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• 月曜日, 8月 29th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1901. 3・11の、その日のことを語れば(私)が壊れてしまう人がいて、語らなければ(私)が壊れてしまう人もいる。
1902. スベテが無役に終ったから、コトバの本来の力を信じて、最後のコトバ、呪文を唱えてみる。
1903. 善とか悪とか、信とか疑とか、「人間原理」で生きることに倦み疲れた時には、無限とか無とか、超球とか虚とか、「宇宙原理」に触れて、ココロを、宙に、浮遊してみる。
1904. ニンゲンは、魂魄である。古代人は言った。天から来たものは、天へ、魂。地から来たものは地へ、魄。(私)は死んだか。
1905. 艱難辛苦のセイカツである。四苦八苦の人生である。すっかり終ってしまうと、透明になって、軽々とした。文句もない。
1906. 3・11があって、ココロが日々のあれこれから、異次元のあれこれへと、遊泳しはじめたので、逢うものたちが、まったく、姿を変えてしまった。
1907. 真夏の、朝の海、太陽と水と空と実にシンプルな光景である。無限も永遠も発見できる。
1908. 海が、黒々と、垂直に、天から来た3・11である。
1909. ニンゲンの顔が、のっぺらぼうになってしまう3・11であった。畏怖である。
1910. 僧も、また打つ手なしの3・11だ。
1911. 3・11以後は、心の破れ目に、傷に、どこまでも、伴走してあげる覚悟がある。
1912. 意識の形象化が爆発して、光の乱舞する混沌に、3・11があった。
1913. 生者たちの夏が終って、死者たちが、光となって、はねているお盆の海である。
1914. こんなところで、こんなことをしている場合じゃないのに。3・11以後は、誰もが、そう思って、生きてる。しかし、ついつい、昨日の習慣に縛られて生きてしまう、ニンゲンであるか。
1915. 切りのない、果てのない、無限地獄に落ちてしまった3・11。誰も、歩き方がわからない。
1916. 3・11の空虚(そら)は、開いたままの空虚(あな)である。
1917. 歩いて、歩いて、新しい実存(みち)が出来あがるまで、(私)の中心に心柱をたてて。
1918. マラルメは「虚無」へ。空海は「自心源底」へ。(私)は、「宇宙」のヘソへ。
1919. 確かに、誰かが言っていた。「魂は、ニンゲンが死んでから顕現する」と。なるほど。三陸は、魂たちの海か!!
1920. 光の、「分光器」があるならば、コトバの「分言器」もあるだろう。悲しみの「分心器」もあるのだろうか?
1921. 国は、何時、本当のことを言うのだろう。千人、千五百人、三千人・・・子供たちがフクシマから逃げ去っているのに。
1922. 歩行は、一番の気付きの場である。3・11の現場を歩いてみる。
1923. 気付きの後には、思考が来る。思考の後には、行動が来る。
1924. 「日常→非日常→日常」の経験の中で、東日本大震災からの、本物の思想が起ちあがるものと信ずる。
1925. (私)にとって、生きている(現場)が「本」であった。
1926. 「本」を読む以上に、生きた現場を読んできた。
1927. アフォリズムは「本質直感」(プラトン)かもしれぬ。
1928. 生きる現場を離れて、なんの思想ぞ、その思いが(私)にはある。
1929. 「気付き」の起点がなければ、何もはじまらない。「気付き」から思考へ、実践へ、探求と深化の旅がはじまる。
1930. 3・11では、「宇宙原理」が顕現した。いつも、普通に生きている「人間原理」が役に立たなかった。ニンゲンに、生きものたちに関係なく、廻っている「宇宙原理」である。
1931. 日常では、あらゆるコトとモノに意味と名前を付けてきた。3・11では、名前のない、のっぺらぼうが出現して、無・意味、非意味という現象に驚愕した。
1932. 時空も、また、存在自体の兄弟なら、消えたり、現れたりするシステムの秘密をニンゲンに告げてくれ。
1933. ニンゲンの、何が、どのように、宇宙に残るというのだろうか?眩暈がして、上手く、考えられぬ。生命の出現は、宇宙にとっていったい、何なのか?
1934. 存在という蔵を、開けてしまう鍵があれば、文句はないが、まだ、どこにも、見つからない。
1935. 終日(考える)ということを考えていたが、異次元へと飛翔する思考も、日が蔭って、夜が来ると、(私)のもとへと還ってくる。そして、夕食を食べている(私)。
1936. 神という、どの国にもあるコトバで、神を呼んでも、(神)は、神というコトバの中には、決して納まらぬ。
1937. 感動も虚無も分析を拒否する。語りはじめるのは、時が流れて、大きな渦の中から、外へと、出た時に限る。直後には、必ず、体験とコトバが分離してしまうから。
1938. 3・11で、意識の、存在のゼロ・ポイントまで落ちたニンゲンは、切れ切れの一日を継いで、立ち直って、今度こそ、固有の(私)の歩き方を、身につけねばならない。
1939. (私)をあらゆるものが通過していく。ニュートリノからコトバまで。
1940. 眼が出現してから、もう、何十億年になるのか?そう遠くない時に、眼は、今は、まだ見えない放射能まで見てしまうだろう。
1941. 心的な、神的な、コトバが来る。ほとんど啓示である。彼方から深層意識の、アラヤ識から。
1942. フクシマの子供たちが怒っている。「放射能よ、千年地下で眠っていろ!!」
1943. 真夏日に、帽子に、長シャツに、マスクをして、フクシマの子供たちが学校へ行く。蝉、鳴くか、馬、嘶くか、子供たちは、泣いている、夏の盛りに。
1944. 文句も言わず、愚痴もこぼさず、もう、すっかり、本当のことがわかっているので、フクシマの子供たちは、叫び声を噛み殺している。
1945. 無関係の関係の時代は確実に終った。フクシマは遍在する。地球上のどこにでも遍在する。
1946. ヒロシマに学び、ナガサキに学び、いったい、日本人は、何を学んできたのだ。もう、最後だ、フクシマに学べ。
1947. 素手で生きるしかない。素足で歩いている。着のみ着のままで逃げた。家をなくし、家族をなくし、仕事をなくし、故郷をなくし、これ以上、喪うものがないくらい、深手を負って、ニンゲンの限度で、起っているフクシマの人々。
1948. 誰だ、一年で、帰れるようにする、と寝言のようなことを放言するのは。本当のことが言えなくて、耳触りのいいコトバばかり並べたがる。あなたには、その椅子に坐る資格がない。
1949. フクシマの県知事の顔は、ニンゲンの顔をしているのに、国会では、猿のような顔した政治家が、無為無策の、戯事で、時間を浪資している。死ぬほどに働け。
1950. 原子力発電を推進してきた専門家が、テレビで、言い訳ばかりしている。フクシマに行って放射能を除染しろ、汗にまみれて。あなたの(知)は、見事に死んだのだ。
1951. アインシュタインよ、あなたのE=mc²は、終に、原爆投下から原発事故まで生んでしまった。そちらから還ってきて、一瞬で、放射能を消す方法を発見してくれ。
1952. ニンゲンは、生命史、38億年を、破壊しようとしている。
1953. 大の大人が、拳で、涙を拭って、凝つと海の方を眺めている。沈黙よりと深い、静けさの中で。
1954. ニンゲンに見放された牛が、青空に脚をむけて死んでいる。
1955. 夏である。66度目の夏である。8月6日、ヒロシマの夏。8月9日ナガサキの夏。疼き続けている原爆の傷口。3・11、フクシマの春。原発の、大地震の、大津波の、三重苦、四重苦の終息すら見えない。
1956. 何も、コトバは、文学者だけの特権ではない。自分のコトバを持たぬ人は、政治家ではない。コトバを正すことこそ、為政者の勤めだと語ったのは、孔子である。(正名論)
1957. 答えられなくなると、詭弁を使って逃げる。その時、あなたの中の政治家は死んだのだ、総理。
1958. どうして、3・11の被災者の誰もが、なるほど、と頷けるコトバを、現代の政治家は、語れないのだろう。一人の死者を、あなたの心の中に、意識の中に、棲まわせておけ。
1959. まだ、3・11から5ヶ月だというのに、もう、原発が、(現実)のセイカツに必要だと言いはじめた。商売の国。延々と、国民的な議論を続ければよい。今、日本人が試されているのだ。旗を高く揚げよ。(現実)は、いったい、誰が作るのだ。効率と便利さと快適を求めた(知)の文明が、犯した、大失敗が、もう、遠のいてしまうのか。冗談であろう。(考える)その力が衰えれば、ニンゲンは、本当に、滅ぶ。内省と洞察。
1960. 誤ってしまった大人が持てる、最後の使命のようなものを、未来の子供たちのために、掲げよ。
1961. 光から来たから光へと帰ろう。私たちは光の子。光の化石の子。
1962. 闇から来たから闇へと帰ろう。私たちは闇の子。ダーク・マターの子。
1963. 科学の(知)は、過去へとは戻れない。宗教の(智)は、いつでも過去へと戻っていけるが。
1964. 3・11で、ニンゲンも、存在の泡であると、思い知らされた。
1965. 腰が抜けて、歩けない人に気を落とすなだって、もう、とっくに、気は落ちているのに。
1966. 着のみ着のままで、すべてが流されて、やっと、体育館にいる人に、禁句を聞く、TVのレポーターがいる。
1967. 大震災の後のアルバム探し。七五三もあったよね。運動会もあったよね。お祭りも、卒業式も、結婚式もあったんだね。ホラ、笑っているよ。
1968. 毎日、夜が来ると泣いている。仮設住宅で。体育館の避難所では、一滴の涙も出せなかったのに。
1969. 若い頃は、(私)だけで生きている、なんて、とんでもない思い違いをしていたが、3・11で、よーくわかった。みんなに、生かされているって。愚かだったね。
1970. 苦も、楽も、生きてこそ。
1971. なにか、不安はないかと訊かれても、不安は、いつも、べったりと貼りついているよ、3・11以後は。
1972. (無)ゼロ・ポイントから、ニンゲンに戻るには、容易ではない。まだ、ニンゲンの顔、してないと思うよ。
1973. 大地が揺れてから(私)が何処にいるのか、わからなくなった。
