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• 金曜日, 10月 01st, 2010

−幸運な魂の交流−

本書は、歌人・福島泰樹と作家・立松和平の魂の交流の書である。

はじめに、序歌「春の盃」71首が、立松の霊に捧げられている。1970年、大塚での邂逅からはじまって、今年2月、突然の立松の死去に至るまでの、約40年の、立松・福島の交流が、短歌となっている。

「出会いたる70年を想うかな今更ながら春の雷」
「遠雷はいまだ聞こえずわがめぐり立ち去り難くまた吾もおる」

立松の来歴そのものが、福島のやさしい眼によって、(歴史)となっている。友の声である。

第一章「泰樹百八首」は、作家・立松和平が、歌人・福島泰樹の、青春の絶唱を読み解いている。散文家が、歌人の核に迫る時、そこに、どんな火花が散るかが、一番のスリルであった。人に添い、状況を読み、時代を貫く、透明な棒のようなものに、立松の心が触れる。論じる、論じられる関係は、もちろん、真剣勝負である。
二人は、作品を通じて、日常生活を通じて、四十余年、同志として、文学の革命に、汗を流し、お互いに、鼓舞し合うという幸運な朋輩であった。

第三章「俺たちはいま」は、福島、立松の対談である。「早稲田文学」で出合い、出発した二人は、もう九十年代には、振り返るほどの作品をものにしていて、お互いの、創作の急所を、語りあうほどの、作家、歌人としての地塁を築いている。

第四章は、福島による、立松の小説群の分析と評価である。愚直に、青春の、全共闘時代を引き受けて、生きる姿勢とその作品に、福島は、拍手を送っている。

そして、第五章は「さらば、立松和平」 鎮魂の書である。
立松の人柄、交友関係、時代の状況が、史的に語られる。
死者は、すでに、読まれ、語られる者になった。いつも、ニコニコ、決して怒らない、他人の悪口はいわない、真摯な立松和平の立姿が、くっきりと、浮かびあがり、文学の終生の友、福島泰樹との熱い心の、魂の交流があふれている。
お互いが、創造者であり、よき読者であるという、小説家と歌人の、終生の交わりが一冊の本になった。

立松和平は、幸せ者である。語り継いでくれる友、福島泰樹がいるから。
                                                              10月1日                                                                

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• 土曜日, 3月 20th, 2010

長い間、大江健三郎の小説を読めなかった。若い頃、「万延元年のフットボール」は、その時代の最高の作品だと思って、2度、3度、熟読をした。ニンゲンという存在の、新しい形が出現したと思い、存在を切開く文体の魅力に、身を委ねた快楽があった。

しかし、それから、発表された、様々な作品を購入はするのだが、途中で、中断してしまった。私の生きている呼吸のリズムと、作品が、反揆しあって、どうしても、リアリティを感じられないのだ。セールスマンとして働いているニンゲンの現場に、大江健三郎の声がとどかない、いや、私の感性が、もっと、別のものを求めていて、大江作品のめざすものから、ブレてしまったのか。

私は、「芽むしり仔撃ち」と「個人的体験」と「万延元年のフットボール」が、大江作品のベスト3だと考えていた。

決して、江藤淳が批判したような、人工的なものを、「万延元年」に認めて、読まなくなったのではない。

読者が、ある作家を必要とする、あるいは、その作品を読み続けるという時には、必ず、自分の生きる、深いところにある理由が、作家と、作品と触れ合わなければならない。

長い、長い、未読の後、「水死」に出会った。2、3日かけて、一気に読み終えた。不思議だ。文体が、全身に貼りついてきた。なぜ、今まで、中断したのだろう。文体は、ほとんど、その人の生理だ。自由自在に変えられるものではない。大江健三郎が変化したのか、読者の私が、変化したのか、とにかく、水を呑むように、私の魂の琴線が鳴り響いた。

やはり、大江健三郎は、おそるべき、才能の人だ。人も文体も変化していた。

「本」は、ニンゲンという存在とその生きかたに至る、すべての現象が、現れていはければならない。「水死」には、初期の、四国の森、「個人的体験」の核となった家族の不幸、そして「万延元年のフットボール」で展開された、存在の探求、すべての、大江健三郎の(核)があった。

大江健三郎は、何を生きてきたのか、今・ここを、どう生きているのか、現代の空気をどう吸っているのか、父をめぐる考察は、思考の襞を、四方八方にひろげながら、戦前・戦後の日本人の、生きざまへ、魂のあり方へと、天皇へと、疾走する。

