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• 木曜日, 12月 04th, 2008

知識や観念の言葉ではなく、自分の言葉で

【井出】ここに重田君や私が、秋山駿の影響を受けてやり始めた同人雑誌『歩行』を持ってきています。創刊号が1987年12月、2号目が次の次の年の2月発行になっています。30年近い前ですが、2号で資金がなくなってしまった。

【秋山】おお、なつかしいね。みんな若かったな。酒もよく飲んだし。

【井出】あの頃書かれた小説を読み直してみると、もちろん若さのせいで気負いもあるけど、ひどく観念的、抽象的な世界を書いている、いや、観念的、抽象的な言葉で書いている。けど、今回、例えば狭い世界にいろいろ違う考えの人間が生きている。知らないうちに足を踏まれたり、自分もまた踏んだりしている、仕方がないんだ、という箇所がある。ちょうど僕もそんな場面に現実にぶつかって悩んでいたところで、涙が出るほど慰められた。小説的小説は見つけることの出来ない一行だよね。

【秋山】そうか。そうだよ。そういう処。本当は戦後文学の流れというものが1日1日、日常を生きている、人生の中軸に向かってよく考えて生きている人だというような流れになると思ったんだがね。君は埴谷雄高や三島由紀夫の小説をよく読んでいたが、今の君よりは年齢の下の人達の小説は読むのかい。

【重田】そんなに読みません。読めないっていうのか。どこか作家という職業に余りにも流されていて、僕らのように実際に物を売ったり、歩き廻っていたりする人間には、ここは嘘だろう、そんなところは違うよ、ということが多すぎてつまり距離がありすぎて読めなくなってしまうんです。もう少し、そういう現実の声が響いてくるようだともっと読めるんですけど。

【秋山】なるほど、作家という職業だね。今はね。普通の人が生きている中軸に向けての直接性がないんだよ。これはね、基本的には私小説、本当の意味での私小説だからね。

【重田】かつて、山口瞳がいて、秋山さんもその解説に書かれていましたが、生きている風景をきっちりと書いてくれる、こういう作家が何でその後出てこないんだろう、というような気持ちがあります。だから、どんどん小説を離れて、では何を読むかということを多田富雄の『免疫の意味論』みたいなものをどんどん読んでゆく。面白いんです。

本来の私小説の姿を、技巧や手口でなく

【秋山】あれは面白かったね。なるほど、しかしやっぱりこの作品は私小説なんだよ。主人公が実際に生き、生活している。それを書いているという意味でね。本来、私小説というものはこういうものだったんだよ。ところが、少しずつ私小説が変質していった。ある時から私小説が変わったんだね。当初私小説が抱えていたものは、人生如何に生くべきか、自分とは何か、というようなことをきちんと考えていたんだよ。当時それは新しい試みだったんだね。けど、その新しさが勝ちすぎてその部分のスタイルのみで日常を書くようになってしまった。さらにそれでは足りないということで、今は小説の手口、技巧、つまりこの小説とは違う意味での観念的なものや幻想的なものを入れるようになってきているけど、それでは違うんだよね。
この小説で日常や生活が書かれているんだけど、どういうふうに書かれているかというと、誇張していうと日常批判、生活批判なんだよね。批判なんだよ。本当は私小説というものはそういうものだったんだよ。

【重田】さっき山口瞳の風景描画のことを言ったんですけど、逆に自分の世代やその下の人達の作品を読んでいると、文章の中に思考する力というか、ものごとを追及してゆく粘り強いパワーのようなものが感じられないんです。感覚では分かるんですけど、魅力ある力を感じない。

【秋山】それはね、知識と観念というものはすごいもので、日常生活の細部に至るまで知識と観念で説明出来てしまう。観念の言葉で言える、知識の言葉でいえる、精神医学の言葉がそうじゃないか。しかし、それでは文学は駄目なんだよ。文学はそれでは死んじゃうんだよ。自分が生きている、坐り込んでいる地面から立ち上がるそのときの考えをある形にするということが文学なんだからね。そのとき自分で言葉を見つけようとする、その姿が今は非常に少なくなってきている。

【重田】でもやっぱり昔の癖もあるんですが、哲学で考えてしまう。

【秋山】それは駄目だよ。哲学は必要なものだけどね。哲学にあたるものを日常の言葉で考えてゆく、それが文学なんだよ。本来の私小説が担っていたものは、だから批判なんだよ。日常批判、生活批判なんだよ。そういう要素が現代文学には薄れてきてしまっている。

【重田】秋山さんはヴァレリーについてずいぶん研究されてきていますが、ヴァレリーは証券会社に勤めていて、10年、20年文学から離れていたということがありますよね。

【秋山】そうそう。そうだったね。

【重田】ランボーなどはすべて文学を捨てて、砂漠へ行ってしまう、ということなんですよね。

【秋山】そうだね。この間、栗津則雄氏と小林秀雄について対談することがあって、小林秀雄の「Xへの手紙」、ヴァレリーの「テスト氏」について語り合ったんだけど、私は昔、文学というものは、ああいう散文的なものにいずれはなる、今日的な文学というものは消えてなくなるんだと思っていた。ところが現実は違ったね。今の小説はどちらかといえばイギリス風なものだと思える。まあ、時代の変化ということもあるんだろうけど、昔正宗白鳥なんかが格闘した部分というようなものがだんだんなくなってきている。日常の細部というようなもの、哲学者が考えないようなことを作家が考え、自分の言葉を見つけながら形にしていった。

【重田】最近、大学の先生が書く小説がいろいろな賞をもらったり話題になったりしていますが、ああいう人の小説も僕の中には入ってこないです。

【秋山】優秀な人が優秀な小説を書いているね。でもね、少し矛盾した言い方になるけど、ああいう小説、日本の文学の流れの中にあったことはあったんだよ。明治の終りころから大正期、昭和のはじめくらいまでかもしれないけど、ロマンティシズム。プルーストとか日本で最初に翻訳されたときの文体に似ている。文体ということは人間の摑み方だね。あの当時の翻訳の文章というのが、それに当たるような気がする。久世光彦さんなんか、手法は違うけど、そういう香りがする。私には分らないけど何処かで現代を表す、もう1つの文体なのかもしれない。

【井出】現代文学ということでいえば、先日亡くなったばかりの山田風太郎の存在があって、組み合わせの面白さ、偶然の面白さを考えてみるということもある。例えば実際ではなかったことだけど、ある種の同時代にこの人とあの人が会ったら、森鴎外と志賀直哉が偶然に出会ったらというような小説が出はじめている。関川夏央とか高橋源一郎とか、そういう人が。

生まれ持った言葉、文学はその発見の旅

【重田】確かにIT時代の機能を使った面白さには刺激的なものがありますね。石川啄木が渋谷のAVショップの店員という設定とか、奇想天外の時代を現代にタイムスリップさせた面白さは刺激的ですよね。

【秋山】うーん。しかしそれはそれでいい、しかし刺激的であっても君にとっては駄目だと思う。せっかく実際に歩くセールスマンをやってきた、考える日常生活をやってきて、そこで愚鈍に積み上げてきたものがあるんだから。
やっぱりね、でも人は生まれ持った言葉、そういうのがあって、人はそれを知らず育てているんだよ。君の故郷、四国だっけ。

【重田】ええ、小さな町ですが、三方山に囲まれ、海に向かった町、鉄道も通っていなかった町です。

【秋山】今はだいぶ違うだろうけど、君が生まれた頃、それは閉ざされた世界だよね。

【重田】そこで親父が満州から帰ってきて土建業をはじめた。家族は父母の兄弟など10人くらいの大家族でした。そこの長男なんです。

【秋山】えー、はじめて聞いたよ。そんな処なのか。しかし、それは面白い。それをきちんと書けばいい。もっと具体的に。

【重田】でも大変なんですよ。やれ事故があった、誰々が怪我をした。年中もめ事ばかりで。

【秋山】だから、そこを書かなきゃいけない。それが君の言葉が生まれ育った処なんだから。中上健次みたいな世界だよね。

【重田】ええ、『岬』なんて作品と酷く似てるんです。環境的には。けど、僕のほうは現実の土建屋ですから、こんな揉め事、こんな事というとき、具体的にはこんな派生的な面倒なことが続いて起こるなんてことが手に取るように分かってくる。

【秋山】そこが面白いよ。そこを今から書きはじめなければいけない。さっき空海のこと書きたいなんて言っていたけど、それはその後、すっと年をとってからでいいよ。確かにそういう処から知識とか思想とかに憧れて東京に出てきたんだろうけど、文学をやる限り、そういう観念、知識、そういうものを自分の言葉で創り直してゆかなければいけない。そのためには君の、そういう世界をもっと直接的に視つめなければいけないよ。今日、いろいろな形式、内容の小説があるけど、やっぱり本当に自分を視つめ、自分の力強い言葉で書かれた小説というのが必要なんだと思うね。

