Archive for ◊ 7月, 2011 ◊
1727. やっと見つかったよ(友人)
徳島県立海部高等学校 平成23年度開校記念日(7月15日)
10:00~11:30 ・質疑応答 於体育館(470名全校生、来客他)
私の母校の、海南高校という名前が消えた。卒業生としては、淋しい限りである。
四国も、正に、少子高齢化社会である。海南高校、宍喰商業、日和佐高校の3校が、合併して、新らしく、(海部高校)が誕生した。単純に計算すれば、若者の人口が3分の1になってしまったということだ。
校舎は、海南高校のあった場所を使用している。尋ねる私としてみれば、母校を訪問するみたいなものだが、(名前)が変わってしまうと、どうしても、異和が残る。まあ、その地域に住んでいる子供たちが生徒であるから、大きなちがいは、ないみたいなものである。
さて、講演会は、3校の卒業生が、毎年、替わるがわるに、招かれて、何か、お話をする、というふうになっているらしい。今年は、元海南高校の番らしい。
真夏日の体育館での90分の講演は暑くて、厳しい。しかし、生徒たちの、素直で、真面目で、礼儀正しい、挨拶と、キラキラ輝く眼の輝きに押されて、90分、話すことができた。
少子高齢化社会である。若者たちの仕事が困難な時代である。問題は山ほどある。そして、「3・11 東日本大震災・原発事故」後を、生き延びなければならない。現代という時代を語りながら、若者たちに、未来を、力強く生きぬくためのエールを送りたかった。
人間にできることは2つである。
①30億年続いた生命、身体をリレーすること。
②ニンゲンの創り出した文明、文化をリレーすること。(身体と精神のリレー)
みなさん、一人一人が、リレーランナーである、と。
16歳から24歳の若者は、その間に、”人生のほんとう”を発見してしまう。数学であれ、哲学であれ、生と死であれ、発明、発見の大半が、この年代に誕生する。あとは、応用問題である。正・誤に関しても、大常識に関しても、身につけてしまう。
ただ、とんでもない変革の時であるから、その多感さから、何が飛び出してくるか、わからない。私の今回のポイントは、その若者の、爆発力を生かす工夫、知恵である。
事は簡単である。いつもノオトを手離さないこと。新らしい発見、疑問、イメージ、(私)に来るすべてのモノをコトを、ノオトする習慣を身につけることである。
つまり、何気なく、見逃してしまう、ちょっとしたことが、実は、大変な発見の、答えかもしれないのだ。見るだけではダメ。見方を知ること。聴くだけではダメ。聴き方を知ること。悩むだけではダメ。悩みを考えること。
「ノオト」は、(私)の誕生の場である。(私)の発見の場である。百円くらいで買える、ノオト。どこへでも持っていけるノオト。見たもの、聴いたこと、触ったもの、五感に感じられる、すべてものを、ノオトに記しておくこと。もう、二度と、来ないかもしれない(思い)もノオトに記しておくこと、そこから、ふたたび、芽がでる。ノオトは、種子でもある。考える種子である。
「記録する」は、「記憶する」でもある。(私)とは何者が、ノオトが教えてくれる。決して、日記ではない。考えるノオトである。断片が、語りはじめる、いつか。
宇宙のこと、世界のこと、日本のこと、日々の人生のこと、(私)のいる場所、(私)が生きている状況、そんな大きな視点から(現実)のセイカツまで、いろいろと語らせてもらった。
講演後、四人の生徒と質疑応答。正しい質問は、正しい答えを得る。熱心に、聴いてくれて、ありがとう。
最後に、生徒の代表が、私の講演のまとめと、感想を語ってくれた。90分の長い話を、終ると、すぐに、まとめる力には、正直、驚いた。本当に、若い人たちの能力は無限に開かれている。
「人間、一生、勉強である!」でした。
海陽町出身の作家・重田昇さん(64)=千葉県四街道市=の講演会が15日、母校の海部高校(同町大里)であり生徒ら約470人が聞き入った。
重田さんは「人間一生勉強である」と題し、読書の大切さや勉強方法について講演。高校時代、熱心に読書に取り組んだエピソードを紹介し「本の内容が難しくて理解できなくても、いつか分かるようになる。作品の内容を覚えるぐらい読み込んでほしい」と話した。
3年の前田優也君(18)は「読書は苦手だが毎月1冊読むことから始めたい」と話した。
講演会は、開校8周年記念行事で開いた。
3・11以後の読書は、心を一番深いところまで沈めても、なお、耐えられる言葉で書かれたものしか、読めなくなった。
声が、文章が、形もなく、崩れ去ってしまって、いっこうに、手ごたえというものがなくなってしまう。もう、これ以上はすすめない、思考が、ステップできない地点まで、到達している文章が、やっと、作品として成立している。活字の向う側の暗闇に立っている作者の姿が見える。沈黙のまま、放心して、まるで、3・11の大地震、大津波、原発事故の被害者のように。
そんな文章が、そんな作品が、存在するのだろうか?