書くことは、読み込むことである。

どこまで深く、モノとコトを読み込んでいくかが、作家の腕の見せどころであり、大江健三郎は、(知)のすべてを、「水死」に注ぎ込んでいる。

50年以上、最前線で、現役として、「小説」を書き続け、高齢者になった今も、衰えを見せない。

老いあり、病いあり、傷あり、高齢者社会がかかえている問題が、すべて、大江健三郎の身にも振りかかっている。つまり、ノーベル賞作家も、スターも、同じ地面で、生きているのだというリアリティ。

私は、「水死」の中では、死んだ母の姿が一番リアリティがあると思う。作家への、良き批判者・ものを書くこともない人の、良心のあり方が、貫かれていて、胸が痛い。

複雑な構成、数々のアイディア、エピソードにあふれる「水死」ではあるが、物語の紹介は、一切しない。

私が、ふたたび、大江健三郎の小説が、読み通せた理由は、実は、大江健三郎というニンゲンが、現代の、薄い空気を吸いながら、普通に生きている人と、同じ地面に立っている、その姿そのものを、語ってくれる、魂のやわらかさにあった。

鳴り響く声は、未読の30年という時空を飛び超えて、「万延元年のフットボール」へと直結した。それにしても、魂に沁みる。

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• 日曜日, 12月 06th, 2009

「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される」(草枕)漱石の言葉だ。

池田晶子は、論理の人・考える人そのものだった。その、池田晶子というニンゲンが死んで、もう、二年になる。(知)の人は、世間の人間が、汗かいて、働き、足を踏んだり踏まれたりしながら、メシを食う、いわゆる(社会的な私)と、ほとんど無縁の人だった。

(私という現象)の不思議を、どこまでも探求する、その、存在を、すべて、解きほぐしていたいという強烈な要求が、池田の文章を支えていた(核)であった。

在ることは、いくら考えても尽きることのない謎であるから、それに挑戦する池田の言葉は、真剣勝負で、実に、インパクトがあった。

その池田晶子が、「魂」について、語る、考察するのが、本書である。

私は、魂は、論じるものではなくて、感じる、観照するものである、と思っているから、池田の、この仕事は、大変、危険なものとなるだろうと考えた。

池田晶子も、そのことは、充分に解っている。しかし、(意識)では、私は満たされぬという思いが日々、増すにつれて、私は魂であるという、命題へと、歩みはじめる。

かつて、小林秀雄も、中断した長篇評論「感想」の冒頭で、魂について、語っていた。「お母さんという蛍が飛んでいた」小林は、その火の玉のような蛍が、死んだ母の魂であると語りながらも、それは、私の実体験であって、私は、そのまま、その現象を信じるが、文章にして、他人に提示する場合には、まるで、文法にもならぬ、童話になってしまうと用心していた。

(信じる)という言葉がポイントである。

論理で考える、魂を考える、いや、その魂へと至る、池田の思考のうねり、その足取りが、実に、魅力的だ。

池田は、魂の考え方から、感じ方、そして、理解の仕方まで、着実に、歩をすすめていく。オウム事件、兵庫県での「少年A」の事件、脳死、父の病気(ガン⇒死)、愛犬の死をめぐって、探求は続くが、どうしても(魂)を語り尽くすことができない。

魂をめぐる考察は、やはり、考えるよりも、信じるの方へと比重がかかっており、論理では容易にその姿を現さない。

魂を象徴するには、実は、ユングのような、方法があるのだ。決して、分析するフロイドではなく、共時的な揺れの中に、ものを捉えていく、ユングの手法。ユングの「自伝」は、魂について、一番、説得力のある本だと思う。

おかしな言いかたであるが、池田晶子というニンゲンが死んでも、その言魂は、魂は、残っている、読んでいる私の中に、と感じる日々だ。

将来どこまで行くのか、その行き先が楽しみな作家・哲学者、考える人の、突然の死は、和歌山への出張の日の、朝、知った。仕事が手につかなかった。これだけの、考える力が生れるのに、また、どれだけの時間と、ニンゲンが必要になるのだろうか、本当に、惜しい人という言葉がぴったりだった。

東京駅で、週刊新潮を購入した。ガンだった。そういえば、文体に、論調に、ある種の変化が現れていた。「魂」について、「死」について、「私」について、死後も、池田晶子の言魂は、私たちの心の中に、垂直に降りてきて、語り続けている。

小林秀雄が死んだ時には、実に、妙な気がした。小林秀雄は死なないと、私は思っていたらしいのだ。なぜ?その、言魂が、あまりにも深く、私の内部に降りてきて、響き続けているものだから、その声の主が、消えてしまうと、私の魂も、消えてしまう、どうやら、そういうふうに考えていたみたいだ。

