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• 月曜日, 12月 13th, 2010

人は、生きるという現場で、かかえこんだものを、一生、反芻しながら、成長させるものらしい。

本書を12年振りに再読しながら、その晩年まで池田晶子が考え続けたものが、ほとんど、種子として蒔かれているのが、「残酷人生論」であり、第二の処女作と呼んでもよいと思った。

絶版になっていたものが、増補新版として出版された。コンパクトで、持ち運びに便利で、電車の中でも読める、ハンディな本だ。

「考える」ことが、唯一の生きる意味であった池田晶子の「人生論」は、あまたある、発見、発明、事業の成功などを語る、いかに生きるかという人生論とは、一線を画している。

どうも、ニンゲンには、二人の(私)があるようだ。
食べるために(生活、仕事)生きる人。(A)
生きるために、食べる人。(B)
そして(私)を生きる、その(私)も、存在そのものの(私)と(社会的な私)に分かれている。

人は、誰でも、ある年齢になると、突然、(私)を発見する。(私)を(私)として見るもうひとつの眼ができる。そして、(私)って何だろうと考えはじめる。(私)に気がついたが、その(私)が何者が、わからないのだ。で、生れた場所、家、名前を呼ばれて、(私)が(社会的な私)として、存在しはじめる。

仲間と遊び、友達と学校に通い学習(勉強)し、食べるために仕事(労働)をし、社会=世間を知って、(仕事=生活=私)が完成し、停年になると、肩書き、地位、会社、組織を離れて、また、もとの(私)に戻る。

たいていの人は、普通、(社会的な私)を(私)と認めて、働き、生活をしている。ところが、生きるために食べると考えた人は、どうしても、食べるために生きるセイカツに慣れることが出来ない。

そこで、(社会=世間)に衝突してしまう。しかし、その(私)を変える訳にはいかない。で、どうにかして、(世間=社会)と折り合いをつけて、生きねばならぬか、と悩む。

本書では、珍らしく、池田晶子が、(私)が生きる時、普通の人と、ちがってしまう、と、悩みを打ちあけている。

人は(死)を悲しいと言う。池田晶子は(死)がおかしいと感じてしまう。そこだ。どうも、(私)の心性は、普通の人たちとはちがう。どうしよう?と考え、悩む。

当然、普通の評論家や作家や詩人から、批判される。「悪妻に訊け」に対して、
サザエさん的世界」から出ていく力が弱い(福田和也)
「他者がいない」(松原隆一郎)
「本質的にモノローグ」(佐藤亜紀)

普通に生きる人は、(他者=世間=社会=仕事=生活)というものが、厳前と、眼の前にあって、それと、闘い、競走することが(社会的な私)を生きることだと考えているから、当然である。

実は、(私)を考える、(私)を生きるタイプのニンゲンは、必ず、同じような批判を受ける。「内部の人間」を書いた、秋山駿も、一生、「私」をめぐる考察を、ノオトとして、書いている。で、同じ類の批判を受け続けた。

池田晶子は、(私)=(存在)=(宇宙)というふうに、考える人だから、どうしても、世間の(社会的な私)を生きる人たちと、問題の立て方がちがう。

無限遠点から来る光線を見るようにしなければ、池田晶子の姿・形は、望めない。

実に辛い、心性をもったものだ。しかし、本人は、平然と、(私)を生きる、(私)を考える、を生きてしまった。家も、故郷も、名前まで消してしまった。(魂という私)=(魂の私)になって、疾走した。

池田晶子の言葉に躓く人は、2つの(私)を考えてもらいたい。
「以前に生きていたことがある」(池田晶子)
ホラ、躓くでしょう。だから「残酷人生論」なのだ。

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• 水曜日, 12月 08th, 2010

いよいよ日本は、超高齢者社会が、現実のものになった。いわゆる団塊の世代、700万人が、停年を過ぎた。大量の企業戦士が、会社を辞めて、それぞれの地域社会に放たれた。

人生80年時代であるから、会社、仕事を辞めても、まだ20年、約10万時間が残されている。とても、旅や趣味では、時間をもてあましてしまう。実際、(私)=(仕事)で生きていた人間がその場と役割りをなくしてしまうと、大半の人は、途方にくれるだろう。

そこで、昔の、700年の前に生きた、吉田兼好さんの言葉(本)が役に立つ。仕事を自ら棄てて、市井の自由人となった兼好さんが、人生を、どのように考えて、生きてきたか、語ってみた。

温故知新である。

人間、生きれば生きるほどに(本)が面白くなる。つまり、生きてみなければわからない内容や意味がいっぱいあるのだ。
身にしみて、わかる年齢になると、本は、毎日の友ともなるのだ。

ある日、気がつくと、(私)がいた。誰も、望んで生れてきた人はいない。そして、学習して、勉強して、(私)を生きるために(仕事)をしてきた。40年も。

それは、(社会的な私)であった。
会社、組織を離れてしまうと、また、もとの(私)に戻る。さて、この(私)をどう生きよう。

何か面白いことはないか?
何か気持ちいいことが出来ないか?

そう思って、人は、さまざまな(仕事)に就くのだ。
そのうちに、いつのまにか、(私)=(仕事)=(社会的な私)になる。
なかなか、原点にもどって(私)だけを生きるのは大変である。

私の提案は二つである。誰でも、一冊は、本を書ける。
意を決して(私)=自分について、(本)文章を書いてみることだ。(私)とは何者か?と。

もうひとつは、せっかく、この世に生れてきたのだから、人類の(知)に触れてみることである。社会に生きていると、会う人は限られている。
そこで、(歴史)の中の人に会う。
つまり、四大聖人(勝手に私が、そう呼んでいる)、孔子「論語」、釈迦(ブッダの言葉)、イエス・キリスト(新約聖書)、ソクラテス(ソクラテスの弁明)の「本」に言葉に触れてみることだ。

私たちは、誰でも、宇宙に、1回限りしか生きない生きものである。

さて、90分のお話は、「死」について、「お金」について、「女」について、「酒」について、「宗教」について、「仕事」について、「自然」について、いろいろ語らせてもらった。
兼好さんと現代人、果たして、どちらがよりよく人生(私)を生きているだろうか?

みなさん、一生懸命ノオトを執って下さった。更に、懇談会では、質問責めであった。
(私)の声は、とどいたであろうか?

長時間、誠に、ご静聴ありがとうございました。
感謝、また、どこかで、お会いしましょう。

演題 : 「生涯現役で生きるために」 ~背広を脱ぐ前 脱いだ後~ 「徒然草」(吉田兼好)を読みながら
場所 : オークラ千葉ホテル
日時 : 平成22年12月3日(金) 15時00分~16時45分

【背広を脱ぐ前 (決断と実行と胆力)】
①人は、社会的な(私)を生きている。
寝る場所(家)があって、着るもの(衣)があって、食べるもの(食)があって、仕事があれば充分である。
生活の中心にはいつも(仕事)がある。会社で、組織で、(規則と法)のもとに、働いている。生きるために。仕事・仕事・仕事。
ビジョン(あるべき姿)があり、それを実現するために、働いている。人間と人間の間で。毎日、汗を流して。
(仕事とは何か?)

【背広を脱いだ後 (自由と覚悟と生きがい)】
仕事の(場)がなくなる。社会的な(私)が消える。いわば、椅子・肩書き・役割りが、突然無くなってしまう。
●誰も、生れてきたいと思って、生れてきた人はいない。ある歳、気がつくと(私)がいた。ニンゲンである。で、働いて、生きた。
●生老病死は、ニンゲン、誰も避けられない。

②素顔の、裸の(私)、ただの(私)を生きなければならない。
(何が変わった?大事なものとは何か?) 大問題である。
さて、あり余る時間と、自由を手に入れた。人は、どう、生きればいいのだろうか?
(人間とは何者か?)

【「徒然草」 吉田兼好 著】
①吉田兼好ってどういう人?
時代は、南北朝。(1283年~1353年?没)
本名 卜部兼好(うらべかねよし)。室町時代に、子孫が卜部から吉田に改名。(吉田神道)
吉田神社(京都)は、神道界の名門の家系。貴族出身。兄弟に、高僧・天台宗の大僧正(慈遍)がいる。
役人(六位の蔵人)をやめて、出家・世捨て人となる。(30歳頃?)
(市井の自由人)に。
歌に秀でていて、歌集「兼好法師家集」がある。旅を好み、西行を親い、東国(関東・鎌倉)の名士と交流。

②「徒然草」って、どんな本?
37歳~48歳頃、兼好が書いた随筆集。
「枕草子」(清少納言)、「方丈記」(鴨長明)と比較されるが、実は、日本初の「批評」の第一級の書物である。批評家誕生。
隠者となった兼好が、人知れず、書いたもので、(人間)をめぐる、さまざまなエピソードと批評に満ちている。
奇人、変人、珍人、通人、知者、あまたの人間が登場して、お金・友達・お酒・恋・死・四季・孤独・宗教・病気・読書とあらゆるテーマが、鋭い批評で語られている。
滑稽談あり、奇談あり、逸話あり、幅広く人間の世界を、眺望している。
もちろん、生老病死が中心で、(無常)が、最大のテーマである。
深い洞察力と、鋭い観察眼、エスプリの利いた批評とユーモアあふれる作品で、名文である。(声を出して読みたい)
●兼好の生前には、ほとんど、知られていないし、読まれてもいなかったのが、江戸時代に、再発掘されて、一大ブームとなり、「日本の論語」ともてはやされ、嫁入りの時には、親が、必ず、嫁にもたせたほどの人気だった。全243段のエピソードから成る。
●人間の文化、文明は、数百年で大きく進歩した。
しかし、人間そのものは、果たして、進歩しているのか?昔と少しもちがわないのか?
700年前の人、兼好の本を、現代人は、どのように、読むのだろうか?(長寿社会にはピッタリの本) 温故知新。

