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• 火曜日, 11月 02nd, 2010

歌人・福島泰樹と作家・立松和平—
9月22日、約40年振りに、母校・早稲田大学の大隈講堂を訪ねた。
2月に死んだ立松和平を追悼する集いがあった。自決前の、三島由紀夫の講演会を聴いた時以来の再訪である。
『和っぺい母校に還る』「立松和平の夕べ」—である。

1. 映像で偲ぶ 『立松和平 こころの旅路』
2. 短歌絶叫ライブ 『さらば、立松和平』 福島泰樹(歌人)
3. パネルディスカッション 『立松和平という男』
  パネリスト 黒古一夫(文芸評論家)
         福島泰樹(歌人)
         麿赤兒(舞踏家・俳優)
         高橋公(NPO法人ふるさと回帰支援センター事務理事)

今年は、いつ終るのか、先の見えない猛暑日が続き、熱中症で死者が続出して、60余年生きている私の記憶にもない真夏日ばかりで、街路樹や夏草が枯れ、異様な気候に、ニンゲンは、悲鳴をあげていた。

9月22日も、東京では、34度の猛暑日であった。額から汗が流れ落ち、下着まで濡れるほどの熱が充満していた。

受け付けと、開演が遅れて、6時まで、会場に入場できないとのことだった。30分ほど、早稲田の学内を歩いてみた。静かだった。立看板も姿を消して、閑散としており、あちこちに、談笑する学生たちの明るい顔があって、新しい、校舎が、いくつも、空に突き出していた。私の記憶に貼りついているのは、朱と黒の文字が踊る立看、ヘルメット姿の男たち、角棒、笛の鋭い音、喧躁、バリケード、拡声器から流れる、アジテーターの声、熱気と殺気の入り混じった、ぴりぴりする空気。ゲバルト。テロ。リンチ。・・・時が流れた。40年の時間が。

全共闘の時代、「自己否定」というスローガンが、40年たっても、私の中に居坐っていて、早稲田の杜を歩いていると、まるで、昨日放たれた声のように、棘となって、甦ってくる。学費の値上げ闘争にはじまって、原子力潜水艦(エンタープライズ)の入港から、安保闘争(70年)まで、学園は、揺れに揺れた。闘争の火は、全国に広がった。

この場所から、歩いて、約40年。時は流れた。団塊の世代は、企業戦士となり、働きバチとなり、停年をむかえた。

いったい、何をしてきたのか?あの、熱気と騒擾は、なんだったのか?

若い世代からの批判は、胸に痛い。学園で騒ぐだけ騒いで、高度成長を楽しむだけ楽しんで、あなた達は、何を樹立し、何を残したのか?

もちろん、一人一人の、胸に描いた夢と、ヴィジョンが、生きざまの中に顕れているはずである。

私は、自立、共生、あんしんの旗を揚げて生きてきた。小さな、小さな旗であるが・・・。

大隈講堂の舞台に、福島泰樹が起っていた。舞台で、何かが発生していた。
短歌を眼で読むのではない。
眼は、「気」の発生を見ていた。
耳が、歌を聴いていた。
頭は、気となって、放射される(情)に触れて、痺れていた。
歌謡とは、全身で、声と気を放つものだった。

福島が、肉体の復活として絶叫コンサートと叫ぶものは、古代の人が、和歌として謡った、魂の気であった。
おそらく、他の追随を赦さない、このスタイルの発見が、福島の固有の思想を創造したのだ。

私は、全身に降ってくる声の慈雨に、濡れて、情念という、声の塊りに眠っていた私の魂を揺さぶれて、痙攣していた。
おそらく、日常の空間ではない、異空の時間で、私は、感動していた。

見事な芸であった。
ピアノと尺八の伴奏にのせて、朗々と、時空に響きわたる福島の声は、詩人たちの、素人の、はずかしくなるような朗読とは、無縁で、正に、プロとしての絶唱であった。

『バリケード・一九六六年二月』という歌集が、福島の処女作であり、原点である。
なぜ、肉体の復活を唱えるのか、眼で短歌を読んでいた私は、納得をした。圧倒的な声量は、僧として、鍛えられ、魂の風を起こすには充分であった。正に、立松和平の魂を鎮める絶叫コンサートでった。

久し振りに、自分の声で、自分の思想を唱いあげる快感に酔った。感謝である。

懇親会の席で、福島さんが言った。
「君とは、どこかで、会っているよな。」
確かに、どこかで、会っているのだ。記憶の壁をおしあけてみる。

私も、学生時代に「早稲田文学」(第七次)に小説「投射器」を発表した。立松和平は「自転車」「途方にくれて」を発表している。福島泰樹は、編集の立松に頼まれて、短歌を発表している。
みんな、「早稲田文学」から歩きはじめている。そして、今がある。

パネルディスカッションでは、黒古、福島、麿、高橋が、立松和平との出会い、思い出、エピソードを披露した。60年~70年代の風景が、昨日のように甦ってくる話ばかりであった。
「温故知新」である。

人、それぞれに、時代と寝る時がある。青春の作家、壮年の作家、晩年の作家。どの時代に、才能が花開くか、誰にもわからない。
私は、晩年の作家、時が満ちて、熟して、語る人になりたい。

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• 金曜日, 10月 01st, 2010

−幸運な魂の交流−

本書は、歌人・福島泰樹と作家・立松和平の魂の交流の書である。

はじめに、序歌「春の盃」71首が、立松の霊に捧げられている。1970年、大塚での邂逅からはじまって、今年2月、突然の立松の死去に至るまでの、約40年の、立松・福島の交流が、短歌となっている。

「出会いたる70年を想うかな今更ながら春の雷」
「遠雷はいまだ聞こえずわがめぐり立ち去り難くまた吾もおる」

立松の来歴そのものが、福島のやさしい眼によって、(歴史)となっている。友の声である。

第一章「泰樹百八首」は、作家・立松和平が、歌人・福島泰樹の、青春の絶唱を読み解いている。散文家が、歌人の核に迫る時、そこに、どんな火花が散るかが、一番のスリルであった。人に添い、状況を読み、時代を貫く、透明な棒のようなものに、立松の心が触れる。論じる、論じられる関係は、もちろん、真剣勝負である。
二人は、作品を通じて、日常生活を通じて、四十余年、同志として、文学の革命に、汗を流し、お互いに、鼓舞し合うという幸運な朋輩であった。

第三章「俺たちはいま」は、福島、立松の対談である。「早稲田文学」で出合い、出発した二人は、もう九十年代には、振り返るほどの作品をものにしていて、お互いの、創作の急所を、語りあうほどの、作家、歌人としての地塁を築いている。

第四章は、福島による、立松の小説群の分析と評価である。愚直に、青春の、全共闘時代を引き受けて、生きる姿勢とその作品に、福島は、拍手を送っている。

そして、第五章は「さらば、立松和平」 鎮魂の書である。
立松の人柄、交友関係、時代の状況が、史的に語られる。
死者は、すでに、読まれ、語られる者になった。いつも、ニコニコ、決して怒らない、他人の悪口はいわない、真摯な立松和平の立姿が、くっきりと、浮かびあがり、文学の終生の友、福島泰樹との熱い心の、魂の交流があふれている。
お互いが、創造者であり、よき読者であるという、小説家と歌人の、終生の交わりが一冊の本になった。

