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• 木曜日, 7月 28th, 2011

徳島県立海部高等学校 平成23年度開校記念日(7月15日)
10:00~11:30 ・質疑応答 於体育館(470名全校生、来客他)

私の母校の、海南高校という名前が消えた。卒業生としては、淋しい限りである。

四国も、正に、少子高齢化社会である。海南高校、宍喰商業、日和佐高校の3校が、合併して、新らしく、(海部高校)が誕生した。単純に計算すれば、若者の人口が3分の1になってしまったということだ。

校舎は、海南高校のあった場所を使用している。尋ねる私としてみれば、母校を訪問するみたいなものだが、(名前)が変わってしまうと、どうしても、異和が残る。まあ、その地域に住んでいる子供たちが生徒であるから、大きなちがいは、ないみたいなものである。

さて、講演会は、3校の卒業生が、毎年、替わるがわるに、招かれて、何か、お話をする、というふうになっているらしい。今年は、元海南高校の番らしい。

真夏日の体育館での90分の講演は暑くて、厳しい。しかし、生徒たちの、素直で、真面目で、礼儀正しい、挨拶と、キラキラ輝く眼の輝きに押されて、90分、話すことができた。

少子高齢化社会である。若者たちの仕事が困難な時代である。問題は山ほどある。そして、「3・11 東日本大震災・原発事故」後を、生き延びなければならない。現代という時代を語りながら、若者たちに、未来を、力強く生きぬくためのエールを送りたかった。

人間にできることは2つである。
①30億年続いた生命、身体をリレーすること。
②ニンゲンの創り出した文明、文化をリレーすること。(身体と精神のリレー)
みなさん、一人一人が、リレーランナーである、と。

16歳から24歳の若者は、その間に、”人生のほんとう”を発見してしまう。数学であれ、哲学であれ、生と死であれ、発明、発見の大半が、この年代に誕生する。あとは、応用問題である。正・誤に関しても、大常識に関しても、身につけてしまう。

ただ、とんでもない変革の時であるから、その多感さから、何が飛び出してくるか、わからない。私の今回のポイントは、その若者の、爆発力を生かす工夫、知恵である。

事は簡単である。いつもノオトを手離さないこと。新らしい発見、疑問、イメージ、(私)に来るすべてのモノをコトを、ノオトする習慣を身につけることである。

つまり、何気なく、見逃してしまう、ちょっとしたことが、実は、大変な発見の、答えかもしれないのだ。見るだけではダメ。見方を知ること。聴くだけではダメ。聴き方を知ること。悩むだけではダメ。悩みを考えること。

「ノオト」は、(私)の誕生の場である。(私)の発見の場である。百円くらいで買える、ノオト。どこへでも持っていけるノオト。見たもの、聴いたこと、触ったもの、五感に感じられる、すべてものを、ノオトに記しておくこと。もう、二度と、来ないかもしれない(思い)もノオトに記しておくこと、そこから、ふたたび、芽がでる。ノオトは、種子でもある。考える種子である。

「記録する」は、「記憶する」でもある。(私)とは何者が、ノオトが教えてくれる。決して、日記ではない。考えるノオトである。断片が、語りはじめる、いつか。

宇宙のこと、世界のこと、日本のこと、日々の人生のこと、(私)のいる場所、(私)が生きている状況、そんな大きな視点から(現実)のセイカツまで、いろいろと語らせてもらった。

講演後、四人の生徒と質疑応答。正しい質問は、正しい答えを得る。熱心に、聴いてくれて、ありがとう。

最後に、生徒の代表が、私の講演のまとめと、感想を語ってくれた。90分の長い話を、終ると、すぐに、まとめる力には、正直、驚いた。本当に、若い人たちの能力は無限に開かれている。

「人間、一生、勉強である!」でした。

「海陽町出身の作家 重田昇さん 母校で講演」 記事「徳島新聞」7月17日(日)

海陽町出身の作家・重田昇さん(64)=千葉県四街道市=の講演会が15日、母校の海部高校(同町大里)であり生徒ら約470人が聞き入った。
重田さんは「人間一生勉強である」と題し、読書の大切さや勉強方法について講演。高校時代、熱心に読書に取り組んだエピソードを紹介し「本の内容が難しくて理解できなくても、いつか分かるようになる。作品の内容を覚えるぐらい読み込んでほしい」と話した。
3年の前田優也君(18)は「読書は苦手だが毎月1冊読むことから始めたい」と話した。
講演会は、開校8周年記念行事で開いた。

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• 金曜日, 7月 22nd, 2011

3・11以後の読書は、心を一番深いところまで沈めても、なお、耐えられる言葉で書かれたものしか、読めなくなった。

声が、文章が、形もなく、崩れ去ってしまって、いっこうに、手ごたえというものがなくなってしまう。もう、これ以上はすすめない、思考が、ステップできない地点まで、到達している文章が、やっと、作品として成立している。活字の向う側の暗闇に立っている作者の姿が見える。沈黙のまま、放心して、まるで、3・11の大地震、大津波、原発事故の被害者のように。

そんな文章が、そんな作品が、存在するのだろうか?

ある。秋山駿の「『生』の日ばかり」は、言葉の意味がなくなってしまう、ステップに、ステップを重ねた思考が、突然、身動きできなくなる、そんな意識のゼロ・ポイントまで到達した作品である。

本書は、「群像」での連載開始から読み続けている。(現在も、連載中)一区切りをつける為か、「単行本」になった。

「内部の人間」秋山駿が、80歳になって、なお、健筆で、若い頃からの、思索シリーズ、「ノートの思想」が展開されている。驚くべき持続力である。

「石ころ」を拾った青年が、「石ころ」を眺めて、「私とは何か?」「無限とは何か?」その一切を考え尽くしてやろうという野望を抱いて、もう、60年が過ぎようとしている。正しく、ニンゲンの果てしない営為である。

「内部の人間」の意識が、突然、コペルニクス的な転回を見せたのが、この、「『生』の日ばかり」である。秋山駿の読者なら、声を呑んで驚いただろう。

何が?

なんと「内部の人間」が、「外部の人間」に変身するのだ。他者の存在が、このような形で「ノート」に登場したことがあっただろうか?

誰?

「同行二人」の女(ひと)である。本文の、文章と思考が、声が変調する場面がある。

「もう打つ手がない」そんな、医者も見放すような、難病が、妻の法子さんを襲った。帯状疱疹である。四六時中、一秒ごとに(痛)みが走る。歩くことも、食べることも、トイレに行くことも、寝返りを打つことも、まるで、苦業僧にならねば不可能なのだ。読者は思わず、「本」から眼を離して、宙を見るだろう。放心するだろう。

「内部の人間」には、共にくらしてきた、「同行二人」の妻に対して、無力である。いや「文学」が無力となる。なんのために、「文学」をしてきたのか?すべての場面に、言葉が要る、在る、と考えてきた秋山駿が、自らの来歴を振りかえって、妻にかける声、言葉を探そうとする。言葉がないのだ。誰も、二人で、共同で、生活してきたその中で、(共同の言葉)を、考えてこなかったのだ。

つまり、意識のゼロ・ポイントである。もう、言葉も、思考も、用をなさない地点に、ニンゲンが直面して、黙ってしまう。ちょうど3・11の被害者のように。

もう一歩、歩をすすめると「宗教」となる。もちろん、秋山駿は、「文学」の人であるから、(知)から(信)へと超越する「宗教」へとは、行かない。しかし、(私)の中の「神」の存在は考察する。私の中の「無限」については、考える。

自らも、胃ガンの手術を受け、足を痛めて、公園の散歩もままならぬ身である。齢を重ねるニンゲンの日々を綴るノートは、正に、超高齢者社会へと突入した、日本人の生きざまを、正確に写し取っている。老いて、なお、わが道を行く姿を思い描いていると、私の眼には、正宗白鳥が映った。そして、秋山駿の姿が重なった。

考える、精神ばかりを迫ってきた文学者の言葉が、身体、肉体というものの深さの前で、沈黙してしまう。60兆の細胞の(私)、30億年、生命をリレーしてきた身体という不思議の(私)。在ることは迷宮だ。

毎日、毎時間、毎秒、痛いだけの日々を生きるニンゲンに、何か、意味はあるのだろうか?(誰が答えられる?)泣くしかない、それでは、まるで、病苦を詠んだ、正岡子規だ。祈りは?祈りはどこへ行った?