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• 水曜日, 12月 08th, 2010
1401. ニンゲンとして在るのではない。ニンゲンに成る可能性として在るのだ。だから、ニンゲンとは、Xである。(私)は、可能性の魔になる。
1402. 簡単明瞭(シンプル)が文章の極意だ。
1403. モノ自体が在るように、言葉も在れ。
1404. 肩の力を抜いて生きる年齢なのに思わず力瘤が入ってしまう時がある。やれやれ。
1405. いつまでたっても、他人を傷つけ、他人に傷つけられ、人間関係を超越できぬ。自然であるか!!
1406. 機に応じる。最高の時も、最低の時も。
1407. 他人が考えたことを、(私)も考えてしまう。結局、つきつめると、同じところに落ち着くのか。
1408. 心が泡立って、心のコントロールがきかない。
1409. 知らない(無知)と、どうしても、知ることができない(無知)はちがう。千里の差がある。
1410. 抗いのあとの、締念であろうか、ものがみな美しく見える。
1411. 量子よ、(私)を迷宮へと放り込まないでくれ。
1412. 握手をする手が、戸惑っている。本当に、これが、あなたの手か、と。
1413. 一行の文章が人生に拮抗できる訳がない。無数の言葉を放っても。それでも、(私)は。
1414. しかし、一言半句が欲しい。作家の性か。
1415. 誰かが、燐寸をすっている。(私)の中に、火が点いて、勝手に、燃えあがっている。
1416. なぜ、生れる(私)と生れない(私)に別れてしまうのだろう?
1417. 現れなかった、もう一人の(私)のために、(私)は、非在者の宇宙を想像する。
1418. 見るということの限界に、死刑宣言を出したのは、量子力学である。
1419. 見るが壊れる、考えるが崩れる、いったい、どうする、ニンゲンよ。
1420. 思考にかわるものを、思考で、思考しても、所詮、無理な話だ。もっと、別の、スタイルを。
1421. ニンゲンは、自分の蒔いた種子しか育てられない。
1422. (私)は、(私)だけを生きているのだろうか?何?誰が(私)を生きている?
1423. 生きている、ということの質と幅を、もう一度再考しなければならない。
1424. 「集合と分解」の真只中に立っている。
1425. どうしても、ニンゲンが死んで(無)に至ると思えない人がいる。どうしても、死ねば、すべてが完全にお終いで(無)に帰してしまうと考える人がいる。そして、(無)という訳のわからないものに、(死)という、訳のわからないものに、いつまでたっても、
答えが出せずに、揺れ続けている人がいる。
1426. まあ、とりあえず、突然(私)に気がついて、不意に(私)を発見して、驚いたのだから、生きるということだけしていよう。あとは、野となれ山となれだ、と(生)の後を考えない人もいる。
1427. 白川静なら、おそらく、神は、漢字の中から起ちあがってきたと語るだろう。
1428. わかる瞬間には、透明な火花が散る。快感が風となって(私)の中を吹きぬける。
1429. 長い間、考えあぐねていたことが、ひょっとした瞬間に、飛びだしてくる。”解”となって。
1430. 信が置けなくなると、何を言っても、何をしても、必ず、疑惑の眼で見られてしまう。
1431. 堂々としている必要はないが、せめて、自然態ではいてほしいものだ。伏目がちに、背中を丸めていると、その姿、形が不信を生む。
1432. 自分自身に甘い人は、他人の眼が、どこまでとどくか、知らないのだ。腹から背中まで突き抜けてしまう力が、他人の眼だ。
1433. ニンゲンは(考える)という思考のパターンの外へは出られない。やれやれ、石との対話、蟻との対話もできないとは。
1434. 考える(私)は、考えられる(私)でもあるのに。
1435. (私)から発する言葉と、(社会的な私)から発する言葉では、言葉の筋目がちがう。
1436. 彼は、そういう人間だよ。まったく、あいつらしいね。他人がそういう時、おそらく、正確に、その人を捉えている。しかし、言葉で、その内容を語ってみようとすると、これが、なかなかむつかしい。
1437. 人は人の何を捉えて、その人を語ってしまうのだろう。おそらく、性格や資質や傾向だけでは納まりがつかぬ。その人がその人である不思議がある。
1438. 知識や知恵を身につけて、生きているが、ニンゲン自身は、いつも、それらを超えている。
1439. 思考の癖、心のありよう、身の処し方、一人一人に固有なものが、生れつきと呼ばれてしまう。変えようがない。おかしなものだ。
1440. 学習しても、知識を得ても、情報を知っても、決して、身につかぬものがある。魂の私の姿。
1441. (私)が、もう一人の(私)に再会するために、(生と死)という旅をしているのであれば、最後の楽しみは(死)ではあるまいか?(宇宙の双子の私)
1442. 見ることは見られること
     触ることは触られること
     考えることは考えられること
     (私)が(私)を
1443. 書くことは消すことでもある。
1444. 来たものは、形を変えて、文字というものになってしまう。
1445. で、来たものは、書かれて、完成して、消えてしまうのだ。
1446. わかるということは、文字・文章を読むことではなくて、文字・文章になったものを知ることである。
1447. (私)を考え続けることが、一生である人がいる。生きるために考える人、考えるために生きる人。(考える宇宙)
1448. 無いものを見てしまった人は、いったい、どうなるのか?眼が狂っている?(私)が狂っている?いいや、(無いが在る)世界に超翔したのだ。
1449. 一日中、どこにいても、居心地がわるくて仕方がない日がある。(私)の着地している場所と(私)の存在が、磁石のプラスとプラスのように、反きあっているのだ。時空と、上手く、握手できない日は、辛い。
1450. (私)の過去が見えるならば、(私)の誕生以前の過去も見えるだろう。
1451. (私)は、いつも、現在に触れ続けているのに、その現在が、(私)の過去を妙に、変えてしまう、そんな力をもっているような気がする。(時間という魔)
1452. 時間の、不可逆性も崩れるかもしれない。(過去⇒現在⇒未来の破壊が起きる)
1453. 何度も、何度も、心が折れる。生きている証拠だ。死者たちは、もう一切、動じない。生者は、身をふりしぼって、ふたたび出発する。(私)として。
1454. 顕現しようとしているのに、触れようとしているのに、見えない、見せない、ある力があって、あと一歩、紙一重のところで、ソレは逃げて隠れる。あーあ、溜息。気配までは感じているのに。
1455. 見れば、ソレが解体し、見なければ、結晶する。考えれば、逸脱し、放っておくと、本然として在る。困ったヤツだ。ニンゲンの手に負えない。
1456. すべては、不意に、突然、やってくる。で、慣れてしまうと、普通になる。(私)に気がついて。驚いた日は、どこへ行った。
1457. (私)とモノやコトが、溶けあって、感応している時、(私)は、思考以前の世界に、漂っている。外もなく、内もなく、たゆたう(私)の快楽の時。
1458. 原子が、一生懸命に、原子自身を覗き込んでおる。(私)と同じだ。
1459. 不可能を語るために出発した、長い、長い、旅ではなかったか?
1460. いつも、考えるということの外へと超出してしまうもの。なぜ?どこへ?さあ、どうする?
1461. ニンゲンは、いったい何を語ってもらいたいのだろう。どんな声で、どんな詩を。コレも良し、アレも良し、と。全肯定の歌か。コレも不能、アレも不完全と、全否定の終末の歌か。
1462. 時空に織り込む。あらゆるものを。
1463. 形があるから、不条理が生れる。しかし、形のない(私)などない。
1464. 池田晶子という光線はどこから来るのだろう。無限遠点に立たねば、その姿が見えない。
1465. (私)を生き続ける本能の力。もっと強く、もっと長く、もっと豊かに。意思を湧きたたせる肉体の増殖。(私)は胃袋、(私)は腸管。
1466. もう少し生きよう、と(私)が思うよりも、もっと、深いところで、身体が生きている。
1467. 「器官なき身体」(アルトー)になって、(考える)だけが、時空に存在する、それは、夢のまた夢であろう。
1468. 無が思考している。無を思考しているのではない。
1469. アンチ・キリストのニーチェの声に耳を傾けていると、無神論よりも進化論の響きに似ている。
1470. あまりにも過剰な生は滅びやすい。叫び声よりも、呟きがいいに決っている。閑かに、深く、(私)を呼吸するリズムが、よく生きるニンゲンには、相応しい。
1471. 闘いだ、闘いだ、決闘の時が来た、とある友が歓喜の声をあげた。やれやれ、戦時が好きなニンゲンは、手に負えない。勝手に、敵を作ってしまう。
1472. 欷歔する人を前にして、黙って、閑かに、佇んでいた。去りかねて。
1473. ものを書かない、「本」を読まない日々には、ただ、「現場」で、行動して、考えていた。他人の言葉は、もう、要らなかった。
1474. しかし、(私)が痩せないためには、滋養になる「本」、心が静かになる「本」を読む必要がある。
1475. (私)が書くというよりも、来るものに掴まえられてしまった(文)の方が生気がある。
1476. もう、文章に論理を追う頭脳よりも、声を追う耳を楽しみたい。姿を追う眼を愉しみたい。
1477. 存在というから重くなる。余分な意味が付着する。「あるモノ、ないモノ、あるコト、ないコト」とすれば、実にシンプルである。
1478. 足の時代があった。歩いて、歩いて、夕暮れが来て。
1479. 奔走する民。(私)も、また、その他大勢の民として、東へ、西へ、南へ、北へと走る。跫音を追って。あの人の声を頼りに。
1480. (私)を維持するためには、最低限のモノは、持たなければ、生きられぬ。モノがあふれて。(私)を縛ってしまうと、モノの中に埋没する。結局、すべてのモノを棄てて旅立つのに。
1481. 岩、石、砂利、砂、土、泥。時が流れると、見事に、形が崩れてしまう。川を視よ。
1482. イルミナシオン・天啓がやってきた。(私)の全細胞の眼が開いた。
1483. やはり、有限者は、有限から発して、無限を考えるしか術がない。
1484. 実体(実存)の影ではなくて、(私)が(私A)と(私B)になる。分裂というのではない。二重人格でもない。正に、正常に、そう在るのだと告げられて。
1485. とにかく、行けるところまで行ってやれ、(私)は(私)を限界まで使用してみる。誰も文句は言うまい。難破しても。
1486. アンドロメダ銀河よ、あなたたちの星々では、生命は誕生したか、高度に成長しているか?ニンゲンが滅びないうちに、うちの銀河へ探索の旅にでも来てくれないか。まだ、当分は、こちらからは行く力がない。
1487. (私)の中には、まだ、現れようとして、現れかたのわからないものが、いっぱい存在している。心も身体も、新しい回路を開けてやれ。
1488. 宇宙には、モノが在るように在る、その在り方とちがう在り方が、いっぱい、眠っているかもしれない。一切の、モノの見方が通用しないだろうが。
1489. 子供の頃に、使っていた、感情や思考の回路が、大人になると、閉じてしまう。で、使用できない。かすかに、その断片が、夢や記憶に顕れるのだが。取り出せない。そこには、使わなかった(私)がいる。
1490. 深夜、床の中で、眼を閉じる。不意に、人の顔が、次から次へと浮かんできた。見たこともない、人の顔、あまりにも、出現するので、どれか、ひとつくらいは、知っている顔がないものかと、凝視した。大きさも、来る方向もまちまちだった。とにかく、妙な経験であった。どのくらい続いただろうか?眠りが来る前の、まだ、意識が、明晰であったので、なぜ、不意に、見知らぬ、無数の顔たちが、(私)に訪れたのか、その意味をしばらく、考えていた。わからない。そして、本当の、眠りが来た。決して、夢ではない。
1491. 死ぬことは、死んだニンゲンに見慣らうしか術がない。
1492. 練習(レッスン)は、あらゆるものに必要である。死を実践する前にも、練習(レッスン)がいる。
1493. お礼は、必ず、形にしなければならない。思っているだけでは、お礼にならない。
1494. 若い時に、身につけた、習慣が、年をとって、やっと、理解できた。「他人に会ったら、笑顔で、」と。
1495. (ある)と(ない)があるが、
     (ある)は、指し示せても
     (ない)は、指し示せない。
     (死)は、(ない)であるが、
     頭では考えることはできない。
     表現は、(ない)ものを、
     説明できるが、(ない)
     そのものを表せない。
1496. ニンゲンは、「科学の法則」には、なれない。いつも、矛盾をかかえ、矛盾をも生きてしまう。
1497. たかがニンゲンに何が出来る。いつも、耳の底に鳴り響いている声。ニンゲンは、考えられる限りのことは、なんでもやってしまう。心の中の声。