【井出】本当はもっともっと論じてもらいたいことが沢山あります。特に文壇というのか、商業的な文芸雑誌に載らないとなかなか文学として認められないという現状があります。そこには一定の基準というか規範のようなものが流布されています。そういう中で、同人雑誌をコツコツ発刊している人。そうでなくとも生活に時間を苛まれながら1人で一生懸命小説を書き続けている意味、中央の言葉だけが蔓延する中で、本当に自分の中軸に向かって発してゆく文学は存在するのか。友人ということもあるのですが、重田氏の作品を通して、幾分かの問いは発せられたのではないかと思います。

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• 木曜日, 11月 20th, 2008

縁と機 日に日を重ね、夜に夜を継ぎ、車谷と順子さんは、光の中を、雪の中を、雨の中を、・・・・・

人は、いつでも歩いている。生きる為に、生活する為に、人は歩いて移動しなければならない。実に、簡単な原理だ。毎日、特別な理由を考えなくても、学校へ、会社へと歩いている。

しかし、その日常を離れた旅ともなると、目的や理由があって、計画と決意が必要になる。さらに、それが四国八十八箇所を巡る旅ともなると、もっと深い、縁や機がなければ、おいそれとは、実現がむつかしい。どだい、まとまった時間がいる、体力がいる、強い意志がいる、そして若干のお金が必要になる。

本書は、自他ともに認める「私小説」の第一人者である、車谷長吉が、四国路を、遍路として歩いた、日記風な紀行文である。処女作「塩壺の匙」、出世作「赤目四十八瀧心中未遂」は、現代では稀有な、本音を語る作家車谷の生きざまとその思想が、泡のような現代社会に対して、牙をむいた秀作である。反骨の人であり、決して、安全地帯に身を置いて、ものを書かない作家である。(私)という現象=(事実)にこだわって、余分なものを剥ぎ落として、人間の真形を追う車谷の形姿が、見事に、作品に結実している。

何時、僧になるのかと思わせる車谷が、四国八十八ヶ所に、遍路として、旅立つのだから、その理由・縁と機を知りたいと思うのは当然だろう。何にしろ、旅は、(事実)という現実に満ちている。車谷の五感が、思考が、四国の風景に、人に、邂逅して、未知なるものに遭遇して、どんな声や言葉を放ってくれるのかと、読者は、期待してしまう。

意外にも、車谷の感情巡礼は、奥さんの順子さんの発案によるものだった。詩人でもある順子さんは、父の故郷・愛媛県、西条に生まれ、千葉県の飯岡へと移転して、育っている。数十年振りに、父と自らの出自を確かめる為の旅だったのだ。車谷は、奥さんにひかれる牛のように、旅へと出発したのだ。

もちろん、車谷にも、それなりの内的な理由がある。長年、(私小説)を書き、小説に登場した、友人、知人、親族を傷つけたという(傷)、自らの業の深さ(私小説を書くという仕事)からくる(傷)、精神を病み、薬を呑みながら、少しでも、罪滅ぼしができればと、虫のいい考えを抱きながら、歩き続ける。

四国八十八ヶ所は、誰が歩いても、開かれていて、物語が誕生するという、不思議な時空であり、装置でもある。大昔から、空海とともに、大勢の人が歩き続けている。失業した人、離婚した人、事故にあった人、大病をした人、心を病んだ人、いや、現在では、若い人が、何気なく、ふらりと旅に出る場合もあるようだ。

徳島県で生まれて、18歳まで育った私は、幼年・少年時代に、たくさんのお遍路さんに会った。昔は、お遍路さんは一軒一軒歩いて廻りながら、お接待を受けた。念仏を唱えて、季節のくだもの、柿、ミカン、梨、栗、お芋、小銭のお布施をもらって、野宿をしながら、どこかへと歩いていくのが、遍路さんだった。彼方から来て、何者なのかわからぬまま、何処かへと立ち去る、まれびとが遍路さんだった。情報や知識を運んでくる人、村人の悩みや相談にのる人、私たち少年は、内なる眼で、その正体を探ろうとしていた。

四国八十八ヶ所は、年間、30万人が訪ねている。バス、タクシー、車、中にはヘリコプターで廻る人もいる。何を求めて、廻るにせよ、とにかく、歩くのが一番である。ただし、1400キロ歩く為には、約二ヶ月の日数がかかる。歩行は、思考の誕生の源だ。

四国には、四つの道がある。空海さんたちが歩いた古道。坂本龍馬たちが歩いた土佐街道などの、いわゆる旧道。そして、現代の県道、アスファルトの道。最後が紀貫之、長宗我部元親たちが渡った海の道である。

日に日を重ね、夜に夜を継ぎ、車谷と順子さんは、光の中を、雪の中を、雨の中を、声を掛け合い、離れたり付いたりしながら、俳句を作り、短歌を詠み、晩婚夫婦の、同行二人が続く。四つの道を歩き、車谷の(私)が光る。

車谷という人間が、ぶつぶつ呟き、批評し、回想し、思い出あり、毒舌あり、(事実)を追って、歩き続ける。機と縁の深さが、そのまま作品に現れる、四国八十八ヶ所恐るべし。車谷の眼には何が見えたのだろう。

「季節(とき)が流れる、お城が見える」(ランボー)

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

昨年は作曲家・武満徹へのエッセイとか、感想・妻の語り下ろしの本などを目にした。没後10年になるという。もうそんなに時間が流れたのかと、私は辛い思いがした。

私は音楽の専門家ではない。学生時代にブラスバンドに参加したり、クラシックギターを弾いただけの経験しかない。素人だ。

しかし、無限に旋廻するバッハの音楽を聴いていると、音の運動に宇宙を感じるという至福の時を感じるものだ。

私に作曲家・武満徹を教えたのは、学生時代の友人Mである。私のアパートへ、一枚のレコードを持ち込んできた。
「面白い人がいるぞ。まあ、聴いてみろ、驚くから」
「ブマンテツ? って何者だ!」
「馬鹿! タケミツトオルっていう、天才だよ」

ステレオを買ったばかりの時だったので、いろんな友人が次から次へと、レコードを持ち込んできては、一緒に聴いた。

戦慄が全身に走った。今までに聴いたことのない音楽だった。バッハの無限旋廻ではないが、鋭い音の線が虚空に走った。どこにもない時空が出現して、その小宇宙が沈黙までも“音”に変える世界だった。

私は興奮した。“ノヴェンバー・ステップス”だった。私は武満徹の音の磁場にひきつけられて、快感で痙攣していた。

それからだ。曲はもちろん、武満徹の書いた評論、エッセイ、対談を貪り読んだ。

ここに、ひとりの“芸術家”がいる。詩人と呼べる人が中原中也で終わったのなら、作曲家で芸術家と呼べるのは、武満徹が最後の人ではないのか?

今では現代人にとって、芸術家という言葉は死語であろう。文豪・ドストエフスキーとか、谷崎潤一郎と呼んだのも、昔の話だろう。

私はいつか、武満さんに読んでもらえる“作品・小説”を書きたいと夢想していた。

まだ何者でもない、白面の一青年が、妙な考えに陥ったものだ。それも音の魔力か!

誰でも「本」を書き終えると、是非読んでもらいたい人が、何人かいるものだ。私にとって、武満さんはその一人だった。何しろ音以上に、言葉に対しても厳しい批評眼をもち、エッセイストとしても見事な文章を書いた人だ。ちょうど、天才画家・ゴッホの手紙のように。

拙書「ビッグ・バンの風に吹かれて」をお送りしたところ、丁寧なお礼と感想の入ったハガキが届いた。私は子供のように喜んだ。
「あなたの芸術を探求して下さい」と結んであった。「芸術?」 私のはただの作品・小説である。

調子に乗った私は「死の種子」(長編小説)を書き下ろした時、帯に一言いただけないかと、出版社を通じて頼んでみた。
「残念ながら、今は初のオペラの制作で時間がない。本が完成したら、送って下さい」と、断りのハガキが届いた。

私はただただ赤面し、恥ずかしかった。

“世界の武満”がオペラに挑戦する。一刻一刻が黄色のように大事な時間にちがいなかった。

その時、武満さんはガンとも闘っていた。“オペラ”は、ついに幻のものとなった。音が言霊に重なって、球体になるオペラを、是非聴いてみたかったが。

新聞で、武満さんの死を知った時、私は一晩「ノヴェンバー・ステップス」を聴きながら「音、沈黙と測りあえるほどに」エッセイ集を読み耽った。芸術家は作品の中にすべてがある。

それから、あれから、私はいったい何をしてきたのか。確かに「○△□」という小説集を出した。全身全霊を投入した作品だった。

しかし約束した“芸術”には程遠い。

現在「百年の歩行」というライフワークの想を練り、ノオトを執っている。私が音楽で魂を揺さぶられたように、言葉、文章で人の心を掴んで離さない作品の完成。私のヴィジョンは、いつ完成するのかわからないが、武満徹さんからいただいた二枚のハガキに応えられるものが出来ればと、新年から自分自身を鼓舞している。

自分の持ち時間だけは誰にも分からないが…。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

読書の楽しみは、どんな時代に生きた人のものでも、自由に読めることである。一生出会うこともない、もう死んでしまっている人の声、はるかな・遠方の・別世界にすんでいる人の声、文章には未知の・遠い・遠い人たちも、まるで知人や友人や肉親のように、知ることができる長所がある。

その人の姿や考え方、生きざまがくっきりと浮かびあがる。【本】は時空をとびこえる声の乗り物だ。その声に耳を傾けない手はない。もったいない。人が実人生で会う人間の数も場面も限られている。

では、現に我々が生きている同時代人のことを、よく知っていると言えるのだろうか?

