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• 土曜日, 5月 14th, 2011

西條勉「『古事記』神話の謎を解く」(中公新書)を読む

”古事記”神話を読むということは、現代人にとって、どんな意味をもち、どんな行為と言えるのだろうか?

話し言葉だけで生きていた大和民族が、漢字が中国から伝わって、はじめて、口承されていた神話を、文字を使って、書いた本が”古事記”である。

中国の文字を使って、日本の言葉を文章にするという行為は、翻訳ですらない。

”文字”という記号の力にまかせて、日頃語っていた言葉を、文字に、移植するという行為は、漢字とひらがなとカタカナを自由に使って、思うところを、文章に書き記している”現代人”にとっては、考えられぬ”困難”と、スリルがあったものと推察される。

第一に、I am a boy (私は少年である)という英語を、翻訳ではなくて、そのまま、日本語で読むという行為を考えてみると、気の遠くなるような、奇妙な行為である。

もう、”万葉仮名”で書かれた「古事記」を読める人は、誰もいないだろう。(専門の学者は別にして)どだい、どう読めばいいのかわからない、漢字ばかりである。

その大きな、大きな、文字の移植が、”古事記”を生み、口承の神話を残したと思えば、先人たちの、文字を使って”書く”という行為には、頭が下がる。

そうして、”中国語”を日本風に読むという、前代未聞の、先人たちの行為がはじまったのだ。

本居宣長をはじめ、国学者たちが、生涯をかけて、「古事記」を読み解き、現代人が、さらに、翻訳をして、はじめて一般の読者である、私たちが、祖先の”神話”を知ることができた。

著者の、西條勉は、一生、「古事記」を読み、古代の文学を研究して、大学生たちに、教えてきた、学者である。

本書は、研究書ではなくて、一般の人たちに、「古事記」の成立の意味と、神話の謎を、解きほぐすようにして、書かれたものである。

誰でも、一度は、絵本として、児童書として、「古事記」とは知らずに、いくつからの神話を読んでいる。深く考えることもなく、そのまま、国造りの神話として記憶している。

古事記は、日本という国家があって、その意志が、編集にも、反映されている。その構造を解く、手順が、実に、スリリングである。単なる日本民族の神話ではなかったのだ。

2月に、著者から、本書を贈られて、早速、一読し、西條勉が、一生、古代文学に費やした時間を思った。大学生の頃、はじめて、キャンパスで邂逅した時の、若き日の、「僕、古代の、万葉、古事記を読みたいのです」と語った時の、意欲に満ちた、はじらいを含んだ微笑を思い出したりして、何か、感想を書かねばと、考えていた。

3・11東日本大震災が日本を襲った。日本の、国難である。大惨事である。日本人の、生き方、考え方、文明の、文化のあり方が、一変されねばならぬほどの、大事件であった。大地震、大津波の天災に加えて、史上最悪の”原発事故”が加わった。人災である。

人間のコントロールできぬ怪物、人間が生みだした(科学の知)が放った、原子力という怪物である。放射能の魔力。たった百年くらいしか生きない人間が、数億年も存在し続ける”原子”の世界に、挑戦して、無残に、崩れ落ちた(知)である。人間は、人間原理のうちで、生きているうちはいいが、宇宙原理を相手にしはじめると、とにかく、時間の、空間のスケールがちがう。

小さな、小さな、人間の(知)は、為す術もない。人間の生きられる”閾”は限られている。

無力感と虚脱感に襲われて、本を読む、文章を書くことに、リアリティを感じない日々が続いた。

国のかたち、国のビジョンが、あたらしく創造されなければならない。日本人は、何を生きてきたのか、根源から問い直さなければ、このままの”文明”のあり方では、滅びてしまう。電気というエネルギー、原子エネルギーに頼る人類は、もう、半歩、とりかえしのつかないところへと、踏み込んでいる。

”文明”から、”文化”へと、大きく方向転換を計らなければならない。

もう一度、「古事記」を読もう。いや、今こそ、国のかたちを、はじめて示した「古事記」に、帰ってみよう。私たちの文明が、何を間違ったのか、何を為すべきなのか、古い、古い、書物の声に、静かに、耳を傾けてみよう。

幸いなことに、「古事記」を読む手法は、西條勉の新書が教えてくれた。三浦佑之の翻訳した「古事記」も、数年前に購入して、本棚にある。本居宣長が、柳田國男が、折口信夫が、読み、解釈し、発明したところのものを、もう一度、あたらしく、読み=生きなければならない。

3・11は、(無)からの出発かもしれない。(無)といっても、何もないのではなくて、あらゆるものが、噴出してくる(無)である。

たいがいの「本」は、3・11によってリアリティとその意味を喪失した。「古事記」は、おそらく、3・11の力に耐えられる「本」である。

そこまできて、畏友、西條勉のめざしてきたもの、生きてきた時間が、活気をもって、甦える気がした。

「本」は、それ自体がひとつの宇宙である。(事実)は、文学を使って書かれた時、必ず、作者、編集者の、あるいは国や公の意志が入って、方向付けされる。だから(事実)は、そのまま「本」の(事実)ではない。

「本」を読むとは、その、二重の謎に挑むことである。

もちろん、「神話」も、そのまま(事実)ではない。口承されたものも、また(事実)ではない。書かれたものの、底に、奥に、(事実)は眠っている。

だからこそ、「本」を読むとは、発見することである。

「本書」は、西條勉の発見であり、西條勉の、思考の回路であり、彼の生きた時間が、「古事記」を語らせたのだ。

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• 水曜日, 3月 09th, 2011

どうやら、(私)は、「無限」へと「私」を開くことは可能か?そんなふうな、不可能とも思えるようなことを、アラカワをめぐって、新幹線での約4時間の間、考えていたらしい。

「人間原理」から「宇宙原理」へと吹きぬけてしまう、風の姿を、思い描こうとしていた。それを、(私)は、「無限開私」と呼んでみようと思っている。人は、誰でも、「無限」を感じている。

さて、津山市への、各駅停車の、約1時間の旅である。(私)は、(現実)へと戻った。野に菊の花が揺れていた。JR岡山駅に出て、10分も走ると、もう、山々が、眼の前に迫ってきて、街のビルや家並が遮切れて、突然、なつかしい、昔の、日本の、農村の気配が、窓の外に、ゆっくりと、ゆっくりと、流れはじめた。

電車が停る度に、駅名を読みあげて、長い、歴史という時間を、背負っている名前にも、日本の、古い時代の、気配を感じて、妙に、感動をした。名前が、風土の、風景の中に生きている。およそ、「便利」という名前の現代とは、似ても似つかない。裸の、ニンゲンの眼と耳にやさしいものである、と思った。

点在する家々、木々の蔭に、斜面に、田園に、川の両側に、道端に、地方の、固有の貌をもった、建築があった。都市の、サラリーマンの、紋切り型の家ではなくて、長い伝統に支えられて、土地の風と雨と光と冷暖に合致した、根を張った、力強い家々が眼を魅いた。

家は、ニンゲンの身体そのものである。カタツムリで云えば、身を隠す、身を守る殻である。機能ばかりを重視する都市のビルではなくて、ニンゲンそのものを育くむのが、家であった。

そう言えば、アラカワは、建築と建物を区別していた。「日本には一人も、建築家がいない」と豪語していた。「家」は、建物ではない。ニンゲンを育てるもの自体だ。いわば、カタツムリの殻である。建築するとは、そのカタツムリの殻を、創造する行為である。おそらく、アラカワは、そう考えていたのだろう。単に、雨風を防ぐものではなく、寝るための、慰うための、食べるための(家)でなくて、ニンゲンそのものを、創りあげる(場)=(装置)としての、(家)が、建築と呼ばれるに、ふさわしい、と。