立松和平は、幸せ者である。語り継いでくれる友、福島泰樹がいるから。
                                                              10月1日                                                                

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• 木曜日, 9月 30th, 2010
1201. 禅は、ベイトソンの「ダブルバインド」に通底している。
1202. ニンゲンは、どの道、破れ去るものだと看破した人は、一瞬の、一日の時間を生きられる。輝やいて。
1203. 頂点にのぼりつめた人には先がない。敗れ去った人には、見果てぬ夢がある。
1204. 毎年、猛々しく緑を誇っていた夏草が、今年は、枯れてしまった。今日は9月1日。真夏日の光が充ちている。
1205. 死んで仏になる。死んで鬼になる。鬼眼とは死者の眼のことだ。
1206. 生かしもし、殺しもする声が同時に来る。いったい、何が、何をしておるのだ。
1207. 無相であって実相。イデアの見える人、見えない人。
1208. ただ、破顔の人を見た。意味を求めてはならぬ。
1209. (私)の中にあるから、外で発見される。
1210. 読むことは、読むことではない。読むことは、考えることである。
1211. アフォリズムは、言葉の原子核だ。
1212.宇宙での、絶対的な、生の一回性の現象である(私)がいる。いつも、出発は、そこからだ。
1213. 肉は悲しと、ニンゲンの身を嘆いてみたとて何になろう。存在の、変容の、夢くらいは語ってみようよ。
1214. 荘子の、存在への畏怖と、ニンゲンへの哄笑は、もっと、もっと、学ばねばならぬ。
1215. 壊れかけたニンゲンが叫び声をあげている。視ろ、その人を。何か言ってみろ、叫び声と同じくらい重い、言葉で。
1216. 近頃は、ニンゲンのもつ自由度ということばかり考えている。
1217. ゴルフには、百点満点というものがない。まるで、人生と同じだ。
1218. 強さに加えて、やさしさの裏打ちがあれば。
1219. 極悪人は、決して、他人の立場に立たない。
1220. 評価の極意は(無私)
      創造の極意は(憑依)
1221. ツイッター(呟き)ではありません。アフォリズム(イデア)です。
1222. モノが裸になっているのに、その丸だしのモノが見えない人がいる。
1223. 伝え得ぬものを伝える人は、いったい、どうして、ソレを伝えているのか。
1224. アフォリズムも、そろそろ、現象から、イデアへと踏み出すべき時である。
1225. 心の高さだけは、いつまでも求め続けたい。
1226. 欲しいものがない子供たち。そんな国が、どうして、貧しいのか。
1227. 沈む国、傾いた国、さて、そんな国で、どのように生きていくか。
1228. ビジョンをもたない権力者ほど始末にわるいものはない。
1229. 無能は、ほぼ罪に等しい。人の上に立つ限りは。
1230. 政治家は、その国の、国民のレベルで育つものだ。
1231. 白紙の風景。何もないことの快感。解放と呼吸。
1232. 夢が告知する、明日の姿。で(現実)を修正する。
1233. (私)は、まだ、(私)の使用法をよく知らない。ニンゲンの眠っている能力を、使い方を開発しよう。
1234. 気がつくと、与えられていた(私)の条件の中で生きている、条件を破ってでも、生きてみる。
1235. 原子の幽霊たちが宇宙を漂流していおる。
1236. ニンゲンの手に負えないものがいっぱいある。大火事、大地震、大洪水、大津波、大噴火、阿呆ども。
1237. 「神は死んだ」と言うから、誤解が生じる。「神は爆発した」と言えば、どうか?
1238. (私)の生涯は、ひと踊りである。(A)
      (私)の生涯は、暇つぶしである(B)
1239. 開けておけ、(私)を。
1240. (私)を閉じる人は歩いていない。
1241. 力は、いくらでも眠っている、(私)の中に。
1242. 身体の、数兆の細胞が眼をあけている。覗いてるのは、億という時間だ。
1243. 30万人目の(私)である。15万人の父。15万人の母。200万年間に、15万回の接合。本能、恐るべし。
1244. ニンゲンは、生命波である。実の波が生、虚の波が死である。もう、30億年も続いている生命波のひとつが(私)である。
1245. 眼の見方に慣れすぎると、見るという多様性を損なってしまう。
1246. 暑い、暑いと唸っていると、夜の闇の中に、虫の声が響きはじめた。今日は8月13日。
1247. 爆発しては、鎮まり、鎮まっては、爆発する。静かな時間は、少ないものだ。
1248. どんなに小さくても、
      どんなに貧しくても、
      どんなに歪んでいても、
      (私)のスポットは必ず要る。
      零の場には、人は立てない。
1249. 超えてはならないのが境界であるが、必ず、破壊して、跨いて、戻れなくなる人がいる。
1250. 高次の心には、夢が来る、幻が来る、死者の声が来る、魂が来る。宇宙と共振れしている無意識が。
1251. 一番はじめの、ニンゲンまで逆のぼってみよう。(私)の元型。
1252. 少年時に、無意識に書いたものが、暗号としての、曼荼羅であったとは。
1253. 分類にも、解明にも、探求にも、飽きた精神が、今は、ただ生きている。暇な時間を食べながら。
1254. 場に呼ばれている。歩くと、風景に巻き込まれて、折りたたまれる。
1255. 最近の政治家は、(国益=正義)を錦の御旗にする。なぜ、ニンゲンはと語れないのだろうか。視線が低すぎる。
1256. (私)は幽霊である。考える幽霊である。
1257. 西、東、北、南と空を見る。空の貌はひとつだと思っていたが、見る方角によって、みんなちがう。
1258. どうせ、ひと踊りして、消えていく身だから、踊りくらいは、自由にさせてくれ。
1259. モノを持つということが、どういうことであるのか、だいたいわかってきたのに、TVのコマーシャルは、もっと買え、もっと消費しろと、PRばかりだ。
1260. 呼吸もキレギレ。思考もキレギレ。モノとコトもすべてが、キレギレに、存在している。
1261. また来た!!何が?声になりたい声が。
1262. 言葉の外にある、と言葉でいう不自由さ。
1263. 普通に生きている、とニンゲンが思っている次元よりも、おそらく、心は、はるかな高次元へと行ける。
1264. 存在・物質の核となるところで、心は、その原子と結婚して、共揺れできる、ダンスができる。
1265. 若い頃、ある日、突然、会社へ行く意味(理由)を見失って、ふらふらと、一日、新宿の街を歩いていた。眩暈のする歩行だった。
1266. 真剣勝負の、対話、文章を教えてくれたのは、秋山駿であった。考えること、書くこと、生きることは、等価であると。ゆえに、(文章は、私である)と。
1267. 成長するに従って、ニンゲンの視界はひろがって、神の視点に立つことは出来ないが、心を高次の状態へと導くことは可能だろう。
1268. 重力と引力に抗って、抗って、生きている。光を求めて、闇に魅かれて。
1269. (私)をどこまでも堀り続けると「宇宙」になる。遠くまで行かなくとも、一番遠いところまで行ける。
1270. 夫婦喧嘩の9割までがお金をめぐるものだった。貧乏は、罪と悪を産む。そして、不幸を呼ぶ。
1271. 60億人のニンゲンが、勝手に、地球を汚染している。もう、地球は、悲鳴をあげているのだ。愚か者は、誰だ!!
1272. やはり、文章にも、器量がある。
1273. 日々の生活は、平凡である。しかし、一歩、生活の中に足を踏み入れると、誰の(現実)も、コトとモノが氾濫して際限がない。平凡も、どうやら、一筋縄ではいかぬ。
1274. 知っているのは、生きている(私)の、身のまわりのことだけだ。(私)は、毎日、アレやコレやを切り貼りしている。
1275. 吸う、吐く、呼吸も思考も同じことだ。空気が情報に変わるだけで。
1276. 夏の、熱い中に、(私)が溶けだしている。水を失なって。
1277. スポットに入ると、もう、そこは、無限思考の世界である。外部世界が消えて。
1278. 何時間でも、何日でも、黙って(私)と、踊っている。沈黙の対話。
1279. 時空に刻むしかない。何を?ニンゲンという存在を。
1280. (私)は、いつも宇宙の通行者であった。
1281. 風景も場も、時間を呼吸している。
1282. (私)という形が続く限り、(私)を使用する。たとえ、時間潰しでも。
1283. 暑さのあまり、精も根も尽き果てる。眠っても、眠っても、起きても、起きても、真夏日の、朝である。夏草も枯れて。
1284. 書くことで(私)が変わらねば、その作品は、必要ではない。墓地。死者たちへの回路。
1285. (おいしい)には、いつも、死の匂いが貼りついている。
1286. (食べる⇔食べられる)【表】
      (殺す⇔殺される)【裏】
      生きものたち(ニンゲンも)は、【表】と【裏】を生存の原理として、生きている。
1287. (食べる)のに、善も悪もない。ただ、食べたいだけ。(本能)
1288. 生きものを食べるのは(悪)である。(とニンゲンは思っている、感じている)良心。
1289. 生きものを食べるのは(善)である。(とニンゲンは、自己満足している)生命として。
1290. 馬はサクラとして食べ、鳥はカシワとして食べる。
1291. ニンゲンは、生命波である。波は、無限に連続して、生起しては、消える。そのひとつの波が(私)という生命波である。見える波(生)見えない波(死)が交互にねじれて、存在の地平線に押し寄せている。
1292. (私)に至るまでには、10万人の父、10万人の母がいる。生命の系統樹。つまり、生命波。
1293. 言葉が(現実)にとどかない。しかし、絶句、沈黙している場合ではない。そういう時が、必ず、ある。見たこともない、誰も知らない、(彼岸)の言葉でも語りたくなるのは、そんな時だ。
1294. 閑かだ、暇もある。たっぷりと文学ができる。一切の文句はなし。
1295. 外へも出られず、内にも居られず。
1296. 「人生の決算書」。そんなものを書く年齢になったのかと、深い溜息。
1297. 99パーセントのニンゲンが「人間原理」の範疇で生きているだろう。「宇宙原理」をも、生きてしまいたい、不可能へと挑戦したい人は1パーセントに充たぬだろう。
1298. セイカツ第一と唱えながら、生きてしまうニンゲンである。(私)は、そのまま、仕事という名前になる。
1299. 「時空」の、在る無しは、「私」の生と死と同じレベルの不思議である。
1300. 「良い」それで良しという哲学があれば、すべての問題が、その「良い」という形のもとで解決される。
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• 木曜日, 9月 30th, 2010

