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• 月曜日, 8月 29th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1901. 3・11の、その日のことを語れば(私)が壊れてしまう人がいて、語らなければ(私)が壊れてしまう人もいる。
1902. スベテが無役に終ったから、コトバの本来の力を信じて、最後のコトバ、呪文を唱えてみる。
1903. 善とか悪とか、信とか疑とか、「人間原理」で生きることに倦み疲れた時には、無限とか無とか、超球とか虚とか、「宇宙原理」に触れて、ココロを、宙に、浮遊してみる。
1904. ニンゲンは、魂魄である。古代人は言った。天から来たものは、天へ、魂。地から来たものは地へ、魄。(私)は死んだか。
1905. 艱難辛苦のセイカツである。四苦八苦の人生である。すっかり終ってしまうと、透明になって、軽々とした。文句もない。
1906. 3・11があって、ココロが日々のあれこれから、異次元のあれこれへと、遊泳しはじめたので、逢うものたちが、まったく、姿を変えてしまった。
1907. 真夏の、朝の海、太陽と水と空と実にシンプルな光景である。無限も永遠も発見できる。
1908. 海が、黒々と、垂直に、天から来た3・11である。
1909. ニンゲンの顔が、のっぺらぼうになってしまう3・11であった。畏怖である。
1910. 僧も、また打つ手なしの3・11だ。
1911. 3・11以後は、心の破れ目に、傷に、どこまでも、伴走してあげる覚悟がある。
1912. 意識の形象化が爆発して、光の乱舞する混沌に、3・11があった。
1913. 生者たちの夏が終って、死者たちが、光となって、はねているお盆の海である。
1914. こんなところで、こんなことをしている場合じゃないのに。3・11以後は、誰もが、そう思って、生きてる。しかし、ついつい、昨日の習慣に縛られて生きてしまう、ニンゲンであるか。
1915. 切りのない、果てのない、無限地獄に落ちてしまった3・11。誰も、歩き方がわからない。
1916. 3・11の空虚(そら)は、開いたままの空虚(あな)である。
1917. 歩いて、歩いて、新しい実存(みち)が出来あがるまで、(私)の中心に心柱をたてて。
1918. マラルメは「虚無」へ。空海は「自心源底」へ。(私)は、「宇宙」のヘソへ。
1919. 確かに、誰かが言っていた。「魂は、ニンゲンが死んでから顕現する」と。なるほど。三陸は、魂たちの海か!!
1920. 光の、「分光器」があるならば、コトバの「分言器」もあるだろう。悲しみの「分心器」もあるのだろうか?
1921. 国は、何時、本当のことを言うのだろう。千人、千五百人、三千人・・・子供たちがフクシマから逃げ去っているのに。
1922. 歩行は、一番の気付きの場である。3・11の現場を歩いてみる。
1923. 気付きの後には、思考が来る。思考の後には、行動が来る。
1924. 「日常→非日常→日常」の経験の中で、東日本大震災からの、本物の思想が起ちあがるものと信ずる。
1925. (私)にとって、生きている(現場)が「本」であった。
1926. 「本」を読む以上に、生きた現場を読んできた。
1927. アフォリズムは「本質直感」(プラトン)かもしれぬ。
1928. 生きる現場を離れて、なんの思想ぞ、その思いが(私)にはある。
1929. 「気付き」の起点がなければ、何もはじまらない。「気付き」から思考へ、実践へ、探求と深化の旅がはじまる。
1930. 3・11では、「宇宙原理」が顕現した。いつも、普通に生きている「人間原理」が役に立たなかった。ニンゲンに、生きものたちに関係なく、廻っている「宇宙原理」である。
1931. 日常では、あらゆるコトとモノに意味と名前を付けてきた。3・11では、名前のない、のっぺらぼうが出現して、無・意味、非意味という現象に驚愕した。
1932. 時空も、また、存在自体の兄弟なら、消えたり、現れたりするシステムの秘密をニンゲンに告げてくれ。
1933. ニンゲンの、何が、どのように、宇宙に残るというのだろうか?眩暈がして、上手く、考えられぬ。生命の出現は、宇宙にとっていったい、何なのか?