山は、わずかに、紅葉していた。電車は、小さな山、中くらいの山、大きな山を、めぐって、川の左を、川の右を、縫うようにして、ゆっくりと、風景を歩くように、進んでいくのだった。身構えていた身体がほぐれて、(私)は、ゆっくりと、心の、深い層の下へと、入ってゆき、感性は、開かれて、風景に、感応しはじめていた。

正に、これが、旅であった。乗客の顔も、都市の、無表情の、殻の中の、閉じたものではなくて、その土地に、根付いて、セイカツをしているニンゲンの顔をしていた。何時の頃から、日本人は、固有の顔を失なって、”他人の顔”のような、無表情を、身につけてしまったのだろう。(私)自身も、都市では、おそらく、”他人の顔”で生きているのだろう。長い間の習慣で。

津山市は、四方を山に囲まれた、盆地の街であった。人口は、県内で岡山市、倉敷市に次いで、三番目に多い市である。海に向けて、開かれた、岡山市、倉敷市とはちがって、京都を思わせる、盆地の城下町であった。

JR津山駅で下車。友人Tと、Kホテルで、待ち合わせの約束。秋の陽が、西の空に、傾いてはいたが、タクシーを止めて、見物がてらに、歩いてみた。足で街を知りたかった。

どこの地方都市でも、同じ現象が起こっているが、津山市も、その例外ではなくて、駅前の賑わったであろう商店街も、シャッターの下りた店が眼について、人通りもなく、閑散として、テレビで、全国に、名前を売った、B級グルメの”ホルモンうどん”の看板が、秋の陽を浴びて、光っていた。

地図を頼りに、商店街をぬけると、大きな橋が架かっていた。堂々とした橋であった。陽が沈む西の山のあたりから、街の中央を二分するように、川が流れていた。河岸には、ウォーキングコースが、綺麗に整備されていて、犬を連れた人、歩く人の姿が眼についた。

川の中に、中洲というか、小さな柳の木の一群があって、透明な水に洗われていた。秋の白い風が水辺から橋上に吹きあげてきた。右手には、津山城が、夕陽を浴びて、静かに、佇んでいた。お城のある街の風景には、芯があって、統一というのか、象徴というのか、垂直に流れる時間が、透けて見えて、いつも、魅惑されてしまう。深呼吸をひとつ、空気がおいしい。携帯電話で、Kホテルを呼びだして、ホテルの位置を確認をして、橋を渡り切ると、街の中心街の、閉じたシャッターの多さに、地域社会の没落を思いながら、足に任せて、歩き続けた。

ホテルに着くと、友人Tが、ロビーで、手をあげて、合図を送ってきた。不思議なもので、友人Tは、自分の生れ故郷にいるためか、いつも、都市で見ていた、身にまとっている雰囲気とは別の、妙に、落着いた、安心した気配に包まれていた。

「遅かったな、タクシーなら、5分とかからないのに」
「いや、歩いてきたよ」
「そんな事だろうと思ったよ」

ホテルの手続きが終って、夜の、薄闇の降りはじめた街へ、と思案をしていると、偶然、友人Tの、高校時代の同級生が現れて、ゴルフが終って、これから、打ち上げだと、挨拶をした。地元に残って、商工会の、役員をしていると言う。ホテルで、呑み食いすると、東京に居るのと変わらないから、津山の、地元らしい、食材のある店を紹介してもらった。

40年前、Tにも、地元に残って、市役所に入るか、都市生活者になるか、大きな、決断の、分岐点があったのだ。で、Tは、都市・東京を選択し、40年という時間が流れた。

秋の、夜の、津山の街を、Tに誘われて、歩いた。元県庁の庁舎、木造の三階建ての旅館、料亭、路地には、ひと昔前の、古びた家々が、静かに、古風に、息づいていた。昔の、賑わいの中心地も、祭日というのに、風が通りぬけるだけで、人影は、まばらで、随分と、淋しく、錆れてしまったと、昔の家族連れと、宴会の、盛りを、記憶の中から、取り出すような、Tの説明に、うん、うん、どこも、そうだったあねと、頷きながら、城下の街を散策した。

身土不二という言葉がある。その季節に採れた、地元のものを、食べる、それが、身体には一番、適っているという思想だ。赤い堤灯が風に揺れる、古びた木造の二階建ての、居酒屋が、Tの友人に、教わった店であった。焼鳥専門の店であったが、特別に、”ホルモン焼き”が美味しいと言うので、店員さんのすすめるままに、注文し、地酒をもらった。

”なぜ、荒川修作なんだ”と旅の目標を訊かれて、まあ、気ちがいか天才か、わからないほど、面白そうな男だから、しばらくは、探求してみるよと、アラカワの、「天命反転」を語ってみた。逆に、なぜ、岡山の、田舎の、山の中の、小さな町に、荒川修作だいと訪ねてみると、自衛隊の基地があって、財政が豊かで、歌舞伎の伝統があったり、文化・芸術に熱心な人がいて、一種の”町おこし”じゃないのということであった。

アラカワを受け入れ、美術館を造るには、町長も、議会も、相当の、覚悟が必要であったろうと、推測した。独りで、津山に居る母を、関東の都市へと、連れていって、生活を共にするという話から、学生時代の、文学と、無類の、セイカツから、長い、長い、出版界での仕事から、気の置けない仲間だけの話題まで、語りはじめると、終りがない。

で、どうする、これから、何をして生きる?酒の、軽い、酔いの中で、お互いの顔を覗き込んで、二人だけの酒宴は終った。明日は、奈義である。

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• 月曜日, 2月 28th, 2011

旅は、日常を離れて、思考のスタイルを見事に変えてくれる。感性としての(私)を解き放って、時空へと旅立つのだ。

アラカワへの旅には、5つの段階・方法がある。(読む)(観る)(触れる)(体験する)(生きる)である。このステップを踏まないと、アラカワの姿は見えてこない。「君たちには、まだ、何もわかっていない、何も見えていない、何も考えていない。」アラカワの強烈な声が、耳に吹きつけてくる。

8時38分、私は、移動する箱の人となった。出発である。さっき、道路を歩いていたのに、もう、電車に乗って、窓の外を眺めている、この、時間という魔の不思議さ。電車の時間と私の時間が、重なる瞬間のとまどいと、軽い眩暈と快感。

旅の入口を、通過してしまって、もう、日常は、遠去かり、(私)の今・ここは、旅へと放たれた。全身に、素速くはしる、旅への、期待。純粋経験を求める、子供時代の感覚が甦える。

JR東京駅まで、50分。千葉、船橋、市川、錦糸町と、駅名を確認しながら、青空を、眺める。秋の、空の、青が、遠くへと投げかけた視線に、静かに応えてくれる、旅という時間である。

錦糸町駅を過ぎると、不意に、青空が消え、次の瞬間に、電車の車輌の窓に闇が巣喰い、青白い灯が、室内を照らしだすのだ。突然の、軽い、眼のまばたきは、電車の地下への侵入の際、いつも起こるものとはいえ、身体が、身構えて、硬くなり、しばらく経つと、東京駅に着いた。

新幹線での時間とはいったいなんだろう。いつも座席に坐ると、旅の途中であるのに、宙吊りになった時間、外(景色)と内(私)を流れる時間の分裂・遍在を感じて、どうやって、この流れる時間をやり過ごそうかと、考えてしまう。
①新聞・雑誌を読む ②風景を眺める ③ビールをのむ ④眠る ⑤考える ⑥話をする
今日は、アラカワへの旅であるから、アラカワの言葉、声をめぐって、あれやこれやと考えて、私の思考の波調を、アラカワへと放つことで、時間の流れに乗ってみる。

「天命反転」、「私は死なない」が、(私)の、思考の中心に、居坐った。「生きる—死ぬ」というパッケージに、数百万年、身を晒らし続けて、敗北し放しのニンゲンたち。もう、何十億人が、敗れ去っただろう。誰も、帰って来なかった。行きっぱなしの、片道切符の旅である。時間だけが生きているから、時間の勝ち、ニンゲンの敗け。