1498. ものを考える、ものを書く—表現という行為は、実戦の為の地図であるから、無用という訳ではない。その行為がなければ、人間は、どんな指針のもとに、どんな目標をたてて、実戦できるというのだろうか?すべては(考える)からはじまる。
1499. (生の現場)に傍観者はいない。
1500. (知)を持たない人は、そのまま、闇の中にいろと、誰か、偉い人が語っていた。びっくりである。愚者も、また、生の盛りを生きているのだ。
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• 火曜日, 11月 02nd, 2010
1301. 耳を育てる。「耳順」に至るまで。
1302. 思考のキメイラが、次から次へと、(私)の中から起ちあがってくる。
1303. 見るけれども見えず、聞くけれども聞こえず、もう一度、眼と耳を洗濯せねば。風が吹くまで。
1304. 衰弱した、劣化した、言葉ばかりが入り乱れている。もっと、空気を。もっと、熱情を。
1305. 断念の中にこそ、火が燃え盛っている。静かな火が。
1306. 言葉を上手に使用する人は、正しく、ものを考えられる人だ。
1307. 問いに対しては、決して答えない。いつも、沈黙で応える。
1308. (知)もいらぬ、(意味)もいらぬ、ただ(在る)だけで生きている人がいる。
1309. 「このことは、秘密だ、絶対に、他人には言わないように」約束は、いつも破られてしまうのに。
1310. ここは何処?いまは何時と言った(少年)が(私)の中に棲み続けている。
1311. ニンゲンは、正しく考えることも、誤って考えることも可能である。(自然法則は、たったひとつだ)ニンゲンの自由度には、幅がある。
1312. 「経験」の総体としての(私)が考える、「存在」としての(私)が考える、どちらが(普遍)に至るか、わかるだろう。
1313. 科学は、(私)は考える、を説明できない。考えるという自由。
1314. ニンゲンを見る。男を見る。女を見る。まったく、別のものを見てしまう眼がある。
1315. (私)は、私だけのものではない。誰が(私)を所有できる?(私)をはみだしてしまう(私)を。
1316. 「嘘も方便」という東洋人(ひと)。「あらゆる嘘は罪だ」という西洋人(ひと)。原理はどちらにある?生きやすいのはどちら?
1317. 幸福は、一人一人、ちがうものだ。ゆえに、国、総理が、「最小不幸社会」をめざすというのは、誤りである。他人も、社会も、国も(私)の幸福は決められない。
1318. あらゆる問いに、長い、長い、沈黙の後で、(無)という答えがあった。寒い、凍りついた。
1319. すべての、音信が無化される。淋しいね、畏ろしいね。宇宙よ。
1320. もう、他人には問うてはならぬ。随分と、生きてきただろうが。答えは、必ず、生きてきた経験の中にある。
1321. 問いを宙吊りにして放り出してしまった者(ヤツ)。それも、答えのひとつか。
1322. (私)から発する声には限りがある。やはり、来るものを待たねばならない。
1323. 群れで生きている限りは、ニンゲンは、いつでも、他人に足を踏まれたり、他人の足を踏んだりと、良心の痛む生存競走を強いられる。(罪)のない人はいない。誰も、(罪)なくしては、存在できない。
1324. 秋、歩いていると、花や風に心を煽られる。人に、感動することは、実に少ないが。死者たちの声だけか。
1325. 書いても、書かなくても、知っても、知らなくても、生きてみれば、結局、同じことか。いや、ちがう。
1326. 浅くても、深くても、生きられる。横へ、横へ、垂直にも。
1327. 錐の穴、鍵の穴、水の穴、ブラックホール・星の穴、孤独の穴。
1328. 正体丸だしの、哀れなこと、もう、逃げ場がない。
1329. 肉体の殻、精神の殻、破れやすいのはどちらだ?
1330. 生き急いでいる、片をつけようとして。のっぺらぼうを相手に。
1331. 触る他人の手がない場合には、右手で左手を触る。
1332. いつも、(私)の中に(貧)を飼っておくこと。
1333. 衝突ばかりしている。たまには、握手してみろよ、私の(私)と。
1334. 慣れることがない、いつまでたっても。足の裏のヒリヒリ。
1335. 移動に次ぐ移動である。仕方がないか、時からは逃れられない。全身を摑まれているから。
1336. 最後の問いが発せられるとすれば、さて、(私)は、何と、言うだろうか。やはり、(私)は何処にいた、(私)は何処へ行く?か。
1337. まだ、(私)が一人であるのか、(私)(私)の二人であるのか、勝手に、決めないでくれ。あなたには、見えるのか?さあ、握手してみろ(私)と。
1338. まだ、(私)の中から、何がでてくるか、わからないのに、あなたと、(私)を同じニンゲンだと、決めないでくれ。さあ、(私)を叩いてみろ、どんな音がするか、とあの人は言った。
1339. 何かを作ることが、大事なのではない。(私)が何になるのか、それが問題だ。
1340. (私)であると断言できる人は、幸せだ。宙吊りに気がついて、迷わなければ。
1341. 情報のイン・プットと情報のアウト・プット。やれやれ、ブラック・ボックスを見てもいないのに。
1342. いつも、存在へと着地しているはずだが、今日に限って、影の上にいるようで。
1343. 秋の風が吹いた。青空に光子が踊っている。眼が歩きはじめた。高い、高い空へと。
1344. 本当に、時間に(量)などあるのだろうか?勝手に、ニンゲンの物差しで計って。
1345. 普通に生きていると、意識に(死)は訪れない。生きる、生きる、生きるばかりだ。
1346. (感覚)は、実にあいまいだ。同じように視覚も、実にあいまいだ。ならば、混乱し、麻痺する感覚の中に、(真)を求められるわけがない。見ることは、何か、わからないものになることだから。それでは、生きて、生活できないから、視たものを(現実)と、仮に呼ぶのだ。理性で。
1347. 曼茶羅の製作に熱中した空海も、ダイアグラムの制作に熱中したアラカワも、人々に、眩暈を起こさせて、ここにいながら彼方へと連れていくのだ。空海の、アラカワの、イデアの中へ。
1348. (私)に揺さぶりをかけてみる。全感覚が狂ってしまうほどの。何が、出現する?新しい(私)だ。
1349. 文章のリアリティとは、不思議なものだ。その人が、生きたように、考えたように、立ちあがってくる。呼吸だ。
1350. (私)は、文章になろうとしている、いや、いつも、文章の外に立っているので、いくら(私)を描いても、(私)は、どこにも、見あたらない。では。文章になってしまったのは、誰だ?
1351. (私)を書くことは、不可能だよ、と、文章の外に立っている(私)は、言い続けているのに、いつものまにか、文章の(私)は、私に似てきた。
1352. どこにもない場所から声が響いてくる。耳は何をしている?耳は、本当に聞いているのか?
1353. 響きあって、揺れながら、揺れながら、いつのまにか、音のない音になってしまったから。
1354. 眼、見ているだけで、考えない。しかし、考える人を、凝っと見ている。宇宙に、眼。
1355. どうも、(私)のいる、時空が落着かない。彼方にもいて、ここにもいて。しかも、同時に。
1356. 義理をそのまま、実人生で実践する、すると、必ず、躓いてしまう。転びかたも、発見への入口である。
1357. もう、仕方がない、ずっと時間が流れていたから。さあ、行こうよ。
1358. 心配で、心配で、心配の種子をかかえ続けるのが母であるらしい。老いた母を見て。
1359. 終日、兼好の声と(私)の声が響きあっている。700年の時を超えて。もう親友だ。
1360. 原子爆弾に次ぐ、大きな、大きな、爆弾でなければよいが、万能細胞よ。科学は、いつも、危険と背中合わせだから。
1361. 1.(私) 2.あなた 3. 彼等、彼女等。数の原理はこのように、出発したのか。そして、10本の指から。
1362. 論理で考える人、直観で考える人、形式で考える人、いづれにせよ、(考える)手法を選ばねば、考えられまい。
1363. 心は、一生、泡立ったままであるから、死んだ時くらいは、魂は、鎮まってほしいものだ。
1364. 四苦八苦の生涯だから、息が切れたら、苦痛も痛みも、きれいに、消えてほしい。浄化されるためにこそ、ニンゲンは祈るのだ。
1365. いい詩人たちは、若くして死ぬ。高齢者になると、高齢者の詩も読みたい。どこにも、まだ、読む詩がみつからない。
1366. ニンゲン、急に、あり余る自由を与えられると、必ず頼むから、命令してくれ、束縛してくれ、と叫ぶに決まっている。自由は、不自由でもあるから。
1367. 場を奪われると、植え変えられた庭木のように、枯れてしまう、種族(タイプ)がいるものだ。もとの、水と、土と、空気が欲しいのだ。
1369. なぜ、自ら、書かなかったのか!!孔子よ、釈迦よ、ソクラテスよ、イエス・キリストよ、声の時代は、声を放つことが、真剣勝負であったのか。弟子たちばかりが、書いている秘密がある。
1369. 声に感応するニンゲンの時代よ、来い。
1370. 単純に、視界が広がって、空が大きく見える場所で、心も、大きく、呼吸してしまう。
1371. 放心から凝視へ。時の淵に佇んで。
1372. 風景が壊れる。(私)の宇宙が。見ていたのは、いったい、何だったのか?
1373. 風景を眺める、末期の眼には、みな、美し。
1374. まだ、まだ、来る、来る、問題の束が、(私)に襲いかかってくる。生きているから。
1375. 「空(カラ)」にしておけばいいものを、なかなか人は、(私)を「空(カラ)」にしておけない。我楽多で埋めてしまう。
1376. 放っておけば、自然に、モノを考えるようになる。熱がでるように。深く、強い必要に強制されて。
1377. 人は、おそらく、いつもの、その人が考える世界に棲んでいる。
1378. 空虚から吹きあげてくる言葉こそ、本物だろう。
1379. 何もしないでいることも、随分と、エネルギーがいるものだ。
1380. ただ、在れ、そして、考えよ。
1381. いつも、永劫の一瞬に起っている、その驚愕。
1382. 蝸牛の角は、小宇宙を探るアンテナである。(私)も、いつも、透明な角を出しているが。
1383. 見たくもない、隠しておきたい(私)を白昼の光の中へ、闇の底から引きずり出してくる。
1384. 叩いても、叩いても、同じ音しかださなくなると、人は自分に飽きてくる。もういいよ、充分だよ、と。
1385. ニンゲンの大問題は、もちろん、(私)の死である。誰彼の区別もなく、容赦もなく、100パーセントやってくる(私)の死である。何も役に立たない。賢者も、天才も、聖人も、為す術がない。翔ぶしかない。彼岸へ、無へ、宇宙へ。
1386. (私)という身体は、いつか滅び去る。それでも、永く残したいという奇妙な欲望は、いったい(私)の何を残したいのだろうか?(書くことの根底にあるもの)
1387. 目的も無く、清算もなく、企てもなく、ただ、ただ、来る声に耳を澄まして、ノオトに記す行為が、アフォリズムになった。(私)は私を、救済しているのかもしれない。破綻と破滅から。
1388. 心の軽さと重さについて。会社を離れ、人との縁が薄くなると、(私)の、本当の楽しみが味わえる。関係の中に生きるリアリティと関係の外に立つリアリティ。
1389. 人間関係の中に閉じ込められていた。一歩、引いていた言葉が、引退すると同時に、裸のまま(私)の中からとびだしてきた。まるで、言葉のシャワーである。
1390. 色気づくのは、心か身体か?本能だと言えば、見も蓋もないが。
1391. 「徒然草」は、まだ、現代でも、新らしいぞ。超高齢者社会にピッタリの声だ。
1392. 絵画を眺める。ルドン、エッシャー、荒川修作。眼が考えてしまう。異空間へ。
1393. 音楽に身を委ねる。耳が時間を呼びこむ。
1394. なかなか、文章が齢をとれない。これは、決して、いいことではない。
1395. どうしても、空を、眺めると、空が、何もない空間に見えない。エネルギーが充満していて、光の独楽たちと、踊っているのだ。空間で。
1396. ニンゲン、一日を、どう生きても、パターンができる。食べる。歩く。働く。眠る。欠かせない要素が、「人間原理」を決めてしまうから。で、時間がない。
1397. 遠くの星、何億光年も離れた星を見ることは、どうしても(過去)の星を見ることになってしまう。不思議だ。(現在)は、近くでしか、発見できない。光は、唯一、その音信を含む存在である。見るは、知ることそのものではないが、考える、補助線にはなれる。わかるね。
1398. 両手の指を折って数える。10本と。原理は、そこから起ちあがってくる。(発想の根)
1399. 日々の、世事の、生活のアレやコレやを片付けていると、何も、特別にしている訳ではないのに、人は、一生を終えてしまう。世の中には、片づくことなど何もないと、若いうちに、思い知るべきなのだ。
1400. 存在の種子の出現は一番の驚愕である。
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• 火曜日, 11月 02nd, 2010

