さざんかの紅と白が眼の底に残っている。今回の教室は、阿波市(旧阿波町)の庁舎の右隣にある会館で行われた。その庁舎の庭先に、さざんかの花が寒空の下で揺れていた。風に吹かれて、紅と白の花が咲き誇っていた。さざんかは旧阿波町の町の花だった。
花の香りを後に残して、阿波市担当の当社の井本君の車で泊まるべき宿を探して、車を走らせた。
阿波市には、土成町と市場町、そして阿波町に、温泉があるという。いつも徳島へ出張の際には、徳島市駅前のビジネスホテルに泊まるが通例だった。あまりに味気ないので、今回は地元の宿に泊まりたかった。
市役所から北の山にむけて、10分ほど走らせると、山の裾野に【土柱ランド新温泉】という看板があった。
予約もなしの、とびこみ客だったが、幸い日曜日で泊まり客も少なく、金・土は満員でしたが、今日はゆっくり泊まれます、という女将の返事だった。
寒い。今年一番の寒波だった。山の町は、徳島市内よりも2〜3度温度が低いという。それにしても暖房のボタンを点けても、いつまでたっても部屋は冷えたままだ。
思わず温泉に入った。ラドン温泉だった。今日の運動教室を思い出しながら、身体を温めた。
火照る身体のまま、食事となった。吉野川の鮎、たらいうどん、山菜。女将が土地の話をしながら、ビールの栓をぬいてくれた。“夜の土柱”も是非見てください、ライトアップしてあるから。歩いて2〜3分の裏山にあります、と言う。
“土柱”県人ながら、私ははじめて土柱という言葉を耳にした。「世界の3大土柱のひとつです」。
結局、寒さのあまり、浴衣で外へ出るのを渋った私は、夜の土柱を見ることはなかった。
南の山脈から朝日が顔を出した頃、7時、私は朝食の前に、宿の裏山にむかって歩きはじめた。“土柱とは何か?”
坂道を歩いてしばらくたつと、山の斜面が鋭く、大きな力で、削りとられたように、土がむきだしになっていた。
土の柱が何本も、まるで塔か、筍かのように、中空に屹立していた。なるほど、見事な景観だ!
絶崖には、深い淵が幾筋も走っていて、雨の力か、風の力か、途轍もない大きな力が、長い長い時間をかけて、浸食し、風化させ、土の柱を露わに晒していた。
百万年の時間の皺が、土の柱という形にあらわれていた。なるほど、砂岩、貢岩、粘枚岩、石灰岩が混ざっていて、弱い部分が消えて、強い部分が残ったのだ。
中世期の白亜紀の地層だと、立看板に書いてある。そうすると、約130万年前のものだ。
高さが約50メートル、幅は約100メートルはあるだろう。谷の底には草が繁っていて、中腹には大小の裸の“土柱”があり、松の木が土柱の頂きに生えていたりもする。
私は人間の生命をこえた、巨大な時間を感じながら、寒空の下で、土柱を注視した。
人間は人を超えたものに遭遇すると、一瞬、判断停止の状態に陥ってしまい、我にかえるのを危うく忘れそうになる。
鳥が啼いた。私は我に返って、宿へと戻った。吉野川の南の山脈が朝日に輝いていた。
宿からJR山川駅へと向かった。
冬の吉野川が眼下に流れていた。川は人を育て、植物を育み、長い長い時間をかけて、生きものたちに、豊