「死の美学」がある。無常であること。ニンゲン、大事を為すために生れてきた。大事は、人それどれに、異なる。いかに、大事を為すか、(私)の大事がわかれば、一切を棄てて、そのことの達成のみに全力を尽くして、死ぬ。後の事、他の事は、考えない。

「天命」=法に則った、生き死にである。毎秒、毎日、毎年、生きるということだけをしていること。過去も未来も、ないと、思い知って、今・ここだけに流れる時間の性質に、従い、考えること。

それでも、世の中を渡ると云い、世間で生きると云い、会社で働くと云い、ニンゲン(私)は、「人間原理」とも呼ぶべき、約束、規則、法律、憲法にぎっしりと囲続されていて、「身体」という条件を背負っていて、食べる、眠る、働く、考えるで、精いっぱいで、一日は、アッという間に、流れ去ってしまう。冷汗、溜息、悪戦苦闘。日常とは、永遠に、そういう、一日の連続である。四苦八苦の世界。で、「天命反転」という、人類最大の、大問題に、正面から立ち向かう、アラワカと呼ばれる男が出現する。人類史、数千年、歴史の中に何人かの挑戦者がいた。

釈迦という名前で、イエス・キリストという名前で、ソクラテスという名前で、孔子という名前で、空海という名前で、ニーチェという名前で。

どうしても、「生きる—死ぬ」という、最大のテーマに衝突してしまうと、狂と紙一重の地点まで、踏み込んでしまう、ニンゲンである。「天命反転」を思い浮かべると、必ず、(私)の頭には、「輪廻転生」「復活」「永劫回帰」「無知の知」「即身成仏」が自然に、声として、流れてくるのだ。一歩、間違えてしまうと「オウム」の麻原彰晃になってしまう、危険がある。

アラカワも、自らが、語っているように「分裂状態」に、身を横たえている。(私)の意識と存在の間に、引き裂かれて、在る人である。日本(東京)とアメリカ(ニューヨーク)に、日本語と英語に、身体も言語も、二重に(私)を生きている人であるから。深い亀裂がある。

いや、二重に、生きる身になったからこそ、人類最大の問題に目覚めたのだ。失語(言葉を失ない)と目覚め(生きる意識)の間を、右に左に、上に下にと揺れながら、アラカワは、すべてを、1から、創造してみせる、と、覚悟を決めて、生きている人である。誰も触れられない、「宇宙の法」を、反転させて、「人間原理」へと組み込もうとしているのだから、その発想、スケールは、ニンゲン離れをしている。本当は、宗教が、文学が、哲学が、芸術が、科学が、その役割を、果たすべきなのだ。逆に言うと、アラカワという存在は、それを、統合して、総合したものの名前であるかもしれない。

決して、妄想ではなく、迷信ではなく、分裂ではなく、狂気ではなく、アラカワは、正気に、踏みとどまって、思考の、創造の回路を、未知へと展開してみせる。
●「遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」
●「養老天命反転地」
●「三鷹天命反転住宅」
1981年、アラカワ+マドリン・ギンズに「天命反転」という、人類最大の問題へと立ち向かう構想が浮かびあがった。

「ナギ」という音を舌の上で、ゆっくりと転がしてみる。「凪」「薙」⇒「奈義」。水田の、渚の、海の、風のない、静かな光景が、脳裡にゆらめいて、そこから、ひそかに、立ちあがってくるものがある。光である。光の独楽である。

あるいは、山の、森の、竹林の、奥の、奥から、モーレツに吹いてくる風が、あらゆるものを薙ぎ倒して、一切のものを、運び去ってしまう。風の吹く、光景。

不思議な、二つに、引き裂かれた、イメージのする「ナギ」という音。その音が、名前となって「奈義」。古い、心の古層に、音もなく、気が流れて、勝手に、「奈義町」をイメージとして創りあげてしまった。

新幹線は、風景を殺してしまった。「便利さ」という怪物は、次から次へと、ニンゲンのいる風景を、消し去ってしまう。ニンゲンより秀れた知識をもったコンピューターは、終に、ニンゲンを追放するに至るだろう。

東京、名古屋、京都、新大阪、岡山と、4時間足らずの時間で、新幹線が疾走する、その間、(私)は、ひたすら、アラカワのこと、アラカワをめぐることを考え続けていた。(私)のしていたことは、箱の中で、(考える)時間を生きたことだった。それでも、旅である。確実に、(私)は、移動をした。身体と頭は、別々の時空を走りくねって、今・ここを、呼吸し続けている。

岡山県には、二つの貌がある。温暖で、風光明媚な、東洋の地中海とも呼ばれている瀬戸内海に代表される貌と、中国地方を貫く、大山を中心とする山脈に囲まれた町の貌である。

津山市と、隣接する奈義町は、山々に囲まれた街である。風景を消し去る新幹線を降りて、眼で、ゆっくりと、風景を食べられる、各駅停車の、電車へと、移動をした。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

「遍在の場、奈義の龍安寺、建築的身体」への旅

岡山県に、奈義町という町がある。1994年、「奈義町現代美術館」に荒川修作の作品が設置された。

なぜ、岡山県の、山の中の、小さな町に、世界のアラカワの作品が設置されたのだろう?いったい、誰が観るのだろう。そもそも、アラカワの、良き理解者がいなければ、「私は死なない」と宣言して、世間、世界を驚かせ、「天命反転」という、人類の誰もが、挑戦したことがない「天の命=宇宙の法則」を反転させるなどという、過激な発想をする人物の作品を中心にした、美術館を作るはずもない。反道徳、反常識、反法律とも思える、「私は死なない」であり、「天命反転」である。アラカワは「不死」としてのニンゲンんをめざしているのか?とにかく、アラカワの「本」「作品」を追うことで、旅をしてみよう。

11月2日、妻が友人と、エジプトのピラミットを見る、8日間の旅へと出立した。私は、飛行機拒否症のニンゲンであるから、その旅を断念した。十数時間飛行機に乗れば、気絶するか、血圧が上昇して、脳溢血か、心臓発作で、即死してしまうだろう。

で、独り、家にいて、読書や執筆では、芸がないので、かねてから、見てみたいと考えていた、奈義町の、アラカワへの旅を決行した。と言っても、一泊二日のささやかな、独り旅である。

11月3日、文化の日、祝日である。何をするにも、腰の重い私は、追い込まれるか、約束するか、必要がある場合でないと、一泊二日の旅でさえ、ふんぎりがつかない。

一昨年は、東京三鷹市にある、アラカワの「三鷹天命反転住宅」を視察した。偶然、ワークショップがあって、カメラを持参しての、撮影会に参加をした。今年の夏(2010年)には、岐阜の、「養老天命反転地」テーマパークを訪れた。

残っているのが、岡山県の、「遍在の場、奈義の龍安寺、建築的身体」であった。

つまり、アラカワが、制作、創造したのとは、時間を逆に廻して、歩いて、観ているという訳になる。

アラカワの著した「本」も、現在から、過去へと逆のぼって、読んでいることになる。

実は、アラカワの発想の原点を知ることになるはずの、最新作「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」という大著を読みはじめたばかりの頃、(5月)に、「私は死なない」と宣言、断定した、荒川修作が、ニューヨークの病院で死去したというニュースにあった。

「アラカワが死んだ」というニュースに、心が泡立ち、混乱が来た。アラカワ自身も、人間が死なない訳がないとは、解っている、解っていて、なお、「私は死なない」へと挑戦したのだ。この「解」は、そう、簡単な問題ではないので、旅を続けながら、ゆっくりと考えよう。

