Archive for the Category ◊ 紀行文 ◊

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

君津市は、昭和45年に、君津町、小糸町、上総町、清和村、小櫃(おびつ)村が合併してできた市である。

人口は9万人。近代都市(工業)と郷土(ふるさと)の2つの貌(かお)を持つ市である。

海、港は交通の要であり、交易の場であり、工業の起こる源である。文明にはいつも水が、大きな役割を果たしている。

君津市は、以前訪問した岩手の釜石と同じく【鉄】の街である。JR君津駅の周辺に市街地がひろがっている。製鉄所へはタクシーで10分。巨大な工場・製鉄所が、海に向かって開かれている。

ちなみに【鉄】は“金を失う”と書くから、縁起をかついでか、製鉄所の名前には【鉄】ではなくて【鐵】という旧字を使用している。

巨大企業は合併の結果、室蘭(北海道)、釜石(岩手)、八幡(北九州)と、全国各地から社員が乗り、その関連企業だけでも数千名の人が製鉄所関連の仕事に従事し、そのまま、地元の君津市に住みついた人も多く、市はまさに企業城下町の様相を呈している。

それが、ひとつの貌である。もうひとつの貌は、外房の鴨川市までのびた、広大な土地に昔から住み、農業や林業に精を出してきた人々である。房総の山脈は低く、その合間を川が流れ、田畑と林が濃く、鮮やかな緑を敷きつめている。

清流がある。オートキャンプ場がある。清和の森は、憩いの場であり、緑の王国だ。その隣は、太平洋に面した鴨川市である。

内房から外房へと連山が低くうねり、緑の中に人家が点在する。まさに良き時代の、昔の故郷がそのまま残っている風景に遭遇すると、ホッと、心の糸がゆるくなって、郷愁に似た思いが湧きあがってくる。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

君津市は、昭和45年に、君津町、小糸町、上総町、清和村、小櫃(おびつ)村が合併してできた市である。

人口は9万人。近代都市(工業)と郷土(ふるさと)の2つの貌(かお)を持つ市である。

海、港は交通の要であり、交易の場であり、工業の起こる源である。文明にはいつも水が、大きな役割を果たしている。

君津市は、以前訪問した岩手の釜石と同じく【鉄】の街である。JR君津駅の周辺に市街地がひろがっている。製鉄所へはタクシーで10分。巨大な工場・製鉄所が、海に向かって開かれている。

ちなみに【鉄】は“金を失う”と書くから、縁起をかついでか、製鉄所の名前には【鉄】ではなくて【鐵】という旧字を使用している。

巨大企業は合併の結果、室蘭(北海道)、釜石(岩手)、八幡(北九州)と、全国各地から社員が乗り、その関連企業だけでも数千名の人が製鉄所関連の仕事に従事し、そのまま、地元の君津市に住みついた人も多く、市はまさに企業城下町の様相を呈している。

それが、ひとつの貌である。もうひとつの貌は、外房の鴨川市までのびた、広大な土地に昔から住み、農業や林業に精を出してきた人々である。房総の山脈は低く、その合間を川が流れ、田畑と林が濃く、鮮やかな緑を敷きつめている。

清流がある。オートキャンプ場がある。清和の森は、憩いの場であり、緑の王国だ。その隣は、太平洋に面した鴨川市である。

内房から外房へと連山が低くうねり、緑の中に人家が点在する。まさに良き時代の、昔の故郷がそのまま残っている風景に遭遇すると、ホッと、心の糸がゆるくなって、郷愁に似た思いが湧きあがってくる。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

10月16日の開講式には、糖尿病の運動療法の権威である藤沼宏彰先生(医学博士、体力医学会健康科学科学アドバイザー)をお招きして、講演会を実施。

身体測定、体力測定、3カ月間の参加者の笑い声があった。富津市の住民は気さくで、おおらかで、人なつっこく、厳しい海の仕事が、海辺の生活が、風土が、人をつくりあげているのだと納得をした。

4回の運動教室は、運動指導士の大津桂子先生が担当。音楽に合わせたエアロビクスや筋トレなど、楽しく有意義な教室で、大好評。「また来てくださいね」と参加者の声が飛んだ。

