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• 火曜日, 11月 04th, 2008

読書の楽しみは、どんな時代に生きた人のものでも、自由に読めることである。一生出会うこともない、もう死んでしまっている人の声、はるかな・遠方の・別世界にすんでいる人の声、文章には未知の・遠い・遠い人たちも、まるで知人や友人や肉親のように、知ることができる長所がある。

その人の姿や考え方、生きざまがくっきりと浮かびあがる。【本】は時空をとびこえる声の乗り物だ。その声に耳を傾けない手はない。もったいない。人が実人生で会う人間の数も場面も限られている。

では、現に我々が生きている同時代人のことを、よく知っていると言えるのだろうか?

私はなぜ、小説を書くかと問われれば、私自身はもちろん、現在生きている人間を描きたいからだと答えたい。私たち(私)はどこから来て、どこへ行くのか? 私たち(私)は何者か? という大きな謎に対する、私自身の答えを探求したいためだ。

もちろん、生きていること自体が、その行為に直結している。

さて“秋深き隣は何をする人ぞ”の句ではないが、現代という同じ空気を吸って生きてはいても、人は実にさまざまなスタイルで考えたり、生活していたりするものだ。人の心は、容易に理解できない。

私も何人かの気になる作家が書いた【本】は、いつも出版される度に購入して、読み続けている。その声を知りたいからである。現在(いま)何を考え、どう生きているのか、その一人に“池田晶子”がいる。

池田晶子が、わが国で最も難解だ(?)とされている長編小説「死霊」の埴谷雄高を論じはじめた時から注目している。そして新しい自分の手法を考案してから、現在に至るまで、出版された池田晶子の本は、すべて熟読している。

池田晶子はとにかく面白い。いや、彼女の思考の形を読むのが快いのだ。池田晶子は長い不遇の時代があった。いや「植木師に手を入れられた悲しさよ─(中原中也)」ではないが、編集者と衝突した時代があったらしい。

もちろん、本物は、才能は、どんな困難があろうとも、独りで立ちあがってくるものだ。

池田晶子はいつも、この“私”から出発して歩きはじめ、何時(いつ)の間にか迷宮の森へと誘い、驚きのつぶてを投げ、揺さぶり、新しい発見へと導いてしまう思考の力業を発揮してくれる。そこには、いつも考える池田晶子が立っている。端正で、明晰(めいせき)で、寸分の狂いもない文体がある。

まるで考える球体である。触れれば、どこからでも入っていける。もちろん、出口は読者に任されている。読む人の力、眼力に応じて、その内容がいくらでも深くなるように仕組まれている。

池田晶子の本が出る度に、ついつい買ってしまい、時間を惜しまず読み耽ってしまう。愛読者である。一面識もないのに、その直感と思考の形を追うことで、人間としてもっとも良く知った一人になってしまっている。

読むということは、実は同時に、生きることであり、そのスリルのある瞬間を共有しているのだ。

私にとっては、実にわかりやすく、その繊細な思考の糸、言葉の配置までが見えてしまう。彼女の直感が捉えたものが、文章となって起ちあがってくる気配やその手順までが透けて見える。文章・思考が私の心の中央に突き刺さるので、私も読みながら、私の思考を組み立てて対応している。読書とは受け身ではないのだ。私の内部にあるものが、文章を読む瞬間に発火しているのだ。だから面白いのだ。

しかし池田晶子の書くものはむずかしい、わからない、という人が必ずいる。なぜか? 【私】と彼女が言う時の【私】。存在そのものが、社会に生きて身につけているもの(いわゆる社会的私?)と混同されるからだ。出身地、名前、立場、仕事…などなど。

「内部の人間」を書いた秋山駿も、長い間、その為に誤解された。いくつかのポイントを踏まえておけば、秋山駿も、池田晶子も、実に正確すぎるほどの【正論】を述べている人たちだから、なるほどと合点がいくのだ。いわば裸の“私”を問題にしているのだ。

日本には、明治の北村透谷「内部生命論」にはじまって、考える人という系譜があるのだ。埴谷雄高、秋山駿、池田晶子に至る、思考する人たちだ。もちろん、小林秀雄はその中心にいる。

池田晶子は哲学する人というよりも、すべてをただただ考えつくす人だ、という風に私は考えている。存在そのものが割れてしまう地点まで、思考が、考えることが、特異点に衝突して破裂し、狂ってしまう、その一歩手前まで行ってほしい。

その為には、現在の3〜5枚の考えるシリーズとは別に、そろそろ本格的なものにも挑戦してほしい。

私も感想ではなく、きちんとした池田晶子論や、秋山駿論を書かねばならぬ、と考えているが…。

重田昇が選ぶ【池田晶子の本】ベスト3
①「新・考えるヒント」(小林秀雄論)
②「帰ってきたソクラテス」
③「考える日々」

Category: エッセイ, 作品
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