「1+1」が2という公式が、絶対に疑えないように、「私は死ぬ」も、同じ強度をもっている。しかし、逆の「私は死なない」も、その不可能性という意味で、文章の強度は強い。(私)は1ではないから、(私)とは何かという「問い」に答えがない限り、実は、無限大分の1くらいは、「私は死なない」の可能性が残されている。

つまり、ニンゲンは、(私)という存在から(宇宙)という存在までの一切を、解っている訳ではないのだ。

「人間原理」(ニンゲンにまつわるすべてのモノとコト)と「宇宙原理」(宇宙をめぐるすべてのモノとコト)は、まだ、解明されていないばかりか、人類の知も、初歩レベルの段階にあるのだろう。アラカワは、そのことを、知尽していた。

11月3日、文化の日、祝日、快晴。秋の白い風が吹いている。旅立ちには、絶好の日和であった。

千葉県四街道市の自宅から、岡山県の奈義町まで、約9時間の旅である。JR四街道⇒東京⇒岡山⇒津山と電車を乗り継ぎ、津山からバスで約40分。一日がかりの旅である。当然、その日のうちには、美術館は観れない。

奈義は、小さな、山の中の町であるから、ホテルや旅館があるかどうか、心もとない。ひとり旅では、いつも、ふらりと、現地を訪ねて、その土地で、当日、泊まる宿を探している。土地の人が、一番いい宿を知っている。今回は、そういう訳にもいくまい。

ふと、大学の友人Tのことが思い出された。大手の出版社で、編集長を勤め、旅、食、園芸と、幅広く、雑誌や本の編集を手掛けた友人である。私の生涯では、親友であり、3人のうちの、一人に入る男である。文学を語り、酒を呑み、もう、40年ばかりのつきあいである。

埼玉は、所沢市に居を構えているが、すでに、停年となって、自由を楽しんでいるはずである。津山出身であった。電話で、ホテルの紹介をしてもらうと、尋ねてみた。

驚いたことに、今、津山に、帰郷しているとのことだった。

なぜ?
老いた母の介護である。
60歳まで、企業戦士で働いたあとには、父母の、介護が待ち受けていた。団塊の世代の現状である。

で、その夜は、ホテルで、待ち合わせて、地方の、食と酒を、楽しもうという約束となった。

朝、8時、ボストン・バックを肩にかけて、JR四街道駅へと、歩きはじめた。もう、一万回以上、歩いた道ではあるが、会社への通勤の歩行と、旅への歩行では、足取りがまったく違った。まして、アラカワへの旅、歩行である。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

もう、何年前になるだろうか。

「建築する身体」という一冊の本を購った。長い間、少年期から、ずっと考え続けていた、私のテーマが、その本の中に、すっぽりとあった。

荒川修作との出会いである。

続いて、「死ぬのは法律違反です」という、アフォリズム風な、奇妙なタイトルの本を購った。世の中には、似たようなことを考える人がいるものだと思った。読了した時、アラワカへの旅をはじめてみようと考えた。

誰もが、正面から、考えない、しかし、人類最大のテーマ「死」があった。なんとなく、わかったつもりになっている「死」、「死」を考えるよりも、日々を生きるのに忙しい現代の人々。

神話が、宗教が、哲学が数千年、問い続けてきた、「生命とニンゲンの死」が、科学の出現で、終止符を打たれたかに見える、現在、誰もが、「死」は、百パーセント来るものと信じて、疑わず、疑わぬどころか、隠して、病院の介護施設の中へと閉じ込めて、葬式の時に、チラリと、頭の中で発火する、他人事の、自分には関係のない、恐怖として、扱いはじめた。

本来、一切を問い、描かねばならぬ、小説、哲学、芸術も、身辺の雑記や感想や、情況や、事象のみしか扱わなくなっている。

そんな、精神の弛んだ現在に、アラカワは、唯一、本気で、正面から、人類の最大のテーマに挑戦する人であった。先を急ぐまい。アラカワ。荒川修作とは、いったい、何者であろうか?

「私は死なない」と断言し「死ぬのは法律違反です」と書き、「天命反転」というヴィジョンを揚げ続けた人である。それらの言説を聞き、眼にしただけで、常識の人、科学の人たちは、奇人だ、変人だ、気が狂っている、狂信者だと横を向いて、遠去かってしまうだろう。

アラカワは、画家として出発している。青年期には、ダダイズム、シュールレアリズム、フォービズムの風を受けている。ダイアグラム的な作品を発表し、詩人瀧口修造に注目された。ネオ、ダダイズムの旗を揚げ、「箱にセメントをつめた作品」(棺のような)を発表している。その頃、ノイローゼにかかって、精神のリールが切れそうに、泣き、叫んでいる。

そして、渡米。生涯の、共同制作者、詩人のマドリン・ギンズと邂逅した。ギンズ婦人は、ランボー・マラルメと、天才詩人たちを愛し、アラカワ+ギンズの著作のほとんどを、彼女自身の手で書くことになる。

アメリカを、ヨーロッパを、世界を唸らせた「意味のメカニズム」が発表された。絵、文書、図面、グラフなどが、画面を占領する、未知の、大作である。いったい、これは、何か?

いや、いや、先を急ぐまい。

私は、はじめらかの、アラカワのファンではない。終りからはじめているのだ。ゆっくりと、手探りで、深く、広い、未だ開発されていない、未読のエリアへ、アラカワの耕やした、見たこともない時空へ、歩を進めよう。

画家、芸術家、建築家、哲学者、教祖、エコロジスト、天才、多面的な顔を持つアラカワへと、ゆっくりと、旅をしよう。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

1. 「ドストエフスキー」(講談社刊) 山城むつみ著
2. 「ねむり」(新潮社刊) 村上春樹著
3. 「親鸞と道元」(詳伝社刊) 五木寛之・立松和平共著
4. 「盲いた黄金の庭」(岩波書店刊) 吉増剛造著
5. 「『純粋理性批判』を噛み砕く」(講談社刊) 中島義道著
6. 「句集 去来」(角川学芸出版刊) 遠藤若狭男著
7. 「リマーク」(トランスビュー社刊) 池田晶子著(再読)
8. 「白川静の世界」(文学篇)(平凡社刊) 白川静著
9. 「生命と偶有性」(新潮社刊) 茂木健一郎著
10. 「ユング名言集」(PHP研究所刊) カール・ダスタフ・ユング著
11. 「苦役列車」(新潮社刊) 西村賢太著
12. 「場所と産霊」(講談社刊) 安藤礼二著
13. 「大浦通信」(矢立出版) 吉増剛造・樋口良澄共著
14. 「神的批評」(新潮社刊) 大澤信亮著

生きることが思想になり、表現された思想が生活を変える—その往復運動のダイナミズムに身を任せている批評家が誕生した。小林秀雄と正宗白鳥の「実生活と思想」論争を思いだした。大澤信亮である。「神的批評」は処女作。生きること、食べることに、ニンゲンの暴力を見いだしている、あらゆることを「問い」続ける人の出現。新しいニンゲンの発見となるか?