不思議なことに、痛みの頂点で、薬も効かないのに、法子さんが、秋山駿の手を握っていると、痛みがやわらいぐという。手の力である。お腹が痛い子供が、母の手で、撫でてもらうと、痛みがひいた、あれと同じことが起こっているのか?

眼は、眼で、覗き込むと、お互いの考えていることがすべてわかる。声は、病院から、家に電話をした法子さんの声「駿の声が聞けてよかった」まるで、光太郎と智恵子である。

秋山駿、法子さん、一蓮托生の人生である。「同行二人」は、歩く遍路と空海の意味であるが、秋山駿の「同行二人」は、私と妻の意味である。

「東日本大震災・原発事故」は、畏ろしきもの、人知の及ばぬものをニンゲンに突きつけた。一瞬の、不運、不幸、不遇、偶然という魔の恐怖であった。

私たちが、生きることは、宇宙にとってなんなのだと、宇宙そのものに、ニンゲンの意味を問いたくなる日々である。

まだ、まだ続く「『生』の日ばかり」ではあるが、単行本になった分だけ感想を記してみた。秋山駿の生きた言葉に、お礼である。

7月18日記

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• 金曜日, 7月 22nd, 2011

3.11で、ニンゲンの意識が、ゼロ・ポイントまで落ちることを、経験した今、小説を読むという行為は、どのように成立するのだろうか?

3万人を超える死者と、12万人を超える避難民、家を喪い、仕事を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、昨日まで生きてきた、普通の日常を喪い、見慣れた風景まで喪ってしまった人々、言葉が役に立たず、(知)が通用せず、水と食料と、寝所と、衣服を求めて彷徨する魂たちを前にして、偶然、その地に居ないために、被害をまぬがれた日本人。原発で、放射能が撒き散らされた国土、汚染されて、何年、何十年と放射能におびえ続けることになった日本人。

そんな中で、小説を読む。3.11は、意識そのものが、変革を迫られる、大事件であった。

何度か、「物語」を読もうとして、ページから眼を離し、手を休め、宙空に視線を泳がせた。しかし、「地上の人々」の色調は、3・11以後の世界にも、溶け込むものだった。

奇妙な色調の小説である。三人の、ホームレスの話、都市へと出てきて、夢破れて、終に、人生の最下部とも思われる、ホームレスへと転落した三人の男の話である。生活を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、仕事を喪い、その日その日を、ただ、生きている、ニンゲンの日常がある。

なぜ、作者は、このような、あらゆるものを喪ってしまったニンゲンたちに、身を寄せて、こんな小説を書いたのだろうか?

作者、井出彰の心性にも、崩壊感覚がある。どうも、自分は、まっとうな人生を生き切れないのでは、という不安、危惧がある。一番最小単位である、生きるための(私)にとって、何が一番確かなものか?社会的な立場、役割り、椅子、地位、すべてが、虚しく、崩れ落ちてしまう、そんな感性が、作者の心の底の底に流れている。

生きて、生活して、闘って、病んで、老いて、ただ死んでいくところのニンゲン。ニンゲンから、社会的な意味を抜き取ってしまうと(裸の私)だけが残る。社会が付加した意味という意味は、すべて剥がされて、崩れて、消えてしまう。

ほとんど(無常)の世界であるのに、妙に明るい。この明るさはなんだろう。「人間、暗いうちは滅びない」と太宰治は語った。であるならば、この明るさは、滅びの予兆であろうか?

3・11東日本大震災、原発事故の前に書かれた小説であるというのに、奇妙なことに滅びの色調は、その大事件に、同化してしまう。

ニンゲンにとって、生きるということは、この宇宙の中において、どんな意味をもつというのだろうか?

