「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1801. わかった。何が?道があるのではない。人そのものが道だから。(私)という道を幾多のニンゲンが通り過ぎたか!!幾多のコトとモノが通り過ぎたか!!
1802. だから、自由に、歩かせてみればよい。右から左から、前から後ろから、次から次へと他人がやってきて(私)という道を通過していくだろう。(私)とは何かが、わかっただろう。「私は道だ」
1803. 道は時である。決して、時間ではない。水平に歩く時間から、垂直に歩く時へ。
1804. ニンゲンの魂は、時の中にこそある。今を永遠と感じる理由はそれだ。
1805. だから、3・11で死者となった魂たちは、時の中にあり、ひとつの道を、垂直に歩いている。
1806. 生者たちは、沈黙して、祈れ、時を歩く死者たち、その魂に。
1807. 道を通るのは、足ばかりではない。幾多の声も、通るのだ。
1810. だから、声を聴くとは、交わることである。
1811. 歩きながら、宇宙を体験する(私)であるから、旅は、どこまでも開かれている。歩いても、歩いても、終りのない(無限道)である。
1812. 行脚漂泊の旅こそ、一番多くのものが(私)の中を通過する方法である。しからば、歩いて、旅に出よ!!
1813. アフォリズムは、多声的である。共時的である。水平に、垂直に。此方から彼方まで。
1814. 場そのものが、語りはじめておる。
1815. 歩く旅は、人を始原へと解き放つ。人は、水になり、風になり、光となって、一番はじめにいた始原へと還っていくのだ。時の中へと。3・11の死者たちも、歩け!!
1816. 守るべきものがすべてなくなって、3・11以後には、幻影だけが友となった。
1817. 街だけが空っぽになった訳ではない。(私)自身が、空っぽになって、歩けば、カラカラと音がする。
1818. 蟻の巣が大水で流された。人の家が大津波で流された。
1819. 確かに、門は見えていたのに、確かに門をくぐったのに、今では、道そのものが、お城そのものが、姿も形も見えなくなってしまった。
1820. 毎日毎日、毎秒毎秒、無数のニュートリノが、シャワーのように降っていて、(私)の身体を突きぬけているのに、痛くも、痒くも、恐ろしくもなかった。透明な放射線には、怯えてしまうのに。
1821. 一日を生きる。どう生きても、その一日の色に(私)が染ってしまう。反復の中の差異。色は無限に多様化して(私)となる。
1822. どんな人間にも弱点はある。どんな組織にも欠点はある。批判だけで生きてきた人には敵がいる。しかし、敵の姿が見えなくなって、権力者になると、創造する力がいる。
1823. 今年、やっと、蝉が鳴いた。いつもよりも、弱々しく、淋しい一鳴であった。庭の柿の木で、蝉が鳴いた。ホッと、胸を撫でおろした。とにかく、よかった、ホッとした。夏の蝉、放射能に負けず。
1824. 毎日毎日、毎秒毎秒、シャワーのようにニュートリノが降り注いで、ニンゲンの身体を通りぬけている。ほとんど、穴だらけの身体が、(私)である。
1825. もう、4ヶ月が過ぎたか。まだ、4ヶ月しか経っていないのか。3・11からは、時間の流れかたが変わった。一人一人に、固有の時が存在しはじめた。
1826. 正しいか、正しくないかで、ものを、人を考えていたのに、菅首相を見るときには、能力が、あるかないかで、見てしまう。権力の椅子に坐る人の、無能力は、罪である。
1827. 淋しい人だ(私自身)が見えなくなっている。いや、淋しさを通り越して、怒りが来た、愚相が、5人も続いてしまった。
1828. 大常識をもった、骨太の、総理大臣がほしい。有言実行の。
1829. 一度、言葉の意味という意味を剥ぎ落して、解体し、あらたに、コトバをすべてにむけて開き、疾走する、絶対言語でアフォリズムに至らなければならない。
1830. 現代のコトバの、ほとんどが、ひらたくなっている−危機だ。眼の前の、地平のことしか語れない。百年、千年の時空にむけて、垂直に語れるコトバが少なすぎる。
1831. 昔は、誰もが話す話題からは、超然として、孤立できる人がいた。今は、その話題の外に起つことすらできない時代である。
1832. 千年の時の彼方へ、虚空へとコトバを投げかけよ。
1833. 宇宙の、銀河の衝突、2000億個の太陽の原子の爆発から見れば、地球の大地震も大津波も、原発の事故も、とるに足らぬものだろうが、唯一の、生きる、知的生命体であるニンゲンにとっては、母なる地球の一大事なのだ。
1834. 右往左往するニンゲンである。なにしろ、生きているうちに、こんな千年に一度の大兇事に遭遇するとは、誰一人、想像もしなかったから。3・11以後は、歩き方が、わからないのだ。
1835. 考えることも、為すことも、すべて、後手、後手に廻ってしまう。混沌の幅が大きすぎるのだ。ニンゲンの(知)に比べて。何が飛び出してくるのか、誰にも、予見すらできない。眼に見えないものは、本当に、畏ろしい。
1836. 宇宙は「考えるニンゲン」を、どのように見ているのか?時空の縁に貼りついて生きているニンゲンを、いったいどこへと、誘っているのか、宇宙よ!!
1837. 宇宙の発するシグナルは、コトバは、果たして、ニンゲンにとどいているのか?存在すること自体が、宇宙のコトバだって?
1838. 被災者のアルバムを探して、補修し、本人・家族の許しへと返してあげるボランティアがある。一切を喪った人の存在証明が(写真)である淋しさ。
1839. 3・11以後は、「ノトオの思想」が要る。私は、秋山駿に「ノオトの思想」を教わった。
1840. 不意の、一瞬の、生の切断である。大津波が来ました。みなさん、高台へ避難して下さい。若い女子職員は叫び続けた。そして、声が切れた。
1841. 死者たちの声が起ちあがって、空の、瓦礫と地面の中空に、犇きあって流れている。生者は耳を傾けよ。
1842. 言葉も、音楽と同じように、低い音から高い音まで、響かねばならない。耳にとどかない。
1843. コトバがどこからともなく、吹き出してきて、止まらない時がある。大きな、大きな、人生の大事が起こった時に。
1844. 過去と呼ばれた、時間の底から、ある風景が、(私)の中に甦る。−つまり、記憶、追憶であろうか−死者たちが(私)の中に甦る。おかしなことだが、来る場所が、ちがうような気がする。同じ(私)の中であるのに。
1845. 今日も、意識が泡立っている。3・11以後とは、そういう意味であるか。
1846. 意識のゼロ・ポイントから先は、もちろん、コトバ以前の世界への突入である。
1847. 無名の人と言う。実際には、名前はあるが、世間に名前が知られていない人の意味。本当の「無名」は、名前そのものがない、名付けられないもののことだろう。「無名は天地の始」(老子)
1848. 行脚漂泊の旅へと、考えて、何年。四国八十八ヶ所は、(私)を無化する旅である。
1849. 見ても幻影、考えても幻、歩けば宇宙のヘソ。
1850. コトバが歩く。3・11以前にはない姿で。
1851. 放射能が波となって押し寄せてくると、(私)も萎れた植物になる。
1852. 千年単位の思考を呼びもどして、ニンゲンが覚醒する。3・11以後は。
1853. 生きているうちに、世界を歩いて、なんでも、見てやろうと思う人がいる。生きているうちに、考えられる限りのことを、すべて、考えてやろうと、坐って、(宇宙)に対峙する人もいる。
1854. 見える、すべてのコトとモノから、見えぬ、すべてのコトとモノまで。一切が、合わさっての宇宙である。
1855. 力で漲る「空」の世界。「空」は「無」ではない。3・11も「空」。
1856. 大きな、大きな「縁起」としての絶対的関係性がある。
1857. ソレは、決して、ソレだけでは存在できない、ということ。3・11以後の世界。
1858. 日によって、(私)の存在度が、低くなったり、高くなったりする。奇妙なことである。
1859. もういいよ、と思う時、(私)の存在度はゼロに接近している。まだ、まだと思う時、(私)の存在度は、(無限)へとむかっている。
1860. 円が、3キロ、10キロ、20キロと、放射能汚染のための、立ち入り禁止区域が広くなっていく。放射能物質は、円ではなくて風の形に応じて、ひろがっているのに。
1861. 自分が、その地に棲んでいれば、何が一番必要か、はっきりと、わかるのに。原発の再爆発の阻止。放射能の拡散の防止。汚染した土地の放射能の除去。赤ジュータンの国会の中では、順番をまちがえた議論ばかりである。(想像力が欠如している)
1862. 死者たちから、被災者たちから、発想しないプランは、絵に画いた餅である。
1863. 世界一の防波堤を築いた。なにしろ、高さ12メートル、数キロ続く堤防である。明治29年、「三陸海岸大津波」で、ほぼ全滅した「田老町」である。その、堤防が、無残にも、破壊された!!
1864. 光が、光がほしい、手のとどくあたりに。
1865. 名前は、呼ばない。心の中では叫んではみるが。まだ、(私)の中では、死者ではないから。行方不明の、(私)の息子だ。帰って来い。
1866. 念じる、祈るよりも強く。響き合うはずだ、母と子だから。
1867. もう、あなたには、頼まない。本当のことを言わないから。
1868. もう、在ること、居ることが、こわくて、こわくて、仕方がない。糸が切れた。3・11で。
1869 誰か、私の手を握っていて下さい、もう、私は、私が何処へ行ってしまうか、わからない。しっかりと、離さないように。お願いします。
1870. こんな形で、驚かされて、(私)に気がつくなんて、残酷すぎる。
1871. 気配だけでもいい、瓦礫の下に、海の底に、(私)の子がいれば。
1872. 沈黙するか、もっと激しく、言葉は、声は、どもらなければ、嘘だ。
1873. 意識は、まったく新しいものに触れているのに、ニンゲンの言葉が見つからないのだ。
1874. 習慣を棄てたところに、言葉のプログラムを棄てたところに、ソレはあるのに、(私)は、ソレを掬いあげることができない。
1875. 「入我我入」の手法、魂の交流のような、スタイルが有効である、と思う。そうだね、空海さん。
1876. 声でなくてもいい、伝えられる手段を教えてくれれば、なんでも試してみたい。水の底にいる嫁に。
1877. 呼びかけに、応えるということが、こんなにも大切な行為であったとは。3・11の日に、はじめて、わかった。
1878. 何処にも行く場所がなくなった、あの言葉が身に沁みる。本当だ。
1879. 見る、触れる、大事な大事なことであった。見られたい、触れられたい、と。心が。騒いで。騒いで。
1880. 下痢が止まらない。(私)自身も(私)を下痢してしまいそうだ。
1881. 嬲り殺しにする気ですか?いつまでたっても、あなたの言葉には(信)がない。しどろもどろに下を向いて。突然、他で、笑ってみたり。
1882. ”原発”による繁栄よりも、”原発”ぬきの普通の生活が良い。
1883. 心が、傷つき、病んだ被災者の心が、どうか、光の方へと向かってくれるといいのだが。
1884. 引き裂かれてしまった心の修復は、五年十年、いや、一生かかるかもしれない。ホッとする一時、心の和む一日が、日常生活への入口である。
1885. 政治家の言葉は、どうして、濁ってしまうのだろう。被災者の声は、透明なのに。だから、声と声の交感ができないのだ。
1886. 同じ、被災の場にいれば、同じことを言う。立つ場と位置がちがうと、掛けた声は肩越しに流れてしまう。
1887. 無機質な、数字を読みあげる声だけが、テレビに流れて。本当に知りたい、耳にとどく声はない。
1888. 松明を高く揚げる人はいないのか、義憤にかられて。
1889. 光が見えるから。かすかに、遠くに、小さくても、光が見えるから、歩いていける。
1890. 心の底に棲みついた、恐怖とパニックが、どうにかして、日常の、反復の中へと消えていけば、いいのだが。
1891. 憲法で、”戦争放棄”を揚げた国だ。”原発””原爆”の放棄まで、踏み込んでしまえ。
1892. トップが、おろおろ、あたふた、蒼ざめていると、民まで、不安になってしまう。腰を据えて。
1893. 3・11以後には、草原で羊たちまでが、憤怒の貌をしているのに。
1894. 生れて、はじめて、意識がゼロ・ポイントまで陥ちてみると、見えないものまで、見えてしまう新しい眼が出現した。
1895. 規制正しい生活が良いという。生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、静かな行進である。
1896. 凡庸な詩を書いていた詩人の詩が、不意に、輝きを放って、人の臓府をえぐる詩に変貌した。不思議だ。「3・11東日本大震災」を体験して。もう、彼は、考えて、詩を書いていない。向こう側からやってくる言葉に耳を澄まして、生きる全重量を、その言葉に乗せているのだ。フクシマの詩人、和合亮一。
1897. 時が起つ、(私)の中に。決して、流れているのではありません。どこにも、流れる場所がないのに、次から次へと、起ってくるのです。
1898. 滅亡へ、破滅へ、終末へ、死に至る唄、空に響いて、人の心は死色に染まる。裂けよ、空。
1899. 生きられる時間を、日々体験しているのに、時間というものが、まったく、わからない?3・11から、止まってしまったものがある。私の中で。
1900. 日本人は、3・11の驚きから遠くへ行ってはいけません。
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1701. コトバが存在する。存在はコトバだ。コトバから存在が誕生した。そうか、空海さん。
1702. 意識が意識を噛み続ける。一秒ごとに。そんな辛い時には、まるで、尖った針の上に乗って生きているようである。あと半歩で、狂うか?
