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1112. いつのまにか、色褪せた真善美
1142. 夏になると、考える。
1001. ニンゲンというサナギは、(私)になって、脱皮し、透明な蝶となって、宇宙へと飛んでいくとでもいうのだろうか?(原子の夢)
1002. (私)を生きるという不思議と不自由さからは、誰も自由になれない。
1003. 生きるというスタイルも、考えるというスタイルも、時代とともに移り変わる。当然である。しかし(私)を生きる以外に、ニンゲンには方法がない。
1004. (私)の壊れていく音だけが確かな日々である。
1005. 分解されなければ再生もあるまい。
1006. 毎日毎日(私)を洗濯しているが、なかなか垢は落ちないものだ。
1007. フォームを固定しようと思うが、形は、いつも、流されてしまう。
1008. 「同行二人。」歩くのは一人ではない。いつも、あの人と一緒。
1009. 頭の中の宇宙は、ニンゲンを破滅させるに充分な爆弾でもある。
1010. そうか、零(ゼロ)から1を証明したニンゲンがいたか!!ないからあるへ。あるからいるへ。
1011. 無限に触れてしまうと、いつも(私)は闇の中で痙攣する一匹の虫になる。暗愚。
1012. ニンゲンが発したはじめの言葉は、いったい何だったのだろう。「はじめに言葉ありき。」で、その言葉は?
1013. (死)の可能性よりも、(死)の不可能性の方が、完全なものかもしれない。
1014. ニンゲンは、「人類」を発見したが、人類としては、生きて来なかった。
1015. 呼吸をする。あらゆるものが、呼吸から来る。
1016. やはり、体験だ。数式で表現された宇宙を、ニンゲンは、体験できない。誰にも。(私)を通過する宇宙は、体験できる。誰も。
1017. 一番の科学は、本当に、数学だろうか?数学もまた、数学の中で、自己崩壊しはじめた。
1018. 言語がニンゲンを表現するのか、言語が表現したものがニンゲンなのか?
1019. (決定)の不能は、天才の頭脳を破壊する。
1020. まったくの、無関係のものたちが呼応する不思議。
1021. 「Aでもあり、Bでもある」には、ニンゲンは耐えられない。
1022. 中国の色、インドの色、ヨーロッパの色、アメリカの色、取り除いたあとに、残った日本の色とは、何だろう。日本の原色。
1023. 混沌は混沌のままに。決して、そこから、原理や論理をとり出さない。必ず、ちがったモノになる。
1024. ホッと一息、我を忘れて。遊魂へ。
1025. 無常。あわれ。悲しみ。心は、いつも、同じところへと帰っていく。千年経っても。
1026. アフォリズムは、思考よりも、自由で、しなやかで、未分化で、言葉は、ほぼ、モノそのものであるから、面白い。
1027. 心が強い時は、一人で大丈夫。心が弱い時には、他人を呼んで。
1028. アッ!!黒い煙になった父。焼場の、茶褐色の煙突から、父がモクモクと出て来て空に消えた。
1029. 豚が、牛が、馬が、魚が、鳥が、ある日、突然、意識と心をもって「もう、これからは、私たちを食べないでくれ」とニンゲンに言った。
1030. (私)は(考える)と思っている。ニンゲンは、ソレがどこから来たものか、知ることがあるのだろうか?
1031. ニンゲンは、生きに生きて、四苦八苦して、なぜ、まだそのうえに、(浄土)まで求めるのだろうか?