食生活改善講習会は、管理栄養士の加藤則子先生の担当。医師で、糖尿病の治療をしているご主人とのコンビで、日々、腕を振るっている。厳しい指導の中にも人情味がある。

1月26日の閉校式までの、長い【事業】であった。

結果は? 成果は?
(1)体重の変化
63名のうち53名(84%)が体重を減らした。ただし1.5キロ以上減った方が33名
(2)腹囲の変化
57名のうち35名(61%)が腹囲を減らし、2.5cm以上減った方は19名(31%)
(3)中性脂肪(血液検査)
基準値外だった26名のうち24名が改善。そのうち20名(92.3%)が正常になった
(4)HbA1c
基準値外だった51名のうち41名が改善。そのうち24名が正常値になった(80.4%)

素晴らしい成果である。いつも思うことであるが、笑顔で汗を流して参加し、実行し、結果を出し、発表する人の姿を見ると、心から拍手を送りたくなる。富津市のみなさんに感謝!!

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

3月になると、毎年、NHKが富津市での潮干狩の風景をテレビで中継する。

親子連れでにぎわう浜辺は、アサリを掬(すく)う姿の向こうに、春の水のゆるみと、自然の息吹が感じられて、ホッと安心のため息をつく。季節がめぐって、暦が新しい貌(かお)を覗かせてくれる。空気までもが爽々しく爆(は)ぜているのだった。

富津市は海ノリの養殖でも有名だ。ある日のタクシーの運転手さんとの会話を想い出した。

「富津には葉の厚い木が多いね」
「アレは、ノリの養殖に使ったんだ。昔はね」と運転手。
「竹林も眼につくね」
「竹も、そう。ノリの養殖に使った」
運転手さんは続けて「現在(いま)では技術が発達して、木も竹も使わなくなった。綱が良くなったからね」と、淋し気に笑った。

その土地にあるものを利用し、工夫をして、知恵を絞って生活に使う用具は、すべて手づくりだったのだ。

富津は海ばかりではない。山の町でもある。マザー牧場は、広大な土地に富津市がつくった動植物の園である。菜の花が咲き、桜が咲き、四季の花々が牧場を彩る。馬に乗って牧場を散歩することもできる(レッスンなど)。

千葉県の高峰、鋸山は、昔、江戸に石材を伐り出した山である。今でも鋭く、切り立った岩肌が垂直の壁のように、木々の間に見受けられる。素晴らしい眺めだ。

1度、鋸山に登ったことがある。太平洋へと続く内海(東京湾)が銀色に、金色に輝く無数の光を放っていて、光の乱反射が水を、海面を沸騰させて、異次元に迷い込んだような、不思議な感覚に襲われたことがあった。

さて、平成18年、富津市では「ヘルスアップ事業」を実施した。

とにかく、富津市役所の職員には“意欲”と“熱意”がある。財政的には決して豊かな市ではない。厳しい財政ではあるが、国や県の補助金を利用して、少しでも住民のためになればと、挑戦する姿勢には、いつも頭が下がる。

身を粉にして、住民に応えるという素晴らしい伝統がある。新しい事業に取り組む、進取の精神が培われてきたのだろう。

保健師さんたち、管理栄養士さんたち、そして国保の職員のみなさん方と共同で、【事業】を支援させていただいた。

メタボリックシンドロームや生活習慣病が気になる人たちに集まってもっらい、「健康指導教室」を開いた。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

さて富津市は、昭和46年に富津町、大佐和町、天羽(あまは)町が合併して誕生した市である。人口は約5万人。町が合併してできた市の特徴として、市街地が点在し、いわゆる中心というものが、形成されていない。

緑の中に田園あり、畑あり、道があり、点在する人家があり、JRの駅の周辺に、旧(ふる)い町の商店街が集まっている。

大きな企業が、工場、スーパーがあるにはあるのだが、緑と水の量が圧倒する。漁業、農業の一次産業に従事する人は、人口比では、さほど多くはないのだが、やっぱり、富津市のイメージは海であり、漁業であると思えるから不思議だ。

市役所は、人家から離れた小高い山の麓(ふもと)にある。鉄筋コンクリート5階建ての、重量感のある、堂々とした建築物だ。広い駐車場の前には、大きな郵便局がある。

昔は役場や市役所は町の中にあって、歩いてふらっと行ける場所にあったものだ。今は車の時代だ。市役所は郊外へと移転している。

さて、堂々とした庁舎の脇には、レストランがある。訪れた人の憩いの場だ。正面玄関を入ると、エントランスの奥に喫茶店がある。くつろぎ、語らいの場も、至れり尽くせりだ。