1703. ニンゲンの耳には聴こえない音がある。ニンゲンの眼には見えないものがある。宇宙に充ちている、音も、声も、コトもモノも、すべて、種子である。
1704. 実存から虚存へと歩まねばならぬ。宇宙の全体を見るために。
1705. 神的エクリチュールが、最高の文章である。ニンゲンには、それを、書くことはできぬ。しかし、(私)として顕現している。
1706. 肉体の遺伝子があるように、コトバの遺伝子もある。どちらも、生命の源泉である。
1707. コトバも、また、量子論的性質をもっている。ひとつの光子がふたつに。
1708. ブレイク(詩人)とドストエフスキー(作家)は、視霊者であった。マラルメ(詩人)とサルトル(作家)は、事象の地平線を視た透視者であった。(虚無)
1709. 文章の中で(私)を殺したいのか、それとも、誰のものでもない、絶対言語へと到達したいのか?アフォリズムで。
1710. コトバは、単なる記号になってしまった。宇宙的エネルギーで充ち充ちていたコトバが。
1711. 風景写真はある。風景画もある。果たして、風景小説はあるのだろうか?3・11、瓦礫と地面と空しかない、風景を、小説は、描けるのか?ニンゲンのいなくなってしまった空間を。
1712. 粗野の中にも、光るものがある。3・11の避難所で。豊饒の中で見失われたのもがある。都市で。
1713. 大量の死を、一人一人のニンゲンの生命を瞬時に切断した、3・11の現場に視る。暗い淵がある。青空の下に。
1714. 力という力がぬけてしまった人が、酒に走る。呑んでも呑んでも、心は酔えず、身体だけが崩れていく。
1715. 右、左、上、下と、声は、明確に発しなければならない。3・11以後は、旗色を鮮明にすべし。反対、賛成と。
1716. 毎日毎日、(私)に気付き続けている。気付く意識だけが生きている。
1717. 3・11にふれる言葉がぺらぺらになって役に立たない。虚ろだ。
1718. 人は、死にそこなうことがある。ある人は、生きそこなうこともある。
1719. 我執は、無知よりも始末に悪い。
1720. 恥に恥を重ねても、まだ、わからなくて、(我)を押し通している。
1721. 空海は、お山に帰りたいと言った。(私)は、宇宙に還りたい。
1722. 「行き」と「帰り」は足取りがちがう。四国八十八ヶ所には、「行き」も「帰り」もない。道が、どこまでも、あるだけだ。
1723. 失敗してみなければ、本当に、何が正しいかもわからなかった。
1724. 傷ついて、悩まなければ、考えない。
1725. なぜ、(私)は、他人とちがうのか?出発は、そこからだ。
1726. 猛暑、真夏日が続く夏であるが、今年は、まだ、蝉が鳴かない(7月26日)秋まで、鳴かなければ、ニンゲンは大騒ぎだ。
1727. やっと見つかったよ(友人)
何が(私)
死に場所がさ(友人)
何処だい?(私)
3・11フクシマの原発の作業。俺、やるよく(友人)
1728. 3・11以後は、言葉が虚ろになった。文章が溶け、声が揺らぎ、言葉の無力を感じながら、使用する日々である。
1729. 明日の子供たちが、今日を棄てて、フクシマを棄て、県外へと移動している。その数、小・中学生で、13,000である。
1730. ホーレン草、お茶、牛乳、牛肉、魚、放射性物質は、終に、ニンゲンの生命の素まで、汚染を拡げている。空気に、土に、水、眼に見えぬ、放射能の恐怖。
1731. いくら、「ただちに健康に影響はない」と国が断言しても、言葉も行動も、その(信)が揺らいでいるのだ。(私)の生命は、(私)が守るしかない。
1732. (無常)を感じて生きている日々である。意識が、ゼロ・ポイントから起ちあがらないから。しかし、走け、よ。
1733. 見る。見者。見る、の終った地点から、さらに、見る、見霊者。ドストエフスキー。
1734. おそらく、(私)が見た、死んだ父からの音信。あの時、(私)も、見霊者であったのか。
1735. 普通の、日々の、光景の中にも、不意に、異界が侵入してくる時がある。光が、見知らぬ光が来て。
1736. 志津川の(合併して、南三陸町)瓦礫と地面の宙空に、消えてしまった街と声を交わした人々を幻視する。
1737. 唐桑の、断崖の、海の音、松林の深い、深い落葉の道。三月の、国民宿舎で食べた地魚が、踊っている、眼の中で。
1738. 歩いて、歩いて、釜石の、長い、長い、商店街よ、ウォーキングに筋力トレーニング、笑顔あふれる人々と共に、ありし日々。
1739. 月と太陽を眺めながら、相馬の松川浦を歩いた。その風景そのものが消えて、ない。
1740. 国会の、質疑の、なんと、ゆるい言葉。三分も聴けば、意識が嘔吐する。神経が鈍くなければ、付き合えない。
1741. なぜ、3・11の、現場の、裸の意識から出発しないのだ。悲しみの人から出発しないのだ。いつのまにか、自分の、自分たちの、欲望から出発しているぞ。
1742. 間違いようがないはずだ。恐怖、不安、悲しみを拭い去る−その原点から出発すれば。いったい、何をしておる!!
1743. (私)が壊れてしまう。その時も、まだ、意識という怪物は、存在しているのか。
1744. すべてに、反応してしまう、意識は、結局、生きて、生きて、生きて、生きている。で、どうなる?
1745. 「ある」と「ない」の間で、ふらふら、ふらふらとしているニンゲンであるか。
1746. 「大日如来」は、絶対的超越者か?
1747. 当たり前のことであるが、生きて、経験して、考えたことしか、(私)は語れない。すると、生きた総量が(私)である。
1748. (私)を抜け出してしまった意識が、3・11の前に在る。もう、戻らない何ものかとして。
1749. なぜ、仏教の説く、縁起が、いまひとつ、普通の、日常生活ではぴんと来ないのはなぜだろう?
1750. 深淵で、高度な思想こそ、日常生活そのものを、そのまま、含み込まれなければならぬ。誰もが(無)を感覚できるように。
1751. 在ることの不思議に気がつくと、石も水も木も、眼の前に在るものが、ダイヤモンドの輝きを放つから、おかしなものだ。
1752. (私)が、私を脱する時、(私)のもうひとつの眼は、確かに、それを、よく見ている。なんの不思議もなく。
1753. 詩と哲学は結婚している。昔から。アフォリズムは、その二つを含むものでありたい。
1754. 突然、頭の中に、昔の光、今、何処という、言葉が、何回も、何回も、流れた。時空の彼方からの音信のように。
1755. 毎日毎日3・11を考える日々。文章は、無限地獄へと墜落して。
1756. やはり、生活第一である。どんな立派な国の復興プランよりも、眼の前の、衣食住に仕事である。
1757. 発狂しないで、生きている。生命の芯のしぶとさに感嘆する。3・11以後は。
1758. 嘔吐する。3・11以後の(知)らしきコトバに。
1759. モノに触れていた、ニンゲンの実感まで奪われてしまった、3・11以後である。なぜ?モノとしての、津波のリアリティが強すぎて、あらゆるものの存在の根を消してしまった。
1760. 3・11以後は、いつも、意識に、放射能が降っている。静かだ。眼に見えない。沈黙の中で、進行している、凶事である。深呼吸ができなくなって。
1761. 意識が、ゼロポイントに降りているかどうかで、作者の姿勢を見、作品を評価してしまうようになった、3・11以後は。
1762. 存在としてのコトバ。宇宙にあふれて。
1763. 故郷を追われた、被災者たち、その中で、力つきた高齢者たちが、ポロポロ、ポロポロ死んでいる。せっかく、地震と津波を生き延びたのに。
1764. 木と同じことだ。避難場所の土と水と空気が合わないのだ。(気)が消えてしまったのだ。
1765. 存在そのものが呟いているコトバ。存在そのものが叫んでいるコトバ。意識のゼロポイントは、3・11以後を変えた。
1766. いったい、何と闘っているのか、運んでも運んでもなくならない瓦礫。診療しても、しても、減らない病人。いつまで続くのだ。
1767. 焼くことも、棄てることも、ままならぬ、放射能に汚染されて。
1768. 生きてほしい者が死んで、何時死んでもいい年寄りが生き延びてしまった、老婆の呟き。
1769. こんなに走ったときはない。こんなに歩いたときはない。一生で一番辛い、逃避行だった。天から崩れ落ちてくる黒い水の壁だ。
1770. 会社を見てくる、心配だから、それが最後の言葉だった。
1771. あの時、私が、手を離さなければ、孫娘は助かった、と老婆は泣き続けている。
1772. 3・11で、何が変わったのか?意識だよ、今、存在して(私)をしているという意識が、大きく変化した。
1773. あらゆるコトとモノを視る眼、その瞬間、アッ、余震だ、ホラ、意識は変容している。
1774. 食べる、野菜を、魚を、肉を、その時、意識は、一瞬、放射能を考える。だから、食べる、も変わった。
1775. 原っぱで、緑の野原で、深呼吸をする。背伸びした、その瞬間に、脳裡に放射能が走った。
1776. 過度に、神経質になってもいけない。過剰な無神経は論外だが。
1777. 恐れすぎず、見くびらず、(放射能)を見る態度を身につける。
1778. 正常値・異常値、その値が、いつのまにか変っている。何?基準って?