1032. バッハの無伴奏パルティーターを聴いていると、いつも、無限に触れる。まるで、永遠に交わらぬはずの平行線が、ひとつの音の中でスパークして、火花が砕け散るみたいで。
1033. 生きている。死んでいる。いったい、どういうことであろうか。祖母は、毎朝、死者たちに、仏さまに、ご飯を捧げ続ける。
1034. 循環する水は、何千回も、何万回もニンゲンを通過している。
1035. 孤立無援で生きた池田晶子の、魂の声が、死者となっても、鳴り響いている。
1036. アフォリズムは、未成熟の、未分化の、未結晶の、存在の声を放射する。
1037. ニンゲンは、平気で、嘘も、間違いも生きてしまう。学習しながらも。
1038. 心の中に、一人か二人、大切な人を棲ませておくと、心は充分に、豊かになる。
1039. はっきりと、(顔)という言葉と、実体があった時代は、もう帰って来ない。
1040. ニンゲンの意識というものの作用の仕方が、存在のあり方である。つまり、現象は、意識のかたちだ。
1041. 身ひとつ、なんとか起っていられるようにさえなれば、今度は、歩けない人の声に耳を傾けて。手を伸ばして。
1042. どうにもやり場のない思いは、「文学」にしかならない。哲学も、政治も、経済も役に立たない。
1043. 怒りが、怨みが、渦となって押し寄せる。ニンゲンの顔は、真っ暗である。それが、見える人、見えない人。痛い。
1044. 最近、微かに、遠くから、音楽のような音が流れてくる。首を振って、耳を澄ますと消えてしまう。幻聴?いや、ちがう。では、いったい、何だ?
1045. 思考の目が粗いときには、(考える)ことをやめて、ただ放心して歩く。
1046. 5歳までの子供は、動物であり、植物でもあり、水でもあり、空気でもあり、とにかく、ひたすら、ニンゲンへとむかっている不思議な存在である。自由自在に時空をとびまわっている。
1047. 心が、自然に、動くということは、とても、不思議なことである。
1048. 思考のチックが出はじめると、(私)の崩壊の予兆である。危ない。
1049. (種)の爆発から来た(私)は、いつまでも時空に、宙吊りである。
1050. 他人(ひと)が他人のうちに棲む。よくよく、考えてみれば、おかしなことだ。
1051. 雑踏に足をふみ入れると、確かに、人が波に見えてくる。眩暈がして。
1052. 会社は、誰のものか?という声があった。社長、株主、従業員。問い方が間違っている。会社を構成しているのは、誰か?と問えばいい。
1053. いつも、散歩をする道を、逆方向に廻ってみた。風景の貌が、まったくちがって、うろたえている眼があった。歩行の再発見。
1054. 偶然の宇宙の顕現、偶然の生命の顕現、それでは、ニンゲンの科学は、我慢ができまい。赦せまい。歯ぎしりをして。
1055. カンブリア紀の生命の大爆発で、光に会い、「眼」が出現した。(考える)は、いつ出発したのだろうか?
1056. 狂的なものがない思想は、思想の名に価しない。当然だ。(考える)ことは、兇器でもあるのだから。
1057. なぜ、ニンゲンは、〇(えん)を美しいと感じるのだろうか。始まりもなく、終りもなく、しかも、厳と存在している。完全な円は、ニンゲンの原型を象徴しているとでも言うのだろうか?