人は、傷を、病気を、痛みを通して、論理から、魂へと通じる言葉を得ていくものだと思う。論理よりも、肌理のこまかい、人間そのものにぴったりと吸いつくような、表現がある。

池田晶子の文体が、今、大きなターニングポイントに差しかかっていた、それが「魂とは何か」という本である。しかし、考えるという形がそのまま表出されるような、池田晶子の文体は、いつも、素手で、裸のままで、(今・ここ)から出発するという、正に天から、垂直におりてくる、言魂そのものであった。時空を超えて。

追記
やはり、言魂(言霊)は、伝播するものだ。何気なく、雑誌「群像」で、川上未映子の「ヘヴン」という小説を読んだ。とりとめのない、冗餂な作品だと思いながら読んでいたら不意に、小説世界が一変した。

これは、池田晶子の世界ではないか。驚いて、詩集「先端で、さすわ、さされるわ、そらええわ」を読み、初めての小説集「わたくし率 イン歯−、または世界」、芥川賞受賞作品「乳と卵」を熟読した。

池田晶子の言魂が、もう、川上未映子という作家の作品の中に再誕している。驚きであった。精神の、言魂の、リレーが、はやくも実現されている。

実際、川上未映子も、池田晶子の世界に感応して、その言魂の中に、自分の中にあるものと同質のものを発見して、それを、小説や詩という形をかりて、表現している。

単なる影響というのではない、池田の簡潔で、明晰な文体に較べると、川上のそれは、いかにも、関西人らしい、具体の世界で展開される日常そのものの語りであるが、その語りの中に、垂直に、(存在)を直撃する(思う)が混入されている。

魂は、このように、交感するのだ。合掌。

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• 月曜日, 11月 09th, 2009

小説がその時代を象徴して、風俗となる時代があった。

石原慎太郎「太陽の季節」
大江健三郎「芽むしり仔撃ち」
三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎、柴田翔、開高健と、作家が時代を伐りひらいて、その時代のオピニオンリーダーともなった。

しかし、いつまでも、一人の作家が、時代を代表して、疾走できるわけがない。時代が変われば、旧いスタイルになる作家は、棄てられて、また、次の作家が現れ、その繰り返しの周期は、10年、5年、3年と短くなって、終には、毎年、量産される新人の芥川作家たちは、受賞作以上のものを書けずに、世の中から消え去って、数年も生き長らえて、本物の作家となるのは、10年に、数人しか、残らなくなってしまった。

その上に、作家の力が衰弱したのか、小説自体の力が落ちたのか、芥川賞でさえも、世間から注目をひかぬという時代になってきた。

独特のテーマ、文体、知力を持った作家たちが、次から次へと誕生する訳がない。

10代、20代の、若い作家たちの受賞もあったが、感性だけで、何年間も、小説を書ける訳がないし、人生をよく生きていない人の言葉に感嘆する時代は終って、成熟した、分化した、専門化した、複雑性の時代は、作家たちの資質や才能や体力や知力で乗り切れるほどに甘くはない。

しかし、小説は好きの読者は、いるもので、いつも、新しい、力感あふれる、魅力的な作品を求めている。小説は、もっともよく生きている人の姿を写す鏡だから、読者は、現代の空気を、思想を、風俗を、小説の中に発見したがる。

私も、ふらりと本屋さんに立ち寄っては、名前も知らぬ作家の本をペラペラとめくって、立ち読みをする。都市から離れた市だから、本の種類も限られている。

ある日、「肝心の子供」を手にとって、3ページほど読んで、紙面から言葉が起ちあがってくる、新鮮な驚きを覚えたので、購入した。言葉の磁場が強力で、とても、新人の処女作とは思えない、確かな文体があった。一行一行、細部は、肌理が細かくて、具体的であるのに、目を離して、遠くから眺めると、光景が奇妙にゆがんでしまって、焦点を結ばず、時空がゆらいでいるのだった。言葉自体に核があるのだが、まるで、ゼロ記号のように、つるつると滑って、意味をそぎおとしてしまうのだ。

つまり、読者の感情移入を許さない、安心という着地を許さない、文体である。しかも奇妙な魅力に満ちているのだ。

私は、モーリス・ブランショの作品を想った。言葉が言葉を呼び、いわゆる、ふつうの時間、空間を無視して、文章が、自動的に流れ、ぶつぶつ呟くように、ただただ、漂い、流れ、一切の(着地)を拒否している作品。

