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• 水曜日, 12月 08th, 2010
1401. ニンゲンとして在るのではない。ニンゲンに成る可能性として在るのだ。だから、ニンゲンとは、Xである。(私)は、可能性の魔になる。
1402. 簡単明瞭(シンプル)が文章の極意だ。
1403. モノ自体が在るように、言葉も在れ。
1404. 肩の力を抜いて生きる年齢なのに思わず力瘤が入ってしまう時がある。やれやれ。
1405. いつまでたっても、他人を傷つけ、他人に傷つけられ、人間関係を超越できぬ。自然であるか!!
1406. 機に応じる。最高の時も、最低の時も。
1407. 他人が考えたことを、(私)も考えてしまう。結局、つきつめると、同じところに落ち着くのか。
1408. 心が泡立って、心のコントロールがきかない。
1409. 知らない(無知)と、どうしても、知ることができない(無知)はちがう。千里の差がある。
1410. 抗いのあとの、締念であろうか、ものがみな美しく見える。
1411. 量子よ、(私)を迷宮へと放り込まないでくれ。
1412. 握手をする手が、戸惑っている。本当に、これが、あなたの手か、と。
1413. 一行の文章が人生に拮抗できる訳がない。無数の言葉を放っても。それでも、(私)は。
1414. しかし、一言半句が欲しい。作家の性か。
1415. 誰かが、燐寸をすっている。(私)の中に、火が点いて、勝手に、燃えあがっている。
1416. なぜ、生れる(私)と生れない(私)に別れてしまうのだろう?
1417. 現れなかった、もう一人の(私)のために、(私)は、非在者の宇宙を想像する。
1418. 見るということの限界に、死刑宣言を出したのは、量子力学である。
1419. 見るが壊れる、考えるが崩れる、いったい、どうする、ニンゲンよ。
1420. 思考にかわるものを、思考で、思考しても、所詮、無理な話だ。もっと、別の、スタイルを。
1421. ニンゲンは、自分の蒔いた種子しか育てられない。
1422. (私)は、(私)だけを生きているのだろうか?何?誰が(私)を生きている?
1423. 生きている、ということの質と幅を、もう一度再考しなければならない。
1424. 「集合と分解」の真只中に立っている。
1425. どうしても、ニンゲンが死んで(無)に至ると思えない人がいる。どうしても、死ねば、すべてが完全にお終いで(無)に帰してしまうと考える人がいる。そして、(無)という訳のわからないものに、(死)という、訳のわからないものに、いつまでたっても、
答えが出せずに、揺れ続けている人がいる。
1426. まあ、とりあえず、突然(私)に気がついて、不意に(私)を発見して、驚いたのだから、生きるということだけしていよう。あとは、野となれ山となれだ、と(生)の後を考えない人もいる。
1427. 白川静なら、おそらく、神は、漢字の中から起ちあがってきたと語るだろう。
1428. わかる瞬間には、透明な火花が散る。快感が風となって(私)の中を吹きぬける。
1429. 長い間、考えあぐねていたことが、ひょっとした瞬間に、飛びだしてくる。”解”となって。
1430. 信が置けなくなると、何を言っても、何をしても、必ず、疑惑の眼で見られてしまう。
1431. 堂々としている必要はないが、せめて、自然態ではいてほしいものだ。伏目がちに、背中を丸めていると、その姿、形が不信を生む。
1432. 自分自身に甘い人は、他人の眼が、どこまでとどくか、知らないのだ。腹から背中まで突き抜けてしまう力が、他人の眼だ。
1433. ニンゲンは(考える)という思考のパターンの外へは出られない。やれやれ、石との対話、蟻との対話もできないとは。
1434. 考える(私)は、考えられる(私)でもあるのに。
1435. (私)から発する言葉と、(社会的な私)から発する言葉では、言葉の筋目がちがう。
1436. 彼は、そういう人間だよ。まったく、あいつらしいね。他人がそういう時、おそらく、正確に、その人を捉えている。しかし、言葉で、その内容を語ってみようとすると、これが、なかなかむつかしい。
1437. 人は人の何を捉えて、その人を語ってしまうのだろう。おそらく、性格や資質や傾向だけでは納まりがつかぬ。その人がその人である不思議がある。
1438. 知識や知恵を身につけて、生きているが、ニンゲン自身は、いつも、それらを超えている。
1439. 思考の癖、心のありよう、身の処し方、一人一人に固有なものが、生れつきと呼ばれてしまう。変えようがない。おかしなものだ。
