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• 火曜日, 11月 04th, 2008

成熟した肉眼の所有者

重田君はつねに重厚な主題に向かってひたすらに書く男であった。大学時代から「書く」ということに執念を燃やしていた。最初は長編小説を上梓、秋山駿らに注目され、このたびは短編小説を上梓する。その間しばらくの中断があったが、それも蓄積、耐えて待つ姿勢、と私には見えた。

四国出身の彼だが、都会人の鋭敏にして繊細な感覚は十分に身につけていた。彼にはいわゆる「軽薄短小」のイメージはまったくない。その文体もしなやかで、重い主題を巧みに消化、読後の印象はつねに鮮明。センテンスとセンテンスとの間に接続詞を使うことを意識して嫌う。不透明なものを追いかけながらも、その文章は透明である。青春のニガサを通り越し、成熟した肉眼の所有者としての重田君がそこに佇っている。

教師としての私ではなく、重田君の小説の一人の読者としての私になりきってもう幾年経ったことであろう。このたびの短編集は、それ自体の完成度を示すとともに、新たな次の跳躍台、バネの役割を果たすに違いない。

若い頃の作品も含まれているが、四十歳を越えてからの「岬の貌」や「ビック・バンの風に吹かれて」には、かつての重厚さを残しながらも、決して概念過剰とはならず、バランス感覚の横溢した作品となり得ている。若き日の「夏薔薇」「投射器」には、早くから「書く」気の男であった証しが明白に読みとれる。

彼の文章には一種のスピードがあり、そのスピードは短距離選手のそれではなく、長距離選手のリズムに似たところがある。調子を乱すことなく、先頭集団にまじりつつ、機を見て一気に飛び出す姿そのものといってよかろう。

「書く」魅力にとらわれつつも、醒めた目で現実を見据え、リズムを崩さぬところが彼の長所である。コケの一念というのではなく、巧みに間をとったこのたびの小説集。そういう彼を私は支持した。

書籍について———————————————————————-

「ビッグ・バンの風に吹かれて」(沖積舎) 在庫なし

Category: 著作
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