1058. ニンゲンは、そうやって、いつまでたっても、争いに明け暮れている。もう、21世紀だというのに。
1059. 「ささいなこと」を唇を突き出して言う。相手の顔が尖っているから、ついつい、語気を荒げて、応答してしまう。あ~あである。
1060. 神話の時代には、神話という宇宙を生きた生身のニンゲンがいた。
1061. 水の質量に圧倒される。世界へとつながる海だ。
1062. 愚痴を聴く。嘆きを聴く。啜り泣く声を聴く。不幸な人の隣にいると、どんな声でも聞き入れてあげなければならない、大きな器と丈夫な耳がいる。
1063. 怨念で生きている人もいる。辛い。その声は、心臓に棘となって突き刺さる。存在が割れてしまうほど。
1064. ニンゲンは「生存競争(パワーゲーム)」だけで、生きるものではない。弱者、病者、貧者を支援する心性もある。
1065. 生命の芯が細くなっている。はっきりと、眼に見えるから不思議だ。
1066. だんだんと、我慢性がなくなっている。結局、残るものだけが残る。
1067. 40年間、寝に帰るだけの(家)が、毎日毎日厳として眼の前に在る。外の(私)は、外が似合うのだ。
1068. 濁って、淀んで、混っているニンゲンだから、一瞬の、透明な清涼が身に沁みる。
1069. 一言で終る話を、蜒々と一時間も、話をする人を見ていると、もう、あきれるを通りこして、それも、ひとつの能力かと溜息がでる。
1070. 余分も、無駄も、すべてきれいに、洗い落として、さて、どうするものか?やはり、香りがない、味がない、無味乾燥だと文句を言ってしまう。
1071. 見たもの、考えたことは、すべて、ニンゲンの方法である。ニンゲン以外の者が、別の方法で見たり、考えたりすると、まったく、異ったものが出現するだろう。従って、在る、無いは、もちろん、確実で、絶対ではない。
1072. あ~あと宇宙は欠伸。ニンゲンは、必死で、その欠伸の意味を探ろうとするのだが。
1073. 光を、マイクロ波を、あらゆる宇宙線を、全身に浴びて、ニンゲンは応答しておるのだ。
1074. 何をしても、カラカラ、空虚である。存在のピンチだ。
1075. 声も文字もとどかない。五感も一切役に立たない。存在が、ただ、ごろんと転がっている。見放されて。時空の外へ。
1076. いったい、ニンゲンは、宇宙が、どのように始まって存在していれば、満足するのだろう?
1077. H2Oの冒険は、ニンゲンの冒険である。
1078. 巨きな、巨きなものから、ソレは送られてくる。(私)は、思考よりも精妙な気配で、気がついている。しかし、まだ、ソレに、確かな名前を付けられない。心は感じているが。
1079. 意識はあらゆるものを追う触手だ。コトとモノ、気分と気配まで一撃で捕える。
1080. 脳内物質が、コトを決めるというが、コトが起こるからソレが分泌される。で、コトを起こすのは(私)である。分泌されるソレが(私)を決める訳ではない。(薬とは何か?)
1081. 「キレイに洗濯して、元の職場に帰して下さい」と人事担当者は言った。その環境・条件のもとで、ウツになったのだから、人を、モノのように考えて、洗濯をして、元の会社に戻しても、無理だと医師は云う。田舎の実家で、農業の手伝いをする。そこでは、充分に、ニンゲンとして生きている。ニンゲンの閾。
1082. 知ることがなければ、見ることではない。
1083. 幼年時代を、少年時代を、思い出しているのではない。(今・ここ)という時間の中で、(私)は子供を生きているのだ。
1084. 夏の、緑の稲穂の下に、光っている水が見える。なんという輝きかただろう。「おーい、田に、水をやって来い」父の声。
1085. 風に揺れる稲穂を眺めていると、どういう訳か、(人)が遠くなってしまった。