歌人・福島泰樹と作家・立松和平—
9月22日、約40年振りに、母校・早稲田大学の大隈講堂を訪ねた。
2月に死んだ立松和平を追悼する集いがあった。自決前の、三島由紀夫の講演会を聴いた時以来の再訪である。
『和っぺい母校に還る』「立松和平の夕べ」—である。

1. 映像で偲ぶ 『立松和平 こころの旅路』
2. 短歌絶叫ライブ 『さらば、立松和平』 福島泰樹(歌人)
3. パネルディスカッション 『立松和平という男』
  パネリスト 黒古一夫(文芸評論家)
         福島泰樹(歌人)
         麿赤兒(舞踏家・俳優)
         高橋公(NPO法人ふるさと回帰支援センター事務理事)

今年は、いつ終るのか、先の見えない猛暑日が続き、熱中症で死者が続出して、60余年生きている私の記憶にもない真夏日ばかりで、街路樹や夏草が枯れ、異様な気候に、ニンゲンは、悲鳴をあげていた。

9月22日も、東京では、34度の猛暑日であった。額から汗が流れ落ち、下着まで濡れるほどの熱が充満していた。

受け付けと、開演が遅れて、6時まで、会場に入場できないとのことだった。30分ほど、早稲田の学内を歩いてみた。静かだった。立看板も姿を消して、閑散としており、あちこちに、談笑する学生たちの明るい顔があって、新しい、校舎が、いくつも、空に突き出していた。私の記憶に貼りついているのは、朱と黒の文字が踊る立看、ヘルメット姿の男たち、角棒、笛の鋭い音、喧躁、バリケード、拡声器から流れる、アジテーターの声、熱気と殺気の入り混じった、ぴりぴりする空気。ゲバルト。テロ。リンチ。・・・時が流れた。40年の時間が。

全共闘の時代、「自己否定」というスローガンが、40年たっても、私の中に居坐っていて、早稲田の杜を歩いていると、まるで、昨日放たれた声のように、棘となって、甦ってくる。学費の値上げ闘争にはじまって、原子力潜水艦(エンタープライズ)の入港から、安保闘争(70年)まで、学園は、揺れに揺れた。闘争の火は、全国に広がった。

この場所から、歩いて、約40年。時は流れた。団塊の世代は、企業戦士となり、働きバチとなり、停年をむかえた。

いったい、何をしてきたのか?あの、熱気と騒擾は、なんだったのか?

若い世代からの批判は、胸に痛い。学園で騒ぐだけ騒いで、高度成長を楽しむだけ楽しんで、あなた達は、何を樹立し、何を残したのか?

もちろん、一人一人の、胸に描いた夢と、ヴィジョンが、生きざまの中に顕れているはずである。

私は、自立、共生、あんしんの旗を揚げて生きてきた。小さな、小さな旗であるが・・・。

大隈講堂の舞台に、福島泰樹が起っていた。舞台で、何かが発生していた。
短歌を眼で読むのではない。
眼は、「気」の発生を見ていた。
耳が、歌を聴いていた。
頭は、気となって、放射される(情)に触れて、痺れていた。
歌謡とは、全身で、声と気を放つものだった。

福島が、肉体の復活として絶叫コンサートと叫ぶものは、古代の人が、和歌として謡った、魂の気であった。
おそらく、他の追随を赦さない、このスタイルの発見が、福島の固有の思想を創造したのだ。

私は、全身に降ってくる声の慈雨に、濡れて、情念という、声の塊りに眠っていた私の魂を揺さぶれて、痙攣していた。
おそらく、日常の空間ではない、異空の時間で、私は、感動していた。

見事な芸であった。
ピアノと尺八の伴奏にのせて、朗々と、時空に響きわたる福島の声は、詩人たちの、素人の、はずかしくなるような朗読とは、無縁で、正に、プロとしての絶唱であった。

『バリケード・一九六六年二月』という歌集が、福島の処女作であり、原点である。
なぜ、肉体の復活を唱えるのか、眼で短歌を読んでいた私は、納得をした。圧倒的な声量は、僧として、鍛えられ、魂の風を起こすには充分であった。正に、立松和平の魂を鎮める絶叫コンサートでった。

久し振りに、自分の声で、自分の思想を唱いあげる快感に酔った。感謝である。

懇親会の席で、福島さんが言った。
「君とは、どこかで、会っているよな。」
確かに、どこかで、会っているのだ。記憶の壁をおしあけてみる。

私も、学生時代に「早稲田文学」(第七次)に小説「投射器」を発表した。立松和平は「自転車」「途方にくれて」を発表している。福島泰樹は、編集の立松に頼まれて、短歌を発表している。
みんな、「早稲田文学」から歩きはじめている。そして、今がある。