1779. 数学は魔物だ。死者1万2787人、行方不明者1万4991人。いったい、何がわかったのだろう。自分の知っている人の顔を思い浮かべて、数えてみるがいい。死者として。行方不明者として。神経が壊れて、卒倒するだろう。
1780. 数は、不幸の大きさではない。しかし、大きな数は、ニンゲンの、正常な判断を狂わせてしまう。なぜなら、名前のあるニンゲンは、決して、数ではないからだ。
1781. ニンゲンの仕事は、二つだ。生物として、子や孫を残すこと、魂として、精神のリレーで文化を残すこと。
1782. 土が汚れ、水が汚れ、空気が汚れ、故郷フクシマは、放射能で汚染された。地図から街が消える。空白の街になる。鎮魂の声さえとどかぬエリアになる。一刻も早く、返せ、もとに戻せ。
1783. 夏風邪をひいた。身も心も、衰弱している。放射能で。微熱が続いている。
1784. 大きな、大きなビジョンがほしい。誰も、ニンゲンが、見誤まらぬほどの。
1785. ”歴史に名を残したい”と語るトップ。発想が、逆である。無私の精神になって、今、生きることに、躓いている大勢の人々に、手を差し延べるのだ。
1786. 死がなければ、生が完成しない。死が生を輝かせるということだ。
1787. 存在そのものが語っている。風景の中では、ないことも、何かを語っている。ニンゲンの声は、ひび割れて。
1788. 3・11以前には、ニンゲンの語る言葉の位置が高すぎた。3・11以後には、存在の、存在する位置からニンゲンの声も、放たれねばならない。
1789. (知)の外に在るものが(私)を撃ちはじめた。
1790. 放射能が降っている。47億年も前から。
1791. 死んだ言葉を、昨日までの言葉をいくら語ってみても、意味が生じない。3・11以後は、新らしい言葉で語らなければ。
1792. 現在ほど、「言葉の力」が必要な時はない。
1793. 存在と均り合うほどの言葉が必要だ。
1794. (知)から(信)へと翔べる言葉がいる。
1795. 放射能を消して下さい。国会で、あれでもない、これでもないと、くだらない議論をする暇があったら。放出する放射能を止めて下さい。こんな簡単なことが、できないのですか?勝手に造っておいて。お願いします。フクシマの子供たちを放射能から救って下さい。空気を、胸いっぱい、深呼吸させて下さい。昨日まで、3・11以前のように、自由に、歩かせて下さい。公園を、舗道を、歩かせて下さい。笑顔で。
1796. 日本人は、もっと、憤怒してよいのだ。フクシマの原発事故に。
1797. 敵の姿が見えた。放射能は見えないが。3・11でわかった。さあ、闘え。一歩も、譲ってはならぬ。
1798. 人のいいのも、いい加減にしろ。3・11で、洞察したまま、(現実)を承認して、疾走しよう。
1799. 便利と快楽と効率は、必ず、負の暗部をもっていると、3・11で、看破したではないか。
1800. ないものに、ないものを足して、あるものにするのだ。幻の種子が華を咲かせる時もある。
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~ (1601~1617は、月刊誌「詩と思想」7月号に掲載)
1601. 揺れた、大地が。水が来た、大津波が。放射能が飛んだ、原発の。本能のまま、走る、歩く、蹲る、もうニンゲンには逃げる場所がない。何処にも行けない。
1602. 天災に、人災に、文明災である。自然の法則の前に、ニンゲンの起っている、日常の底が抜けてしまった。
1603. 空の下、瓦礫と地面の他には、何もない。空っぽの空間である。ほとんど(無)だ。
1604. 水におにぎり、衣服に毛布、寝る場所、薬に医者、ニンゲンに必要なもの、生命の素。
1605. 言葉が滑る。声がとどかない。文章が浮いてしまう。(無)の地点では、すべてが、宙に浮いてしまう。
1606. 電気という文明は、原子力というエネルギーは、同時に、クライシスという、名前でもあったのだ。暗愚のニンゲンの(知)
1607. ニンゲンの、五感も、直観も、知も、一切が通用しない、日常が一瞬にして、非日常の幽霊になる。宇宙原理の脅威である。
1608. 正に、第二の敗戦である。敵は、人間ではない。自然の法則であった。
1609. 死を覚悟して、原発事故に立ちむかう勇士たちがいた。明日のために。子供のために。
1610. 言葉は、無力ではない。二つの言葉がいる。走れ、歩け、逃げろ、一緒に生きようという(声)。考えて、考えて、もっと高みへ、もっと遠くへ、ビジョンを紡ぐ、ニンゲンの啓示の(文章)である。
1611. 恐怖と不安が、悲嘆に変わり、無気力になって、途方にくれて、虚無へと変貌する時、声がいるのだ。(私)はあなた、あなたは(私)そう、一蓮托生の人生である。(私)は、起つ。
1612. 不可知である。不完全である。不確実である。それでも、歩け、(私)がある限りは。
1613. 数学も、科学も、哲学も、思想も、一切が役に立たない、それでも、ニンゲンの声は響きわたれよ。制御できぬ“原発”はいらぬ。
1614. どだい、この未曾有の大災害が、一人のニンゲンの頭に入りきる訳がない。時空そのものが揺らいだのだ。
1615. 眩暈が、耳鳴りが、動悸が、3・11以来する。手で何かを作る。はじまりはそこからだ。ホッと息を吐く。そして、出発する。
1616. 億、兆という数が役に立たなくなって、終に、(京)が使用された。原発の放射能の数値である。ニンゲンの五感が見放された瞬間。
1617. 3・11から長い、長い戦いが始まった。「無」からの出発である。もう、意識は、震災以前に戻ることはあるまい。本当に、ニンゲンが、生きる、必要を、考えて、構築しなければならない。大事とは何か、生きるための、ニンゲンの、真の、網領が、希求されている。(私)は、出発する。今、誰もが、同じ地点を凝視めているそこへ。
1618. 一瞬で、一切を破壊してしまう巨大なエネルギーは、完全に、ニンゲンという存在を無化した。
1619. 光と熱の、ちょうどいい間で、ニンゲンは、恙しく、生きるしかない。
1620. 「自然の大きな物語」が発生すると、ニンゲンの創出した、文明、文化は、虚ろな影になる。
1621. 自然への、畏怖の感覚だけは、なくしてはならぬ。ゴーマンにも、ニンゲンは、原子力を、コントロールできると、思いあがった。
1622. 国は、すべての情報を公開すべし。情報をコントロールすればするほど、人々は、疑心暗鬼に陥ってしまう。
1623. 醜い事実でも、事実は、事実である。日本人は、事実を承認できる。充分に。冷静に。太平洋戦争の、広報の、いつかきた道へと戻ってはならぬ。
1624. ヒロシマ・ナガサキを経験した国が、国民が、なぜ、”原発”を容認してきたのか。安全神話の名のもとに。愚かであった。欺いた者も、欺かれた者も。
1625. 傷は疼き続ける。消えることはない。もう、3・11以前の意識には戻れない。
1626. 精神の芯まで、水ぶくれして、生きてきた、何が必要か、問い続けるべきであったのに。
1627. 残すもの、棄てるもの、もう一度、生きる、ニンゲンの必要を、考える。
1628. 電気が支えてきた文明である。エネルギーの量だけを求めてきた。滅びの一歩手前で、ニンゲンは、まだ迷っている、”原発”の火を消すか点けるか。
1629. 「無」を経験した。何もない、一切が消えて。
1630. ”便利”と”快楽”に導かれて、ニンゲンは、道を踏みはずした。
1631. ニンゲンは、天災のあきらめからは知っているが、人災のあきらめかたは知らない。”原発事故”は、もうひとつの戦争であって、人災であった。
1632. ぬくぬくと、原子エネルギーの恩恵を貪ってきた身であるが、今となっては、叫ばねばなるまい。破滅への道は、団固、拒否する、と。
1633. 赦した人も、赦された人も、自責の念は、炎となっている。
1634. 量ばかり求めてきた。
数ばかり求めてきた。
モノがあふれかえって、何も欲しいものがなくなるほどに。
1635. (無)になったものたちへ、名前を付けよう。新しい名前を。
1636. 叫ぶ、呼びかける、祈りに似た声で。肉声で、マイクで。耳たちよ、聴け。届け。そして、逃げろ。
1637. おかしいではないか。3・11からは、一切が変わらなければならぬ。破滅の足音を聴いたのだから。昨日の延長に今日はないと、思い知ったのに。
1638. テレビの声も、新聞の文章も、こんなに、遠くなった日はなかった。(信)が(疑)になって。
1639. 知者たちの声が、崩れ落ちた。3・11に、対応できなくて。
1640. 生きているのは、被災した(現場)にいる人たちの声だけだ。
1641. 経験する、体験する、そんな言葉をはるかに超してしまった3・11は、ニンゲンを沈黙させる。
1642. 二つの言葉がいる。耳へと直接語りかける声。脳へと響かせる、考える、文章。
1643. 大地震、大津波から原発事故へは、身体から心へと、刺し貫いた巨大な棒、兇器であった。
1644. ニンゲンが、コントロールできぬものを、科学の名のもとに、「安全神話」を作ってはならなかった。
1645. 「人間原理」のみで生きてきたニンゲンは、一瞬のうちに、「宇宙原理」で、叩き潰された。揺さぶられ、流されて、消されて、汚染された。
1646. 毛布を被って、群集の中で、泣くこともできずに、体育館の壁に向かって、放心している、どんな視線も声も耳にとどかない、白い顔をしていて。
1647. 祈りでも足りない。引き裂かれたニンゲンの心に、水と、地鳴りと、放射能が充満していて。
1648. 魂も精神も崩れ落ちて、空の(私)がいる。
1649. 新緑のまぶしさまで、凶々しい眼で見てしまう、3・11の負のエネルギーである。
1650. 高野の聖地を、歩いて、歩いて、風景に溶けても、(私)の頭には原子力という魔物あり。
1651. 棄てるもの、残すもの、快適と便利で生きてきた、セイカツを、必要と大事から考え直してみる覚悟がいる。
1652. 3・11で種分けしはじめた意識がある。透明な線を引いて。
1653. 文学は、いつも、行動よりも遅れてくる。だから、遠くまで、行けるものでなければならぬ。
1654. 結局、ニンゲンだけが、自分たちの、快適と便利を追求するために、地球を汚染してしまう動物である。自然のメカニズムを壊してしまうのが、誇れるニンゲンの文明というのも、悲しい限りだ。
1655. あらゆる動物に、善と悪の判断力があって、全員で投票すれば、悪のナンバー1は、ニンゲンに決定するだろう。
1656. なんでも食べてしまうニンゲンには、善とか悪とかを、語る資格があるのだろうか。ニンゲンにとっての善悪は、すべて「人間原理」に基くものばかりである。
1657. ”現実派”は、必ず、今の生活には、電気エネルギーが必要不可欠であると主張する。そして、膨大なエネルギーを放出する”原発”を、必要悪と考える。しかし、本当は、習慣を変えたくないのだ。”快適と便利”を手離したくないのだ。破滅に至る道であっても。何が大事なの?
1658. 莫大なエネルギーの塊りは、一瞬にしてニンゲンの日常を、非日常へと、転覆させた。
1659. 死んだ者、生き延びた者、時空が反転する驚愕の果てで、運と偶然だけが、命運を分けた、無常。
1660. 原子力、遺伝子操作、万能細胞、不確実で、不完全で、不可能な世界へと、ニンゲンは、突入してしまった。あと戻りのできない道へと。
1661. ニンゲンの創出する、あらゆる(知)を集めても、ニンゲンの天才たちを集結させても、どうにもならぬ、時空のゆらぎが来た。
1662. 一切が、変わらなければならない。怖いくらいに昨日を棄てること。
1663. 昨日までの、今までの、3・11以前の習慣と思考では、危機は乗り切れない。
1664. 3・11は、レントゲンの意識が、終に、ゼロ・ポイントまで降りた日だった。
1665. 顕れてしまった者(出現者)と顕れなかった者(未出現者)がいる。宇宙も同じこと。
1666. (無限)よりも大きいものがある。(無限)+1である。であるならば、神よりも上位のものがある。神々の神である。実は、私は、このような思考が好きではない。
1667. 不可能なもの、考えられぬもの、端もなく、縁もなく、形もなく、色もなく、気配すらないもの、未存在である。
1668. (私)は、瓦礫と地面しかない、風景の見方を知らない。眼には、何も見えない。
1669. 静かな、無音の風景の中に、燃え盛る眼の仁王が立っている。
1670. 「色即是空」は、単なるお経ではなかった。3・11は、残酷にも、その言葉を証明した。
1671. 問う人の言葉と、考える人の言葉がちがうので、怒りは噴出する、当然である。
1672. 空になった心に、熱い思いが宿るまで、どのくらいの時間と涙と汗がいることだろうか、気が遠くなる。
1673. 無味無臭の透明な夏の水は、実に、美味い。無味無臭の、透明な風で運ばれる放射能は、ニンゲンを破壊するだけだ。
1674. 3・11で、羅災者は、無感覚の貌になった。当然である。無感覚は、ニンゲン自身を守る、ひとつの姿勢であったのだ。
1675. ニンゲンは、奇妙な生きものだね、と、お互いの顔と深淵を覗き込んで、哄笑したが。
1676. 問うてはならぬことがある。問うても詮ないことだとわかっているから。意識は、どこまでも行きたがるが。
1677. 存在の重さが、限りなく、稀薄になっていた時、3・11が来て、生命は、一人一人の心の中で、ずっしりと重くなった。蒼ざめて、我にかえった。
1678. 文明から文化へと、一気に、舵を切らねばならない。3・11を境にして。
1679. ニンゲンは、(私)を守る、(私)を保存する、(私)を持続させる、3・11に襲われた後も。
1680. 沈黙が、存在の重さを現している。
1681. (正常)を保つために、無感覚の、仮死状態に陥る、それは、ほとんど本能だ。
1682. 一時期、(私)を別のどこかへと運んでいかなければ、ニンゲンは、狂気から逃げられない。
1683. 安心している場合ではない。”原発”は、もっと、もっと、深刻に、神経症になるくらい畏れなければならない、”怪物”である。
1684. 国は、市民の、住民の、パニックを畏れて、(現実)を隠して、情報を与えず、国民を安心へと誘導しようと試みた。で、国民の(信)を失った。
1685. ”現実”は、日を経るに従って、悪化しているのに、国の発表も、対策も、安易すぎる。首相の声も、浮きあがっている。”現実”を見ていないのは、見ようとしないのは、誰だ!!
