最前線の(現場)を生きている人の語る言葉ほど面白いものはない。人間と人間の交流の場がある。衝突し、融合し、反発し、分離し、集合し、波風が立ち、絶えず、揺れ、浮遊し、漂い、機動し、一時も、静止することのない人間の群れによる、流動する場が(現場)である。一日一日、その形状は、変化して、止むことがない。
佐藤優の仕事は、外務省の、情報を集める、謀報部員、国家公務員である。ロシア(旧ソ連)の担当職員だ。キャリア組ではない。現場の一兵卒である。しかし、日本を代表するほど、有能で、傑出した外交官として、名を馳せた男だ。
佐藤優の仕事の流儀は、郷に入れば郷に従えで、徹底的に、ロシア人と付き合って、信用を得て、情報をものにする手法だ。
酒ひとつをとってみても、半端ではない。盃を、返し、返され、一晩中、飲み続け、酔って、ふらふらになっても、トイレで吐いて、また、盃を重ね、倒れる寸前まで飲み続ける。もちろん、それが、親交を結ぶしるしだから避ける訳にはいかない。酒を呑めない者にはとても勤まる仕事ではない。
温泉に入れば、仲良くなった男たちは、男の一物を握り合って、お互いの心を通じ合おうとする。
24時間、すべてが、仕事の体制である。もちろん、家庭の犠牲は、当然のことで、佐藤も、妻と離婚をしている。(私)生活というものがない仕事である。
佐藤優は、ロシア人の生活、習慣の中に、完全に溶け込んでしまう。
一番彼に役立ったのが、宗教だった。佐藤は、大学時代に、神学(キリスト教)を学んでいる。将来は、神学を研究して、じっくりと、学問をしたいと考えていた。
ところが、偶然、外務省の、一般試験を受けたら、合格してしまった。
実は、その神学の知が、外交の仕事において、ロシア人との交流において、一番の信用を得た(素)になったと告白している。
人間は、いつ、何が役に立つかわからないものだ。
その有能な、国家の為に、身も心も、私生活まで捧げて働いてきた、佐藤が、「外務省絡みの背任・偽計業務妨害事件で、2005年2月17日に、東京地方裁判所で、懲役2年6ヵ月の有罪判決」を言い渡された。なぜ、全身全霊をかけて、外交官という仕事に打ち込んできた人間に、国は、罪を背負わせるのか?
国を相手に闘う一人の外交官VS検察官とのやりとりは、戦慄さえ覚えるほどの迫力である。と同時に、謀報という仕事に携わる者のあやうい、頼りない、その立場に、身がふるえてしまう。
外務省から犯罪者へ、犯罪者から作家へと変身した佐藤優の姿は、(現場)を精いっぱい生ききったものの、真摯な、しかし、憤怒に満ちた力に象徴されている。
外務省のラスプーチンと呼ばれて、国会議員、鈴木宗男とともに、ジャーナリズムを賑わしたが、(権力)とは、(国)とは、いったい何なのか、泥沼の底に沈められて(個人)には何が出来るのか?身に、突然、降りかかった炎を、いったい、人は、どのように消さばいいのか、長い、長い、苛酷な闘いが始まっている。
だからこそ、表現、(私)が語る言葉こそ、佐藤優に残された、唯一の武器とも言えるのだ。文は、人である。
ロシアは、ドストエフスキー、トルストイ、ソルジェンチンを生んだ国である。その闇は深いが、民衆の力はパワフルで、謎に充ち、歴史の宝庫である。
佐藤優の仕事は、無限にある。