Author:
• 火曜日, 11月 04th, 2008

死んで花開いて、実にいい作品が生まれる

【井出】まず読者のために、はしりだけ小説の紹介をしておきます。
主人公X氏は百科事典、万歩計、写真集、歯ブラシ、ふとん、等々・・・。モノを売る、いわば営業マンだ。そのためによく歩く。妻エクソンと娘のイントロンの三人のごく平凡な生活がある。それが迷い猫の出現や妻の母の死などによって破られてゆく。娘のイントロンの身体の中に超能力が生じ出してくる。やがて父と娘は、その娘が人間の存在を越えて異次元へと飛び立つ場所を探して旅に出る。というようなところですが・・・。
今日は、重田さんが最も強くその思考の影響を受けて出発した秋山駿氏をお訪ねして、この近著について語り合ってもらう、ということですが・・・。

【秋山】久しぶりだね。

【重田】ええ、電話やお手紙では1年に何回となくおつき合いいただいているんですが、お会いするのは何十年ぶりになります。はじめ25歳のとき『風の貌』を出して早稲田の交差点でお渡しして、すぐにいただいた手紙に「奇妙な感覚をもっていて面白いが、成熟するには時間がかかるタイプの小説だな」って書かれてありました。その後、家にいろいろなことがあったり・・・。

【秋山】そうだったね。活字にするにはちょっと差しさわりがあるけど。

【重田】ええ、16年くらい、何か書こうとすると、どうしてもそこにと向かい合わなければならない。しかし、現実には書けない。それと普通のサラリーマンとして働き出したりして、あっという間に16年くらい経ってしまった。で、諸々の条件が変わってきて『ビッグ・バンの風に吹かれて』という形で纏め、そのあとエイズをテーマにした『死の種子』を出しました。そして今回ということになります。

【秋山】しかし、作品としては、そういう10年、いや20年近くの沈黙が爆発するように出てきて大変よいものになっているよね。余計やトリック的なものもなく直進している。これがいいよね。現実には辛かったろうが、小説だけの世界から言えば、それが素晴らしい形で出てきた。しかし、聞けば大変忙しそうじゃないか。

【重田】今年1月から朝5時に起きて書き、毎月40枚ずつ出版社に渡すようにして半年間で創りました。

観念ではなく、非現実の中軸に向かって

【秋山】そうか。そこがこの小説の秘処かもしれないね。
主人公の職業が、セールスマンで歩くってこと。これは人間が生きる基本の行動で、一番単純な。そこに主人公が歩くことで、もの事がよく考えられている。思考がきちんと地についている。こういう流れは今は全然ないというわけではないが、昔はもっと沢山あった。例えば他にもいっぱいあるけど自分の分野でいえば小林秀雄の『Xへの手紙』『感想 ベルグソン』の、あのお母さんが蛍になるっていう場面だよね。ようするに考える、という行為と現実に書くということが重なっている。考える散文というようなものが小説のスタイルとして出てきたといった感じ。もう一つ言えば三島由紀夫の『太陽と鉄』もそうなんだよ。
それと以前の作品と少し違っているのは観念ではなくて非現実に向かっているってことね。そこがいい。観念に向かったって、それは知識になってしまう。知識で書いた小説は人を打たない。後半の部分もいろいろ勉強しているけど、それが歩くっていう行為を土台にしているから、うまく沈んでいる。
ただね。妻のエクソン、娘のイントロンの名に関しては、少し具体的な説明はした方がよかった。長くなくっていいんだが。

【重田】ええ、イントロンというのは遺伝子の中の、まだ何になるか分からないもの、沢山ある遺伝子はだいたいどんな動きをするか分かっているのですが、中でまだ分からないもの、未知なもの。エクソンというのは細胞とか遺伝子が運動しているのですが、そのもっとも素になるものマザーというものです。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』など片仮名で出てくる。少し意識しました。花子とか太郎とか、そういう名でもいいんですが、僕の考えでは少し色彩が違う。違和感が出てくるのです。