磯崎憲一郎は、いわゆる、リアリズムを棄てた作家だ。絵でいえば、ピカソ、彫刻ならば、ジャコメッティ、音楽でいえば、シェンベルグ、つまり、小説のキュービズムを実現した作家である。

主人公との一体感のもてる従来の小説ではないから、いわゆる、感動がない。人よりも、言語が、主人公である。意味を求めても仕方がない。(現実)は、分析されて、(日常)は、その時空を奪われて、ひとつのメタ物語へと達している。

だから、これは、いったい、何を書いているのだ、どういう意味があるのだろうという、素朴な読者の問いには一切答えがないのだ。

「本」の帯に「人間ブッダから始まる三代を描いた新しい才能」と書いてあるが、仏教の創造者、釈迦を多少なりとも知っている読者の期待は、すべて、裏切られてしまう。仏教も、修業も、悟りも、ない。

それでも、磯崎の文章には、読者の頭脳を刺激する強い力があって、ぐいぐいと、ひきこみ、ひらめき、衝突、発光、消滅と言ったものが、随所にちりばめられている。

本の奥付けを見ると、2007年11月である。初版本である。おそらく、この種の小説を読みこなす読者は、最高3000名くらいだろう。つまり、磯崎が、小説を書いて、メシを食うのは、大変だ。おそらく、一般の読者は、むつかしい、面白くない、解らないと、相手にしないだろう。しかし、大事に育ててもらいたい”才能”である。そんなことを、勝手に考えながら、歳月が流れた。

「終の住処」が芥川賞を受賞し、作者が、大手商社に勤務する部長だと知って、なおさら驚いた。

商社マンである、しかも、大手の、それが話題にもなって、11万部が売れたと聞き、信じられぬ思いがした。いったい、誰が、あの作者の文章を読みこなすのだろうか?

もちろん、売れると、読まれると、感動するでは、まったく、質のちがった話である。

で「終の住処」を読んでみた。

時空もゆがむ、正に、アインシュタインの時代の小説である。30歳を過ぎた男と女が結婚して、子供が出来、家を建ててというふうな筋書きを書いても、虚しいだけで、11年も妻と口を利かなかったり、数ヶ月も月は満月のままだったりと、いかにも、キュービスム風な小説のスタイルで、リアリズム風に小説を読む習慣の読者は、躓きぱなしになるか、その文章を、ただ、すいすい読んで、考えることもなく、先へ先へと、素通りしてしまうだろう。(月)は(月)ではなく、(妻)は(妻)ではない。物としての月、月と呼ばれている月、いわゆる(現実)も、この小説の中では、磯山の文法に従って、その統治下のもとにある(現実)となっている。

考えてみれば、すぐにわかることだが、(現実=現象)は、言葉の中にはない。これは、小説(フィクション)ではなくて、事実を書いたドキュメントですと語ったところで、実は、言語化する時には、もう、(現実・現象)は、別のものになっている。

人は、エッセイやノンフィクションを(事実)と読みたがるが、そんなことはない。(モノ)は、言葉の外にある。絵の外にある。写真の外にある。事実そのままを写した写真も、また、事実ではなくて、(写真)なのだ。

磯崎は、そのことを、知悉して、充分に、使用している作家である。

小説は、決して、筋ではまとめられないし、プロットの中にもないし、一行一行の文章の中にしかないのだ。

だから、磯崎の小説のストーリーを語っても、何も語らないに等しいほど虚しいのだ。

文体こそが生きものである。
読む瞬間にこそ、リアリティが発生する。

磯崎の小説は、メタノベルである。

しかも、文章の一行一行は、とても(現実)によく似ているくらいに、精緻にできているので、一見(現実)がそこにあると思われがちだが、眼を遠くへ離せば、すぐに、その細部も、得体の知れぬ別のものに変わってしまう。

メンバーにメンバーを加えて、それがクラスになる。メンバーには、クラスのことはわからない。そういう原理で貫かれている。

それにしても、行変えの少ない文章は読み辛い、作家三島由紀夫は、4~5行で、行を変える習慣を守った。

新しい時代の、新しい小説に、新しい才能が挑戦する。ニュートン的な、絶対的な時間の中で、長く育まれた小説が、いよいよ、自由に伸びたり縮んだり、曲がったりするアインシュタイン的時空の中で、どのように成長するか、実に、楽しみな作家の出現である。