私はなぜ、小説を書くかと問われれば、私自身はもちろん、現在生きている人間を描きたいからだと答えたい。私たち(私)はどこから来て、どこへ行くのか? 私たち(私)は何者か? という大きな謎に対する、私自身の答えを探求したいためだ。

もちろん、生きていること自体が、その行為に直結している。

さて“秋深き隣は何をする人ぞ”の句ではないが、現代という同じ空気を吸って生きてはいても、人は実にさまざまなスタイルで考えたり、生活していたりするものだ。人の心は、容易に理解できない。

私も何人かの気になる作家が書いた【本】は、いつも出版される度に購入して、読み続けている。その声を知りたいからである。現在(いま)何を考え、どう生きているのか、その一人に“池田晶子”がいる。

池田晶子が、わが国で最も難解だ(?)とされている長編小説「死霊」の埴谷雄高を論じはじめた時から注目している。そして新しい自分の手法を考案してから、現在に至るまで、出版された池田晶子の本は、すべて熟読している。

池田晶子はとにかく面白い。いや、彼女の思考の形を読むのが快いのだ。池田晶子は長い不遇の時代があった。いや「植木師に手を入れられた悲しさよ─(中原中也)」ではないが、編集者と衝突した時代があったらしい。

もちろん、本物は、才能は、どんな困難があろうとも、独りで立ちあがってくるものだ。

池田晶子はいつも、この“私”から出発して歩きはじめ、何時(いつ)の間にか迷宮の森へと誘い、驚きのつぶてを投げ、揺さぶり、新しい発見へと導いてしまう思考の力業を発揮してくれる。そこには、いつも考える池田晶子が立っている。端正で、明晰(めいせき)で、寸分の狂いもない文体がある。

まるで考える球体である。触れれば、どこからでも入っていける。もちろん、出口は読者に任されている。読む人の力、眼力に応じて、その内容がいくらでも深くなるように仕組まれている。

池田晶子の本が出る度に、ついつい買ってしまい、時間を惜しまず読み耽ってしまう。愛読者である。一面識もないのに、その直感と思考の形を追うことで、人間としてもっとも良く知った一人になってしまっている。

読むということは、実は同時に、生きることであり、そのスリルのある瞬間を共有しているのだ。

私にとっては、実にわかりやすく、その繊細な思考の糸、言葉の配置までが見えてしまう。彼女の直感が捉えたものが、文章となって起ちあがってくる気配やその手順までが透けて見える。文章・思考が私の心の中央に突き刺さるので、私も読みながら、私の思考を組み立てて対応している。読書とは受け身ではないのだ。私の内部にあるものが、文章を読む瞬間に発火しているのだ。だから面白いのだ。

しかし池田晶子の書くものはむずかしい、わからない、という人が必ずいる。なぜか? 【私】と彼女が言う時の【私】。存在そのものが、社会に生きて身につけているもの(いわゆる社会的私?)と混同されるからだ。出身地、名前、立場、仕事…などなど。

「内部の人間」を書いた秋山駿も、長い間、その為に誤解された。いくつかのポイントを踏まえておけば、秋山駿も、池田晶子も、実に正確すぎるほどの【正論】を述べている人たちだから、なるほどと合点がいくのだ。いわば裸の“私”を問題にしているのだ。

日本には、明治の北村透谷「内部生命論」にはじまって、考える人という系譜があるのだ。埴谷雄高、秋山駿、池田晶子に至る、思考する人たちだ。もちろん、小林秀雄はその中心にいる。

池田晶子は哲学する人というよりも、すべてをただただ考えつくす人だ、という風に私は考えている。存在そのものが割れてしまう地点まで、思考が、考えることが、特異点に衝突して破裂し、狂ってしまう、その一歩手前まで行ってほしい。

その為には、現在の3〜5枚の考えるシリーズとは別に、そろそろ本格的なものにも挑戦してほしい。

私も感想ではなく、きちんとした池田晶子論や、秋山駿論を書かねばならぬ、と考えているが…。

重田昇が選ぶ【池田晶子の本】ベスト3
①「新・考えるヒント」(小林秀雄論)
②「帰ってきたソクラテス」
③「考える日々」

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

ふとした瞬間に、遠い記憶の暗箱の中から立ちあがってくる声を聞くことがある。誰のものか、もう、声の主さえわからぬのに、その声は鮮明で、はっきりとした意味をうったえてくるものもあれば、その形も意味も定かでないのに、どうしても、声の語るところを再確認してみたいものもあって、実に不思議な気がする。

生きるために必要なものばかりかというと、そうでもなくて、吹きあげてくる風が、本当に気持ちがいいねと、なんでもない、日常の風景の中に放たれた声が脳裡に浮かんで、心を声の方にとどめてみる時もある。

人の耳に、心に、突然、吹きつけてくる過去の声たちは、いったい、何を語ろうとしているのだろうか?

透明な風のように快く吹きぬけるものばかりではない。何日も、耳の底に貼りついている声もある。暗く、おぞましい声もある。

それだけ私が、生きてきたという証拠だろうか?

さて、先日突然、私の脳裡に響きわたった声は、正しく、作家・三浦綾子の声だった。

三浦綾子は、朝日新聞の懸賞小説で当選を果たした長編小説「氷点」でデヴューして、その作品は、評判を呼び、テレビドラマにもなって、一世を風靡した。

三浦綾子は、人間の原罪という真摯で、重いテーマを小説という形に溶け込ませて、一般の読者をもまきこんで熱中させた。いわゆる純文学ではないが、人間を問う、力強く、根源的な視点と洞察力をもっていた。

流行作家となって、続々に、作品を発表しながらも、北の大地に根をおろして、北海道は、旭川に終生棲みつづけた。

時代に流されることもなく、終始、自分の声を等身大に放ち続けた稀有な作家であった。

私の手許に一本のテープがある。三浦綾子の歌声が録音された、非常に珍しい私家版だ。

もう昔の話になるが、短編小説集「ビッグ・バンの風に吹かれて」を上梓した折、三浦綾子さんに献本させていただいた。

数日後、三浦綾子・光世の署名入りの感想文がとどいた。「他の追槌を赦さぬ文体の高みがある」と、所収の「岬の貌」(27枚)を絶讃してくれた。

文章がすべて、命であり、魂だと思っている私には、三浦さんの言葉は素直にうれしくもあり、何か落ち着きがわるくなった。

病気がちで、寒い北の大地の冬は大変だろうと思い、ビタミンたっぷりの、南国・土佐のポンカンをお送りした。

一本のテープは、そのお礼としてとどけられたものだ。

早速、テープを廻してみた。ご主人・光世さんの弾くピアノに合わせて、三浦綾子さんが童謡を歌っていた。「砂山」…海は荒海 向こうは佐渡よ…。

三浦綾子の講演会では、寒いですね、コホンと咳をするだけで、愛読者たちは、感動してしまうと、ある編集者に聞いたことがある。それだけ、人々の心と魂を捉えて離さぬ作家だった。

声は、言葉以上に、宇宙を顕すものだ。言葉の意味よりも、もっと深い共振を発揮するのが声である。話し言葉の振動よりも、更に、深い共感を呼ぶのが歌声である。

歌声は、正に、三浦綾子その人だった。

透明で、どこまでも流れて、声の底に芯があり、やわらかく、鋭く、たったひとつのものを求めて歌いあげる歌声だった。

私はそこに“一生懸命”を見た。歌のプロでもなく、上手下手とは無関係の地点で響きわたる、中空に放たれた声には“一生懸命”という姿勢が直立していた。人の心をうち、人の魂を揺さぶった、作家・三浦綾子の神髄が、歌声の中にあった。

先日、書店に立ち寄って、本の顔を覗きながら歩いていたら、文庫本「氷点」上・下が平積みになっていた。手にとって、奥付を見ると、なんと七十数刷と版を重ねていた。

没後、何年になるのだろうか?