意味など一切ないのか?私たちは、ただ、人間が作りあげた「人間原理」の内でのみ生きている。自然である「宇宙原理」は人間のことなど、一切関係なく、ただ、流れている。

小説を読み終えた、私の感慨である。

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• 月曜日, 6月 27th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~ (1601~1617は、月刊誌「詩と思想」7月号に掲載)
1601. 揺れた、大地が。水が来た、大津波が。放射能が飛んだ、原発の。本能のまま、走る、歩く、蹲る、もうニンゲンには逃げる場所がない。何処にも行けない。
1602. 天災に、人災に、文明災である。自然の法則の前に、ニンゲンの起っている、日常の底が抜けてしまった。
1603. 空の下、瓦礫と地面の他には、何もない。空っぽの空間である。ほとんど(無)だ。
1604. 水におにぎり、衣服に毛布、寝る場所、薬に医者、ニンゲンに必要なもの、生命の素。
1605. 言葉が滑る。声がとどかない。文章が浮いてしまう。(無)の地点では、すべてが、宙に浮いてしまう。
1606. 電気という文明は、原子力というエネルギーは、同時に、クライシスという、名前でもあったのだ。暗愚のニンゲンの(知)
1607. ニンゲンの、五感も、直観も、知も、一切が通用しない、日常が一瞬にして、非日常の幽霊になる。宇宙原理の脅威である。
1608. 正に、第二の敗戦である。敵は、人間ではない。自然の法則であった。
1609. 死を覚悟して、原発事故に立ちむかう勇士たちがいた。明日のために。子供のために。
1610. 言葉は、無力ではない。二つの言葉がいる。走れ、歩け、逃げろ、一緒に生きようという(声)。考えて、考えて、もっと高みへ、もっと遠くへ、ビジョンを紡ぐ、ニンゲンの啓示の(文章)である。
1611. 恐怖と不安が、悲嘆に変わり、無気力になって、途方にくれて、虚無へと変貌する時、声がいるのだ。(私)はあなた、あなたは(私)そう、一蓮托生の人生である。(私)は、起つ。
1612. 不可知である。不完全である。不確実である。それでも、歩け、(私)がある限りは。
1613. 数学も、科学も、哲学も、思想も、一切が役に立たない、それでも、ニンゲンの声は響きわたれよ。制御できぬ“原発”はいらぬ。
1614. どだい、この未曾有の大災害が、一人のニンゲンの頭に入りきる訳がない。時空そのものが揺らいだのだ。
1615. 眩暈が、耳鳴りが、動悸が、3・11以来する。手で何かを作る。はじまりはそこからだ。ホッと息を吐く。そして、出発する。
1616. 億、兆という数が役に立たなくなって、終に、(京)が使用された。原発の放射能の数値である。ニンゲンの五感が見放された瞬間。
1617. 3・11から長い、長い戦いが始まった。「無」からの出発である。もう、意識は、震災以前に戻ることはあるまい。本当に、ニンゲンが、生きる、必要を、考えて、構築しなければならない。大事とは何か、生きるための、ニンゲンの、真の、網領が、希求されている。(私)は、出発する。今、誰もが、同じ地点を凝視めているそこへ。
1618. 一瞬で、一切を破壊してしまう巨大なエネルギーは、完全に、ニンゲンという存在を無化した。
1619. 光と熱の、ちょうどいい間で、ニンゲンは、恙しく、生きるしかない。
1620. 「自然の大きな物語」が発生すると、ニンゲンの創出した、文明、文化は、虚ろな影になる。
1621. 自然への、畏怖の感覚だけは、なくしてはならぬ。ゴーマンにも、ニンゲンは、原子力を、コントロールできると、思いあがった。
1622. 国は、すべての情報を公開すべし。情報をコントロールすればするほど、人々は、疑心暗鬼に陥ってしまう。
1623. 醜い事実でも、事実は、事実である。日本人は、事実を承認できる。充分に。冷静に。太平洋戦争の、広報の、いつかきた道へと戻ってはならぬ。
1624. ヒロシマ・ナガサキを経験した国が、国民が、なぜ、”原発”を容認してきたのか。安全神話の名のもとに。愚かであった。欺いた者も、欺かれた者も。
1625. 傷は疼き続ける。消えることはない。もう、3・11以前の意識には戻れない。
1626. 精神の芯まで、水ぶくれして、生きてきた、何が必要か、問い続けるべきであったのに。
1627. 残すもの、棄てるもの、もう一度、生きる、ニンゲンの必要を、考える。
1628. 電気が支えてきた文明である。エネルギーの量だけを求めてきた。滅びの一歩手前で、ニンゲンは、まだ迷っている、”原発”の火を消すか点けるか。
1629. 「無」を経験した。何もない、一切が消えて。
1630. ”便利”と”快楽”に導かれて、ニンゲンは、道を踏みはずした。
1631. ニンゲンは、天災のあきらめからは知っているが、人災のあきらめかたは知らない。”原発事故”は、もうひとつの戦争であって、人災であった。
1632. ぬくぬくと、原子エネルギーの恩恵を貪ってきた身であるが、今となっては、叫ばねばなるまい。破滅への道は、団固、拒否する、と。
1633. 赦した人も、赦された人も、自責の念は、炎となっている。
1634. 量ばかり求めてきた。
数ばかり求めてきた。
モノがあふれかえって、何も欲しいものがなくなるほどに。
1635. (無)になったものたちへ、名前を付けよう。新しい名前を。
1636. 叫ぶ、呼びかける、祈りに似た声で。肉声で、マイクで。耳たちよ、聴け。届け。そして、逃げろ。
1637. おかしいではないか。3・11からは、一切が変わらなければならぬ。破滅の足音を聴いたのだから。昨日の延長に今日はないと、思い知ったのに。
1638. テレビの声も、新聞の文章も、こんなに、遠くなった日はなかった。(信)が(疑)になって。
1639. 知者たちの声が、崩れ落ちた。3・11に、対応できなくて。
1640. 生きているのは、被災した(現場)にいる人たちの声だけだ。
1641. 経験する、体験する、そんな言葉をはるかに超してしまった3・11は、ニンゲンを沈黙させる。
1642. 二つの言葉がいる。耳へと直接語りかける声。脳へと響かせる、考える、文章。
1643. 大地震、大津波から原発事故へは、身体から心へと、刺し貫いた巨大な棒、兇器であった。
1644. ニンゲンが、コントロールできぬものを、科学の名のもとに、「安全神話」を作ってはならなかった。
1645. 「人間原理」のみで生きてきたニンゲンは、一瞬のうちに、「宇宙原理」で、叩き潰された。揺さぶられ、流されて、消されて、汚染された。
1646. 毛布を被って、群集の中で、泣くこともできずに、体育館の壁に向かって、放心している、どんな視線も声も耳にとどかない、白い顔をしていて。
1647. 祈りでも足りない。引き裂かれたニンゲンの心に、水と、地鳴りと、放射能が充満していて。
1648. 魂も精神も崩れ落ちて、空の(私)がいる。
1649. 新緑のまぶしさまで、凶々しい眼で見てしまう、3・11の負のエネルギーである。
1650. 高野の聖地を、歩いて、歩いて、風景に溶けても、(私)の頭には原子力という魔物あり。
1651. 棄てるもの、残すもの、快適と便利で生きてきた、セイカツを、必要と大事から考え直してみる覚悟がいる。
1652. 3・11で種分けしはじめた意識がある。透明な線を引いて。
1653. 文学は、いつも、行動よりも遅れてくる。だから、遠くまで、行けるものでなければならぬ。
1654. 結局、ニンゲンだけが、自分たちの、快適と便利を追求するために、地球を汚染してしまう動物である。自然のメカニズムを壊してしまうのが、誇れるニンゲンの文明というのも、悲しい限りだ。
1655. あらゆる動物に、善と悪の判断力があって、全員で投票すれば、悪のナンバー1は、ニンゲンに決定するだろう。
1656. なんでも食べてしまうニンゲンには、善とか悪とかを、語る資格があるのだろうか。ニンゲンにとっての善悪は、すべて「人間原理」に基くものばかりである。
1657. ”現実派”は、必ず、今の生活には、電気エネルギーが必要不可欠であると主張する。そして、膨大なエネルギーを放出する”原発”を、必要悪と考える。しかし、本当は、習慣を変えたくないのだ。”快適と便利”を手離したくないのだ。破滅に至る道であっても。何が大事なの?
1658. 莫大なエネルギーの塊りは、一瞬にしてニンゲンの日常を、非日常へと、転覆させた。
1659. 死んだ者、生き延びた者、時空が反転する驚愕の果てで、運と偶然だけが、命運を分けた、無常。
1660. 原子力、遺伝子操作、万能細胞、不確実で、不完全で、不可能な世界へと、ニンゲンは、突入してしまった。あと戻りのできない道へと。
1661. ニンゲンの創出する、あらゆる(知)を集めても、ニンゲンの天才たちを集結させても、どうにもならぬ、時空のゆらぎが来た。
1662. 一切が、変わらなければならない。怖いくらいに昨日を棄てること。
1663. 昨日までの、今までの、3・11以前の習慣と思考では、危機は乗り切れない。
1664. 3・11は、レントゲンの意識が、終に、ゼロ・ポイントまで降りた日だった。
1665. 顕れてしまった者(出現者)と顕れなかった者(未出現者)がいる。宇宙も同じこと。
1666. (無限)よりも大きいものがある。(無限)+1である。であるならば、神よりも上位のものがある。神々の神である。実は、私は、このような思考が好きではない。
1667. 不可能なもの、考えられぬもの、端もなく、縁もなく、形もなく、色もなく、気配すらないもの、未存在である。
1668. (私)は、瓦礫と地面しかない、風景の見方を知らない。眼には、何も見えない。
1669. 静かな、無音の風景の中に、燃え盛る眼の仁王が立っている。
1670. 「色即是空」は、単なるお経ではなかった。3・11は、残酷にも、その言葉を証明した。
1671. 問う人の言葉と、考える人の言葉がちがうので、怒りは噴出する、当然である。
1672. 空になった心に、熱い思いが宿るまで、どのくらいの時間と涙と汗がいることだろうか、気が遠くなる。
1673. 無味無臭の透明な夏の水は、実に、美味い。無味無臭の、透明な風で運ばれる放射能は、ニンゲンを破壊するだけだ。
1674. 3・11で、羅災者は、無感覚の貌になった。当然である。無感覚は、ニンゲン自身を守る、ひとつの姿勢であったのだ。
1675. ニンゲンは、奇妙な生きものだね、と、お互いの顔と深淵を覗き込んで、哄笑したが。
1676. 問うてはならぬことがある。問うても詮ないことだとわかっているから。意識は、どこまでも行きたがるが。
1677. 存在の重さが、限りなく、稀薄になっていた時、3・11が来て、生命は、一人一人の心の中で、ずっしりと重くなった。蒼ざめて、我にかえった。
1678. 文明から文化へと、一気に、舵を切らねばならない。3・11を境にして。
1679. ニンゲンは、(私)を守る、(私)を保存する、(私)を持続させる、3・11に襲われた後も。
1680. 沈黙が、存在の重さを現している。
1681. (正常)を保つために、無感覚の、仮死状態に陥る、それは、ほとんど本能だ。
1682. 一時期、(私)を別のどこかへと運んでいかなければ、ニンゲンは、狂気から逃げられない。
1683. 安心している場合ではない。”原発”は、もっと、もっと、深刻に、神経症になるくらい畏れなければならない、”怪物”である。
1684. 国は、市民の、住民の、パニックを畏れて、(現実)を隠して、情報を与えず、国民を安心へと誘導しようと試みた。で、国民の(信)を失った。
1685. ”現実”は、日を経るに従って、悪化しているのに、国の発表も、対策も、安易すぎる。首相の声も、浮きあがっている。”現実”を見ていないのは、見ようとしないのは、誰だ!!
1686. がんばれとか、元気をだせとか、感情や気分で変わるほど、たやすいレベルではないのだ、今回の大災は。人類のビジョンそのものの、ターニング・ポイントなのだ。
1687. 確かに、今回の”原発”事故で、万死に値する人々がいる。
1688. わからないことは、わからないと言う。もちろんだ。しかし”想定外”という言葉は使わないでくれ。宇宙では、なんでも起こってしまうから。
1689. 静岡の、浜岡の、”原発”を止めた。もう、妙に、安心している。ちがうのだ、もう一歩踏み込んで、”廃炉”にするのだ。覚悟が足りない。
1690. ”安全神話”が完全に崩れたのに、まだ、知恵をしぼれば、対策を強化すれば、”事故”は未然に防げると思っている。”原子力”が、ニンゲンの(知)を超えているという恐怖に、直面しようとしない。
1691. どんな場にいる人も、どんな位置にいる人も、その場から、その位置から、声を放つべきである。3・11は、あらゆる人に、その衝動を与えた大事件だから。さあ、語れ、叫べよ。
1692. (核)があると、なんとなく思って、生きていた人も、その日常を反転させた、3・11に遭遇して、(私)そのものが揺れ続けているだろう。
1693. すべてが滅亡へと至る。だから、夢も希望も、実はない。ただし、ひとときの、巨大な、幻想に幻花を見ることは可能だ。
1694. たった百年しか生きられないから、ニンゲンは、巨きなスケールの時間の前では、(私)を失って、痙攣してしまうのだ。で、判断は停止。
1695. 体育館の、ダンポール箱で区切られた空間で、壁を見ている老婆がいた。いつか、眼が笑う日が来ればいいが。
1696. 「本」を読んでも意味がない。文章を書いても意味がない。TVを見てても意味がない。水を下さい。放射能で死なない、正確な情報を下さい。地震と津波で、街と生命を奮われない、正確な情報と知恵を下さい。
1697. 静かに眠れる夜と場所を下さい。
普通に働ける職場を下さい。
寒くない、暑くない、着物を下さい。
祈って下さい、死者たちのために、残された者のために。
祈って下さい、不安と恐怖のあの日のことを。
1698. 呆けて、放心して、TVに映る、瓦礫と地面と何もない空間ばかり観ている。
1699. 3・11は、ニンゲンに、何を黙示したのか。足を止めて、じっくりと、考えねばならない。
1700. 心・意識の流れがある。
①3・11で、意識は、ゼロ・ポイントに陥った。
②(無)が来た。
③(無常)感に襲われた。
④恐怖のゆりもどしで、涙も出ない、無感覚。
⑤(虚無感)脱力感、放心する日々。
⑥身体と心の回復、ゆらぎが来る。
⑦怒りが起きる。(自然に、原発に、国に)
⑧なぜ?なぜだ、問い地獄(情報が知りたい、ニンゲンの声が聴きたい)
⑨泣くだけの日々(悲しいだけ)
⑩日常へ、一歩、もう少しだけ、生きてみようか、一切が失われて(私)が残って。
⑪衣、食、住と薬に医者、そして、仕事、ニンゲンらしい生活が訪れる日まで。
3・11から、二ヶ月の時が流れた。心も、意識も流動し続けている。
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• 水曜日, 6月 22nd, 2011