1. 「数学史」(岩波書店刊) 佐々木力著 定価15,000円(919ページ)
2. 「世界史の構造」(岩波書店刊) 柄谷行人著
3. 「1968」上・下巻(新曜社刊) 小熊英二著 定価6,800円
4. 「養老天命反転地」(毎日新聞社刊) 荒川修作 マナドリン・ギンズ:建築的実験
5. 「「悪」と戦う」(河出書房新社刊) 高橋源一郎著
6. 「見えない音・聴こえない絵」(新潮社刊) 大竹伸朗著
7. 「既にそこにあるもの」(ちくま文庫刊) 大竹伸朗著
8. 「アンフィニッシュト」(文春文庫刊) 古処誠二著
9. 「文土の魂・文土の生魑魅」(新潮文庫刊) 車谷長吉著
10. 「ヒトはどうして死ぬのか」死の遺伝子の謎(幻冬舎新書刊) 田沼靖一著
11. 「私の作家評伝」(潮文庫刊) 小島信夫著(782ページ)
12. 「荘子」中国古典選12(朝日新聞社文庫刊) 福永光司

人間の使用する(表現)にはいろいろある。
言葉(文字)(声)、数、数式、絵、写真、彫刻、舞踏、建築、映画、音楽・・・。
言葉は「自然言語」である。日常生活から、文学、哲学、芸術に至るまで、(言語)なしには考えられない。
しかし、「自然言語」では、決して、表現できぬものがある。クオーク、素粒子から宇宙の法則まで、数、数式による表現が、もっとも適している。
(数学)は、中学、高校時代から、嫌手である。
なぜ?(数)を(私)=(存在)に対して、上手く、結びつけて、(考える)ことができなかったのだ。
しかし、「零の発見」や「超数学」を読んでみると、これが、なかなか、面白かった。
「フェルマーの最終定理」は、読んでいて、ニンゲンの、精神の歩みにゾクゾクした。
で、(数学)が、中学生くらいしかわからないのに、「プリンキピアマテマテイカ序論」(A・N ホワイトヘッド B・ラッセル)などを嚙ってみた。
「数」について、「数学」について、少しは、勉強してみたいと思って、もう、60歳を過ぎているのに、「数学史」を購入した。世界の、古代から現代に至るニンゲンが、「数」について、どこまで考えたのか、知りたくなったのだ。
まったく、我ながら、おかしくて、仕方がない。
嫌手の(数学)が、どうやら、面白くなってきた。晩学のすすめではないが、「数」と「人間」が頭の中で、ぴったりと結びついてきたのだ。
しかし、数学者たちは、(数)でものを考えるのだろうか?あるいは、考えるのは、やはり言葉で、(表現)が(数)ということになるのだろうか?

「1968」は、「全共闘」運動をめぐる研究書である。私自身、団塊の世代と呼ばれている年代に属している。正に、「全共闘」そのものであるから「1968」年が、研究される「歴史」になってしまったのかと、感慨が深い。
私自身に関係の深い、母校「早大闘争」第6章を読んでみた。青春の真っ盛りの、蒼白く、やせた、学生たち、(私)、仲間たちの群像が、事件や事故や現象となって、追体験できた。もう、40年ほどの時が流れた。
私のライフワーク「百年の歩行」の第二部で、「全共闘」は扱わざるを得なくなるだろう。
「1968年」は、その為の、資料である。
何にしろ、上巻が1091ページ、下巻が1011ページである。単行本にすると、一冊500~600枚として全10巻になる書物である。大変な労作である。
”歴史は、私の中にあり” 誰もが、そう思っているだろう。

夏の盛りに、岐阜県養老町を訪問した。もちろん、荒川修作の作った、「養老天命転地」を体験するための旅であった。死者との対話。(後で、エッセイ、紀行文を書きます。)

画家、大竹伸朗のエッセイ集を読む。現代の表現者、画家は、「荒川修作」の存在を、どのように、考えているのだろうか?

小島信夫「私の作家評伝」 昔の本を、本棚からとりだして読みはじめたら、面白くて、面白くて、728ページ、一気に読んでしまった。

「孔子」や「荘子」や「老子」の、つまりは、東洋の知を、もう一度、ゆっくりと考えてみたい。

そうか、「文学」を棄てた柄谷行人は、やはり「世界史の構造」へと至るのか!!
孔子や荘子の生きざまと、発言と、論理と柄谷行人を読みくらべてみると、ニンゲンの時間の幅が見えてくる。
人は、どれだけ、遠くまで来たのか!!