もう、これ以上、ドストエフスキーの読み方はあるまいと思われるほど、世界の知者たちが、ドストエフスキーを論じてきた。ところが、山城むつみは、量子論的ドストエフスキーの読解を発見した。ドストエフスキーは、死んでも進化していく言葉である。感服。

吉増剛造の「大浦通信」を読み、写真集「盲いた黄金の庭」を観る。不思議なことに、吉増を読むと、いつも、言葉が、感性が吉増の色に染まってしまう。吉増の、ひび割れ、淵、溝、余白、亀裂、切断、端、辺、あらゆる時空に、浸透してしまう、言葉の宇宙に、身も心も、染まってしまう。科学、哲学、数学の、まだ、入りきれない空間に、(言葉)がある快感。

偶然、京都の予備校で知り合った男が、大学に入ってみると、同じクラスにいた。どこを受験するとも、何とも、話もしなかったのに。遠藤喬、俳人、遠藤若狭男である。その遠藤が、第四句集を出版した。辛い俳句であった。軽みと、感性の細やかなきらめきと淡々たる生活の中の発見が信条であったはずの、遠藤の句が、今度の句集では、重く、暗く、沈んでいた。父の死、母の死、本人のガン発見と、俳句にしては、テーマが重すぎて、句から思いがはみだしている。最後の5句は、読みながら、絶句して、句の、はるかな彼方を覗いてしまった。

「私小説」作家、西村賢太が、終に芥川賞を受賞。おめでとう。鬼となって、書いてきた「私小説」である。無視され、馬鹿にされてきた「私小説」が光る。

「リマーク」は、考える人・池田晶子の思索ノオトである。(考える)が、どのように起ちあがってくるか、手にとるようにわかる本。愛読者には、こたえられない。

茂木健一郎は、科学者にしては、診らしく、(文学)のわかる人である。小林秀雄、夏目漱石を、きっちりと読み込んでいる。そして、宇宙に1回限りの生をいきるニンゲンの、存在の、驚愕を知る感性をもっている。脳の研究者。果たして、(存在)そのものに、一撃を加えることが出来るかどうか。

12月、1月、2月と、重量感のある「本」の読書が続いた。お陰で、長篇小説「百年の歩行」の筆が止まった。しかし、読みながら、書いていると、文章の振幅が大きく、深くなる。つまり、(私)を、発見し続けることが出来るのだ。特に「ドフトエフスキー」山城むつみは、身に沁みた。そんな時には、「ユング名言集」をめくって、思考を遊がせ、心を、深いところにもっていく。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

「神的批評」 大澤信亮著を読む (新潮社刊)

●ニンゲンに何ができる?
●ニンゲンは何処まで行ける?

若い評論家の処女作「神的批評」単著を心読しながら、私の中に、鳴り響いていたのは、そんな、「本」から立ちのぼってくる声による「問い」であった。

読者としての、私の感想を書いてみる。本書は、四部構成である。
①「宮澤賢治の暴力」
②「柄谷行人論」
③「私小説的労働と協働—柳田國男と神の言説」
④「批評と殺生—北大路魯山人」

倫理と理論と言葉と美を「問う」評論集である。

①「書くニンゲンと生きるニンゲン」

なぜ、大澤信亮は、たった百枚の「宮澤賢治の暴力」を書くのに、十年もの歳月を費したのだろうか?

そこに、大澤が、ものを書く、生きる姿勢が現れている。単なる研究としての文章を拒否し、生きている自分が、宮澤賢治を論じるために、必要な資格(?)を得るべき、セイカツの現場に、身を横たえていなければ(文章)を書く意味がないと考えている。生きるという現場から起ちあがって来ない文章、発言、思想には、ほとんど意味がない、その覚悟と実践が、たった百枚の作品に、十年という歳月をかけた理由である。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の発言から出発した論考は、作品と実生活を追うことで、「宮澤賢治の暴力」を裸にする試みである。

生きること、食べること、書くことに、「暴力」を発見していく生存のスタイルは、暗く、厳しい。

②大澤が、心の師と仰ぎ、書くものに、生きる姿勢に、深い共感を覚えてきた”柄谷行人”を論じている。論理の人、柄谷行人。(本当は感性の人か?)なぜ、ある時を境にして、柄谷行人の書くものは失速したのか、リアリティを失ったのかが、丁寧に、作品を読み込むことで、師への刃となっている。

「(意識)と(自然)」に身を横たえて、ひき裂かれたまま生きているニンゲン漱石を語ることで出発した、柄谷行人も、また、同じように、(私の意識と私という存在)のひび割れをもったまま(文学)を語り続けた。そこに、リアリティが生れていたと私は思う。

大澤は、(学問)へと傾斜して、(文学)を棄てた柄谷を、見ているのではないか。ひび割れた存在として、身を横たえていた柄谷が、片眼を閉じてしまったと考えているのか?大澤の「問い」が、どこまで、柄谷の言説にとどいているのか、私には、判断がつきかねるが。

③論理を追いすぎる人は、「詩」「小説」を読みまちがいがちだ。「私小説」は、柳田國男の論考とは、別の力を持っている。大澤の、賢治の詩の読み方、花袋の小説の読み方には、疑問がある。小説は、進化もしないし、なんの役にも立たない。ただし、生きているニンゲンの形姿がある。感動がある。

今回の芥川賞作家、「私小説」作家の西村賢太のリアリティと、知的な文体で固めた、貴族的な、朝吹真理子の小説を比べてみればすぐわかることだ。小説は、繊細な生きものである。大思想を展開した、堂々たる生活人で、民俗学を樹立した柳田國男を論じるには、大澤のもっているフィールドが狭すぎるために、この作品は、大澤の想いだけが、骨のように、白々と、露わになっている。今後の、大きな課題であろう。核と直観を肉付けしてほしい。

④「生きることは食べることであり、食べることが殺すことであるならば、私たちにどんな希いが許されているだろうか、何も許されていない。この結論は絶対に思えた。」

「批評と殺生—北大路魯山人」は、こう始まっている。

衣・食・住は、ニンゲンが生存する条件である。「徒然草」を書いた、兼好法師は、その3つに医(医者)を加えている。3つを支えているのが仕事(労働)である。

大澤は、ニンゲンの生命の源(食)を、根源から、「問い」直している。

日本の、(食)をめぐる論争も、加熱している。何年か前には、芥川賞作家、辺見庸の「もの食う人びと」が、話題になり、ベストセラーになった。いわく、世界には、十億人単位で、食べものが手に入らない、飢えた人々がいる。その貧困は、目をおおうばかりで、豊かな、富める者は、手を差しのべなければならぬ、という論調であった。仕事がない、お金がない、食べるものがない、教育が受けられない、犯罪と病いがはびこっている、負の連鎖である。

その一方で、平和ボケした、わが日本人は、飽食、B級グルメで、TVも新聞も狂想曲を演じている。美味しい食べものを求めて。

また、国、厚労省では、日本人の栄養のバランスを考えて、全国で、栄養士による食事の摂り方を教育・指導している。学校で、会社で、病院で、介護施設で。

●一日30食品を食べましょう。(バランス)
●身土不二(季節に採れる地元の食べもの)
●一物全体食(頭から尻尾まで食べる)
●地産地消(地元の食材を地元で消費)

「料理」というニンゲンがあみだした「食文化」の教育が、大澤の言う「食べる暴力」や「殺して食べる」という事実をきれいに覆い隠している。

冒頭の大澤の決意文、覚悟を、これらの文章や意識の中に放ってみると、正に、異様というか、99対1の構図が出現する。

大澤の「生きることは・・・食べることは殺すことである」という、大澤にとっては、絶対の「法」が、99人対1であり、99人の人々の、耳に、とどくためには、どんな闘いが必要なのかが見えてくる。

辺見庸の、「食べることができない貧」の十数億人のニンゲンがいるという告発は、共感を呼ぶが、大澤の「問い」は、あまりにも過激で、根源的であるが由に、ニンゲンの生存の条件にも、支障を綻してしまう。

「言葉」の闘いである。

硬質な、論文調の、論理の大澤の言葉は、99人に届くまい。開かれた、明晰な、文章、人の耳にとどく言葉の開発が必要である。

「声」で語ってみる。イエス・キリストのように、釈迦のように、孔子のように、ソクラテスのように。百年、千年生き延びる「言葉」の獲得が必要だ。

「食事という暴力」を、ニンゲンの食習慣、食文化の中に、発見して、告発する大澤の声は、まだ「世界を変える具体的な実践」には至っていない。どだい、「世界を変える」という、言葉があまりにも、大きすぎる。せいぜい、(私)を変える、身の周りを変える、だ。ニンゲンに、何ができる、ニンゲンは何処まで行ける、逆に、私は、大澤の「協働」を、言葉と行動の一致を、非常に、危ないものと、感じてしまうのだ。