パネルディスカッションでは、黒古、福島、麿、高橋が、立松和平との出会い、思い出、エピソードを披露した。60年~70年代の風景が、昨日のように甦ってくる話ばかりであった。
「温故知新」である。

人、それぞれに、時代と寝る時がある。青春の作家、壮年の作家、晩年の作家。どの時代に、才能が花開くか、誰にもわからない。
私は、晩年の作家、時が満ちて、熟して、語る人になりたい。

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• 金曜日, 10月 01st, 2010

−幸運な魂の交流−

本書は、歌人・福島泰樹と作家・立松和平の魂の交流の書である。

はじめに、序歌「春の盃」71首が、立松の霊に捧げられている。1970年、大塚での邂逅からはじまって、今年2月、突然の立松の死去に至るまでの、約40年の、立松・福島の交流が、短歌となっている。

「出会いたる70年を想うかな今更ながら春の雷」
「遠雷はいまだ聞こえずわがめぐり立ち去り難くまた吾もおる」

立松の来歴そのものが、福島のやさしい眼によって、(歴史)となっている。友の声である。

第一章「泰樹百八首」は、作家・立松和平が、歌人・福島泰樹の、青春の絶唱を読み解いている。散文家が、歌人の核に迫る時、そこに、どんな火花が散るかが、一番のスリルであった。人に添い、状況を読み、時代を貫く、透明な棒のようなものに、立松の心が触れる。論じる、論じられる関係は、もちろん、真剣勝負である。
二人は、作品を通じて、日常生活を通じて、四十余年、同志として、文学の革命に、汗を流し、お互いに、鼓舞し合うという幸運な朋輩であった。

第三章「俺たちはいま」は、福島、立松の対談である。「早稲田文学」で出合い、出発した二人は、もう九十年代には、振り返るほどの作品をものにしていて、お互いの、創作の急所を、語りあうほどの、作家、歌人としての地塁を築いている。

第四章は、福島による、立松の小説群の分析と評価である。愚直に、青春の、全共闘時代を引き受けて、生きる姿勢とその作品に、福島は、拍手を送っている。

そして、第五章は「さらば、立松和平」 鎮魂の書である。
立松の人柄、交友関係、時代の状況が、史的に語られる。
死者は、すでに、読まれ、語られる者になった。いつも、ニコニコ、決して怒らない、他人の悪口はいわない、真摯な立松和平の立姿が、くっきりと、浮かびあがり、文学の終生の友、福島泰樹との熱い心の、魂の交流があふれている。
お互いが、創造者であり、よき読者であるという、小説家と歌人の、終生の交わりが一冊の本になった。

立松和平は、幸せ者である。語り継いでくれる友、福島泰樹がいるから。
                                                              10月1日                                                                

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• 木曜日, 9月 30th, 2010
1201. 禅は、ベイトソンの「ダブルバインド」に通底している。
1202. ニンゲンは、どの道、破れ去るものだと看破した人は、一瞬の、一日の時間を生きられる。輝やいて。
1203. 頂点にのぼりつめた人には先がない。敗れ去った人には、見果てぬ夢がある。
1204. 毎年、猛々しく緑を誇っていた夏草が、今年は、枯れてしまった。今日は9月1日。真夏日の光が充ちている。
1205. 死んで仏になる。死んで鬼になる。鬼眼とは死者の眼のことだ。
1206. 生かしもし、殺しもする声が同時に来る。いったい、何が、何をしておるのだ。
1207. 無相であって実相。イデアの見える人、見えない人。
1208. ただ、破顔の人を見た。意味を求めてはならぬ。
1209. (私)の中にあるから、外で発見される。
1210. 読むことは、読むことではない。読むことは、考えることである。
1211. アフォリズムは、言葉の原子核だ。
1212.宇宙での、絶対的な、生の一回性の現象である(私)がいる。いつも、出発は、そこからだ。
1213. 肉は悲しと、ニンゲンの身を嘆いてみたとて何になろう。存在の、変容の、夢くらいは語ってみようよ。
1214. 荘子の、存在への畏怖と、ニンゲンへの哄笑は、もっと、もっと、学ばねばならぬ。
1215. 壊れかけたニンゲンが叫び声をあげている。視ろ、その人を。何か言ってみろ、叫び声と同じくらい重い、言葉で。
1216. 近頃は、ニンゲンのもつ自由度ということばかり考えている。
1217. ゴルフには、百点満点というものがない。まるで、人生と同じだ。
1218. 強さに加えて、やさしさの裏打ちがあれば。
1219. 極悪人は、決して、他人の立場に立たない。
1220. 評価の極意は(無私)
      創造の極意は(憑依)
1221. ツイッター(呟き)ではありません。アフォリズム(イデア)です。
1222. モノが裸になっているのに、その丸だしのモノが見えない人がいる。
1223. 伝え得ぬものを伝える人は、いったい、どうして、ソレを伝えているのか。
1224. アフォリズムも、そろそろ、現象から、イデアへと踏み出すべき時である。
1225. 心の高さだけは、いつまでも求め続けたい。
1226. 欲しいものがない子供たち。そんな国が、どうして、貧しいのか。
1227. 沈む国、傾いた国、さて、そんな国で、どのように生きていくか。
1228. ビジョンをもたない権力者ほど始末にわるいものはない。
1229. 無能は、ほぼ罪に等しい。人の上に立つ限りは。
1230. 政治家は、その国の、国民のレベルで育つものだ。
1231. 白紙の風景。何もないことの快感。解放と呼吸。
1232. 夢が告知する、明日の姿。で(現実)を修正する。
1233. (私)は、まだ、(私)の使用法をよく知らない。ニンゲンの眠っている能力を、使い方を開発しよう。
1234. 気がつくと、与えられていた(私)の条件の中で生きている、条件を破ってでも、生きてみる。
1235. 原子の幽霊たちが宇宙を漂流していおる。
1236. ニンゲンの手に負えないものがいっぱいある。大火事、大地震、大洪水、大津波、大噴火、阿呆ども。
1237. 「神は死んだ」と言うから、誤解が生じる。「神は爆発した」と言えば、どうか?
1238. (私)の生涯は、ひと踊りである。(A)
      (私)の生涯は、暇つぶしである(B)
1239. 開けておけ、(私)を。
1240. (私)を閉じる人は歩いていない。
1241. 力は、いくらでも眠っている、(私)の中に。
1242. 身体の、数兆の細胞が眼をあけている。覗いてるのは、億という時間だ。
1243. 30万人目の(私)である。15万人の父。15万人の母。200万年間に、15万回の接合。本能、恐るべし。
1244. ニンゲンは、生命波である。実の波が生、虚の波が死である。もう、30億年も続いている生命波のひとつが(私)である。
1245. 眼の見方に慣れすぎると、見るという多様性を損なってしまう。
1246. 暑い、暑いと唸っていると、夜の闇の中に、虫の声が響きはじめた。今日は8月13日。
1247. 爆発しては、鎮まり、鎮まっては、爆発する。静かな時間は、少ないものだ。
1248. どんなに小さくても、
      どんなに貧しくても、
      どんなに歪んでいても、
      (私)のスポットは必ず要る。
      零の場には、人は立てない。
1249. 超えてはならないのが境界であるが、必ず、破壊して、跨いて、戻れなくなる人がいる。
1250. 高次の心には、夢が来る、幻が来る、死者の声が来る、魂が来る。宇宙と共振れしている無意識が。
1251. 一番はじめの、ニンゲンまで逆のぼってみよう。(私)の元型。
1252. 少年時に、無意識に書いたものが、暗号としての、曼荼羅であったとは。
1253. 分類にも、解明にも、探求にも、飽きた精神が、今は、ただ生きている。暇な時間を食べながら。
1254. 場に呼ばれている。歩くと、風景に巻き込まれて、折りたたまれる。
1255. 最近の政治家は、(国益=正義)を錦の御旗にする。なぜ、ニンゲンはと語れないのだろうか。視線が低すぎる。
1256. (私)は幽霊である。考える幽霊である。
1257. 西、東、北、南と空を見る。空の貌はひとつだと思っていたが、見る方角によって、みんなちがう。
1258. どうせ、ひと踊りして、消えていく身だから、踊りくらいは、自由にさせてくれ。
1259. モノを持つということが、どういうことであるのか、だいたいわかってきたのに、TVのコマーシャルは、もっと買え、もっと消費しろと、PRばかりだ。
1260. 呼吸もキレギレ。思考もキレギレ。モノとコトもすべてが、キレギレに、存在している。
1261. また来た!!何が?声になりたい声が。
1262. 言葉の外にある、と言葉でいう不自由さ。
1263. 普通に生きている、とニンゲンが思っている次元よりも、おそらく、心は、はるかな高次元へと行ける。
1264. 存在・物質の核となるところで、心は、その原子と結婚して、共揺れできる、ダンスができる。
1265. 若い頃、ある日、突然、会社へ行く意味(理由)を見失って、ふらふらと、一日、新宿の街を歩いていた。眩暈のする歩行だった。
1266. 真剣勝負の、対話、文章を教えてくれたのは、秋山駿であった。考えること、書くこと、生きることは、等価であると。ゆえに、(文章は、私である)と。
1267. 成長するに従って、ニンゲンの視界はひろがって、神の視点に立つことは出来ないが、心を高次の状態へと導くことは可能だろう。
1268. 重力と引力に抗って、抗って、生きている。光を求めて、闇に魅かれて。
1269. (私)をどこまでも堀り続けると「宇宙」になる。遠くまで行かなくとも、一番遠いところまで行ける。
1270. 夫婦喧嘩の9割までがお金をめぐるものだった。貧乏は、罪と悪を産む。そして、不幸を呼ぶ。
1271. 60億人のニンゲンが、勝手に、地球を汚染している。もう、地球は、悲鳴をあげているのだ。愚か者は、誰だ!!
1272. やはり、文章にも、器量がある。
1273. 日々の生活は、平凡である。しかし、一歩、生活の中に足を踏み入れると、誰の(現実)も、コトとモノが氾濫して際限がない。平凡も、どうやら、一筋縄ではいかぬ。
1274. 知っているのは、生きている(私)の、身のまわりのことだけだ。(私)は、毎日、アレやコレやを切り貼りしている。
1275. 吸う、吐く、呼吸も思考も同じことだ。空気が情報に変わるだけで。
1276. 夏の、熱い中に、(私)が溶けだしている。水を失なって。
1277. スポットに入ると、もう、そこは、無限思考の世界である。外部世界が消えて。
1278. 何時間でも、何日でも、黙って(私)と、踊っている。沈黙の対話。
1279. 時空に刻むしかない。何を?ニンゲンという存在を。
1280. (私)は、いつも宇宙の通行者であった。
1281. 風景も場も、時間を呼吸している。
1282. (私)という形が続く限り、(私)を使用する。たとえ、時間潰しでも。
1283. 暑さのあまり、精も根も尽き果てる。眠っても、眠っても、起きても、起きても、真夏日の、朝である。夏草も枯れて。
1284. 書くことで(私)が変わらねば、その作品は、必要ではない。墓地。死者たちへの回路。
1285. (おいしい)には、いつも、死の匂いが貼りついている。
1286. (食べる⇔食べられる)【表】
      (殺す⇔殺される)【裏】
      生きものたち(ニンゲンも)は、【表】と【裏】を生存の原理として、生きている。
1287. (食べる)のに、善も悪もない。ただ、食べたいだけ。(本能)
1288. 生きものを食べるのは(悪)である。(とニンゲンは思っている、感じている)良心。
1289. 生きものを食べるのは(善)である。(とニンゲンは、自己満足している)生命として。
1290. 馬はサクラとして食べ、鳥はカシワとして食べる。
1291. ニンゲンは、生命波である。波は、無限に連続して、生起しては、消える。そのひとつの波が(私)という生命波である。見える波(生)見えない波(死)が交互にねじれて、存在の地平線に押し寄せている。
1292. (私)に至るまでには、10万人の父、10万人の母がいる。生命の系統樹。つまり、生命波。
1293. 言葉が(現実)にとどかない。しかし、絶句、沈黙している場合ではない。そういう時が、必ず、ある。見たこともない、誰も知らない、(彼岸)の言葉でも語りたくなるのは、そんな時だ。
1294. 閑かだ、暇もある。たっぷりと文学ができる。一切の文句はなし。
1295. 外へも出られず、内にも居られず。
1296. 「人生の決算書」。そんなものを書く年齢になったのかと、深い溜息。
1297. 99パーセントのニンゲンが「人間原理」の範疇で生きているだろう。「宇宙原理」をも、生きてしまいたい、不可能へと挑戦したい人は1パーセントに充たぬだろう。
1298. セイカツ第一と唱えながら、生きてしまうニンゲンである。(私)は、そのまま、仕事という名前になる。
1299. 「時空」の、在る無しは、「私」の生と死と同じレベルの不思議である。
1300. 「良い」それで良しという哲学があれば、すべての問題が、その「良い」という形のもとで解決される。
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• 木曜日, 9月 30th, 2010