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• 月曜日, 11月 09th, 2009

文学が、小説、評論が確かな力をもっていて、時代に、インパクトを与えた時代があった。柄谷は、そんな時代に、文芸評論家としてスタートし、小説家・中上健次と二人三脚で、新しい文学空間を切り開いた。(風景の発見)

その柄谷行人も、1992年、中上健次がガンで死ぬと、文学の現場から去って、文芸批評をも辞めてしまった。

本書では、はじめて、柄谷が、政治・思想について、詳しく語っている。柄谷の愛読者には、なぜ、彼が、文芸評論を辞めるに至ったのか、どんな思想を構築しようとしているのか、興味が尽きない。東大に入学して、学生運動をはじめ、文芸評論家になり、英語の大学講師(教授)をして、生活の糧を得ながら、マルクスの研究から、言語・数・貨幣についての考察、国家・ネーションへと至る道程が、詳しく語られていて、素人にも、よくわかる。

柄谷行人の「探求」は、人間世界の原理を求める道である。世界の(知)に対抗できる論文・評論から思想へと転換した地点が、政治を語りながら解き明かされていて、実に、興味深い本である。

小林秀雄、吉本隆明、秋山駿と、それぞれが、文芸評論から、固有の文章へ、思想へと展開していったように、柄谷行人も、自らの(核)を、マルクス・カントを読み込むことで、構築している。

小林秀雄のドストエフスキー論が、世界に通用するレベルであったように、柄谷のマルクスや「探求」も世界の論文と、肩を並べても見劣りのしないものにと、その志が覗える。

ポストモダンの象徴のように思えた柄谷行人が、実は、その限界を読み取っていて、自らが、ポストモダンを否定しているのも面白い事実であった。

世界を、存在を、宇宙を、一人の人間が知尽するには、余にも、分野が専門化しすぎていて、誰の手にも負えなくなっている。

(政治)は、一に原理、二に行動であると思うが、もの書きは、いつも、(現実)に対して、無力感を痛感する。時代の中でのアクションが、政治家のようには起こせない。それでも、原理によって、ヴィジョンを提示することは出来る。

(現場)で行動すると、文学者や思想家は、必ず、躓いてしまう。それでも人は運動する。(現実)は、いつも、原理のようには動かず、人の予測を裏切ってしまう。

それでも、運動は起こり、思想は樹立される。

柄谷行人が、(文学)から去ってしまったのは淋しい限りだが、(本)は、何も、文学に限らない。今後、魅力的な(本)を出し続けてくれれば、”柄谷行人の宇宙”が、結晶するだろう。思想家・柄谷行人からは、まだ、眼が離せない。

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• 月曜日, 11月 09th, 2009

最前線の(現場)を生きている人の語る言葉ほど面白いものはない。人間と人間の交流の場がある。衝突し、融合し、反発し、分離し、集合し、波風が立ち、絶えず、揺れ、浮遊し、漂い、機動し、一時も、静止することのない人間の群れによる、流動する場が(現場)である。一日一日、その形状は、変化して、止むことがない。

佐藤優の仕事は、外務省の、情報を集める、謀報部員、国家公務員である。ロシア(旧ソ連)の担当職員だ。キャリア組ではない。現場の一兵卒である。しかし、日本を代表するほど、有能で、傑出した外交官として、名を馳せた男だ。

佐藤優の仕事の流儀は、郷に入れば郷に従えで、徹底的に、ロシア人と付き合って、信用を得て、情報をものにする手法だ。

酒ひとつをとってみても、半端ではない。盃を、返し、返され、一晩中、飲み続け、酔って、ふらふらになっても、トイレで吐いて、また、盃を重ね、倒れる寸前まで飲み続ける。もちろん、それが、親交を結ぶしるしだから避ける訳にはいかない。酒を呑めない者にはとても勤まる仕事ではない。

温泉に入れば、仲良くなった男たちは、男の一物を握り合って、お互いの心を通じ合おうとする。

24時間、すべてが、仕事の体制である。もちろん、家庭の犠牲は、当然のことで、佐藤も、妻と離婚をしている。(私)生活というものがない仕事である。

佐藤優は、ロシア人の生活、習慣の中に、完全に溶け込んでしまう。

一番彼に役立ったのが、宗教だった。佐藤は、大学時代に、神学(キリスト教)を学んでいる。将来は、神学を研究して、じっくりと、学問をしたいと考えていた。

ところが、偶然、外務省の、一般試験を受けたら、合格してしまった。

実は、その神学の知が、外交の仕事において、ロシア人との交流において、一番の信用を得た(素)になったと告白している。

人間は、いつ、何が役に立つかわからないものだ。

その有能な、国家の為に、身も心も、私生活まで捧げて働いてきた、佐藤が、「外務省絡みの背任・偽計業務妨害事件で、2005年2月17日に、東京地方裁判所で、懲役2年6ヵ月の有罪判決」を言い渡された。なぜ、全身全霊をかけて、外交官という仕事に打ち込んできた人間に、国は、罪を背負わせるのか?