1974. 信じているものが、ない、とわかったことが、実に、辛い。何を、どこで、間違ったのだろう。
1975. (私)の中にあるものしか見えない。(私)の中にないものは見えない。
1976. 生きる、は、共に在ることだと、この齢になって、3・11で、はっきりとわかった。
1977. (私)は私だ。(私)は私ではない。やはり、(私)は私だ。「(私)は他者だ」と言い放った、ランボーの声が、身に沁みてくる。
1978. 瓦礫の隙間に夏の花が咲いている。美しい。(私)は、花と生きている。
1979. ただの、道端の、瓦礫の下の石ころも、存在し、顕現するまでに、どれだけの時間がかかったか、考えてみる。物自体の不思議がある。
1980. お願いします。(私)を棄ててから、声を掛けて下さい。(私)に重なるように。
1981. 人を嬲るような発言は止めて下さい。形式的な、ありそうもない、虚言を、もっともらしく、正しいこととして、話すのは。
1982. 身体そのものが、封じ込めてしまっているコトバがある。
1983. 宇宙の顔のようなものに触れてそのまま、失神をした。
1984. 身体が痙攣の中にいる時には、コトバも、アヤラ識から湧きあがってこない。
1985. 在る、無いが、こんなにも、はっきりと、形になる経験は、一生に一回で、けっこうである。
1986. 叫びたいのに声がでない。何かが声を呑み込んでしまう。歩きたいのに足が前へと出ない。何かが足を縛っている。
1987. 酷いことだ。子供は風の子。昔から、外で遊ぶと決まってる。フクシマでは、カーテンの内に閉ざされて。
1988. 千年に一度の大地震と言うが、東北、三陸地方の人たちは、明治二十九年の津波、昭和八年の津波、昭和三十五年のチリ地震津波と、平成二十三年の、今回の大津波と百数十年のうちに、四回も、大被害を受けているのだ。
1989. 発狂しないのが、不思議なくらいの、すべてを喪った人たちがいる。どうか(私)が(私)から離れてしまわないように。
1990. 海の底の声、空の上の声。枕許で響き続けておる。
1991. 偶然という魔の恐怖。一切、排除の術がない。
1992. 浦安市、旭市、大洗、ひたちなか市、北茨城市、いわき市、広野市、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、南相馬市、新地町、名取市、仙台市、南三陸町、大槌町、石巻市、南松島市、大船戸市、陸前高田市、宮古市、釜石市、八戸市、(私)が訪問した街である。歩いた街である。泊まった街である。仕事をした街である。共働で、事業をした街々である。あの家、この家、海、山、川、幻が揺れている。
1993. 何億、何兆、何京の生命たちが、この星に生れて死んでいったか。生命の連鎖の果てに、ニンゲンが現れて、(私)が誕生した。ニンゲンの死だけは、不条理である。不可思議である。信じようにも、信じかたがないのだ。もちろん、3・11の死者たちも。
1994. 石や壁や水に記憶はあるのか?つまり、宇宙そのものが、宇宙に起こったことを、記憶できるのか?ニンゲンは、何もないところへと、出てしまうかもしれない。
1995. 一切が(無)、一切が(空)、中国人、インド人の思考は、ひとつの発見ではある。
1996. 深層意識の、一番深いところへ降りて、果たして、宇宙そのものに、遭遇できるのだろうか。
1997. 昔、村に、鉦つきのおっさんがいた。村に、死者がでると、鉦を叩いて歩いて、村中を廻るのだ。妙に、その鉦の音を思いだすのだ。虚空に鳴り響いている、その音は。
1998. 3・11の巨大な空虚をうめるコトバを、ニンゲンが発見できるわけがない。
1999. 空に光子のダンスがあるうちにニンゲンそのものを味わい尽くすのだ。
2000. 夏の光の賑わいの後には、秋の光の寂寥があって、魂たちが、コズミック・ダンスを踊っている。(私)という魂も参加をしよう。
(H23年8月23日完)
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• 木曜日, 8月 04th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1801. わかった。何が?道があるのではない。人そのものが道だから。(私)という道を幾多のニンゲンが通り過ぎたか!!幾多のコトとモノが通り過ぎたか!!
1802. だから、自由に、歩かせてみればよい。右から左から、前から後ろから、次から次へと他人がやってきて(私)という道を通過していくだろう。(私)とは何かが、わかっただろう。「私は道だ」
1803. 道は時である。決して、時間ではない。水平に歩く時間から、垂直に歩く時へ。
1804. ニンゲンの魂は、時の中にこそある。今を永遠と感じる理由はそれだ。
1805. だから、3・11で死者となった魂たちは、時の中にあり、ひとつの道を、垂直に歩いている。
1806. 生者たちは、沈黙して、祈れ、時を歩く死者たち、その魂に。
1807. 道を通るのは、足ばかりではない。幾多の声も、通るのだ。
1810. だから、声を聴くとは、交わることである。
1811. 歩きながら、宇宙を体験する(私)であるから、旅は、どこまでも開かれている。歩いても、歩いても、終りのない(無限道)である。
1812. 行脚漂泊の旅こそ、一番多くのものが(私)の中を通過する方法である。しからば、歩いて、旅に出よ!!
1813. アフォリズムは、多声的である。共時的である。水平に、垂直に。此方から彼方まで。
1814. 場そのものが、語りはじめておる。
1815. 歩く旅は、人を始原へと解き放つ。人は、水になり、風になり、光となって、一番はじめにいた始原へと還っていくのだ。時の中へと。3・11の死者たちも、歩け!!
1816. 守るべきものがすべてなくなって、3・11以後には、幻影だけが友となった。
1817. 街だけが空っぽになった訳ではない。(私)自身が、空っぽになって、歩けば、カラカラと音がする。
1818. 蟻の巣が大水で流された。人の家が大津波で流された。
1819. 確かに、門は見えていたのに、確かに門をくぐったのに、今では、道そのものが、お城そのものが、姿も形も見えなくなってしまった。
1820. 毎日毎日、毎秒毎秒、無数のニュートリノが、シャワーのように降っていて、(私)の身体を突きぬけているのに、痛くも、痒くも、恐ろしくもなかった。透明な放射線には、怯えてしまうのに。
1821. 一日を生きる。どう生きても、その一日の色に(私)が染ってしまう。反復の中の差異。色は無限に多様化して(私)となる。
1822. どんな人間にも弱点はある。どんな組織にも欠点はある。批判だけで生きてきた人には敵がいる。しかし、敵の姿が見えなくなって、権力者になると、創造する力がいる。
1823. 今年、やっと、蝉が鳴いた。いつもよりも、弱々しく、淋しい一鳴であった。庭の柿の木で、蝉が鳴いた。ホッと、胸を撫でおろした。とにかく、よかった、ホッとした。夏の蝉、放射能に負けず。
1824. 毎日毎日、毎秒毎秒、シャワーのようにニュートリノが降り注いで、ニンゲンの身体を通りぬけている。ほとんど、穴だらけの身体が、(私)である。
1825. もう、4ヶ月が過ぎたか。まだ、4ヶ月しか経っていないのか。3・11からは、時間の流れかたが変わった。一人一人に、固有の時が存在しはじめた。
1826. 正しいか、正しくないかで、ものを、人を考えていたのに、菅首相を見るときには、能力が、あるかないかで、見てしまう。権力の椅子に坐る人の、無能力は、罪である。
1827. 淋しい人だ(私自身)が見えなくなっている。いや、淋しさを通り越して、怒りが来た、愚相が、5人も続いてしまった。
1828. 大常識をもった、骨太の、総理大臣がほしい。有言実行の。
1829. 一度、言葉の意味という意味を剥ぎ落して、解体し、あらたに、コトバをすべてにむけて開き、疾走する、絶対言語でアフォリズムに至らなければならない。
1830. 現代のコトバの、ほとんどが、ひらたくなっている−危機だ。眼の前の、地平のことしか語れない。百年、千年の時空にむけて、垂直に語れるコトバが少なすぎる。
1831. 昔は、誰もが話す話題からは、超然として、孤立できる人がいた。今は、その話題の外に起つことすらできない時代である。
1832. 千年の時の彼方へ、虚空へとコトバを投げかけよ。
1833. 宇宙の、銀河の衝突、2000億個の太陽の原子の爆発から見れば、地球の大地震も大津波も、原発の事故も、とるに足らぬものだろうが、唯一の、生きる、知的生命体であるニンゲンにとっては、母なる地球の一大事なのだ。
1834. 右往左往するニンゲンである。なにしろ、生きているうちに、こんな千年に一度の大兇事に遭遇するとは、誰一人、想像もしなかったから。3・11以後は、歩き方が、わからないのだ。
1835. 考えることも、為すことも、すべて、後手、後手に廻ってしまう。混沌の幅が大きすぎるのだ。ニンゲンの(知)に比べて。何が飛び出してくるのか、誰にも、予見すらできない。眼に見えないものは、本当に、畏ろしい。
1836. 宇宙は「考えるニンゲン」を、どのように見ているのか?時空の縁に貼りついて生きているニンゲンを、いったいどこへと、誘っているのか、宇宙よ!!
1837. 宇宙の発するシグナルは、コトバは、果たして、ニンゲンにとどいているのか?存在すること自体が、宇宙のコトバだって?
1838. 被災者のアルバムを探して、補修し、本人・家族の許しへと返してあげるボランティアがある。一切を喪った人の存在証明が(写真)である淋しさ。
1839. 3・11以後は、「ノトオの思想」が要る。私は、秋山駿に「ノオトの思想」を教わった。
1840. 不意の、一瞬の、生の切断である。大津波が来ました。みなさん、高台へ避難して下さい。若い女子職員は叫び続けた。そして、声が切れた。
1841. 死者たちの声が起ちあがって、空の、瓦礫と地面の中空に、犇きあって流れている。生者は耳を傾けよ。
1842. 言葉も、音楽と同じように、低い音から高い音まで、響かねばならない。耳にとどかない。
