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• 月曜日, 10月 03rd, 2011

①新聞記者としての言葉・文章
②芥川賞・小説家としての文章
③ノンフィクション・ルポタージュの文章
④詩・詩人としてのコトバ

辺見庸は、4種類の文章を書いている。年代順に並べてみた。①~④である。

私は、新聞記者時代の辺見の文章を知らない。北京特派員、ハノイ支局長を歴任して、中国報道により、日本新聞協会賞を受賞している。(事実)を追い続ける新聞記者として、足と眼と腕を鍛えあげて、協会賞を受賞している。

司馬遼太郎、井上靖、菊村到など、新聞記者から作家へと、転身をして、成功をした者も多い。

辺見は「自動起床装置」で、芥川賞を受賞している。平成3年である。昭和19年、宮城県石巻市生まれであるから、もう、40歳は過ぎていた。作家としては、むしろ、遅すぎるデビューである。会社では、外信部次長という役付であった。

(事実)を追って書く文章から、(虚構)を書く小説への変身に、何があったのか、私は知らない。しかし、(事実)を書く、新聞の文章に、疑をもたなければ、(虚)としての、小説の文章に、移ることはあるまい。

「自動起床装置」奇妙な小説である。眠りから、現代人の、衰弱した姿を捉えている。文章は、素っ気なく、短く、必要最小限度のもので、構成されている。装飾というものがない。感性のひらめきとか、特有の表現も見あたらない。乾いている。その空気が伝わる。

よく言えば、短篇の名手、ヘミングウェーの文章だ。(事実)と(モノ)だけを、捉える文章。つまり、新聞記者の文章である。一点だけ、ちがうのは、(事実)ではなくて、(虚)にむけて、書かれた文章であることだ。あやういところで、小説の文章になっている。

決して、一世を風靡するような作品、作風ではなかった。ただし、新聞記者から、作家、評論家になった、明治の、自然主義作家の正宗白鳥に通じるような、モノを見る、透徹さがあった。

世間が、ここに辺見庸ありと、思ったのが、意外にも、小説ではなくて、ノン・フィクションの「もの食う人びと」であった。私も、小説の文章よりも、辺見の思想性が鋭く表れたのは、「もの食う人びと」の告発的な、文章であると思った。論理的であり、何よりも、(現実)を切りとる文章の力が、小説よりも勝っていると感じた。「もの食う人びと」を読むと、辺見が、小説を書く理由なんか、消えてしまうと、勝手に推察した。

さて、辺見の、コペルニクス的な文章の転回が生じたのは、2009年からである。辺見は、突然、一気に「詩」を発表する。それも、ひとつやふたつではない。『文學界』に18、『美と破局』に19の詩を、掲載する。

いったい、辺見庸に、何があったのか?2010年には、処女詩集「生首」を上榫して、中原中也賞を受賞している。さらに、3・11が起きた後で、「眼の海」−わたしの死者たち−として、「文學界」に、22の鎮魂詩を発表している。

(事実)としてのコトバ①(虚)をつくるコトバ②(現実)を告発するコトバ③そして、詩としての、象徴の、存在としての、宇宙へとむけたコトバ④辺見の、コトバが発生する場所が変わっているのだ。

もう、(事実)を書くことも(虚)=想像を書くことも、(現実)を告発する−を書くことも、大きな徒労となって、終に、辺見は、はるかな、存在の彼方へ、時空を超えて、死者たちと声を交わせるあたりへと、コトバを投げかけている。

辺見庸は、世界を歩き、飢えた者、貧しい者、底辺に生きる人間を見て、(現実)を告発し、貧や愚や苦や悲とともに生きるニンゲン存在を、表現してきた。

そして、3・11東日本大震災で、故郷、宮城、石巻の悲嘆を見た。意識と存在が、同時に、ゼロ・ポイントに陥っただろう。そんな時に、小説は書けない。論理的なエッセイは書けない。辺見が「詩」を書くのは、自らの、深層意識の中から、吹きでてくるコトバの群れがあるからだ。私は、そう考えている。

3・11を書いている、和合亮一の詩や長谷川櫂の短歌よりも、はるかに、深く、辺見のコトバは、事象の核を摑んでいる。

散文、詩、俳句、短歌−現在も今後も、さまざまな作品が、3・11を、主題とするだろう。その中で、辺見庸のコトバは、生命を得て、光るものと思われる。

Category: 時事
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