「ヘルスアップ事業」は、庁舎の5階にある大きな会場で行われた。

私が富津で1番好きな場所は【富津岬】である。年に何回か訪問する。時間の都合がつけば、いつも、岬へと足を運ぶ。市役所から車で約15分、歩いて約1時間。

いつも風が吹き、波が立ち、松林が揺れている。植林された松は低く、地に這いつくばり、林立している。漁師の家々が軒を並べ、民宿があり、プールがあり、潮のにおいが漂ってくる。

港には舟が停泊している。食堂がある。地魚がおいしい。貝がおいしい。潮風を切って、車を走らせる。窓を開けて海のにおいを含んだ風に当たる。身体が海のにおいに染まっていくのが快い。合宿中のマラソンランナーたちが、若い足で駆け抜けていく。

松林が切れると、一気に海が貌(かお)を出すのだ。塔か、展望台か、遠くまで眺望できる建物がある。

白い砂浜が足元にある。

いつも、不思議に思うのだが、海面が立っている。地面よりも高く感じられるのだ。なぜか? 表面張力? まるで、大きな力で海面が天に持ち上げられているみたいだ。海が、私の身体の中へと侵入してくるのだ。その、浸され、占領される気分が、たまらなく快いのだ。私は海になる。

帆を立てた舟が走る。サーファーがボードに乗って、波を待っている。風の強い日には、対岸の川崎、横浜、久里浜が見える。運が良ければ、富士山まで見えるかも。

特に夕焼けは、また、格別の光景だ。黄色い太陽が、ゆっくりと、ゆっくりと沈んでいくと、大気の加減か、黄色が朱色の燃え上がる色に変わって、何倍にも膨れあがって見える。

何も考えず波の音を聴き、風を頬(ほお)に受け、真紅の太陽を眺めている。

まさに心の休暇の一時(ひととき)である。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

千葉県の地図を鳥瞰(ちょうかん)すると、私には房総半島が巨大な馬の貌のように見える。長い首から貌までの全体が、力強く、太平洋へと突き出していて、ゆるやかに弧を描く九十九里浜が荒波を受けて、しなやかな女の身体のように窪み、低い山脈がその中央に力を貯えて、内側へと伸びひろがり、東京湾の形を造りだしているのだ。

長い首の根元は、広大な関東平野へと続き、東京に隣接している。

北には日本一の利根川が平坦な平野を沃しながら、流れ、流れて、海へと至る。市町村の多くが房総半島の上か、根元にあるのだ。

野田、我孫子、成田、旧佐原、そして銚子にいたるまで、利根川の水の恵みを受けて、日本固有の水田がひろがっている。

九十九里浜は外房にあり、銚子、旭、横芝、九十九里、白子、一ノ宮、そして旧岬町に至る。御宿、勝浦、鴨川と海水浴場のメッカで、夏には家族連れで賑わい、冬にもサーフィンの若者たちが、カッパのように泳いでいる。

半島の突端には、旧白浜の燈台がある。

さて、今回訪れた富津市、君津市は、東京湾に面した、いわゆる内房にある。京葉が誇る一大工業地帯である。

東京から浦安、船橋、千葉、市原、袖ヶ浦、木更津と来て、【君津】【富津】となる。

特急で1時間10分くらい。高速の京葉道路を使えば、千葉で館山道に出て、1時間20分もあれば、到着する距離だ。東京からぶらりと日帰りの旅ができる位置にある。海水浴ばかりではない。千葉県はゴルフ場の数は、日本でも1・2位を競うほどだ。温暖な気候に恵まれ、1年中プレーできる。

県民の気質も温和である。海の幸に恵まれ、水があり、緑があり、自然の豊かな風土は、人柄にもそのまま表れている。

しかし不思議なことに、太平洋に面している温暖の地に、実は糖尿病が多いのだ。徳島県、和歌山県、そして千葉県、沖縄と、糖尿病とその予備軍の数は郡をぬいている。

昔、秋田、青森など東北地方に、高血圧、脳卒中が多発した時代があった。その状況に酷似している。

もちろんそれなりの原因があるのだ。理由のない病気はない。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「体重が減った方、どのくらいいますか? 手をあげて下さい」最後の挨拶で、佐藤先生が問いかけると、約8割の方が笑いながら手をあげた。