1843. コトバがどこからともなく、吹き出してきて、止まらない時がある。大きな、大きな、人生の大事が起こった時に。
1844. 過去と呼ばれた、時間の底から、ある風景が、(私)の中に甦る。−つまり、記憶、追憶であろうか−死者たちが(私)の中に甦る。おかしなことだが、来る場所が、ちがうような気がする。同じ(私)の中であるのに。
1845. 今日も、意識が泡立っている。3・11以後とは、そういう意味であるか。
1846. 意識のゼロ・ポイントから先は、もちろん、コトバ以前の世界への突入である。
1847. 無名の人と言う。実際には、名前はあるが、世間に名前が知られていない人の意味。本当の「無名」は、名前そのものがない、名付けられないもののことだろう。「無名は天地の始」(老子)
1848. 行脚漂泊の旅へと、考えて、何年。四国八十八ヶ所は、(私)を無化する旅である。
1849. 見ても幻影、考えても幻、歩けば宇宙のヘソ。
1850. コトバが歩く。3・11以前にはない姿で。
1851. 放射能が波となって押し寄せてくると、(私)も萎れた植物になる。
1852. 千年単位の思考を呼びもどして、ニンゲンが覚醒する。3・11以後は。
1853. 生きているうちに、世界を歩いて、なんでも、見てやろうと思う人がいる。生きているうちに、考えられる限りのことを、すべて、考えてやろうと、坐って、(宇宙)に対峙する人もいる。
1854. 見える、すべてのコトとモノから、見えぬ、すべてのコトとモノまで。一切が、合わさっての宇宙である。
1855. 力で漲る「空」の世界。「空」は「無」ではない。3・11も「空」。
1856. 大きな、大きな「縁起」としての絶対的関係性がある。
1857. ソレは、決して、ソレだけでは存在できない、ということ。3・11以後の世界。
1858. 日によって、(私)の存在度が、低くなったり、高くなったりする。奇妙なことである。
1859. もういいよ、と思う時、(私)の存在度はゼロに接近している。まだ、まだと思う時、(私)の存在度は、(無限)へとむかっている。
1860. 円が、3キロ、10キロ、20キロと、放射能汚染のための、立ち入り禁止区域が広くなっていく。放射能物質は、円ではなくて風の形に応じて、ひろがっているのに。
1861. 自分が、その地に棲んでいれば、何が一番必要か、はっきりと、わかるのに。原発の再爆発の阻止。放射能の拡散の防止。汚染した土地の放射能の除去。赤ジュータンの国会の中では、順番をまちがえた議論ばかりである。(想像力が欠如している)
1862. 死者たちから、被災者たちから、発想しないプランは、絵に画いた餅である。
1863. 世界一の防波堤を築いた。なにしろ、高さ12メートル、数キロ続く堤防である。明治29年、「三陸海岸大津波」で、ほぼ全滅した「田老町」である。その、堤防が、無残にも、破壊された!!
1864. 光が、光がほしい、手のとどくあたりに。
1865. 名前は、呼ばない。心の中では叫んではみるが。まだ、(私)の中では、死者ではないから。行方不明の、(私)の息子だ。帰って来い。
1866. 念じる、祈るよりも強く。響き合うはずだ、母と子だから。
1867. もう、あなたには、頼まない。本当のことを言わないから。
1868. もう、在ること、居ることが、こわくて、こわくて、仕方がない。糸が切れた。3・11で。
1869 誰か、私の手を握っていて下さい、もう、私は、私が何処へ行ってしまうか、わからない。しっかりと、離さないように。お願いします。
1870. こんな形で、驚かされて、(私)に気がつくなんて、残酷すぎる。
1871. 気配だけでもいい、瓦礫の下に、海の底に、(私)の子がいれば。
1872. 沈黙するか、もっと激しく、言葉は、声は、どもらなければ、嘘だ。
1873. 意識は、まったく新しいものに触れているのに、ニンゲンの言葉が見つからないのだ。
1874. 習慣を棄てたところに、言葉のプログラムを棄てたところに、ソレはあるのに、(私)は、ソレを掬いあげることができない。
1875. 「入我我入」の手法、魂の交流のような、スタイルが有効である、と思う。そうだね、空海さん。
1876. 声でなくてもいい、伝えられる手段を教えてくれれば、なんでも試してみたい。水の底にいる嫁に。
1877. 呼びかけに、応えるということが、こんなにも大切な行為であったとは。3・11の日に、はじめて、わかった。
1878. 何処にも行く場所がなくなった、あの言葉が身に沁みる。本当だ。
1879. 見る、触れる、大事な大事なことであった。見られたい、触れられたい、と。心が。騒いで。騒いで。
1880. 下痢が止まらない。(私)自身も(私)を下痢してしまいそうだ。
1881. 嬲り殺しにする気ですか?いつまでたっても、あなたの言葉には(信)がない。しどろもどろに下を向いて。突然、他で、笑ってみたり。
1882. ”原発”による繁栄よりも、”原発”ぬきの普通の生活が良い。
1883. 心が、傷つき、病んだ被災者の心が、どうか、光の方へと向かってくれるといいのだが。
1884. 引き裂かれてしまった心の修復は、五年十年、いや、一生かかるかもしれない。ホッとする一時、心の和む一日が、日常生活への入口である。
1885. 政治家の言葉は、どうして、濁ってしまうのだろう。被災者の声は、透明なのに。だから、声と声の交感ができないのだ。
1886. 同じ、被災の場にいれば、同じことを言う。立つ場と位置がちがうと、掛けた声は肩越しに流れてしまう。
1887. 無機質な、数字を読みあげる声だけが、テレビに流れて。本当に知りたい、耳にとどく声はない。
1888. 松明を高く揚げる人はいないのか、義憤にかられて。
1889. 光が見えるから。かすかに、遠くに、小さくても、光が見えるから、歩いていける。
1890. 心の底に棲みついた、恐怖とパニックが、どうにかして、日常の、反復の中へと消えていけば、いいのだが。
1891. 憲法で、”戦争放棄”を揚げた国だ。”原発””原爆”の放棄まで、踏み込んでしまえ。
1892. トップが、おろおろ、あたふた、蒼ざめていると、民まで、不安になってしまう。腰を据えて。
1893. 3・11以後には、草原で羊たちまでが、憤怒の貌をしているのに。
1894. 生れて、はじめて、意識がゼロ・ポイントまで陥ちてみると、見えないものまで、見えてしまう新しい眼が出現した。
1895. 規制正しい生活が良いという。生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、静かな行進である。
1896. 凡庸な詩を書いていた詩人の詩が、不意に、輝きを放って、人の臓府をえぐる詩に変貌した。不思議だ。「3・11東日本大震災」を体験して。もう、彼は、考えて、詩を書いていない。向こう側からやってくる言葉に耳を澄まして、生きる全重量を、その言葉に乗せているのだ。フクシマの詩人、和合亮一。
1897. 時が起つ、(私)の中に。決して、流れているのではありません。どこにも、流れる場所がないのに、次から次へと、起ってくるのです。
1898. 滅亡へ、破滅へ、終末へ、死に至る唄、空に響いて、人の心は死色に染まる。裂けよ、空。
1899. 生きられる時間を、日々体験しているのに、時間というものが、まったく、わからない?3・11から、止まってしまったものがある。私の中で。
1900. 日本人は、3・11の驚きから遠くへ行ってはいけません。
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• 木曜日, 7月 28th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1701. コトバが存在する。存在はコトバだ。コトバから存在が誕生した。そうか、空海さん。
1702. 意識が意識を噛み続ける。一秒ごとに。そんな辛い時には、まるで、尖った針の上に乗って生きているようである。あと半歩で、狂うか?
1703. ニンゲンの耳には聴こえない音がある。ニンゲンの眼には見えないものがある。宇宙に充ちている、音も、声も、コトもモノも、すべて、種子である。
1704. 実存から虚存へと歩まねばならぬ。宇宙の全体を見るために。
1705. 神的エクリチュールが、最高の文章である。ニンゲンには、それを、書くことはできぬ。しかし、(私)として顕現している。
1706. 肉体の遺伝子があるように、コトバの遺伝子もある。どちらも、生命の源泉である。
1707. コトバも、また、量子論的性質をもっている。ひとつの光子がふたつに。
1708. ブレイク(詩人)とドストエフスキー(作家)は、視霊者であった。マラルメ(詩人)とサルトル(作家)は、事象の地平線を視た透視者であった。(虚無)
1709. 文章の中で(私)を殺したいのか、それとも、誰のものでもない、絶対言語へと到達したいのか?アフォリズムで。
1710. コトバは、単なる記号になってしまった。宇宙的エネルギーで充ち充ちていたコトバが。
1711. 風景写真はある。風景画もある。果たして、風景小説はあるのだろうか?3・11、瓦礫と地面と空しかない、風景を、小説は、描けるのか?ニンゲンのいなくなってしまった空間を。
1712. 粗野の中にも、光るものがある。3・11の避難所で。豊饒の中で見失われたのもがある。都市で。
1713. 大量の死を、一人一人のニンゲンの生命を瞬時に切断した、3・11の現場に視る。暗い淵がある。青空の下に。
1714. 力という力がぬけてしまった人が、酒に走る。呑んでも呑んでも、心は酔えず、身体だけが崩れていく。
1715. 右、左、上、下と、声は、明確に発しなければならない。3・11以後は、旗色を鮮明にすべし。反対、賛成と。
1716. 毎日毎日、(私)に気付き続けている。気付く意識だけが生きている。
1717. 3・11にふれる言葉がぺらぺらになって役に立たない。虚ろだ。
1718. 人は、死にそこなうことがある。ある人は、生きそこなうこともある。
1719. 我執は、無知よりも始末に悪い。
1720. 恥に恥を重ねても、まだ、わからなくて、(我)を押し通している。
1721. 空海は、お山に帰りたいと言った。(私)は、宇宙に還りたい。