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• 金曜日, 8月 06th, 2010
1101. 幻の手で、平手打ちを受ける。音が華になる。
1102. 思考の交配は、多種多様であればあるほど遠くまでゆける。
1103. 原種の形がなくなるほどに、混合されると、とびっきりの思考・思想が生れてくる。
1104. 石と水と空気が結婚をする風景。まだ(私)がいない原初の時。
1105. 決定する、断定する人たち。受け流し、あれもよし、これもよしとする人たち。
1106. 2がある。3がある。5がある。ゼロと1とで完成する(体系)
1107. ふらふらと、立ち寄る場所があるうちはいいが。
1108. 一番沈黙しているのは、やはり、あの人だ。
1109. 語らない人の前に出ると、どうしても、語らされてしまう。本当に、語っているのは、どっちだ!!
1110. 男と女しかいないから、女のことばかり語りたいがる男。男のことばかり語りたがる女。やれやれ、第三の性があれば、どうなったことやら。
1111. 盃を受けて、義兄弟の契りを結ぶ日本人。グラスの酒を呑み干しては、お互いのキンタマを握り合って、親交を確かめるロシア人。美学にも、いろいろあるものだ。
1112. いつのまにか、色褪せた真善美
      いつまでたっても輝いている偽悪醜
1113 道端の、石ころ、花々、草までが、7月の光の中で、存在として、輝いている。光の暈。
1114. お前は、ずっと、同じ音ばかり出している。たまには、転調してみたらどうかね。
1115. 君子の交わりは、適度な距離と時間。淡く。足を踏み入れれば、必ず、修羅場。
1116. 急所も、短所も、弱点も、すべて、摑られているから、音を上げるのは、亭主だ。
1117. 外では紳士。内では暴君。よくある話だ。
1118. 光子の声が響いている。
1119. 時間よ、あなたが爆発したから、(今・ここ)から脱出は、不可能になった。
1120. 居ても、居なくても同じ、無限の中の歯ぎしり。
1121. 水から来たものが水へと還る。何の不思議がある。
1122. コトとモノが、自然に、(私)に馴染む日は、もう、それだけで、うれしいものだ。
1123. とにかく、言葉の杖を借りねば一日がはじまらない。
1124. もう、2万日の朝を経験したが、朝と上手く握手できた日は、ほんのわずかだ。
1125. いつも、機嫌のいい人の、心の自己管理は、おそらく、おそるべき努力の賜物だろう。
1126. 閉じていく生は、歩行の減少に正比例する。
1127. モノもコトも、溶けて、流れ出している(私)から。で、(私)は在る、居る、生きていると呟いてみせる。
1128. 老いてこそ、(私)を棄てる境地へと、(私)の言葉が成熟せねばならぬのだが。
1129. 身体の日々の衰弱が、決して、思考の衰弱であってはならぬ。
1130. 形式を熟知して、崩してこそ、面白い味がでる。
1131. 体調が崩れると、思考の色合いまで変わってしまう。
1132. 国も、会社も、数値を、目標を設定するから、ニンゲンを縛りつけてしまうのだ。しかし、指針がなければ、動かないのも、またニンゲンである。
1133. 元気が第一だと、走り続けている人の耳には、案外と病者の声はとどきにくいものだ。
1134. 崩れっぱなしを知った人は、不用意に、言葉を発しない。
1135. 夢を描くだけ描いて、頓挫する。孔子・聖人と呼ばれた人も、敗れ続けた。
1136. 目標も持たず、ただ、生れてきたから。飄々と生きている人がいる。充分ではないが、不満足でもなさそうだ。
1137. 身の丈に合わぬことは、一切、考えない。(現実)だけを、黙って、生きている。
1138. 2000億個の銀河に誘われて、踊っている、コズミック・ダンスを。
1139. 漂流、難破は、ニンゲンの常だ。宇宙には、港が、少ないから。
1140. 蝉は、木の皮に止まっている。ニンゲンは、時空に浮かんだ存在の皮に止まっている。
1141. 恥もかく。放心もする。(私)を持続するために。(私)を実現するために。
1142. 夏になると、考える。
      1. 死後のこと(他界)
      2. お化けのこと(幽霊)
      3. 宇宙のこと(銀河の彼方)
1143. また会おうねという声の深さに躓いて。
1144. さようならの時が来た。さあ、無限者へ。
1145. 沈んで、沈んで(私)が私の中へとどこまでも落下する時、モノの重さよりも重いものが、(私)の中には、在る。
1146. 宇宙の投げかけてくる?には、限りがない。で、いつまでも、ニンゲンは、応答せねばならぬ。
1147. 水さえあれば、ニンゲンは、7日も10日も生きられる。クマムシは、水さえあれば、仮死?から再生できる。
1148. ニンゲンが、考えるよりも、存在の形態・在り方の方が、もっと深いことかもしれぬ。
1149. 生きたり、死んだり?死んだり、生きたり、この自由自在なクマムシの在り方は、ニンゲンの死生観を見事にうち破ってしまう。
1150. 誰にでもわかる、それが一番いい言葉だ。
1151. かつて、心に響いた言葉が、今は、素通りしてしまう。
1152. 四畳半のリアリズムから、無限大宇宙のリアリズムまで。言語の強度が試されるのだ。
1153. 存在の発条に思考の発条が、どこまでもついてゆけるのか、それが勝負だ。
1154. また落ちた。青い柿の実が。庭に、ニュートンが立っている。
1155. モノを動かしてみる。コトを起こしてみる。その時起きる風のようなものが、思考である。
1156. 眺めても、眺めても、崩れない文章の確立の夢。
1157. 意識・近代的自我など殺してしまって、無とともに浮遊する。
1158. 漱石は「則天去私」荒川修作は「天命反転」。天とは、宇宙の法であろう。従うにしろ、背くにしろ、(私)は未知のまま。
1159. 否(私)ではなくて、非(私)へと移動する。肯定でもなく、否定でもない。
1160. (私)は、私の心臓が、はじめて、コトンと動いた時の、その音を、思い出そうとした。で、その音が、私のどこに存在しているのか、記憶の、いや、脳ではない、もっと別の、音の残響を探しはじめた。
1161. 電子として、飛び交うパソコンの中の、電子言語のすべてが、情報という訳ではない。やれやれ、探せば、いつでも、便利に、情報が手に入るという、錯覚。
1162. 遊びはおもしろい。仕事はおもしろい。生きるのはもっとおもしろい。誰か、確信に満ちた声で言い放ってやれ。
1163. 否定につぐ否定、悲観につぐ悲観、それでは、誰でも参ってしまう。トリックスターよ、歌って、踊ってくれ。
1164. 声の調子がちょっとかわるだけで、心は充分に明るくなる。
1165. 生きている存在だけが、生きていることなのか?死者たちが存在しているのは、生きていることではないのか?生きていない者たちは、生きてはいないのか?(存在の形ということ)
1166. 無限小から無限大まで、その幅は、ニンゲンの日常生活を超えてしまう。だからといって、無視できるものではない。発見してしまったものは、存在し続けるから。
1167. (私)は、無限個の零の後に現れた1のようなものであっても、コズミック・ダンスくらいは、踊ってみせる。
1168. (私)の声に(私)が応えている。(私)が考える(私)に応えている。結局、その運動が、(私)を成立させている。
1169. 視えないものも在る。ないものも在る。問題は、ないという在り方だ。(ブラック・ホール?)
1170. わかっていない人が、わかっているように語っていると、どういう訳か、すぐにわかる。蒼ざめたまま、立ち尽くせ。
