風が吹いてくる
何処から? 四方八方から
存在のゼロポイントから
風は ただの草を
草そのものに変えてしまう
あっ 視界いっぱいに 風に吹かれて
緑の草原宇宙がひろがっている
風が吹いてくる
何処から? (私)の外部世界から
(私)の内部世界から
意識のゼロポイントから
風は ただの言葉を
コトバそのものに変えてしまう
見ろ 漆黒の闇の中に 宇宙のあらゆる場に
コトバの群れが舞い踊っている
風が吹いてくる
何処から(無)から
時空のゼロポイントから
宇宙創造のビッグ・バン(大爆発)があった
いや その直前に量子のゆらぎがあって
インフレーションの大風が吹いた
光よりも速いスピードで(場)を(空間)を作った 時空が誕生した
光や電子が飛び交う(空間)の発生だ
わが宇宙には ビッグ・バンの風と インフレーションの風が吹き渡った
そして 時が流れた 138億年!!
時空には 2000億個の銀河(数兆?)
2000億個×1660億個の恒星(太陽)
数え切れぬ惑星たちとブラック・マター
40億年後(?)にはわが天の川銀河と
アンドロメダ銀河が衝突 合体する
ニンゲンは 一瞬 光って 消える極小風だ
今日も 宇宙際にむけて 二つの大きな風が
吹き渡っている(コレは信じてもよいことだ)
※インフレーション理論?とは
日本の天文宇宙物理学者・佐藤勝彦博士が、思考実験によって樹立した理論。
佐藤勝彦博士は、日本のアインシュタインだ。現代科学では、実験・証明不可能だが、私はこの理論を深く信じている。
遊びも 趣味も 道楽も 仕事も すべて
コズミック・ダンスの変種です
もちろん
生 老 病 死も
学生期も 家住期も 林住期も 遊行期も
コズミック・ダンスの変種です
歩くことも 働くことも 考えることも
何もしないで ただいることも
すべて コズミック・ダンスの変種です
恋も 革命も 日常も 戦争も
生きることも 死ぬことも
コズミック・ダンスの変種です
大洪水も 大津波も 大地震も
台風も 山火事も 磁気嵐も
コズミック・ダンスの変種です
石も 砂も 土も 木も 草も 花も 水も
青空も 海も 虹も 蛇も 魚も 鳥も
すべてが コズミック・ダンスを踊っています
DNAも 光も AIも 原子も 量子も
ニュートリノも クォークも チャームも
ストレンジネスも スピンも
コズミック・ダンスを踊っています
そうです もちろん ニンゲンの(私)も
目覚めた朝から 眠る夜まで
いや 眠っている間も 夢の中でも
コズミック・ダンスを踊っています
当然 すべての惑星も 遊星も 流れ星も
恒星(太陽)も 銀河も わが宇宙も 一切が
コズミック・ダンスを踊っています
コズミック・ダンス(宇宙の踊り)とは
無限のコトバの変化流動体です
今日も(私)は 私流の幻種の コズミック・ダンスを
踊って 踊って 踊り続けております 無限へ
1 ニンゲンが生きるということは(私)という魂(プシュケー)のお守(もり)をするということであろうか 古代ギリシア人のように
2 誰にでも身(ミ)に覚えがあるだろう 身(カラダ)が 突然 暴れだして 口(コトバ)が 不意に 止まってしまって 意(ココロ)という水準器が 急に 傾いて ニンゲンだから 魂(プシュケー)のお守(もり)は 簡単ではない
3 突然 ココロが叩き割られて 起(た)ち上がれないまま 通夜と葬式が終った夕(ゆうべ) 線香の匂いに息がつまって 誰からともなく 夕涼みにと 玉砂利の敷かれた広い庭に出た
4 「翼が蛍になって飛んどる ホラ 見てみ」翼の父(私の弟)が指差した 高い高い夜空に 一匹の蛍が飛んでいた「翼(ツー)ちゃんホタル?翼(ツー)ちゃんホタルや」と孫たちの声
5 ニンゲンが蛍になったのが不思議なのではない 全員が 同時に「翼という蛍」を見てそう信じたことが不思議だった
6 若者は都市へ ただあこがれて 自分の場所と椅子と夢と仕事を求めて 彷徨(さまよ)って 翼のはじめての仕事は?建設会社での地下鉄のトンネル堀り 次の仕事は?デザイン会社の撮影助手と運転手 最後の仕事は? 刺青(タトゥー)を彫る 腕のいい彫師であった