1686. がんばれとか、元気をだせとか、感情や気分で変わるほど、たやすいレベルではないのだ、今回の大災は。人類のビジョンそのものの、ターニング・ポイントなのだ。
1687. 確かに、今回の”原発”事故で、万死に値する人々がいる。
1688. わからないことは、わからないと言う。もちろんだ。しかし”想定外”という言葉は使わないでくれ。宇宙では、なんでも起こってしまうから。
1689. 静岡の、浜岡の、”原発”を止めた。もう、妙に、安心している。ちがうのだ、もう一歩踏み込んで、”廃炉”にするのだ。覚悟が足りない。
1690. ”安全神話”が完全に崩れたのに、まだ、知恵をしぼれば、対策を強化すれば、”事故”は未然に防げると思っている。”原子力”が、ニンゲンの(知)を超えているという恐怖に、直面しようとしない。
1691. どんな場にいる人も、どんな位置にいる人も、その場から、その位置から、声を放つべきである。3・11は、あらゆる人に、その衝動を与えた大事件だから。さあ、語れ、叫べよ。
1692. (核)があると、なんとなく思って、生きていた人も、その日常を反転させた、3・11に遭遇して、(私)そのものが揺れ続けているだろう。
1693. すべてが滅亡へと至る。だから、夢も希望も、実はない。ただし、ひとときの、巨大な、幻想に幻花を見ることは可能だ。
1694. たった百年しか生きられないから、ニンゲンは、巨きなスケールの時間の前では、(私)を失って、痙攣してしまうのだ。で、判断は停止。
1695. 体育館の、ダンポール箱で区切られた空間で、壁を見ている老婆がいた。いつか、眼が笑う日が来ればいいが。
1696. 「本」を読んでも意味がない。文章を書いても意味がない。TVを見てても意味がない。水を下さい。放射能で死なない、正確な情報を下さい。地震と津波で、街と生命を奮われない、正確な情報と知恵を下さい。
1697. 静かに眠れる夜と場所を下さい。
普通に働ける職場を下さい。
寒くない、暑くない、着物を下さい。
祈って下さい、死者たちのために、残された者のために。
祈って下さい、不安と恐怖のあの日のことを。
1698. 呆けて、放心して、TVに映る、瓦礫と地面と何もない空間ばかり観ている。
1699. 3・11は、ニンゲンに、何を黙示したのか。足を止めて、じっくりと、考えねばならない。
1700. 心・意識の流れがある。
①3・11で、意識は、ゼロ・ポイントに陥った。
②(無)が来た。
③(無常)感に襲われた。
④恐怖のゆりもどしで、涙も出ない、無感覚。
⑤(虚無感)脱力感、放心する日々。
⑥身体と心の回復、ゆらぎが来る。
⑦怒りが起きる。(自然に、原発に、国に)
⑧なぜ?なぜだ、問い地獄(情報が知りたい、ニンゲンの声が聴きたい)
⑨泣くだけの日々(悲しいだけ)
⑩日常へ、一歩、もう少しだけ、生きてみようか、一切が失われて(私)が残って。
⑪衣、食、住と薬に医者、そして、仕事、ニンゲンらしい生活が訪れる日まで。
3・11から、二ヶ月の時が流れた。心も、意識も流動し続けている。
1501. 思考のステップと実践のステップは、似て非なるものだ。
1502. 決して、愉しんではいけない、不幸な人がいる限り、と、感じてしまう心性をもった人は、一生、自分を噛み続ける。
1503. ニンゲンの世界だけを、考えて、閉じないで、宇宙のことも、考える、開けかたが必要な時代だ。
1504. 30代までは、闘う言葉を使っていた。60代になると、言葉は、死者へと接近してくる。そして、(無限)へと開かれる。
1505. (書く人)である限り、論争だけがあって、限界がくる。ただ、働く人の場に、身を置いて、(書く)ことを棄ててみる。
1506. 他人とともに、働く時には、(文学)など棄ててしまうことだ。ただ、ニンゲンが起っている。ひびが割れたまま。
1507. 負い目も、傷も、棄て去って、魂を遊ばせる。歩いて。ニンゲンの最上の行為だ。
1508. ある、ある、ある、あらゆるものがありすぎると、思っていたら、もう、水泡のように、次から次へと姿を消しはじめた。妙なものだ。眩暈がする。
1509. もっと、離れて、もっと、もっと、離されて、ようやく、見えてくるものがある、心を放って遊ばせておくと。
1510. もう、仕事で、イヤなニンゲンに会わなくても済む、他人に会う日々から、解放されたから。いくらでも、独りには耐えられる。心を舐いで。
1511. 若い時には、とにかく、新しい人々に会いたくて、歩き廻った。今は、どうだ、もう、人に会うよりも、木を眺めている方が、心に合致している。木の声を聞いて。
1512. 困った者だ。いつも、極端から極端へと歩きたがる。中庸ということを知らぬ。壊れても仕方のない歩き方だ。
1513. 歩行の果てへと思っていたが、歩行の中心に、それは、在った。
1514. 生老病死があるから、(私)は四苦八苦して生きる。で、不条理だから、祈る。無限に。
1515. 酒は、たゆたいが一番である。日常から虚空へと少しだけ浮遊して。
1516. 思考の振幅は、思考の強度に転じなければ。
1517. 石割=(石工)は、時間の職人である。
1518. おそらく、(私)の出自を語るだけでは足りない。言葉の出自も、思考の出自も、語らなければ(宇宙)は顕現しない。
1519. 軽みもセイカツのうるおいであっていい。悲嘆、悲痛、悲惨ばかりでは、日が湿って暗くなる。
1520. アレに手を出し、コレに手を出し、いつまでたっても、焦点の定まらぬ男だ。終に(私)まで見失って。
1521. 手綱は決して手離さないこと。(私)が馬か、(馬)が私か、ホラ、わからなくなる。
1522. (声)の中に、(文字)の中に、(神)が現れるまで、ニンゲンにとって(神)は存在しなかった?
1523. ニンゲンは、生きるためにモノ(生きもの)を食べる。悲しい、美味しいと思いながら。(原点)
1524. (食べる)ことの罪を追求しはじめると、水も空気も、飲んだり、吸ったりできなくなる。
1525. ニンゲンに何ができる、
ニンゲンは何処まで行ける、
二つの声は、(私)の中で、鳴り続けている。
1526. 原子よ、あなたは、なぜ、生命になったのか?
1527. 食卓は、いつも、殺生の場である。だから、ニンゲンは祈る。救いはないが。”いただきます” ”ごちそうさま”と。
1528. 「食べる—食べられる」は、もちろん「殺す—殺される」からくる。殺気立ったり、笑ったり、不条理極りない。
1529. ドストエフスキーを読むと、いつも、時空を超えた(無限)に触れられる。
1530. もともと(生きる)ことから脱臼している男がいる。何をしていても、ついでに、やっているふうに見える。生きているのに、終ってしまっているニンゲンだ。
1531. もちろん、底辺から頂点まで、あらゆる音と声と言葉が響かねばなるまい。
1532. 一日は、いつも、新しい日だから、(私)も、日々、新しく在る。
1533. 静かに、静かに、(私)を沈めていくのだ。流れた暦の底へ、先祖たちの魂の底へ、垂直に、ゆっくりと、どこまでも。(元型)に至るまで。
1534. 来る声と沸きあがる声。(私)へ、(私)から。発火点はどこだ。
1535. (私)の方法は、
右手に「人間原理」を
左手に「宇宙原理」をである。
1536. 「もう、ものいわん人になってしもうた」6歳の少年時、棺に身を投げ放った母の声が、まだ、耳の底に残っている。
1537. 考えても、どうなるものでもないことが、多すぎる。だから、素手で、素足で、生きている。
1538. すべての物語は、ヒト、モノ、コトに会って別れる話である。
1539. 木に木目があるように、石にも石目がある。もちろん、ニンゲンにも、似たものがある。”生れつき”である。
1540. おかしなことに、信仰などもっていないのに、(神)については、考える。どうも、信じるという(宗教)の神ではなくて、(存在)の神についてだ。
1541. ペラペラの、凡康な日々に、その軽い存在に、飽きて、倦んでも、ニンゲンのいる場所だから、逃げられない。歯がみして。
1542. 決して(文学)の中で(文学)を語らないこと。ニンゲンを語って(文学)になるべきである。
1543. 小さな必然と、大きな偶然が、(私)の歩行を決定している。
1544. 原因から結果への条理ではなくて、大きな縁による命運が見える。
1545. 自力といい、他力といい、意識のあり方をめぐる考察であるか。その先へと歩け。
1546. 悲嘆する人、哄笑する人、正に、存在の収縮と拡散である。
1547. 外部を内部へと転移させて、暗黒宇宙に浸る頭脳。
1548. ふつふつと煮えたぎる情念の切断は、声を殺して。
1549. 無限の物質量の海に、(私)を放って、ささやかな抵抗をする。一瞬を無限へと念じて。
1550. 視点を高次元へと運び続ける。どこまで、ニンゲンでいられるか!!
1551. ぐるぐると、毎日廻っている地球の習慣が棄てられなくて、重力に喘いでおる。
1552. 脳がなくても考える。単細胞生物の粘菌。だから、脳よりも(私)なのだ。
1553. 同時代に生きていると、どこにいても、似たようなことを、考えてしまう。思考は伝染する。
1554. もう、生きるのはイヤダという声、
まだ、死ぬのはイヤダという声、
宙吊りである。
1555. 生きてもダメ、
死んでもダメ、
いったい、どうしろというのだ。誰の声だ。
1556. (無縁社会)という言葉の背後には、人は、縁によってつながっているという仏教の思想がある。
1557. 血縁、地縁、職縁(?)他に、どんな縁があるだろうか、生きるも、死ぬも、縁次第という日本人らしい、古層からの発想が脈々と生きている。
1558. 作られたもの(被造物・被造者)が作ったもの(創造者)を思えない訳がない。
1559. ニンゲンの世界には、確かな(善・悪)がある。物質の世界には(在る・無い)があるだけだ。
1560. 生命が、光の化石から誕生したのか、暗黒物質から誕生したのか、宇宙にとって、正に、大問題である。
1561. グレート・マザーは、いったい、誰なのか?
1562. 国と国の、損益が、ものごとを判断する最大の基準になっている。坂本竜馬が生きていれば、”宇宙の時代ぜよ、現在は”と叫ぶだろうに。
1563. 今日のメシか、明日の夢(ヴィジョン)か。「問い」を生きる。
1564. 関係の、関係の、関係ばかりが声高かに叫ばれている浮世だが、一度、時代を、生命を、垂直に、時間で、考えてみるべきだ。
1565. 生きるためにすべてを、実行しなければならないのに、AもBも、拒否したくなる心性。
1566. 日々の生活は、変わらないのに(私)は、まったく別のニンゲンになってしまう。そんなことが起こるのだ。
1567. モノの見方が変われば、考え方も変わり、(私)は、一気に、深くなる。
1568. 考える視線がどこまでとどくか、ニンゲンの。
1569. 切断。思考の。視線の。触感の。音感の。混沌が来る。静かな。
1570. いったい(私)に、ニンゲンに、客観的な視点に立つということが、可能であろうか。確かに、第三者の、神的な、視点を設定することは可能だ。しかし、それは、あくまで(私)が、そうするのだ。すべては、見る人、語る人、描く人の色に染まってしまうのだ。
1571. ニンゲンは、仕掛けられて(何に?誰に?)偶然に、顕現した(私)を、追求する旅しか、出来ない存在なのかもしれない。
1572. ニンゲンである限り、誰もが、全員が(病者を除いて)働かねばならない。仕事は、衣・食・住を得るための(社会的な私)の場であるから。
1573. 流されて、結実しないものの、なんと多いことか。
1574. 区切り、段落、境界が溶けている。
1575. 太陽を真似て、原子の爆発を作ってみたニンゲンであるが、同じように、時間を空間を作り出せるだろうか?
1576. 生れた苦しみは、誰でも知っているが、生まれなかった苦しみを、考えられるか?