美術館では、常設のアラワカ展ではなくて、地域の、あるいは、若手の画家のためのスペースがあって、壁画いっぱいに、巨木が描かれた力作が飾ってあった。あるいは、音と映像のコーナーもあった。

頭が疲れて来たので、身体をほぐすために、美術館を出た。建物の前庭に芝生の広場があって、小高い、盛り土の丘がある。枯れ木やカズラを集めたトンネルへと足を運んで。眺めるだけでは、面白くないと思って、トンネルを潜って、奥へ、奥へと歩いてみた。突然、見覚えのある顔が、向こう側から、歩いてきた。やれやれ、君は、なぜ、私と同じような足取りで、私に似た顔をして、向かう側から、反対に歩いてくるのだ。

(私)は、もう一人の(私)に対面した。(私)が苦笑すると、そいつも苦笑した。腕組みすると、そいつも腕組みをした。アラカワの遊び心、仕掛けである。壁の、窓ガラスと思えたものが、鏡になった。

「君は、本当に、どこにいるんだい?その君のいる場処ってのは、そんなに、確かなものなのかい?今は何時だ?時空も揺らいでいるぞ」アラワカの乾いた野太い声が響いた。

(私は私である)の世界をアラカワは(私は他者である)の世界へと変えたいのだ。そして、本当に、存在しているのは、どちらだと、観る人を、揺さぶる左右対称の世界、京の龍安寺と奈義の、龍安寺、遍在せよ、遍在せよ、時空はひとつではない、触ってみよ、体験してみよ、アラカワの声が、建築全体に、鳴り響いている。

通常の、バランス感覚が、少しだけ、おかしくなって、微妙に狂い、変な気分になってしまう。気付きである。今まで、ソコに存在しなかったものが存在しはじめる。私の感覚、常識が揺さぶられて、(私)はゆらぎの波の中にいた。

”時空のゆらぎ”アラワカの頭脳の中にあるものを、形にしてみたのが、”奈義の龍安寺”であった。存在は、遍在するのだ。アラカワの思考の助走が終った。これも、ひとつの、実現であり、ステップであろう。

呪文じみているが、確かに、アラカワの(常識)を破壊するエネルギーが充ちている、奈義の現代美術館であった。

時代は決して、直線的に、過去から現在へと流れていない。空間は、決して、静止した箱の中のように在るのではない。遍在している。単なるトリック(光や水や音や風の性質を知尽して)ではなくて、アラカワは、本気である。知るのは第一歩さ、生きてくれよ、それを体験してくれよ、とアラカワの声がする。

11月の、空は、青く、奈義の街は、高原風な晩秋の中に、静かに息づいていた。なだらかな牛の背のような山脈を背景にして、奈義町役場と文化会館が、左右対称の、建築的身体を横たえている。燃え盛る銀杏の木、文化会館では、全国の各地に伝わる、地方歌舞伎の大会の準備で、看板や花々が、飾られている最中であった。