1440. 学習しても、知識を得ても、情報を知っても、決して、身につかぬものがある。魂の私の姿。
1441. (私)が、もう一人の(私)に再会するために、(生と死)という旅をしているのであれば、最後の楽しみは(死)ではあるまいか?(宇宙の双子の私)
1442. 見ることは見られること
     触ることは触られること
     考えることは考えられること
     (私)が(私)を
1443. 書くことは消すことでもある。
1444. 来たものは、形を変えて、文字というものになってしまう。
1445. で、来たものは、書かれて、完成して、消えてしまうのだ。
1446. わかるということは、文字・文章を読むことではなくて、文字・文章になったものを知ることである。
1447. (私)を考え続けることが、一生である人がいる。生きるために考える人、考えるために生きる人。(考える宇宙)
1448. 無いものを見てしまった人は、いったい、どうなるのか?眼が狂っている?(私)が狂っている?いいや、(無いが在る)世界に超翔したのだ。
1449. 一日中、どこにいても、居心地がわるくて仕方がない日がある。(私)の着地している場所と(私)の存在が、磁石のプラスとプラスのように、反きあっているのだ。時空と、上手く、握手できない日は、辛い。
1450. (私)の過去が見えるならば、(私)の誕生以前の過去も見えるだろう。
1451. (私)は、いつも、現在に触れ続けているのに、その現在が、(私)の過去を妙に、変えてしまう、そんな力をもっているような気がする。(時間という魔)
1452. 時間の、不可逆性も崩れるかもしれない。(過去⇒現在⇒未来の破壊が起きる)
1453. 何度も、何度も、心が折れる。生きている証拠だ。死者たちは、もう一切、動じない。生者は、身をふりしぼって、ふたたび出発する。(私)として。
1454. 顕現しようとしているのに、触れようとしているのに、見えない、見せない、ある力があって、あと一歩、紙一重のところで、ソレは逃げて隠れる。あーあ、溜息。気配までは感じているのに。
1455. 見れば、ソレが解体し、見なければ、結晶する。考えれば、逸脱し、放っておくと、本然として在る。困ったヤツだ。ニンゲンの手に負えない。
1456. すべては、不意に、突然、やってくる。で、慣れてしまうと、普通になる。(私)に気がついて。驚いた日は、どこへ行った。
1457. (私)とモノやコトが、溶けあって、感応している時、(私)は、思考以前の世界に、漂っている。外もなく、内もなく、たゆたう(私)の快楽の時。
1458. 原子が、一生懸命に、原子自身を覗き込んでおる。(私)と同じだ。
1459. 不可能を語るために出発した、長い、長い、旅ではなかったか?
1460. いつも、考えるということの外へと超出してしまうもの。なぜ?どこへ?さあ、どうする?
1461. ニンゲンは、いったい何を語ってもらいたいのだろう。どんな声で、どんな詩を。コレも良し、アレも良し、と。全肯定の歌か。コレも不能、アレも不完全と、全否定の終末の歌か。
1462. 時空に織り込む。あらゆるものを。
1463. 形があるから、不条理が生れる。しかし、形のない(私)などない。
1464. 池田晶子という光線はどこから来るのだろう。無限遠点に立たねば、その姿が見えない。
1465. (私)を生き続ける本能の力。もっと強く、もっと長く、もっと豊かに。意思を湧きたたせる肉体の増殖。(私)は胃袋、(私)は腸管。
1466. もう少し生きよう、と(私)が思うよりも、もっと、深いところで、身体が生きている。
1467. 「器官なき身体」(アルトー)になって、(考える)だけが、時空に存在する、それは、夢のまた夢であろう。
1468. 無が思考している。無を思考しているのではない。
1469. アンチ・キリストのニーチェの声に耳を傾けていると、無神論よりも進化論の響きに似ている。
1470. あまりにも過剰な生は滅びやすい。叫び声よりも、呟きがいいに決っている。閑かに、深く、(私)を呼吸するリズムが、よく生きるニンゲンには、相応しい。
1471. 闘いだ、闘いだ、決闘の時が来た、とある友が歓喜の声をあげた。やれやれ、戦時が好きなニンゲンは、手に負えない。勝手に、敵を作ってしまう。
1472. 欷歔する人を前にして、黙って、閑かに、佇んでいた。去りかねて。
1473. ものを書かない、「本」を読まない日々には、ただ、「現場」で、行動して、考えていた。他人の言葉は、もう、要らなかった。