1577. (私)という形態に進化して、数億年、さて、これから、どのようになろうとしているのか。昼寝のときの考えである。
1578. (私)自身が耐えられる限り、その言葉を、他人に投げかけよ。
1579. その日常は、そのまま、続けられるのに、突然の切断。血も流れる。心も切れる。何よりも、平々凡々と続いてきた一日、その一日が絶える。
1580. 人は、なぜ、死を悼み、悲しむのか?殺してしまった、もう一人の(私)を、死者の中に見ているからだ。
1581. 分裂がある。葬儀の日は。生きると死んだ、に。ひび割れに身を横たえるのが辛い。
1582. その一言を言いたいために、千枚の長篇小説を書かねばならぬ、曲り道。曲がらねば見えぬものがあるために。
1583. いったい、誰が、赦しを与えるのだろう?なぜ人は、赦されねばならぬものを抱え込むのだろう。応えのない沈黙の中で、恐怖を感じてしまう人の心の在り方は、決して、癒されることはない。
1584. 頭も心も空にして歩いてみる。アッという間に(私)はコトとモノに染めあげられた。
1585. (信用する、信用しない)(信じる)(信じない)という、ニンゲンの、判断の根底にあるものとは、何か?心の水準器。
1586. 闇の子か、光の子か。
1587. ニンゲンのなぜ?は、宇宙のなぜ?にならない。
1588. 形をもつモノ、この、気の遠くなるような時間の果てに顕現したモノ、の奇妙さ、不可思議は、毎日、毎秒(私)を刺激する。
1589. 熱がでると、必ず、もう一人の(私)が現れる。
1590. 下痢が続くときには、つくづく(私)は、筒だと感じるし、外と内の境目が消えてしまう。(私)は、私を、すべて、下痢してしまいたい。
1591. 今日も(考える)が生きている。
1592. 生きてこそ、は、死んでこそ、でもあった。死者たちの音信がとどく日々である。
1593. 生きる現場から立ちあがってくる「問い」と、「問い」そのものを生きることとは、やはり、ちがう。
1594. 「死」の問いかたひとつで、そのニンゲンが、何を、どのように生きているのかが、わかってしまう。
1595. 突然、「物」が露出すると、ニンゲンは、あわてふためき、眩暈がして、吐くか、放心する。そして「物」をなんとか料理して、(私)と融和させてしまう。
1596. 生きて、身をもって考えて、歩をすすめる人がいる。あらゆる(知)を吸収して、学問する人がいる。本気で、考えているのは、どちらか?
1597. 簡単が最も深い(生きる)
易しいが最も難しい(死ぬ)
1598. 与えられたモノだけを食べているニンゲン。時間を食べ、空間を食べ、モノを食べ。
1599. 夢も、また、(私)を、(無限)へと開く、ひとつの装置にちがいない。
1600. どんな場所にいても、どんな時代に生きていても、(私)は、(無限)へと開かれて在る存在である。
1401. ニンゲンとして在るのではない。ニンゲンに成る可能性として在るのだ。だから、ニンゲンとは、Xである。(私)は、可能性の魔になる。
1402. 簡単明瞭(シンプル)が文章の極意だ。
1403. モノ自体が在るように、言葉も在れ。
1404. 肩の力を抜いて生きる年齢なのに思わず力瘤が入ってしまう時がある。やれやれ。
1405. いつまでたっても、他人を傷つけ、他人に傷つけられ、人間関係を超越できぬ。自然であるか!!
1406. 機に応じる。最高の時も、最低の時も。
1407. 他人が考えたことを、(私)も考えてしまう。結局、つきつめると、同じところに落ち着くのか。
1408. 心が泡立って、心のコントロールがきかない。
1409. 知らない(無知)と、どうしても、知ることができない(無知)はちがう。千里の差がある。
1410. 抗いのあとの、締念であろうか、ものがみな美しく見える。
1411. 量子よ、(私)を迷宮へと放り込まないでくれ。
1412. 握手をする手が、戸惑っている。本当に、これが、あなたの手か、と。
1413. 一行の文章が人生に拮抗できる訳がない。無数の言葉を放っても。それでも、(私)は。
1414. しかし、一言半句が欲しい。作家の性か。
1415. 誰かが、燐寸をすっている。(私)の中に、火が点いて、勝手に、燃えあがっている。
1416. なぜ、生れる(私)と生れない(私)に別れてしまうのだろう?
1417. 現れなかった、もう一人の(私)のために、(私)は、非在者の宇宙を想像する。
1418. 見るということの限界に、死刑宣言を出したのは、量子力学である。
1419. 見るが壊れる、考えるが崩れる、いったい、どうする、ニンゲンよ。
1420. 思考にかわるものを、思考で、思考しても、所詮、無理な話だ。もっと、別の、スタイルを。
1421. ニンゲンは、自分の蒔いた種子しか育てられない。
1422. (私)は、(私)だけを生きているのだろうか?何?誰が(私)を生きている?
1423. 生きている、ということの質と幅を、もう一度再考しなければならない。
1424. 「集合と分解」の真只中に立っている。
1425. どうしても、ニンゲンが死んで(無)に至ると思えない人がいる。どうしても、死ねば、すべてが完全にお終いで(無)に帰してしまうと考える人がいる。そして、(無)という訳のわからないものに、(死)という、訳のわからないものに、いつまでたっても、
答えが出せずに、揺れ続けている人がいる。
1426. まあ、とりあえず、突然(私)に気がついて、不意に(私)を発見して、驚いたのだから、生きるということだけしていよう。あとは、野となれ山となれだ、と(生)の後を考えない人もいる。
1427. 白川静なら、おそらく、神は、漢字の中から起ちあがってきたと語るだろう。
1428. わかる瞬間には、透明な火花が散る。快感が風となって(私)の中を吹きぬける。
1429. 長い間、考えあぐねていたことが、ひょっとした瞬間に、飛びだしてくる。”解”となって。
1430. 信が置けなくなると、何を言っても、何をしても、必ず、疑惑の眼で見られてしまう。
1431. 堂々としている必要はないが、せめて、自然態ではいてほしいものだ。伏目がちに、背中を丸めていると、その姿、形が不信を生む。
1432. 自分自身に甘い人は、他人の眼が、どこまでとどくか、知らないのだ。腹から背中まで突き抜けてしまう力が、他人の眼だ。
1433. ニンゲンは(考える)という思考のパターンの外へは出られない。やれやれ、石との対話、蟻との対話もできないとは。
1434. 考える(私)は、考えられる(私)でもあるのに。
1435. (私)から発する言葉と、(社会的な私)から発する言葉では、言葉の筋目がちがう。
1436. 彼は、そういう人間だよ。まったく、あいつらしいね。他人がそういう時、おそらく、正確に、その人を捉えている。しかし、言葉で、その内容を語ってみようとすると、これが、なかなかむつかしい。
1437. 人は人の何を捉えて、その人を語ってしまうのだろう。おそらく、性格や資質や傾向だけでは納まりがつかぬ。その人がその人である不思議がある。
1438. 知識や知恵を身につけて、生きているが、ニンゲン自身は、いつも、それらを超えている。
1439. 思考の癖、心のありよう、身の処し方、一人一人に固有なものが、生れつきと呼ばれてしまう。変えようがない。おかしなものだ。
1440. 学習しても、知識を得ても、情報を知っても、決して、身につかぬものがある。魂の私の姿。
1441. (私)が、もう一人の(私)に再会するために、(生と死)という旅をしているのであれば、最後の楽しみは(死)ではあるまいか?(宇宙の双子の私)
1442. 見ることは見られること
触ることは触られること
考えることは考えられること
(私)が(私)を
1443. 書くことは消すことでもある。
1444. 来たものは、形を変えて、文字というものになってしまう。
1445. で、来たものは、書かれて、完成して、消えてしまうのだ。
1446. わかるということは、文字・文章を読むことではなくて、文字・文章になったものを知ることである。
1447. (私)を考え続けることが、一生である人がいる。生きるために考える人、考えるために生きる人。(考える宇宙)
1448. 無いものを見てしまった人は、いったい、どうなるのか?眼が狂っている?(私)が狂っている?いいや、(無いが在る)世界に超翔したのだ。
1449. 一日中、どこにいても、居心地がわるくて仕方がない日がある。(私)の着地している場所と(私)の存在が、磁石のプラスとプラスのように、反きあっているのだ。時空と、上手く、握手できない日は、辛い。
1450. (私)の過去が見えるならば、(私)の誕生以前の過去も見えるだろう。
1451. (私)は、いつも、現在に触れ続けているのに、その現在が、(私)の過去を妙に、変えてしまう、そんな力をもっているような気がする。(時間という魔)
1452. 時間の、不可逆性も崩れるかもしれない。(過去⇒現在⇒未来の破壊が起きる)
1453. 何度も、何度も、心が折れる。生きている証拠だ。死者たちは、もう一切、動じない。生者は、身をふりしぼって、ふたたび出発する。(私)として。
1454. 顕現しようとしているのに、触れようとしているのに、見えない、見せない、ある力があって、あと一歩、紙一重のところで、ソレは逃げて隠れる。あーあ、溜息。気配までは感じているのに。
1455. 見れば、ソレが解体し、見なければ、結晶する。考えれば、逸脱し、放っておくと、本然として在る。困ったヤツだ。ニンゲンの手に負えない。
1456. すべては、不意に、突然、やってくる。で、慣れてしまうと、普通になる。(私)に気がついて。驚いた日は、どこへ行った。
1457. (私)とモノやコトが、溶けあって、感応している時、(私)は、思考以前の世界に、漂っている。外もなく、内もなく、たゆたう(私)の快楽の時。
1458. 原子が、一生懸命に、原子自身を覗き込んでおる。(私)と同じだ。
1459. 不可能を語るために出発した、長い、長い、旅ではなかったか?
1460. いつも、考えるということの外へと超出してしまうもの。なぜ?どこへ?さあ、どうする?
