Archive for 11月 4th, 2008

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

観念ではなく、非現実の中軸に向かって

そこがこの小説の秘処かもしれないね。
主人公の職業が、セールスマンで歩くってこと。これは人間が生きる基本の行動で、一番単純な。そこに主人公が歩くことで、もの事がよく考えられている。思考がきちんと地についている。こういう流れは今は全然ないというわけではないが、昔はもっと沢山あった。例えば他にもいっぱいあるけど自分の分野でいえば小林秀雄の『Xへの手紙』『感想 ベルグソン』の、あのお母さんが蛍になるっていう場面だよね。ようするに考える、という行為と現実に書くということが重なっている。考える散文というようなものが小説のスタイルとして出てきたといった感じ。もう一つ言えば三島由紀夫の『太陽と鉄』もそうなんだよ。

それと以前の作品と少し違っているのは観念ではなくて非現実に向かっているってことね。そこがいい。観念に向かったって、それは知識になってしまう。知識で書いた小説は人を打たない。後半の部分もいろいろ勉強しているけど、それが歩くっていう行為を土台にしているから、うまく沈んでいる。

書籍について———————————————————————-

「○△□」(情報センター出版局) 定価1,500円(+税)
50部ほど在庫がございます。(送料290円)
(株)元気21総合研究所へお申込下さい。
e-mail : genki.21@nifty.com

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「鬼才のの放つ衝撃の力作。」

エイズ蔓延が叫ばれて久しい。今、世界中の研究者、学者、教育者はもちろん、さまざまな芸術家、アーティストが、エイズの問題に取り組んでいる。そのなかで気鋭の小説家、重田昇氏の『死の種子』は、ひときわ光を放っている。鋭い感性と巧みな心理描写で、この鬼才が映しだす「エイズ感染者とそれを取り巻く人々の心の世界」に、私は時がたつのも忘れ、引き込まれていった。
さわやかな昼下がり。キリマンジャロを一気に飲み干した。まだ握っているカップに温かいのくもりが残った。
過去、カミュが人類を滅亡させる病気をテーマに『ペスト』を書いて以来、現代にもそれに匹敵する力作が生まれた。

書籍について———————————————————————-

「死の種子」(情報センター出版局) 定価1,500円(税込)
50部ほど在庫がございます。(送料290円)
(株)元気21総合研究所へお申込下さい。
e-mail : genki.21@nifty.com

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

成熟した肉眼の所有者

重田君はつねに重厚な主題に向かってひたすらに書く男であった。大学時代から「書く」ということに執念を燃やしていた。最初は長編小説を上梓、秋山駿らに注目され、このたびは短編小説を上梓する。その間しばらくの中断があったが、それも蓄積、耐えて待つ姿勢、と私には見えた。

四国出身の彼だが、都会人の鋭敏にして繊細な感覚は十分に身につけていた。彼にはいわゆる「軽薄短小」のイメージはまったくない。その文体もしなやかで、重い主題を巧みに消化、読後の印象はつねに鮮明。センテンスとセンテンスとの間に接続詞を使うことを意識して嫌う。不透明なものを追いかけながらも、その文章は透明である。青春のニガサを通り越し、成熟した肉眼の所有者としての重田君がそこに佇っている。

教師としての私ではなく、重田君の小説の一人の読者としての私になりきってもう幾年経ったことであろう。このたびの短編集は、それ自体の完成度を示すとともに、新たな次の跳躍台、バネの役割を果たすに違いない。

若い頃の作品も含まれているが、四十歳を越えてからの「岬の貌」や「ビック・バンの風に吹かれて」には、かつての重厚さを残しながらも、決して概念過剰とはならず、バランス感覚の横溢した作品となり得ている。若き日の「夏薔薇」「投射器」には、早くから「書く」気の男であった証しが明白に読みとれる。

彼の文章には一種のスピードがあり、そのスピードは短距離選手のそれではなく、長距離選手のリズムに似たところがある。調子を乱すことなく、先頭集団にまじりつつ、機を見て一気に飛び出す姿そのものといってよかろう。

「書く」魅力にとらわれつつも、醒めた目で現実を見据え、リズムを崩さぬところが彼の長所である。コケの一念というのではなく、巧みに間をとったこのたびの小説集。そういう彼を私は支持した。

書籍について———————————————————————-

「ビッグ・バンの風に吹かれて」(沖積舎) 在庫なし

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

文学精神の峻刻さ

文体のない書き手の多い中で、彼の重く沈みこむような文体は、的確に暗い映像を刻み込む力をもっている。
恐らく、こういう集中度の高い文章を持続的に書き続ける彼に、苦痛がなかろうはずはない。
「風の貌」は、実に本年の最も注目している小説の一篇の中に入れてよい作品である。

書籍について———————————————————————-

「風の貌」(三文社) 絶版

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

「始める」
会社を設立する。
大変な決心が必要だった。
ビジョンが要る。戦略が要る。お金が要る。人が要る。
全てが一からはじまる。

「続ける」
会社を続ける。成長させる。発展させる。
随分と胆力の要る力仕事だった。
コンセプト(自立・共生・安心)が柱となった。

「辞める」
自分で作った会社の社長を辞める。
一番の難事業だった。
自分と会社が、22年間のうちに、一身胴体になっていて、
切り離して考えることが、なかなか骨が折れた。
これほど覚悟のいることも、少ないと思った。
断腸の思いが解った。
社長の辞め方に、その人の思想が現れるといわれるのも、
なるほどと、納得がいった。