7 「こんなに美しいニンゲンの眼 ワシ 今まで見たことがない」面接の時「成績は悪いけど採(と)っとけ 見事な眼やから」社長は言った
8 とびっきり美しい眼は いったい 何を見たのだろうか?「カミもホトケも ほんまに おる ワシ見たもん」と見たままを一枚の絵に描いた 本格的な リアルな「仏像(ホトケ)」の絵
9 高い高い夜空に舞う蛍は、家の上空をゆっくりと3回旋回して北の山へと飛び去った「オトン オカン スマン」さよなら さようなら 青白い光は魂(たましい)の放つコトバであった
10 「とうとう翼も蛍になってしもうたわい」翼よ あらゆるものから解き放たれて 銀河へ 遠い遠い宇宙まで翔んで行け 庭に 家に 遺族に 深い深い闇と沈黙と祈りが来た
(合掌)
突然 流れていた音楽が止んだ
ラヴェルの楽曲「ボレロ」だった(サドンデス)
偶然か必然か 誰が 何が 骰子を振った
それが大問題だ
時が熟して 光が来た
機が熟して (私)が顕現した
気がつくと 宇宙の惑星に放り出されていた
さあ人生だと言われて 意識に火が点き
ただ生きた 惑星の法則に従って
(悲)も(苦)も(痛)も(喜)も(楽)も(快)も
味わって
比率で言えば おそらく 7対3くらい
そして ある日 突然 ただ死んだ
宇宙の法に任せて おさらばの時が来たから
もう 一切の意味付けは無用だ
「輪廻転生」とか「復活」とか「永却回帰」とか「再生」とか「魂」とか「無」とか
ニンゲンは あらゆるものに 名前をつける
その意味を発見しては ああだ こうだと言いたがる
そして定義までする
無意味か 非・意味か 放っておいてくれ
一切がコトバの問題だ
(私)は いつも 言葉の外部にいる いや
コトバの内部にいる いわば(恁麼)である
終れないという恐怖に比べれば
(死)の恐怖など 何ほどのものでもない
永遠の宙吊りこそ畏怖だ
おそらく ニンゲンは 耐えられまい 失神する いや狂ってしまう
(無)から(無)への宇宙の永遠のリフレーン
宇宙そのものが サドンデスかループする存在か 見分けがつかない
(私)は宇宙の 白痴だ さっぱりわからない 何?何?何?
音楽が流れている 街の中に いつまでも終ることのない(エンドレス)のループする音楽
あれは? サンバか 阿波踊りか
※参考資料「音楽の危機」岡田 暁生著
那佐という風景を発見すると 音と形と色の交響曲が時空を超えて流れてくる ナ サ ナサという美しい音を舌の上で何度か転がしてみると ひとつの風景が立ちあがってくる ナサ NASA 那佐という言葉の向う側に那佐というコトバの原初が見えてくる 言葉は呪術でもある 古代から この土地の人々は「波」のことを「ナ」と呼んでいた 波の騒ぐ場処 文字が伝わると 和那佐があてがわれ 後に 省略されて 那佐となった(阿波風土記)美しい入江にきれいな透明な水が流れていて そこで食べた貝(志深里)が 実に美味しかったと履仲天皇も語っている(播磨風土記)和那佐意富曽神社の誕生の地 四国は海に囲繞されているが 実は 同時に山の国でもある 剣山から石鎚山まで東西に四国山脈が走り そこから 四方八方に 無数の山や峯や連峰が点在して 海へと雪崩れ込むから 平野は少なく狭い 土佐と阿波の国境に 宍喰という町があって その町の北側に鈴ヶ峰という連峰があり その裾野は数キロにわたって なだらかに東へ延びて 太平洋へ突入する その麓に 20~30軒の集落がある 那佐だ 陸地に添って 平行に「陸繋島」が走っている 入江が那佐湾である 西側に美しい砂嘴があって 半島は 緑で蔽われた巨大な戦艦のように海に浮かんでいる 岬だ 天然の良港である
四季の 那佐湾の入江に流れる水を 1800回以上視ただろうか 通学バスに揺られて 宍喰から海南高校まで 約30分 バスは那佐湾の岸辺を走りぬけていく 行きは バスの右側に 帰りはバスの左側の窓際に立って 緑の水が千変万化する光景を眺めた 長い長い梅雨が終った初夏 入江の水は 緑の中の緑となって燃えあがった 青空の光 松の緑 ウバメガシの深い緑を映して 水面に緑の王国が出現した 緑色の革命? 緑の爆発 光と水の祭典 入我我入 一瞬が永遠であるような「一即無限」の小宇宙が那佐湾の入江に流れる緑の水に発生 水の道であろうか 緑の水がイデアになった 那佐は 正に アジールであった