1474. しかし、(私)が痩せないためには、滋養になる「本」、心が静かになる「本」を読む必要がある。
1475. (私)が書くというよりも、来るものに掴まえられてしまった(文)の方が生気がある。
1476. もう、文章に論理を追う頭脳よりも、声を追う耳を楽しみたい。姿を追う眼を愉しみたい。
1477. 存在というから重くなる。余分な意味が付着する。「あるモノ、ないモノ、あるコト、ないコト」とすれば、実にシンプルである。
1478. 足の時代があった。歩いて、歩いて、夕暮れが来て。
1479. 奔走する民。(私)も、また、その他大勢の民として、東へ、西へ、南へ、北へと走る。跫音を追って。あの人の声を頼りに。
1480. (私)を維持するためには、最低限のモノは、持たなければ、生きられぬ。モノがあふれて。(私)を縛ってしまうと、モノの中に埋没する。結局、すべてのモノを棄てて旅立つのに。
1481. 岩、石、砂利、砂、土、泥。時が流れると、見事に、形が崩れてしまう。川を視よ。
1482. イルミナシオン・天啓がやってきた。(私)の全細胞の眼が開いた。
1483. やはり、有限者は、有限から発して、無限を考えるしか術がない。
1484. 実体(実存)の影ではなくて、(私)が(私A)と(私B)になる。分裂というのではない。二重人格でもない。正に、正常に、そう在るのだと告げられて。
1485. とにかく、行けるところまで行ってやれ、(私)は(私)を限界まで使用してみる。誰も文句は言うまい。難破しても。
1486. アンドロメダ銀河よ、あなたたちの星々では、生命は誕生したか、高度に成長しているか?ニンゲンが滅びないうちに、うちの銀河へ探索の旅にでも来てくれないか。まだ、当分は、こちらからは行く力がない。
1487. (私)の中には、まだ、現れようとして、現れかたのわからないものが、いっぱい存在している。心も身体も、新しい回路を開けてやれ。
1488. 宇宙には、モノが在るように在る、その在り方とちがう在り方が、いっぱい、眠っているかもしれない。一切の、モノの見方が通用しないだろうが。
1489. 子供の頃に、使っていた、感情や思考の回路が、大人になると、閉じてしまう。で、使用できない。かすかに、その断片が、夢や記憶に顕れるのだが。取り出せない。そこには、使わなかった(私)がいる。
1490. 深夜、床の中で、眼を閉じる。不意に、人の顔が、次から次へと浮かんできた。見たこともない、人の顔、あまりにも、出現するので、どれか、ひとつくらいは、知っている顔がないものかと、凝視した。大きさも、来る方向もまちまちだった。とにかく、妙な経験であった。どのくらい続いただろうか?眠りが来る前の、まだ、意識が、明晰であったので、なぜ、不意に、見知らぬ、無数の顔たちが、(私)に訪れたのか、その意味をしばらく、考えていた。わからない。そして、本当の、眠りが来た。決して、夢ではない。
1491. 死ぬことは、死んだニンゲンに見慣らうしか術がない。
1492. 練習(レッスン)は、あらゆるものに必要である。死を実践する前にも、練習(レッスン)がいる。
1493. お礼は、必ず、形にしなければならない。思っているだけでは、お礼にならない。
1494. 若い時に、身につけた、習慣が、年をとって、やっと、理解できた。「他人に会ったら、笑顔で、」と。
1495. (ある)と(ない)があるが、
     (ある)は、指し示せても
     (ない)は、指し示せない。
     (死)は、(ない)であるが、
     頭では考えることはできない。
     表現は、(ない)ものを、
     説明できるが、(ない)
     そのものを表せない。
1496. ニンゲンは、「科学の法則」には、なれない。いつも、矛盾をかかえ、矛盾をも生きてしまう。
1497. たかがニンゲンに何が出来る。いつも、耳の底に鳴り響いている声。ニンゲンは、考えられる限りのことは、なんでもやってしまう。心の中の声。
1498. ものを考える、ものを書く—表現という行為は、実戦の為の地図であるから、無用という訳ではない。その行為がなければ、人間は、どんな指針のもとに、どんな目標をたてて、実戦できるというのだろうか?すべては(考える)からはじまる。
1499. (生の現場)に傍観者はいない。
1500. (知)を持たない人は、そのまま、闇の中にいろと、誰か、偉い人が語っていた。びっくりである。愚者も、また、生の盛りを生きているのだ。
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