1461. ニンゲンは、いったい何を語ってもらいたいのだろう。どんな声で、どんな詩を。コレも良し、アレも良し、と。全肯定の歌か。コレも不能、アレも不完全と、全否定の終末の歌か。
1462. 時空に織り込む。あらゆるものを。
1463. 形があるから、不条理が生れる。しかし、形のない(私)などない。
1464. 池田晶子という光線はどこから来るのだろう。無限遠点に立たねば、その姿が見えない。
1465. (私)を生き続ける本能の力。もっと強く、もっと長く、もっと豊かに。意思を湧きたたせる肉体の増殖。(私)は胃袋、(私)は腸管。
1466. もう少し生きよう、と(私)が思うよりも、もっと、深いところで、身体が生きている。
1467. 「器官なき身体」(アルトー)になって、(考える)だけが、時空に存在する、それは、夢のまた夢であろう。
1468. 無が思考している。無を思考しているのではない。
1469. アンチ・キリストのニーチェの声に耳を傾けていると、無神論よりも進化論の響きに似ている。
1470. あまりにも過剰な生は滅びやすい。叫び声よりも、呟きがいいに決っている。閑かに、深く、(私)を呼吸するリズムが、よく生きるニンゲンには、相応しい。
1471. 闘いだ、闘いだ、決闘の時が来た、とある友が歓喜の声をあげた。やれやれ、戦時が好きなニンゲンは、手に負えない。勝手に、敵を作ってしまう。
1472. 欷歔する人を前にして、黙って、閑かに、佇んでいた。去りかねて。
1473. ものを書かない、「本」を読まない日々には、ただ、「現場」で、行動して、考えていた。他人の言葉は、もう、要らなかった。
1474. しかし、(私)が痩せないためには、滋養になる「本」、心が静かになる「本」を読む必要がある。
1475. (私)が書くというよりも、来るものに掴まえられてしまった(文)の方が生気がある。
1476. もう、文章に論理を追う頭脳よりも、声を追う耳を楽しみたい。姿を追う眼を愉しみたい。
1477. 存在というから重くなる。余分な意味が付着する。「あるモノ、ないモノ、あるコト、ないコト」とすれば、実にシンプルである。
1478. 足の時代があった。歩いて、歩いて、夕暮れが来て。
1479. 奔走する民。(私)も、また、その他大勢の民として、東へ、西へ、南へ、北へと走る。跫音を追って。あの人の声を頼りに。
1480. (私)を維持するためには、最低限のモノは、持たなければ、生きられぬ。モノがあふれて。(私)を縛ってしまうと、モノの中に埋没する。結局、すべてのモノを棄てて旅立つのに。
1481. 岩、石、砂利、砂、土、泥。時が流れると、見事に、形が崩れてしまう。川を視よ。
1482. イルミナシオン・天啓がやってきた。(私)の全細胞の眼が開いた。
1483. やはり、有限者は、有限から発して、無限を考えるしか術がない。
1484. 実体(実存)の影ではなくて、(私)が(私A)と(私B)になる。分裂というのではない。二重人格でもない。正に、正常に、そう在るのだと告げられて。
1485. とにかく、行けるところまで行ってやれ、(私)は(私)を限界まで使用してみる。誰も文句は言うまい。難破しても。
1486. アンドロメダ銀河よ、あなたたちの星々では、生命は誕生したか、高度に成長しているか?ニンゲンが滅びないうちに、うちの銀河へ探索の旅にでも来てくれないか。まだ、当分は、こちらからは行く力がない。
1487. (私)の中には、まだ、現れようとして、現れかたのわからないものが、いっぱい存在している。心も身体も、新しい回路を開けてやれ。
1488. 宇宙には、モノが在るように在る、その在り方とちがう在り方が、いっぱい、眠っているかもしれない。一切の、モノの見方が通用しないだろうが。
1489. 子供の頃に、使っていた、感情や思考の回路が、大人になると、閉じてしまう。で、使用できない。かすかに、その断片が、夢や記憶に顕れるのだが。取り出せない。そこには、使わなかった(私)がいる。
1490. 深夜、床の中で、眼を閉じる。不意に、人の顔が、次から次へと浮かんできた。見たこともない、人の顔、あまりにも、出現するので、どれか、ひとつくらいは、知っている顔がないものかと、凝視した。大きさも、来る方向もまちまちだった。とにかく、妙な経験であった。どのくらい続いただろうか?眠りが来る前の、まだ、意識が、明晰であったので、なぜ、不意に、見知らぬ、無数の顔たちが、(私)に訪れたのか、その意味をしばらく、考えていた。わからない。そして、本当の、眠りが来た。決して、夢ではない。
1491. 死ぬことは、死んだニンゲンに見慣らうしか術がない。
1492. 練習(レッスン)は、あらゆるものに必要である。死を実践する前にも、練習(レッスン)がいる。
1493. お礼は、必ず、形にしなければならない。思っているだけでは、お礼にならない。
1494. 若い時に、身につけた、習慣が、年をとって、やっと、理解できた。「他人に会ったら、笑顔で、」と。
1495. (ある)と(ない)があるが、
(ある)は、指し示せても
(ない)は、指し示せない。
(死)は、(ない)であるが、
頭では考えることはできない。
表現は、(ない)ものを、
説明できるが、(ない)
そのものを表せない。
1496. ニンゲンは、「科学の法則」には、なれない。いつも、矛盾をかかえ、矛盾をも生きてしまう。
1497. たかがニンゲンに何が出来る。いつも、耳の底に鳴り響いている声。ニンゲンは、考えられる限りのことは、なんでもやってしまう。心の中の声。
1498. ものを考える、ものを書く—表現という行為は、実戦の為の地図であるから、無用という訳ではない。その行為がなければ、人間は、どんな指針のもとに、どんな目標をたてて、実戦できるというのだろうか?すべては(考える)からはじまる。
1499. (生の現場)に傍観者はいない。
1500. (知)を持たない人は、そのまま、闇の中にいろと、誰か、偉い人が語っていた。びっくりである。愚者も、また、生の盛りを生きているのだ。
1301. 耳を育てる。「耳順」に至るまで。
1302. 思考のキメイラが、次から次へと、(私)の中から起ちあがってくる。
1303. 見るけれども見えず、聞くけれども聞こえず、もう一度、眼と耳を洗濯せねば。風が吹くまで。
1304. 衰弱した、劣化した、言葉ばかりが入り乱れている。もっと、空気を。もっと、熱情を。
1305. 断念の中にこそ、火が燃え盛っている。静かな火が。
1306. 言葉を上手に使用する人は、正しく、ものを考えられる人だ。
1307. 問いに対しては、決して答えない。いつも、沈黙で応える。
1308. (知)もいらぬ、(意味)もいらぬ、ただ(在る)だけで生きている人がいる。
1309. 「このことは、秘密だ、絶対に、他人には言わないように」約束は、いつも破られてしまうのに。
1310. ここは何処?いまは何時と言った(少年)が(私)の中に棲み続けている。
1311. ニンゲンは、正しく考えることも、誤って考えることも可能である。(自然法則は、たったひとつだ)ニンゲンの自由度には、幅がある。
1312. 「経験」の総体としての(私)が考える、「存在」としての(私)が考える、どちらが(普遍)に至るか、わかるだろう。
1313. 科学は、(私)は考える、を説明できない。考えるという自由。
1314. ニンゲンを見る。男を見る。女を見る。まったく、別のものを見てしまう眼がある。
1315. (私)は、私だけのものではない。誰が(私)を所有できる?(私)をはみだしてしまう(私)を。
1316. 「嘘も方便」という東洋人(ひと)。「あらゆる嘘は罪だ」という西洋人(ひと)。原理はどちらにある?生きやすいのはどちら?
1317. 幸福は、一人一人、ちがうものだ。ゆえに、国、総理が、「最小不幸社会」をめざすというのは、誤りである。他人も、社会も、国も(私)の幸福は決められない。
1318. あらゆる問いに、長い、長い、沈黙の後で、(無)という答えがあった。寒い、凍りついた。
1319. すべての、音信が無化される。淋しいね、畏ろしいね。宇宙よ。
1320. もう、他人には問うてはならぬ。随分と、生きてきただろうが。答えは、必ず、生きてきた経験の中にある。
1321. 問いを宙吊りにして放り出してしまった者(ヤツ)。それも、答えのひとつか。
1322. (私)から発する声には限りがある。やはり、来るものを待たねばならない。
1323. 群れで生きている限りは、ニンゲンは、いつでも、他人に足を踏まれたり、他人の足を踏んだりと、良心の痛む生存競走を強いられる。(罪)のない人はいない。誰も、(罪)なくしては、存在できない。
1324. 秋、歩いていると、花や風に心を煽られる。人に、感動することは、実に少ないが。死者たちの声だけか。
1325. 書いても、書かなくても、知っても、知らなくても、生きてみれば、結局、同じことか。いや、ちがう。
1326. 浅くても、深くても、生きられる。横へ、横へ、垂直にも。
1327. 錐の穴、鍵の穴、水の穴、ブラックホール・星の穴、孤独の穴。
1328. 正体丸だしの、哀れなこと、もう、逃げ場がない。
1329. 肉体の殻、精神の殻、破れやすいのはどちらだ?
1330. 生き急いでいる、片をつけようとして。のっぺらぼうを相手に。
1331. 触る他人の手がない場合には、右手で左手を触る。
1332. いつも、(私)の中に(貧)を飼っておくこと。
1333. 衝突ばかりしている。たまには、握手してみろよ、私の(私)と。
1334. 慣れることがない、いつまでたっても。足の裏のヒリヒリ。
1335. 移動に次ぐ移動である。仕方がないか、時からは逃れられない。全身を摑まれているから。
1336. 最後の問いが発せられるとすれば、さて、(私)は、何と、言うだろうか。やはり、(私)は何処にいた、(私)は何処へ行く?か。
1337. まだ、(私)が一人であるのか、(私)(私)の二人であるのか、勝手に、決めないでくれ。あなたには、見えるのか?さあ、握手してみろ(私)と。
1338. まだ、(私)の中から、何がでてくるか、わからないのに、あなたと、(私)を同じニンゲンだと、決めないでくれ。さあ、(私)を叩いてみろ、どんな音がするか、とあの人は言った。
1339. 何かを作ることが、大事なのではない。(私)が何になるのか、それが問題だ。
1340. (私)であると断言できる人は、幸せだ。宙吊りに気がついて、迷わなければ。
1341. 情報のイン・プットと情報のアウト・プット。やれやれ、ブラック・ボックスを見てもいないのに。
1342. いつも、存在へと着地しているはずだが、今日に限って、影の上にいるようで。
1343. 秋の風が吹いた。青空に光子が踊っている。眼が歩きはじめた。高い、高い空へと。
1344. 本当に、時間に(量)などあるのだろうか?勝手に、ニンゲンの物差しで計って。
1345. 普通に生きていると、意識に(死)は訪れない。生きる、生きる、生きるばかりだ。
1346. (感覚)は、実にあいまいだ。同じように視覚も、実にあいまいだ。ならば、混乱し、麻痺する感覚の中に、(真)を求められるわけがない。見ることは、何か、わからないものになることだから。それでは、生きて、生活できないから、視たものを(現実)と、仮に呼ぶのだ。理性で。
1347. 曼茶羅の製作に熱中した空海も、ダイアグラムの制作に熱中したアラカワも、人々に、眩暈を起こさせて、ここにいながら彼方へと連れていくのだ。空海の、アラカワの、イデアの中へ。
1348. (私)に揺さぶりをかけてみる。全感覚が狂ってしまうほどの。何が、出現する?新しい(私)だ。
1349. 文章のリアリティとは、不思議なものだ。その人が、生きたように、考えたように、立ちあがってくる。呼吸だ。
1350. (私)は、文章になろうとしている、いや、いつも、文章の外に立っているので、いくら(私)を描いても、(私)は、どこにも、見あたらない。では。文章になってしまったのは、誰だ?
1351. (私)を書くことは、不可能だよ、と、文章の外に立っている(私)は、言い続けているのに、いつものまにか、文章の(私)は、私に似てきた。
1352. どこにもない場所から声が響いてくる。耳は何をしている?耳は、本当に聞いているのか?
1353. 響きあって、揺れながら、揺れながら、いつのまにか、音のない音になってしまったから。
1354. 眼、見ているだけで、考えない。しかし、考える人を、凝っと見ている。宇宙に、眼。
1355. どうも、(私)のいる、時空が落着かない。彼方にもいて、ここにもいて。しかも、同時に。
1356. 義理をそのまま、実人生で実践する、すると、必ず、躓いてしまう。転びかたも、発見への入口である。
1357. もう、仕方がない、ずっと時間が流れていたから。さあ、行こうよ。
1358. 心配で、心配で、心配の種子をかかえ続けるのが母であるらしい。老いた母を見て。
1359. 終日、兼好の声と(私)の声が響きあっている。700年の時を超えて。もう親友だ。
1360. 原子爆弾に次ぐ、大きな、大きな、爆弾でなければよいが、万能細胞よ。科学は、いつも、危険と背中合わせだから。
1361. 1.(私) 2.あなた 3. 彼等、彼女等。数の原理はこのように、出発したのか。そして、10本の指から。
1362. 論理で考える人、直観で考える人、形式で考える人、いづれにせよ、(考える)手法を選ばねば、考えられまい。
1363. 心は、一生、泡立ったままであるから、死んだ時くらいは、魂は、鎮まってほしいものだ。
1364. 四苦八苦の生涯だから、息が切れたら、苦痛も痛みも、きれいに、消えてほしい。浄化されるためにこそ、ニンゲンは祈るのだ。
1365. いい詩人たちは、若くして死ぬ。高齢者になると、高齢者の詩も読みたい。どこにも、まだ、読む詩がみつからない。
1366. ニンゲン、急に、あり余る自由を与えられると、必ず頼むから、命令してくれ、束縛してくれ、と叫ぶに決まっている。自由は、不自由でもあるから。
1367. 場を奪われると、植え変えられた庭木のように、枯れてしまう、種族(タイプ)がいるものだ。もとの、水と、土と、空気が欲しいのだ。
1369. なぜ、自ら、書かなかったのか!!孔子よ、釈迦よ、ソクラテスよ、イエス・キリストよ、声の時代は、声を放つことが、真剣勝負であったのか。弟子たちばかりが、書いている秘密がある。
1369. 声に感応するニンゲンの時代よ、来い。
1370. 単純に、視界が広がって、空が大きく見える場所で、心も、大きく、呼吸してしまう。
1371. 放心から凝視へ。時の淵に佇んで。
1372. 風景が壊れる。(私)の宇宙が。見ていたのは、いったい、何だったのか?
