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• 月曜日, 3月 09th, 2015

海部郡宍喰町日比原出身の重田昇氏(43)の短編小説集「ビッグ・バンの風に吹かれて」(東京・沖積舎)が長編「風の貌(かお)」の処女出版から18年という長い沈黙を破って上梓(じょうし)された。団塊の世代、立松和平などを学友とする早稲田大学在学中から早稲田文学などに作品を発表し、純文学の旗手と呼ばれた氏も、今では東京で自ら経営する出版会社の社長となっている。五編の短編集からなる作品は沈黙の分だけ重厚なテーマに支えられている。

氏が挑んだテーマとは、人類のまだわからない未知の領域である。「ビッグ・バンの風・・・」は決してSFではなく、現代の知の先端と氏の詩的感性でもって未知の領域を表現しようとする野心作である。

例えば作品「岬の貌」には、泳いでいた男がおぼれ意識不明となり意識が戻るまでに体験する、生と死の境での行為が野太く巧みな筆遣いで描かれている。タイトルとなった作品「ビッグ・バンの風に吹かれて」では、ある男が異次元でのあふれるばかりの光に満たされる体験や、未来を思い出すという体験などをした後、自分の意識ではどうすることもできず、手が勝手に人をナイフで刺してしまうという、奇抜なストーリーが展開されている。

理屈では解明できない経験をした者が、そのことを人に語るとき、二つの答えがすでに用意されている。「うさんくさい」ととりあわないのが一つ、もう一つは信じることである。体験が理性や科学で理解できないとき、人はそう答えるしか仕方がないからである。けれども、重田氏の表現の視点は、そのいずれかに、読者を導くものではない。

作品のテーマである人類の未知の領域や解明できない体験を表現するとき、おそらく重田氏のバックボーンには人間の深層心理を持つ狂気性を探ったミシェル・フーコーとか、まばゆい光におおわれる神秘的体験から精神患者が完治するのをみたユングやトランスパーソナル派の心理学者らの体験が息づいているに違いない。あるいは、二十世紀の物理学の基礎である量子論と相対性理論によって仏教・道教など東洋思想と同じ世界観を持つにいたったフリッチョフ・カプラなどに代表されるニューサイエンスとよばれる物理学者など、結局のところ「人間とは何か」を問うその他の大きな知が渦巻いているのであろう。

こうした現代の先端の知の裏付けと、詩心に基づく、帰納的な人間の探求が重田氏の姿勢であり、その姿勢が孤高の作品を形成させるのであろう。作品は、知の蓄積がもたらした純文学の高みと評価したい。

見識のある文学好きの読者にはぜひお薦めしたい本であり、現代の知を捕らえ直すにはおもしろい一冊である。

最後に作品「夏薔薇(ばら)」などに代表されるように、登場する多くの風景描写は空も海も雨も、私には県南・宍喰町のものであるように思われたことを付記しておく。

(詩人、日本ペンクラブ会員、徳島市新浜町二丁目)

(徳島新聞1991年5月10日号)

【ビッグ・バンの風に吹かれて】※PDFファイルが開きます。

【ビッグ・バンの風に吹かれて 書評】

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• 月曜日, 4月 01st, 2013
「間」と「黄昏」の文体が描きあげた人生のかたち

父と母と昭和への鎮魂の書である。
詩と散文が結婚した小説である。
「間」と「黄昏」の文体である。小説にとって、文体は生命である。黒田は、千年前の王朝文学(ひらがな文『枕草子』『源氏物語』)を、現代に甦えらせた。幽玄と寂の世界である。

死者と生者の間に、喪われた過去と現在の間に、夢と現の間に、昼と夜の間に、人と他人の間に、モノとモノの間に、たゆたい、ゆっくりと吹きぬけていく、透明な風がある。草の色が、部屋の匂いが、家具の形が、庭の木々が、あらゆるものが、溶けあって、解き放たれて、共振れし、「風の文体」の中に顕現する様は、軽い眩暈となって、一切の境界を消し去ってしまった。(漢字は名詞、ひらがなは、漢字と漢字の間にある。つなぐもの)

記憶も定かでない、死とは何かもわからない、幼い頃に、母を亡くし、三十八年して、父を亡くし、一人娘は、二十年で八か所も、住居を変え、食べるためのしごとを、八しゅるいも変えて、ほんらいのしごと(小説を書くこと)を続けて、生きている。戦前から戦後へ、昭和という時代の空気を吸って、いくつかの恋をしながら、一人で、生きている。記憶の暗箱から、不意に立ち現れる、生の断片がきらめき、夢の断片が浮かびあがり、昼でもない、夜でもない、黄昏の文体は、寂の中に生きる、人生のかたちを、描きあげた。

主人公の名前がない、父と母の名前がない、地名がない、固有名詞がない、モノの名前がない、会話がない、夢、現実、現在、過去の境界がない、何時も読んでいる小説の、日本の文章がない、ないないづくしの小説である。漢字がひらがなになっている。センテンスが長い、長い文章は、十六行にも及ぶ。まるで一筆書きの絵である。

むつかしい、わからない、たった百枚(?)の短篇なのに、何度か挑戦したが、中断して投げだしてしまうという声が、あちこちであがっている。なぜか?漢字ひらがな混りの、日本文に、眼と頭が慣れてしまっているのだ。

「abさんご」は眼で読む小説ではない。声で読む小説である。黙って、ひらながを眼で追って、頭の中で、声を出して、読む。必ず、最後まで、読み通すことが出来る。意味は、声の中にあって、何度か読めば、自然にわかってくる。(英語と同じ)

名前や名詞を使わない理由は、黒田が二十六歳の頃に書いた「タミエの花」に隠されている。タミエは、花の本当の名前を求めたのだ。もの自体の名前を探しているのだ。つまり、世間が、他人が、使っているコトバでは、本当の名前は呼べないのだ。まだ、名前のないものに、タミエの、固有の名前を付けたいのだ。黒田は、この作業を、五十年、続けることになる。