※大河小説「百年の歩行」(現在、執筆中)の第二章を「散文詩」にしてみました。
私の呼吸(リズム)を宇宙の呼吸(リズム)に 合わせてみる
そのチューニングが
一日の(私)の仕事(?)だ
何をしていても どこにいても いつでも
コレハ(私)ノ仕事デハナイ
コレハ(私)ノ場所デハナイ
長い間 そんな奇妙な感覚で生きてきた
歩きに歩いて物を売ったセールスマンの時
「本」作りに熱中したエディターの時
会社を経営した 休日もない社長の時
どの椅子も 私のココロとカラダには
ぴったりと合わなかった
いつも 足の裏がヒリヒリしていた
そして ある日 あらゆる椅子を棄て去った
白昼 私が歩いていると 他人に まるで
幽霊じゃないかと言われてしまった(正体が見破られた!!)
とうとう こんなところまで 来てしまった
もう遊行の時だった(モウ 何モ スルコトガナイ 人間ハ
本当ニ 何ヲシテイルノカ 何モ知ラナイ 永遠ノ宇宙ノ相ノ下デハ
ソシテ 今ハ 特別ニ 何モ 言ウコトガナイ)
私は 確かに 何かを問いたいのではない (私)は宇宙の「問い」の
真っ只中にいた モノゴトは 正しく問わねば「問い」そのものが無効になる
(私)に残された最後の仕事は? 道端に ただ ゴロンと転がっている
一本の木材のように 沈黙して 正しい姿勢(?)で 宇宙に 立ち向かってみることだ
(私)は 宇宙の難破船になって 解体されて (私)を解き放ち
四方八方へと砕け散り 揺れて 漂って 浮遊しながら 超(私)に至る
つまり
(一即無限)へ 38億年の華咲く 道(タオ)へ
(2023年4月17日)
水だけが流れるのではない
木が流れる 石が流れる 鉄が流れる
ココロが流れる 昆虫が流れる
ニンゲンが流れる 季節が流れる
コロナが流れる 戦争が流れる
何処へ?
あらゆるものが 分解の王国という川へと流れる
顕現した一切のモノもコトも生成の王国へとむかい
その頂点に達すると
一気に分解の王国へと崩れ落ちて流れ込む
朝は昼へ 昼は夜へ そして
夜と昼の彼方へ
24時間の外部へと流れる
光も闇も崩れ去って減尽へと流れる
眼の前で 父と母が流れ 弟が流れ
友が流れ 次から次へと生命が流れ
叫び声があがり 啜り泣きが流れ
慟哭の声もあって 沈黙が来る
もちろん(私)も流れっぱなしだ
もう(私)も 生の頂点を とっくに過ぎた
百年・千年・万年・億年と宇宙スケールの 分解の王国が大河となり瀑布となって宇宙に流れている
まだ(実数)である(私)も とうとう
存在のゼロ・ポイントを超えて
(虚数・i)という(私)へと流れていく
意識は白昼・現象という幻を見ている
超自我の眼で見れば いたるところに 幻花が咲き乱れている
幻花も 流れる
てんでんこに生きているニンゲンがいる
ヒトは それぞれの
感覚で 意識で
言葉で 思想で
多様な宇宙観で てんでんこに生きている
たいがいの人は
(今)(ここ)を現実と思って
生きていると言う
しかし よくよく考えてみると
(今)とは いったい 何時の(今)か
(ここ)とは いったい どこの(ここ)か
(現実)だって? どんな(ゲンジツ)?
揺らぎが ふたたび 襲ってくる
あらゆるものを
撹拌
する 無限の量子の手
1000億個の銀河群をひとめぐりして
帰ってきた無限遠点からの旅人は
いつのまにか(他者)になっている
どこでもない場所と誰でもない(私)に
怯えながらも 揺れて 漂って(今・ここ)を
探してみるが みつからない
そんなものは もう どこにもない
ヒトが てんでんこに生きる証拠がある
夏目漱石は?「則天去私」の位相に
荒川修作は?「天命反転」の宇宙に
石牟礼道子は?「苦海浄土」の心世界に
重田昇は?「一即無限」の超球宇宙に
モノもコトもヒトもココロも宇宙も
わかればわかるほどに
わからなくなる!!