1373. 風景を眺める、末期の眼には、みな、美し。
1374. まだ、まだ、来る、来る、問題の束が、(私)に襲いかかってくる。生きているから。
1375. 「空(カラ)」にしておけばいいものを、なかなか人は、(私)を「空(カラ)」にしておけない。我楽多で埋めてしまう。
1376. 放っておけば、自然に、モノを考えるようになる。熱がでるように。深く、強い必要に強制されて。
1377. 人は、おそらく、いつもの、その人が考える世界に棲んでいる。
1378. 空虚から吹きあげてくる言葉こそ、本物だろう。
1379. 何もしないでいることも、随分と、エネルギーがいるものだ。
1380. ただ、在れ、そして、考えよ。
1381. いつも、永劫の一瞬に起っている、その驚愕。
1382. 蝸牛の角は、小宇宙を探るアンテナである。(私)も、いつも、透明な角を出しているが。
1383. 見たくもない、隠しておきたい(私)を白昼の光の中へ、闇の底から引きずり出してくる。
1384. 叩いても、叩いても、同じ音しかださなくなると、人は自分に飽きてくる。もういいよ、充分だよ、と。
1385. ニンゲンの大問題は、もちろん、(私)の死である。誰彼の区別もなく、容赦もなく、100パーセントやってくる(私)の死である。何も役に立たない。賢者も、天才も、聖人も、為す術がない。翔ぶしかない。彼岸へ、無へ、宇宙へ。
1386. (私)という身体は、いつか滅び去る。それでも、永く残したいという奇妙な欲望は、いったい(私)の何を残したいのだろうか?(書くことの根底にあるもの)
1387. 目的も無く、清算もなく、企てもなく、ただ、ただ、来る声に耳を澄まして、ノオトに記す行為が、アフォリズムになった。(私)は私を、救済しているのかもしれない。破綻と破滅から。
1388. 心の軽さと重さについて。会社を離れ、人との縁が薄くなると、(私)の、本当の楽しみが味わえる。関係の中に生きるリアリティと関係の外に立つリアリティ。
1389. 人間関係の中に閉じ込められていた。一歩、引いていた言葉が、引退すると同時に、裸のまま(私)の中からとびだしてきた。まるで、言葉のシャワーである。
1390. 色気づくのは、心か身体か?本能だと言えば、見も蓋もないが。
1391. 「徒然草」は、まだ、現代でも、新らしいぞ。超高齢者社会にピッタリの声だ。
1392. 絵画を眺める。ルドン、エッシャー、荒川修作。眼が考えてしまう。異空間へ。
1393. 音楽に身を委ねる。耳が時間を呼びこむ。
1394. なかなか、文章が齢をとれない。これは、決して、いいことではない。
1395. どうしても、空を、眺めると、空が、何もない空間に見えない。エネルギーが充満していて、光の独楽たちと、踊っているのだ。空間で。
1396. ニンゲン、一日を、どう生きても、パターンができる。食べる。歩く。働く。眠る。欠かせない要素が、「人間原理」を決めてしまうから。で、時間がない。
1397. 遠くの星、何億光年も離れた星を見ることは、どうしても(過去)の星を見ることになってしまう。不思議だ。(現在)は、近くでしか、発見できない。光は、唯一、その音信を含む存在である。見るは、知ることそのものではないが、考える、補助線にはなれる。わかるね。
1398. 両手の指を折って数える。10本と。原理は、そこから起ちあがってくる。(発想の根)
1399. 日々の、世事の、生活のアレやコレやを片付けていると、何も、特別にしている訳ではないのに、人は、一生を終えてしまう。世の中には、片づくことなど何もないと、若いうちに、思い知るべきなのだ。
1400. 存在の種子の出現は一番の驚愕である。
1201. 禅は、ベイトソンの「ダブルバインド」に通底している。
1202. ニンゲンは、どの道、破れ去るものだと看破した人は、一瞬の、一日の時間を生きられる。輝やいて。
1203. 頂点にのぼりつめた人には先がない。敗れ去った人には、見果てぬ夢がある。
1204. 毎年、猛々しく緑を誇っていた夏草が、今年は、枯れてしまった。今日は9月1日。真夏日の光が充ちている。
1205. 死んで仏になる。死んで鬼になる。鬼眼とは死者の眼のことだ。
1206. 生かしもし、殺しもする声が同時に来る。いったい、何が、何をしておるのだ。
1207. 無相であって実相。イデアの見える人、見えない人。
1208. ただ、破顔の人を見た。意味を求めてはならぬ。
1209. (私)の中にあるから、外で発見される。
1210. 読むことは、読むことではない。読むことは、考えることである。
1211. アフォリズムは、言葉の原子核だ。
1212.宇宙での、絶対的な、生の一回性の現象である(私)がいる。いつも、出発は、そこからだ。
1213. 肉は悲しと、ニンゲンの身を嘆いてみたとて何になろう。存在の、変容の、夢くらいは語ってみようよ。
1214. 荘子の、存在への畏怖と、ニンゲンへの哄笑は、もっと、もっと、学ばねばならぬ。
1215. 壊れかけたニンゲンが叫び声をあげている。視ろ、その人を。何か言ってみろ、叫び声と同じくらい重い、言葉で。
1216. 近頃は、ニンゲンのもつ自由度ということばかり考えている。
1217. ゴルフには、百点満点というものがない。まるで、人生と同じだ。
1218. 強さに加えて、やさしさの裏打ちがあれば。
1219. 極悪人は、決して、他人の立場に立たない。
1220. 評価の極意は(無私)
創造の極意は(憑依)
1221. ツイッター(呟き)ではありません。アフォリズム(イデア)です。
1222. モノが裸になっているのに、その丸だしのモノが見えない人がいる。
1223. 伝え得ぬものを伝える人は、いったい、どうして、ソレを伝えているのか。
1224. アフォリズムも、そろそろ、現象から、イデアへと踏み出すべき時である。
1225. 心の高さだけは、いつまでも求め続けたい。
1226. 欲しいものがない子供たち。そんな国が、どうして、貧しいのか。
1227. 沈む国、傾いた国、さて、そんな国で、どのように生きていくか。
1228. ビジョンをもたない権力者ほど始末にわるいものはない。
1229. 無能は、ほぼ罪に等しい。人の上に立つ限りは。
1230. 政治家は、その国の、国民のレベルで育つものだ。
1231. 白紙の風景。何もないことの快感。解放と呼吸。
1232. 夢が告知する、明日の姿。で(現実)を修正する。
1233. (私)は、まだ、(私)の使用法をよく知らない。ニンゲンの眠っている能力を、使い方を開発しよう。
1234. 気がつくと、与えられていた(私)の条件の中で生きている、条件を破ってでも、生きてみる。
1235. 原子の幽霊たちが宇宙を漂流していおる。
1236. ニンゲンの手に負えないものがいっぱいある。大火事、大地震、大洪水、大津波、大噴火、阿呆ども。
1237. 「神は死んだ」と言うから、誤解が生じる。「神は爆発した」と言えば、どうか?
1238. (私)の生涯は、ひと踊りである。(A)
(私)の生涯は、暇つぶしである(B)
1239. 開けておけ、(私)を。
1240. (私)を閉じる人は歩いていない。
1241. 力は、いくらでも眠っている、(私)の中に。
1242. 身体の、数兆の細胞が眼をあけている。覗いてるのは、億という時間だ。
1243. 30万人目の(私)である。15万人の父。15万人の母。200万年間に、15万回の接合。本能、恐るべし。
1244. ニンゲンは、生命波である。実の波が生、虚の波が死である。もう、30億年も続いている生命波のひとつが(私)である。
1245. 眼の見方に慣れすぎると、見るという多様性を損なってしまう。
1246. 暑い、暑いと唸っていると、夜の闇の中に、虫の声が響きはじめた。今日は8月13日。
1247. 爆発しては、鎮まり、鎮まっては、爆発する。静かな時間は、少ないものだ。
1248. どんなに小さくても、
どんなに貧しくても、
どんなに歪んでいても、
(私)のスポットは必ず要る。
零の場には、人は立てない。
1249. 超えてはならないのが境界であるが、必ず、破壊して、跨いて、戻れなくなる人がいる。
1250. 高次の心には、夢が来る、幻が来る、死者の声が来る、魂が来る。宇宙と共振れしている無意識が。
1251. 一番はじめの、ニンゲンまで逆のぼってみよう。(私)の元型。
1252. 少年時に、無意識に書いたものが、暗号としての、曼荼羅であったとは。
1253. 分類にも、解明にも、探求にも、飽きた精神が、今は、ただ生きている。暇な時間を食べながら。
1254. 場に呼ばれている。歩くと、風景に巻き込まれて、折りたたまれる。
1255. 最近の政治家は、(国益=正義)を錦の御旗にする。なぜ、ニンゲンはと語れないのだろうか。視線が低すぎる。
1256. (私)は幽霊である。考える幽霊である。
1257. 西、東、北、南と空を見る。空の貌はひとつだと思っていたが、見る方角によって、みんなちがう。
1258. どうせ、ひと踊りして、消えていく身だから、踊りくらいは、自由にさせてくれ。
1259. モノを持つということが、どういうことであるのか、だいたいわかってきたのに、TVのコマーシャルは、もっと買え、もっと消費しろと、PRばかりだ。
1260. 呼吸もキレギレ。思考もキレギレ。モノとコトもすべてが、キレギレに、存在している。
1261. また来た!!何が?声になりたい声が。
1262. 言葉の外にある、と言葉でいう不自由さ。
1263. 普通に生きている、とニンゲンが思っている次元よりも、おそらく、心は、はるかな高次元へと行ける。
1264. 存在・物質の核となるところで、心は、その原子と結婚して、共揺れできる、ダンスができる。
1265. 若い頃、ある日、突然、会社へ行く意味(理由)を見失って、ふらふらと、一日、新宿の街を歩いていた。眩暈のする歩行だった。
1266. 真剣勝負の、対話、文章を教えてくれたのは、秋山駿であった。考えること、書くこと、生きることは、等価であると。ゆえに、(文章は、私である)と。
1267. 成長するに従って、ニンゲンの視界はひろがって、神の視点に立つことは出来ないが、心を高次の状態へと導くことは可能だろう。
1268. 重力と引力に抗って、抗って、生きている。光を求めて、闇に魅かれて。
1269. (私)をどこまでも堀り続けると「宇宙」になる。遠くまで行かなくとも、一番遠いところまで行ける。
1270. 夫婦喧嘩の9割までがお金をめぐるものだった。貧乏は、罪と悪を産む。そして、不幸を呼ぶ。
1271. 60億人のニンゲンが、勝手に、地球を汚染している。もう、地球は、悲鳴をあげているのだ。愚か者は、誰だ!!