「では、腹囲が減った方?」約7割の方が手をあげた。「最後に、前屈はどうですか?」これも、8割の方が挙手をした。正確なデータが出るのが楽しみである。

4カ月も続けてくると、講師も、馴染みが出来て、お別れが名残惜しいのか、声をつまらせていた。参加者からも「先生また来て下さい」、「もう一度教えて下さい」との声が飛び交った。

6人〜8人のワークショップがはじまった。各テーブルには、保健師さん、専門家が一人づつ付いて事業全般について話し合った。

感想。生活の中で何が変わったか。考え方とか感じ方とか。周囲への影響について(主人、奥さん、子供たちへ、あるいは近所の方たちへ)。目標値の達成率について。今後の抱負について。それぞれ自由に語り合ってもらった。

そして、いよいよ、一人一人が1分間、自分の体験を発表することになった。
●お腹囲りが10cmも減りました(一同歓声!!)
●便秘の薬がいらなくなりました
●体重が5kg減りました
●寝起きが辛かったのが…前屈で…頭が足につくようになりました。どこも痛くありません(驚きの声)
●腰痛が消えました
●体が軽くなって…、毎日歩きたいです
●はじめは恥ずかしかったが、今では毎日歩いています
●体重3.5kg減、お腹は5cm。近所にもひろめています
●先生の使っている音楽、講義をビデオにして下さい
●食べ放題でしたが、正しい食生活がわかりました
●コレステロール値が下がって、体重も5kg減です
●みんなで出来ると本当に楽しい(一人ではなかなか続かない!)
●せっかく知り合ったのですから、町で会ったら是非、声をかけて下さい(いつまでたっても、60歳になっても人と人の出会いは新鮮なのだ!)
●人前で話すのが嫌でしたが、今では平気になりました(体だけではなくて心の変化もすばらしい)

本当に、体験が実を結んだという声をきいていると、正に【事業】をやってよかったという満足の表情が、参加者だけではなくて、保健師さんたち、スタッフ全員の顔にあらわれていた。

東北の人は“はずかしがり屋”なのだ。しかし、実行力はある。根気がある。4カ月も続けられたのだ。

全員がこういう教室を続けてほしいという希望だったのも驚きだった。

この事業は5カ年計画で、1年1年、地区を変えながら、実行する。

市では、グループの名簿を作って、仲間が今後も続けられるように支援したいと、応えていた。

民生部長による表彰式が行われた。
一人一人がニコニコしながら、表彰状を受け取る度に、大きな拍手が起こった。
部長のお話では、釜石市は少子高齢化の波を受けており、一人一人が健康で元気に生活する【健康づくり】を市の2大目標のひとつと考えており、5カ年計画に盛り込んだというご挨拶だった(もうひとつは教育)。

地域に6個所拠点を作って、【市】と【市民】が共同で作り上げる“釜石”をめざしているのだった。

最後に、血液検査が実施された。
今年度の釜石市の「ヘルスアップ事業」が終わった。

JR釜石駅前の“サン・フィッシュ釜石”で昼食をとりながら反省会を開いた。参加者の方々の笑顔をみると、苦労も消えて、また、来年頑張ろうという気になるものだ。全員の感想だった。

昨日、釜石駅に着いた時の、何かがちがうという理由がやっとわかった。山々のほとんどが、落葉樹でおおわれていたためだ。私には海・港には、松、杉、樫、厚い葉っぱ、低い木があるというイメージがあったために、常緑樹のない海辺が珍しかったのだ!

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

朝の港は、また、格別である。潮の香が漂っていて、全身が洗い清められるような気分になる。これが釜石港かと、ゆっくりと、呼吸をした。海を全身で味わってみる。耳は風の音を追い、鼻孔には潮、眼は波・波・波の変化、肌も全開、海が私をつつみこんでくれる。

左岸には、巨大なクレーン、鉄、製品の積み降ろしに使うのか? タグボートがある。観光船“はまゆり”が、優美な姿を海面に浮かべている。自然の良港だ。右岸の彼方には山の上に白い像、観音さまか?

