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• 水曜日, 2月 23rd, 2011

1. 「ドストエフスキー」(講談社刊) 山城むつみ著
2. 「ねむり」(新潮社刊) 村上春樹著
3. 「親鸞と道元」(詳伝社刊) 五木寛之・立松和平共著
4. 「盲いた黄金の庭」(岩波書店刊) 吉増剛造著
5. 「『純粋理性批判』を噛み砕く」(講談社刊) 中島義道著
6. 「句集 去来」(角川学芸出版刊) 遠藤若狭男著
7. 「リマーク」(トランスビュー社刊) 池田晶子著(再読)
8. 「白川静の世界」(文学篇)(平凡社刊) 白川静著
9. 「生命と偶有性」(新潮社刊) 茂木健一郎著
10. 「ユング名言集」(PHP研究所刊) カール・ダスタフ・ユング著
11. 「苦役列車」(新潮社刊) 西村賢太著
12. 「場所と産霊」(講談社刊) 安藤礼二著
13. 「大浦通信」(矢立出版) 吉増剛造・樋口良澄共著
14. 「神的批評」(新潮社刊) 大澤信亮著

生きることが思想になり、表現された思想が生活を変える—その往復運動のダイナミズムに身を任せている批評家が誕生した。小林秀雄と正宗白鳥の「実生活と思想」論争を思いだした。大澤信亮である。「神的批評」は処女作。生きること、食べることに、ニンゲンの暴力を見いだしている、あらゆることを「問い」続ける人の出現。新しいニンゲンの発見となるか?

もう、これ以上、ドストエフスキーの読み方はあるまいと思われるほど、世界の知者たちが、ドストエフスキーを論じてきた。ところが、山城むつみは、量子論的ドストエフスキーの読解を発見した。ドストエフスキーは、死んでも進化していく言葉である。感服。

吉増剛造の「大浦通信」を読み、写真集「盲いた黄金の庭」を観る。不思議なことに、吉増を読むと、いつも、言葉が、感性が吉増の色に染まってしまう。吉増の、ひび割れ、淵、溝、余白、亀裂、切断、端、辺、あらゆる時空に、浸透してしまう、言葉の宇宙に、身も心も、染まってしまう。科学、哲学、数学の、まだ、入りきれない空間に、(言葉)がある快感。

偶然、京都の予備校で知り合った男が、大学に入ってみると、同じクラスにいた。どこを受験するとも、何とも、話もしなかったのに。遠藤喬、俳人、遠藤若狭男である。その遠藤が、第四句集を出版した。辛い俳句であった。軽みと、感性の細やかなきらめきと淡々たる生活の中の発見が信条であったはずの、遠藤の句が、今度の句集では、重く、暗く、沈んでいた。父の死、母の死、本人のガン発見と、俳句にしては、テーマが重すぎて、句から思いがはみだしている。最後の5句は、読みながら、絶句して、句の、はるかな彼方を覗いてしまった。

「私小説」作家、西村賢太が、終に芥川賞を受賞。おめでとう。鬼となって、書いてきた「私小説」である。無視され、馬鹿にされてきた「私小説」が光る。

「リマーク」は、考える人・池田晶子の思索ノオトである。(考える)が、どのように起ちあがってくるか、手にとるようにわかる本。愛読者には、こたえられない。

茂木健一郎は、科学者にしては、診らしく、(文学)のわかる人である。小林秀雄、夏目漱石を、きっちりと読み込んでいる。そして、宇宙に1回限りの生をいきるニンゲンの、存在の、驚愕を知る感性をもっている。脳の研究者。果たして、(存在)そのものに、一撃を加えることが出来るかどうか。

12月、1月、2月と、重量感のある「本」の読書が続いた。お陰で、長篇小説「百年の歩行」の筆が止まった。しかし、読みながら、書いていると、文章の振幅が大きく、深くなる。つまり、(私)を、発見し続けることが出来るのだ。特に「ドフトエフスキー」山城むつみは、身に沁みた。そんな時には、「ユング名言集」をめくって、思考を遊がせ、心を、深いところにもっていく。

Category: 読書日記
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