1934. 存在という蔵を、開けてしまう鍵があれば、文句はないが、まだ、どこにも、見つからない。
1935. 終日(考える)ということを考えていたが、異次元へと飛翔する思考も、日が蔭って、夜が来ると、(私)のもとへと還ってくる。そして、夕食を食べている(私)。
1936. 神という、どの国にもあるコトバで、神を呼んでも、(神)は、神というコトバの中には、決して納まらぬ。
1937. 感動も虚無も分析を拒否する。語りはじめるのは、時が流れて、大きな渦の中から、外へと、出た時に限る。直後には、必ず、体験とコトバが分離してしまうから。
1938. 3・11で、意識の、存在のゼロ・ポイントまで落ちたニンゲンは、切れ切れの一日を継いで、立ち直って、今度こそ、固有の(私)の歩き方を、身につけねばならない。
1939. (私)をあらゆるものが通過していく。ニュートリノからコトバまで。
1940. 眼が出現してから、もう、何十億年になるのか?そう遠くない時に、眼は、今は、まだ見えない放射能まで見てしまうだろう。
1941. 心的な、神的な、コトバが来る。ほとんど啓示である。彼方から深層意識の、アラヤ識から。
1942. フクシマの子供たちが怒っている。「放射能よ、千年地下で眠っていろ!!」
1943. 真夏日に、帽子に、長シャツに、マスクをして、フクシマの子供たちが学校へ行く。蝉、鳴くか、馬、嘶くか、子供たちは、泣いている、夏の盛りに。
1944. 文句も言わず、愚痴もこぼさず、もう、すっかり、本当のことがわかっているので、フクシマの子供たちは、叫び声を噛み殺している。
1945. 無関係の関係の時代は確実に終った。フクシマは遍在する。地球上のどこにでも遍在する。
1946. ヒロシマに学び、ナガサキに学び、いったい、日本人は、何を学んできたのだ。もう、最後だ、フクシマに学べ。
1947. 素手で生きるしかない。素足で歩いている。着のみ着のままで逃げた。家をなくし、家族をなくし、仕事をなくし、故郷をなくし、これ以上、喪うものがないくらい、深手を負って、ニンゲンの限度で、起っているフクシマの人々。
1948. 誰だ、一年で、帰れるようにする、と寝言のようなことを放言するのは。本当のことが言えなくて、耳触りのいいコトバばかり並べたがる。あなたには、その椅子に坐る資格がない。
1949. フクシマの県知事の顔は、ニンゲンの顔をしているのに、国会では、猿のような顔した政治家が、無為無策の、戯事で、時間を浪資している。死ぬほどに働け。
1950. 原子力発電を推進してきた専門家が、テレビで、言い訳ばかりしている。フクシマに行って放射能を除染しろ、汗にまみれて。あなたの(知)は、見事に死んだのだ。
1951. アインシュタインよ、あなたのE=mc²は、終に、原爆投下から原発事故まで生んでしまった。そちらから還ってきて、一瞬で、放射能を消す方法を発見してくれ。
1952. ニンゲンは、生命史、38億年を、破壊しようとしている。
1953. 大の大人が、拳で、涙を拭って、凝つと海の方を眺めている。沈黙よりと深い、静けさの中で。
1954. ニンゲンに見放された牛が、青空に脚をむけて死んでいる。
1955. 夏である。66度目の夏である。8月6日、ヒロシマの夏。8月9日ナガサキの夏。疼き続けている原爆の傷口。3・11、フクシマの春。原発の、大地震の、大津波の、三重苦、四重苦の終息すら見えない。
1956. 何も、コトバは、文学者だけの特権ではない。自分のコトバを持たぬ人は、政治家ではない。コトバを正すことこそ、為政者の勤めだと語ったのは、孔子である。(正名論)
1957. 答えられなくなると、詭弁を使って逃げる。その時、あなたの中の政治家は死んだのだ、総理。
1958. どうして、3・11の被災者の誰もが、なるほど、と頷けるコトバを、現代の政治家は、語れないのだろう。一人の死者を、あなたの心の中に、意識の中に、棲まわせておけ。