孔子は、「論語」で、「正名論」を語っている。弟子の子路に、乱れた国を治めるために、何が必要かと問われて、コトバを正しく使うことだと答えた。そのコトバとは、社会に流通する、誰もに、共通するものの謂である。黒田の求めたコトバは、それではない。マラルメが求めた、「絶対言語」である。虚無の底から、狂気の一歩、手前で、探しあてた「賽の一振り」である。

漢字には、字義と字相がある。意味だけを求めるなら、白川静の「辞通、辞訓、辞統」を調べればよい。黒田は、五十年かけて、「タミエの花」の名前を発見した。花の名前は「abさんご」であった。

黒田の小説の系譜。①泉鏡花「草迷宮」②中勘助「銀の匙」③小田仁二郎「触手」④谷崎潤一郎「鍵」⑤石川淳「白猫」⑥折口信夫「死者の書」⑦古井由吉「仮往生伝試文」

五十年、百年、生き残る、文体が生命の、作家、作品である。もう封印した母の名前が呼べるよ!!黒田さん。

(2月6日記)

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• 月曜日, 10月 03rd, 2011

「詩の礫」(徳間書店) 和合亮一著
「詩ノ黙礼」(新潮社) 和合亮一著
「詩の邂逅」(朝日新聞出版) 和合亮一著

3・11の、東日本大震災は、ニンゲンの、人類の、大きな、大きな、危機であった。大震災、大津波、大原発事故は、ニンゲンの生存の原理を、ことごとくたたきつぶしてしまう、頭では、上手く、考えられぬ、大兇事である。

60余年、ニンゲンとして、生きてきて、意識がゼロ・ポイントまで落ちて、判断中止状態に陥り、存在までが、ゼロ・ポイントに落ちて、破壊され、見たこともない、のっぺらぼうの出現に、脅かされた。

日常の、生活の、生命の、生の、中断であった。巨大なエネルギーは、ほとんど、ひとりのニンゲンの存在を、無へと、近づけた。不安や悲しみを、通り越して、存在の消滅が、裸になって、眼の前で、進行した。

地面の揺れ、家を、電柱を、車を、船を、工場を、役場を、樹木を、堤を、そして、ニンゲンを、一気に、破壊して、流し去る大津波−何日も何日もその映像を眺める。

さらに、かつて、希望の灯といわれた原子の火が、大爆発を起こして、東北を、関東を、放射物質で蔽った。

いったい、何が崩れ落ちたのだろう、3・11で。

誰もがそれを見た。直観した。知った。わかった。

しかし、その正体が、明らかにならない。日々の、生活の中で、はっきりとしていたもの、文明の、科学の(知)、文化の(知恵)、法、習慣、ほとんどの常識と化していた、歴史とか、資本主義とか、民主主義とか、家族とか、会社とか、共同体の社会とか、−そう呼ばれてきた一切が、一瞬のうちに、ニンゲンの世界から、外へと、放り出されてしまった。もちろん、意識の外へと、超出してしまった。

昨日のようには、生きられない。まったく、ちがう、意識で、生きなければならない。現れたのは、のっぺらぼうである。意識が触れたものは、必ず、語ることが出来た。今までは。しかし、3・11以後は、その神話が崩れて、誰も、語れない。

思考する(知)さえもあてにならぬ。大常識が、役に立たない。国とか、会社とか、社会とか、が、まるで、幽霊のように、姿を変えてしまった。大津波で、原発で。

残されたのは、(私)である。そして、その最後の(私)という存在さえ、ニンゲンとして、崩壊しようとしている。どうにかして、ニンゲンは、その、のっぺらぼうに、形を与えて、名前を付けなければならない。

大量の、無数のコトバが放たれた。政治家、学者、科学者、作家、知識人、経営者、しかし、誰も、3・11を、そのものを、語りつくすことはできない。細々と、被災者たちの、裸のコトバが、生きている。

読んでも、観ても、書いても、話しても、映しても、虚しさが付きまとうのだ。(知)が(声)が役に立たない。

しかし、ニンゲンは、無・意味、非・意味には耐えられぬ。安心できない。名前を付けて、価値をつけて、意味をもたせて、もう一度(世界)を再構築しなければならない。正に、生きる、原点に戻って。必要なものを残して、不必要なものを棄て去ること。

一切が、無へと、空へと、投げだされた今、ニンゲンは「人間原理」を、見直さなければならない。ニンゲンのいない世界でも、廻っている「宇宙原理」に対抗して。

さて、フクシマに、和合亮一という詩人がいる。被災者である。3・11以前には、日経新聞に、エッセイを書いていた。ゆるい文章で、思考も平凡で、現在の詩人レベルは、こんなものか、と、その凡庸さに、溜息のでる、詩人であった。高校の先生をしている。なるほど、語りの中に、その匂いが漂っている。妙に正義感があるのだ。

その和合亮一が、豹変をした。いや、いい方に化けたのだ。和合亮一は、3・11の原発の放射能の降る中で、「ツイッター」詩をはじめたのだ。

3・11の震災の真っ只中で、自らの心情を、いや、全存在を、コトバに託して、語りはじめたのだ。「詩の礫」である。

ツイッターとは、140文字以内で、自分の思ったコトバを、発信するものらしい。本来は、詩ではなくて、散文、つまり(私)の呟きである。

その、和合の呟きが「詩」に昇華されていた。力のあるコトバだ。従来の「詩」という殻を破って、あらゆるコトバを、(詩にならぬ言葉も)たたきつけるように、書いている。スピードがある。臨場感がある。チラチラ、鋭い一言が見える。

つまり、もう、和合は「詩」を意識していない。意識は、完全に、3・11で、深層意識のゼロ・ポイントに落ちている。存在は、絶えず、余震と放射能に脅かされて、ゼロ・ポイントにいる。