1722. 「行き」と「帰り」は足取りがちがう。四国八十八ヶ所には、「行き」も「帰り」もない。道が、どこまでも、あるだけだ。
1723. 失敗してみなければ、本当に、何が正しいかもわからなかった。
1724. 傷ついて、悩まなければ、考えない。
1725. なぜ、(私)は、他人とちがうのか?出発は、そこからだ。
1726. 猛暑、真夏日が続く夏であるが、今年は、まだ、蝉が鳴かない(7月26日)秋まで、鳴かなければ、ニンゲンは大騒ぎだ。
1727. やっと見つかったよ(友人)
     何が(私)
     死に場所がさ(友人)
     何処だい?(私)
     3・11フクシマの原発の作業。俺、やるよく(友人)
1728. 3・11以後は、言葉が虚ろになった。文章が溶け、声が揺らぎ、言葉の無力を感じながら、使用する日々である。
1729. 明日の子供たちが、今日を棄てて、フクシマを棄て、県外へと移動している。その数、小・中学生で、13,000である。
1730. ホーレン草、お茶、牛乳、牛肉、魚、放射性物質は、終に、ニンゲンの生命の素まで、汚染を拡げている。空気に、土に、水、眼に見えぬ、放射能の恐怖。
1731. いくら、「ただちに健康に影響はない」と国が断言しても、言葉も行動も、その(信)が揺らいでいるのだ。(私)の生命は、(私)が守るしかない。
1732. (無常)を感じて生きている日々である。意識が、ゼロ・ポイントから起ちあがらないから。しかし、走け、よ。
1733. 見る。見者。見る、の終った地点から、さらに、見る、見霊者。ドストエフスキー。
1734. おそらく、(私)が見た、死んだ父からの音信。あの時、(私)も、見霊者であったのか。
1735. 普通の、日々の、光景の中にも、不意に、異界が侵入してくる時がある。光が、見知らぬ光が来て。
1736. 志津川の(合併して、南三陸町)瓦礫と地面の宙空に、消えてしまった街と声を交わした人々を幻視する。
1737. 唐桑の、断崖の、海の音、松林の深い、深い落葉の道。三月の、国民宿舎で食べた地魚が、踊っている、眼の中で。
1738. 歩いて、歩いて、釜石の、長い、長い、商店街よ、ウォーキングに筋力トレーニング、笑顔あふれる人々と共に、ありし日々。
1739. 月と太陽を眺めながら、相馬の松川浦を歩いた。その風景そのものが消えて、ない。
1740. 国会の、質疑の、なんと、ゆるい言葉。三分も聴けば、意識が嘔吐する。神経が鈍くなければ、付き合えない。
1741. なぜ、3・11の、現場の、裸の意識から出発しないのだ。悲しみの人から出発しないのだ。いつのまにか、自分の、自分たちの、欲望から出発しているぞ。
1742. 間違いようがないはずだ。恐怖、不安、悲しみを拭い去る−その原点から出発すれば。いったい、何をしておる!!
1743. (私)が壊れてしまう。その時も、まだ、意識という怪物は、存在しているのか。
1744. すべてに、反応してしまう、意識は、結局、生きて、生きて、生きて、生きている。で、どうなる?
1745. 「ある」と「ない」の間で、ふらふら、ふらふらとしているニンゲンであるか。
1746. 「大日如来」は、絶対的超越者か?
1747. 当たり前のことであるが、生きて、経験して、考えたことしか、(私)は語れない。すると、生きた総量が(私)である。
1748. (私)を抜け出してしまった意識が、3・11の前に在る。もう、戻らない何ものかとして。
1749. なぜ、仏教の説く、縁起が、いまひとつ、普通の、日常生活ではぴんと来ないのはなぜだろう?
1750. 深淵で、高度な思想こそ、日常生活そのものを、そのまま、含み込まれなければならぬ。誰もが(無)を感覚できるように。
1751. 在ることの不思議に気がつくと、石も水も木も、眼の前に在るものが、ダイヤモンドの輝きを放つから、おかしなものだ。
1752. (私)が、私を脱する時、(私)のもうひとつの眼は、確かに、それを、よく見ている。なんの不思議もなく。
1753. 詩と哲学は結婚している。昔から。アフォリズムは、その二つを含むものでありたい。
1754. 突然、頭の中に、昔の光、今、何処という、言葉が、何回も、何回も、流れた。時空の彼方からの音信のように。
1755. 毎日毎日3・11を考える日々。文章は、無限地獄へと墜落して。
1756. やはり、生活第一である。どんな立派な国の復興プランよりも、眼の前の、衣食住に仕事である。
1757. 発狂しないで、生きている。生命の芯のしぶとさに感嘆する。3・11以後は。
1758. 嘔吐する。3・11以後の(知)らしきコトバに。
1759. モノに触れていた、ニンゲンの実感まで奪われてしまった、3・11以後である。なぜ?モノとしての、津波のリアリティが強すぎて、あらゆるものの存在の根を消してしまった。
1760. 3・11以後は、いつも、意識に、放射能が降っている。静かだ。眼に見えない。沈黙の中で、進行している、凶事である。深呼吸ができなくなって。
1761. 意識が、ゼロポイントに降りているかどうかで、作者の姿勢を見、作品を評価してしまうようになった、3・11以後は。
1762. 存在としてのコトバ。宇宙にあふれて。
1763. 故郷を追われた、被災者たち、その中で、力つきた高齢者たちが、ポロポロ、ポロポロ死んでいる。せっかく、地震と津波を生き延びたのに。
1764. 木と同じことだ。避難場所の土と水と空気が合わないのだ。(気)が消えてしまったのだ。
1765. 存在そのものが呟いているコトバ。存在そのものが叫んでいるコトバ。意識のゼロポイントは、3・11以後を変えた。
1766. いったい、何と闘っているのか、運んでも運んでもなくならない瓦礫。診療しても、しても、減らない病人。いつまで続くのだ。
1767. 焼くことも、棄てることも、ままならぬ、放射能に汚染されて。
1768. 生きてほしい者が死んで、何時死んでもいい年寄りが生き延びてしまった、老婆の呟き。
1769. こんなに走ったときはない。こんなに歩いたときはない。一生で一番辛い、逃避行だった。天から崩れ落ちてくる黒い水の壁だ。
1770. 会社を見てくる、心配だから、それが最後の言葉だった。
1771. あの時、私が、手を離さなければ、孫娘は助かった、と老婆は泣き続けている。
1772. 3・11で、何が変わったのか?意識だよ、今、存在して(私)をしているという意識が、大きく変化した。
1773. あらゆるコトとモノを視る眼、その瞬間、アッ、余震だ、ホラ、意識は変容している。
1774. 食べる、野菜を、魚を、肉を、その時、意識は、一瞬、放射能を考える。だから、食べる、も変わった。
1775. 原っぱで、緑の野原で、深呼吸をする。背伸びした、その瞬間に、脳裡に放射能が走った。
1776. 過度に、神経質になってもいけない。過剰な無神経は論外だが。
1777. 恐れすぎず、見くびらず、(放射能)を見る態度を身につける。
1778. 正常値・異常値、その値が、いつのまにか変っている。何?基準って?
1779. 数学は魔物だ。死者1万2787人、行方不明者1万4991人。いったい、何がわかったのだろう。自分の知っている人の顔を思い浮かべて、数えてみるがいい。死者として。行方不明者として。神経が壊れて、卒倒するだろう。
1780. 数は、不幸の大きさではない。しかし、大きな数は、ニンゲンの、正常な判断を狂わせてしまう。なぜなら、名前のあるニンゲンは、決して、数ではないからだ。
1781. ニンゲンの仕事は、二つだ。生物として、子や孫を残すこと、魂として、精神のリレーで文化を残すこと。
1782. 土が汚れ、水が汚れ、空気が汚れ、故郷フクシマは、放射能で汚染された。地図から街が消える。空白の街になる。鎮魂の声さえとどかぬエリアになる。一刻も早く、返せ、もとに戻せ。
1783. 夏風邪をひいた。身も心も、衰弱している。放射能で。微熱が続いている。
1784. 大きな、大きなビジョンがほしい。誰も、ニンゲンが、見誤まらぬほどの。
1785. ”歴史に名を残したい”と語るトップ。発想が、逆である。無私の精神になって、今、生きることに、躓いている大勢の人々に、手を差し延べるのだ。
1786. 死がなければ、生が完成しない。死が生を輝かせるということだ。
1787. 存在そのものが語っている。風景の中では、ないことも、何かを語っている。ニンゲンの声は、ひび割れて。
1788. 3・11以前には、ニンゲンの語る言葉の位置が高すぎた。3・11以後には、存在の、存在する位置からニンゲンの声も、放たれねばならない。
1789. (知)の外に在るものが(私)を撃ちはじめた。
1790. 放射能が降っている。47億年も前から。
1791. 死んだ言葉を、昨日までの言葉をいくら語ってみても、意味が生じない。3・11以後は、新らしい言葉で語らなければ。
1792. 現在ほど、「言葉の力」が必要な時はない。
1793. 存在と均り合うほどの言葉が必要だ。
1794. (知)から(信)へと翔べる言葉がいる。
1795. 放射能を消して下さい。国会で、あれでもない、これでもないと、くだらない議論をする暇があったら。放出する放射能を止めて下さい。こんな簡単なことが、できないのですか?勝手に造っておいて。お願いします。フクシマの子供たちを放射能から救って下さい。空気を、胸いっぱい、深呼吸させて下さい。昨日まで、3・11以前のように、自由に、歩かせて下さい。公園を、舗道を、歩かせて下さい。笑顔で。
1796. 日本人は、もっと、憤怒してよいのだ。フクシマの原発事故に。
1797. 敵の姿が見えた。放射能は見えないが。3・11でわかった。さあ、闘え。一歩も、譲ってはならぬ。
1798. 人のいいのも、いい加減にしろ。3・11で、洞察したまま、(現実)を承認して、疾走しよう。
1799. 便利と快楽と効率は、必ず、負の暗部をもっていると、3・11で、看破したではないか。
1800. ないものに、ないものを足して、あるものにするのだ。幻の種子が華を咲かせる時もある。
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• 木曜日, 7月 28th, 2011