1959. まだ、3・11から5ヶ月だというのに、もう、原発が、(現実)のセイカツに必要だと言いはじめた。商売の国。延々と、国民的な議論を続ければよい。今、日本人が試されているのだ。旗を高く揚げよ。(現実)は、いったい、誰が作るのだ。効率と便利さと快適を求めた(知)の文明が、犯した、大失敗が、もう、遠のいてしまうのか。冗談であろう。(考える)その力が衰えれば、ニンゲンは、本当に、滅ぶ。内省と洞察。
1960. 誤ってしまった大人が持てる、最後の使命のようなものを、未来の子供たちのために、掲げよ。
1961. 光から来たから光へと帰ろう。私たちは光の子。光の化石の子。
1962. 闇から来たから闇へと帰ろう。私たちは闇の子。ダーク・マターの子。
1963. 科学の(知)は、過去へとは戻れない。宗教の(智)は、いつでも過去へと戻っていけるが。
1964. 3・11で、ニンゲンも、存在の泡であると、思い知らされた。
1965. 腰が抜けて、歩けない人に気を落とすなだって、もう、とっくに、気は落ちているのに。
1966. 着のみ着のままで、すべてが流されて、やっと、体育館にいる人に、禁句を聞く、TVのレポーターがいる。
1967. 大震災の後のアルバム探し。七五三もあったよね。運動会もあったよね。お祭りも、卒業式も、結婚式もあったんだね。ホラ、笑っているよ。
1968. 毎日、夜が来ると泣いている。仮設住宅で。体育館の避難所では、一滴の涙も出せなかったのに。
1969. 若い頃は、(私)だけで生きている、なんて、とんでもない思い違いをしていたが、3・11で、よーくわかった。みんなに、生かされているって。愚かだったね。
1970. 苦も、楽も、生きてこそ。
1971. なにか、不安はないかと訊かれても、不安は、いつも、べったりと貼りついているよ、3・11以後は。
1972. (無)ゼロ・ポイントから、ニンゲンに戻るには、容易ではない。まだ、ニンゲンの顔、してないと思うよ。
1973. 大地が揺れてから(私)が何処にいるのか、わからなくなった。
1974. 信じているものが、ない、とわかったことが、実に、辛い。何を、どこで、間違ったのだろう。
1975. (私)の中にあるものしか見えない。(私)の中にないものは見えない。
1976. 生きる、は、共に在ることだと、この齢になって、3・11で、はっきりとわかった。
1977. (私)は私だ。(私)は私ではない。やはり、(私)は私だ。「(私)は他者だ」と言い放った、ランボーの声が、身に沁みてくる。
1978. 瓦礫の隙間に夏の花が咲いている。美しい。(私)は、花と生きている。
1979. ただの、道端の、瓦礫の下の石ころも、存在し、顕現するまでに、どれだけの時間がかかったか、考えてみる。物自体の不思議がある。
1980. お願いします。(私)を棄ててから、声を掛けて下さい。(私)に重なるように。
1981. 人を嬲るような発言は止めて下さい。形式的な、ありそうもない、虚言を、もっともらしく、正しいこととして、話すのは。
1982. 身体そのものが、封じ込めてしまっているコトバがある。
1983. 宇宙の顔のようなものに触れてそのまま、失神をした。
1984. 身体が痙攣の中にいる時には、コトバも、アヤラ識から湧きあがってこない。
1985. 在る、無いが、こんなにも、はっきりと、形になる経験は、一生に一回で、けっこうである。
1986. 叫びたいのに声がでない。何かが声を呑み込んでしまう。歩きたいのに足が前へと出ない。何かが足を縛っている。
1987. 酷いことだ。子供は風の子。昔から、外で遊ぶと決まってる。フクシマでは、カーテンの内に閉ざされて。
1988. 千年に一度の大地震と言うが、東北、三陸地方の人たちは、明治二十九年の津波、昭和八年の津波、昭和三十五年のチリ地震津波と、平成二十三年の、今回の大津波と百数十年のうちに、四回も、大被害を受けているのだ。