1086. 「子供に、お金のこと言うても、しょうがないやろ」母の声に、父の顔が見える。放心。貧乏。
1087. 二歳、四歳、六歳、三人の孫と遊ぶ。三姉妹は、もう、完全に、固有の資質をそれぞれが発揮している。
1088. 夜の樹木には、深い孤独の気配が漂っていて、風が吹くと、樹木の声が闇の中に流れて消えていく。真夜中の、木との対話は、数億年の記憶に火を点ける。
1089. 何かをやっておるのか、させられているのか、見当がつかぬ領域に侵入する。迷っている。
1090. 生きている、生かされている。ソレが(私)だというので、生き続ける限り、自分で、面倒を見なければならぬ。深い、深い溜息をつきながら、やれやれ、と。
1091. 「聖書」をすべて読まなくても、「コーラン」をすべて読まなくても、「仏典」をすべて読まなくても、ニンゲンは、信仰心をもって、信者となる!「声」に導かれて。論理家には耐えられない。
1092. 哲学者・ヴィトゲンシュタインは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を50回通読したと云う。
1093. 「種」の爆発が「私」である。
1094. 裸でいる感覚は、いつも、無限の宇宙に晒らされて、孤独を生む。
1095. 小説は、人間原理(生命)と宇宙原理(存在)の二つが、同時に語られる時、最高のものとなるであろう。
1096. 死と発狂を恐れていては、「宇宙という書物」にはとりかかれない。
1097. 直観と洞察と持続。今、(私)に必要なものは、そのくらいだ。気配のゆらぎまで視る。
1098. 隠遁者も、宇宙からの音信は聴いている。
1099. 来る声すべてを響かせよう。(私)という球体で。
1100. 善・悪の区別は、誰にでもある。(良心)。人間原理だから。しかし、宇宙原理は、善と悪の彼岸にある。(心の消滅)
還暦をむかえて、人生の、コペルニクス的な転回を計った。
22年間、わが子のように育てあげてきた(会社)をM&Aによって、他人に、譲渡した。自立、共生、あんしんというコンセプトで、全国で、ビジネスを展開してきた。家族の為、社員の為、顧客の為に、疾走する日々であった。
(私)自身の為に生きよう。残された時間を。そう覚悟を決めた。横へ、横へと生きてきた人生を、今後は、垂直に生きる。
つまり、ビジネスの世界から、文学の世界へと戻って生きる。いつか来た道へと。
25歳の時、長篇小説「風の貌」を上梓した。そして、私的な理由で、文学から離れ、筆を絶った。
長い、実に、長い、サラリーマンと経営者の生活が続いた。
その間、まだ「文学」は、埋火のように、私の中に存在し続けていたのだ。
「ビッグ・バンの風に吹かれて」
「死の種子」
「○△□」
と、小説を発表した。しかし、経営と執筆は、容易に、両立しない。使用する頭がちがうのだ。
還暦を過ぎて、今まで、頼まれて書いたものを、「歩いて、笑って、考える」という本にまとめあげた。
さて、本気で、ライフワークの完成に全力をあげる時だ。
(純文学)を志向してきた(私)にとっては、最高の表現に達したい、一歩でも半歩でも、ドストエフスキーに近づきたい、その思いは、昔も今も、変わらない。
様々な場面を生きていた分だけ、若い頃よりは、洞察も、少しは、深くなっているだろう。素材、材料も、山ほど溜った。
衰弱した、日記のような、文章しか書けぬ作家たちに、一撃を加えよう。
池田晶子が、孤立無援で「哲学的エッセイ」を創出したように、アフォリズムも、私のものになって、読者の中で、爆発してくれるといいのだが・・・。
同時に、プルーストの「失われた時を求めて」をめざしている、大河小説「百年の歩行」も、魂の声が響きわたるものにしたい。
池田晶子の魂の断片を噛った者として、それなりの、責任がある、勝手に、自分でそう思っている。さあ、ふたたびの、出発だ!!