国を相手に闘う一人の外交官VS検察官とのやりとりは、戦慄さえ覚えるほどの迫力である。と同時に、謀報という仕事に携わる者のあやうい、頼りない、その立場に、身がふるえてしまう。

外務省から犯罪者へ、犯罪者から作家へと変身した佐藤優の姿は、(現場)を精いっぱい生ききったものの、真摯な、しかし、憤怒に満ちた力に象徴されている。

外務省のラスプーチンと呼ばれて、国会議員、鈴木宗男とともに、ジャーナリズムを賑わしたが、(権力)とは、(国)とは、いったい何なのか、泥沼の底に沈められて(個人)には何が出来るのか?身に、突然、降りかかった炎を、いったい、人は、どのように消さばいいのか、長い、長い、苛酷な闘いが始まっている。

だからこそ、表現、(私)が語る言葉こそ、佐藤優に残された、唯一の武器とも言えるのだ。文は、人である。

ロシアは、ドストエフスキー、トルストイ、ソルジェンチンを生んだ国である。その闇は深いが、民衆の力はパワフルで、謎に充ち、歴史の宝庫である。

佐藤優の仕事は、無限にある。

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• 月曜日, 11月 09th, 2009

久々の本格的な、小説読みの、評論家の登場である。小説が好きで、好きで、たまらない人が、長年、読み込んできた、愛読書を、明晰な思考力と、雄大な構想力と、知的な方法論を駆使して論じた、魅力にあふれる処女作の出版である。

小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、秋山駿と、個性ある評論家たちが出現して、柄谷行人以後、なかなか、小説家にとって、その作品の本質を論じきれる評論家の存在が、希薄だった。

作家は、評論家と共に育つものだ。江藤淳と大江健三郎、柄谷行人と中上健次などは、二人三脚で、ひとつの時代を創りあげた、いい例である。

安藤礼二には、新しい時代の作家たちと共に、歩み、時代をリードする膂力がある。

折口信夫「死者の書」、埴谷雄高「死霊」、稲垣足穂「弥勒」、中井英夫「虚無への供物」、江戸川乱歩「陰獣」、さらに、知の巨人・南方熊楠、戦後文学を代表する武田泰淳と、論じている作家、作品は、すべて、文学の第一級品のみである。しかも、何回も、何十回も読み込まなければ解けぬ、存在のありかたと、固有の文体と、思想を放っている作家、作品たちである。

安藤の美点は、その文体にある。

考えている、その形が、言葉の中に、そのまま美事に定着していて、リズムを刻み、放射状にのびていく文体に結晶している点だ。思考が起ちあがると、一気に、虚無へと疾走して、ゆるやかにたわみ、立ち止まり、発条のように弾み、どこまでも、作品の文章とともに歩み続ける。考えることを追う文体は、(書く=読む)の緊張感を一時も手離さなず、光のように、快楽へとのぼりつめる。

裸の、考える兇器だ。

文章を読みながら、いつも、今・ここが、呼吸しているという思考の手ごたえがあって、文学を論じた「本」では、久々に、興奮の渦が全身を駆けぬけるほどに、スリリングな一冊であった。

特に、折口を論じながら、空海が修業をした室戸岬の洞窟のシーンは、(いづれ、私も、小説で、そのシーンを書こうと考えていたので、)心も脳も揺さぶられるほどの力感に満ちていた。

(独在者たちの系譜)と銘打たれた、この600ページに至る大冊は、従来の、日本の文学にはない、新しい視点で刺し貫かれていた。

文学作品の最高の分析者であり、哲学者でもある、ジル・ドルーズのことを、頭の隅で考え合わせた。

評論作品も、小説と同じように、立派な、文学作品であると実証した、見事な実例であった。感動・感謝である。

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• 土曜日, 8月 08th, 2009

簡素で単色、実直な文体で普通の人の生きる姿を描いていた作家・城山三郎
−生ける人間の真形を追う現場主義の作家によって描き出された城山の姿−

(小説=本)は、もうひとつの(宇宙)である。謎は深ければ深いほど面白い。ポーという(宇宙)。ドストエフスキーという(宇宙)。

一人の作家の頭脳に発火したものが、核となって、種子に育ち、様々な花を咲かせる、想像力+思考+推進力による小説は、ポーの独壇場である。見事な(宇宙)だ。

小説は自由な器である。何を盛り込んでも、どのように書いてもかまわない。しかし、作家の資質や才能とは違った次元で、時代がその作家を呼び、時代が新しい作家をつくってしまうことがある。