1. 「数学史」(岩波書店刊) 佐々木力著 定価15,000円(919ページ)
2. 「世界史の構造」(岩波書店刊) 柄谷行人著
3. 「1968」上・下巻(新曜社刊) 小熊英二著 定価6,800円
4. 「養老天命反転地」(毎日新聞社刊) 荒川修作 マナドリン・ギンズ:建築的実験
5. 「「悪」と戦う」(河出書房新社刊) 高橋源一郎著
6. 「見えない音・聴こえない絵」(新潮社刊) 大竹伸朗著
7. 「既にそこにあるもの」(ちくま文庫刊) 大竹伸朗著
8. 「アンフィニッシュト」(文春文庫刊) 古処誠二著
9. 「文土の魂・文土の生魑魅」(新潮文庫刊) 車谷長吉著
10. 「ヒトはどうして死ぬのか」死の遺伝子の謎(幻冬舎新書刊) 田沼靖一著
11. 「私の作家評伝」(潮文庫刊) 小島信夫著(782ページ)
12. 「荘子」中国古典選12(朝日新聞社文庫刊) 福永光司

人間の使用する(表現)にはいろいろある。
言葉(文字)(声)、数、数式、絵、写真、彫刻、舞踏、建築、映画、音楽・・・。
言葉は「自然言語」である。日常生活から、文学、哲学、芸術に至るまで、(言語)なしには考えられない。
しかし、「自然言語」では、決して、表現できぬものがある。クオーク、素粒子から宇宙の法則まで、数、数式による表現が、もっとも適している。
(数学)は、中学、高校時代から、嫌手である。
なぜ?(数)を(私)=(存在)に対して、上手く、結びつけて、(考える)ことができなかったのだ。
しかし、「零の発見」や「超数学」を読んでみると、これが、なかなか、面白かった。
「フェルマーの最終定理」は、読んでいて、ニンゲンの、精神の歩みにゾクゾクした。
で、(数学)が、中学生くらいしかわからないのに、「プリンキピアマテマテイカ序論」(A・N ホワイトヘッド B・ラッセル)などを嚙ってみた。
「数」について、「数学」について、少しは、勉強してみたいと思って、もう、60歳を過ぎているのに、「数学史」を購入した。世界の、古代から現代に至るニンゲンが、「数」について、どこまで考えたのか、知りたくなったのだ。
まったく、我ながら、おかしくて、仕方がない。
嫌手の(数学)が、どうやら、面白くなってきた。晩学のすすめではないが、「数」と「人間」が頭の中で、ぴったりと結びついてきたのだ。
しかし、数学者たちは、(数)でものを考えるのだろうか?あるいは、考えるのは、やはり言葉で、(表現)が(数)ということになるのだろうか?

「1968」は、「全共闘」運動をめぐる研究書である。私自身、団塊の世代と呼ばれている年代に属している。正に、「全共闘」そのものであるから「1968」年が、研究される「歴史」になってしまったのかと、感慨が深い。
私自身に関係の深い、母校「早大闘争」第6章を読んでみた。青春の真っ盛りの、蒼白く、やせた、学生たち、(私)、仲間たちの群像が、事件や事故や現象となって、追体験できた。もう、40年ほどの時が流れた。
私のライフワーク「百年の歩行」の第二部で、「全共闘」は扱わざるを得なくなるだろう。
「1968年」は、その為の、資料である。
何にしろ、上巻が1091ページ、下巻が1011ページである。単行本にすると、一冊500~600枚として全10巻になる書物である。大変な労作である。
”歴史は、私の中にあり” 誰もが、そう思っているだろう。

夏の盛りに、岐阜県養老町を訪問した。もちろん、荒川修作の作った、「養老天命転地」を体験するための旅であった。死者との対話。(後で、エッセイ、紀行文を書きます。)

画家、大竹伸朗のエッセイ集を読む。現代の表現者、画家は、「荒川修作」の存在を、どのように、考えているのだろうか?

小島信夫「私の作家評伝」 昔の本を、本棚からとりだして読みはじめたら、面白くて、面白くて、728ページ、一気に読んでしまった。

「孔子」や「荘子」や「老子」の、つまりは、東洋の知を、もう一度、ゆっくりと考えてみたい。

そうか、「文学」を棄てた柄谷行人は、やはり「世界史の構造」へと至るのか!!
孔子や荘子の生きざまと、発言と、論理と柄谷行人を読みくらべてみると、ニンゲンの時間の幅が見えてくる。
人は、どれだけ、遠くまで来たのか!!