1989. 発狂しないのが、不思議なくらいの、すべてを喪った人たちがいる。どうか(私)が(私)から離れてしまわないように。
1990. 海の底の声、空の上の声。枕許で響き続けておる。
1991. 偶然という魔の恐怖。一切、排除の術がない。
1992. 浦安市、旭市、大洗、ひたちなか市、北茨城市、いわき市、広野市、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、南相馬市、新地町、名取市、仙台市、南三陸町、大槌町、石巻市、南松島市、大船戸市、陸前高田市、宮古市、釜石市、八戸市、(私)が訪問した街である。歩いた街である。泊まった街である。仕事をした街である。共働で、事業をした街々である。あの家、この家、海、山、川、幻が揺れている。
1993. 何億、何兆、何京の生命たちが、この星に生れて死んでいったか。生命の連鎖の果てに、ニンゲンが現れて、(私)が誕生した。ニンゲンの死だけは、不条理である。不可思議である。信じようにも、信じかたがないのだ。もちろん、3・11の死者たちも。
1994. 石や壁や水に記憶はあるのか?つまり、宇宙そのものが、宇宙に起こったことを、記憶できるのか?ニンゲンは、何もないところへと、出てしまうかもしれない。
1995. 一切が(無)、一切が(空)、中国人、インド人の思考は、ひとつの発見ではある。
1996. 深層意識の、一番深いところへ降りて、果たして、宇宙そのものに、遭遇できるのだろうか。
1997. 昔、村に、鉦つきのおっさんがいた。村に、死者がでると、鉦を叩いて歩いて、村中を廻るのだ。妙に、その鉦の音を思いだすのだ。虚空に鳴り響いている、その音は。
1998. 3・11の巨大な空虚をうめるコトバを、ニンゲンが発見できるわけがない。
1999. 空に光子のダンスがあるうちにニンゲンそのものを味わい尽くすのだ。
2000. 夏の光の賑わいの後には、秋の光の寂寥があって、魂たちが、コズミック・ダンスを踊っている。(私)という魂も参加をしよう。
(H23年8月23日完)
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• 木曜日, 8月 04th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1801. わかった。何が?道があるのではない。人そのものが道だから。(私)という道を幾多のニンゲンが通り過ぎたか!!幾多のコトとモノが通り過ぎたか!!
1802. だから、自由に、歩かせてみればよい。右から左から、前から後ろから、次から次へと他人がやってきて(私)という道を通過していくだろう。(私)とは何かが、わかっただろう。「私は道だ」
1803. 道は時である。決して、時間ではない。水平に歩く時間から、垂直に歩く時へ。
1804. ニンゲンの魂は、時の中にこそある。今を永遠と感じる理由はそれだ。
1805. だから、3・11で死者となった魂たちは、時の中にあり、ひとつの道を、垂直に歩いている。
1806. 生者たちは、沈黙して、祈れ、時を歩く死者たち、その魂に。
1807. 道を通るのは、足ばかりではない。幾多の声も、通るのだ。
1810. だから、声を聴くとは、交わることである。
1811. 歩きながら、宇宙を体験する(私)であるから、旅は、どこまでも開かれている。歩いても、歩いても、終りのない(無限道)である。
1812. 行脚漂泊の旅こそ、一番多くのものが(私)の中を通過する方法である。しからば、歩いて、旅に出よ!!
1813. アフォリズムは、多声的である。共時的である。水平に、垂直に。此方から彼方まで。
1814. 場そのものが、語りはじめておる。
1815. 歩く旅は、人を始原へと解き放つ。人は、水になり、風になり、光となって、一番はじめにいた始原へと還っていくのだ。時の中へと。3・11の死者たちも、歩け!!