徳島県立海部高等学校 平成23年度開校記念日(7月15日)
10:00~11:30 ・質疑応答 於体育館(470名全校生、来客他)

私の母校の、海南高校という名前が消えた。卒業生としては、淋しい限りである。

四国も、正に、少子高齢化社会である。海南高校、宍喰商業、日和佐高校の3校が、合併して、新らしく、(海部高校)が誕生した。単純に計算すれば、若者の人口が3分の1になってしまったということだ。

校舎は、海南高校のあった場所を使用している。尋ねる私としてみれば、母校を訪問するみたいなものだが、(名前)が変わってしまうと、どうしても、異和が残る。まあ、その地域に住んでいる子供たちが生徒であるから、大きなちがいは、ないみたいなものである。

さて、講演会は、3校の卒業生が、毎年、替わるがわるに、招かれて、何か、お話をする、というふうになっているらしい。今年は、元海南高校の番らしい。

真夏日の体育館での90分の講演は暑くて、厳しい。しかし、生徒たちの、素直で、真面目で、礼儀正しい、挨拶と、キラキラ輝く眼の輝きに押されて、90分、話すことができた。

少子高齢化社会である。若者たちの仕事が困難な時代である。問題は山ほどある。そして、「3・11 東日本大震災・原発事故」後を、生き延びなければならない。現代という時代を語りながら、若者たちに、未来を、力強く生きぬくためのエールを送りたかった。

人間にできることは2つである。
①30億年続いた生命、身体をリレーすること。
②ニンゲンの創り出した文明、文化をリレーすること。(身体と精神のリレー)
みなさん、一人一人が、リレーランナーである、と。

16歳から24歳の若者は、その間に、”人生のほんとう”を発見してしまう。数学であれ、哲学であれ、生と死であれ、発明、発見の大半が、この年代に誕生する。あとは、応用問題である。正・誤に関しても、大常識に関しても、身につけてしまう。

ただ、とんでもない変革の時であるから、その多感さから、何が飛び出してくるか、わからない。私の今回のポイントは、その若者の、爆発力を生かす工夫、知恵である。

事は簡単である。いつもノオトを手離さないこと。新らしい発見、疑問、イメージ、(私)に来るすべてのモノをコトを、ノオトする習慣を身につけることである。

つまり、何気なく、見逃してしまう、ちょっとしたことが、実は、大変な発見の、答えかもしれないのだ。見るだけではダメ。見方を知ること。聴くだけではダメ。聴き方を知ること。悩むだけではダメ。悩みを考えること。

「ノオト」は、(私)の誕生の場である。(私)の発見の場である。百円くらいで買える、ノオト。どこへでも持っていけるノオト。見たもの、聴いたこと、触ったもの、五感に感じられる、すべてものを、ノオトに記しておくこと。もう、二度と、来ないかもしれない(思い)もノオトに記しておくこと、そこから、ふたたび、芽がでる。ノオトは、種子でもある。考える種子である。

「記録する」は、「記憶する」でもある。(私)とは何者が、ノオトが教えてくれる。決して、日記ではない。考えるノオトである。断片が、語りはじめる、いつか。

宇宙のこと、世界のこと、日本のこと、日々の人生のこと、(私)のいる場所、(私)が生きている状況、そんな大きな視点から(現実)のセイカツまで、いろいろと語らせてもらった。

講演後、四人の生徒と質疑応答。正しい質問は、正しい答えを得る。熱心に、聴いてくれて、ありがとう。

最後に、生徒の代表が、私の講演のまとめと、感想を語ってくれた。90分の長い話を、終ると、すぐに、まとめる力には、正直、驚いた。本当に、若い人たちの能力は無限に開かれている。

「人間、一生、勉強である!」でした。

「海陽町出身の作家 重田昇さん 母校で講演」 記事「徳島新聞」7月17日(日)

海陽町出身の作家・重田昇さん(64)=千葉県四街道市=の講演会が15日、母校の海部高校(同町大里)であり生徒ら約470人が聞き入った。
重田さんは「人間一生勉強である」と題し、読書の大切さや勉強方法について講演。高校時代、熱心に読書に取り組んだエピソードを紹介し「本の内容が難しくて理解できなくても、いつか分かるようになる。作品の内容を覚えるぐらい読み込んでほしい」と話した。
3年の前田優也君(18)は「読書は苦手だが毎月1冊読むことから始めたい」と話した。
講演会は、開校8周年記念行事で開いた。

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• 金曜日, 7月 22nd, 2011

3・11以後の読書は、心を一番深いところまで沈めても、なお、耐えられる言葉で書かれたものしか、読めなくなった。

声が、文章が、形もなく、崩れ去ってしまって、いっこうに、手ごたえというものがなくなってしまう。もう、これ以上はすすめない、思考が、ステップできない地点まで、到達している文章が、やっと、作品として成立している。活字の向う側の暗闇に立っている作者の姿が見える。沈黙のまま、放心して、まるで、3・11の大地震、大津波、原発事故の被害者のように。

そんな文章が、そんな作品が、存在するのだろうか?

ある。秋山駿の「『生』の日ばかり」は、言葉の意味がなくなってしまう、ステップに、ステップを重ねた思考が、突然、身動きできなくなる、そんな意識のゼロ・ポイントまで到達した作品である。

本書は、「群像」での連載開始から読み続けている。(現在も、連載中)一区切りをつける為か、「単行本」になった。

「内部の人間」秋山駿が、80歳になって、なお、健筆で、若い頃からの、思索シリーズ、「ノートの思想」が展開されている。驚くべき持続力である。

「石ころ」を拾った青年が、「石ころ」を眺めて、「私とは何か?」「無限とは何か?」その一切を考え尽くしてやろうという野望を抱いて、もう、60年が過ぎようとしている。正しく、ニンゲンの果てしない営為である。

「内部の人間」の意識が、突然、コペルニクス的な転回を見せたのが、この、「『生』の日ばかり」である。秋山駿の読者なら、声を呑んで驚いただろう。

何が?

なんと「内部の人間」が、「外部の人間」に変身するのだ。他者の存在が、このような形で「ノート」に登場したことがあっただろうか?

誰?

「同行二人」の女(ひと)である。本文の、文章と思考が、声が変調する場面がある。

「もう打つ手がない」そんな、医者も見放すような、難病が、妻の法子さんを襲った。帯状疱疹である。四六時中、一秒ごとに(痛)みが走る。歩くことも、食べることも、トイレに行くことも、寝返りを打つことも、まるで、苦業僧にならねば不可能なのだ。読者は思わず、「本」から眼を離して、宙を見るだろう。放心するだろう。

「内部の人間」には、共にくらしてきた、「同行二人」の妻に対して、無力である。いや「文学」が無力となる。なんのために、「文学」をしてきたのか?すべての場面に、言葉が要る、在る、と考えてきた秋山駿が、自らの来歴を振りかえって、妻にかける声、言葉を探そうとする。言葉がないのだ。誰も、二人で、共同で、生活してきたその中で、(共同の言葉)を、考えてこなかったのだ。

つまり、意識のゼロ・ポイントである。もう、言葉も、思考も、用をなさない地点に、ニンゲンが直面して、黙ってしまう。ちょうど3・11の被害者のように。

もう一歩、歩をすすめると「宗教」となる。もちろん、秋山駿は、「文学」の人であるから、(知)から(信)へと超越する「宗教」へとは、行かない。しかし、(私)の中の「神」の存在は考察する。私の中の「無限」については、考える。

自らも、胃ガンの手術を受け、足を痛めて、公園の散歩もままならぬ身である。齢を重ねるニンゲンの日々を綴るノートは、正に、超高齢者社会へと突入した、日本人の生きざまを、正確に写し取っている。老いて、なお、わが道を行く姿を思い描いていると、私の眼には、正宗白鳥が映った。そして、秋山駿の姿が重なった。

考える、精神ばかりを迫ってきた文学者の言葉が、身体、肉体というものの深さの前で、沈黙してしまう。60兆の細胞の(私)、30億年、生命をリレーしてきた身体という不思議の(私)。在ることは迷宮だ。

毎日、毎時間、毎秒、痛いだけの日々を生きるニンゲンに、何か、意味はあるのだろうか?(誰が答えられる?)泣くしかない、それでは、まるで、病苦を詠んだ、正岡子規だ。祈りは?祈りはどこへ行った?

不思議なことに、痛みの頂点で、薬も効かないのに、法子さんが、秋山駿の手を握っていると、痛みがやわらいぐという。手の力である。お腹が痛い子供が、母の手で、撫でてもらうと、痛みがひいた、あれと同じことが起こっているのか?

眼は、眼で、覗き込むと、お互いの考えていることがすべてわかる。声は、病院から、家に電話をした法子さんの声「駿の声が聞けてよかった」まるで、光太郎と智恵子である。

秋山駿、法子さん、一蓮托生の人生である。「同行二人」は、歩く遍路と空海の意味であるが、秋山駿の「同行二人」は、私と妻の意味である。

「東日本大震災・原発事故」は、畏ろしきもの、人知の及ばぬものをニンゲンに突きつけた。一瞬の、不運、不幸、不遇、偶然という魔の恐怖であった。

私たちが、生きることは、宇宙にとってなんなのだと、宇宙そのものに、ニンゲンの意味を問いたくなる日々である。

まだ、まだ続く「『生』の日ばかり」ではあるが、単行本になった分だけ感想を記してみた。秋山駿の生きた言葉に、お礼である。

7月18日記

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• 金曜日, 7月 22nd, 2011

3.11で、ニンゲンの意識が、ゼロ・ポイントまで落ちることを、経験した今、小説を読むという行為は、どのように成立するのだろうか?

3万人を超える死者と、12万人を超える避難民、家を喪い、仕事を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、昨日まで生きてきた、普通の日常を喪い、見慣れた風景まで喪ってしまった人々、言葉が役に立たず、(知)が通用せず、水と食料と、寝所と、衣服を求めて彷徨する魂たちを前にして、偶然、その地に居ないために、被害をまぬがれた日本人。原発で、放射能が撒き散らされた国土、汚染されて、何年、何十年と放射能におびえ続けることになった日本人。

そんな中で、小説を読む。3.11は、意識そのものが、変革を迫られる、大事件であった。

何度か、「物語」を読もうとして、ページから眼を離し、手を休め、宙空に視線を泳がせた。しかし、「地上の人々」の色調は、3・11以後の世界にも、溶け込むものだった。

奇妙な色調の小説である。三人の、ホームレスの話、都市へと出てきて、夢破れて、終に、人生の最下部とも思われる、ホームレスへと転落した三人の男の話である。生活を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、仕事を喪い、その日その日を、ただ、生きている、ニンゲンの日常がある。

なぜ、作者は、このような、あらゆるものを喪ってしまったニンゲンたちに、身を寄せて、こんな小説を書いたのだろうか?

作者、井出彰の心性にも、崩壊感覚がある。どうも、自分は、まっとうな人生を生き切れないのでは、という不安、危惧がある。一番最小単位である、生きるための(私)にとって、何が一番確かなものか?社会的な立場、役割り、椅子、地位、すべてが、虚しく、崩れ落ちてしまう、そんな感性が、作者の心の底の底に流れている。

生きて、生活して、闘って、病んで、老いて、ただ死んでいくところのニンゲン。ニンゲンから、社会的な意味を抜き取ってしまうと(裸の私)だけが残る。社会が付加した意味という意味は、すべて剥がされて、崩れて、消えてしまう。

ほとんど(無常)の世界であるのに、妙に明るい。この明るさはなんだろう。「人間、暗いうちは滅びない」と太宰治は語った。であるならば、この明るさは、滅びの予兆であろうか?