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• 金曜日, 8月 06th, 2010
1101. 幻の手で、平手打ちを受ける。音が華になる。
1102. 思考の交配は、多種多様であればあるほど遠くまでゆける。
1103. 原種の形がなくなるほどに、混合されると、とびっきりの思考・思想が生れてくる。
1104. 石と水と空気が結婚をする風景。まだ(私)がいない原初の時。
1105. 決定する、断定する人たち。受け流し、あれもよし、これもよしとする人たち。
1106. 2がある。3がある。5がある。ゼロと1とで完成する(体系)
1107. ふらふらと、立ち寄る場所があるうちはいいが。
1108. 一番沈黙しているのは、やはり、あの人だ。
1109. 語らない人の前に出ると、どうしても、語らされてしまう。本当に、語っているのは、どっちだ!!
1110. 男と女しかいないから、女のことばかり語りたいがる男。男のことばかり語りたがる女。やれやれ、第三の性があれば、どうなったことやら。
1111. 盃を受けて、義兄弟の契りを結ぶ日本人。グラスの酒を呑み干しては、お互いのキンタマを握り合って、親交を確かめるロシア人。美学にも、いろいろあるものだ。
1112. いつのまにか、色褪せた真善美
      いつまでたっても輝いている偽悪醜
1113 道端の、石ころ、花々、草までが、7月の光の中で、存在として、輝いている。光の暈。
1114. お前は、ずっと、同じ音ばかり出している。たまには、転調してみたらどうかね。
1115. 君子の交わりは、適度な距離と時間。淡く。足を踏み入れれば、必ず、修羅場。
1116. 急所も、短所も、弱点も、すべて、摑られているから、音を上げるのは、亭主だ。
1117. 外では紳士。内では暴君。よくある話だ。
1118. 光子の声が響いている。
1119. 時間よ、あなたが爆発したから、(今・ここ)から脱出は、不可能になった。
1120. 居ても、居なくても同じ、無限の中の歯ぎしり。
1121. 水から来たものが水へと還る。何の不思議がある。
1122. コトとモノが、自然に、(私)に馴染む日は、もう、それだけで、うれしいものだ。
1123. とにかく、言葉の杖を借りねば一日がはじまらない。
1124. もう、2万日の朝を経験したが、朝と上手く握手できた日は、ほんのわずかだ。
1125. いつも、機嫌のいい人の、心の自己管理は、おそらく、おそるべき努力の賜物だろう。
1126. 閉じていく生は、歩行の減少に正比例する。
1127. モノもコトも、溶けて、流れ出している(私)から。で、(私)は在る、居る、生きていると呟いてみせる。
1128. 老いてこそ、(私)を棄てる境地へと、(私)の言葉が成熟せねばならぬのだが。
1129. 身体の日々の衰弱が、決して、思考の衰弱であってはならぬ。
1130. 形式を熟知して、崩してこそ、面白い味がでる。
1131. 体調が崩れると、思考の色合いまで変わってしまう。
1132. 国も、会社も、数値を、目標を設定するから、ニンゲンを縛りつけてしまうのだ。しかし、指針がなければ、動かないのも、またニンゲンである。
1133. 元気が第一だと、走り続けている人の耳には、案外と病者の声はとどきにくいものだ。
1134. 崩れっぱなしを知った人は、不用意に、言葉を発しない。
1135. 夢を描くだけ描いて、頓挫する。孔子・聖人と呼ばれた人も、敗れ続けた。
1136. 目標も持たず、ただ、生れてきたから。飄々と生きている人がいる。充分ではないが、不満足でもなさそうだ。
1137. 身の丈に合わぬことは、一切、考えない。(現実)だけを、黙って、生きている。
1138. 2000億個の銀河に誘われて、踊っている、コズミック・ダンスを。
1139. 漂流、難破は、ニンゲンの常だ。宇宙には、港が、少ないから。
1140. 蝉は、木の皮に止まっている。ニンゲンは、時空に浮かんだ存在の皮に止まっている。
1141. 恥もかく。放心もする。(私)を持続するために。(私)を実現するために。
1142. 夏になると、考える。
      1. 死後のこと(他界)
      2. お化けのこと(幽霊)
      3. 宇宙のこと(銀河の彼方)
1143. また会おうねという声の深さに躓いて。
1144. さようならの時が来た。さあ、無限者へ。
1145. 沈んで、沈んで(私)が私の中へとどこまでも落下する時、モノの重さよりも重いものが、(私)の中には、在る。
1146. 宇宙の投げかけてくる?には、限りがない。で、いつまでも、ニンゲンは、応答せねばならぬ。
1147. 水さえあれば、ニンゲンは、7日も10日も生きられる。クマムシは、水さえあれば、仮死?から再生できる。
1148. ニンゲンが、考えるよりも、存在の形態・在り方の方が、もっと深いことかもしれぬ。
1149. 生きたり、死んだり?死んだり、生きたり、この自由自在なクマムシの在り方は、ニンゲンの死生観を見事にうち破ってしまう。
1150. 誰にでもわかる、それが一番いい言葉だ。
1151. かつて、心に響いた言葉が、今は、素通りしてしまう。
1152. 四畳半のリアリズムから、無限大宇宙のリアリズムまで。言語の強度が試されるのだ。
1153. 存在の発条に思考の発条が、どこまでもついてゆけるのか、それが勝負だ。
1154. また落ちた。青い柿の実が。庭に、ニュートンが立っている。
1155. モノを動かしてみる。コトを起こしてみる。その時起きる風のようなものが、思考である。
1156. 眺めても、眺めても、崩れない文章の確立の夢。
1157. 意識・近代的自我など殺してしまって、無とともに浮遊する。
1158. 漱石は「則天去私」荒川修作は「天命反転」。天とは、宇宙の法であろう。従うにしろ、背くにしろ、(私)は未知のまま。
1159. 否(私)ではなくて、非(私)へと移動する。肯定でもなく、否定でもない。
1160. (私)は、私の心臓が、はじめて、コトンと動いた時の、その音を、思い出そうとした。で、その音が、私のどこに存在しているのか、記憶の、いや、脳ではない、もっと別の、音の残響を探しはじめた。
1161. 電子として、飛び交うパソコンの中の、電子言語のすべてが、情報という訳ではない。やれやれ、探せば、いつでも、便利に、情報が手に入るという、錯覚。
1162. 遊びはおもしろい。仕事はおもしろい。生きるのはもっとおもしろい。誰か、確信に満ちた声で言い放ってやれ。
1163. 否定につぐ否定、悲観につぐ悲観、それでは、誰でも参ってしまう。トリックスターよ、歌って、踊ってくれ。
1164. 声の調子がちょっとかわるだけで、心は充分に明るくなる。
1165. 生きている存在だけが、生きていることなのか?死者たちが存在しているのは、生きていることではないのか?生きていない者たちは、生きてはいないのか?(存在の形ということ)
1166. 無限小から無限大まで、その幅は、ニンゲンの日常生活を超えてしまう。だからといって、無視できるものではない。発見してしまったものは、存在し続けるから。
1167. (私)は、無限個の零の後に現れた1のようなものであっても、コズミック・ダンスくらいは、踊ってみせる。
1168. (私)の声に(私)が応えている。(私)が考える(私)に応えている。結局、その運動が、(私)を成立させている。
1169. 視えないものも在る。ないものも在る。問題は、ないという在り方だ。(ブラック・ホール?)
1170. わかっていない人が、わかっているように語っていると、どういう訳か、すぐにわかる。蒼ざめたまま、立ち尽くせ。
1171. 30億年という時間を体験してみようと、(私)は、深夜に、時空を超える旅へと出発したが・・・。
1172. 言葉は、いつも、時代が呼んでいる。
1173. (私)が無私に至れば、声は自由だ。
1174. 狂的ですらある。ニンゲン。
1175. 「食べる」は、善であり、悪でもある。
1176. 「耳鳴り」妙な言葉である。(私)が発した音に私が不快になる。
1177. また一人、死者からの音信があった。真夏日の葬式。
1178. まだまだ、宇宙は、ニンゲンの手には負えない。
1179. 言葉が裂ける。叩き割られてしまう。そんな時には、沈黙で、対抗する。
1180. 夏。光。熱風。なぜか、遠い、遠い日のことを思ってしまう季節である。汗の中で。
1181. 地図上に作られた迷路は、所詮、迷路である。決して、迷宮ではない。
1182. あかあかと輝く夏の太陽の下、炎天下に、「奥の細道」結びの地・大垣を歩く。俳聖の影を踏みながら。
1183. 黄昏から真夜中の闇まで、(私)を通りぬけていくものを、凝っと見ている。誰そ彼と。
1184. 40度近い猛暑が2週間ばかり続いただけで、(考える力)をもって、生物たちの頂点に君臨しているニンゲンも、ポロポロ、ポロポロ死んでしまう。クマムシは、150度の熱にも、真空にも、宇宙線にも、6000気圧にも耐えられる。やはり、地球の最強の生きものは、ニンゲンではなく、クマムシである。
1185. 立ち去る人の限りなくて、魂であふれる地上に立ちつくしている。
1186. 白紙には、アフォリズムがよく似合う。
1187. 何?何?何?耳が視てるよ。
1188. 不死の場はない。場も死ぬから。
1189. (私)は特別な生きものではない。ただ不思議なだけ。
1190. 長い間、(私)を納得させる、たったひとつの言葉を探している。あれでもない、これでもない。
1191. 政治家の質の劣化を嘆くよりも、政治家の発する言葉の劣化を嘆きたい。
1192. 宇宙の夜は、いつまでたっても夜のまま。銀河の煌めきだけが、闇の中の花である。
1193. 生命はすべて光の子。光が呼吸しておる。
1194. 暗黒星雲。光らない星。光るのが星。いいや、暗黒に横たわる星雲こそ、すべての、存在の母かもしれぬ。
1195. ソーメン。冷やし中華。アイスクリーム。三点セット。毎日毎日、舌が、胃が要求をする猛暑の夏の、食べものである。
1196. 熱が脳を溶かしてしまう夏。水が(私)から蒸発してしまう。歩いているのは、いったい、誰だ?
1197. 炎天下、生命の巾が見えてしまう。
1198. わいわい、ざわざわ、がさがさ、いったい、何をしておるのか、誰も、本当のことを知らない。
1199. せめて、死ぬ自由くらいは残してくれ。万能細胞よ!!
1200. 忍耐の限界が来て、自爆する者たち。音以上に、存在が、軽くなってしまう。耐えられぬ。
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• 水曜日, 7月 14th, 2010
1001. ニンゲンというサナギは、(私)になって、脱皮し、透明な蝶となって、宇宙へと飛んでいくとでもいうのだろうか?(原子の夢)
1002. (私)を生きるという不思議と不自由さからは、誰も自由になれない。
1003. 生きるというスタイルも、考えるというスタイルも、時代とともに移り変わる。当然である。しかし(私)を生きる以外に、ニンゲンには方法がない。
1004. (私)の壊れていく音だけが確かな日々である。
1005. 分解されなければ再生もあるまい。
1006. 毎日毎日(私)を洗濯しているが、なかなか垢は落ちないものだ。
1007. フォームを固定しようと思うが、形は、いつも、流されてしまう。