1171. 30億年という時間を体験してみようと、(私)は、深夜に、時空を超える旅へと出発したが・・・。
1172. 言葉は、いつも、時代が呼んでいる。
1173. (私)が無私に至れば、声は自由だ。
1174. 狂的ですらある。ニンゲン。
1175. 「食べる」は、善であり、悪でもある。
1176. 「耳鳴り」妙な言葉である。(私)が発した音に私が不快になる。
1177. また一人、死者からの音信があった。真夏日の葬式。
1178. まだまだ、宇宙は、ニンゲンの手には負えない。
1179. 言葉が裂ける。叩き割られてしまう。そんな時には、沈黙で、対抗する。
1180. 夏。光。熱風。なぜか、遠い、遠い日のことを思ってしまう季節である。汗の中で。
1181. 地図上に作られた迷路は、所詮、迷路である。決して、迷宮ではない。
1182. あかあかと輝く夏の太陽の下、炎天下に、「奥の細道」結びの地・大垣を歩く。俳聖の影を踏みながら。
1183. 黄昏から真夜中の闇まで、(私)を通りぬけていくものを、凝っと見ている。誰そ彼と。
1184. 40度近い猛暑が2週間ばかり続いただけで、(考える力)をもって、生物たちの頂点に君臨しているニンゲンも、ポロポロ、ポロポロ死んでしまう。クマムシは、150度の熱にも、真空にも、宇宙線にも、6000気圧にも耐えられる。やはり、地球の最強の生きものは、ニンゲンではなく、クマムシである。
1185. 立ち去る人の限りなくて、魂であふれる地上に立ちつくしている。
1186. 白紙には、アフォリズムがよく似合う。
1187. 何?何?何?耳が視てるよ。
1188. 不死の場はない。場も死ぬから。
1189. (私)は特別な生きものではない。ただ不思議なだけ。
1190. 長い間、(私)を納得させる、たったひとつの言葉を探している。あれでもない、これでもない。
1191. 政治家の質の劣化を嘆くよりも、政治家の発する言葉の劣化を嘆きたい。
1192. 宇宙の夜は、いつまでたっても夜のまま。銀河の煌めきだけが、闇の中の花である。
1193. 生命はすべて光の子。光が呼吸しておる。
1194. 暗黒星雲。光らない星。光るのが星。いいや、暗黒に横たわる星雲こそ、すべての、存在の母かもしれぬ。
1195. ソーメン。冷やし中華。アイスクリーム。三点セット。毎日毎日、舌が、胃が要求をする猛暑の夏の、食べものである。
1196. 熱が脳を溶かしてしまう夏。水が(私)から蒸発してしまう。歩いているのは、いったい、誰だ?
1197. 炎天下、生命の巾が見えてしまう。
1198. わいわい、ざわざわ、がさがさ、いったい、何をしておるのか、誰も、本当のことを知らない。
1199. せめて、死ぬ自由くらいは残してくれ。万能細胞よ!!
1200. 忍耐の限界が来て、自爆する者たち。音以上に、存在が、軽くなってしまう。耐えられぬ。
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• 水曜日, 7月 14th, 2010
1001. ニンゲンというサナギは、(私)になって、脱皮し、透明な蝶となって、宇宙へと飛んでいくとでもいうのだろうか?(原子の夢)
1002. (私)を生きるという不思議と不自由さからは、誰も自由になれない。
1003. 生きるというスタイルも、考えるというスタイルも、時代とともに移り変わる。当然である。しかし(私)を生きる以外に、ニンゲンには方法がない。
1004. (私)の壊れていく音だけが確かな日々である。
1005. 分解されなければ再生もあるまい。
1006. 毎日毎日(私)を洗濯しているが、なかなか垢は落ちないものだ。
1007. フォームを固定しようと思うが、形は、いつも、流されてしまう。
1008. 「同行二人。」歩くのは一人ではない。いつも、あの人と一緒。
1009. 頭の中の宇宙は、ニンゲンを破滅させるに充分な爆弾でもある。
1010. そうか、零(ゼロ)から1を証明したニンゲンがいたか!!ないからあるへ。あるからいるへ。
1011. 無限に触れてしまうと、いつも(私)は闇の中で痙攣する一匹の虫になる。暗愚。
1012. ニンゲンが発したはじめの言葉は、いったい何だったのだろう。「はじめに言葉ありき。」で、その言葉は?
1013. (死)の可能性よりも、(死)の不可能性の方が、完全なものかもしれない。
1014. ニンゲンは、「人類」を発見したが、人類としては、生きて来なかった。
1015. 呼吸をする。あらゆるものが、呼吸から来る。
1016. やはり、体験だ。数式で表現された宇宙を、ニンゲンは、体験できない。誰にも。(私)を通過する宇宙は、体験できる。誰も。
1017. 一番の科学は、本当に、数学だろうか?数学もまた、数学の中で、自己崩壊しはじめた。
1018. 言語がニンゲンを表現するのか、言語が表現したものがニンゲンなのか?
1019. (決定)の不能は、天才の頭脳を破壊する。
1020. まったくの、無関係のものたちが呼応する不思議。
1021. 「Aでもあり、Bでもある」には、ニンゲンは耐えられない。
1022. 中国の色、インドの色、ヨーロッパの色、アメリカの色、取り除いたあとに、残った日本の色とは、何だろう。日本の原色。
1023. 混沌は混沌のままに。決して、そこから、原理や論理をとり出さない。必ず、ちがったモノになる。
1024. ホッと一息、我を忘れて。遊魂へ。
1025. 無常。あわれ。悲しみ。心は、いつも、同じところへと帰っていく。千年経っても。
1026. アフォリズムは、思考よりも、自由で、しなやかで、未分化で、言葉は、ほぼ、モノそのものであるから、面白い。
1027. 心が強い時は、一人で大丈夫。心が弱い時には、他人を呼んで。
1028. アッ!!黒い煙になった父。焼場の、茶褐色の煙突から、父がモクモクと出て来て空に消えた。
1029. 豚が、牛が、馬が、魚が、鳥が、ある日、突然、意識と心をもって「もう、これからは、私たちを食べないでくれ」とニンゲンに言った。
1030. (私)は(考える)と思っている。ニンゲンは、ソレがどこから来たものか、知ることがあるのだろうか?
1031. ニンゲンは、生きに生きて、四苦八苦して、なぜ、まだそのうえに、(浄土)まで求めるのだろうか?
1032. バッハの無伴奏パルティーターを聴いていると、いつも、無限に触れる。まるで、永遠に交わらぬはずの平行線が、ひとつの音の中でスパークして、火花が砕け散るみたいで。
1033. 生きている。死んでいる。いったい、どういうことであろうか。祖母は、毎朝、死者たちに、仏さまに、ご飯を捧げ続ける。
1034. 循環する水は、何千回も、何万回もニンゲンを通過している。
1035. 孤立無援で生きた池田晶子の、魂の声が、死者となっても、鳴り響いている。
1036. アフォリズムは、未成熟の、未分化の、未結晶の、存在の声を放射する。
1037. ニンゲンは、平気で、嘘も、間違いも生きてしまう。学習しながらも。
1038. 心の中に、一人か二人、大切な人を棲ませておくと、心は充分に、豊かになる。
1039. はっきりと、(顔)という言葉と、実体があった時代は、もう帰って来ない。
1040. ニンゲンの意識というものの作用の仕方が、存在のあり方である。つまり、現象は、意識のかたちだ。
1041. 身ひとつ、なんとか起っていられるようにさえなれば、今度は、歩けない人の声に耳を傾けて。手を伸ばして。
1042. どうにもやり場のない思いは、「文学」にしかならない。哲学も、政治も、経済も役に立たない。
1043. 怒りが、怨みが、渦となって押し寄せる。ニンゲンの顔は、真っ暗である。それが、見える人、見えない人。痛い。
