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• 火曜日, 12月 17th, 2019

荒川修作が、私のココロを掴んで離さない時期があった。不思議な人である。
空海、井筒俊彦と並んで私は、日本人の三人の天才と勝手に呼んでいる。
可能なことに挑戦するのが秀才たちである。不可能へ挑戦する人が”天才”である。(99%の人が、断念して普通に生きる)
荒川修作は、天(宇宙)の法則そのものを、反転させ、あたらしい地平を築こうとした。もうひとつの宇宙を創造する。”私は死なない” ”死ぬのは、法律違反である”と。

岡山県奈義町を訪ねて、数年後に、岐阜県養老町を訪ねるチャンスがあった。
もう、何年になるか?十年は経っているか?時間感覚が波打って、その時の年、月日が、頭から消えている(本当に「時間」は存在するのだろう?荒川さん)
ある夏の、八月に、故郷、徳島県の片田舎の、宍喰にある、老人ホームへ、母を見舞った時があった。
四国から、東京へ、そのまま直行して帰るのも芸がないと思って、岐阜の養老町の”天命反転地”に立ち寄ることにした。
急ぐ旅ではない。ゆっくりと、ゆっくりと旅をすれば、歩けば、”モノ”たちは一番ハッキリと見えてくる。
バスに乗り、汽車に乗り、高速バスで本州へ渡り、大阪から一番遅い電車に乗って、街や山や川や田園を眺めながら、岐阜大垣へ向かった。

いったい、荒川修作は、養老の地で、どんな”天命反転地”を創造したのだろう。長い間、その現場に行くことを夢に見ていた。
”荒川修作”の思考回路、思想を知るには、とにかく、「天命反転地」を自分の足で歩いてみるしかない。「本」を読んでも絶対にわからない。体験なしに、荒川修作の軌跡はたどれない。

電車は、大阪、京都の街を過ぎ、山々や田園の広がるのんびりとした風景の中をゆっくりと走っていく。
眼が楽しい。スピードは、遅ければ遅いほど、風景の中に点在するものたちが、身体の中へと入ってくる。
”関ヶ原”を通れば、天下分け目の”関ヶ原”の当時の合戦の模様が、くっきりと甦ってくる。眼を彼方へと泳がせて、時間の壁を超えて、透視する。あれやこれやで頭の中がいっぱいになる。(時間の反転は?)

約七時間で大垣に着いた。夏の夕方は、まだ、日が高い。大垣は、芭蕉の「奥の細道」の結びの地である。駅前のビジネスホテルに予約して、水の街、大垣を、芭蕉の影を探して、散歩に出た。
街に水路が走り、湧き水のある風景の中を、汗を拭きながら歩いた。芭蕉の銅像があり、記念館があった。
”蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ”(最後の俳句)
その夜は、なぜ、荒川修作は”養老町”に、”天命反転地”を創ったのか?川の水が酒に変わるという伝説を思い出して”不老不死”の地、養老が荒川を捉えたのではないかと、勝手に、想像して、夜が明けるのを待った。

アラカワは、アジール(聖域)を探し求めていたのだ。土地の力、場の放つ力、神話の力、森の力、山の力、コトバの放つ力。「養老」は、老いを養う地。ただの滝の水が「不老不死」の、百薬の長・酒になる地。

私の意識そのものを、身体と一緒に旅にむけて放り出しながら、考える旅が、アラワカをめぐる旅にはふさわしい。
「本」を読んだり、「地図」を確かめたり、「資料」にあたったり、いわゆる準備をする必要はない。
「奥の細道」で、芭蕉は、そのまま裸で、風景に衝突している。そこで発火したものが「俳句」になった。コトバに変わった。
アラカワも、アラカワへの旅も、無防備なまま、日の光を受けて、汗をかいて、触手をのばせばいい。
アラカワの、思考の礫は、突然、不意にとんでくる。五感を思いきりひろげて、その思考の礫に衝突してみる。スリルである。夏の夜があける。

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