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• 土曜日, 3月 20th, 2010

長い間、大江健三郎の小説を読めなかった。若い頃、「万延元年のフットボール」は、その時代の最高の作品だと思って、2度、3度、熟読をした。ニンゲンという存在の、新しい形が出現したと思い、存在を切開く文体の魅力に、身を委ねた快楽があった。

しかし、それから、発表された、様々な作品を購入はするのだが、途中で、中断してしまった。私の生きている呼吸のリズムと、作品が、反揆しあって、どうしても、リアリティを感じられないのだ。セールスマンとして働いているニンゲンの現場に、大江健三郎の声がとどかない、いや、私の感性が、もっと、別のものを求めていて、大江作品のめざすものから、ブレてしまったのか。

私は、「芽むしり仔撃ち」と「個人的体験」と「万延元年のフットボール」が、大江作品のベスト3だと考えていた。

決して、江藤淳が批判したような、人工的なものを、「万延元年」に認めて、読まなくなったのではない。

読者が、ある作家を必要とする、あるいは、その作品を読み続けるという時には、必ず、自分の生きる、深いところにある理由が、作家と、作品と触れ合わなければならない。

長い、長い、未読の後、「水死」に出会った。2、3日かけて、一気に読み終えた。不思議だ。文体が、全身に貼りついてきた。なぜ、今まで、中断したのだろう。文体は、ほとんど、その人の生理だ。自由自在に変えられるものではない。大江健三郎が変化したのか、読者の私が、変化したのか、とにかく、水を呑むように、私の魂の琴線が鳴り響いた。

やはり、大江健三郎は、おそるべき、才能の人だ。人も文体も変化していた。

「本」は、ニンゲンという存在とその生きかたに至る、すべての現象が、現れていはければならない。「水死」には、初期の、四国の森、「個人的体験」の核となった家族の不幸、そして「万延元年のフットボール」で展開された、存在の探求、すべての、大江健三郎の(核)があった。

大江健三郎は、何を生きてきたのか、今・ここを、どう生きているのか、現代の空気をどう吸っているのか、父をめぐる考察は、思考の襞を、四方八方にひろげながら、戦前・戦後の日本人の、生きざまへ、魂のあり方へと、天皇へと、疾走する。

書くことは、読み込むことである。

どこまで深く、モノとコトを読み込んでいくかが、作家の腕の見せどころであり、大江健三郎は、(知)のすべてを、「水死」に注ぎ込んでいる。

50年以上、最前線で、現役として、「小説」を書き続け、高齢者になった今も、衰えを見せない。

老いあり、病いあり、傷あり、高齢者社会がかかえている問題が、すべて、大江健三郎の身にも振りかかっている。つまり、ノーベル賞作家も、スターも、同じ地面で、生きているのだというリアリティ。

私は、「水死」の中では、死んだ母の姿が一番リアリティがあると思う。作家への、良き批判者・ものを書くこともない人の、良心のあり方が、貫かれていて、胸が痛い。

複雑な構成、数々のアイディア、エピソードにあふれる「水死」ではあるが、物語の紹介は、一切しない。

私が、ふたたび、大江健三郎の小説が、読み通せた理由は、実は、大江健三郎というニンゲンが、現代の、薄い空気を吸いながら、普通に生きている人と、同じ地面に立っている、その姿そのものを、語ってくれる、魂のやわらかさにあった。

鳴り響く声は、未読の30年という時空を飛び超えて、「万延元年のフットボール」へと直結した。それにしても、魂に沁みる。

Category: 書評
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