1044. 最近、微かに、遠くから、音楽のような音が流れてくる。首を振って、耳を澄ますと消えてしまう。幻聴?いや、ちがう。では、いったい、何だ?
1045. 思考の目が粗いときには、(考える)ことをやめて、ただ放心して歩く。
1046. 5歳までの子供は、動物であり、植物でもあり、水でもあり、空気でもあり、とにかく、ひたすら、ニンゲンへとむかっている不思議な存在である。自由自在に時空をとびまわっている。
1047. 心が、自然に、動くということは、とても、不思議なことである。
1048. 思考のチックが出はじめると、(私)の崩壊の予兆である。危ない。
1049. (種)の爆発から来た(私)は、いつまでも時空に、宙吊りである。
1050. 他人(ひと)が他人のうちに棲む。よくよく、考えてみれば、おかしなことだ。
1051. 雑踏に足をふみ入れると、確かに、人が波に見えてくる。眩暈がして。
1052. 会社は、誰のものか?という声があった。社長、株主、従業員。問い方が間違っている。会社を構成しているのは、誰か?と問えばいい。
1053. いつも、散歩をする道を、逆方向に廻ってみた。風景の貌が、まったくちがって、うろたえている眼があった。歩行の再発見。
1054. 偶然の宇宙の顕現、偶然の生命の顕現、それでは、ニンゲンの科学は、我慢ができまい。赦せまい。歯ぎしりをして。
1055. カンブリア紀の生命の大爆発で、光に会い、「眼」が出現した。(考える)は、いつ出発したのだろうか?
1056. 狂的なものがない思想は、思想の名に価しない。当然だ。(考える)ことは、兇器でもあるのだから。
1057. なぜ、ニンゲンは、〇(えん)を美しいと感じるのだろうか。始まりもなく、終りもなく、しかも、厳と存在している。完全な円は、ニンゲンの原型を象徴しているとでも言うのだろうか?
1058. ニンゲンは、そうやって、いつまでたっても、争いに明け暮れている。もう、21世紀だというのに。
1059. 「ささいなこと」を唇を突き出して言う。相手の顔が尖っているから、ついつい、語気を荒げて、応答してしまう。あ~あである。
1060. 神話の時代には、神話という宇宙を生きた生身のニンゲンがいた。
1061. 水の質量に圧倒される。世界へとつながる海だ。
1062. 愚痴を聴く。嘆きを聴く。啜り泣く声を聴く。不幸な人の隣にいると、どんな声でも聞き入れてあげなければならない、大きな器と丈夫な耳がいる。
1063. 怨念で生きている人もいる。辛い。その声は、心臓に棘となって突き刺さる。存在が割れてしまうほど。
1064. ニンゲンは「生存競争(パワーゲーム)」だけで、生きるものではない。弱者、病者、貧者を支援する心性もある。
1065. 生命の芯が細くなっている。はっきりと、眼に見えるから不思議だ。
1066. だんだんと、我慢性がなくなっている。結局、残るものだけが残る。
1067. 40年間、寝に帰るだけの(家)が、毎日毎日厳として眼の前に在る。外の(私)は、外が似合うのだ。
1068. 濁って、淀んで、混っているニンゲンだから、一瞬の、透明な清涼が身に沁みる。
1069. 一言で終る話を、蜒々と一時間も、話をする人を見ていると、もう、あきれるを通りこして、それも、ひとつの能力かと溜息がでる。
1070. 余分も、無駄も、すべてきれいに、洗い落として、さて、どうするものか?やはり、香りがない、味がない、無味乾燥だと文句を言ってしまう。
1071. 見たもの、考えたことは、すべて、ニンゲンの方法である。ニンゲン以外の者が、別の方法で見たり、考えたりすると、まったく、異ったものが出現するだろう。従って、在る、無いは、もちろん、確実で、絶対ではない。
1072. あ~あと宇宙は欠伸。ニンゲンは、必死で、その欠伸の意味を探ろうとするのだが。
1073. 光を、マイクロ波を、あらゆる宇宙線を、全身に浴びて、ニンゲンは応答しておるのだ。
1074. 何をしても、カラカラ、空虚である。存在のピンチだ。
1075. 声も文字もとどかない。五感も一切役に立たない。存在が、ただ、ごろんと転がっている。見放されて。時空の外へ。
1076. いったい、ニンゲンは、宇宙が、どのように始まって存在していれば、満足するのだろう?
1077. H2Oの冒険は、ニンゲンの冒険である。
1078. 巨きな、巨きなものから、ソレは送られてくる。(私)は、思考よりも精妙な気配で、気がついている。しかし、まだ、ソレに、確かな名前を付けられない。心は感じているが。
1079. 意識はあらゆるものを追う触手だ。コトとモノ、気分と気配まで一撃で捕える。
1080. 脳内物質が、コトを決めるというが、コトが起こるからソレが分泌される。で、コトを起こすのは(私)である。分泌されるソレが(私)を決める訳ではない。(薬とは何か?)
1081. 「キレイに洗濯して、元の職場に帰して下さい」と人事担当者は言った。その環境・条件のもとで、ウツになったのだから、人を、モノのように考えて、洗濯をして、元の会社に戻しても、無理だと医師は云う。田舎の実家で、農業の手伝いをする。そこでは、充分に、ニンゲンとして生きている。ニンゲンの閾。
1082. 知ることがなければ、見ることではない。
1083. 幼年時代を、少年時代を、思い出しているのではない。(今・ここ)という時間の中で、(私)は子供を生きているのだ。
1084. 夏の、緑の稲穂の下に、光っている水が見える。なんという輝きかただろう。「おーい、田に、水をやって来い」父の声。
1085. 風に揺れる稲穂を眺めていると、どういう訳か、(人)が遠くなってしまった。
1086. 「子供に、お金のこと言うても、しょうがないやろ」母の声に、父の顔が見える。放心。貧乏。
1087. 二歳、四歳、六歳、三人の孫と遊ぶ。三姉妹は、もう、完全に、固有の資質をそれぞれが発揮している。
1088. 夜の樹木には、深い孤独の気配が漂っていて、風が吹くと、樹木の声が闇の中に流れて消えていく。真夜中の、木との対話は、数億年の記憶に火を点ける。
1089. 何かをやっておるのか、させられているのか、見当がつかぬ領域に侵入する。迷っている。
1090. 生きている、生かされている。ソレが(私)だというので、生き続ける限り、自分で、面倒を見なければならぬ。深い、深い溜息をつきながら、やれやれ、と。
1091. 「聖書」をすべて読まなくても、「コーラン」をすべて読まなくても、「仏典」をすべて読まなくても、ニンゲンは、信仰心をもって、信者となる!「声」に導かれて。論理家には耐えられない。
1092. 哲学者・ヴィトゲンシュタインは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を50回通読したと云う。
1093. 「種」の爆発が「私」である。
1094. 裸でいる感覚は、いつも、無限の宇宙に晒らされて、孤独を生む。
1095. 小説は、人間原理(生命)と宇宙原理(存在)の二つが、同時に語られる時、最高のものとなるであろう。
1096. 死と発狂を恐れていては、「宇宙という書物」にはとりかかれない。
1097. 直観と洞察と持続。今、(私)に必要なものは、そのくらいだ。気配のゆらぎまで視る。
1098. 隠遁者も、宇宙からの音信は聴いている。
1099. 来る声すべてを響かせよう。(私)という球体で。
1100. 善・悪の区別は、誰にでもある。(良心)。人間原理だから。しかし、宇宙原理は、善と悪の彼岸にある。(心の消滅)
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• 火曜日, 7月 13th, 2010