山の中といっても、丘陵地である。畑もあれば、水田もあり、牧草地もある。しかも、伝統の文化がある。そこに世界の、鬼才・アラカワが乗り込んで来た。

半日、一人で、歩いて、観て、触れて、考えて、少々、疲れた。バスで津山に出た。駅前で、B級グルメで有名になった、ホルモンうどんを食べた。満腹である。

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• 水曜日, 6月 22nd, 2011

朝のお城は、格別であった。

旅の目覚めは、期待と不安が入り混じっていて、日常の、普段の朝よりも、興奮している。ホテルの、見慣れぬ、部屋に、海岸へと打ちあげられた魚のように、異和を覚えながら、出発の準備をする。洗面、トイレ、荷物のチェックと、身のまわりに用心をして、最後にぐるりと部屋を見まわして、よし、忘れものもなし、と呟いて、外に出る。

眼の前は、一面の、朝霧であった。四方の山はもちろん、遠い街の家並みも、白い霧の底に沈んでいて、百メートル先が霞んでいる状態であった。ホテルからお城への坂道を登って、ぼんやりと見え隠れする風景の、神秘的な霧の朝は、正に、正体の知れぬ、アラカワへの旅にふさわしいものに思えた。

もう、何十年も、経験したことのない、濃い霧の流れる、旅の朝であった。高台にある城への道は、その門を閉ざしていたが、城をめぐる樹下の路には、朝の犬の散歩、ウォーキングをする人、小走りにジョギングする人たちが、霧の中から不意に現れて、おはようございますと、さわやかに、声を掛けて、霧の中へと消えていった。

津山城を散歩して、そのまま、街へと下って、朝の吉井川を眺める。そう言えば、吉井勇という歌人がいた。彼は、岡山の出身だったか?すると、吉井川から、ペンネームをもらったことになる。

JRの津山駅の駅前広場に、バス停がある。いよいよ、バスに揺られて、奈義へ。乗客は3人である。津山市内をぐるぐる廻るうちに2人が下降して、私一人になった。貸切り。大名旅行の気分である。霧が濃くて、バスからの風景が見えない。視界は、おそらく、百メートルを切っているだろう。ただ、山の奥へ、山の奥へと、向かっているような気がする。3、40分も走っただろうか、朝霧が一気に消えはじめた。山脈が、なだらかに広がる農耕地が朝日の中に、くっきりと見えた。

奈義町役場前で、バスから降りた。横仙歌舞伎の里・美作という看板があった。道を左に曲ると、背景の山にむけて、一直線に、道路が走っていた。田舎の風景には、似合わない、真直な道である。ケヤキの並木。左手に、すぐに、奈義の美術館だと思える建物があった。茶色に、濃いグレー、そして建物の屋根に、巨大な円筒が、青空を突きあげていた。道路の右手には、文化会館、図書館、町役場の庁舎、幼稚園が、整然と、並んでいた。

(荒川修作+磯崎新)のコラボレーションである。
芝生の前庭がある。木のオブジェがあって、トンネルが、網状に形成されている。

奈義の美術館に入ると、右手に、中庭がある。水に、青空が映っている。水中から、メタリックに光る細い棒が突き出して、縄飛の縄のように孤を描いている。水中には、小石が敷きつめてある。綺麗な、握り拳ほどの石である。椅子に坐って眺めていると、水面に出た棒の半円に、水面に影が写って、まるで、原子の模型のような、円に見える。いくつも、いくつも、円水と戯れている。曲線が、水に呼応して生きもののように見える。天井は、コンクリートの壁、しかも、青空が覗いている。

原子たちが飛び交う奇妙な空間である。見あげたところに、木はないのに、水の鏡には、緑の木が映っている。空と水と木と、石と壁と円い輪。上と下が、水が鏡になることで、逆転して、上下の視点が消えてしまう。水の中の空、水の表面の影、姿、曲線と直線が絡みあって、あたらしい軌跡を作りあげている。水中から突き出た円い棒は、自らの姿を水に映して、自らに重なって、立体空間を創出している。

そこでは、ないものが存在したり、存在するものが、隠れて消えてしまう奇妙な時空のゆらぎがあった。本物とは何か?影とは何か?眺めれば眺めるほどに、まるで、量子力学の世界へと突入したような、妙な気分に陥ってしまう、空間部屋であった。

さて、奥へ進む。
右手に「太陽」SUN(荒川修作)
左手に「月」MOON(岡崎和郎)
デッサン「死なない為に」視覚、イメージ、建築・・・があって、その横に、5月19日、ニューヨークにて死すとアラワカ急死の貼り紙があった。

「太陽」の部屋へと入る。
無数の、老若男女の笑顔が、円筒の空間の壁という壁に、ぴちぴちと生命の気を放っていて、波が、満ち、あふれていて、眺めている私も、光の方へと、心が魅き寄せられていくのがわかった。

何しろ、長く生きてきたが、これだけの笑顔には囲まれたことがないので、なるほど、笑顔が、光である、太陽であると、瞬時に、部屋の命名の意味が理解できた。まるで、地上の楽園が出現したかのようですよ、アラカワさん、私の身体の中を、心の中を、笑顔の放つ風が突き吹きぬけていきます、アラワカさん。

部屋の中央にある、螺旋階段を、身をかがめて暗闇に眼を慣らして、慎重に、一歩一歩昇りはじめると、アラカワの仕掛けが、時空を超えて、別の、異次元への旅であると承知はしていても、やはり、身体は、狭い、暗い螺旋階段に反応して、未知の場所へと向かうことを、拒絶する。しかし、意識は、精神は、一刻も早く、アラカワの、創り出した異次元へ、奈義の龍安寺へ、たどり着きたいものだと、熱く燃えている。まるで、ブラックホールに吸い込まれた者が、ホワイトホールに、吐き出されたいと願っているみたいな息苦しい螺旋階段であった。

光が来た。
眩しい光の中に、巨大な円筒があって、筒の壁に、見慣れた、京都、龍安寺の庭があった。庭が、円い筒の両壁に貼りついていた。もちろん、あの巨石、砂が、左と右に分かれて、そっくり、存在していた。京都の龍安寺を訪れた事がある人なら、アラカワさんも、やってくれるねと、微苦笑するだろう。

私は、公園によくある、ぎっこんばったん、つまり、シーソーの中央に坐って、ゆっくりと天井を眺めた。当然、上下が対象になっていて、シーソーや椅子も、天井から吊り下がっていた。左右、上下対象、つまり、天と地が遍在しているのだ。京都の龍安寺が、時空を超えて、奈義へとやって来た。

時空を超える、タイムマシーンに乗って、アラカワの頭脳が思い描く世界へと直参するのが、奈義の龍安寺であり、遍在せよ、遍在せよと叫び続けるアラカワの声が私の耳にも留いていた。

さて、螺旋階段を下りて、太陽の部屋を出た。
向かったのは、「月」MOONの部屋である。ゆっくりと、足を踏み入れると、自分の足音が、異様に増幅されて、巨大な音になる。足を止める。思わず、天井の高い、ゆるやかにカーブする、狭く、区切られた空間、そう、月形の、部屋を見廻してみる。

美術館の受付けでもらった、一枚のカタログを、そっと落としてみた。人間の耳につくはずのない、小さな音が、ゆあーんゆよーんと、大きな音に拡大された。手で拾うと、ザラザラと音が響いた。歩く、巨人の歩く足音がする。咳をする。巨大な音が発生、弾丸が飛ぶ音か?

