Author:
• 水曜日, 7月 08th, 2009

猫の話ばかり書いている作家がいるというので、「プレーンソング」「草の上の朝食」「この人間の閾」を読んでみた。面白かったので「カンバセイション・ピース」から、評論集「小説の自由」「小説の誕生」を通読した。

そして、本書「小説・世界の奏でる音楽」まで来た。

実は、小説以上に、評論集の方が刺激的であった。私が、考える波調が、半分くらい、そうだろ、本当、そのとおりなんだよと合点し、半分は、いや、行きすぎだろうが、書き手に引きつけすぎだろう、もっと自由だろうが、小説はと反対する。

「(私)という現象の、宇宙地図を作る。それが(本)の最終目標だ)と考えているところの私にとっては、保坂和志の、瞬間のインパクト=リアリティの感受には、大賛成である。

だから、保坂は、三島由紀夫の文体や、村上春樹の文体に、考える、思考の力を見い出さないのだ。

普通、傷は、そのまま、疼き続ける。ところが、小説では、傷も、至高のものになる。その変り目が見える人は、本当の、小説読みであり、小説を楽しめる人なのだ。実人生ではなく、虚の世界でも、人は、人に、パワーを与え、与えられることがある。

つまり、平凡な、どこにでもある世界にも、傷があり、輝やき、深淵が口をあけているのだ。保坂の描く世界には、つるつる滑ってしまう日常生活の中にも、確かな杭や釘があると思わせる腕がある。

本書は、小説の読み方というよりも、保坂自身の心性が固有に結晶する、その流れを、ていねいに追っているものだと考えたい。

つまり、保坂は、考えるという哲学をしている。保坂の宇宙地図が、どのような(本)として書かれていくか楽しみでもある。

Category: 書評
You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.
Leave a Reply