かつて、アメリカの、トルマン・カポーティは、殺人者を、事件と、同時進行で追って、「冷血」という、ノン・フィクションノベルの最高傑作をものにした。

和合の試みは、散文と詩のちがいがあるが、カポーティのコトバの力を思わせた。モノに憑かれているのだ。無意識の闇の中から、深層意識の蔵の中から、コトバが起ちあがってくる、和合は、そのコトバを捉える、ひとつのマシーンになっている。

普通の平凡なコトバが輝いている。同じコトバでも、3・11以降の和合のコトバは、その意味がまったく、ちがっているのだ。詩語も俗語も、まったく、気にしないで、来るコトバを、そのまま、文に、詩にしている。

理由は、簡単だ。日常が、非日常へと変化したのだ。和合は、日常の、生活の、生きる根を喪って、ゼロ・ポイントで浮遊しているのだ。突然、和合は、異次元へと投げ込まれている。だから、見るもの、平凡なトマトやくるみさえも、輝いてみえる。

和合の変身は、驚きであった。(場)が(状況)が、語ってる。決して和合ではない。和合は、ただ、コトバを、書かされているのだ。

ニンゲンは、異常な時空を、非日常を、そんなにも長くは、生き続けられない。(①日常→②非日常→③日常)となる。しかし、③は、決して①ではない。

「詩ノ黙礼」は、「詩の礫」の続篇である。

疾走する文体、叫ぶ声、震える身体、コトバの力は、だんだんと落ちている。日常が、少し、回復して、意識がモノやコトを観察しはじめている。

「詩の邂逅」は、いわゆる「詩」と被災者たちとの対話(散文)で構成されている。和合は、日常へと復帰しはじめている。で、依頼されて、「詩」を書いている。残念ながら、「詩の礫」や「詩ノ黙礼」のように、詩語を使わぬ、約束を破った、狂的な力が消えている。

整然と並ぶ、行分け詩は、3・11以前の和合の、詩や散文のように、(詩)に納まってしまっているのだ。思考の、思想の彫りの浅さばかりが目立ってしまう。なぜか?

和合は、いわゆる「詩」を書く意識に戻りはじめている。意識や存在が、ゼロ・ポイントに陥って、コトバが、自然に、吹きあげてくる、あの力が消失したのだ。かえって、対話者との散文が(事実)の重さを伝えている。皮肉なことだ。

日常に戻った時、和合は、3・11以前の日常と、眼の前の3・11以降の日常を、明確に、意識化して、コトバが、なぜ、力をもったのか、考えるべきである。

同じ、(花)や(木)や(空)であっても、コトバの意味が変わるということ、そのことを、完全に、意識化できた時、和合の「詩」の力は、もう一度、復活するかもしれない。

つまり、いつも、3・11の、意識と存在が、ゼロ・ポイントに落ちた、その時を、心の中に、甦らせることだ。その時、コトバは魂となって、疾走する力をもつ。ポール・ヴァレリーのいう「純粋詩」が誕生するだろう!!

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• 金曜日, 7月 22nd, 2011

3・11以後の読書は、心を一番深いところまで沈めても、なお、耐えられる言葉で書かれたものしか、読めなくなった。

声が、文章が、形もなく、崩れ去ってしまって、いっこうに、手ごたえというものがなくなってしまう。もう、これ以上はすすめない、思考が、ステップできない地点まで、到達している文章が、やっと、作品として成立している。活字の向う側の暗闇に立っている作者の姿が見える。沈黙のまま、放心して、まるで、3・11の大地震、大津波、原発事故の被害者のように。

そんな文章が、そんな作品が、存在するのだろうか?

ある。秋山駿の「『生』の日ばかり」は、言葉の意味がなくなってしまう、ステップに、ステップを重ねた思考が、突然、身動きできなくなる、そんな意識のゼロ・ポイントまで到達した作品である。

本書は、「群像」での連載開始から読み続けている。(現在も、連載中)一区切りをつける為か、「単行本」になった。

「内部の人間」秋山駿が、80歳になって、なお、健筆で、若い頃からの、思索シリーズ、「ノートの思想」が展開されている。驚くべき持続力である。

「石ころ」を拾った青年が、「石ころ」を眺めて、「私とは何か?」「無限とは何か?」その一切を考え尽くしてやろうという野望を抱いて、もう、60年が過ぎようとしている。正しく、ニンゲンの果てしない営為である。

「内部の人間」の意識が、突然、コペルニクス的な転回を見せたのが、この、「『生』の日ばかり」である。秋山駿の読者なら、声を呑んで驚いただろう。

何が?

なんと「内部の人間」が、「外部の人間」に変身するのだ。他者の存在が、このような形で「ノート」に登場したことがあっただろうか?

誰?

「同行二人」の女(ひと)である。本文の、文章と思考が、声が変調する場面がある。

「もう打つ手がない」そんな、医者も見放すような、難病が、妻の法子さんを襲った。帯状疱疹である。四六時中、一秒ごとに(痛)みが走る。歩くことも、食べることも、トイレに行くことも、寝返りを打つことも、まるで、苦業僧にならねば不可能なのだ。読者は思わず、「本」から眼を離して、宙を見るだろう。放心するだろう。

「内部の人間」には、共にくらしてきた、「同行二人」の妻に対して、無力である。いや「文学」が無力となる。なんのために、「文学」をしてきたのか?すべての場面に、言葉が要る、在る、と考えてきた秋山駿が、自らの来歴を振りかえって、妻にかける声、言葉を探そうとする。言葉がないのだ。誰も、二人で、共同で、生活してきたその中で、(共同の言葉)を、考えてこなかったのだ。