1008. 「同行二人。」歩くのは一人ではない。いつも、あの人と一緒。
1009. 頭の中の宇宙は、ニンゲンを破滅させるに充分な爆弾でもある。
1010. そうか、零(ゼロ)から1を証明したニンゲンがいたか!!ないからあるへ。あるからいるへ。
1011. 無限に触れてしまうと、いつも(私)は闇の中で痙攣する一匹の虫になる。暗愚。
1012. ニンゲンが発したはじめの言葉は、いったい何だったのだろう。「はじめに言葉ありき。」で、その言葉は?
1013. (死)の可能性よりも、(死)の不可能性の方が、完全なものかもしれない。
1014. ニンゲンは、「人類」を発見したが、人類としては、生きて来なかった。
1015. 呼吸をする。あらゆるものが、呼吸から来る。
1016. やはり、体験だ。数式で表現された宇宙を、ニンゲンは、体験できない。誰にも。(私)を通過する宇宙は、体験できる。誰も。
1017. 一番の科学は、本当に、数学だろうか?数学もまた、数学の中で、自己崩壊しはじめた。
1018. 言語がニンゲンを表現するのか、言語が表現したものがニンゲンなのか?
1019. (決定)の不能は、天才の頭脳を破壊する。
1020. まったくの、無関係のものたちが呼応する不思議。
1021. 「Aでもあり、Bでもある」には、ニンゲンは耐えられない。
1022. 中国の色、インドの色、ヨーロッパの色、アメリカの色、取り除いたあとに、残った日本の色とは、何だろう。日本の原色。
1023. 混沌は混沌のままに。決して、そこから、原理や論理をとり出さない。必ず、ちがったモノになる。
1024. ホッと一息、我を忘れて。遊魂へ。
1025. 無常。あわれ。悲しみ。心は、いつも、同じところへと帰っていく。千年経っても。
1026. アフォリズムは、思考よりも、自由で、しなやかで、未分化で、言葉は、ほぼ、モノそのものであるから、面白い。
1027. 心が強い時は、一人で大丈夫。心が弱い時には、他人を呼んで。
1028. アッ!!黒い煙になった父。焼場の、茶褐色の煙突から、父がモクモクと出て来て空に消えた。
1029. 豚が、牛が、馬が、魚が、鳥が、ある日、突然、意識と心をもって「もう、これからは、私たちを食べないでくれ」とニンゲンに言った。
1030. (私)は(考える)と思っている。ニンゲンは、ソレがどこから来たものか、知ることがあるのだろうか?
1031. ニンゲンは、生きに生きて、四苦八苦して、なぜ、まだそのうえに、(浄土)まで求めるのだろうか?
1032. バッハの無伴奏パルティーターを聴いていると、いつも、無限に触れる。まるで、永遠に交わらぬはずの平行線が、ひとつの音の中でスパークして、火花が砕け散るみたいで。
1033. 生きている。死んでいる。いったい、どういうことであろうか。祖母は、毎朝、死者たちに、仏さまに、ご飯を捧げ続ける。
1034. 循環する水は、何千回も、何万回もニンゲンを通過している。
1035. 孤立無援で生きた池田晶子の、魂の声が、死者となっても、鳴り響いている。
1036. アフォリズムは、未成熟の、未分化の、未結晶の、存在の声を放射する。
1037. ニンゲンは、平気で、嘘も、間違いも生きてしまう。学習しながらも。
1038. 心の中に、一人か二人、大切な人を棲ませておくと、心は充分に、豊かになる。
1039. はっきりと、(顔)という言葉と、実体があった時代は、もう帰って来ない。
1040. ニンゲンの意識というものの作用の仕方が、存在のあり方である。つまり、現象は、意識のかたちだ。
1041. 身ひとつ、なんとか起っていられるようにさえなれば、今度は、歩けない人の声に耳を傾けて。手を伸ばして。
1042. どうにもやり場のない思いは、「文学」にしかならない。哲学も、政治も、経済も役に立たない。
1043. 怒りが、怨みが、渦となって押し寄せる。ニンゲンの顔は、真っ暗である。それが、見える人、見えない人。痛い。
1044. 最近、微かに、遠くから、音楽のような音が流れてくる。首を振って、耳を澄ますと消えてしまう。幻聴?いや、ちがう。では、いったい、何だ?
1045. 思考の目が粗いときには、(考える)ことをやめて、ただ放心して歩く。
1046. 5歳までの子供は、動物であり、植物でもあり、水でもあり、空気でもあり、とにかく、ひたすら、ニンゲンへとむかっている不思議な存在である。自由自在に時空をとびまわっている。
1047. 心が、自然に、動くということは、とても、不思議なことである。
1048. 思考のチックが出はじめると、(私)の崩壊の予兆である。危ない。
1049. (種)の爆発から来た(私)は、いつまでも時空に、宙吊りである。
1050. 他人(ひと)が他人のうちに棲む。よくよく、考えてみれば、おかしなことだ。
1051. 雑踏に足をふみ入れると、確かに、人が波に見えてくる。眩暈がして。
1052. 会社は、誰のものか?という声があった。社長、株主、従業員。問い方が間違っている。会社を構成しているのは、誰か?と問えばいい。
1053. いつも、散歩をする道を、逆方向に廻ってみた。風景の貌が、まったくちがって、うろたえている眼があった。歩行の再発見。
1054. 偶然の宇宙の顕現、偶然の生命の顕現、それでは、ニンゲンの科学は、我慢ができまい。赦せまい。歯ぎしりをして。
1055. カンブリア紀の生命の大爆発で、光に会い、「眼」が出現した。(考える)は、いつ出発したのだろうか?
1056. 狂的なものがない思想は、思想の名に価しない。当然だ。(考える)ことは、兇器でもあるのだから。
1057. なぜ、ニンゲンは、〇(えん)を美しいと感じるのだろうか。始まりもなく、終りもなく、しかも、厳と存在している。完全な円は、ニンゲンの原型を象徴しているとでも言うのだろうか?
1058. ニンゲンは、そうやって、いつまでたっても、争いに明け暮れている。もう、21世紀だというのに。
1059. 「ささいなこと」を唇を突き出して言う。相手の顔が尖っているから、ついつい、語気を荒げて、応答してしまう。あ~あである。
1060. 神話の時代には、神話という宇宙を生きた生身のニンゲンがいた。
1061. 水の質量に圧倒される。世界へとつながる海だ。
1062. 愚痴を聴く。嘆きを聴く。啜り泣く声を聴く。不幸な人の隣にいると、どんな声でも聞き入れてあげなければならない、大きな器と丈夫な耳がいる。
1063. 怨念で生きている人もいる。辛い。その声は、心臓に棘となって突き刺さる。存在が割れてしまうほど。
1064. ニンゲンは「生存競争(パワーゲーム)」だけで、生きるものではない。弱者、病者、貧者を支援する心性もある。
1065. 生命の芯が細くなっている。はっきりと、眼に見えるから不思議だ。
1066. だんだんと、我慢性がなくなっている。結局、残るものだけが残る。
1067. 40年間、寝に帰るだけの(家)が、毎日毎日厳として眼の前に在る。外の(私)は、外が似合うのだ。
1068. 濁って、淀んで、混っているニンゲンだから、一瞬の、透明な清涼が身に沁みる。
1069. 一言で終る話を、蜒々と一時間も、話をする人を見ていると、もう、あきれるを通りこして、それも、ひとつの能力かと溜息がでる。
1070. 余分も、無駄も、すべてきれいに、洗い落として、さて、どうするものか?やはり、香りがない、味がない、無味乾燥だと文句を言ってしまう。
1071. 見たもの、考えたことは、すべて、ニンゲンの方法である。ニンゲン以外の者が、別の方法で見たり、考えたりすると、まったく、異ったものが出現するだろう。従って、在る、無いは、もちろん、確実で、絶対ではない。
1072. あ~あと宇宙は欠伸。ニンゲンは、必死で、その欠伸の意味を探ろうとするのだが。
1073. 光を、マイクロ波を、あらゆる宇宙線を、全身に浴びて、ニンゲンは応答しておるのだ。
1074. 何をしても、カラカラ、空虚である。存在のピンチだ。
1075. 声も文字もとどかない。五感も一切役に立たない。存在が、ただ、ごろんと転がっている。見放されて。時空の外へ。
1076. いったい、ニンゲンは、宇宙が、どのように始まって存在していれば、満足するのだろう?
1077. H2Oの冒険は、ニンゲンの冒険である。
1078. 巨きな、巨きなものから、ソレは送られてくる。(私)は、思考よりも精妙な気配で、気がついている。しかし、まだ、ソレに、確かな名前を付けられない。心は感じているが。
1079. 意識はあらゆるものを追う触手だ。コトとモノ、気分と気配まで一撃で捕える。
1080. 脳内物質が、コトを決めるというが、コトが起こるからソレが分泌される。で、コトを起こすのは(私)である。分泌されるソレが(私)を決める訳ではない。(薬とは何か?)
1081. 「キレイに洗濯して、元の職場に帰して下さい」と人事担当者は言った。その環境・条件のもとで、ウツになったのだから、人を、モノのように考えて、洗濯をして、元の会社に戻しても、無理だと医師は云う。田舎の実家で、農業の手伝いをする。そこでは、充分に、ニンゲンとして生きている。ニンゲンの閾。
1082. 知ることがなければ、見ることではない。
1083. 幼年時代を、少年時代を、思い出しているのではない。(今・ここ)という時間の中で、(私)は子供を生きているのだ。
1084. 夏の、緑の稲穂の下に、光っている水が見える。なんという輝きかただろう。「おーい、田に、水をやって来い」父の声。
1085. 風に揺れる稲穂を眺めていると、どういう訳か、(人)が遠くなってしまった。
1086. 「子供に、お金のこと言うても、しょうがないやろ」母の声に、父の顔が見える。放心。貧乏。
1087. 二歳、四歳、六歳、三人の孫と遊ぶ。三姉妹は、もう、完全に、固有の資質をそれぞれが発揮している。
1088. 夜の樹木には、深い孤独の気配が漂っていて、風が吹くと、樹木の声が闇の中に流れて消えていく。真夜中の、木との対話は、数億年の記憶に火を点ける。
1089. 何かをやっておるのか、させられているのか、見当がつかぬ領域に侵入する。迷っている。
1090. 生きている、生かされている。ソレが(私)だというので、生き続ける限り、自分で、面倒を見なければならぬ。深い、深い溜息をつきながら、やれやれ、と。
1091. 「聖書」をすべて読まなくても、「コーラン」をすべて読まなくても、「仏典」をすべて読まなくても、ニンゲンは、信仰心をもって、信者となる!「声」に導かれて。論理家には耐えられない。
1092. 哲学者・ヴィトゲンシュタインは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を50回通読したと云う。
1093. 「種」の爆発が「私」である。
1094. 裸でいる感覚は、いつも、無限の宇宙に晒らされて、孤独を生む。
1095. 小説は、人間原理(生命)と宇宙原理(存在)の二つが、同時に語られる時、最高のものとなるであろう。
1096. 死と発狂を恐れていては、「宇宙という書物」にはとりかかれない。
1097. 直観と洞察と持続。今、(私)に必要なものは、そのくらいだ。気配のゆらぎまで視る。
1098. 隠遁者も、宇宙からの音信は聴いている。
1099. 来る声すべてを響かせよう。(私)という球体で。
1100. 善・悪の区別は、誰にでもある。(良心)。人間原理だから。しかし、宇宙原理は、善と悪の彼岸にある。(心の消滅)