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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

「遍在の場、奈義の龍安寺、建築的身体」への旅

岡山県に、奈義町という町がある。1994年、「奈義町現代美術館」に荒川修作の作品が設置された。

なぜ、岡山県の、山の中の、小さな町に、世界のアラカワの作品が設置されたのだろう?いったい、誰が観るのだろう。そもそも、アラカワの、良き理解者がいなければ、「私は死なない」と宣言して、世間、世界を驚かせ、「天命反転」という、人類の誰もが、挑戦したことがない「天の命=宇宙の法則」を反転させるなどという、過激な発想をする人物の作品を中心にした、美術館を作るはずもない。反道徳、反常識、反法律とも思える、「私は死なない」であり、「天命反転」である。アラカワは「不死」としてのニンゲンんをめざしているのか?とにかく、アラカワの「本」「作品」を追うことで、旅をしてみよう。

11月2日、妻が友人と、エジプトのピラミットを見る、8日間の旅へと出立した。私は、飛行機拒否症のニンゲンであるから、その旅を断念した。十数時間飛行機に乗れば、気絶するか、血圧が上昇して、脳溢血か、心臓発作で、即死してしまうだろう。

で、独り、家にいて、読書や執筆では、芸がないので、かねてから、見てみたいと考えていた、奈義町の、アラカワへの旅を決行した。と言っても、一泊二日のささやかな、独り旅である。

11月3日、文化の日、祝日である。何をするにも、腰の重い私は、追い込まれるか、約束するか、必要がある場合でないと、一泊二日の旅でさえ、ふんぎりがつかない。

一昨年は、東京三鷹市にある、アラカワの「三鷹天命反転住宅」を視察した。偶然、ワークショップがあって、カメラを持参しての、撮影会に参加をした。今年の夏(2010年)には、岐阜の、「養老天命反転地」テーマパークを訪れた。

残っているのが、岡山県の、「遍在の場、奈義の龍安寺、建築的身体」であった。

つまり、アラカワが、制作、創造したのとは、時間を逆に廻して、歩いて、観ているという訳になる。

アラカワの著した「本」も、現在から、過去へと逆のぼって、読んでいることになる。

実は、アラカワの発想の原点を知ることになるはずの、最新作「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」という大著を読みはじめたばかりの頃、(5月)に、「私は死なない」と宣言、断定した、荒川修作が、ニューヨークの病院で死去したというニュースにあった。

「アラカワが死んだ」というニュースに、心が泡立ち、混乱が来た。アラカワ自身も、人間が死なない訳がないとは、解っている、解っていて、なお、「私は死なない」へと挑戦したのだ。この「解」は、そう、簡単な問題ではないので、旅を続けながら、ゆっくりと考えよう。

「1+1」が2という公式が、絶対に疑えないように、「私は死ぬ」も、同じ強度をもっている。しかし、逆の「私は死なない」も、その不可能性という意味で、文章の強度は強い。(私)は1ではないから、(私)とは何かという「問い」に答えがない限り、実は、無限大分の1くらいは、「私は死なない」の可能性が残されている。

つまり、ニンゲンは、(私)という存在から(宇宙)という存在までの一切を、解っている訳ではないのだ。

「人間原理」(ニンゲンにまつわるすべてのモノとコト)と「宇宙原理」(宇宙をめぐるすべてのモノとコト)は、まだ、解明されていないばかりか、人類の知も、初歩レベルの段階にあるのだろう。アラカワは、そのことを、知尽していた。

11月3日、文化の日、祝日、快晴。秋の白い風が吹いている。旅立ちには、絶好の日和であった。

千葉県四街道市の自宅から、岡山県の奈義町まで、約9時間の旅である。JR四街道⇒東京⇒岡山⇒津山と電車を乗り継ぎ、津山からバスで約40分。一日がかりの旅である。当然、その日のうちには、美術館は観れない。

奈義は、小さな、山の中の町であるから、ホテルや旅館があるかどうか、心もとない。ひとり旅では、いつも、ふらりと、現地を訪ねて、その土地で、当日、泊まる宿を探している。土地の人が、一番いい宿を知っている。今回は、そういう訳にもいくまい。

ふと、大学の友人Tのことが思い出された。大手の出版社で、編集長を勤め、旅、食、園芸と、幅広く、雑誌や本の編集を手掛けた友人である。私の生涯では、親友であり、3人のうちの、一人に入る男である。文学を語り、酒を呑み、もう、40年ばかりのつきあいである。

埼玉は、所沢市に居を構えているが、すでに、停年となって、自由を楽しんでいるはずである。津山出身であった。電話で、ホテルの紹介をしてもらうと、尋ねてみた。

驚いたことに、今、津山に、帰郷しているとのことだった。

なぜ?
老いた母の介護である。
60歳まで、企業戦士で働いたあとには、父母の、介護が待ち受けていた。団塊の世代の現状である。

で、その夜は、ホテルで、待ち合わせて、地方の、食と酒を、楽しもうという約束となった。

朝、8時、ボストン・バックを肩にかけて、JR四街道駅へと、歩きはじめた。もう、一万回以上、歩いた道ではあるが、会社への通勤の歩行と、旅への歩行では、足取りがまったく違った。まして、アラカワへの旅、歩行である。

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