干した。まだ握っているカップに温かいのくもりが残った。
過去、カミュが人類を滅亡させる病気をテーマに『ペスト』を書いて以来、現代にもそれに匹敵する力作が生まれた。

書籍について———————————————————————-

「死の種子」(情報センター出版局) 定価1,500円(税込)
50部ほど在庫がございます。(送料290円)
(株)元気21総合研究所へお申込下さい。
e-mail : genki.21@nifty.com

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

成熟した肉眼の所有者

重田君はつねに重厚な主題に向かってひたすらに書く男であった。大学時代から「書く」ということに執念を燃やしていた。最初は長編小説を上梓、秋山駿らに注目され、このたびは短編小説を上梓する。その間しばらくの中断があったが、それも蓄積、耐えて待つ姿勢、と私には見えた。

四国出身の彼だが、都会人の鋭敏にして繊細な感覚は十分に身につけていた。彼にはいわゆる「軽薄短小」のイメージはまったくない。その文体もしなやかで、重い主題を巧みに消化、読後の印象はつねに鮮明。センテンスとセンテンスとの間に接続詞を使うことを意識して嫌う。不透明なものを追いかけながらも、その文章は透明である。青春のニガサを通り越し、成熟した肉眼の所有者としての重田君がそこに佇っている。

教師としての私ではなく、重田君の小説の一人の読者としての私になりきってもう幾年経ったことであろう。このたびの短編集は、それ自体の完成度を示すとともに、新たな次の跳躍台、バネの役割を果たすに違いない。

若い頃の作品も含まれているが、四十歳を越えてからの「岬の貌」や「ビック・バンの風に吹かれて」には、かつての重厚さを残しながらも、決して概念過剰とはならず、バランス感覚の横溢した作品となり得ている。若き日の「夏薔薇」「投射器」には、早くから「書く」気の男であった証しが明白に読みとれる。

彼の文章には一種のスピードがあり、そのスピードは短距離選手のそれではなく、長距離選手のリズムに似たところがある。調子を乱すことなく、先頭集団にまじりつつ、機を見て一気に飛び出す姿そのものといってよかろう。

「書く」魅力にとらわれつつも、醒めた目で現実を見据え、リズムを崩さぬところが彼の長所である。コケの一念というのではなく、巧みに間をとったこのたびの小説集。そういう彼を私は支持した。

書籍について———————————————————————-

「ビッグ・バンの風に吹かれて」(沖積舎) 在庫なし

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

文学精神の峻刻さ

文体のない書き手の多い中で、彼の重く沈みこむような文体は、的確に暗い映像を刻み込む力をもっている。
恐らく、こういう集中度の高い文章を持続的に書き続ける彼に、苦痛がなかろうはずはない。
「風の貌」は、実に本年の最も注目している小説の一篇の中に入れてよい作品である。

書籍について———————————————————————-

「風の貌」(三文社) 絶版

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