偶然に、始まってしまった文章である。(私)に、どこからともなく、声が垂直に降りて来て、ノオトに、それを書き記していたら、こんな形になった。本当は、私は、それを、なんと呼んでいいのか、わからない。毎日歩いている、歩いている時、それが(私)へとやってきて、いつの間にか、1000本になった。突然生れたものが成長をしたのだ。
詩でもない。俳句や短歌でもない。エッセイでもない。もちろん哲学でもない。小説でもない。散文というのでもない。
とりあえず、芥川や朔太郎たちが呼んだように、アフォリズムとすることにした。しかし、西洋の知を真似た、彼等の作品とはちがう、もっと別のものである。シュールレアリズム(自動筆記)に近いかもしれない。
時間が爆発する。
空間が爆発する。
意識が爆発する。
(私)が爆発する。
その中心から声が来る。爆発する形が、アフォリズムである。砕け散って、痙攣し、独楽となり、光となり、疾走し、浮遊し、あらゆるコトとモノたちが、再び、(私)を求めて統一される。
存在の声が、アフォリズムである。だから、なんでもありだ。ニンゲンをめぐる一切のものが、顕現し、消滅し、浮遊し、舞い、踊り、物自体がごろりと横になったり、透明なモノが飛んでいたり、叫び声があがり、啜り泣く声が漂い、お金という神さまが現れたり、あらゆる事象が(私)から発光するのだ。
自由自在である。
思考あり、感覚あり、直観あり、(私)に来るもの達が踊り狂う舞台である。
詩、小説、エッセイ、紀行文、書評、講演と、頼まれるままに、いろいろなスタイルで言葉とつきあってきた。
しかし、今回の、アフォリズムという形は、正に、(私)の中での発見であった。
小説を書くことが、本業であると信じてきたが、このアフォリズムというもの、なかなか、面白い。鋭く、短く、深く、瞬間で、爆発できる。
声が来る限り続けたい。2000本、3000本、いや、声が来なくなれば、中断である。
読者の方からは、アフォリズムは、エクリチュールの最高のものかもしれぬと感想をいただいた。面白いという声が圧倒的である。
アフォリズムは、現代という時代に、似合うかもしれない。
長篇小説「百年の歩行」ライフワーク、1000枚を書きながら、思わぬ副産物が現れたものである。
いったい、コレは何か?何が何をしておるのか?まだ、(私)にもわからない。
951. 5月・植物の生命はぴちぴちとはねているのに、ニンゲンという動物の生命は、うなだれている。
952. 手持ちのカードをすべて切って、アフォリズムに生命を吹き込んでいる日々である。
953. 荒川修作は、”存在”に対して、発狂するほどの身悶をして、「死なない家」を創りあげた。ニンゲンを超えようとして、生と死の彼岸へと翔んだ。
954. 人は、記憶を消すことはできない。たとえ、脳が命令を下しても。
955. 山鳩の鳴く声は、低く、リズミカルで、「クゥク、カッカ、カー」と、いつ、どこで聴いても、不思議なことに、遠いところから流れてくる。なぜか?
956. 詩人を数えてみる。マラルメ、ランボー、ポー、ブレイク(外国) 中也、賢治、朔太郎・・・吉増剛造、石原吉郎!!私の中では、それくらいだ。
957. 病いは、気から。(病気をするから心が暗くなる。心が暗いから病気になる)は?病いとは何か?
958. 身体に現れるものは心にも現れる。
959. 沈み込んだり、輝やいたり、気分は、一刻一刻と変わっていく。
960. (言葉)は、身を立てるが、身を滅ぼすこともある。
961. 意識は、あらゆるコトとモノを見つづける。が。意識には(死)がない。
962. ニンゲンは、誰でも、「在る」の発見から歩きはじめる。
963. 「無い」の発見は、「零(ゼロ)」の発見よりも、大きな驚きである。誰もが発見するものだから。
964. ニンゲンの思考の形を決めるのは何か、原子に訊いてみたい。原子に?つまり(私)に。
965. 「無」を、数式、論理で証明されても、それも、ニンゲンの思考のひとつの形である、と考えてしまう。で、形が在る。
966. 「在る」モノだけが「在る」。ソレを見たのか?ソレを聴いたのか?ソレに触ったのか?ソレを嗅いだのか?ソレを考えたのか?ソレを想像したのか?