還暦をむかえて、人生の、コペルニクス的な転回を計った。

22年間、わが子のように育てあげてきた(会社)をM&Aによって、他人に、譲渡した。自立、共生、あんしんというコンセプトで、全国で、ビジネスを展開してきた。家族の為、社員の為、顧客の為に、疾走する日々であった。

(私)自身の為に生きよう。残された時間を。そう覚悟を決めた。横へ、横へと生きてきた人生を、今後は、垂直に生きる。

つまり、ビジネスの世界から、文学の世界へと戻って生きる。いつか来た道へと。

25歳の時、長篇小説「風の貌」を上梓した。そして、私的な理由で、文学から離れ、筆を絶った。

長い、実に、長い、サラリーマンと経営者の生活が続いた。

その間、まだ「文学」は、埋火のように、私の中に存在し続けていたのだ。

「ビッグ・バンの風に吹かれて」
「死の種子」
「○△□」
と、小説を発表した。しかし、経営と執筆は、容易に、両立しない。使用する頭がちがうのだ。

還暦を過ぎて、今まで、頼まれて書いたものを、「歩いて、笑って、考える」という本にまとめあげた。

さて、本気で、ライフワークの完成に全力をあげる時だ。

(純文学)を志向してきた(私)にとっては、最高の表現に達したい、一歩でも半歩でも、ドストエフスキーに近づきたい、その思いは、昔も今も、変わらない。

様々な場面を生きていた分だけ、若い頃よりは、洞察も、少しは、深くなっているだろう。素材、材料も、山ほど溜った。

衰弱した、日記のような、文章しか書けぬ作家たちに、一撃を加えよう。

池田晶子が、孤立無援で「哲学的エッセイ」を創出したように、アフォリズムも、私のものになって、読者の中で、爆発してくれるといいのだが・・・。

同時に、プルーストの「失われた時を求めて」をめざしている、大河小説「百年の歩行」も、魂の声が響きわたるものにしたい。

池田晶子の魂の断片を噛った者として、それなりの、責任がある、勝手に、自分でそう思っている。さあ、ふたたびの、出発だ!!

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• 火曜日, 7月 13th, 2010

偶然に、始まってしまった文章である。(私)に、どこからともなく、声が垂直に降りて来て、ノオトに、それを書き記していたら、こんな形になった。本当は、私は、それを、なんと呼んでいいのか、わからない。毎日歩いている、歩いている時、それが(私)へとやってきて、いつの間にか、1000本になった。突然生れたものが成長をしたのだ。

詩でもない。俳句や短歌でもない。エッセイでもない。もちろん哲学でもない。小説でもない。散文というのでもない。

とりあえず、芥川や朔太郎たちが呼んだように、アフォリズムとすることにした。しかし、西洋の知を真似た、彼等の作品とはちがう、もっと別のものである。シュールレアリズム(自動筆記)に近いかもしれない。

時間が爆発する。
空間が爆発する。
意識が爆発する。
(私)が爆発する。

その中心から声が来る。爆発する形が、アフォリズムである。砕け散って、痙攣し、独楽となり、光となり、疾走し、浮遊し、あらゆるコトとモノたちが、再び、(私)を求めて統一される。

存在の声が、アフォリズムである。だから、なんでもありだ。ニンゲンをめぐる一切のものが、顕現し、消滅し、浮遊し、舞い、踊り、物自体がごろりと横になったり、透明なモノが飛んでいたり、叫び声があがり、啜り泣く声が漂い、お金という神さまが現れたり、あらゆる事象が(私)から発光するのだ。