三浦綾子の魂は、まだ、作品の中に息づいて、若い人々の心を摑んでいるのだ。

私の中には、歌声が流れている。

文章と声。考えれば考えるほどに、深いコスモロジーが展開されるだろう。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

死んで花開いて、実にいい作品が生まれる

【井出】まず読者のために、はしりだけ小説の紹介をしておきます。
主人公X氏は百科事典、万歩計、写真集、歯ブラシ、ふとん、等々・・・。モノを売る、いわば営業マンだ。そのためによく歩く。妻エクソンと娘のイントロンの三人のごく平凡な生活がある。それが迷い猫の出現や妻の母の死などによって破られてゆく。娘のイントロンの身体の中に超能力が生じ出してくる。やがて父と娘は、その娘が人間の存在を越えて異次元へと飛び立つ場所を探して旅に出る。というようなところですが・・・。
今日は、重田さんが最も強くその思考の影響を受けて出発した秋山駿氏をお訪ねして、この近著について語り合ってもらう、ということですが・・・。

【秋山】久しぶりだね。

【重田】ええ、電話やお手紙では1年に何回となくおつき合いいただいているんですが、お会いするのは何十年ぶりになります。はじめ25歳のとき『風の貌』を出して早稲田の交差点でお渡しして、すぐにいただいた手紙に「奇妙な感覚をもっていて面白いが、成熟するには時間がかかるタイプの小説だな」って書かれてありました。その後、家にいろいろなことがあったり・・・。

【秋山】そうだったね。活字にするにはちょっと差しさわりがあるけど。

【重田】ええ、16年くらい、何か書こうとすると、どうしてもそこにと向かい合わなければならない。しかし、現実には書けない。それと普通のサラリーマンとして働き出したりして、あっという間に16年くらい経ってしまった。で、諸々の条件が変わってきて『ビッグ・バンの風に吹かれて』という形で纏め、そのあとエイズをテーマにした『死の種子』を出しました。そして今回ということになります。

【秋山】しかし、作品としては、そういう10年、いや20年近くの沈黙が爆発するように出てきて大変よいものになっているよね。余計やトリック的なものもなく直進している。これがいいよね。現実には辛かったろうが、小説だけの世界から言えば、それが素晴らしい形で出てきた。しかし、聞けば大変忙しそうじゃないか。

【重田】今年1月から朝5時に起きて書き、毎月40枚ずつ出版社に渡すようにして半年間で創りました。

観念ではなく、非現実の中軸に向かって

【秋山】そうか。そこがこの小説の秘処かもしれないね。
主人公の職業が、セールスマンで歩くってこと。これは人間が生きる基本の行動で、一番単純な。そこに主人公が歩くことで、もの事がよく考えられている。思考がきちんと地についている。こういう流れは今は全然ないというわけではないが、昔はもっと沢山あった。例えば他にもいっぱいあるけど自分の分野でいえば小林秀雄の『Xへの手紙』『感想 ベルグソン』の、あのお母さんが蛍になるっていう場面だよね。ようするに考える、という行為と現実に書くということが重なっている。考える散文というようなものが小説のスタイルとして出てきたといった感じ。もう一つ言えば三島由紀夫の『太陽と鉄』もそうなんだよ。
それと以前の作品と少し違っているのは観念ではなくて非現実に向かっているってことね。そこがいい。観念に向かったって、それは知識になってしまう。知識で書いた小説は人を打たない。後半の部分もいろいろ勉強しているけど、それが歩くっていう行為を土台にしているから、うまく沈んでいる。
ただね。妻のエクソン、娘のイントロンの名に関しては、少し具体的な説明はした方がよかった。長くなくっていいんだが。

【重田】ええ、イントロンというのは遺伝子の中の、まだ何になるか分からないもの、沢山ある遺伝子はだいたいどんな動きをするか分かっているのですが、中でまだ分からないもの、未知なもの。エクソンというのは細胞とか遺伝子が運動しているのですが、そのもっとも素になるものマザーというものです。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』など片仮名で出てくる。少し意識しました。花子とか太郎とか、そういう名でもいいんですが、僕の考えでは少し色彩が違う。違和感が出てくるのです。

【秋山】そこがむずかしいところだね、この小説の。科学の次元、宗教の次元で説明すれば、ある程度説明出来る。けど、ここは小説だから、特に君のようなスタイルの小説は。科学や宗教というようなものをさえ疑わなければいけない。それが小説の苦しさであり、小説の存在理由だよね。
死後、光になる。紫色に周囲が変色する。仏教とか臨床医学などで説明してくれているけど、実際に我々の日常の中でだってそんな体験はある。疲れの激しいとき、衰弱してるときなんかね。それを克明に記せばいい。それが現実を土台にして思考が力強くなることだと思う。じっと視つめていると△と□が○になってゆく、そういうの昔からえらい坊さんが、そんな境地になったって話、よくあるけど、そんなのよりよっぽどいい。真っ直ぐに現実に向かい合って、その向こうの非現実に直進している。

【重田】20代、30代のときも、そんな思考をして書いてみたことがあるけど、今書いてみると全く違う。文体の何から何まで違ってきている。

【秋山】いや、それでいい。それが成熟というものが、足が地に着いている。
あ、それと、どこだったか、物を売るセールスマンを、マルクスの言葉で説明していたね。どこだっけ。

【重田】ええ、うーんと、ここです。<モノが商品として売れる不思議を、経済学者のマルクスは「商品が命がけの跳躍をする」と表現している。なるほど、あの感触のことだ。X氏は、経済という学問は奥が深いかもしれぬが、モノを売るセールスマンという仕事も、同じくらいに深い行為だと思っている。>

思考に、足が地に着いた力強さがある

【秋山】そう、そう、そこ。足に地が着いた力強さがある。リアリティがある。もうちょっと続きを読もう。

【重田】<最近、X氏は、セールスマンとは、もう一人の歩くマルクスになることではないかとひそかに考え、自分を鼓舞している。それでも、壁にぶつかっては、廻れ右をして、弱気になったり、あれやこれや事故や不運に直面しながら、どうにか1日1日を生きている。同じ1日では決してない。>

【秋山】マルクスがそういったか、どうか知らないけど、君の中のマルクスがある。君の中でマルクスが生き生きしているよ。

【重田】さっき、20代と文体が変わったっていいましたが、思考も20年、書くという行為と離れて日常に追われて生きてきて、全く変わったという実感はあります。

【秋山】本当はね、作家というものはそういうものなんだと思う。作家は一度死ななければならないっていうことがある。一度死んで花開いた作家が実にいい作家になっている例が沢山ある。7、8年死んでた人ね。君のは少し長かったけど。岩阪恵子という作家。それに歴史小説家の宮城谷昌光なんて人がいる。みんな一度死んでいる。その後生き返って素晴らしい作品を書いている。
それとね。この小説にはもう1つ、大きな柱がある。女性の問題だね。母と娘という線の中心にあるのは女の考え、ということだね。男と全く違う考え方が今は大きな要素になる。それがよく出ている。それが追求されている。女の深い考え方ってのがある。
しかも、サラリーマンという、本当の意味でのというか、実際の姿がよく表現されている。セールスマンというと、一般的には誤解されているようなイメージで語られているから。

【重田】そうですね。この国ではセールスマンと呼ばれている人が500万人くらいいるといわれています。ところが旧来の小説で表現されているのは、お金を扱う悪い人というイメージがある。若い主人公がいて、それと対比される悪人か、そうでなくてもせいぜい主人公を浮かび上がらせるための脇役でしかない。気の毒な役割ばかりなんですよ。かつて1回も正当に描かれたことがない。セールスマンの本といえば、こうしたら売れるという、ノウハウの本が沢山ある。しかし、僕はこういう人達が、本当に自分は何だと考える契機になるような本を書いてみたかった。1日1日をどんなふうに生きてゆくか考える、その方がずっと重要で、ハウトゥなどということは結果であって、その前にしっかり自分を考えていればいい。文学的に粉飾されていないセールスを描きたかった。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

120年の小説の種子と果実

人間は、いつまでたっても、私という不思議を生きている、ひとつの現象だ。人の心はもっと不思議で、どのようにして作られ、どのようにして変容していくのか、自分自身でもわからない。

本書を2度、3度読みながら、私の心に鳴り響いていたのは、そんな思いだった。

古希まで生きてきた・考える人・秋山駿が、日本の「小説」の種子となった百年前の名作「私小説」を読む。当代切っての小説読みが、生きてきた全重量をかけて、1ページ1ページ、人間の真形を追いながら読むのだ。毎月毎月、何年も、プロとして読み、批評してきた職業としての読書から離れて、自らの再生の為に、血肉と化していた、小説の言葉を追う。もちろん、秋山駿にとっては、読むこと、考えること、生きることは、同義語である。発火あり、衝突である、それが読書だ!