 

生きている限り、ビジョンがいる。場がいる。
何もしないで、燃え殻みたいに、ただ、存在している訳にもいくまい。
家族のために、会社や社員のために、昼一夜を分かたず、考えに考えて、汗を流し(現場を)歩いてきた。
これからは、自分自身のために、生命を使って生きてみる。
行動のあとは、思索だ。
「現場」で得たものが、何であったのか、静かに、再考して、後から来る人たちに伝えられればいい。
書くという行為が、私の新しいステージである。

「生きた、歩いた、考えた、書いた」
私の生は、歩行が核である。

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

昨日は牛を食った
今日は魚を食った
明日は鳥でも食べようか
ヒトはいつでも食っているから

豚肉はいけない
鯨肉もいけない
もちろん酒などとんでもない
麦もいけない
キノコもいけない
当然 血もだめである
最後まで歩をすすめてみると
水もいけない
空気もいけないとなる

恋人と交接した 人妻と交接した 姉と交接した 犬とも交接してみた 見えない
途轍もないものとも交接してみたが

小遣いをもらった
給料をもらった
配当ももらった
みかじめ料(・・・・・ )も受け取った
賄賂(わいろ)も当然もらった
遺産ももらった
他人の懐から財布までも
盗(もら)ってしまった
もう何ももらいたくない 一切不要だ

藁葺(わらぶき)の小屋に棲んでいた
下宿に棲んだ アパートにも
社宅へと引越をした
家を建てた
青テントに棲んだ
終には 墓に棲むことになった

御襁褓(おむつ)をはいていた
パンツもはいた
学生服を着た
背広に着替えた
カシミアのコートも手に入れた
最後の服は
経帷子(きょうかたびら)だった

村を歩いた(神社とお寺があった
町まで歩いた(学校がある)
都市へと歩いた(会社である)
空まで歩いた(宇宙の縁か?)
夢の中でも歩いてみた(私に酷似しているがまったく別の生きものを発見)
結局 いつまでも
私という不思議(・・・・・・・)を歩いているがそこは永久に迷宮だ(   )

燐寸(マッチ)をすって焚火(たきび)をした
ローソクに火を点けた
裸電球の紐をひいた
火薬の、発火のスイッチを押した
原子爆弾を落として破裂させた
灰になるまで、私を 火で焼いてみた
見ていたのは いったい 誰だろう?

夜空には 百億 百兆の太陽が 星として煌めいているのに ひとつの銀河の
たったひとつの太陽の周りを廻りながら 緑色に輝く小さな惑星の方法(・・・・・)で飽きもせずに歩いている者がいる

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

海からの風ではない
山からの風でもない
大気の流れでもない
あらゆる時空に
音もなく
吹く風がある
ビッグ・バンの風だ
コスモスの風に吹かれて
揺れ、漂い、流されて
遠い 遠い トラベルに
風媒花・人間が咲く
光って 消える 一瞬の花
無数の種子が
夜と昼の彼方までも
ビッグ・バンの風に吹き流されていく

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• 火曜日, 11月 04th, 2008

春、三月、昼下がりの午後、路上を歩いていた耳に、冥途からの声がとどいた。突然、携帯電話が鳴って、眼の中の風景が破れた。頭の中が、白くなって、泣きながら伝える人の声が、不思議な色に染まってしまい、言葉の意味が抜き取られてしまった。耳は、死んだ、誰が、どうして、何?と自然に声に反撥して、もう人間ではないという現象の前に、立ちつくして、大きな棒でもそのまま呑み込み、身体も心も脳までもがゆがんでしまい、不能に陥った。

不意打ちにあったまま、直立歩行して、喪服を持ち、電車に乗り、飛行機に乗り、タクシーを飛ばして、透明な壁の中に暗く閉ざされたまま、分裂してしまった心と頭のままで帰っていった。

枕元で、実と名前を呼んだまま、絶句してただ悲しくて、泣いた。昨日まで、いたものが、ただ、眼の中にある。決して、名づけ得ぬものの正体が、宙づりにされたまま、一切を拒んでいる。永訣という深い沈黙が、不思議となって、判断停止、狂いっぱなしだ。

いるからあるへと、突然、遠い遠いところへ飛翔してしまった弟。私は、自分の総エネルギーを集結して、ただ、耐えているだけだ。

いるはあるでもあるのに、あるはいるではない。人は、そのようにも、暮れてしまうのか。朝、昼、夜は、確かに知ってはいたが、自然のなかで、ただひとつ、不思議なものが人の死だ。

形が消えて、白い骨が残った。声も、眼の光も、心も、一切が消えてしまったのに、まだ、漂っているものがある。それは、名状しがたいものだが、確かに、私に触れてくる。虚空から吹いてくる風の気配にも似ているそれを、私は凝視する。

死ぬことは生きることと同じくらいのエネルギーがいる。私に触れているのは、おそらく、もうひとつのエネルギーだ。感じている。ビッグ・バンの風に吹かれて、銀河の、宇宙の永刧の旅に、億・兆年の旅をはじめた弟よ。誰もが行くという、(そこ)にむかって、いるからあるへ、あるからないへと変貌したまま翔んで行け。透明なあたらしい何かとして。

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