文壇、論壇のA氏やB氏が敵ではなくて、闘う相手は、99人の、大衆であり、国家の教育システムであり、ニンゲンの作った「料理」という食文化である。言葉の視線が、どこまで届くか、今後の、大澤の、思考の、文体の、開発に、期待したい。

大澤は、将来、イエス・キリストを描きたいという野望を持っているらしいが、目の前には大きな山がある。田川建三という山だ。「イエスという男」は、キリスト教を実践し、古語を学び、翻訳し、研究し尽くした男が書いた、イエスに関する最高の書物である。「イエスという男」を越えなければ、イエスを描いたということにならないから、高い、とてつもなく高い山であり、ハードルである。

三島由紀夫は、書くことの無力から、「行動」へと走ったが、埴谷雄高は、作家は、ただただ、ビジョンを啓示すればよいのだと反対をした。

大澤信亮の姿勢は、書くこと=生きることである。思考する人と、実践する人が、大澤の中に同居している。そして、ニンゲンが歩いて行ける、ギリギリの地点、ニンゲンが生きられる”閾”の限界で、「問い」続けるその姿勢には、頭が下がる。

同じく、若い評論家である安藤礼二は、「文学」には、何もできない、なんの効果もないと、自己限定し、深い諦念の中で、書く職人としての(私)を発揮している。

安藤礼二と大澤信亮。

最近、読んだ、若い評論家二人の「書く、生きる姿勢」は、好対照である。どちらが遠くまで行けるか、楽しみである。

来たるべき作家、評論家は、おそらく、「人間原理」(ニンゲンのすることのすべて)と「宇宙原理」(存在することのすべて)を、同時に追求する者たちであるだろう。生きる、死ぬ、在るという、簡単だが、根源的な「問い」から、意識、魂、宇宙へと、言葉のとどく限りの視線をのばしてほしい。

「問い」を生きる大澤信亮の単著「神的批評」を、十日ばかり読んでいたら、60歳を過ぎた身に、若き日のエネルギーが甦ってきた。感謝である。よく生きて下さい。神的な眼の視線がどこまでも延びるように。

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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

ドストエフスキー 山城むつみ著 (講談社)

世界の知者たちが、百数十年にわたって、ドストエフスキーという小説宇宙を語り、論じてきた。
二葉亭四迷、小林秀雄、森有正、加賀乙彦、埴谷雄高、秋山駿、樋谷秀昭、江川卓、亀山郁夫、E・H・カー、グロスマン、バフチン、ヴィトゲンシュタイン。

感性的に、直感的に、内的に、思想的に、宗教的に、哲学的に、存在論的に、言語論的に、もう、これ以上、読み込むのは、無理だろうと思えるほど、さまざまな、切り込み方で、語られてきた、ドストエフスキーである。もう、これ以上、語られまい。分析されまい。

果たして、更なる一歩を踏み込んだ、読み込みが、実践された。

山城むつみ氏による、量子論的なドストエフスキー論であった。同じ声、同じ文章が、放った人によって、まったく、別の内容になってしまうという方法、分析論である。

山城むつみ氏は、ドストエフスキーの小説をテーマーとして語るのではなくて、あくまで、語られた文章を、そのまま読み込み、分析するという手法を執った。

何が語られるのか、テーマーを抉出して語るのではなくて、その文章が、語っているもの、(文)そのもの、言葉そのものを、凝視することで、ドストエフスキーの新しい断面を、表出しているのだ。

7年半も、ドストエフスキーを書き継ぐという行為は、その時々を、刹那的に生きている現代人にとっては、信じられないような、気の遠くなる行為である。

つまり、一冊読めば、一ヶ月ほど、ドストエフスキー熱が消えない小説、日記を、山城氏は、7年半も、自らの内に響かせ続けたのだから、日常の、日々の生活の継続は、凄まじいものがあっただろうと、推察される。

「罪と罰」「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」という、ドストエフスキーのいわゆる四大長篇に加えて、「地下室の手記」「未青年」「作家の日記」を、中篇の「やさしい女」を中核に据えて、新しい視点を獲得している。

山城氏の手柄は3つある。
①量子論的な分析の発見。
②今まで、失敗作と見棄てられてきた「未青年」を、新しく、現代的に読みかえたこと。
③子供たちの、多声的、存在論的な読み込み。

30日ほどかけて、山城氏の「ドストエフスキー」を読み込んだ。

ドストエフスキー論を書くと、不思議なことに、その人の(書き手)人生観、思想のレベルが、照らし出されてしまう。だから、ドストエフスキーが、いかに、言葉の力を、遠くまで、運んでしまった人かが、判明する。まるでリトマス試験紙である。論者が書いているのか、ドストエフスキーが、書かせているのか、見分けがつかなくなってしまう。読むたびに、新しい発見がある。

実際、てんかん(病気)、賭博(賭けごと)、不倫(姦通)、政治犯(シベリア流し)と、ドストエフスキーの実人生そのものも、普通の生活者の、日常のレベルをはるかに越えている。稀有のものである。実生活の、波瀾万丈の人生を、源水とした、作品群は、「実生活と思想」として、語っても、語っても、語り尽くせない、謎に満ちている。ドストエフスキーは、人間の、コントロール、抑制がきかない地点まで踏み込んでしまっている。だから、ドストエフスキーを読むことは、現場で生きる以上の、リアリティがある。怖い、恐ろしい、畏怖すべき、人、小説である。

私は、(無限)を感じさせてくれる、唯一の作家が、ドストエフスキーだと思って、長年、読み継いでいる。(無限)に触れる、興奮と驚愕は、他の作家にはない。

山城むつみ氏の「ドストエフスキー」は、(普遍)へと達してしまった。ドストエフスキーの声、文章と、均り合うほどに、そのヴィジョンを、語ってしまった、現代の秀作であると信ずる。敬服する。

願わくば、ドストエフスキーの愛読者が、一人でも多く、氏の「ドストエフスキー」を読まれんことを、切に、希望する。

久し振りに、進化するドストエフスキー論が読めて、また、新しい眼が開かれた。長い、日々の、労苦が、読者諸兄が、読み込むことによって、むくわれることと思う。お陰で、一ヶ月以上、私の頭も、ドストエフスキー熱が出て、日々の生活も、その声に、染められてしまった。感謝である。