本当のことなど
とうの昔になくなった ニンゲンがそうしたのだ
一切が 時空が 振り出しの(無)に戻る
そして ふたたび みたび よたび 波が来る
ただ エネルギーの渦の中に
言葉から「コトバ」の宇宙へと
翔び続ける 宙吊りになった 存在者が
顕現して 浮遊している
蟻が大河を渡っている
蟻が山を引いている
ニンゲンが銀河をめぐっている
ニンゲンが他の宇宙へと跳んでいる 宇宙際
何の不思議もない
わが超球宇宙は
無限のコトバの織物だから
ニンゲンは 正気で 眼をあけたまま あらゆる夢をみる
(事実)も(夢)も(現実)も(幻)も
幻視もみる
ヴィジョンもみる
一切の見えないものまで見てしまう
見るものは それぞれにリアルだ
何をしているかって? 一体 ニンゲンに
何ができる?
もう特別にすることは何もない
ただ ひたすら 歩いている
巨きな楠のある公園へのそぞろ歩き
足と眼と耳と口と鼻と意識で 四季を歩く
時空の歩行者だ
手ぶらで歩いているから
(私)の姿がよく見える
無限の中の1の(私)視点を変えると一即無限
来たところも 行くところも 透視できる
浮遊するニンゲンにとって
歩くのが唯一の法楽
もう 何もいらない
最果てまでくると
行く処がなくなると
ひたすら古代人を見習って
(私)という魂(ブシュケ)をお守(も)りしながら
今日も閑かに瞑想している 寂静
宇宙眼鏡をかけたまま
宇宙の記憶を一番深く長く刻んている石に感応して 石の放つコトバを 聴き 読み 見てしまった 四人のニンゲンがいる 大津の穴太衆のように
あらゆる石のコトバを聴く「石っこ賢さん」と呼ばれた少年がいた 野へ 山へ 川原へと 歩きに歩いて 石を収集して 分析し 分類し 科学し 詩「永訣の朝」にまで昇華した宮沢賢治 法華経から相対性理論まで読み込んで 宗教と科学と文学が結婚した 『銀河鉄道の夜』 に至った 宇宙でも石を発見 石のコトバを書き続けた 他人に デクノボーと呼ばれながら ケンジの石はみかげ石
「私はひとつの石ころである」秋山駿の「生」の綱領である ある日 道端に転がっている石ころを拾ってきて 机の上に置いた 知的クーデターのはじまりの合図だった 一日 七日 十日 百日とデカルト風な石ころとの対話がはじまった 『内部の人間』 の発見と誕生
『舗石の思想』 は石ころのコトバの頂点 ある日義母が家を出た 秋山青年は 追いかけて行って 石ころを手渡した 自分の耳を切り落として 貧しい女に差し上げようとしたゴッホの心性と酷似 極楽トンボと呼ばれながら 石ころの「生」を生き抜いた
狂女の祖母と身も心も交感できる心性をもった少女 天草の石工の棟梁であった祖父が築いた石垣の石と 魂の交感ができた少女 ニンゲンの世界のどこにも 言葉をかわせる場所がなかった 石になろうとして身を投げた 苦と悲と怨しかない水俣病の患者たちに共感し 共鳴し 共振して 『苦海浄土』 に至った 石のコトバを ニンゲンの言葉に変換して 闘い抜いた巫女・石牟礼道子であった
化石少年と呼ばれた男がいる 一日中山を歩きまわって 化石ハンマーで 化石を割りに割って 水成岩の中心に巨大なウニの化石を発見 震撼された魂 中心へと歩く心性の誕生 夜と昼の彼方へ 異界へと歩く 淵を 縁を 際を 間を 境目を 裂け目を 物と言葉の 夢と現の 此岸と彼岸の 正気と狂気の境界線上を歩く どちらに転ぶかわからない危険でスリリングな歩行者 中世の二上山と古代のエジプトを共時的に歩いて 『オシリス 石ノ神』 に至る 吉増剛造のコトバ宇宙が出現 顕現したのは石のコトバ
四人に共通する心性は? 石と歩行と無私