1816. 守るべきものがすべてなくなって、3・11以後には、幻影だけが友となった。
1817. 街だけが空っぽになった訳ではない。(私)自身が、空っぽになって、歩けば、カラカラと音がする。
1818. 蟻の巣が大水で流された。人の家が大津波で流された。
1819. 確かに、門は見えていたのに、確かに門をくぐったのに、今では、道そのものが、お城そのものが、姿も形も見えなくなってしまった。
1820. 毎日毎日、毎秒毎秒、無数のニュートリノが、シャワーのように降っていて、(私)の身体を突きぬけているのに、痛くも、痒くも、恐ろしくもなかった。透明な放射線には、怯えてしまうのに。
1821. 一日を生きる。どう生きても、その一日の色に(私)が染ってしまう。反復の中の差異。色は無限に多様化して(私)となる。
1822. どんな人間にも弱点はある。どんな組織にも欠点はある。批判だけで生きてきた人には敵がいる。しかし、敵の姿が見えなくなって、権力者になると、創造する力がいる。
1823. 今年、やっと、蝉が鳴いた。いつもよりも、弱々しく、淋しい一鳴であった。庭の柿の木で、蝉が鳴いた。ホッと、胸を撫でおろした。とにかく、よかった、ホッとした。夏の蝉、放射能に負けず。
1824. 毎日毎日、毎秒毎秒、シャワーのようにニュートリノが降り注いで、ニンゲンの身体を通りぬけている。ほとんど、穴だらけの身体が、(私)である。
1825. もう、4ヶ月が過ぎたか。まだ、4ヶ月しか経っていないのか。3・11からは、時間の流れかたが変わった。一人一人に、固有の時が存在しはじめた。
1826. 正しいか、正しくないかで、ものを、人を考えていたのに、菅首相を見るときには、能力が、あるかないかで、見てしまう。権力の椅子に坐る人の、無能力は、罪である。
1827. 淋しい人だ(私自身)が見えなくなっている。いや、淋しさを通り越して、怒りが来た、愚相が、5人も続いてしまった。
1828. 大常識をもった、骨太の、総理大臣がほしい。有言実行の。
1829. 一度、言葉の意味という意味を剥ぎ落して、解体し、あらたに、コトバをすべてにむけて開き、疾走する、絶対言語でアフォリズムに至らなければならない。
1830. 現代のコトバの、ほとんどが、ひらたくなっている−危機だ。眼の前の、地平のことしか語れない。百年、千年の時空にむけて、垂直に語れるコトバが少なすぎる。
1831. 昔は、誰もが話す話題からは、超然として、孤立できる人がいた。今は、その話題の外に起つことすらできない時代である。
1832. 千年の時の彼方へ、虚空へとコトバを投げかけよ。
1833. 宇宙の、銀河の衝突、2000億個の太陽の原子の爆発から見れば、地球の大地震も大津波も、原発の事故も、とるに足らぬものだろうが、唯一の、生きる、知的生命体であるニンゲンにとっては、母なる地球の一大事なのだ。
1834. 右往左往するニンゲンである。なにしろ、生きているうちに、こんな千年に一度の大兇事に遭遇するとは、誰一人、想像もしなかったから。3・11以後は、歩き方が、わからないのだ。
1835. 考えることも、為すことも、すべて、後手、後手に廻ってしまう。混沌の幅が大きすぎるのだ。ニンゲンの(知)に比べて。何が飛び出してくるのか、誰にも、予見すらできない。眼に見えないものは、本当に、畏ろしい。
1836. 宇宙は「考えるニンゲン」を、どのように見ているのか?時空の縁に貼りついて生きているニンゲンを、いったいどこへと、誘っているのか、宇宙よ!!
1837. 宇宙の発するシグナルは、コトバは、果たして、ニンゲンにとどいているのか?存在すること自体が、宇宙のコトバだって?