つまり、意識のゼロ・ポイントである。もう、言葉も、思考も、用をなさない地点に、ニンゲンが直面して、黙ってしまう。ちょうど3・11の被害者のように。

もう一歩、歩をすすめると「宗教」となる。もちろん、秋山駿は、「文学」の人であるから、(知)から(信)へと超越する「宗教」へとは、行かない。しかし、(私)の中の「神」の存在は考察する。私の中の「無限」については、考える。

自らも、胃ガンの手術を受け、足を痛めて、公園の散歩もままならぬ身である。齢を重ねるニンゲンの日々を綴るノートは、正に、超高齢者社会へと突入した、日本人の生きざまを、正確に写し取っている。老いて、なお、わが道を行く姿を思い描いていると、私の眼には、正宗白鳥が映った。そして、秋山駿の姿が重なった。

考える、精神ばかりを迫ってきた文学者の言葉が、身体、肉体というものの深さの前で、沈黙してしまう。60兆の細胞の(私)、30億年、生命をリレーしてきた身体という不思議の(私)。在ることは迷宮だ。

毎日、毎時間、毎秒、痛いだけの日々を生きるニンゲンに、何か、意味はあるのだろうか?(誰が答えられる?)泣くしかない、それでは、まるで、病苦を詠んだ、正岡子規だ。祈りは?祈りはどこへ行った?

不思議なことに、痛みの頂点で、薬も効かないのに、法子さんが、秋山駿の手を握っていると、痛みがやわらいぐという。手の力である。お腹が痛い子供が、母の手で、撫でてもらうと、痛みがひいた、あれと同じことが起こっているのか?

眼は、眼で、覗き込むと、お互いの考えていることがすべてわかる。声は、病院から、家に電話をした法子さんの声「駿の声が聞けてよかった」まるで、光太郎と智恵子である。

秋山駿、法子さん、一蓮托生の人生である。「同行二人」は、歩く遍路と空海の意味であるが、秋山駿の「同行二人」は、私と妻の意味である。

「東日本大震災・原発事故」は、畏ろしきもの、人知の及ばぬものをニンゲンに突きつけた。一瞬の、不運、不幸、不遇、偶然という魔の恐怖であった。

私たちが、生きることは、宇宙にとってなんなのだと、宇宙そのものに、ニンゲンの意味を問いたくなる日々である。

まだ、まだ続く「『生』の日ばかり」ではあるが、単行本になった分だけ感想を記してみた。秋山駿の生きた言葉に、お礼である。

7月18日記

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• 金曜日, 7月 22nd, 2011

3.11で、ニンゲンの意識が、ゼロ・ポイントまで落ちることを、経験した今、小説を読むという行為は、どのように成立するのだろうか?

3万人を超える死者と、12万人を超える避難民、家を喪い、仕事を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、昨日まで生きてきた、普通の日常を喪い、見慣れた風景まで喪ってしまった人々、言葉が役に立たず、(知)が通用せず、水と食料と、寝所と、衣服を求めて彷徨する魂たちを前にして、偶然、その地に居ないために、被害をまぬがれた日本人。原発で、放射能が撒き散らされた国土、汚染されて、何年、何十年と放射能におびえ続けることになった日本人。

そんな中で、小説を読む。3.11は、意識そのものが、変革を迫られる、大事件であった。

何度か、「物語」を読もうとして、ページから眼を離し、手を休め、宙空に視線を泳がせた。しかし、「地上の人々」の色調は、3・11以後の世界にも、溶け込むものだった。

奇妙な色調の小説である。三人の、ホームレスの話、都市へと出てきて、夢破れて、終に、人生の最下部とも思われる、ホームレスへと転落した三人の男の話である。生活を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、仕事を喪い、その日その日を、ただ、生きている、ニンゲンの日常がある。

なぜ、作者は、このような、あらゆるものを喪ってしまったニンゲンたちに、身を寄せて、こんな小説を書いたのだろうか?

作者、井出彰の心性にも、崩壊感覚がある。どうも、自分は、まっとうな人生を生き切れないのでは、という不安、危惧がある。一番最小単位である、生きるための(私)にとって、何が一番確かなものか?社会的な立場、役割り、椅子、地位、すべてが、虚しく、崩れ落ちてしまう、そんな感性が、作者の心の底の底に流れている。

生きて、生活して、闘って、病んで、老いて、ただ死んでいくところのニンゲン。ニンゲンから、社会的な意味を抜き取ってしまうと(裸の私)だけが残る。社会が付加した意味という意味は、すべて剥がされて、崩れて、消えてしまう。

ほとんど(無常)の世界であるのに、妙に明るい。この明るさはなんだろう。「人間、暗いうちは滅びない」と太宰治は語った。であるならば、この明るさは、滅びの予兆であろうか?

3・11東日本大震災、原発事故の前に書かれた小説であるというのに、奇妙なことに滅びの色調は、その大事件に、同化してしまう。

ニンゲンにとって、生きるということは、この宇宙の中において、どんな意味をもつというのだろうか?

意味など一切ないのか?私たちは、ただ、人間が作りあげた「人間原理」の内でのみ生きている。自然である「宇宙原理」は人間のことなど、一切関係なく、ただ、流れている。

小説を読み終えた、私の感慨である。

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• 土曜日, 5月 14th, 2011

西條勉「『古事記』神話の謎を解く」(中公新書)を読む

”古事記”神話を読むということは、現代人にとって、どんな意味をもち、どんな行為と言えるのだろうか?