3・11東日本大震災、原発事故の前に書かれた小説であるというのに、奇妙なことに滅びの色調は、その大事件に、同化してしまう。

ニンゲンにとって、生きるということは、この宇宙の中において、どんな意味をもつというのだろうか?

意味など一切ないのか?私たちは、ただ、人間が作りあげた「人間原理」の内でのみ生きている。自然である「宇宙原理」は人間のことなど、一切関係なく、ただ、流れている。

小説を読み終えた、私の感慨である。

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• 月曜日, 6月 27th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~ (1601~1617は、月刊誌「詩と思想」7月号に掲載)
1601. 揺れた、大地が。水が来た、大津波が。放射能が飛んだ、原発の。本能のまま、走る、歩く、蹲る、もうニンゲンには逃げる場所がない。何処にも行けない。
1602. 天災に、人災に、文明災である。自然の法則の前に、ニンゲンの起っている、日常の底が抜けてしまった。
1603. 空の下、瓦礫と地面の他には、何もない。空っぽの空間である。ほとんど(無)だ。
1604. 水におにぎり、衣服に毛布、寝る場所、薬に医者、ニンゲンに必要なもの、生命の素。
1605. 言葉が滑る。声がとどかない。文章が浮いてしまう。(無)の地点では、すべてが、宙に浮いてしまう。
1606. 電気という文明は、原子力というエネルギーは、同時に、クライシスという、名前でもあったのだ。暗愚のニンゲンの(知)
1607. ニンゲンの、五感も、直観も、知も、一切が通用しない、日常が一瞬にして、非日常の幽霊になる。宇宙原理の脅威である。
1608. 正に、第二の敗戦である。敵は、人間ではない。自然の法則であった。
1609. 死を覚悟して、原発事故に立ちむかう勇士たちがいた。明日のために。子供のために。
1610. 言葉は、無力ではない。二つの言葉がいる。走れ、歩け、逃げろ、一緒に生きようという(声)。考えて、考えて、もっと高みへ、もっと遠くへ、ビジョンを紡ぐ、ニンゲンの啓示の(文章)である。
1611. 恐怖と不安が、悲嘆に変わり、無気力になって、途方にくれて、虚無へと変貌する時、声がいるのだ。(私)はあなた、あなたは(私)そう、一蓮托生の人生である。(私)は、起つ。
1612. 不可知である。不完全である。不確実である。それでも、歩け、(私)がある限りは。
1613. 数学も、科学も、哲学も、思想も、一切が役に立たない、それでも、ニンゲンの声は響きわたれよ。制御できぬ“原発”はいらぬ。
1614. どだい、この未曾有の大災害が、一人のニンゲンの頭に入りきる訳がない。時空そのものが揺らいだのだ。
1615. 眩暈が、耳鳴りが、動悸が、3・11以来する。手で何かを作る。はじまりはそこからだ。ホッと息を吐く。そして、出発する。
1616. 億、兆という数が役に立たなくなって、終に、(京)が使用された。原発の放射能の数値である。ニンゲンの五感が見放された瞬間。
1617. 3・11から長い、長い戦いが始まった。「無」からの出発である。もう、意識は、震災以前に戻ることはあるまい。本当に、ニンゲンが、生きる、必要を、考えて、構築しなければならない。大事とは何か、生きるための、ニンゲンの、真の、網領が、希求されている。(私)は、出発する。今、誰もが、同じ地点を凝視めているそこへ。
1618. 一瞬で、一切を破壊してしまう巨大なエネルギーは、完全に、ニンゲンという存在を無化した。
1619. 光と熱の、ちょうどいい間で、ニンゲンは、恙しく、生きるしかない。
1620. 「自然の大きな物語」が発生すると、ニンゲンの創出した、文明、文化は、虚ろな影になる。
1621. 自然への、畏怖の感覚だけは、なくしてはならぬ。ゴーマンにも、ニンゲンは、原子力を、コントロールできると、思いあがった。
1622. 国は、すべての情報を公開すべし。情報をコントロールすればするほど、人々は、疑心暗鬼に陥ってしまう。
1623. 醜い事実でも、事実は、事実である。日本人は、事実を承認できる。充分に。冷静に。太平洋戦争の、広報の、いつかきた道へと戻ってはならぬ。
1624. ヒロシマ・ナガサキを経験した国が、国民が、なぜ、”原発”を容認してきたのか。安全神話の名のもとに。愚かであった。欺いた者も、欺かれた者も。
1625. 傷は疼き続ける。消えることはない。もう、3・11以前の意識には戻れない。
1626. 精神の芯まで、水ぶくれして、生きてきた、何が必要か、問い続けるべきであったのに。
1627. 残すもの、棄てるもの、もう一度、生きる、ニンゲンの必要を、考える。
1628. 電気が支えてきた文明である。エネルギーの量だけを求めてきた。滅びの一歩手前で、ニンゲンは、まだ迷っている、”原発”の火を消すか点けるか。
1629. 「無」を経験した。何もない、一切が消えて。
1630. ”便利”と”快楽”に導かれて、ニンゲンは、道を踏みはずした。
1631. ニンゲンは、天災のあきらめからは知っているが、人災のあきらめかたは知らない。”原発事故”は、もうひとつの戦争であって、人災であった。
1632. ぬくぬくと、原子エネルギーの恩恵を貪ってきた身であるが、今となっては、叫ばねばなるまい。破滅への道は、団固、拒否する、と。
1633. 赦した人も、赦された人も、自責の念は、炎となっている。
1634. 量ばかり求めてきた。
数ばかり求めてきた。
モノがあふれかえって、何も欲しいものがなくなるほどに。
1635. (無)になったものたちへ、名前を付けよう。新しい名前を。
1636. 叫ぶ、呼びかける、祈りに似た声で。肉声で、マイクで。耳たちよ、聴け。届け。そして、逃げろ。
1637. おかしいではないか。3・11からは、一切が変わらなければならぬ。破滅の足音を聴いたのだから。昨日の延長に今日はないと、思い知ったのに。
1638. テレビの声も、新聞の文章も、こんなに、遠くなった日はなかった。(信)が(疑)になって。
1639. 知者たちの声が、崩れ落ちた。3・11に、対応できなくて。
1640. 生きているのは、被災した(現場)にいる人たちの声だけだ。
1641. 経験する、体験する、そんな言葉をはるかに超してしまった3・11は、ニンゲンを沈黙させる。
1642. 二つの言葉がいる。耳へと直接語りかける声。脳へと響かせる、考える、文章。
1643. 大地震、大津波から原発事故へは、身体から心へと、刺し貫いた巨大な棒、兇器であった。
1644. ニンゲンが、コントロールできぬものを、科学の名のもとに、「安全神話」を作ってはならなかった。
1645. 「人間原理」のみで生きてきたニンゲンは、一瞬のうちに、「宇宙原理」で、叩き潰された。揺さぶられ、流されて、消されて、汚染された。
1646. 毛布を被って、群集の中で、泣くこともできずに、体育館の壁に向かって、放心している、どんな視線も声も耳にとどかない、白い顔をしていて。
1647. 祈りでも足りない。引き裂かれたニンゲンの心に、水と、地鳴りと、放射能が充満していて。
1648. 魂も精神も崩れ落ちて、空の(私)がいる。
1649. 新緑のまぶしさまで、凶々しい眼で見てしまう、3・11の負のエネルギーである。
1650. 高野の聖地を、歩いて、歩いて、風景に溶けても、(私)の頭には原子力という魔物あり。
1651. 棄てるもの、残すもの、快適と便利で生きてきた、セイカツを、必要と大事から考え直してみる覚悟がいる。
1652. 3・11で種分けしはじめた意識がある。透明な線を引いて。
1653. 文学は、いつも、行動よりも遅れてくる。だから、遠くまで、行けるものでなければならぬ。
1654. 結局、ニンゲンだけが、自分たちの、快適と便利を追求するために、地球を汚染してしまう動物である。自然のメカニズムを壊してしまうのが、誇れるニンゲンの文明というのも、悲しい限りだ。
1655. あらゆる動物に、善と悪の判断力があって、全員で投票すれば、悪のナンバー1は、ニンゲンに決定するだろう。
1656. なんでも食べてしまうニンゲンには、善とか悪とかを、語る資格があるのだろうか。ニンゲンにとっての善悪は、すべて「人間原理」に基くものばかりである。
1657. ”現実派”は、必ず、今の生活には、電気エネルギーが必要不可欠であると主張する。そして、膨大なエネルギーを放出する”原発”を、必要悪と考える。しかし、本当は、習慣を変えたくないのだ。”快適と便利”を手離したくないのだ。破滅に至る道であっても。何が大事なの?
1658. 莫大なエネルギーの塊りは、一瞬にしてニンゲンの日常を、非日常へと、転覆させた。
1659. 死んだ者、生き延びた者、時空が反転する驚愕の果てで、運と偶然だけが、命運を分けた、無常。
1660. 原子力、遺伝子操作、万能細胞、不確実で、不完全で、不可能な世界へと、ニンゲンは、突入してしまった。あと戻りのできない道へと。
1661. ニンゲンの創出する、あらゆる(知)を集めても、ニンゲンの天才たちを集結させても、どうにもならぬ、時空のゆらぎが来た。
1662. 一切が、変わらなければならない。怖いくらいに昨日を棄てること。
1663. 昨日までの、今までの、3・11以前の習慣と思考では、危機は乗り切れない。
1664. 3・11は、レントゲンの意識が、終に、ゼロ・ポイントまで降りた日だった。
1665. 顕れてしまった者(出現者)と顕れなかった者(未出現者)がいる。宇宙も同じこと。
1666. (無限)よりも大きいものがある。(無限)+1である。であるならば、神よりも上位のものがある。神々の神である。実は、私は、このような思考が好きではない。
1667. 不可能なもの、考えられぬもの、端もなく、縁もなく、形もなく、色もなく、気配すらないもの、未存在である。
1668. (私)は、瓦礫と地面しかない、風景の見方を知らない。眼には、何も見えない。
1669. 静かな、無音の風景の中に、燃え盛る眼の仁王が立っている。
1670. 「色即是空」は、単なるお経ではなかった。3・11は、残酷にも、その言葉を証明した。
1671. 問う人の言葉と、考える人の言葉がちがうので、怒りは噴出する、当然である。
1672. 空になった心に、熱い思いが宿るまで、どのくらいの時間と涙と汗がいることだろうか、気が遠くなる。
1673. 無味無臭の透明な夏の水は、実に、美味い。無味無臭の、透明な風で運ばれる放射能は、ニンゲンを破壊するだけだ。
1674. 3・11で、羅災者は、無感覚の貌になった。当然である。無感覚は、ニンゲン自身を守る、ひとつの姿勢であったのだ。
1675. ニンゲンは、奇妙な生きものだね、と、お互いの顔と深淵を覗き込んで、哄笑したが。
1676. 問うてはならぬことがある。問うても詮ないことだとわかっているから。意識は、どこまでも行きたがるが。
1677. 存在の重さが、限りなく、稀薄になっていた時、3・11が来て、生命は、一人一人の心の中で、ずっしりと重くなった。蒼ざめて、我にかえった。
1678. 文明から文化へと、一気に、舵を切らねばならない。3・11を境にして。
1679. ニンゲンは、(私)を守る、(私)を保存する、(私)を持続させる、3・11に襲われた後も。
1680. 沈黙が、存在の重さを現している。
1681. (正常)を保つために、無感覚の、仮死状態に陥る、それは、ほとんど本能だ。
1682. 一時期、(私)を別のどこかへと運んでいかなければ、ニンゲンは、狂気から逃げられない。
1683. 安心している場合ではない。”原発”は、もっと、もっと、深刻に、神経症になるくらい畏れなければならない、”怪物”である。
1684. 国は、市民の、住民の、パニックを畏れて、(現実)を隠して、情報を与えず、国民を安心へと誘導しようと試みた。で、国民の(信)を失った。
1685. ”現実”は、日を経るに従って、悪化しているのに、国の発表も、対策も、安易すぎる。首相の声も、浮きあがっている。”現実”を見ていないのは、見ようとしないのは、誰だ!!
1686. がんばれとか、元気をだせとか、感情や気分で変わるほど、たやすいレベルではないのだ、今回の大災は。人類のビジョンそのものの、ターニング・ポイントなのだ。
1687. 確かに、今回の”原発”事故で、万死に値する人々がいる。
1688. わからないことは、わからないと言う。もちろんだ。しかし”想定外”という言葉は使わないでくれ。宇宙では、なんでも起こってしまうから。
1689. 静岡の、浜岡の、”原発”を止めた。もう、妙に、安心している。ちがうのだ、もう一歩踏み込んで、”廃炉”にするのだ。覚悟が足りない。
1690. ”安全神話”が完全に崩れたのに、まだ、知恵をしぼれば、対策を強化すれば、”事故”は未然に防げると思っている。”原子力”が、ニンゲンの(知)を超えているという恐怖に、直面しようとしない。
1691. どんな場にいる人も、どんな位置にいる人も、その場から、その位置から、声を放つべきである。3・11は、あらゆる人に、その衝動を与えた大事件だから。さあ、語れ、叫べよ。
1692. (核)があると、なんとなく思って、生きていた人も、その日常を反転させた、3・11に遭遇して、(私)そのものが揺れ続けているだろう。
1693. すべてが滅亡へと至る。だから、夢も希望も、実はない。ただし、ひとときの、巨大な、幻想に幻花を見ることは可能だ。
1694. たった百年しか生きられないから、ニンゲンは、巨きなスケールの時間の前では、(私)を失って、痙攣してしまうのだ。で、判断は停止。
1695. 体育館の、ダンポール箱で区切られた空間で、壁を見ている老婆がいた。いつか、眼が笑う日が来ればいいが。
1696. 「本」を読んでも意味がない。文章を書いても意味がない。TVを見てても意味がない。水を下さい。放射能で死なない、正確な情報を下さい。地震と津波で、街と生命を奮われない、正確な情報と知恵を下さい。
1697. 静かに眠れる夜と場所を下さい。
普通に働ける職場を下さい。
寒くない、暑くない、着物を下さい。
祈って下さい、死者たちのために、残された者のために。
祈って下さい、不安と恐怖のあの日のことを。
1698. 呆けて、放心して、TVに映る、瓦礫と地面と何もない空間ばかり観ている。
1699. 3・11は、ニンゲンに、何を黙示したのか。足を止めて、じっくりと、考えねばならない。
1700. 心・意識の流れがある。
①3・11で、意識は、ゼロ・ポイントに陥った。
②(無)が来た。
③(無常)感に襲われた。
④恐怖のゆりもどしで、涙も出ない、無感覚。
⑤(虚無感)脱力感、放心する日々。
⑥身体と心の回復、ゆらぎが来る。
⑦怒りが起きる。(自然に、原発に、国に)
⑧なぜ?なぜだ、問い地獄(情報が知りたい、ニンゲンの声が聴きたい)
⑨泣くだけの日々(悲しいだけ)
⑩日常へ、一歩、もう少しだけ、生きてみようか、一切が失われて(私)が残って。
⑪衣、食、住と薬に医者、そして、仕事、ニンゲンらしい生活が訪れる日まで。
3・11から、二ヶ月の時が流れた。心も、意識も流動し続けている。
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• 水曜日, 6月 22nd, 2011