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• 火曜日, 2月 22nd, 2011
1501. 思考のステップと実践のステップは、似て非なるものだ。
1502. 決して、愉しんではいけない、不幸な人がいる限り、と、感じてしまう心性をもった人は、一生、自分を噛み続ける。
1503. ニンゲンの世界だけを、考えて、閉じないで、宇宙のことも、考える、開けかたが必要な時代だ。
1504. 30代までは、闘う言葉を使っていた。60代になると、言葉は、死者へと接近してくる。そして、(無限)へと開かれる。
1505. (書く人)である限り、論争だけがあって、限界がくる。ただ、働く人の場に、身を置いて、(書く)ことを棄ててみる。
1506. 他人とともに、働く時には、(文学)など棄ててしまうことだ。ただ、ニンゲンが起っている。ひびが割れたまま。
1507. 負い目も、傷も、棄て去って、魂を遊ばせる。歩いて。ニンゲンの最上の行為だ。
1508. ある、ある、ある、あらゆるものがありすぎると、思っていたら、もう、水泡のように、次から次へと姿を消しはじめた。妙なものだ。眩暈がする。
1509. もっと、離れて、もっと、もっと、離されて、ようやく、見えてくるものがある、心を放って遊ばせておくと。
1510. もう、仕事で、イヤなニンゲンに会わなくても済む、他人に会う日々から、解放されたから。いくらでも、独りには耐えられる。心を舐いで。
1511. 若い時には、とにかく、新しい人々に会いたくて、歩き廻った。今は、どうだ、もう、人に会うよりも、木を眺めている方が、心に合致している。木の声を聞いて。
1512. 困った者だ。いつも、極端から極端へと歩きたがる。中庸ということを知らぬ。壊れても仕方のない歩き方だ。
1513. 歩行の果てへと思っていたが、歩行の中心に、それは、在った。
1514. 生老病死があるから、(私)は四苦八苦して生きる。で、不条理だから、祈る。無限に。
1515. 酒は、たゆたいが一番である。日常から虚空へと少しだけ浮遊して。
1516. 思考の振幅は、思考の強度に転じなければ。
1517. 石割=(石工)は、時間の職人である。
1518. おそらく、(私)の出自を語るだけでは足りない。言葉の出自も、思考の出自も、語らなければ(宇宙)は顕現しない。
1519. 軽みもセイカツのうるおいであっていい。悲嘆、悲痛、悲惨ばかりでは、日が湿って暗くなる。
1520. アレに手を出し、コレに手を出し、いつまでたっても、焦点の定まらぬ男だ。終に(私)まで見失って。
1521. 手綱は決して手離さないこと。(私)が馬か、(馬)が私か、ホラ、わからなくなる。
1522. (声)の中に、(文字)の中に、(神)が現れるまで、ニンゲンにとって(神)は存在しなかった?
1523. ニンゲンは、生きるためにモノ(生きもの)を食べる。悲しい、美味しいと思いながら。(原点)
1524. (食べる)ことの罪を追求しはじめると、水も空気も、飲んだり、吸ったりできなくなる。
1525. ニンゲンに何ができる、
     ニンゲンは何処まで行ける、
     二つの声は、(私)の中で、鳴り続けている。
1526. 原子よ、あなたは、なぜ、生命になったのか?
1527. 食卓は、いつも、殺生の場である。だから、ニンゲンは祈る。救いはないが。”いただきます” ”ごちそうさま”と。
1528. 「食べる—食べられる」は、もちろん「殺す—殺される」からくる。殺気立ったり、笑ったり、不条理極りない。
1529. ドストエフスキーを読むと、いつも、時空を超えた(無限)に触れられる。
1530. もともと(生きる)ことから脱臼している男がいる。何をしていても、ついでに、やっているふうに見える。生きているのに、終ってしまっているニンゲンだ。
1531. もちろん、底辺から頂点まで、あらゆる音と声と言葉が響かねばなるまい。
1532. 一日は、いつも、新しい日だから、(私)も、日々、新しく在る。
1533. 静かに、静かに、(私)を沈めていくのだ。流れた暦の底へ、先祖たちの魂の底へ、垂直に、ゆっくりと、どこまでも。(元型)に至るまで。
1534. 来る声と沸きあがる声。(私)へ、(私)から。発火点はどこだ。
1535. (私)の方法は、
     右手に「人間原理」を
     左手に「宇宙原理」をである。
1536. 「もう、ものいわん人になってしもうた」6歳の少年時、棺に身を投げ放った母の声が、まだ、耳の底に残っている。
1537. 考えても、どうなるものでもないことが、多すぎる。だから、素手で、素足で、生きている。
1538. すべての物語は、ヒト、モノ、コトに会って別れる話である。
1539. 木に木目があるように、石にも石目がある。もちろん、ニンゲンにも、似たものがある。”生れつき”である。
1540. おかしなことに、信仰などもっていないのに、(神)については、考える。どうも、信じるという(宗教)の神ではなくて、(存在)の神についてだ。
1541. ペラペラの、凡康な日々に、その軽い存在に、飽きて、倦んでも、ニンゲンのいる場所だから、逃げられない。歯がみして。
1542. 決して(文学)の中で(文学)を語らないこと。ニンゲンを語って(文学)になるべきである。
1543. 小さな必然と、大きな偶然が、(私)の歩行を決定している。
1544. 原因から結果への条理ではなくて、大きな縁による命運が見える。
1545. 自力といい、他力といい、意識のあり方をめぐる考察であるか。その先へと歩け。
1546. 悲嘆する人、哄笑する人、正に、存在の収縮と拡散である。
1547. 外部を内部へと転移させて、暗黒宇宙に浸る頭脳。
1548. ふつふつと煮えたぎる情念の切断は、声を殺して。
1549. 無限の物質量の海に、(私)を放って、ささやかな抵抗をする。一瞬を無限へと念じて。
1550. 視点を高次元へと運び続ける。どこまで、ニンゲンでいられるか!!
1551. ぐるぐると、毎日廻っている地球の習慣が棄てられなくて、重力に喘いでおる。
1552. 脳がなくても考える。単細胞生物の粘菌。だから、脳よりも(私)なのだ。
1553. 同時代に生きていると、どこにいても、似たようなことを、考えてしまう。思考は伝染する。
1554. もう、生きるのはイヤダという声、
     まだ、死ぬのはイヤダという声、
     宙吊りである。
1555. 生きてもダメ、
     死んでもダメ、
     いったい、どうしろというのだ。誰の声だ。
1556. (無縁社会)という言葉の背後には、人は、縁によってつながっているという仏教の思想がある。
1557. 血縁、地縁、職縁(?)他に、どんな縁があるだろうか、生きるも、死ぬも、縁次第という日本人らしい、古層からの発想が脈々と生きている。
1558. 作られたもの(被造物・被造者)が作ったもの(創造者)を思えない訳がない。
1559. ニンゲンの世界には、確かな(善・悪)がある。物質の世界には(在る・無い)があるだけだ。
1560. 生命が、光の化石から誕生したのか、暗黒物質から誕生したのか、宇宙にとって、正に、大問題である。
1561. グレート・マザーは、いったい、誰なのか?
1562. 国と国の、損益が、ものごとを判断する最大の基準になっている。坂本竜馬が生きていれば、”宇宙の時代ぜよ、現在は”と叫ぶだろうに。
1563. 今日のメシか、明日の夢(ヴィジョン)か。「問い」を生きる。
1564. 関係の、関係の、関係ばかりが声高かに叫ばれている浮世だが、一度、時代を、生命を、垂直に、時間で、考えてみるべきだ。
1565. 生きるためにすべてを、実行しなければならないのに、AもBも、拒否したくなる心性。
1566. 日々の生活は、変わらないのに(私)は、まったく別のニンゲンになってしまう。そんなことが起こるのだ。
1567. モノの見方が変われば、考え方も変わり、(私)は、一気に、深くなる。
1568. 考える視線がどこまでとどくか、ニンゲンの。
1569. 切断。思考の。視線の。触感の。音感の。混沌が来る。静かな。
1570. いったい(私)に、ニンゲンに、客観的な視点に立つということが、可能であろうか。確かに、第三者の、神的な、視点を設定することは可能だ。しかし、それは、あくまで(私)が、そうするのだ。すべては、見る人、語る人、描く人の色に染まってしまうのだ。
1571. ニンゲンは、仕掛けられて(何に?誰に?)偶然に、顕現した(私)を、追求する旅しか、出来ない存在なのかもしれない。
1572. ニンゲンである限り、誰もが、全員が(病者を除いて)働かねばならない。仕事は、衣・食・住を得るための(社会的な私)の場であるから。
1573. 流されて、結実しないものの、なんと多いことか。
1574. 区切り、段落、境界が溶けている。
1575. 太陽を真似て、原子の爆発を作ってみたニンゲンであるが、同じように、時間を空間を作り出せるだろうか?
1576. 生れた苦しみは、誰でも知っているが、生まれなかった苦しみを、考えられるか?
1577. (私)という形態に進化して、数億年、さて、これから、どのようになろうとしているのか。昼寝のときの考えである。
1578. (私)自身が耐えられる限り、その言葉を、他人に投げかけよ。
1579. その日常は、そのまま、続けられるのに、突然の切断。血も流れる。心も切れる。何よりも、平々凡々と続いてきた一日、その一日が絶える。
1580. 人は、なぜ、死を悼み、悲しむのか?殺してしまった、もう一人の(私)を、死者の中に見ているからだ。
1581. 分裂がある。葬儀の日は。生きると死んだ、に。ひび割れに身を横たえるのが辛い。
1582. その一言を言いたいために、千枚の長篇小説を書かねばならぬ、曲り道。曲がらねば見えぬものがあるために。
1583. いったい、誰が、赦しを与えるのだろう?なぜ人は、赦されねばならぬものを抱え込むのだろう。応えのない沈黙の中で、恐怖を感じてしまう人の心の在り方は、決して、癒されることはない。
1584. 頭も心も空にして歩いてみる。アッという間に(私)はコトとモノに染めあげられた。
1585. (信用する、信用しない)(信じる)(信じない)という、ニンゲンの、判断の根底にあるものとは、何か?心の水準器。
1586. 闇の子か、光の子か。
1587. ニンゲンのなぜ?は、宇宙のなぜ?にならない。
1588. 形をもつモノ、この、気の遠くなるような時間の果てに顕現したモノ、の奇妙さ、不可思議は、毎日、毎秒(私)を刺激する。
1589. 熱がでると、必ず、もう一人の(私)が現れる。
1590. 下痢が続くときには、つくづく(私)は、筒だと感じるし、外と内の境目が消えてしまう。(私)は、私を、すべて、下痢してしまいたい。
1591. 今日も(考える)が生きている。
1592. 生きてこそ、は、死んでこそ、でもあった。死者たちの音信がとどく日々である。
1593. 生きる現場から立ちあがってくる「問い」と、「問い」そのものを生きることとは、やはり、ちがう。
1594. 「死」の問いかたひとつで、そのニンゲンが、何を、どのように生きているのかが、わかってしまう。
1595. 突然、「物」が露出すると、ニンゲンは、あわてふためき、眩暈がして、吐くか、放心する。そして「物」をなんとか料理して、(私)と融和させてしまう。
1596. 生きて、身をもって考えて、歩をすすめる人がいる。あらゆる(知)を吸収して、学問する人がいる。本気で、考えているのは、どちらか?
1597. 簡単が最も深い(生きる)
     易しいが最も難しい(死ぬ)
1598. 与えられたモノだけを食べているニンゲン。時間を食べ、空間を食べ、モノを食べ。
1599. 夢も、また、(私)を、(無限)へと開く、ひとつの装置にちがいない。
1600. どんな場所にいても、どんな時代に生きていても、(私)は、(無限)へと開かれて在る存在である。
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• 月曜日, 12月 20th, 2010