秋山駿には、生きるための生の綱領というものがある。①自分の土地をもたない②自分の家をもたない③自分の子供をもたない。3本の柱は、秋山駿の指針であり、その他、お金について、仕事、結婚、生活の細かな断片に至るまで、秋山駿流の流儀で染まっている。

一見すると、社会に生きる人のベクトルとは正反対のように見えるかもしれない。

では、その生の綱領はどこから来たのか。理由も場所も明確である。

敗戦後に少年だった秋山駿は、焼け跡という現場で、人間たちの裸形を見た。生きる為に必要なものが何と何であるか、考えた。

もうひとつは【本】から得た思想である。ドストエフスキー、ランボー、ヴァレリーの声が心を刺し貫く。【本】という父親から、生きる為の指針・声の遺伝子を得たのだ。

理由なき犯行を追い、道ばたから拾ってきた石ころの声を聞き、言葉を与え、法則を作り、そこに無限を見ようとした(?)。無名の、普通の石ころや砂粒として生きようとする人だ。

「内部の人間」から「舗石の思想」や「砂粒の私記」へと至る思索シリーズは、私とは何かと問いつづける秋山駿のライフワークであり、まるで、ルソーの「告白」やリルケの「マルテの手記」の兄弟のようである。

実は秋山駿には、もうひとつの貌がある。嘉村礒多など「私小説」家たちの、詩人中原中也の、小さな声、真摯な人間の声に耳を傾ける心性である。大思想や大文字の【法】の声ではなくて、自然に、生きている人から滲みでてくる声を聞きとる【いい耳】をもっている。

秋山駿が「私小説」を好むのは、人間の裸形が、そこに発見できるからである。知性や教養や作為や技術ではなく、必死に生きる姿・真形が、脳ではなくて、心を打つから「私小説」を読むのだ。

「源氏物語」や「平家物語」からはじまって、西鶴や近松など「物語」の歴史は約1200年も続いた。「小説」という種子が誕生して、たかだか120年である。新しい人間の姿を描く「小説」という器は、もう、息絶え絶えになっている。読むべきものがない。面白くない。なぜか?
秋山駿は、告発する。作家たちが「浅瀬を渡っている」からだと。よく読みもせず、よく考えもせず、よく生きもしない人間が「小説」という形をかりて、書き散らかしているからだと。私も思う。

明治の小説の原点、種子としての小説の誕生には、どんなことが起こり、何が問題になったのか、秋山駿は、原本を読むことで、一言半句、一声を掬いあげる。花袋の描写論やモデル問題は、古い昔の話か?三島由紀夫の「宴のあと」、柳美里の「石の魚」は裁判にもなって、敗訴したではないか?「人生と文学」を一生疑い続け、「?」「?」の連発と「・・・」で終わった「平凡」を書いた二葉亭四迷の問題は、果たして、古いか?

翻訳で「象徴主義の文藝」の名文を作った泡鳴が、小説「耽溺」では、思想の作品化に大きな挫折をする。しかし翻訳した言葉は、後に小林秀雄や河上徹太郎に大きな影響を与える。

大病を患った後、病床で、樋口一葉を読む秋山駿の姿を思うと、思わず本から眼を離した。無私の眼に、一葉の姿が写るのだ。

藤村の随筆、白鳥の批評眼と生き方に関する自由な考察など、実に神妙な響きに満ちた【本】だ。秋山駿は、考える人から、全身、五感を使って生きる人に変わっている。心の水準器の目盛りが、大きく揺れているのだ。小さな声の方へと。

最後に、秋山駿の思索シリーズの中にも、見事な「私小説」的な場面があると、指摘しておきたい。

継母が家を出る時、青年・秋山駿は、追いかけて行って、何よりも大切な石ころを、そっと差し出すのだ。天才画家ゴッホが、自分の耳を切って、貧しい女に手渡した、あの心性に似ていないか?

本書に取りあげられた作家と作品/山田花袋「蒲団」「生」/岩野泡鳴「耽溺」/二葉亭四迷「平凡」/樋口一葉「たけくらべ」「にごりえ」/島崎藤村「藤村随筆集」/正宗白鳥「自然主義文学盛衰史」

なお、原典を読んでいない読者にも、全体がわかるように引用文が多用されている。実は引用文も本文と同じ意味を持ち、秋山駿の視点が何を捉えているのか、読者が試されるようになっているのだ。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

言葉の触手がのびる 来たるべき書物のための言葉

詩はひとつの言語宇宙である。マラルメや石原吉郎の詩を読んだ時の驚愕を、時代の詩集に求めているが、なかなか新しい言語宇宙に会うことがない。詩句が爆発して、全身を揺さぶるスリルは、小説やエッセイにはないものである。

さて、はじめて、芳賀章内さんの詩集を熟読してみて、私なりに、詩や言葉について、改めて、考えさせられるところがあった。その感想を自由に語ってみたい。

(現代詩)は、大きく、二つのパターンに分かれていると思う。ひとつは、石垣りんのように、日常生活を、簡単な言葉で紡ぎだし、そこに、生きている生の重みを表現するタイプ。

もうひとつは、吉増剛造のように、言葉の意味を無限に拡大して、言葉の宇宙を作りあげ、存在の迷宮へ(もの自体)=(カント)の不思議そのものを詠いあげるタイプ。

はじめて読む、芳賀章内の詩は、もちろん、後者のタイプである。

現代詩は、むずかしいと言われている。現代詩は解らないという声が多い。原因はいろいろある。しかし、本当のむずかしさは、表現の手法や、新らしい喩や、テーマにあるのではない。(わかる)という、人間がもっている力にある。(わかる)は、本当に、不思議な人間のもっている力だ。

考えてみよう。1.5億光年先にある星を眼でみる。しかし(星そのもの)を見ることはできない。あるいは、1.5メール先にある木を眼で見る。同じように(木そのもの)を見ることはできない。これが(わかる)人と(わからない)人に分かれるもとなのだ。

決して(もの自体)は据えられない。

芳賀章内の詩句を見てみよう。

「直線の都市」「円いけもの」「緑の思考」「透明に逃げる」「呪文は丸い声をあげるだろう」。著者は、タイトルは私の心性だとあとがきで語っている。

これからの詩句がわかるかどうかが、芳賀の詩を評価できるかどうかの試金石となる。この言葉の使用は、決して心性ではなく、ロートレアモンなどが創出した、ひとつの手法のヴァリエーションである。

作者は、長年身につけた、詩法で、無意識のうちに、使用しているのだと思う。

心のうちに、あるイメージがあり、そのイメージにそって、言葉を組み立てているのだろう。そうすると、読者は、作者の内にあるものに触れないと、書かれた詩語から、それを想像することは、至難の技になる。ここに、芳賀の詩の困難と不幸と楽しみがある。

「風のような直喩の存在でありたいと」
芳賀は文明、都市、人類、宇宙、あらゆるものに触手をのばそうとしているかにみえる。
「音は声のはじまり
 声は音のはじまり」
とも表現する。本当はここから出発し、言語宇宙が築かれねばならぬ。

空海・弘法大師の宇宙はこうだ。
自然・生きもの→響き・音→声→ものの名前→真言→曼荼羅→法然の文字

空海は、風にそよぐ草・風に鳴る竹・咽喉からでる響きから、誰が作ったものでもない、自然に発生した文字(法語)にまで至ってしまった。言語の天才、空海だから可能だった。

芳賀章内の詩風は、来たるべき書物、たったひとつの大文字の「詩集」を作るためにあるのだろうと思う。詩語のもつ爆発力を頼りに、ひたすら、大きな困難とともに歩まねばならぬ。その為には、ひとつの言葉に無数の意味が宿るが、空海のように、自然も生きものも、たったひとつの言葉の顕れであると呟いてみるしかないのか。私の現代詩観だ。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

魂の交感劇 二つの宇宙の衝突が生んだもの

人間が50余年も、心の中に封印してきた、私だけの秘密を解き放とうとする行為に、魅力のないはずがない。これは事件だ。

私は、秋山駿が人間として、考えるということを中心にして、思索活動を続けてきたことに、30年間、注目してきた。

日本の文芸評論という枠を越えた、小説でもあり、評論でもあり、思想書でもある「ノオト」という新しいスタイルで、『内部の人間』『歩行と貝殻』『内的生活』『地下室の手記』『砂粒の私記』そして『舗石の思想』まで、読み続け、魅了された読者の一人だ。

考えることがそのまま生きることであり、書くことは呼吸と同じであり、私という無限の謎にたちむかう秋山駿の姿勢は、読む者の頭を手術し、心臓と感情をいつも泡だたせるものだった。

秋山駿の中心には、私という存在があり、考えるという事件があり、内部の人間という秘密がある。

処女作『内部の人間』(南北社版)には、理由なき殺人と言われた、小松川女子高生殺しの青年を論じて、それは、内部の人間が犯した犯罪だと断じた。

内部の人間とはいったい何者か?それはどんな人間なのか?なぜ、内部の人間がいるのか?読者は、その謎解きを求める。もちろん、秋山駿自身が、内部の人間である。自分の中に、その断片がない人間に、アイツは内部の人間だと言える訳がない。