967. 眼が覚めると、もう、存在するすべてのモノに囲繞されている。朝という時空に放り出されて。
968. 眠りが来ると、薄っすらと輪郭が消えて、闇の中へと沈んでいく。(私)を手離した時、まだ、夢は、眼をあけている。
969. 気配は、実に、精妙な感覚である。(場)のもつ、(人)のもつ、空気の揺れに等しいものまで、ニンゲンは、感じとって、見分ける力をもっている。
970. 「人間原理」とは、どうしても、ニンゲンとしての(私)が、そう考えてしまう(考える)スタイルのことである。(ソウ在リタイ)
971. 「宇宙原理」とは、ソコにニンゲンがいなくても、純粋論理として、存在する原理のことである。存在自体がニンゲンの思考のスタイルと袂を別かつのだ。
972. ニンゲンには、どうしても、耐えられない論理(もの)がある。無目的、偶然、無神。
973. 「信仰」は、「信ずること」は、考えることが(論理)が破綻しても、眼をつむって、飛ぶことである。だから、祈るという行為、態度は、ニンゲンからは消え去らない。願う生きものがニンゲンだから。ニンゲンは、矛盾をも生きてしまう。
974. 神は、神自身のことを何と呼ぶのだろう?(存在【わたし】)か(有無【わたし】)か(宇宙【わたし】)か?宗教(ニンゲン)の神は宇宙(コスモス)の神とはちがう。
975. サラリーマンをやっている限り、いつも、背広の脱ぎ方だけは考えておかねばならない。
976. 男と女が合わさるのだから、男の中にも女が、女の中にも男が棲んでいても、何の不思議もない。
977. 交通事故で切りすてて、なくなったはずの足の踵が疼くという。足の踵はどこへ行ったのだろう。はたして、(私)の分身をも、棄ててしまったことになるのか?
978. 「いったい、お前は、何処にいて、何をしているのだ」という声に、いつも、責められている。「ここだ、ここだよ、見えるか?わかるか?」返信である。
979. 「どうだい?」と訊くと、「まあボチボチで」と答える人。「ご覧の通りで」と答える人。
980. (精神肉体)と書いて、ニンゲンと読めば、精神の超越とか、肉体の復活という、限定された表現もなくなるだろうに。
981. (生死)と書いて、ニンゲンと読む。すると、あるもの・ないものが見えてくる。
982. 宗教に次いで、科学の法まで破綻すれば、(私)は、のっぺらぼうを前にして、気絶してしまう。
983. 「問い」さえ成立しない時、ニンゲンは、どうして、「信」と「真」を手に入れられる?不可能である。
984. 精神は、「数」という魔に挑むのだが、「数」は、宇宙そのものだからと呟いている。
985. <虚実>と書いて、「あるない」と読みたい。
986. その人の、人柄は、人を裏切らない。
987. 生きることに、泣いたことがない人が、人の上に立ってはいけない。指針(ビジョン)を立てる土台がないから。
988. 汗をかかない人の言葉は、実に、虚しい。声が、自分の咽喉から出していないから。
989. 失敗しても、失敗しても、旗は揚げ続けるのだ。傷の分量だけ、旗の色は鮮明になるから。
990. 身に沁みる言葉と、正しい言葉と、人は、どちらに、耳を傾けるだろうか?
991. 人は、主義・思想で生きるのではない。親身な声に従って生きているのだ。
992. 存在すること自体が悲しみへと傾斜してしまう心性は辛いものだ。
993. 「本質」を捉えるはずの言語に、いつのまにか、裏切られてしまう。「木は、木ではない」と。
994. さて、起こってしまったコトとは、いったい、何のことだろうか?
995. 「物」には影がある。「数」には虚数がある。「十」には一がある。(私)には、何がある?