話し言葉だけで生きていた大和民族が、漢字が中国から伝わって、はじめて、口承されていた神話を、文字を使って、書いた本が”古事記”である。

中国の文字を使って、日本の言葉を文章にするという行為は、翻訳ですらない。

”文字”という記号の力にまかせて、日頃語っていた言葉を、文字に、移植するという行為は、漢字とひらがなとカタカナを自由に使って、思うところを、文章に書き記している”現代人”にとっては、考えられぬ”困難”と、スリルがあったものと推察される。

第一に、I am a boy (私は少年である)という英語を、翻訳ではなくて、そのまま、日本語で読むという行為を考えてみると、気の遠くなるような、奇妙な行為である。

もう、”万葉仮名”で書かれた「古事記」を読める人は、誰もいないだろう。(専門の学者は別にして)どだい、どう読めばいいのかわからない、漢字ばかりである。

その大きな、大きな、文字の移植が、”古事記”を生み、口承の神話を残したと思えば、先人たちの、文字を使って”書く”という行為には、頭が下がる。

そうして、”中国語”を日本風に読むという、前代未聞の、先人たちの行為がはじまったのだ。

本居宣長をはじめ、国学者たちが、生涯をかけて、「古事記」を読み解き、現代人が、さらに、翻訳をして、はじめて一般の読者である、私たちが、祖先の”神話”を知ることができた。

著者の、西條勉は、一生、「古事記」を読み、古代の文学を研究して、大学生たちに、教えてきた、学者である。

本書は、研究書ではなくて、一般の人たちに、「古事記」の成立の意味と、神話の謎を、解きほぐすようにして、書かれたものである。

誰でも、一度は、絵本として、児童書として、「古事記」とは知らずに、いくつからの神話を読んでいる。深く考えることもなく、そのまま、国造りの神話として記憶している。

古事記は、日本という国家があって、その意志が、編集にも、反映されている。その構造を解く、手順が、実に、スリリングである。単なる日本民族の神話ではなかったのだ。

2月に、著者から、本書を贈られて、早速、一読し、西條勉が、一生、古代文学に費やした時間を思った。大学生の頃、はじめて、キャンパスで邂逅した時の、若き日の、「僕、古代の、万葉、古事記を読みたいのです」と語った時の、意欲に満ちた、はじらいを含んだ微笑を思い出したりして、何か、感想を書かねばと、考えていた。

3・11東日本大震災が日本を襲った。日本の、国難である。大惨事である。日本人の、生き方、考え方、文明の、文化のあり方が、一変されねばならぬほどの、大事件であった。大地震、大津波の天災に加えて、史上最悪の”原発事故”が加わった。人災である。

人間のコントロールできぬ怪物、人間が生みだした(科学の知)が放った、原子力という怪物である。放射能の魔力。たった百年くらいしか生きない人間が、数億年も存在し続ける”原子”の世界に、挑戦して、無残に、崩れ落ちた(知)である。人間は、人間原理のうちで、生きているうちはいいが、宇宙原理を相手にしはじめると、とにかく、時間の、空間のスケールがちがう。

小さな、小さな、人間の(知)は、為す術もない。人間の生きられる”閾”は限られている。

無力感と虚脱感に襲われて、本を読む、文章を書くことに、リアリティを感じない日々が続いた。

国のかたち、国のビジョンが、あたらしく創造されなければならない。日本人は、何を生きてきたのか、根源から問い直さなければ、このままの”文明”のあり方では、滅びてしまう。電気というエネルギー、原子エネルギーに頼る人類は、もう、半歩、とりかえしのつかないところへと、踏み込んでいる。

”文明”から、”文化”へと、大きく方向転換を計らなければならない。

もう一度、「古事記」を読もう。いや、今こそ、国のかたちを、はじめて示した「古事記」に、帰ってみよう。私たちの文明が、何を間違ったのか、何を為すべきなのか、古い、古い、書物の声に、静かに、耳を傾けてみよう。

幸いなことに、「古事記」を読む手法は、西條勉の新書が教えてくれた。三浦佑之の翻訳した「古事記」も、数年前に購入して、本棚にある。本居宣長が、柳田國男が、折口信夫が、読み、解釈し、発明したところのものを、もう一度、あたらしく、読み=生きなければならない。

3・11は、(無)からの出発かもしれない。(無)といっても、何もないのではなくて、あらゆるものが、噴出してくる(無)である。

たいがいの「本」は、3・11によってリアリティとその意味を喪失した。「古事記」は、おそらく、3・11の力に耐えられる「本」である。

そこまできて、畏友、西條勉のめざしてきたもの、生きてきた時間が、活気をもって、甦える気がした。

「本」は、それ自体がひとつの宇宙である。(事実)は、文学を使って書かれた時、必ず、作者、編集者の、あるいは国や公の意志が入って、方向付けされる。だから(事実)は、そのまま「本」の(事実)ではない。

「本」を読むとは、その、二重の謎に挑むことである。

もちろん、「神話」も、そのまま(事実)ではない。口承されたものも、また(事実)ではない。書かれたものの、底に、奥に、(事実)は眠っている。

だからこそ、「本」を読むとは、発見することである。

「本書」は、西條勉の発見であり、西條勉の、思考の回路であり、彼の生きた時間が、「古事記」を語らせたのだ。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

「神的批評」 大澤信亮著を読む (新潮社刊)

●ニンゲンに何ができる?
●ニンゲンは何処まで行ける?

若い評論家の処女作「神的批評」単著を心読しながら、私の中に、鳴り響いていたのは、そんな、「本」から立ちのぼってくる声による「問い」であった。

読者としての、私の感想を書いてみる。本書は、四部構成である。
①「宮澤賢治の暴力」
②「柄谷行人論」
③「私小説的労働と協働—柳田國男と神の言説」
④「批評と殺生—北大路魯山人」

倫理と理論と言葉と美を「問う」評論集である。

①「書くニンゲンと生きるニンゲン」

なぜ、大澤信亮は、たった百枚の「宮澤賢治の暴力」を書くのに、十年もの歳月を費したのだろうか?