いったい、その原型は、どこにあるのか、何時から、内部の人間が出現してきたのか、秋山駿の読者は、すべてを知りたいのだ。

私は、以前から、秋山駿の父は、ドストエフスキーだと思っていた。もちろん、思想の上での父親である。そして、兄弟はラスコールニコフだと考えてきた。

今回、大作『神経と夢想』を3ヶ月かけてじっくりと読んだ。長い間待っていた、内部の人間とは何者かという謎が解けた。老婆殺しの青年、ラスコールニコフが、内部の人間の原型だった。感動が来た。秋山駿という内部の人間が、小説の中の人間、ラスコールニコフに衝突する。ドストエフスキーの魂と秋山駿の魂が激しい交換劇を演じるのだ。読むという行為が、一番深いところでは、生きるという原点に達してしまう。これは驚きだ。

本書は、ドストエフスキーが創出した小説という宇宙を読みながら、秋山駿という宇宙が出現してしまうという構造になっている。秋山は、論ずるでもなく、思想を抽出するのでもなく「描写」にあらわれる人間のすべてに触れながら、そこからでてくる感慨を、自らの言葉にのせていくのだ。

小説の最高の読み方である。

秋山駿は、歩行の人である。任意の点から任意の点まで行く、現代の歩行に、現代人の生のスタイルを観る。
秋山駿は、2×2=4という、厳密だが、普通の生活を尊重して、自らの生の綱領を決めている。
だから、道ばたに転がっている、普通の石塊に、存在のすえてを見、そこに無限を見ようとして、対話をする。

秋山駿は、生きるために、必要なものだけを尊重する。余分なもの、装飾は、すべて破棄する。

つまり、『罪と罰』を読みながら、秋山駿は、自らを語ってみせるのだ。秋山駿の思索シリーズの原型は、もちろんドストエフスキー『地下生活者の手記』にある。

現在、この大作において、秋山駿の文体は大きく変わった。なぜか?秋山駿が、自らの死を意識したからだと思う。

するとどうなる?
今までノートシリーズで、考えるということを追求する、余分なもの、あいまいなものを赦さないという姿勢が変化して、存在するあらゆるものが、”私”を通過していくのを赦すというふうになるのだ。それでこそ、最高の作家ドストエフスキーとの魂の交流ができたのだ。

大作『神経と夢想』を読みながら、同時に、文庫本になった『舗石の思想』を再読した。文章の色調が一変する。呼吸が苦しくなる。(現実)が秋山駿という強いヤスリにかけられて、無残に崩れてしまうのだ。

『神経と夢想』が開かれた文体なら、『舗石の夢想』は、ひたすら中心だけを求める探求者の文体なのだ。

若い人たちは、一度、秋山駿のノオトに触れて、火傷をするがいいだろう。なぜなら、そこには、言葉が、世界を変えたり、思考が私を変える、深い、存在の謎があるからだ。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「他の追槌を赦さない文体の高みがある」

八月は、水の美しい季節だが、おびただしくまわる光の独楽のもとでは、砂の輝やきが、もっとも夏を象徴する。無数の光の独楽が洪水のように振るなかで、砂の素肌は、限りなく美しい結晶体に見える。光の強弱や角度や時間の移ろいのなかで、砂粒は、一瞬、キラリと輝やいては、不意に、沈黙する。時間のゆらぎのなかで、固有の小さな輝やきを放って、物質の表情をとりもどして、静止する。

完全に、静止しているものは、何もない。砂粒も、熱を含み、光に呼応して、じりじりと音をたてて、移動し、膨らみ、縮み、静かに眼をあけている。

X氏は、海に鋭く突きでた岬を眺めていた。真夏日の八月も中旬だ。いたるところに風が立ち、無数の馬が疾走する、白い波の形が、濡れて黒く光る磯に展がっている。風が鳴っている。岬が鳴っている。X氏の耳も鳴っていた。
Vの字を描いた海岸線の中央に、川が流れ込み、河口の左岸、右岸には、小高い砂のうねりがあって、ゆるやかなカーブが海に至る。X氏は、河口の左岸に展がる砂浜に腰をおろしていた。

青空に、海鳥が舞っていた。陽は、中空にあった。松林の緑が煮えたぎって、黒ずんで見えた。沖では、巨大な積乱雲が、質量を誇示して輝やいていた。まったくの夏だった。

光の洪水がふるなかでは、あらゆるものが、その正体をうしなって、影さえも、そのものを正確には写していなかった。時も、空間も、ゆらきの波のなかにあった。

X氏は、光にうたれながら、耳になって、海の声を聞き、眼になって、空の光を視た。光の波は、時空を垂直に流れてくる、途轍もない遠方からの、唯一の音信だった。光が音となって、耳にとどくような気がした。

水が鳴っている。X氏の細胞のなかで、プチプチ、プチプチと、沸騰した水が、内爆発して、水の皮膜が破れる音が響きはじめた。X氏は、単なるひとつの現象となって、宇宙の大合唱に参加しているような気がした。風景そのものになって、ゆらゆらと揺れていった。

相棒に、誘われてきた、見知らぬ海だった。熱帯夜が続く、都市の夏にうんざりして、重い腰をあげ、電車にゆられて、来た、辺境の町だった。煙草と酒と夜更かしで弱った身体には、海辺の光は刺戟が強すぎた。燃え盛る夏の海では、物質までが生きもののように見えた。

X氏は、砂浜に腰をおろした瞬間に、咽喉の奥で噛み殺した。自分の眼が空の中空にあって、自分の姿を見おろしているのだ。いつか、どこかで見た光景だった。いや、確かに、この風景のなかに、同じ姿勢で座っている自分を見たことがある。これは、単なる偶然であるが、錯覚のはずなのに、当然だ。すべて知っていたと感じてしまうのはどうしてだろうか。まったく同じ位置にいた自分を宇宙からの視線で眺めるかのように、承知していたと思うこと自体がX氏をおどろかせた。心のなかの風景が、眼の前の風景に似ているという単純なことでもなかった。既視体験でもない。もちろん、幻想でもない。おそろしいほどの力を得て、眼が見えすぎてしまうのだった。透視者だとも呼べば呼べた。高みにある眼は、次々に起こる現象のすげてを知っていた。

赤犬が長い舌をだして、あえぎながら歩いている。水がゆれる。海星や蛸や海胆や蟹が音もなく、触手や手足をのばして水のなかを這っている。闇の巣喰った岩間から、魚たちがひらりと姿をあらわしては、餌を漁りながら遊泳する。

X氏の眼は、すべてを見た。しかし、どうしても見えないものがあった。自分は、いったい、どこから来て、どこへ行くのだろうか、その姿だけは、見えなかった。どても簡単なことが、いつものふつうのことが、わからなかった。

簡単な合図があれば、すべてがわかるような気がした。それは、手をのばせば、触れられる位置にあるのに、そして、自然に納得していることなのに、どうしても、一歩の距離があって、指先に触れることができなかった。それは、永遠に触れるようなことかもしれないし、水を呑むようなことかもしれない。一切がわかってしまうか、すべてが闇のなかのことで終わってしまうかもしれない。

耳鳴りが激しくなった。光がコメカミを刺し貫いていた。眩暈がした。透明な磁力の糸で縛られて、指1本動かすのも、気が重かった。空も海も光で漲っていて、これ以上、熱の力が強くなると、ひび割れが生じて、時空がゆらいでも不思議ではないと思えた。

不意に耳鳴りがやんだ。一瞬、音が消えて、波の音が耳に流れ込んで来た。風景が、1枚の静止した絵画になった。身体の火照りが、頭の芯をぼーっとさせて、熱の力が全身を支配しているのがわかった。

どこかへ移動しなければ、何か、あぶないことが起こってしまう、そうだ、どこかへ一歩を踏みだせば、その先は知るものか。X氏は、中空にある眼で、自分を眺めながら、そう思った。

影が揺れた。その瞬間、中空の眼は消えていた。水のなかに、男が立っている。手を振っている。白い歯が光った。男は、身体を前方に倒して、水を押し、波を切り、水の壁を踏みながら、ゆっくりと歩いてくる。濡れた肌が輝き、太腿の筋肉がゆれ、膝頭が水面にでると、スピードをあげて走り、白い砂を踏んで、ぐいぐいと接近してきた。男は、一直線にX氏めがけて走ってくる。ある距離まで走ってきたとき、影だった男の顔が、不意に、相棒の見慣れた顔になった。

声が鋭い物質のように飛んできた。

— 海を見に来た訳じゃあるまいし、少しは泳いだらどうだい

垂直に降る光のなかで、相棒は、仁王立ちになって、X氏を見おろした。相棒の姿は、自信がありすぎて、妙にあぶないような気がした。おそらく、強すぎる光のせいだ。

相棒の声に触れると、今しがたまで、頭の芯に巣喰っていた奇妙な不安の種子が消えてしまって、空の青みが、ただ、眩しいものに思えた。

相棒は、X氏の傍らに寝ころぶと、煙草に火を点けて、美味そうに、一服喫った。

X氏は、馬鹿馬鹿しい、少し、気持が衰弱していただけさと自分に云いきかせて、波打ち際まで歩いてみたが、妙に、落着かなくて、相棒のいる砂浜を振り返った。

相棒は、右手を高くあげて、沖の方を指差した。X氏の眼のなかで、相棒の右手がつるつる滑って、まるで機械仕掛けの人形のように、存在感が稀薄だった。

相棒に背をむけて、水に足を入れると、液体の揺れに全身が共振れして、くらくらと、眩暈が走り、耳に、海の声が滑り込んできた。海が大きく身体を開いた。光滴に濡れた海は、千の貌を覗かせた。白い泡が足もとを隠した。足が溶け、腰が、胸が、波のうねりに押しあげられて、浮き沈みしながら、水の力を証明した。X氏は、幾重にもおそいかかるうねりに腕を差して、しなやかに水を掻きわけ、白い波頭をくぐりぬけ、水の腹を突き破り、波の波長に呼吸をあわせていった。大きな波の背中を滑ると、波のうねりが、林立する無数の小山に思えて、腕の力が、ひどく頼りない、小さなものに思えてくる。クロールから平泳ぎに切りかえて、ゆっくりと、水の言葉をききとりながら、沖へとむかった。