1. 「さらば、立松和平」(ウエイツ刊) 福島泰樹編著
2. 「兵どもが夢の先」(ウエイツ刊) 高橋公著
3. 「新約聖書」(パウロ書簡その1)訳と註(作品社刊) 田川建三訳著
4. 「新約聖書」(パウロ書簡その2)(擬似パウロ書簡)訳と註(作品社刊) 田川建三訳著
5. 「これから『正義』の話をしよう」(早川書房刊) マイケル・サンデル著
6. 「量子の社会哲学」(講談社刊) 大澤真幸著
7. 「徒然草」(岩波文庫)再読 吉田兼好著
8. 「ブッタのことば」(岩波文庫) 中村元訳
9. 「ブッタ最後の旅」(岩波文庫) 中村元訳
10. 「ブッタの真理のことば・感興のことば」(岩波文庫) 中村元訳
11. 「この人を見よ」(新潮文庫)再読 ニーチェ著
12. 「残酷人生論」(毎日新聞社刊) 池田晶子著
13. 「理性の限界」(講談社現代新書刊) 高橋昌一郎著
14. 「流跡」(新潮社刊) 朝吹真理子著

古代人の生きた言葉、考えた、信じた思想を、現代の日本人の言葉に翻訳する—いや、移植すると言った方がいいか?—「新約聖書」田川建三著を読み続ける。正確に、しかも、こなれた日本語で、美しい文章で。翻訳は、難事業であると思う。一度読み、素読の後で、考えながら読み、注釈を読む。簡単な言葉に、数百ページの注釈が要る。途轍もなく、深い、世界である。完訳が期待される。

全共闘運動の先頭に立って戦った、高橋公著「兵どもが夢の先」は、私は、かく生きたという証の書である。団塊の世代必読の書だろう。

テレビで、話題のマイケル・サンデル教授の授業を観た。対話術が、実に巧みな先生である。講師と聴集が、同じ場に立ち、同じ問題を考えて、深化させていく手法は、まるで、ブレヒト効果である。著作を買って、読んでみた。考える中心には、やはり、カントがあった。哲学の核があっての、現実問題への応用である。

「ブッタの言葉」を読んでいると、軽佻浮薄な現代人が、忘れて、見向きもしなくなった言葉が光っていて、胸が疼く。閑かに、ものを考えて、生きるということを失ってしまった人間は、もう一度、棄ててしまった(言葉)に生命を吹き込まねばなるまい。

久し振りに、若い人の小説を読む。「流跡」朝吹真理子著。なつかしい70年代の文学の香りを嗅いだ。ロブ・グリエ、ビュトールなどのヌーボーロマンの時代。フランス文学の伝統。中村真一郎、三枝和子、鈴木貞美、三砂朋子・・・。私も、早稲田文学に「投射器」を書いた。しかし、アンチ・ロマンは、日本の風土では育たなかった。文体、感性とも、申し分のない人であるが、(生きた人間)の声が含まれてくると、面白いのだが。昔の自分を見ているようで、拍手を送りたくなる。足りないのは(労働)か?

「社会学」や「社会哲学」が、何であるのか、詳しくは知らないが、「量子の」という言葉に魅かれて、大澤真幸の本を読んだ。
実は、毎月購入している「群像」で、「<世界史>の哲学」という連載があって、興奮しながら、読んでいる。その作者が、大澤真幸であった。随分とフィールドの広い人で、宗教、哲学、絵画、小説、思想、科学、音楽と、さまざまな分野を、駆け抜けながらある一点にむけて、言葉、思考が展開する、その、スリルが、実に、面白い。
(知)の破綻と(知)の共時性、その二つが、大澤の言わんとすることであろう。ニンゲンの思考は、(数)で(論理)で(存在論)で、特異点に衝突してしまっている。しかし、一人の(考える)と思われたものが、実は、異分野でも、同じようなことが起こってしまう。不思議だ。ユングの(共時性)。
「理性の限界」高橋昌一郎著。この本でも、大澤と同様に、不可能、不確実、不完全性が書かれている。

(知)が破綻しているのに、ニンゲンは、平気でセイカツをしている。(知)とは何か?(知)を語る人の(私)は、(私)自身は、どうなっているのだろう?私は、二人に、訊いてみたい。放り出された読者は、いったい、何処へ行くのか?

最後に、池田晶子の「残酷人生論」が増補、新装版で、出版された。晩年に、探求されることになる、さまざまな種子が含まれている本で、第二の処女作と呼んでも、不思議ではない「考える人」の本である。(書評欄を見て下さい)
今年も暮れた。

読書は、日々の友となった。アフォリズムは、1500本に達した。長篇小説「百年の歩行」は、現在進行中である。世界のアラカワ、荒川修作をめぐるエッセイも、来年スタートしたい。

私は、メールもパソコンも出来ない。メールで感想を送っていただいても、読むことは出来るが、返事が出来ず申し訳ありません。正に時代遅れの男である。
手紙人間であるから、手紙で、感想批判をいただけると、実にありがたい。