そこに、大澤が、ものを書く、生きる姿勢が現れている。単なる研究としての文章を拒否し、生きている自分が、宮澤賢治を論じるために、必要な資格(?)を得るべき、セイカツの現場に、身を横たえていなければ(文章)を書く意味がないと考えている。生きるという現場から起ちあがって来ない文章、発言、思想には、ほとんど意味がない、その覚悟と実践が、たった百枚の作品に、十年という歳月をかけた理由である。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の発言から出発した論考は、作品と実生活を追うことで、「宮澤賢治の暴力」を裸にする試みである。

生きること、食べること、書くことに、「暴力」を発見していく生存のスタイルは、暗く、厳しい。

②大澤が、心の師と仰ぎ、書くものに、生きる姿勢に、深い共感を覚えてきた”柄谷行人”を論じている。論理の人、柄谷行人。(本当は感性の人か?)なぜ、ある時を境にして、柄谷行人の書くものは失速したのか、リアリティを失ったのかが、丁寧に、作品を読み込むことで、師への刃となっている。

「(意識)と(自然)」に身を横たえて、ひき裂かれたまま生きているニンゲン漱石を語ることで出発した、柄谷行人も、また、同じように、(私の意識と私という存在)のひび割れをもったまま(文学)を語り続けた。そこに、リアリティが生れていたと私は思う。

大澤は、(学問)へと傾斜して、(文学)を棄てた柄谷を、見ているのではないか。ひび割れた存在として、身を横たえていた柄谷が、片眼を閉じてしまったと考えているのか?大澤の「問い」が、どこまで、柄谷の言説にとどいているのか、私には、判断がつきかねるが。

③論理を追いすぎる人は、「詩」「小説」を読みまちがいがちだ。「私小説」は、柳田國男の論考とは、別の力を持っている。大澤の、賢治の詩の読み方、花袋の小説の読み方には、疑問がある。小説は、進化もしないし、なんの役にも立たない。ただし、生きているニンゲンの形姿がある。感動がある。

今回の芥川賞作家、「私小説」作家の西村賢太のリアリティと、知的な文体で固めた、貴族的な、朝吹真理子の小説を比べてみればすぐわかることだ。小説は、繊細な生きものである。大思想を展開した、堂々たる生活人で、民俗学を樹立した柳田國男を論じるには、大澤のもっているフィールドが狭すぎるために、この作品は、大澤の想いだけが、骨のように、白々と、露わになっている。今後の、大きな課題であろう。核と直観を肉付けしてほしい。

④「生きることは食べることであり、食べることが殺すことであるならば、私たちにどんな希いが許されているだろうか、何も許されていない。この結論は絶対に思えた。」

「批評と殺生—北大路魯山人」は、こう始まっている。

衣・食・住は、ニンゲンが生存する条件である。「徒然草」を書いた、兼好法師は、その3つに医(医者)を加えている。3つを支えているのが仕事(労働)である。

大澤は、ニンゲンの生命の源(食)を、根源から、「問い」直している。

日本の、(食)をめぐる論争も、加熱している。何年か前には、芥川賞作家、辺見庸の「もの食う人びと」が、話題になり、ベストセラーになった。いわく、世界には、十億人単位で、食べものが手に入らない、飢えた人々がいる。その貧困は、目をおおうばかりで、豊かな、富める者は、手を差しのべなければならぬ、という論調であった。仕事がない、お金がない、食べるものがない、教育が受けられない、犯罪と病いがはびこっている、負の連鎖である。

その一方で、平和ボケした、わが日本人は、飽食、B級グルメで、TVも新聞も狂想曲を演じている。美味しい食べものを求めて。

また、国、厚労省では、日本人の栄養のバランスを考えて、全国で、栄養士による食事の摂り方を教育・指導している。学校で、会社で、病院で、介護施設で。

●一日30食品を食べましょう。(バランス)
●身土不二(季節に採れる地元の食べもの)
●一物全体食(頭から尻尾まで食べる)
●地産地消(地元の食材を地元で消費)

「料理」というニンゲンがあみだした「食文化」の教育が、大澤の言う「食べる暴力」や「殺して食べる」という事実をきれいに覆い隠している。

冒頭の大澤の決意文、覚悟を、これらの文章や意識の中に放ってみると、正に、異様というか、99対1の構図が出現する。

大澤の「生きることは・・・食べることは殺すことである」という、大澤にとっては、絶対の「法」が、99人対1であり、99人の人々の、耳に、とどくためには、どんな闘いが必要なのかが見えてくる。

辺見庸の、「食べることができない貧」の十数億人のニンゲンがいるという告発は、共感を呼ぶが、大澤の「問い」は、あまりにも過激で、根源的であるが由に、ニンゲンの生存の条件にも、支障を綻してしまう。

「言葉」の闘いである。

硬質な、論文調の、論理の大澤の言葉は、99人に届くまい。開かれた、明晰な、文章、人の耳にとどく言葉の開発が必要である。

「声」で語ってみる。イエス・キリストのように、釈迦のように、孔子のように、ソクラテスのように。百年、千年生き延びる「言葉」の獲得が必要だ。

「食事という暴力」を、ニンゲンの食習慣、食文化の中に、発見して、告発する大澤の声は、まだ「世界を変える具体的な実践」には至っていない。どだい、「世界を変える」という、言葉があまりにも、大きすぎる。せいぜい、(私)を変える、身の周りを変える、だ。ニンゲンに、何ができる、ニンゲンは何処まで行ける、逆に、私は、大澤の「協働」を、言葉と行動の一致を、非常に、危ないものと、感じてしまうのだ。

文壇、論壇のA氏やB氏が敵ではなくて、闘う相手は、99人の、大衆であり、国家の教育システムであり、ニンゲンの作った「料理」という食文化である。言葉の視線が、どこまで届くか、今後の、大澤の、思考の、文体の、開発に、期待したい。

大澤は、将来、イエス・キリストを描きたいという野望を持っているらしいが、目の前には大きな山がある。田川建三という山だ。「イエスという男」は、キリスト教を実践し、古語を学び、翻訳し、研究し尽くした男が書いた、イエスに関する最高の書物である。「イエスという男」を越えなければ、イエスを描いたということにならないから、高い、とてつもなく高い山であり、ハードルである。