1838. 被災者のアルバムを探して、補修し、本人・家族の許しへと返してあげるボランティアがある。一切を喪った人の存在証明が(写真)である淋しさ。
1839. 3・11以後は、「ノトオの思想」が要る。私は、秋山駿に「ノオトの思想」を教わった。
1840. 不意の、一瞬の、生の切断である。大津波が来ました。みなさん、高台へ避難して下さい。若い女子職員は叫び続けた。そして、声が切れた。
1841. 死者たちの声が起ちあがって、空の、瓦礫と地面の中空に、犇きあって流れている。生者は耳を傾けよ。
1842. 言葉も、音楽と同じように、低い音から高い音まで、響かねばならない。耳にとどかない。
1843. コトバがどこからともなく、吹き出してきて、止まらない時がある。大きな、大きな、人生の大事が起こった時に。
1844. 過去と呼ばれた、時間の底から、ある風景が、(私)の中に甦る。−つまり、記憶、追憶であろうか−死者たちが(私)の中に甦る。おかしなことだが、来る場所が、ちがうような気がする。同じ(私)の中であるのに。
1845. 今日も、意識が泡立っている。3・11以後とは、そういう意味であるか。
1846. 意識のゼロ・ポイントから先は、もちろん、コトバ以前の世界への突入である。
1847. 無名の人と言う。実際には、名前はあるが、世間に名前が知られていない人の意味。本当の「無名」は、名前そのものがない、名付けられないもののことだろう。「無名は天地の始」(老子)
1848. 行脚漂泊の旅へと、考えて、何年。四国八十八ヶ所は、(私)を無化する旅である。
1849. 見ても幻影、考えても幻、歩けば宇宙のヘソ。
1850. コトバが歩く。3・11以前にはない姿で。
1851. 放射能が波となって押し寄せてくると、(私)も萎れた植物になる。
1852. 千年単位の思考を呼びもどして、ニンゲンが覚醒する。3・11以後は。
1853. 生きているうちに、世界を歩いて、なんでも、見てやろうと思う人がいる。生きているうちに、考えられる限りのことを、すべて、考えてやろうと、坐って、(宇宙)に対峙する人もいる。
1854. 見える、すべてのコトとモノから、見えぬ、すべてのコトとモノまで。一切が、合わさっての宇宙である。
1855. 力で漲る「空」の世界。「空」は「無」ではない。3・11も「空」。
1856. 大きな、大きな「縁起」としての絶対的関係性がある。
1857. ソレは、決して、ソレだけでは存在できない、ということ。3・11以後の世界。
1858. 日によって、(私)の存在度が、低くなったり、高くなったりする。奇妙なことである。
1859. もういいよ、と思う時、(私)の存在度はゼロに接近している。まだ、まだと思う時、(私)の存在度は、(無限)へとむかっている。
1860. 円が、3キロ、10キロ、20キロと、放射能汚染のための、立ち入り禁止区域が広くなっていく。放射能物質は、円ではなくて風の形に応じて、ひろがっているのに。
1861. 自分が、その地に棲んでいれば、何が一番必要か、はっきりと、わかるのに。原発の再爆発の阻止。放射能の拡散の防止。汚染した土地の放射能の除去。赤ジュータンの国会の中では、順番をまちがえた議論ばかりである。(想像力が欠如している)
1862. 死者たちから、被災者たちから、発想しないプランは、絵に画いた餅である。
1863. 世界一の防波堤を築いた。なにしろ、高さ12メートル、数キロ続く堤防である。明治29年、「三陸海岸大津波」で、ほぼ全滅した「田老町」である。その、堤防が、無残にも、破壊された!!