普段、われわれが聴いていた(音)とは何か?もっと、もっと、無数の音が発生して、波となって、時空を疾走しているのだ。気がつかずに、耳にとどいている音だけを(音)として、認めて、生きていたことの、妙な、違和感。部屋は、周波数を増幅する装置だった。

沈黙の意味が変わってしまう、部屋である。空間が、決して、ただの、空っぽではない、との証明。音響の不思議を体験する。もう一度、(耳)とは何か、と考え込んでしまう、部屋であった。静かな月。

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• 火曜日, 6月 14th, 2011

1. 「『古事記』神話の謎を解く」(中公新書刊) 西條勉著
2. 「新約聖書」訳と注 ルカ福音書(作品社刊) 田川建三著
3. 「ホーキング、宇宙と人間を語る」(エクスナレッジ刊) スティーブン・ホーキング著
4. 「イエーツ詩集」(思潮社刊) 加島祥造訳
5. 「文学のプログラム」(講談社文芸文庫刊) 山城むつみ著
6. 「折口信夫文芸論集」(講談社文芸文庫刊) 折口信夫著・安藤礼二編
7. 「ハイデガー『存在と時間』の構築」(岩波現代文庫刊) 木田元著
8. 「ゲーデルの哲学」(講談社現代新書刊) 高橋昌一郎著
9. 「知性の限界」(講談社現代新書刊) 高橋昌一郎著
10. 「森の生活」上・下(岩波文庫刊) ウォールデン著
11. 「青春の門」第七部(講談社文庫刊) 五木寛之著
12. 「空海の思想的展開の研究」(株トランスビュー刊) 藤井淳著
13. 「少年殺人者考」(講談社刊) 井口時男著
14. 「自由訳般若心経」(朝日新聞出版刊) 新井満著
15. 「福島原発人災記」(現代書館刊) 川村湊著
16. 「黒い雨」(新潮文庫刊) 井伏鱒二著
17. 「三陸海岸大津波」(文春文庫刊) 吉村昭著
18. 「超高齢社会」(アドスリー刊) 坂田期雄著 ●書評 http://www.adthree.com/
19. 「賑やかな眠り」(土曜美術社出版販売刊) 詩集 宇宿一成著
20. 「十六の話」(中公文庫刊) 司馬遼太郎著
21. 「意識の形而上学」(中公文庫刊) 井筒俊彦著

3・11以後は、頭の大半が、地震・津波・原発事故に占領されているためか、読書を楽しむから、読書の果てに、究極を求めてしまう傾向が現れた。

できるだけ、必要のないものは、読まないようにしたい。作品は、作者が、どれだけ、心を深く沈めて書いているかで、だいたいの出来、不出来は決まってしまう。

「東日本大震災」についても、雑誌や単行本や特集記事を読んでいる。同じ言葉を書いていても、同じ主旨の文章を書いていても、被災者であるか、そうでないかで、言葉の意味は、まったく違ってしまう。

例えば、詩人の、和合亮一は、日経新聞にエッセイを書いていた。3・11以前の話である。日常の、(私)をめぐる、個人的な話を、緊張感のない、文章で書いていた。凡庸な詩人だと思って、評価できなかった。

ところが、3・11を体験して、同時進行で書き続けている「詩の礫」は、同じ人間の作品とは思えない、秀れた詩であった。考えて、書いているのではなく、(私)に来る言葉を、そのまま、叩きつけて、書いているのだ。人が変身したというよりも、(場)が(状況)が、和合亮一という詩人を借りて、語らせている、そんな具合である。

西條勉も、今、人間に、何が必要かを、古代の、古典を追うことで、現代を、逆に、照らし出そうとしている。私の、大学時代の友人である。

山城むつみの「ドフトエフスキー」の発想がどこから来たのか、「文学のプログラム」が教えてくれる。「古事記」「万葉集」の、中国語を使って、日本の文章を書くという行為の研究に、その発想の根があった。

井口時男の「少年殺人考」は、異様な殺人者、殺人行為に興味があって、書いたものではなく、殺人者となった少年たちの言葉、言語表現を追求していくというスリリングな一冊である。

今年から、本格的に、密教、空海に関する書物、空海の著作を読みはじめた。「空海の思想的展開の研究」は、700ページを超える大冊である。作者・藤井淳は、まだ、30代の若き研究者。力作。

古典、哲学書、宗教書、そして、宇宙に関する読書が増えている。語学の大天才、30数ヶ国語を自由に話せる(!!)井筒俊彦と司馬遼太郎の対談「十六の話」(所収)は、実に、壮快である。

井筒俊彦の最後の著作「意識の形而上学」は、哲学者、思想家の風貌が遠眺できる本である。

ホーキングの宇宙論を手にする度に、もう、人間には、宇宙そのものを、見定める術は、なくなったと思えてしまう。(ダーク・マターとは何か?)

宇宿一成の詩集「賑やかな眠り」は、声と文字が上手く入り混った、言葉そのものを生きる(詩集)であった。

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• 土曜日, 5月 28th, 2011

書くもの、読むもの、講演する内容まで、変更を余儀なくされる、大事件が、3・11である。

当初、講演を頼まれた時、「早稲田文学」の歴史(現在は第10次)をふりかえりながら、その時代時代を映した作家、作品を語ろうと思って、自分流に、30人の作家たちを選んで、表にした。(自然主義文学を中心に)

超高齢者社会であることから、83歳で没するまで、生涯現役で、書き続け、齢をとればとるほど、筆の冴えを見せ「今年の春」(父の死)「今年の初夏」(母の死)「今年の秋」(次男の死)「リー兄さん」(四男の死)と、生きるニンゲンの声と姿を、渋い文体で書き続け、小林秀雄との、トルストイ論争「思想」と「実生活」で、白鳥の本領を発揮した、その正宗白鳥の、現代性、人と作品を、語る予定であった。 「三田文学」荷風と比較しながら。

3・11の衝撃で、急遽、井伏鱒二の、原爆を扱った名作「黒い雨」を、フクシマの原発事故と関連づけて、お話させていただいた。

井伏鱒二は、ヒロシマの隣の市・福山市の出身である。市井の、庶民の生活を、からめ手で語る、姿勢とは、一変して、本格的に、正面から、「ヒロシマ」に立ちむかった作品が「黒い雨」である。ヒロシマの原爆から20年、昭和41年、67歳の井伏は、普通の生活者の視点で、リアリティのある、日記、手記、記録というスタイルで「黒い雨」を書きあげた。

”飢えた子を前にして文学に何ができる?”
”小説を、論文を書く暇があったら、現地に入って、瓦礫の1つでも拾え”
という声に、見事に応えたのが、文芸作品「黒い雨」であった。

出版から40余年、文庫本「黒い雨」は、現在、増刷を続けて、72刷と、読み継がれている。

水、食べもの、着るもの、眠る場所、土木工事、病気の治療、医者、支援金、具体的に、役に立つものが、いっぱいある。時間の推移によって、”必要”なものが変わる。記録する、文学は、心の支援となる。”震災”の傷は、一生消えない。心は、傷ついたまま、被災者は、一生を生きる。

おそらく、フクシマは、人間の思考を変える、ターニング、ポイントになる。その中かから、誇らしい人間、思想、作品が立ちあがってくるにちがいない。おびただしい言葉が、書かれ、話され、語られるであろう。

現在、科学者、政治家の言葉は、「信」を失ない「疑」となった。被災者の人々の声の力に対応できない。

そんな中で、辺見庸(作家・石巻市出身)の言葉と、和合亮一(詩人・南相馬市)の声、ツイッターだけが、光っている。辺見庸「眼の海」(わたしの死者たち)(—「文学界6月号)27篇の詩は、鎮魂の歌である。圧巻である。和合亮一の「詩の礎」ツイッター詩は、リアルタイムで、地震直後の、自らの心の流れと、見るもの、感じるもの、考えるものを、追い続けていて、心にしみる作品となっている。

講演会後、懇談会があった。熱気につつまれた人たちが、次から次に私のところに来て、「黒い雨」を読みたい、もう一度、読書をしてみたい、と感想を語ってくれた。ありがたいことである。一人でも多くの、聴衆の方々が、もう一度(考える)契機にしていただければ、私の拙い、講演会は、成功である。