三島由紀夫は、書くことの無力から、「行動」へと走ったが、埴谷雄高は、作家は、ただただ、ビジョンを啓示すればよいのだと反対をした。

大澤信亮の姿勢は、書くこと=生きることである。思考する人と、実践する人が、大澤の中に同居している。そして、ニンゲンが歩いて行ける、ギリギリの地点、ニンゲンが生きられる”閾”の限界で、「問い」続けるその姿勢には、頭が下がる。

同じく、若い評論家である安藤礼二は、「文学」には、何もできない、なんの効果もないと、自己限定し、深い諦念の中で、書く職人としての(私)を発揮している。

安藤礼二と大澤信亮。

最近、読んだ、若い評論家二人の「書く、生きる姿勢」は、好対照である。どちらが遠くまで行けるか、楽しみである。

来たるべき作家、評論家は、おそらく、「人間原理」(ニンゲンのすることのすべて)と「宇宙原理」(存在することのすべて)を、同時に追求する者たちであるだろう。生きる、死ぬ、在るという、簡単だが、根源的な「問い」から、意識、魂、宇宙へと、言葉のとどく限りの視線をのばしてほしい。

「問い」を生きる大澤信亮の単著「神的批評」を、十日ばかり読んでいたら、60歳を過ぎた身に、若き日のエネルギーが甦ってきた。感謝である。よく生きて下さい。神的な眼の視線がどこまでも延びるように。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

ドストエフスキー 山城むつみ著 (講談社)

世界の知者たちが、百数十年にわたって、ドストエフスキーという小説宇宙を語り、論じてきた。
二葉亭四迷、小林秀雄、森有正、加賀乙彦、埴谷雄高、秋山駿、樋谷秀昭、江川卓、亀山郁夫、E・H・カー、グロスマン、バフチン、ヴィトゲンシュタイン。

感性的に、直感的に、内的に、思想的に、宗教的に、哲学的に、存在論的に、言語論的に、もう、これ以上、読み込むのは、無理だろうと思えるほど、さまざまな、切り込み方で、語られてきた、ドストエフスキーである。もう、これ以上、語られまい。分析されまい。

果たして、更なる一歩を踏み込んだ、読み込みが、実践された。

山城むつみ氏による、量子論的なドストエフスキー論であった。同じ声、同じ文章が、放った人によって、まったく、別の内容になってしまうという方法、分析論である。

山城むつみ氏は、ドストエフスキーの小説をテーマーとして語るのではなくて、あくまで、語られた文章を、そのまま読み込み、分析するという手法を執った。

何が語られるのか、テーマーを抉出して語るのではなくて、その文章が、語っているもの、(文)そのもの、言葉そのものを、凝視することで、ドストエフスキーの新しい断面を、表出しているのだ。

7年半も、ドストエフスキーを書き継ぐという行為は、その時々を、刹那的に生きている現代人にとっては、信じられないような、気の遠くなる行為である。

つまり、一冊読めば、一ヶ月ほど、ドストエフスキー熱が消えない小説、日記を、山城氏は、7年半も、自らの内に響かせ続けたのだから、日常の、日々の生活の継続は、凄まじいものがあっただろうと、推察される。

「罪と罰」「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」という、ドストエフスキーのいわゆる四大長篇に加えて、「地下室の手記」「未青年」「作家の日記」を、中篇の「やさしい女」を中核に据えて、新しい視点を獲得している。

山城氏の手柄は3つある。
①量子論的な分析の発見。
②今まで、失敗作と見棄てられてきた「未青年」を、新しく、現代的に読みかえたこと。
③子供たちの、多声的、存在論的な読み込み。

30日ほどかけて、山城氏の「ドストエフスキー」を読み込んだ。

ドストエフスキー論を書くと、不思議なことに、その人の(書き手)人生観、思想のレベルが、照らし出されてしまう。だから、ドストエフスキーが、いかに、言葉の力を、遠くまで、運んでしまった人かが、判明する。まるでリトマス試験紙である。論者が書いているのか、ドストエフスキーが、書かせているのか、見分けがつかなくなってしまう。読むたびに、新しい発見がある。

実際、てんかん(病気)、賭博(賭けごと)、不倫(姦通)、政治犯(シベリア流し)と、ドストエフスキーの実人生そのものも、普通の生活者の、日常のレベルをはるかに越えている。稀有のものである。実生活の、波瀾万丈の人生を、源水とした、作品群は、「実生活と思想」として、語っても、語っても、語り尽くせない、謎に満ちている。ドストエフスキーは、人間の、コントロール、抑制がきかない地点まで踏み込んでしまっている。だから、ドストエフスキーを読むことは、現場で生きる以上の、リアリティがある。怖い、恐ろしい、畏怖すべき、人、小説である。

私は、(無限)を感じさせてくれる、唯一の作家が、ドストエフスキーだと思って、長年、読み継いでいる。(無限)に触れる、興奮と驚愕は、他の作家にはない。

山城むつみ氏の「ドストエフスキー」は、(普遍)へと達してしまった。ドストエフスキーの声、文章と、均り合うほどに、そのヴィジョンを、語ってしまった、現代の秀作であると信ずる。敬服する。

願わくば、ドストエフスキーの愛読者が、一人でも多く、氏の「ドストエフスキー」を読まれんことを、切に、希望する。

久し振りに、進化するドストエフスキー論が読めて、また、新しい眼が開かれた。長い、日々の、労苦が、読者諸兄が、読み込むことによって、むくわれることと思う。お陰で、一ヶ月以上、私の頭も、ドストエフスキー熱が出て、日々の生活も、その声に、染められてしまった。感謝である。