砂浜は、遠く、人影も点になって、ようやく、水のリズムが身体に合ってきて、海の貌だけが眼に映った。水平に泳いでいるのに海の時間は、水のなかを、垂直に流れているように感じられた。頭が空っぽになってきた。水面から、顔だけをだして、空の青を見た。空の中空に風が舞っていた。いや、海が揺れているためか、空の青が、結晶して、抽象画のように思える。空の手触りがない。妙な気分になった。心がかすかに傾いた。そのまま、空を眺め続けられなくて、ふたたび、泳ぎはじめた。

水は、岸辺から、淡いみどり、群青色、もっと深く、濃い青へと色の階段をくりひろげて、透明な身体を染めわけている。静かだ。泳いでいると、水の律動に誘われて、記憶の暗い部屋の奥に封印されていたものが、不意に点火して、爆発し、細胞たちをゆさぶってせりだしてくるような気がする。耳をすましてみるが、海の声がひびくばかりだ。頭の芯がしびれている。水は、ただ、ゆっくりと移動している。

海に犯されていると思った。時間や距離の感覚が麻痺しているのだ。手触りがなければ、人間の眼も頭も判断力が弱くなって、阿呆同然になるらしい。頼りないものだ。おびただしい光の粒子を受けて、眼も心も、水のなかに流れだしてしまい、濁っている感覚だけが、唯一、確かなものだと思われた。

その感覚には、見覚えがあった。無数の兄弟たちと、激しい流れのなかを漂っていた。闇のなかを、どこからどこへというあてもなく、ただ、どこかに出口はないものかと、先を競って、どんどん流れていった。気がつくと、無数の兄弟たちとは、別れ別れになって、たったひとり、静かな海に漂っていた。おそらく、孤独を知ったのもそのときが、はじめてだ。兄弟たちは、何処へ行ったのだろう。

水には、水の法則があって、水に書き込まれた約束が、自分を赤い糸のように貫いているとX氏は思う。そして水のなかにいると、その約束が、なにかはわからないのに、妙に落着き、その疑問を考えなくても、自然に、わかるときが来るような気がするのだった。

X氏は、ひとつの海の種子となって漂った。海の私語、光の声、水の呟き、魚たちの告白、貝殻の独白、砂の沈黙が、夏の海を構成していた。

もちろん、青空の力が中心にあった。青は、高く、高く、どこまでも空の底を突きあげてその質量を、色彩を誇った。空気を染めて、眼を眩惑した。長く、水に浸っていると、足が、地面の感触を欲しがるせいか、いつのまにか、身体が、宙づりにされている感覚に反発しはじめる。空の青に触れると、青がX氏を吸いげて、上へ、上へ、どこまでも上昇する感覚に染まり、眼は、中心を求めようと激しい昂ぶりをみせる。眩暈が来た。音が消えた。光の樹木が空の青にのびている。光の波にのって、軽くなった身体は、高く、もっと青の中心へと舞いあがり、光の宇宙樹の頂点までも翔んで行くのだった。

光の暈があった。

無数の光が、爆発する宇宙樹の根から誕生した。X氏は、夥しい光のなかに、透明な、骰子が、偶然という空にむかって投げられるのを視た。

水平線が消えた。空が消えた。何か、小さな、小さな点のようなものが、おそろしく遠方から急激に接近してきて、巨大なものに膨らみ、おそらく光よりも速いかもしれないそれは、形も姿も定かでなく、ただ、眼の前が真っ暗になって、何も見えなくなった。

空の高みへと上昇する感覚が一瞬のうちに消えると、水が鉛の塊りにでも変わってしまったのか、全身が、熱で火照って、重い物質になって、真っ逆様に落ちはじめたのだった。

X氏は、獣のように唸り声をあげた。手を、足を、必死になって、動かそうとしたが、もがけばもがくほど、水の糸にまかれて、自由をうしなっていった。

意識が泡立った。X氏は、ひとつの痙攣になった。心臓が停止した。水は、異物となって、X氏を襲った。まったくの、闇が来た。X氏は、発作の瞬間、白紙よりも白い顔をした。そして、大きなものに視界を奪われて、意識が泡立ち、二秒か三秒の間に、こうして完全に、完了するのだと自分に言いきかせた。右手で水の壁を押し、左手で心臓のあたりを圧迫した。水面に、手や頭や足が浮かんでは、波に消し去られ、いくどか、思いだしたように浮上していたX氏の身体は、終に、その姿を現さなくなった。

X氏は、どこまでも、垂直に落ちていった。もう、水の感触はなかった。胸を圧迫する、窒息感もない。空気の抵抗もない。引力も重力さえもなかった。巨大な闇だけがあった。上も下もないのに、ただ、垂直に、落ちていくことだけがわかった。いったい、どこへ行くのだろう。X氏は、無数の兄弟たちが消えて、どこかへ行ってしまったことを思いだした。その兄弟たちも、こうして、垂直に、落ちて行ったのだろうか。寒い、自分の眼で見ているわけでもないのに、闇が深くて、眼は役に立たないはずなのに、落ちていく自分の姿がくっきりと見えるのだった。そして、奇妙なことに、見えるといっても、身体の形が見えるというわけではないのだ。闇で一切が見えず、区別をすることもできないのに、自分が見えてしまうのだった。もうひとつの眼でもあるというのだろうか。いや、見る力は、眼以外にも存在するとでもいうのだろうか。わからない。しかし、わからないことが、どういう訳だか知らないが、わかったしまうのだ。

X氏は、どこまでも、限りなく、ただ、垂直に落ちていく自分を見つづけていることが苦痛になった。まるで、永遠に触れているようなものだ。底もなく、果てもない。永久のただの移動だ。これ以上退屈なものを知らない。人は、永生を夢見るというが、永遠の生命など、空おそろしい。それは、最高の苦痛だ。おそらく、どんな意識もたえられまい。X氏は、自分が、完全に完了してしまった存在かどうかを知りたかった。すでに完了しているのなら、生きていたときの自分と区別をつけることはできないはずだ。とすると、まだ、自分は、死んでいないのだろうか。境界線を跨いでしまったのではいのか。いや、二つの領域の線上に立ち、ふたつの自分を眺めているとでもいうのだろうか。しかし、人類がはじまってから、まだ、二つの世界を体験して、なお、生の領域で呼吸している人は誰もいない。

X氏は、断定した。これは、決して、死ではない。いや、死であっては困る。これが死であるなら、死ぬ瞬間の苦痛などなにものでもない。死は、誰にも見えない。死は、経験することができないのだ。自分の死ですら、これが死だと言えない。死は、無ですらない。死は、ある暗い力だ。滅びる方向へと働くひとつの作用だ。そして、いつまでも、未知のものだ。

そう考えて、X氏は、今まで、自分が、生と死という二分法に頼って、ものごとを判断してきた事実に気がついた。

死もまた、成長するひとつの力ではなかったか。死を構築していく力というものがあるのだ。おそらく、人は、知らず知らずに、自分の生命を成長させる反面で、死も育てあげているのだ。その透明な力は、今、自分が見ている力と似ているような気がする。眼がないのに、自分が見えてしまう力だ。それを、なんと呼べばいいのだろうか。

垂直の落下がどこまでも続いた。X氏は、終りが来ることを願った。十字架にのぼって死刑になるほうが、随分楽だと思った。音も、色も、匂いも、形もなかった。のっぺらぼうの闇が無限に続いている世界だった。名伏しがたい苦痛だけが増大していった。苦痛とでもいいから永遠に一緒にいたいという信条はX氏にはない。これが生の領域のことであるなら、完全に殺してもらいたいと思う。これが死の領域のことであるなら、もう一度、死を死にたいと思う。はじまりがあったなら、おわりもあるはずだ。

落下する自分を見ている眼が曲者だった。その眼が死ねば、一切が完了してしまう。しかし、ただ見ているだけの眼を、どうすることもできない。眼を死刑にする方法はないのか。眼には、発狂の自由さえない。