海は、1日見ていても飽きがこない。もちろん港だって、座り込んでぼんやりと、日の移ろい、光の、波の、雲の、船の、あらゆる動きが刻々と変化していくさまを眺めていれば、時のたつのを忘れてしまう。大漁旗をかかげた船の雄姿、“釜石まつり”の時にでも、もう一度訪れたいものだ。

また、春の海、春の岬も眺めてみたい。

いつまでも、海や港を眺めている訳にはいかない。9時から12時30分まで、県の合同庁舎にて、「ヘルスアップ事業・はつらつ健康教室」がはじまる。

講師は、運動指導士の佐藤恵先生である。運動を生活習慣に取り入れようと、30人の参加者が計12回の講習会、実習、実技を体験してきた。

さて、結果は? 効果は? どのようになったのだろうか?

毎回思うことだが、【事業】をスムーズに運営するための、スタッフの準備、気苦労は大変なものだ。上手くいって当たり前、ミスがひとつでもあれば反省、反省となるからだ。

釜石市の保健師さんたち、市の職員、永薬品商事の菅原さん、佐々木さん、高橋さん、そして当社の丸野君、大塚君、30名の参加者の方々も、3時間半のハードなスケジュールである。

4カ月間の記録表の提出。体力テスト。捷敏性、前屈、脚筋力のテストがある。そして、佐藤先生の音楽を使った体操、筋トレなどなど。

ワークショップ。ひとりひとりの結果発表。表彰式。最後に、血液検査。実に盛りだくさんのスケジュールだ。体力測定は賑やかだ。ステッピング・カウンターは、左右の脚で、一定時間内に何回踏めるかというテストだ。部屋中に、バタバターという勢いのある音が響きわたる。前屈は、柔軟性のテスト。ほとんどの人が、4カ月前の自分の記録を超えている。うれしいのか、笑い声があがる。

さて、音楽を使った佐藤先生の講座は、水前寺清子の「365歩のマーチ」に合わせて始まった。参加者の皆さんの姿勢がいい。年齢が10歳ほど若く見える。歩き方も、指導がよく行きとどいている。

前に6歩、後ろに6歩、右に3歩、左に3歩、途中で手を打つ、ポーズをとる、2人一組になる。いろいろ創作してある。

運動会で良く使うマーチとか、ビートルズの「オブラデイ・オブラダ」とか。実に楽しそうだ。顔が上気して赤みを帯びている。

ラジオ体操ではないが、【集団】で【音楽】を使う手法は、全員の気分が高揚して、連帯感が生まれるのか、とても好評だ。仲間意識ができるのだろう。決して、一人一人では生まれない良さがある。リズミカルに、切れ目なく、拍手が入り、全員に一体感が生まれているのがわかる。

自宅で一人でも出来る、椅子と床を使ったストレッチや柔軟体操を実行して終わりとなる。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

夕闇の中に立ち昇る白い煙を右手に見ながら、タクシーはやめて、ゆっくりとホテルまでの道を歩いてみた。釜石は低い山々に囲まれた町だった。南に、北に、西に、葉をおとした灌木があって、東の空間がのびたあたりに港があるにちがいなかった。

陸橋の下をくぐると、甲子川が流れていて、川下に見事な赤い鉄の橋が見えた。歩いて渡る橋の名前は、大渡橋である。もう町は眼の前だ。

商店街にはアーケードがあって、延々とのびている。鉄の全盛期には人口9万人を誇ったというだけあって、商店街は見事なものだ。

現在は、人口が4万5000名ほどにまで減っている。“鉄の町”も減産を余儀なくされて、工場の社員は千葉の君津へ、北海道の室蘭へと散っていったのだ。

世帯数は約1万8000。家族が減って、高齢者率は30パーセントを超えているのだ。

夜の商店街は人足も少なく、シャッターがおりたり、看板の消えている店が目立った。

ここでも、少子高齢化の波が押し寄せている。まして、基幹産業の“鉄”の工場を誇った企業城下町は、減産のあおりを受けて、町そのものを再構築しなければ、未来はない。

釜石は、漁業の町でもある。三陸の海がある。漁業はどうなのか? リアス式海岸で良港が多い。磯があり、白砂の海水浴場がある。

【港】は、いつも文明と文化を運んでくる。人と物の出入りがあって、活気にあふれ、交流の場が出来るのが【港】である。海の道、交通の要所、窓口である。海にむけて開かれている町。水平線の向こう側からは、いつも未知のものがやってくる。