ある。秋山駿の「『生』の日ばかり」は、言葉の意味がなくなってしまう、ステップに、ステップを重ねた思考が、突然、身動きできなくなる、そんな意識のゼロ・ポイントまで到達した作品である。
本書は、「群像」での連載開始から読み続けている。(現在も、連載中)一区切りをつける為か、「単行本」になった。
「内部の人間」秋山駿が、80歳になって、なお、健筆で、若い頃からの、思索シリーズ、「ノートの思想」が展開されている。驚くべき持続力である。
「石ころ」を拾った青年が、「石ころ」を眺めて、「私とは何か?」「無限とは何か?」その一切を考え尽くしてやろうという野望を抱いて、もう、60年が過ぎようとしている。正しく、ニンゲンの果てしない営為である。
「内部の人間」の意識が、突然、コペルニクス的な転回を見せたのが、この、「『生』の日ばかり」である。秋山駿の読者なら、声を呑んで驚いただろう。
何が?
なんと「内部の人間」が、「外部の人間」に変身するのだ。他者の存在が、このような形で「ノート」に登場したことがあっただろうか?
誰?
「同行二人」の女(ひと)である。本文の、文章と思考が、声が変調する場面がある。
「もう打つ手がない」そんな、医者も見放すような、難病が、妻の法子さんを襲った。帯状疱疹である。四六時中、一秒ごとに(痛)みが走る。歩くことも、食べることも、トイレに行くことも、寝返りを打つことも、まるで、苦業僧にならねば不可能なのだ。読者は思わず、「本」から眼を離して、宙を見るだろう。放心するだろう。
「内部の人間」には、共にくらしてきた、「同行二人」の妻に対して、無力である。いや「文学」が無力となる。なんのために、「文学」をしてきたのか?すべての場面に、言葉が要る、在る、と考えてきた秋山駿が、自らの来歴を振りかえって、妻にかける声、言葉を探そうとする。言葉がないのだ。誰も、二人で、共同で、生活してきたその中で、(共同の言葉)を、考えてこなかったのだ。
つまり、意識のゼロ・ポイントである。もう、言葉も、思考も、用をなさない地点に、ニンゲンが直面して、黙ってしまう。ちょうど3・11の被害者のように。
もう一歩、歩をすすめると「宗教」となる。もちろん、秋山駿は、「文学」の人であるから、(知)から(信)へと超越する「宗教」へとは、行かない。しかし、(私)の中の「神」の存在は考察する。私の中の「無限」については、考える。
自らも、胃ガンの手術を受け、足を痛めて、公園の散歩もままならぬ身である。齢を重ねるニンゲンの日々を綴るノートは、正に、超高齢者社会へと突入した、日本人の生きざまを、正確に写し取っている。老いて、なお、わが道を行く姿を思い描いていると、私の眼には、正宗白鳥が映った。そして、秋山駿の姿が重なった。
考える、精神ばかりを迫ってきた文学者の言葉が、身体、肉体というものの深さの前で、沈黙してしまう。60兆の細胞の(私)、30億年、生命をリレーしてきた身体という不思議の(私)。在ることは迷宮だ。
毎日、毎時間、毎秒、痛いだけの日々を生きるニンゲンに、何か、意味はあるのだろうか?(誰が答えられる?)泣くしかない、それでは、まるで、病苦を詠んだ、正岡子規だ。祈りは?祈りはどこへ行った?
