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• 火曜日, 11月 02nd, 2010

歌人・福島泰樹と作家・立松和平—
9月22日、約40年振りに、母校・早稲田大学の大隈講堂を訪ねた。
2月に死んだ立松和平を追悼する集いがあった。自決前の、三島由紀夫の講演会を聴いた時以来の再訪である。
『和っぺい母校に還る』「立松和平の夕べ」—である。

1. 映像で偲ぶ 『立松和平 こころの旅路』
2. 短歌絶叫ライブ 『さらば、立松和平』 福島泰樹(歌人)
3. パネルディスカッション 『立松和平という男』
  パネリスト 黒古一夫(文芸評論家)
         福島泰樹(歌人)
         麿赤兒(舞踏家・俳優)
         高橋公(NPO法人ふるさと回帰支援センター事務理事)

今年は、いつ終るのか、先の見えない猛暑日が続き、熱中症で死者が続出して、60余年生きている私の記憶にもない真夏日ばかりで、街路樹や夏草が枯れ、異様な気候に、ニンゲンは、悲鳴をあげていた。

9月22日も、東京では、34度の猛暑日であった。額から汗が流れ落ち、下着まで濡れるほどの熱が充満していた。

受け付けと、開演が遅れて、6時まで、会場に入場できないとのことだった。30分ほど、早稲田の学内を歩いてみた。静かだった。立看板も姿を消して、閑散としており、あちこちに、談笑する学生たちの明るい顔があって、新しい、校舎が、いくつも、空に突き出していた。私の記憶に貼りついているのは、朱と黒の文字が踊る立看、ヘルメット姿の男たち、角棒、笛の鋭い音、喧躁、バリケード、拡声器から流れる、アジテーターの声、熱気と殺気の入り混じった、ぴりぴりする空気。ゲバルト。テロ。リンチ。・・・時が流れた。40年の時間が。

全共闘の時代、「自己否定」というスローガンが、40年たっても、私の中に居坐っていて、早稲田の杜を歩いていると、まるで、昨日放たれた声のように、棘となって、甦ってくる。学費の値上げ闘争にはじまって、原子力潜水艦(エンタープライズ)の入港から、安保闘争(70年)まで、学園は、揺れに揺れた。闘争の火は、全国に広がった。

この場所から、歩いて、約40年。時は流れた。団塊の世代は、企業戦士となり、働きバチとなり、停年をむかえた。

いったい、何をしてきたのか?あの、熱気と騒擾は、なんだったのか?

若い世代からの批判は、胸に痛い。学園で騒ぐだけ騒いで、高度成長を楽しむだけ楽しんで、あなた達は、何を樹立し、何を残したのか?

もちろん、一人一人の、胸に描いた夢と、ヴィジョンが、生きざまの中に顕れているはずである。

私は、自立、共生、あんしんの旗を揚げて生きてきた。小さな、小さな旗であるが・・・。

大隈講堂の舞台に、福島泰樹が起っていた。舞台で、何かが発生していた。
短歌を眼で読むのではない。
眼は、「気」の発生を見ていた。
耳が、歌を聴いていた。
頭は、気となって、放射される(情)に触れて、痺れていた。
歌謡とは、全身で、声と気を放つものだった。

福島が、肉体の復活として絶叫コンサートと叫ぶものは、古代の人が、和歌として謡った、魂の気であった。
おそらく、他の追随を赦さない、このスタイルの発見が、福島の固有の思想を創造したのだ。

私は、全身に降ってくる声の慈雨に、濡れて、情念という、声の塊りに眠っていた私の魂を揺さぶれて、痙攣していた。
おそらく、日常の空間ではない、異空の時間で、私は、感動していた。

見事な芸であった。
ピアノと尺八の伴奏にのせて、朗々と、時空に響きわたる福島の声は、詩人たちの、素人の、はずかしくなるような朗読とは、無縁で、正に、プロとしての絶唱であった。

『バリケード・一九六六年二月』という歌集が、福島の処女作であり、原点である。
なぜ、肉体の復活を唱えるのか、眼で短歌を読んでいた私は、納得をした。圧倒的な声量は、僧として、鍛えられ、魂の風を起こすには充分であった。正に、立松和平の魂を鎮める絶叫コンサートでった。

久し振りに、自分の声で、自分の思想を唱いあげる快感に酔った。感謝である。

懇親会の席で、福島さんが言った。
「君とは、どこかで、会っているよな。」
確かに、どこかで、会っているのだ。記憶の壁をおしあけてみる。

私も、学生時代に「早稲田文学」(第七次)に小説「投射器」を発表した。立松和平は「自転車」「途方にくれて」を発表している。福島泰樹は、編集の立松に頼まれて、短歌を発表している。
みんな、「早稲田文学」から歩きはじめている。そして、今がある。

パネルディスカッションでは、黒古、福島、麿、高橋が、立松和平との出会い、思い出、エピソードを披露した。60年~70年代の風景が、昨日のように甦ってくる話ばかりであった。
「温故知新」である。

人、それぞれに、時代と寝る時がある。青春の作家、壮年の作家、晩年の作家。どの時代に、才能が花開くか、誰にもわからない。
私は、晩年の作家、時が満ちて、熟して、語る人になりたい。

Category: エッセイ
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