996. 給料袋を受けとる手、給料袋を渡す手、同じ手だが、その感触の中味がちがった。
997. (私)を形成している(水)が内爆発を起こしておる。
998. 原子の集合体である(私)というニンゲンの核とはいったい何だろう。生命形態という場の(私)
999. 深夜、突然、(私)は崩壊感覚に襲われた。名伏しがたい、存在(私)への不快感が来た。私は、やっとのことで、窓から飛びおりたいという内的な衝動に耐えた。夜が明けて、朝が来た。危機は去った。どうやら、普通の一日のセイカツをはじめている。
1000. 時間を生きる。空間(場)で生きる。長い間そうしてきた。現在では、「時空」を生きる時代になったが、ニンゲンはなかなか慣れることができない。伸縮する「時空」は、あらゆるものを変化させ、コズミック・ダンスを踊る超スーパーシステムのニンゲンは、宇宙を漂流している。「無限」へと。
夢を見たのではない。幻を視たのでもない。縁側に蹲って、夜の闇に眼を泳がせている時、不意に、一人の男の姿が見えた。あるいは、私の脳裡に浮かんだものが、闇の中に投影されたのかも知れない。とにかく、大地に立っている一人の大男を視たのだ。兵隊のように大地に直立し、大きく開いた両足は、地面の砂利に突き刺さっていて、両手は、天に向かって伸び、眼を見開き、鮭のように開いた大きな口から、真っ赤な、長い長い舌を出していた。父だった。
今しがた、四国の弟から電話があった。平成21年1月2日、夜、10時47分、父が死にました。そうか、と静かに電話を切って、独りになりたくて、縁側に出た。
共感覚とでも言うのだろうか?弟の声に呼応するかのように、父の画像(イメージ)が発生した。私自身は、ちっとも不思議がることもなく、自然に、父の画像を受け入れた。父の大きく開けた口からは、真っ赤な、長い、長い舌が伸びてきて、私に迫ってくるのだ。何か、大切なことを、必死で、訴えているらしい。舌は、波のように揺れて、どんどん、どんどんと伸びてくる、まるで、一匹の生きものだ。その舌の上には、無数の文字が刻まれている。時空も揺れていた。距離も、時間も、ゆがんでいて、一切が、不定であった。
名状しがたい、その経験は、私にとっては、実に、自然であるのだが、おそらく、詩にも、小説にもならない。不思議を、そのまま語れば、文章にもならぬ。私は、夜の、冬空のもとで、ふるえながら、いつまでも、消えない父の画像を眺めていた。いったい何を伝えたいのか。
翌朝、電車に乗り、新幹線に乗り、バスに乗り、父のもと(?)へ帰郷する間も、眼を閉じれば、父の画像が来て、真っ赤な、長い長い舌が、活き活きと蠢めき、私に迫ってきた。もう、一年にもなるが、一周忌の法事が終っても、その姿は、現れた時のままで、私に、舌に書かれた文字を読み解くように、要求している。
身体や形質は、遺伝する。声で伝える思想もある。しかし、このような形での伝え方を、何と呼べばいいのだろうか?
父の、もうひとつの遺伝子が、最期の挨拶でも送っているのだろうか。私は知らない。私の、父への、唯一の返礼は、真っ赤な、長い長い舌に書かれた文字を、いつの日か、読み解くことである。
平成22年(3月4日)記
手軽に読めて、ズキンとくるこのあなどれなさがいい。ワクワクする。これは、高度な挑戦だと思います。どうも「エクリチュール」の極限は、このアフォリズムに尽きるのではないでしょうか。
未知との遭遇に向かって突き進んでいる、何かの暗号・コードに招かれている神聖な行為(創造・創作)メッセージを感じされられます。感動ものです。
約千にのぼるアフォリズム集、いちおう目を通させていただきました。
まるで惑星の煌きのように、ひとつひとつが自在な輝きを放ちながらも一定の運行の下にコントロールされた、まさに重田ワールドが眼前にせまってくる思いでありました。
それは、感服であったり、共鳴であったり、戦慄であったり、瞠目であったりしますが、貴兄の思考・思弁の軽やかなダンスに魅了されていることに他なりません。
小生の勝手な希望を言わせてもらえば、このアフォリズム集に、素晴らしい挿絵があったらな・・・ということです。