不思議なことに、痛みの頂点で、薬も効かないのに、法子さんが、秋山駿の手を握っていると、痛みがやわらいぐという。手の力である。お腹が痛い子供が、母の手で、撫でてもらうと、痛みがひいた、あれと同じことが起こっているのか?
眼は、眼で、覗き込むと、お互いの考えていることがすべてわかる。声は、病院から、家に電話をした法子さんの声「駿の声が聞けてよかった」まるで、光太郎と智恵子である。
秋山駿、法子さん、一蓮托生の人生である。「同行二人」は、歩く遍路と空海の意味であるが、秋山駿の「同行二人」は、私と妻の意味である。
「東日本大震災・原発事故」は、畏ろしきもの、人知の及ばぬものをニンゲンに突きつけた。一瞬の、不運、不幸、不遇、偶然という魔の恐怖であった。
私たちが、生きることは、宇宙にとってなんなのだと、宇宙そのものに、ニンゲンの意味を問いたくなる日々である。
まだ、まだ続く「『生』の日ばかり」ではあるが、単行本になった分だけ感想を記してみた。秋山駿の生きた言葉に、お礼である。
7月18日記
3.11で、ニンゲンの意識が、ゼロ・ポイントまで落ちることを、経験した今、小説を読むという行為は、どのように成立するのだろうか?
3万人を超える死者と、12万人を超える避難民、家を喪い、仕事を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、昨日まで生きてきた、普通の日常を喪い、見慣れた風景まで喪ってしまった人々、言葉が役に立たず、(知)が通用せず、水と食料と、寝所と、衣服を求めて彷徨する魂たちを前にして、偶然、その地に居ないために、被害をまぬがれた日本人。原発で、放射能が撒き散らされた国土、汚染されて、何年、何十年と放射能におびえ続けることになった日本人。
そんな中で、小説を読む。3.11は、意識そのものが、変革を迫られる、大事件であった。
何度か、「物語」を読もうとして、ページから眼を離し、手を休め、宙空に視線を泳がせた。しかし、「地上の人々」の色調は、3・11以後の世界にも、溶け込むものだった。
奇妙な色調の小説である。三人の、ホームレスの話、都市へと出てきて、夢破れて、終に、人生の最下部とも思われる、ホームレスへと転落した三人の男の話である。生活を喪い、家族を喪い、故郷を喪い、仕事を喪い、その日その日を、ただ、生きている、ニンゲンの日常がある。
なぜ、作者は、このような、あらゆるものを喪ってしまったニンゲンたちに、身を寄せて、こんな小説を書いたのだろうか?
作者、井出彰の心性にも、崩壊感覚がある。どうも、自分は、まっとうな人生を生き切れないのでは、という不安、危惧がある。一番最小単位である、生きるための(私)にとって、何が一番確かなものか?社会的な立場、役割り、椅子、地位、すべてが、虚しく、崩れ落ちてしまう、そんな感性が、作者の心の底の底に流れている。
生きて、生活して、闘って、病んで、老いて、ただ死んでいくところのニンゲン。ニンゲンから、社会的な意味を抜き取ってしまうと(裸の私)だけが残る。社会が付加した意味という意味は、すべて剥がされて、崩れて、消えてしまう。
ほとんど(無常)の世界であるのに、妙に明るい。この明るさはなんだろう。「人間、暗いうちは滅びない」と太宰治は語った。であるならば、この明るさは、滅びの予兆であろうか?
3・11東日本大震災、原発事故の前に書かれた小説であるというのに、奇妙なことに滅びの色調は、その大事件に、同化してしまう。
ニンゲンにとって、生きるということは、この宇宙の中において、どんな意味をもつというのだろうか?
意味など一切ないのか?私たちは、ただ、人間が作りあげた「人間原理」の内でのみ生きている。自然である「宇宙原理」は人間のことなど、一切関係なく、ただ、流れている。
小説を読み終えた、私の感慨である。