私も、3・11について、アフォリズム「無」からの出発—1601~1700本を書いた。(「コズミックダンス」を踊りながら)
是非、お読み下さい。

「早稲田125年文学地図」 あなたの文学度チェック表

A : 作家は知っている   B : 作品を読んでいる

A  B
□  □  ①正宗白鳥  「入江のほとり」 「何処へ」 (岡山県)
□  □  ②井伏鱒二  「黒い雨」 (広島県)
□  □  ③横光利一  「機械」 (福島県)
□  □  ⑤石川達三  「蒼氓」 「人間の壁」 (秋田県)
□  □  ⑥尾崎一雄  「暢気眼鏡」 (神奈川県)
□  □  ⑦丹羽文雄  「親鸞」 (三重県)
□  □  ⑧五木寛之  「青春の門」 (福岡県)
□  □  ⑨野坂昭如  「火垂るの墓」 (兵庫県)
□  □  ⑩三浦哲郎  「忍ぶ川」 (青森県)
□  □  ⑪後藤明生  「挟み撃ち」 (福岡県)
□  □  ⑫高井有一  「北の河」 (東京都)
□  □  ⑬立原正秋  「薪能」 「剣ヶ崎」 (朝鮮)
□  □  ⑭秋山駿   「内部の人間」 (東京都)
□  □  ⑮立松和平  「遠雷」 (栃木県)
□  □  ⑯村上春樹  「羊たちの冒険」 (兵庫県)
□  □  ⑰小川洋子  「博士の愛した数式」 (岡山県)
□  □  ⑱保坂和志  「この人の闘」 (山梨県)
□  □  ⑲磯崎憲一郎  「終の住処」 (千葉県)
□  □  ⑳綿矢りさ   「蹴りたい背中」 (京都府)

集計  A :   人    B :   作

●優・文学通      A (18人以上)   B (15作以上)
●良・常識的      A (14人以上)   B (10作以上)
●可・今一歩      A (10人以上)   B (5作以上)
●不可・非文学的   A (5人以下)    B (3作以下)

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• 土曜日, 5月 14th, 2011

西條勉「『古事記』神話の謎を解く」(中公新書)を読む

”古事記”神話を読むということは、現代人にとって、どんな意味をもち、どんな行為と言えるのだろうか?

話し言葉だけで生きていた大和民族が、漢字が中国から伝わって、はじめて、口承されていた神話を、文字を使って、書いた本が”古事記”である。

中国の文字を使って、日本の言葉を文章にするという行為は、翻訳ですらない。

”文字”という記号の力にまかせて、日頃語っていた言葉を、文字に、移植するという行為は、漢字とひらがなとカタカナを自由に使って、思うところを、文章に書き記している”現代人”にとっては、考えられぬ”困難”と、スリルがあったものと推察される。

第一に、I am a boy (私は少年である)という英語を、翻訳ではなくて、そのまま、日本語で読むという行為を考えてみると、気の遠くなるような、奇妙な行為である。

もう、”万葉仮名”で書かれた「古事記」を読める人は、誰もいないだろう。(専門の学者は別にして)どだい、どう読めばいいのかわからない、漢字ばかりである。

その大きな、大きな、文字の移植が、”古事記”を生み、口承の神話を残したと思えば、先人たちの、文字を使って”書く”という行為には、頭が下がる。

そうして、”中国語”を日本風に読むという、前代未聞の、先人たちの行為がはじまったのだ。

本居宣長をはじめ、国学者たちが、生涯をかけて、「古事記」を読み解き、現代人が、さらに、翻訳をして、はじめて一般の読者である、私たちが、祖先の”神話”を知ることができた。

著者の、西條勉は、一生、「古事記」を読み、古代の文学を研究して、大学生たちに、教えてきた、学者である。

本書は、研究書ではなくて、一般の人たちに、「古事記」の成立の意味と、神話の謎を、解きほぐすようにして、書かれたものである。

誰でも、一度は、絵本として、児童書として、「古事記」とは知らずに、いくつからの神話を読んでいる。深く考えることもなく、そのまま、国造りの神話として記憶している。

古事記は、日本という国家があって、その意志が、編集にも、反映されている。その構造を解く、手順が、実に、スリリングである。単なる日本民族の神話ではなかったのだ。

2月に、著者から、本書を贈られて、早速、一読し、西條勉が、一生、古代文学に費やした時間を思った。大学生の頃、はじめて、キャンパスで邂逅した時の、若き日の、「僕、古代の、万葉、古事記を読みたいのです」と語った時の、意欲に満ちた、はじらいを含んだ微笑を思い出したりして、何か、感想を書かねばと、考えていた。

3・11東日本大震災が日本を襲った。日本の、国難である。大惨事である。日本人の、生き方、考え方、文明の、文化のあり方が、一変されねばならぬほどの、大事件であった。大地震、大津波の天災に加えて、史上最悪の”原発事故”が加わった。人災である。

人間のコントロールできぬ怪物、人間が生みだした(科学の知)が放った、原子力という怪物である。放射能の魔力。たった百年くらいしか生きない人間が、数億年も存在し続ける”原子”の世界に、挑戦して、無残に、崩れ落ちた(知)である。人間は、人間原理のうちで、生きているうちはいいが、宇宙原理を相手にしはじめると、とにかく、時間の、空間のスケールがちがう。

小さな、小さな、人間の(知)は、為す術もない。人間の生きられる”閾”は限られている。

無力感と虚脱感に襲われて、本を読む、文章を書くことに、リアリティを感じない日々が続いた。

国のかたち、国のビジョンが、あたらしく創造されなければならない。日本人は、何を生きてきたのか、根源から問い直さなければ、このままの”文明”のあり方では、滅びてしまう。電気というエネルギー、原子エネルギーに頼る人類は、もう、半歩、とりかえしのつかないところへと、踏み込んでいる。

”文明”から、”文化”へと、大きく方向転換を計らなければならない。

もう一度、「古事記」を読もう。いや、今こそ、国のかたちを、はじめて示した「古事記」に、帰ってみよう。私たちの文明が、何を間違ったのか、何を為すべきなのか、古い、古い、書物の声に、静かに、耳を傾けてみよう。

幸いなことに、「古事記」を読む手法は、西條勉の新書が教えてくれた。三浦佑之の翻訳した「古事記」も、数年前に購入して、本棚にある。本居宣長が、柳田國男が、折口信夫が、読み、解釈し、発明したところのものを、もう一度、あたらしく、読み=生きなければならない。

3・11は、(無)からの出発かもしれない。(無)といっても、何もないのではなくて、あらゆるものが、噴出してくる(無)である。

たいがいの「本」は、3・11によってリアリティとその意味を喪失した。「古事記」は、おそらく、3・11の力に耐えられる「本」である。

そこまできて、畏友、西條勉のめざしてきたもの、生きてきた時間が、活気をもって、甦える気がした。

「本」は、それ自体がひとつの宇宙である。(事実)は、文学を使って書かれた時、必ず、作者、編集者の、あるいは国や公の意志が入って、方向付けされる。だから(事実)は、そのまま「本」の(事実)ではない。

「本」を読むとは、その、二重の謎に挑むことである。

もちろん、「神話」も、そのまま(事実)ではない。口承されたものも、また(事実)ではない。書かれたものの、底に、奥に、(事実)は眠っている。

だからこそ、「本」を読むとは、発見することである。

「本書」は、西條勉の発見であり、西條勉の、思考の回路であり、彼の生きた時間が、「古事記」を語らせたのだ。

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• 水曜日, 3月 09th, 2011

どうやら、(私)は、「無限」へと「私」を開くことは可能か?そんなふうな、不可能とも思えるようなことを、アラカワをめぐって、新幹線での約4時間の間、考えていたらしい。