【港】のある風景は、自然に、未来とか異国の香りを漂わせている。

ホテルに着いた。冬の5時は暗く、6階の部屋から見下ろす街には、街灯が点って、山々は、闇の奥へと身を沈めている。何かがちがう。いったい何だろう? 海の町なのに。私の感覚が、もうひとつ、ぴったりとこない。明日は、早起きをして、港を見に行こう。講習会の始まるまでに街を歩いて、港でも眺めれば、私の奇妙なわだかまりも解けるかもしれない。

東北担当の営業部長丸野君と、大塚君が東京から、測定器などを積んで車でやってくる。何時間かかるのか? 6時、7時、8時まで待った。高速道路を使っても、結局約8時間かかったということだった。

夕食には、三陸の地魚と鍋を食べようということになって、夜の町へ出た。路地へ入ると、びっくりするくらい店があった。日曜日のせいか、あるいは、人口減の影響か、灯の点いていない店、看板やネオンの淋しく闇に沈んでいる店が多かった。

それでも、夫婦で、頑張っている店があった。刺身の盛り合わせには、小さな旗が刺してあって、地魚の名前が書いてある。幻の魚、マツカワか! 沿岸の魚だから白身の魚が多い。鍋はおまかせで、アンコウが中心。鍋の後の、オジヤが実に美味い。釜石の栄枯盛衰を聴いた。それでも工夫して、生きるのだと主人は語ってくれた。郷土に生きるとは、そういうことだろう。(つづく)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「鉄は国家なり」という言葉があった。重厚長大が時代を象徴していた時代だ。現在は、軽薄短小の時代に変わってしまった。

今回訪問する岩手県釜石市は、全国に”鉄の町”として、その名は響きわたっていた。そして、ラグビー日本一も、たくさんの人々の記憶として、その脳裏に刻まれていることだろう。

宮沢賢治を生んだ花巻市、柳田国男が名作「遠野物語」で語った民話の宝庫、遠野市までは足を運んだことがあるが、釜石市を訪ねるのは、今回がはじめてである。

三陸海岸の港町、鉄の歴史を誇る町、釜石の姿はテレビや雑誌で、私の脳に刷り込まれており、果たして、現実とイメージの間にどれだけのギャップがあるのか、それを確かめる旅ともなった。

9月からはじまった「ヘルスアップ事業」の閉講式が1月29日に催されるので、前日から東北新幹線に乗って、出かけることになった。

それにしても今年の冬は、冬とは思えぬほどの温かさだ。宮城、岩手では、12月から雪と霜で、ゴルフ場はクローズが当たり前である。今年は気象庁、観測史上最高の温度で、仙台でも、ゴルフを楽しんでいるという。反対にスキー場では、雪が足りなくて営業にならないとか。喜ぶ人あり、悲しむ人ありだ。

東京駅10時36分の「やまびこ」に乗って、新花巻へと向かった。福島、仙台を過ぎても、街も、平野も、黒い地面と褐色の姿を覗かせるばかりで、雪の白は遠く、高い山々に輝いているだけだった。

新花巻で下車すると、2〜3分歩いて“釜石線”に乗り換える。40分ほど時間があるので、花巻の風景を眺めながら、駅の周辺を歩いてみた。田園風景がひろがっている。低い丘のような山があちこちに点在していて、雑木林が陽を浴びていた。風でもあれば、宮沢賢治の低い訛った声が、見事な詩句となって、流れて来そうな風景である。

農家の西と北に、杉か何かの木立があって、防風林だろうか? それを見る度に、東北独特の歴史や風俗の匂いを嗅いでしまう。

釜石線の電車は、二両編成のワンマンカーだった。のんびりしたものだ。時計は2時を廻っていて、乗客は、学生、観光客、地元の人々だった。山と山の間の低い、狭い空間を、身をよじるようにして、西陽を浴びたワンマンカーが走り続ける。各駅に停まるのだが、人家は少なく、点在している。

遠野市が近くなると、平野がひろがって、南に、北に、高い山が斑の雪を走らせている。

約1時間が過ぎた。遠野は電車やバスのない時代には、本当に陸の孤島だったのかもしれぬと、四方の山々を眺めながら考えた。

トンネルを幾つもぬけて、釜石駅に着いた時には4時半くらいで、もう冬の薄闇が巣喰いはじめていた。左右に山が迫っていて、右手に煙突の白い煙をゆったりと空に吹き上げる工場があった。”鉄の町”だという実感が湧きあがった。(つづく)