美術館では、常設のアラワカ展ではなくて、地域の、あるいは、若手の画家のためのスペースがあって、壁画いっぱいに、巨木が描かれた力作が飾ってあった。あるいは、音と映像のコーナーもあった。

頭が疲れて来たので、身体をほぐすために、美術館を出た。建物の前庭に芝生の広場があって、小高い、盛り土の丘がある。枯れ木やカズラを集めたトンネルへと足を運んで。眺めるだけでは、面白くないと思って、トンネルを潜って、奥へ、奥へと歩いてみた。突然、見覚えのある顔が、向こう側から、歩いてきた。やれやれ、君は、なぜ、私と同じような足取りで、私に似た顔をして、向かう側から、反対に歩いてくるのだ。

(私)は、もう一人の(私)に対面した。(私)が苦笑すると、そいつも苦笑した。腕組みすると、そいつも腕組みをした。アラカワの遊び心、仕掛けである。壁の、窓ガラスと思えたものが、鏡になった。

「君は、本当に、どこにいるんだい?その君のいる場処ってのは、そんなに、確かなものなのかい?今は何時だ?時空も揺らいでいるぞ」アラワカの乾いた野太い声が響いた。

(私は私である)の世界をアラカワは(私は他者である)の世界へと変えたいのだ。そして、本当に、存在しているのは、どちらだと、観る人を、揺さぶる左右対称の世界、京の龍安寺と奈義の、龍安寺、遍在せよ、遍在せよ、時空はひとつではない、触ってみよ、体験してみよ、アラカワの声が、建築全体に、鳴り響いている。

通常の、バランス感覚が、少しだけ、おかしくなって、微妙に狂い、変な気分になってしまう。気付きである。今まで、ソコに存在しなかったものが存在しはじめる。私の感覚、常識が揺さぶられて、(私)はゆらぎの波の中にいた。

”時空のゆらぎ”アラワカの頭脳の中にあるものを、形にしてみたのが、”奈義の龍安寺”であった。存在は、遍在するのだ。アラカワの思考の助走が終った。これも、ひとつの、実現であり、ステップであろう。

呪文じみているが、確かに、アラカワの(常識)を破壊するエネルギーが充ちている、奈義の現代美術館であった。

時代は決して、直線的に、過去から現在へと流れていない。空間は、決して、静止した箱の中のように在るのではない。遍在している。単なるトリック(光や水や音や風の性質を知尽して)ではなくて、アラカワは、本気である。知るのは第一歩さ、生きてくれよ、それを体験してくれよ、とアラカワの声がする。

11月の、空は、青く、奈義の街は、高原風な晩秋の中に、静かに息づいていた。なだらかな牛の背のような山脈を背景にして、奈義町役場と文化会館が、左右対称の、建築的身体を横たえている。燃え盛る銀杏の木、文化会館では、全国の各地に伝わる、地方歌舞伎の大会の準備で、看板や花々が、飾られている最中であった。

山の中といっても、丘陵地である。畑もあれば、水田もあり、牧草地もある。しかも、伝統の文化がある。そこに世界の、鬼才・アラカワが乗り込んで来た。

半日、一人で、歩いて、観て、触れて、考えて、少々、疲れた。バスで津山に出た。駅前で、B級グルメで有名になった、ホルモンうどんを食べた。満腹である。

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• 水曜日, 6月 22nd, 2011

朝のお城は、格別であった。

旅の目覚めは、期待と不安が入り混じっていて、日常の、普段の朝よりも、興奮している。ホテルの、見慣れぬ、部屋に、海岸へと打ちあげられた魚のように、異和を覚えながら、出発の準備をする。洗面、トイレ、荷物のチェックと、身のまわりに用心をして、最後にぐるりと部屋を見まわして、よし、忘れものもなし、と呟いて、外に出る。

眼の前は、一面の、朝霧であった。四方の山はもちろん、遠い街の家並みも、白い霧の底に沈んでいて、百メートル先が霞んでいる状態であった。ホテルからお城への坂道を登って、ぼんやりと見え隠れする風景の、神秘的な霧の朝は、正に、正体の知れぬ、アラカワへの旅にふさわしいものに思えた。

もう、何十年も、経験したことのない、濃い霧の流れる、旅の朝であった。高台にある城への道は、その門を閉ざしていたが、城をめぐる樹下の路には、朝の犬の散歩、ウォーキングをする人、小走りにジョギングする人たちが、霧の中から不意に現れて、おはようございますと、さわやかに、声を掛けて、霧の中へと消えていった。

津山城を散歩して、そのまま、街へと下って、朝の吉井川を眺める。そう言えば、吉井勇という歌人がいた。彼は、岡山の出身だったか?すると、吉井川から、ペンネームをもらったことになる。