【秋山】そこがむずかしいところだね、この小説の。科学の次元、宗教の次元で説明すれば、ある程度説明出来る。けど、ここは小説だから、特に君のようなスタイルの小説は。科学や宗教というようなものをさえ疑わなければいけない。それが小説の苦しさであり、小説の存在理由だよね。
死後、光になる。紫色に周囲が変色する。仏教とか臨床医学などで説明してくれているけど、実際に我々の日常の中でだってそんな体験はある。疲れの激しいとき、衰弱してるときなんかね。それを克明に記せばいい。それが現実を土台にして思考が力強くなることだと思う。じっと視つめていると△と□が○になってゆく、そういうの昔からえらい坊さんが、そんな境地になったって話、よくあるけど、そんなのよりよっぽどいい。真っ直ぐに現実に向かい合って、その向こうの非現実に直進している。

【重田】20代、30代のときも、そんな思考をして書いてみたことがあるけど、今書いてみると全く違う。文体の何から何まで違ってきている。

【秋山】いや、それでいい。それが成熟というものが、足が地に着いている。
あ、それと、どこだったか、物を売るセールスマンを、マルクスの言葉で説明していたね。どこだっけ。

【重田】ええ、うーんと、ここです。<モノが商品として売れる不思議を、経済学者のマルクスは「商品が命がけの跳躍をする」と表現している。なるほど、あの感触のことだ。X氏は、経済という学問は奥が深いかもしれぬが、モノを売るセールスマンという仕事も、同じくらいに深い行為だと思っている。>

思考に、足が地に着いた力強さがある

【秋山】そう、そう、そこ。足に地が着いた力強さがある。リアリティがある。もうちょっと続きを読もう。

【重田】<最近、X氏は、セールスマンとは、もう一人の歩くマルクスになることではないかとひそかに考え、自分を鼓舞している。それでも、壁にぶつかっては、廻れ右をして、弱気になったり、あれやこれや事故や不運に直面しながら、どうにか1日1日を生きている。同じ1日では決してない。>

【秋山】マルクスがそういったか、どうか知らないけど、君の中のマルクスがある。君の中でマルクスが生き生きしているよ。

【重田】さっき、20代と文体が変わったっていいましたが、思考も20年、書くという行為と離れて日常に追われて生きてきて、全く変わったという実感はあります。

【秋山】本当はね、作家というものはそういうものなんだと思う。作家は一度死ななければならないっていうことがある。一度死んで花開いた作家が実にいい作家になっている例が沢山ある。7、8年死んでた人ね。君のは少し長かったけど。岩阪恵子という作家。それに歴史小説家の宮城谷昌光なんて人がいる。みんな一度死んでいる。その後生き返って素晴らしい作品を書いている。
それとね。この小説にはもう1つ、大きな柱がある。女性の問題だね。母と娘という線の中心にあるのは女の考え、ということだね。男と全く違う考え方が今は大きな要素になる。それがよく出ている。それが追求されている。女の深い考え方ってのがある。
しかも、サラリーマンという、本当の意味でのというか、実際の姿がよく表現されている。セールスマンというと、一般的には誤解されているようなイメージで語られているから。

【重田】そうですね。この国ではセールスマンと呼ばれている人が500万人くらいいるといわれています。ところが旧来の小説で表現されているのは、お金を扱う悪い人というイメージがある。若い主人公がいて、それと対比される悪人か、そうでなくてもせいぜい主人公を浮かび上がらせるための脇役でしかない。気の毒な役割ばかりなんですよ。かつて1回も正当に描かれたことがない。セールスマンの本といえば、こうしたら売れるという、ノウハウの本が沢山ある。しかし、僕はこういう人達が、本当に自分は何だと考える契機になるような本を書いてみたかった。1日1日をどんなふうに生きてゆくか考える、その方がずっと重要で、ハウトゥなどということは結果であって、その前にしっかり自分を考えていればいい。文学的に粉飾されていないセールスを描きたかった。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can leave a response, or trackback from your own site.
Leave a Reply