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• 火曜日, 7月 13th, 2010

還暦をむかえて、人生の、コペルニクス的な転回を計った。

22年間、わが子のように育てあげてきた(会社)をM&Aによって、他人に、譲渡した。自立、共生、あんしんというコンセプトで、全国で、ビジネスを展開してきた。家族の為、社員の為、顧客の為に、疾走する日々であった。

(私)自身の為に生きよう。残された時間を。そう覚悟を決めた。横へ、横へと生きてきた人生を、今後は、垂直に生きる。

つまり、ビジネスの世界から、文学の世界へと戻って生きる。いつか来た道へと。

25歳の時、長篇小説「風の貌」を上梓した。そして、私的な理由で、文学から離れ、筆を絶った。

長い、実に、長い、サラリーマンと経営者の生活が続いた。

その間、まだ「文学」は、埋火のように、私の中に存在し続けていたのだ。

「ビッグ・バンの風に吹かれて」
「死の種子」
「○△□」
と、小説を発表した。しかし、経営と執筆は、容易に、両立しない。使用する頭がちがうのだ。

還暦を過ぎて、今まで、頼まれて書いたものを、「歩いて、笑って、考える」という本にまとめあげた。

さて、本気で、ライフワークの完成に全力をあげる時だ。

(純文学)を志向してきた(私)にとっては、最高の表現に達したい、一歩でも半歩でも、ドストエフスキーに近づきたい、その思いは、昔も今も、変わらない。

様々な場面を生きていた分だけ、若い頃よりは、洞察も、少しは、深くなっているだろう。素材、材料も、山ほど溜った。

衰弱した、日記のような、文章しか書けぬ作家たちに、一撃を加えよう。

池田晶子が、孤立無援で「哲学的エッセイ」を創出したように、アフォリズムも、私のものになって、読者の中で、爆発してくれるといいのだが・・・。

同時に、プルーストの「失われた時を求めて」をめざしている、大河小説「百年の歩行」も、魂の声が響きわたるものにしたい。

池田晶子の魂の断片を噛った者として、それなりの、責任がある、勝手に、自分でそう思っている。さあ、ふたたびの、出発だ!!

Category: エッセイ
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