カポーティの小説「冷血」は、まったく新しい時代の、新しい小説の登場を告げるノンフィクションノベルの最高峰であった。ある殺人事件の取材から、犯人の逮捕、そして死刑まで、同時進行で執筆するというスタイルは、(現場)における(事実)の重みが、旧来の小説の想像力を叩き潰してしまうほどのスリルとリアリティに充ちていた。読者の心臓と、作家たちの頭脳を叩き割るほどの衝撃作の出現だった。

作家の思想・思考力・文体が、もの書きの心臓だと思われていた小説世界に、(事実)というものが露出して、文学作品の強度とリアリティを獲得した。つまり、(現場)には、核となる(事実)の断片があって、歩くことで、作家は、小説世界のリアリティを、より補強できるようにした。取材、見る、聞く、調べる、考えるという、足による発見の時代が到来した。(もの)が語るのだ。作家にとって、取材・創作ノオトの作成は不可欠になった。

加藤仁は、全国を歩き、3000名以上に会い、インタビューをして、ノオトを執り、作品の種子と、一声を断片の中から掬いあげて、「本」を書いているノンフィクションの作家である。『待ってました、定年』は、日本の来たるべき、超高齢社会を見据えて、長いサラリーマン時代、その後に続く、長い長い人生を生き抜く、普通の人々の姿を追い、人生の喜怒哀楽を表出して、話題になり、世に、加藤仁の存在を知らしめた作品である。

加藤仁が、城山三郎伝を書いた理由は、二つだと思う。城山も、また、トルーマン・カポーティの小説「冷血」によって、ものを書く人である。取材、現場主義の(事実)の重み、普通の人間の生きる姿を追うという、誠実な作家としての共鳴がひとつ。もうひとつは、文学不毛の地、実業の都市名古屋出身という点で、両者は、同じような空気を吸って育っているということ。

加藤は、作品論・作家論ではなくて、作家として、人間としての城山三郎を追っている。なぜ城山三郎は、作家になったのか。果たして、作家としての日常、生活者としての城山は、どういう人間であったのか。(作家も、また、生活者であって、特別な存在ではない)

司馬遼太郎は、天下国家を、政治を、神の視点から、(知)として、描き、三島由紀夫は、華麗なる文体で、思想−美を、狂おしい世界で描き切った。

城山は、簡素で、単色で、実直な文体で、普通の人の生きる姿を描いた。加藤の共感はそこにある。

一万二千冊の蔵書、取材ノオト・メモ・書簡、日記・知人・友人へのインタビューと、加藤仁は、(事実)の森の中から、城山三郎の生きた姿を据えて、その像を形にしようとして随分と汗を流した。

城山は三島由紀夫の小説「絹と明察」を、モデル小説でありながら(現場)のリアリティ不足と書評で全面否定し、三島が激怒したエピソードは、取材・創作ノオトを重視した三島が、結局は人物を借りて、自らの思想・美学を描いているにすぎぬと、気骨を示した。(事実)は必ずしも(現実)ではない。少なくても小説にとっては。

お金の神さまが誕生し、ものが氾濫し、サラリーマンがあふれて、(日常)がせり出して来た時、城山の「経済小説」は、大量の読者を得ることになった。いわば、共感の書だ。

しかし、政・官・財の大物たちを主人公に小説を書きはじめた時、時代の子となった城山は、微妙に変質する。

城山も、加藤も、結局は、生きる人間の真形を追う現場主義の作家である。問題は、どちらの(宇宙)が深いか、謎であるかだと思うのだが。

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• 水曜日, 7月 08th, 2009

国会の答弁で、総理大臣麻生太郎が、幾度か、漢字の読みまちがいを犯した。政治家は自らのヴィジョンを言葉で表現し、実行する、それが生命の仕事である。TVや大新聞でも話題になり、麻生総理は、政治家としての格を下げた。元総理大臣の小泉純一郎は「漢字が読めなくても、総理になれる、変人でも総理になれる」と講演で、笑いながら話をした。

日本人は、日本語でものを考える。

日本語は、漢字・カタカナ・ひらがなの混ったユニークな文章からなる。英語は、音に意味のある言葉で、文字には意味がない。

漢字は、文字そのものが意味をもっている。

だから、単なる読みまちがいでは済まされぬ問題が発生する。一つの漢字にも、いろいろな読み方がある。音(声)と形(意味)の双方が、正確に表現されないと、正しい意味が通らない。