たとえば、ミロの絵のような明るい抽象的な、リズム感のある挿絵があれば、相乗的に重田ワールドの魅力がさらに広がるように思うからです。
出版を心から待望しております。
1. 「白川静読本」(平凡社刊)
2. 「フエルマーの最終定理」(新潮社文庫刊) サイモン・シン著
3. 「宇宙創成」上・下(新潮社文庫刊) サイモン・シン著
4. 「事象そのものへ!」(新装復刊) 池田晶子著 トランスヴュー
5. 「詩のかおり詩のひびき」(Obunest刊) 壬生洋二著
6. 「西脇順三郎詩集」(思潮社刊)
7. 「新約聖書 訳と注① マルコ福音書 マタイ福音書」全6巻(作品社刊) 田川建三著
8. 「漢字」(岩波新書刊) 白川静著
9. 「孔子伝」(中公文庫刊) 白川静著
10. 「中原中也の手紙」(講談社文芸文庫刊) 安原喜弘著
11. 「何処へ」「入江のほとり」(講談社文芸文庫刊) 正宗白鳥著
12. 「アムバルワリア」「旅人かへらず」(講談社文芸文庫刊) 西脇順三郎著
13. 「クオンタム・ファミリーズ」(新潮社刊) 東浩紀著
今月は、心が悲鳴をあげている。日々のリズムが狂ってしまって、平常心でものを考えられない。
ニンゲンの規格から外れてしまうほど大きい「天命反転」という思想を掲げて、「私は死なない」と言い放ち、「死ぬのは法律違反です」と断言した荒川修作が、ニューヨークの病院で死んだ。(死んだ?)(アラカワの死)それはいったい何だろう。
頭が上手く、考えられない。現在、荒川の「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」(マドリン・ギンズ共著)新刊読んでいる途中であった。腰を据えて、アラカワに立ちむかいはじめているところだから・・・。
「免疫の意味論」の著者、多田富雄氏も死んだ。ニンゲンを、超・スーパーシステムだと、論じた「本」は、実に、刺激的な一冊であった。
※350年間、誰も解けなかった「フエルマーの最終定理」を読む。数という魔に挑む天才数学者の物語である。サイモン・シンの語りが見事である。
「宇宙は数である」と思いたくなる本であった。
※「事象そのものへ!」池田晶子の思考の原点。新装版を再読。止まらない。魅力。
※中原中也の手紙は、詩人の素顔があって、愛読者にはうれしい。
※「詩のかおり詩のひびき」壬生洋二著は、私の大学時代の同人誌「あくた」の仲間の「本」である。70年代の、まだ、詩、小説、思想を語り合う場があった時代に、著者が愛読した詩人たちの「詩」を紹介している。中也、朔太郎、達治、石原吉郎など。若者にはおすすめの解説書。
※白川静の「本」を熟読。
さて、現代人にとって、宗教とは何だろう。雑誌「考える人」で、聖書研究者の田川建三の特集があった。
私は、若い頃、「原始キリスト教史の一断面」と「イエスという男」「宗教とは何か」を読んで、共感、感動、驚愕し、日本にも、古代の原書を読み、一生を、聖書研究に捧げる人がいるのを知った。宗教するニンゲンの生きざまを見た。その田川建三氏が、インタヴューで「神は結局、存在しない」と断言している!!
超一流の研究者の言葉は重い。キリスト教信者にとっては、大変なショックだろう。
しかし、その時代に、宗教が必要だったことは、認めてほしいと言っている。千年、二千年たっても、ニンゲンは、(宗教的)なものを必要とはしているのだ。
その田川建三氏が、「新約聖書」を翻訳して、解注をつけた。全6巻、(現在刊行中)
「聖書」は断片的にしか読んでいないが、田川さんの訳なら、一生かけて、読んでみようと思った。古代人の文字を読みかえすのに、何十年もかけて、宗教を考えて、実戦してきた田川建三氏の大仕事である。
<数>の謎に一生を捧げて挑み続けたアンドリュー・ワイルズ。
<漢字>の研究に生涯を賭けた白川静。
<キリスト教、聖書>の研究が生きることである田川建三氏。
<昆虫>昆虫を観察してでも人は一生を生きられるという感動をくれたファーブル。
(ニンゲン)が生きるという姿が輝いている。