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• 月曜日, 12月 13th, 2010

人は、生きるという現場で、かかえこんだものを、一生、反芻しながら、成長させるものらしい。

本書を12年振りに再読しながら、その晩年まで池田晶子が考え続けたものが、ほとんど、種子として蒔かれているのが、「残酷人生論」であり、第二の処女作と呼んでもよいと思った。

絶版になっていたものが、増補新版として出版された。コンパクトで、持ち運びに便利で、電車の中でも読める、ハンディな本だ。

「考える」ことが、唯一の生きる意味であった池田晶子の「人生論」は、あまたある、発見、発明、事業の成功などを語る、いかに生きるかという人生論とは、一線を画している。

どうも、ニンゲンには、二人の(私)があるようだ。
食べるために(生活、仕事)生きる人。(A)
生きるために、食べる人。(B)
そして(私)を生きる、その(私)も、存在そのものの(私)と(社会的な私)に分かれている。

人は、誰でも、ある年齢になると、突然、(私)を発見する。(私)を(私)として見るもうひとつの眼ができる。そして、(私)って何だろうと考えはじめる。(私)に気がついたが、その(私)が何者が、わからないのだ。で、生れた場所、家、名前を呼ばれて、(私)が(社会的な私)として、存在しはじめる。

仲間と遊び、友達と学校に通い学習(勉強)し、食べるために仕事(労働)をし、社会=世間を知って、(仕事=生活=私)が完成し、停年になると、肩書き、地位、会社、組織を離れて、また、もとの(私)に戻る。

たいていの人は、普通、(社会的な私)を(私)と認めて、働き、生活をしている。ところが、生きるために食べると考えた人は、どうしても、食べるために生きるセイカツに慣れることが出来ない。

そこで、(社会=世間)に衝突してしまう。しかし、その(私)を変える訳にはいかない。で、どうにかして、(世間=社会)と折り合いをつけて、生きねばならぬか、と悩む。

本書では、珍らしく、池田晶子が、(私)が生きる時、普通の人と、ちがってしまう、と、悩みを打ちあけている。

人は(死)を悲しいと言う。池田晶子は(死)がおかしいと感じてしまう。そこだ。どうも、(私)の心性は、普通の人たちとはちがう。どうしよう?と考え、悩む。

当然、普通の評論家や作家や詩人から、批判される。「悪妻に訊け」に対して、
サザエさん的世界」から出ていく力が弱い(福田和也)
「他者がいない」(松原隆一郎)
「本質的にモノローグ」(佐藤亜紀)

普通に生きる人は、(他者=世間=社会=仕事=生活)というものが、厳前と、眼の前にあって、それと、闘い、競走することが(社会的な私)を生きることだと考えているから、当然である。

実は、(私)を考える、(私)を生きるタイプのニンゲンは、必ず、同じような批判を受ける。「内部の人間」を書いた、秋山駿も、一生、「私」をめぐる考察を、ノオトとして、書いている。で、同じ類の批判を受け続けた。

池田晶子は、(私)=(存在)=(宇宙)というふうに、考える人だから、どうしても、世間の(社会的な私)を生きる人たちと、問題の立て方がちがう。

無限遠点から来る光線を見るようにしなければ、池田晶子の姿・形は、望めない。

実に辛い、心性をもったものだ。しかし、本人は、平然と、(私)を生きる、(私)を考える、を生きてしまった。家も、故郷も、名前まで消してしまった。(魂という私)=(魂の私)になって、疾走した。

池田晶子の言葉に躓く人は、2つの(私)を考えてもらいたい。
「以前に生きていたことがある」(池田晶子)
ホラ、躓くでしょう。だから「残酷人生論」なのだ。

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• 金曜日, 10月 01st, 2010

−幸運な魂の交流−

本書は、歌人・福島泰樹と作家・立松和平の魂の交流の書である。

はじめに、序歌「春の盃」71首が、立松の霊に捧げられている。1970年、大塚での邂逅からはじまって、今年2月、突然の立松の死去に至るまでの、約40年の、立松・福島の交流が、短歌となっている。

「出会いたる70年を想うかな今更ながら春の雷」
「遠雷はいまだ聞こえずわがめぐり立ち去り難くまた吾もおる」

立松の来歴そのものが、福島のやさしい眼によって、(歴史)となっている。友の声である。

第一章「泰樹百八首」は、作家・立松和平が、歌人・福島泰樹の、青春の絶唱を読み解いている。散文家が、歌人の核に迫る時、そこに、どんな火花が散るかが、一番のスリルであった。人に添い、状況を読み、時代を貫く、透明な棒のようなものに、立松の心が触れる。論じる、論じられる関係は、もちろん、真剣勝負である。
二人は、作品を通じて、日常生活を通じて、四十余年、同志として、文学の革命に、汗を流し、お互いに、鼓舞し合うという幸運な朋輩であった。

第三章「俺たちはいま」は、福島、立松の対談である。「早稲田文学」で出合い、出発した二人は、もう九十年代には、振り返るほどの作品をものにしていて、お互いの、創作の急所を、語りあうほどの、作家、歌人としての地塁を築いている。

第四章は、福島による、立松の小説群の分析と評価である。愚直に、青春の、全共闘時代を引き受けて、生きる姿勢とその作品に、福島は、拍手を送っている。

そして、第五章は「さらば、立松和平」 鎮魂の書である。
立松の人柄、交友関係、時代の状況が、史的に語られる。
死者は、すでに、読まれ、語られる者になった。いつも、ニコニコ、決して怒らない、他人の悪口はいわない、真摯な立松和平の立姿が、くっきりと、浮かびあがり、文学の終生の友、福島泰樹との熱い心の、魂の交流があふれている。
お互いが、創造者であり、よき読者であるという、小説家と歌人の、終生の交わりが一冊の本になった。

立松和平は、幸せ者である。語り継いでくれる友、福島泰樹がいるから。
                                                              10月1日                                                                

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