総理大臣の答弁が、実際は、官僚が書いたものであっても、声に出して、読み、発表(発言)するのは、総理大臣本人であるから、単なる読みまちがいでは済まない、深刻な問題となる。

最近、若い人が、本を読まない、文章が書けないという話をよく耳にする。何時の時代でも、自分のことは棚にあげておいて、最近の若い者は、漢字が書けない、文章が誤字ばかりだと嘆く老寄りがいる。

実は、齢をとると、物事を忘れるばかりではなくて、漢字が思い出せなくなる傾向がある。

ひとつには、パソコン・ワープロの普及で、キーボードを叩けば、文字が出てきて、選択して並べば、文章になる−その便利さに大多数の日本人が慣れすぎた為だろう。

手紙を書く人も少ない。簡単なメールや電話で用が済む。

十年、いや二十年ほど前から、電子文字の出現で、漢字が書けなくなったと嘆いている会社員がいたのだ。

で、「漢字検定」がクローズアップされた。漢字を知る、文字は、単なる記号ではなくて、意味を含んだ言霊である。漢字を知れば知るほどに、表現の幅はひろがり、正しい意味を伝える文章が書ける。レポートを書く、人と対話する、論文を読む人−漢字の知識は、日本人には不可欠な、空気や水である。

ちなみに、今年度のベストセラーは、漢字に関する本で、百万部を突破したという。

さて、本書は、漢字の研究に一生を捧げ、白川学と呼ばれる思想にまで築きあげた、白川静の全体像を、現代の(知)の名編集者・松岡正剛が書き下ろした入門書である。

松岡正剛の名は、若い頃、特異な雑誌「遊」の編集者として知り、後に「空海の夢」を読み、その(才能)に注目している。世の中には、南方熊楠・空海と博識強記の人間がいるものだと感嘆する。白川静−松岡正剛も、その系譜に属する人たちである。

「字統」「字訓」「字通」は、決して、天才ではない人が、生命がけで学問に精をを出せば、ここまで到達できるものかと、生きれば生きるほどに深まる思想の世界に、息を呑み、赤貧の、生活苦の中から、揺るぎない白川学を樹立した強靭な精神に感動すら覚えるものだ。

「漢字は世界を記憶している」

漢字の発生から、古代文化から、東洋の思想から、そして、漢字という国語をうみだした気の遠くなるような(歴史)という時間を追う白川静を、(知)の人松岡正剛は、一般の人にも解るように、パラフレーズしている。

好きで好きで、楽しんで、三度の飯よりも漢字の研究を貫き通した白川静−一冊でも読んで見る価値はありますよ。あなたの人生にどうぞ。

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• 水曜日, 7月 08th, 2009

猫の話ばかり書いている作家がいるというので、「プレーンソング」「草の上の朝食」「この人間の閾」を読んでみた。面白かったので「カンバセイション・ピース」から、評論集「小説の自由」「小説の誕生」を通読した。

そして、本書「小説・世界の奏でる音楽」まで来た。

実は、小説以上に、評論集の方が刺激的であった。私が、考える波調が、半分くらい、そうだろ、本当、そのとおりなんだよと合点し、半分は、いや、行きすぎだろうが、書き手に引きつけすぎだろう、もっと自由だろうが、小説はと反対する。

「(私)という現象の、宇宙地図を作る。それが(本)の最終目標だ)と考えているところの私にとっては、保坂和志の、瞬間のインパクト=リアリティの感受には、大賛成である。

だから、保坂は、三島由紀夫の文体や、村上春樹の文体に、考える、思考の力を見い出さないのだ。

普通、傷は、そのまま、疼き続ける。ところが、小説では、傷も、至高のものになる。その変り目が見える人は、本当の、小説読みであり、小説を楽しめる人なのだ。実人生ではなく、虚の世界でも、人は、人に、パワーを与え、与えられることがある。

つまり、平凡な、どこにでもある世界にも、傷があり、輝やき、深淵が口をあけているのだ。保坂の描く世界には、つるつる滑ってしまう日常生活の中にも、確かな杭や釘があると思わせる腕がある。

本書は、小説の読み方というよりも、保坂自身の心性が固有に結晶する、その流れを、ていねいに追っているものだと考えたい。

つまり、保坂は、考えるという哲学をしている。保坂の宇宙地図が、どのような(本)として書かれていくか楽しみでもある。

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