「人間原理」から「宇宙原理」へと吹きぬけてしまう、風の姿を、思い描こうとしていた。それを、(私)は、「無限開私」と呼んでみようと思っている。人は、誰でも、「無限」を感じている。

さて、津山市への、各駅停車の、約1時間の旅である。(私)は、(現実)へと戻った。野に菊の花が揺れていた。JR岡山駅に出て、10分も走ると、もう、山々が、眼の前に迫ってきて、街のビルや家並が遮切れて、突然、なつかしい、昔の、日本の、農村の気配が、窓の外に、ゆっくりと、ゆっくりと、流れはじめた。

電車が停る度に、駅名を読みあげて、長い、歴史という時間を、背負っている名前にも、日本の、古い時代の、気配を感じて、妙に、感動をした。名前が、風土の、風景の中に生きている。およそ、「便利」という名前の現代とは、似ても似つかない。裸の、ニンゲンの眼と耳にやさしいものである、と思った。

点在する家々、木々の蔭に、斜面に、田園に、川の両側に、道端に、地方の、固有の貌をもった、建築があった。都市の、サラリーマンの、紋切り型の家ではなくて、長い伝統に支えられて、土地の風と雨と光と冷暖に合致した、根を張った、力強い家々が眼を魅いた。

家は、ニンゲンの身体そのものである。カタツムリで云えば、身を隠す、身を守る殻である。機能ばかりを重視する都市のビルではなくて、ニンゲンそのものを育くむのが、家であった。

そう言えば、アラカワは、建築と建物を区別していた。「日本には一人も、建築家がいない」と豪語していた。「家」は、建物ではない。ニンゲンを育てるもの自体だ。いわば、カタツムリの殻である。建築するとは、そのカタツムリの殻を、創造する行為である。おそらく、アラカワは、そう考えていたのだろう。単に、雨風を防ぐものではなく、寝るための、慰うための、食べるための(家)でなくて、ニンゲンそのものを、創りあげる(場)=(装置)としての、(家)が、建築と呼ばれるに、ふさわしい、と。

山は、わずかに、紅葉していた。電車は、小さな山、中くらいの山、大きな山を、めぐって、川の左を、川の右を、縫うようにして、ゆっくりと、風景を歩くように、進んでいくのだった。身構えていた身体がほぐれて、(私)は、ゆっくりと、心の、深い層の下へと、入ってゆき、感性は、開かれて、風景に、感応しはじめていた。

正に、これが、旅であった。乗客の顔も、都市の、無表情の、殻の中の、閉じたものではなくて、その土地に、根付いて、セイカツをしているニンゲンの顔をしていた。何時の頃から、日本人は、固有の顔を失なって、”他人の顔”のような、無表情を、身につけてしまったのだろう。(私)自身も、都市では、おそらく、”他人の顔”で生きているのだろう。長い間の習慣で。

津山市は、四方を山に囲まれた、盆地の街であった。人口は、県内で岡山市、倉敷市に次いで、三番目に多い市である。海に向けて、開かれた、岡山市、倉敷市とはちがって、京都を思わせる、盆地の城下町であった。

JR津山駅で下車。友人Tと、Kホテルで、待ち合わせの約束。秋の陽が、西の空に、傾いてはいたが、タクシーを止めて、見物がてらに、歩いてみた。足で街を知りたかった。

どこの地方都市でも、同じ現象が起こっているが、津山市も、その例外ではなくて、駅前の賑わったであろう商店街も、シャッターの下りた店が眼について、人通りもなく、閑散として、テレビで、全国に、名前を売った、B級グルメの”ホルモンうどん”の看板が、秋の陽を浴びて、光っていた。

地図を頼りに、商店街をぬけると、大きな橋が架かっていた。堂々とした橋であった。陽が沈む西の山のあたりから、街の中央を二分するように、川が流れていた。河岸には、ウォーキングコースが、綺麗に整備されていて、犬を連れた人、歩く人の姿が眼についた。

川の中に、中洲というか、小さな柳の木の一群があって、透明な水に洗われていた。秋の白い風が水辺から橋上に吹きあげてきた。右手には、津山城が、夕陽を浴びて、静かに、佇んでいた。お城のある街の風景には、芯があって、統一というのか、象徴というのか、垂直に流れる時間が、透けて見えて、いつも、魅惑されてしまう。深呼吸をひとつ、空気がおいしい。携帯電話で、Kホテルを呼びだして、ホテルの位置を確認をして、橋を渡り切ると、街の中心街の、閉じたシャッターの多さに、地域社会の没落を思いながら、足に任せて、歩き続けた。

ホテルに着くと、友人Tが、ロビーで、手をあげて、合図を送ってきた。不思議なもので、友人Tは、自分の生れ故郷にいるためか、いつも、都市で見ていた、身にまとっている雰囲気とは別の、妙に、落着いた、安心した気配に包まれていた。

「遅かったな、タクシーなら、5分とかからないのに」
「いや、歩いてきたよ」
「そんな事だろうと思ったよ」

ホテルの手続きが終って、夜の、薄闇の降りはじめた街へ、と思案をしていると、偶然、友人Tの、高校時代の同級生が現れて、ゴルフが終って、これから、打ち上げだと、挨拶をした。地元に残って、商工会の、役員をしていると言う。ホテルで、呑み食いすると、東京に居るのと変わらないから、津山の、地元らしい、食材のある店を紹介してもらった。

40年前、Tにも、地元に残って、市役所に入るか、都市生活者になるか、大きな、決断の、分岐点があったのだ。で、Tは、都市・東京を選択し、40年という時間が流れた。

秋の、夜の、津山の街を、Tに誘われて、歩いた。元県庁の庁舎、木造の三階建ての旅館、料亭、路地には、ひと昔前の、古びた家々が、静かに、古風に、息づいていた。昔の、賑わいの中心地も、祭日というのに、風が通りぬけるだけで、人影は、まばらで、随分と、淋しく、錆れてしまったと、昔の家族連れと、宴会の、盛りを、記憶の中から、取り出すような、Tの説明に、うん、うん、どこも、そうだったあねと、頷きながら、城下の街を散策した。

身土不二という言葉がある。その季節に採れた、地元のものを、食べる、それが、身体には一番、適っているという思想だ。赤い堤灯が風に揺れる、古びた木造の二階建ての、居酒屋が、Tの友人に、教わった店であった。焼鳥専門の店であったが、特別に、”ホルモン焼き”が美味しいと言うので、店員さんのすすめるままに、注文し、地酒をもらった。

”なぜ、荒川修作なんだ”と旅の目標を訊かれて、まあ、気ちがいか天才か、わからないほど、面白そうな男だから、しばらくは、探求してみるよと、アラカワの、「天命反転」を語ってみた。逆に、なぜ、岡山の、田舎の、山の中の、小さな町に、荒川修作だいと訪ねてみると、自衛隊の基地があって、財政が豊かで、歌舞伎の伝統があったり、文化・芸術に熱心な人がいて、一種の”町おこし”じゃないのということであった。

アラカワを受け入れ、美術館を造るには、町長も、議会も、相当の、覚悟が必要であったろうと、推測した。独りで、津山に居る母を、関東の都市へと、連れていって、生活を共にするという話から、学生時代の、文学と、無類の、セイカツから、長い、長い、出版界での仕事から、気の置けない仲間だけの話題まで、語りはじめると、終りがない。

で、どうする、これから、何をして生きる?酒の、軽い、酔いの中で、お互いの顔を覗き込んで、二人だけの酒宴は終った。明日は、奈義である。