1864. 光が、光がほしい、手のとどくあたりに。
1865. 名前は、呼ばない。心の中では叫んではみるが。まだ、(私)の中では、死者ではないから。行方不明の、(私)の息子だ。帰って来い。
1866. 念じる、祈るよりも強く。響き合うはずだ、母と子だから。
1867. もう、あなたには、頼まない。本当のことを言わないから。
1868. もう、在ること、居ることが、こわくて、こわくて、仕方がない。糸が切れた。3・11で。
1869 誰か、私の手を握っていて下さい、もう、私は、私が何処へ行ってしまうか、わからない。しっかりと、離さないように。お願いします。
1870. こんな形で、驚かされて、(私)に気がつくなんて、残酷すぎる。
1871. 気配だけでもいい、瓦礫の下に、海の底に、(私)の子がいれば。
1872. 沈黙するか、もっと激しく、言葉は、声は、どもらなければ、嘘だ。
1873. 意識は、まったく新しいものに触れているのに、ニンゲンの言葉が見つからないのだ。
1874. 習慣を棄てたところに、言葉のプログラムを棄てたところに、ソレはあるのに、(私)は、ソレを掬いあげることができない。
1875. 「入我我入」の手法、魂の交流のような、スタイルが有効である、と思う。そうだね、空海さん。
1876. 声でなくてもいい、伝えられる手段を教えてくれれば、なんでも試してみたい。水の底にいる嫁に。
1877. 呼びかけに、応えるということが、こんなにも大切な行為であったとは。3・11の日に、はじめて、わかった。
1878. 何処にも行く場所がなくなった、あの言葉が身に沁みる。本当だ。
1879. 見る、触れる、大事な大事なことであった。見られたい、触れられたい、と。心が。騒いで。騒いで。
1880. 下痢が止まらない。(私)自身も(私)を下痢してしまいそうだ。
1881. 嬲り殺しにする気ですか?いつまでたっても、あなたの言葉には(信)がない。しどろもどろに下を向いて。突然、他で、笑ってみたり。
1882. ”原発”による繁栄よりも、”原発”ぬきの普通の生活が良い。
1883. 心が、傷つき、病んだ被災者の心が、どうか、光の方へと向かってくれるといいのだが。
1884. 引き裂かれてしまった心の修復は、五年十年、いや、一生かかるかもしれない。ホッとする一時、心の和む一日が、日常生活への入口である。
1885. 政治家の言葉は、どうして、濁ってしまうのだろう。被災者の声は、透明なのに。だから、声と声の交感ができないのだ。
1886. 同じ、被災の場にいれば、同じことを言う。立つ場と位置がちがうと、掛けた声は肩越しに流れてしまう。
1887. 無機質な、数字を読みあげる声だけが、テレビに流れて。本当に知りたい、耳にとどく声はない。
1888. 松明を高く揚げる人はいないのか、義憤にかられて。
1889. 光が見えるから。かすかに、遠くに、小さくても、光が見えるから、歩いていける。
1890. 心の底に棲みついた、恐怖とパニックが、どうにかして、日常の、反復の中へと消えていけば、いいのだが。
1891. 憲法で、”戦争放棄”を揚げた国だ。”原発””原爆”の放棄まで、踏み込んでしまえ。
1892. トップが、おろおろ、あたふた、蒼ざめていると、民まで、不安になってしまう。腰を据えて。
1893. 3・11以後には、草原で羊たちまでが、憤怒の貌をしているのに。
1894. 生れて、はじめて、意識がゼロ・ポイントまで陥ちてみると、見えないものまで、見えてしまう新しい眼が出現した。
1895. 規制正しい生活が良いという。生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、静かな行進である。
1896. 凡庸な詩を書いていた詩人の詩が、不意に、輝きを放って、人の臓府をえぐる詩に変貌した。不思議だ。「3・11東日本大震災」を体験して。もう、彼は、考えて、詩を書いていない。向こう側からやってくる言葉に耳を澄まして、生きる全重量を、その言葉に乗せているのだ。フクシマの詩人、和合亮一。
1897. 時が起つ、(私)の中に。決して、流れているのではありません。どこにも、流れる場所がないのに、次から次へと、起ってくるのです。
1898. 滅亡へ、破滅へ、終末へ、死に至る唄、空に響いて、人の心は死色に染まる。裂けよ、空。
1899. 生きられる時間を、日々体験しているのに、時間というものが、まったく、わからない?3・11から、止まってしまったものがある。私の中で。
1900. 日本人は、3・11の驚きから遠くへ行ってはいけません。