自由自在である。

思考あり、感覚あり、直観あり、(私)に来るもの達が踊り狂う舞台である。

詩、小説、エッセイ、紀行文、書評、講演と、頼まれるままに、いろいろなスタイルで言葉とつきあってきた。

しかし、今回の、アフォリズムという形は、正に、(私)の中での発見であった。

小説を書くことが、本業であると信じてきたが、このアフォリズムというもの、なかなか、面白い。鋭く、短く、深く、瞬間で、爆発できる。

声が来る限り続けたい。2000本、3000本、いや、声が来なくなれば、中断である。

読者の方からは、アフォリズムは、エクリチュールの最高のものかもしれぬと感想をいただいた。面白いという声が圧倒的である。

アフォリズムは、現代という時代に、似合うかもしれない。

長篇小説「百年の歩行」ライフワーク、1000枚を書きながら、思わぬ副産物が現れたものである。

いったい、コレは何か?何が何をしておるのか?まだ、(私)にもわからない。

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• 月曜日, 6月 21st, 2010
951. 5月・植物の生命はぴちぴちとはねているのに、ニンゲンという動物の生命は、うなだれている。
952. 手持ちのカードをすべて切って、アフォリズムに生命を吹き込んでいる日々である。
953. 荒川修作は、”存在”に対して、発狂するほどの身悶をして、「死なない家」を創りあげた。ニンゲンを超えようとして、生と死の彼岸へと翔んだ。
954. 人は、記憶を消すことはできない。たとえ、脳が命令を下しても。
955. 山鳩の鳴く声は、低く、リズミカルで、「クゥク、カッカ、カー」と、いつ、どこで聴いても、不思議なことに、遠いところから流れてくる。なぜか?
956. 詩人を数えてみる。マラルメ、ランボー、ポー、ブレイク(外国) 中也、賢治、朔太郎・・・吉増剛造、石原吉郎!!私の中では、それくらいだ。
957. 病いは、気から。(病気をするから心が暗くなる。心が暗いから病気になる)は?病いとは何か?
958. 身体に現れるものは心にも現れる。
959. 沈み込んだり、輝やいたり、気分は、一刻一刻と変わっていく。
960. (言葉)は、身を立てるが、身を滅ぼすこともある。
961. 意識は、あらゆるコトとモノを見つづける。が。意識には(死)がない。
962. ニンゲンは、誰でも、「在る」の発見から歩きはじめる。
963. 「無い」の発見は、「零(ゼロ)」の発見よりも、大きな驚きである。誰もが発見するものだから。
964. ニンゲンの思考の形を決めるのは何か、原子に訊いてみたい。原子に?つまり(私)に。
965. 「無」を、数式、論理で証明されても、それも、ニンゲンの思考のひとつの形である、と考えてしまう。で、形が在る。
966. 「在る」モノだけが「在る」。ソレを見たのか?ソレを聴いたのか?ソレに触ったのか?ソレを嗅いだのか?ソレを考えたのか?ソレを想像したのか?
967. 眼が覚めると、もう、存在するすべてのモノに囲繞されている。朝という時空に放り出されて。
968. 眠りが来ると、薄っすらと輪郭が消えて、闇の中へと沈んでいく。(私)を手離した時、まだ、夢は、眼をあけている。
969. 気配は、実に、精妙な感覚である。(場)のもつ、(人)のもつ、空気の揺れに等しいものまで、ニンゲンは、感じとって、見分ける力をもっている。
970. 「人間原理」とは、どうしても、ニンゲンとしての(私)が、そう考えてしまう(考える)スタイルのことである。(ソウ在リタイ)
971. 「宇宙原理」とは、ソコにニンゲンがいなくても、純粋論理として、存在する原理のことである。存在自体がニンゲンの思考のスタイルと袂を別かつのだ。
972. ニンゲンには、どうしても、耐えられない論理(もの)がある。無目的、偶然、無神。
973. 「信仰」は、「信ずること」は、考えることが(論理)が破綻しても、眼をつむって、飛ぶことである。だから、祈るという行為、態度は、ニンゲンからは消え去らない。願う生きものがニンゲンだから。ニンゲンは、矛盾をも生きてしまう。
974. 神は、神自身のことを何と呼ぶのだろう?(存在【わたし】)か(有無【わたし】)か(宇宙【わたし】)か?宗教(ニンゲン)の神は宇宙(コスモス)の神とはちがう。
975. サラリーマンをやっている限り、いつも、背広の脱ぎ方だけは考えておかねばならない。
976. 男と女が合わさるのだから、男の中にも女が、女の中にも男が棲んでいても、何の不思議もない。
977. 交通事故で切りすてて、なくなったはずの足の踵が疼くという。足の踵はどこへ行ったのだろう。はたして、(私)の分身をも、棄ててしまったことになるのか?
978. 「いったい、お前は、何処にいて、何をしているのだ」という声に、いつも、責められている。「ここだ、ここだよ、見えるか?わかるか?」返信である。
979. 「どうだい?」と訊くと、「まあボチボチで」と答える人。「ご覧の通りで」と答える人。
980. (精神肉体)と書いて、ニンゲンと読めば、精神の超越とか、肉体の復活という、限定された表現もなくなるだろうに。
981. (生死)と書いて、ニンゲンと読む。すると、あるもの・ないものが見えてくる。
982. 宗教に次いで、科学の法まで破綻すれば、(私)は、のっぺらぼうを前にして、気絶してしまう。
983. 「問い」さえ成立しない時、ニンゲンは、どうして、「信」と「真」を手に入れられる?不可能である。
984. 精神は、「数」という魔に挑むのだが、「数」は、宇宙そのものだからと呟いている。
985. <虚実>と書いて、「あるない」と読みたい。
986. その人の、人柄は、人を裏切らない。
987. 生きることに、泣いたことがない人が、人の上に立ってはいけない。指針(ビジョン)を立てる土台がないから。
988. 汗をかかない人の言葉は、実に、虚しい。声が、自分の咽喉から出していないから。
989. 失敗しても、失敗しても、旗は揚げ続けるのだ。傷の分量だけ、旗の色は鮮明になるから。
990. 身に沁みる言葉と、正しい言葉と、人は、どちらに、耳を傾けるだろうか?
991. 人は、主義・思想で生きるのではない。親身な声に従って生きているのだ。
992. 存在すること自体が悲しみへと傾斜してしまう心性は辛いものだ。
993. 「本質」を捉えるはずの言語に、いつのまにか、裏切られてしまう。「木は、木ではない」と。
994. さて、起こってしまったコトとは、いったい、何のことだろうか?
995. 「物」には影がある。「数」には虚数がある。「十」には一がある。(私)には、何がある?
996. 給料袋を受けとる手、給料袋を渡す手、同じ手だが、その感触の中味がちがった。
997. (私)を形成している(水)が内爆発を起こしておる。
998. 原子の集合体である(私)というニンゲンの核とはいったい何だろう。生命形態という場の(私)
999. 深夜、突然、(私)は崩壊感覚に襲われた。名伏しがたい、存在(私)への不快感が来た。私は、やっとのことで、窓から飛びおりたいという内的な衝動に耐えた。夜が明けて、朝が来た。危機は去った。どうやら、普通の一日のセイカツをはじめている。
1000. 時間を生きる。空間(場)で生きる。長い間そうしてきた。現在では、「時空」を生きる時代になったが、ニンゲンはなかなか慣れることができない。伸縮する「時空」は、あらゆるものを変化させ、コズミック・ダンスを踊る超スーパーシステムのニンゲンは、宇宙を漂流している。「無限」へと。
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• 金曜日, 6月 18th, 2010

夢を見たのではない。幻を視たのでもない。縁側に蹲って、夜の闇に眼を泳がせている時、不意に、一人の男の姿が見えた。あるいは、私の脳裡に浮かんだものが、闇の中に投影されたのかも知れない。とにかく、大地に立っている一人の大男を視たのだ。兵隊のように大地に直立し、大きく開いた両足は、地面の砂利に突き刺さっていて、両手は、天に向かって伸び、眼を見開き、鮭のように開いた大きな口から、真っ赤な、長い長い舌を出していた。父だった。

今しがた、四国の弟から電話があった。平成21年1月2日、夜、10時47分、父が死にました。そうか、と静かに電話を切って、独りになりたくて、縁側に出た。

共感覚とでも言うのだろうか?弟の声に呼応するかのように、父の画像(イメージ)が発生した。私自身は、ちっとも不思議がることもなく、自然に、父の画像を受け入れた。父の大きく開けた口からは、真っ赤な、長い、長い舌が伸びてきて、私に迫ってくるのだ。何か、大切なことを、必死で、訴えているらしい。舌は、波のように揺れて、どんどん、どんどんと伸びてくる、まるで、一匹の生きものだ。その舌の上には、無数の文字が刻まれている。時空も揺れていた。距離も、時間も、ゆがんでいて、一切が、不定であった。

名状しがたい、その経験は、私にとっては、実に、自然であるのだが、おそらく、詩にも、小説にもならない。不思議を、そのまま語れば、文章にもならぬ。私は、夜の、冬空のもとで、ふるえながら、いつまでも、消えない父の画像を眺めていた。いったい何を伝えたいのか。

翌朝、電車に乗り、新幹線に乗り、バスに乗り、父のもと(?)へ帰郷する間も、眼を閉じれば、父の画像が来て、真っ赤な、長い長い舌が、活き活きと蠢めき、私に迫ってきた。もう、一年にもなるが、一周忌の法事が終っても、その姿は、現れた時のままで、私に、舌に書かれた文字を読み解くように、要求している。

身体や形質は、遺伝する。声で伝える思想もある。しかし、このような形での伝え方を、何と呼べばいいのだろうか?

父の、もうひとつの遺伝子が、最期の挨拶でも送っているのだろうか。私は知らない。私の、父への、唯一の返礼は、真っ赤な、長い長い舌に書かれた文字を、いつの日か、読み解くことである。

平成22年(3月4日)記

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