JRの津山駅の駅前広場に、バス停がある。いよいよ、バスに揺られて、奈義へ。乗客は3人である。津山市内をぐるぐる廻るうちに2人が下降して、私一人になった。貸切り。大名旅行の気分である。霧が濃くて、バスからの風景が見えない。視界は、おそらく、百メートルを切っているだろう。ただ、山の奥へ、山の奥へと、向かっているような気がする。3、40分も走っただろうか、朝霧が一気に消えはじめた。山脈が、なだらかに広がる農耕地が朝日の中に、くっきりと見えた。

奈義町役場前で、バスから降りた。横仙歌舞伎の里・美作という看板があった。道を左に曲ると、背景の山にむけて、一直線に、道路が走っていた。田舎の風景には、似合わない、真直な道である。ケヤキの並木。左手に、すぐに、奈義の美術館だと思える建物があった。茶色に、濃いグレー、そして建物の屋根に、巨大な円筒が、青空を突きあげていた。道路の右手には、文化会館、図書館、町役場の庁舎、幼稚園が、整然と、並んでいた。

(荒川修作+磯崎新)のコラボレーションである。
芝生の前庭がある。木のオブジェがあって、トンネルが、網状に形成されている。

奈義の美術館に入ると、右手に、中庭がある。水に、青空が映っている。水中から、メタリックに光る細い棒が突き出して、縄飛の縄のように孤を描いている。水中には、小石が敷きつめてある。綺麗な、握り拳ほどの石である。椅子に坐って眺めていると、水面に出た棒の半円に、水面に影が写って、まるで、原子の模型のような、円に見える。いくつも、いくつも、円水と戯れている。曲線が、水に呼応して生きもののように見える。天井は、コンクリートの壁、しかも、青空が覗いている。

原子たちが飛び交う奇妙な空間である。見あげたところに、木はないのに、水の鏡には、緑の木が映っている。空と水と木と、石と壁と円い輪。上と下が、水が鏡になることで、逆転して、上下の視点が消えてしまう。水の中の空、水の表面の影、姿、曲線と直線が絡みあって、あたらしい軌跡を作りあげている。水中から突き出た円い棒は、自らの姿を水に映して、自らに重なって、立体空間を創出している。

そこでは、ないものが存在したり、存在するものが、隠れて消えてしまう奇妙な時空のゆらぎがあった。本物とは何か?影とは何か?眺めれば眺めるほどに、まるで、量子力学の世界へと突入したような、妙な気分に陥ってしまう、空間部屋であった。

さて、奥へ進む。
右手に「太陽」SUN(荒川修作)
左手に「月」MOON(岡崎和郎)
デッサン「死なない為に」視覚、イメージ、建築・・・があって、その横に、5月19日、ニューヨークにて死すとアラワカ急死の貼り紙があった。

「太陽」の部屋へと入る。
無数の、老若男女の笑顔が、円筒の空間の壁という壁に、ぴちぴちと生命の気を放っていて、波が、満ち、あふれていて、眺めている私も、光の方へと、心が魅き寄せられていくのがわかった。

何しろ、長く生きてきたが、これだけの笑顔には囲まれたことがないので、なるほど、笑顔が、光である、太陽であると、瞬時に、部屋の命名の意味が理解できた。まるで、地上の楽園が出現したかのようですよ、アラカワさん、私の身体の中を、心の中を、笑顔の放つ風が突き吹きぬけていきます、アラワカさん。

部屋の中央にある、螺旋階段を、身をかがめて暗闇に眼を慣らして、慎重に、一歩一歩昇りはじめると、アラカワの仕掛けが、時空を超えて、別の、異次元への旅であると承知はしていても、やはり、身体は、狭い、暗い螺旋階段に反応して、未知の場所へと向かうことを、拒絶する。しかし、意識は、精神は、一刻も早く、アラカワの、創り出した異次元へ、奈義の龍安寺へ、たどり着きたいものだと、熱く燃えている。まるで、ブラックホールに吸い込まれた者が、ホワイトホールに、吐き出されたいと願っているみたいな息苦しい螺旋階段であった。

光が来た。
眩しい光の中に、巨大な円筒があって、筒の壁に、見慣れた、京都、龍安寺の庭があった。庭が、円い筒の両壁に貼りついていた。もちろん、あの巨石、砂が、左と右に分かれて、そっくり、存在していた。京都の龍安寺を訪れた事がある人なら、アラカワさんも、やってくれるねと、微苦笑するだろう。

私は、公園によくある、ぎっこんばったん、つまり、シーソーの中央に坐って、ゆっくりと天井を眺めた。当然、上下が対象になっていて、シーソーや椅子も、天井から吊り下がっていた。左右、上下対象、つまり、天と地が遍在しているのだ。京都の龍安寺が、時空を超えて、奈義へとやって来た。

時空を超える、タイムマシーンに乗って、アラカワの頭脳が思い描く世界へと直参するのが、奈義の龍安寺であり、遍在せよ、遍在せよと叫び続けるアラカワの声が私の耳にも留いていた。

さて、螺旋階段を下りて、太陽の部屋を出た。
向かったのは、「月」MOONの部屋である。ゆっくりと、足を踏み入れると、自分の足音が、異様に増幅されて、巨大な音になる。足を止める。思わず、天井の高い、ゆるやかにカーブする、狭く、区切られた空間、そう、月形の、部屋を見廻してみる。

美術館の受付けでもらった、一枚のカタログを、そっと落としてみた。人間の耳につくはずのない、小さな音が、ゆあーんゆよーんと、大きな音に拡大された。手で拾うと、ザラザラと音が響いた。歩く、巨人の歩く足音がする。咳をする。巨大な音が発生、弾丸が飛ぶ音か?

普段、われわれが聴いていた(音)とは何か?もっと、もっと、無数の音が発生して、波となって、時空を疾走しているのだ。気がつかずに、耳にとどいている音だけを(音)として、認めて、生きていたことの、妙な、違和感。部屋は、周波数を増幅する装置だった。

沈黙の意味が変わってしまう、部屋である。空間が、決して、ただの、空っぽではない、との証明。音響の不思議を体験する。もう一度、(耳)とは何か、と考え込んでしまう、部屋であった。静かな月。

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• 火曜日, 6月 14th, 2011

1. 「『古事記』神話の謎を解く」(中公新書刊) 西條勉著
2. 「新約聖書」訳と注 ルカ福音書(作品社刊) 田川建三著
3. 「ホーキング、宇宙と人間を語る」(エクスナレッジ刊) スティーブン・ホーキング著
4. 「イエーツ詩集」(思潮社刊) 加島祥造訳
5. 「文学のプログラム」(講談社文芸文庫刊) 山城むつみ著
6. 「折口信夫文芸論集」(講談社文芸文庫刊) 折口信夫著・安藤礼二編
7. 「ハイデガー『存在と時間』の構築」(岩波現代文庫刊) 木田元著
8. 「ゲーデルの哲学」(講談社現代新書刊) 高橋昌一郎著
9. 「知性の限界」(講談社現代新書刊) 高橋昌一郎著
10. 「森の生活」上・下(岩波文庫刊) ウォールデン著
11. 「青春の門」第七部(講談社文庫刊) 五木寛之著
12. 「空海の思想的展開の研究」(株トランスビュー刊) 藤井淳著
13. 「少年殺人者考」(講談社刊) 井口時男著
14. 「自由訳般若心経」(朝日新聞出版刊) 新井満著
15. 「福島原発人災記」(現代書館刊) 川村湊著
16. 「黒い雨」(新潮文庫刊) 井伏鱒二著
17. 「三陸海岸大津波」(文春文庫刊) 吉村昭著
18. 「超高齢社会」(アドスリー刊) 坂田期雄著 ●書評 http://www.adthree.com/
19. 「賑やかな眠り」(土曜美術社出版販売刊) 詩集 宇宿一成著
20. 「十六の話」(中公文庫刊) 司馬遼太郎著
21. 「意識の形而上学」(中公文庫刊) 井筒俊彦著

3・11以後は、頭の大半が、地震・津波・原発事故に占領されているためか、読書を楽しむから、読書の果てに、究極を求めてしまう傾向が現れた。

できるだけ、必要のないものは、読まないようにしたい。作品は、作者が、どれだけ、心を深く沈めて書いているかで、だいたいの出来、不出来は決まってしまう。

「東日本大震災」についても、雑誌や単行本や特集記事を読んでいる。同じ言葉を書いていても、同じ主旨の文章を書いていても、被災者であるか、そうでないかで、言葉の意味は、まったく違ってしまう。

例えば、詩人の、和合亮一は、日経新聞にエッセイを書いていた。3・11以前の話である。日常の、(私)をめぐる、個人的な話を、緊張感のない、文章で書いていた。凡庸な詩人だと思って、評価できなかった。

ところが、3・11を体験して、同時進行で書き続けている「詩の礫」は、同じ人間の作品とは思えない、秀れた詩であった。考えて、書いているのではなく、(私)に来る言葉を、そのまま、叩きつけて、書いているのだ。人が変身したというよりも、(場)が(状況)が、和合亮一という詩人を借りて、語らせている、そんな具合である。

西條勉も、今、人間に、何が必要かを、古代の、古典を追うことで、現代を、逆に、照らし出そうとしている。私の、大学時代の友人である。

山城むつみの「ドフトエフスキー」の発想がどこから来たのか、「文学のプログラム」が教えてくれる。「古事記」「万葉集」の、中国語を使って、日本の文章を書くという行為の研究に、その発想の根があった。

井口時男の「少年殺人考」は、異様な殺人者、殺人行為に興味があって、書いたものではなく、殺人者となった少年たちの言葉、言語表現を追求していくというスリリングな一冊である。

今年から、本格的に、密教、空海に関する書物、空海の著作を読みはじめた。「空海の思想的展開の研究」は、700ページを超える大冊である。作者・藤井淳は、まだ、30代の若き研究者。力作。

古典、哲学書、宗教書、そして、宇宙に関する読書が増えている。語学の大天才、30数ヶ国語を自由に話せる(!!)井筒俊彦と司馬遼太郎の対談「十六の話」(所収)は、実に、壮快である。

井筒俊彦の最後の著作「意識の形而上学」は、哲学者、思想家の風貌が遠眺できる本である。

ホーキングの宇宙論を手にする度に、もう、人間には、宇宙そのものを、見定める術は、なくなったと思えてしまう。(ダーク・マターとは何か?)

宇宿一成の詩集「賑やかな眠り」は、声と文字が上手く入り混った、言葉そのものを生きる(詩集)であった。