橋をわたれば、小鳥たちが歌い、花々は咲き乱れ、音楽が流れ、天には金色の光が輝やくのではなかったか。あるいは、地獄の責苦が待っているのではなかったか。ここには、なにもない。ないということだけがある。

X氏は、不意に、気がついた。自分は、物質の最小単位となって、垂直に落下していたのだ。あらゆるものが、完全均質なために、数えることも、区別することも、形をもつこともない世界だった。闇だと思ったものは、実は、完全均質の世界だったのだ。そこでは、ゆらぎも、時間さえも発生してはいなかった。

X氏は、はじめて、祈った。そして、叫んだ。助けてくれ!!もちろん、それも、声にはならなかった。

相棒は、短い、夢のような眠りから覚めて、水面に浮いているあまたの黒い頭を、眼を細めながら眺めていた。真夏日の海の光は、やわらかい肌を焼き、肌の表面には、塩が結晶して、白い粉を吹いていた。焼けた白い砂の熱に耐えかねて、もうひと泳ぎしようかと腰をあげて、手足をぐいとのばして、眩しく輝やく海の一点に視線を投げかけたとき、妙な形で手足が海面に突きでているの発見した。

白い波飛沫を見た瞬間に、相棒の頭は、誰かが溺れていると正確に判断をくだした。そして、次の瞬間には、おーい、人が溺れているぞと、砂浜中にひびきわたる大声をあげて、海へむかって疾走した。熱い砂を蹴り、水を踏み、波を切り、海中に沈んでいく黒い頭をめざして、クロール、クロール、強く、強く、腕を、足を、水の壁に突き刺して、回転させ、力泳した。男たちが、次々に、水飛沫をあげて、海に、白い直線をひいた。砂浜が、海が燃えあがった。

相棒や男たちは、息を深く吸い込むと、八月の海に潜っていった。海中で、一人の男が腕をのばして、指で合図をした。手足をだらりとのばした人影が、海底で揺れていた。X氏だった。男たちは、遠浅の海が幸いしたと、漂うX氏の腕や手や足や髪の毛を手分けして摑み、波にのせるようにして、浮上させると、一気に、波打ち際まで曳航して、砂浜に担ぎあげた。その間、15分が経過していた。

水から引きあげられたX氏は、人間というよりも、魚類に似ていた。もう、身体のあちこちに硬直があらわれて、やわらかい物質が結晶していく様に酷似していた。唇にも色がなかった。しかし、まだ、胸の筋肉や額あたりには、生きる意志のようなものが、弾みとなって残っていた。

— いつ眼をあけてもおかしくない

誰かが呟いた

相棒は、冗談ではない、まだ死者ではない、死なせてたまるかと声の方を睨みつけた。

心臓は、完全にとまっていた。

相棒は、砂浜に横たわったX氏に馬乗りになった。今しがたまで語りあっていたX氏は、もう、十歳も、二十歳も歳をとった年配者に見えた。1、2、3と規則正しく人工呼吸を繰りかえした。男たちに頼んで、冷えて硬直した手足や胸を摩擦してもらった。手が、X氏を擦り続けた。

いつのまにか、沈黙したX氏の周辺に人垣ができていた。

不意に叫び声があがった。X氏を覗き込んでいた十歳ほどの少女が、口から蟹のように白い泡を吹き、全身を痙攣させながら、卒倒したのだった。

— 子供に見せるもんじゃない
— 病院だ、病院だ

裸の死は、もう、長い間、人の眼から隠されていた。死は病院のものになっている。家族も、器具の向こう側に、死者を見るだけだった。子供だけではない、大人のなかにも、死者を、死ぬ瞬間を見たことがない人が増えている。死は、人間に与えられるもののなかで、もっとも平等なものだ。誰もが死ぬ。そして、死の一回性は、決して、自分の死を見ることができず、他人の死しか見えない点にある。その死に、どうして、現代人は、椅子を与えてやろうとしないのだろう。死を死ぬことが不可能になってくるのは、おそらく、その為だ。

相棒の眼が険しくなった。時間がこぼれおちていく。幾多の手が動き続けた。八月の光は音もなく砂粒を、材木のようにごろんと転がったX氏を刺し貫いている。覗き込む眼にも暗い翳リが宿り、焦躁の色が濃くなった。眼に、断念の色を浮かべる者もあった。潮風にX氏の髪の毛が揺れた。相棒は、息を呑んだ。

紫色に変色していたX氏の唇に、一点、朱がさした。頬に、痙攣のようなものが走った。相棒は、X氏の胸を揉む手に力をこめて、心臓の音がひびくのを待った。白い砂は、じりじり音をたてて燃えている。痙攣の波が頬に走り、手や足に、唇にひろがっていった。

相棒の眼が笑った。

X氏の心臓が動いた。あたらしいX氏の誕生の瞬間だ。すでに、死線をこえて、まったくの物質と化してしまっていたと思われたX氏が甦った。息がもれた。呼吸の開始だ。ふたたび、ゆっくりと、こちら側の岸へ、X氏がうちあげられた。ざわめきが起こった。

人々は、一人残らず、動きはじめたX氏の心音に、自分の心音を重ね合わせるような眼の色を浮かばせていた。私語が飛び交って、重苦しい沈黙が破れた。

— ほら、ああやって、ゆっくりと意識がもどってくるんだよ
— 辛そうな顔だね
— 本当だ。おびえているみたいだ
— 苦しいのさ
— 表情がでてきたぞ。しめたものだ
— あまり、水を飲んでいなかったのがよかった。おそらく、脳はやられていないだろう
— 赤ん坊みたい
— 今に、眼をあけるぞ
— 死ぬのにも力がいるんだね
— 生きるのと同じくらいね
— 帰って来たぞ
— 誕生だ。二度目の誕生だ
発作が痙攣の波となってX氏の全身を走った。

X氏は、長いトンネルをくぐっていた。

壁も、穴も、水も、空気もなかったが、透明な磁場のようなものが身体をしばっていて、トンネルをくぐっている感覚に犯された。トンネルを、くぐっても、くぐっても、くぐっても、どこにも、出口らしきものは見あたらない。思いきり浮上して、トンネルの外へ出て、呼吸がしたかった。もう少し、もう少しと思い続けるが、いつ、息が切れてもおかしくない。勝手に、手が、足が、動きつづけている。まるで、水でも切るように。苦しい。もう、あきらめてもいいなと思っているのに、手足は、本能的に動いているのだ。身体は、執拗で、精密な生きものだ。

不意に、頭上で、爆発音がした。ひとつ、ふたつ、音は、鋭く、炸裂した。その瞬間、白っぽい光が舞った。黄色い光滴が、四方八方から降りそそいできた。光の独楽は、渦状に廻り、腕の形になり、円盤形にかわり、めまぐるしく変化した。嘔吐がした。音が耳に触れるたびに、鉛の玉をうちこまれる思いがした。頭の骨を削りとられているような音が耳を占領した。身体の、自然な統一感がなくて、手が、足が、頭が、どこにあるのか、まるでわからなかった。

— 意識がもどったぞ

頭上で、大きな爆発音がした。それが、人の声だとわかるまで、ずいぶんと時間がかかった。

X氏は、指先に力を入れた。はじめて触れたものが砂粒だとわかったときは、妙な気分になって、笑いたかった。石でもなく、土でもなく、それは、まさしく、砂粒だった。指が、正確に、判断した。X氏は、砂粒を握りしめた。

— ほら、見ろよ、指が動いているぞ
— 気がついたか
— もう、心配ない
— 間もなくだ

無数の透明な糸が、四方八方から飛んできた。鋭い直線になって飛んできた糸は、それぞれが、音をたてて結び合わされ、耳が、眼が、手が、足が、X氏の身体となって構成されていった。ぴちぴち、ぴちぴち、赤い血が音をたてて流れはじめた。おびただしいうねりとなった赤い血は、中心から、少しでも遠くへと疾走した。

瞼に触れている、熱いものが、光だった。眼をあけるのが、おそろしく怖かった。ここが何処なのか、眼に、何が映るのか、知るのが不安だった。ただ、形のある砂粒がある場所だということだけは信じられた。

頭の芯が疼くために、3秒とは、考えることができなかった。いったい、自分が何者なのか、どこから来て、どこへ行くのか、一切がわからなかった。あることがないことであり、ないことがあることである、妙な気がした。生きたり、死んだりして、死を生きたり、生を死んだりしているような思いがした。

頭上で爆発する音が、人の声だとはわかったが、単なる音の流れで、まったく、意味がわからない。

X氏は、思いきって、眼をあけてみた。黒い頭が宙に浮いていて、いくつもの眼が、強い力で覗き込んでいた。

岬が鳴り続けていた。八月の青空があった。X氏は、風の流れを眼で追った。岬の左岸を打つ風は、岬の右の貌を知らず、岬の右岸を打つ風は、岬の左の貌を知らない。永遠にそうであるしかない。岬は、ふたつの貌をもったまま、鳴り続けている。風のなかで鳴りつづける岬は、長いトンネルをくぐりぬけてきたX氏の貌と相似形だった。

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