1272. やはり、文章にも、器量がある。
1273. 日々の生活は、平凡である。しかし、一歩、生活の中に足を踏み入れると、誰の(現実)も、コトとモノが氾濫して際限がない。平凡も、どうやら、一筋縄ではいかぬ。
1274. 知っているのは、生きている(私)の、身のまわりのことだけだ。(私)は、毎日、アレやコレやを切り貼りしている。
1275. 吸う、吐く、呼吸も思考も同じことだ。空気が情報に変わるだけで。
1276. 夏の、熱い中に、(私)が溶けだしている。水を失なって。
1277. スポットに入ると、もう、そこは、無限思考の世界である。外部世界が消えて。
1278. 何時間でも、何日でも、黙って(私)と、踊っている。沈黙の対話。
1279. 時空に刻むしかない。何を?ニンゲンという存在を。
1280. (私)は、いつも宇宙の通行者であった。
1281. 風景も場も、時間を呼吸している。
1282. (私)という形が続く限り、(私)を使用する。たとえ、時間潰しでも。
1283. 暑さのあまり、精も根も尽き果てる。眠っても、眠っても、起きても、起きても、真夏日の、朝である。夏草も枯れて。
1284. 書くことで(私)が変わらねば、その作品は、必要ではない。墓地。死者たちへの回路。
1285. (おいしい)には、いつも、死の匂いが貼りついている。
1286. (食べる⇔食べられる)【表】
(殺す⇔殺される)【裏】
生きものたち(ニンゲンも)は、【表】と【裏】を生存の原理として、生きている。
1287. (食べる)のに、善も悪もない。ただ、食べたいだけ。(本能)
1288. 生きものを食べるのは(悪)である。(とニンゲンは思っている、感じている)良心。
1289. 生きものを食べるのは(善)である。(とニンゲンは、自己満足している)生命として。
1290. 馬はサクラとして食べ、鳥はカシワとして食べる。
1291. ニンゲンは、生命波である。波は、無限に連続して、生起しては、消える。そのひとつの波が(私)という生命波である。見える波(生)見えない波(死)が交互にねじれて、存在の地平線に押し寄せている。
1292. (私)に至るまでには、10万人の父、10万人の母がいる。生命の系統樹。つまり、生命波。
1293. 言葉が(現実)にとどかない。しかし、絶句、沈黙している場合ではない。そういう時が、必ず、ある。見たこともない、誰も知らない、(彼岸)の言葉でも語りたくなるのは、そんな時だ。
1294. 閑かだ、暇もある。たっぷりと文学ができる。一切の文句はなし。
1295. 外へも出られず、内にも居られず。
1296. 「人生の決算書」。そんなものを書く年齢になったのかと、深い溜息。
1297. 99パーセントのニンゲンが「人間原理」の範疇で生きているだろう。「宇宙原理」をも、生きてしまいたい、不可能へと挑戦したい人は1パーセントに充たぬだろう。
1298. セイカツ第一と唱えながら、生きてしまうニンゲンである。(私)は、そのまま、仕事という名前になる。
1299. 「時空」の、在る無しは、「私」の生と死と同じレベルの不思議である。
1300. 「良い」それで良しという哲学があれば、すべての問題が、その「良い」という形のもとで解決される。
1101. 幻の手で、平手打ちを受ける。音が華になる。
1102. 思考の交配は、多種多様であればあるほど遠くまでゆける。
1103. 原種の形がなくなるほどに、混合されると、とびっきりの思考・思想が生れてくる。
1104. 石と水と空気が結婚をする風景。まだ(私)がいない原初の時。
1105. 決定する、断定する人たち。受け流し、あれもよし、これもよしとする人たち。
1106. 2がある。3がある。5がある。ゼロと1とで完成する(体系)
1107. ふらふらと、立ち寄る場所があるうちはいいが。
1108. 一番沈黙しているのは、やはり、あの人だ。
1109. 語らない人の前に出ると、どうしても、語らされてしまう。本当に、語っているのは、どっちだ!!
1110. 男と女しかいないから、女のことばかり語りたいがる男。男のことばかり語りたがる女。やれやれ、第三の性があれば、どうなったことやら。
1111. 盃を受けて、義兄弟の契りを結ぶ日本人。グラスの酒を呑み干しては、お互いのキンタマを握り合って、親交を確かめるロシア人。美学にも、いろいろあるものだ。
1112. いつのまにか、色褪せた真善美
いつまでたっても輝いている偽悪醜
1113 道端の、石ころ、花々、草までが、7月の光の中で、存在として、輝いている。光の暈。
1114. お前は、ずっと、同じ音ばかり出している。たまには、転調してみたらどうかね。
1115. 君子の交わりは、適度な距離と時間。淡く。足を踏み入れれば、必ず、修羅場。
1116. 急所も、短所も、弱点も、すべて、摑られているから、音を上げるのは、亭主だ。
1117. 外では紳士。内では暴君。よくある話だ。
1118. 光子の声が響いている。
1119. 時間よ、あなたが爆発したから、(今・ここ)から脱出は、不可能になった。
1120. 居ても、居なくても同じ、無限の中の歯ぎしり。
1121. 水から来たものが水へと還る。何の不思議がある。
1122. コトとモノが、自然に、(私)に馴染む日は、もう、それだけで、うれしいものだ。
1123. とにかく、言葉の杖を借りねば一日がはじまらない。
1124. もう、2万日の朝を経験したが、朝と上手く握手できた日は、ほんのわずかだ。
1125. いつも、機嫌のいい人の、心の自己管理は、おそらく、おそるべき努力の賜物だろう。
1126. 閉じていく生は、歩行の減少に正比例する。
1127. モノもコトも、溶けて、流れ出している(私)から。で、(私)は在る、居る、生きていると呟いてみせる。
1128. 老いてこそ、(私)を棄てる境地へと、(私)の言葉が成熟せねばならぬのだが。
1129. 身体の日々の衰弱が、決して、思考の衰弱であってはならぬ。
1130. 形式を熟知して、崩してこそ、面白い味がでる。
1131. 体調が崩れると、思考の色合いまで変わってしまう。
1132. 国も、会社も、数値を、目標を設定するから、ニンゲンを縛りつけてしまうのだ。しかし、指針がなければ、動かないのも、またニンゲンである。
1133. 元気が第一だと、走り続けている人の耳には、案外と病者の声はとどきにくいものだ。
1134. 崩れっぱなしを知った人は、不用意に、言葉を発しない。
1135. 夢を描くだけ描いて、頓挫する。孔子・聖人と呼ばれた人も、敗れ続けた。
1136. 目標も持たず、ただ、生れてきたから。飄々と生きている人がいる。充分ではないが、不満足でもなさそうだ。
1137. 身の丈に合わぬことは、一切、考えない。(現実)だけを、黙って、生きている。
1138. 2000億個の銀河に誘われて、踊っている、コズミック・ダンスを。
1139. 漂流、難破は、ニンゲンの常だ。宇宙には、港が、少ないから。
1140. 蝉は、木の皮に止まっている。ニンゲンは、時空に浮かんだ存在の皮に止まっている。
1141. 恥もかく。放心もする。(私)を持続するために。(私)を実現するために。
1142. 夏になると、考える。
1. 死後のこと(他界)
2. お化けのこと(幽霊)
3. 宇宙のこと(銀河の彼方)
1143. また会おうねという声の深さに躓いて。
1144. さようならの時が来た。さあ、無限者へ。
1145. 沈んで、沈んで(私)が私の中へとどこまでも落下する時、モノの重さよりも重いものが、(私)の中には、在る。
1146. 宇宙の投げかけてくる?には、限りがない。で、いつまでも、ニンゲンは、応答せねばならぬ。
1147. 水さえあれば、ニンゲンは、7日も10日も生きられる。クマムシは、水さえあれば、仮死?から再生できる。
1148. ニンゲンが、考えるよりも、存在の形態・在り方の方が、もっと深いことかもしれぬ。
1149. 生きたり、死んだり?死んだり、生きたり、この自由自在なクマムシの在り方は、ニンゲンの死生観を見事にうち破ってしまう。
1150. 誰にでもわかる、それが一番いい言葉だ。
1151. かつて、心に響いた言葉が、今は、素通りしてしまう。
1152. 四畳半のリアリズムから、無限大宇宙のリアリズムまで。言語の強度が試されるのだ。
1153. 存在の発条に思考の発条が、どこまでもついてゆけるのか、それが勝負だ。
1154. また落ちた。青い柿の実が。庭に、ニュートンが立っている。
1155. モノを動かしてみる。コトを起こしてみる。その時起きる風のようなものが、思考である。
1156. 眺めても、眺めても、崩れない文章の確立の夢。
1157. 意識・近代的自我など殺してしまって、無とともに浮遊する。
1158. 漱石は「則天去私」荒川修作は「天命反転」。天とは、宇宙の法であろう。従うにしろ、背くにしろ、(私)は未知のまま。
1159. 否(私)ではなくて、非(私)へと移動する。肯定でもなく、否定でもない。
1160. (私)は、私の心臓が、はじめて、コトンと動いた時の、その音を、思い出そうとした。で、その音が、私のどこに存在しているのか、記憶の、いや、脳ではない、もっと別の、音の残響を探しはじめた。
1161. 電子として、飛び交うパソコンの中の、電子言語のすべてが、情報という訳ではない。やれやれ、探せば、いつでも、便利に、情報が手に入るという、錯覚。
1162. 遊びはおもしろい。仕事はおもしろい。生きるのはもっとおもしろい。誰か、確信に満ちた声で言い放ってやれ。
1163. 否定につぐ否定、悲観につぐ悲観、それでは、誰でも参ってしまう。トリックスターよ、歌って、踊ってくれ。
1164. 声の調子がちょっとかわるだけで、心は充分に明るくなる。
1165. 生きている存在だけが、生きていることなのか?死者たちが存在しているのは、生きていることではないのか?生きていない者たちは、生きてはいないのか?(存在の形ということ)
1166. 無限小から無限大まで、その幅は、ニンゲンの日常生活を超えてしまう。だからといって、無視できるものではない。発見してしまったものは、存在し続けるから。
1167. (私)は、無限個の零の後に現れた1のようなものであっても、コズミック・ダンスくらいは、踊ってみせる。
1168. (私)の声に(私)が応えている。(私)が考える(私)に応えている。結局、その運動が、(私)を成立させている。
1169. 視えないものも在る。ないものも在る。問題は、ないという在り方だ。(ブラック・ホール?)
1170. わかっていない人が、わかっているように語っていると、どういう訳か、すぐにわかる。蒼ざめたまま、立ち尽くせ。
1171. 30億年という時間を体験してみようと、(私)は、深夜に、時空を超える旅へと出発したが・・・。
1172. 言葉は、いつも、時代が呼んでいる。
1173. (私)が無私に至れば、声は自由だ。
1174. 狂的ですらある。ニンゲン。
1175. 「食べる」は、善であり、悪でもある。
1176. 「耳鳴り」妙な言葉である。(私)が発した音に私が不快になる。
1177. また一人、死者からの音信があった。真夏日の葬式。
1178. まだまだ、宇宙は、ニンゲンの手には負えない。
1179. 言葉が裂ける。叩き割られてしまう。そんな時には、沈黙で、対抗する。
1180. 夏。光。熱風。なぜか、遠い、遠い日のことを思ってしまう季節である。汗の中で。
1181. 地図上に作られた迷路は、所詮、迷路である。決して、迷宮ではない。
1182. あかあかと輝く夏の太陽の下、炎天下に、「奥の細道」結びの地・大垣を歩く。俳聖の影を踏みながら。
1183. 黄昏から真夜中の闇まで、(私)を通りぬけていくものを、凝っと見ている。誰そ彼と。
1184. 40度近い猛暑が2週間ばかり続いただけで、(考える力)をもって、生物たちの頂点に君臨しているニンゲンも、ポロポロ、ポロポロ死んでしまう。クマムシは、150度の熱にも、真空にも、宇宙線にも、6000気圧にも耐えられる。やはり、地球の最強の生きものは、ニンゲンではなく、クマムシである。
1185. 立ち去る人の限りなくて、魂であふれる地上に立ちつくしている。
1186. 白紙には、アフォリズムがよく似合う。
1187. 何?何?何?耳が視てるよ。
1188. 不死の場はない。場も死ぬから。
1189. (私)は特別な生きものではない。ただ不思議なだけ。
1190. 長い間、(私)を納得させる、たったひとつの言葉を探している。あれでもない、これでもない。
1191. 政治家の質の劣化を嘆くよりも、政治家の発する言葉の劣化を嘆きたい。
1192. 宇宙の夜は、いつまでたっても夜のまま。銀河の煌めきだけが、闇の中の花である。
1193. 生命はすべて光の子。光が呼吸しておる。
1194. 暗黒星雲。光らない星。光るのが星。いいや、暗黒に横たわる星雲こそ、すべての、存在の母かもしれぬ。
1195. ソーメン。冷やし中華。アイスクリーム。三点セット。毎日毎日、舌が、胃が要求をする猛暑の夏の、食べものである。
1196. 熱が脳を溶かしてしまう夏。水が(私)から蒸発してしまう。歩いているのは、いったい、誰だ?
1197. 炎天下、生命の巾が見えてしまう。
1198. わいわい、ざわざわ、がさがさ、いったい、何をしておるのか、誰も、本当のことを知らない。
1199. せめて、死ぬ自由くらいは残してくれ。万能細胞よ!!
1200. 忍耐の限界が来て、自爆する者たち。音以上に、存在が、軽くなってしまう。耐えられぬ。
1001. ニンゲンというサナギは、(私)になって、脱皮し、透明な蝶となって、宇宙へと飛んでいくとでもいうのだろうか?(原子の夢)
1002. (私)を生きるという不思議と不自由さからは、誰も自由になれない。
1003. 生きるというスタイルも、考えるというスタイルも、時代とともに移り変わる。当然である。しかし(私)を生きる以外に、ニンゲンには方法がない。
1004. (私)の壊れていく音だけが確かな日々である。
1005. 分解されなければ再生もあるまい。
1006. 毎日毎日(私)を洗濯しているが、なかなか垢は落ちないものだ。
1007. フォームを固定しようと思うが、形は、いつも、流されてしまう。
1008. 「同行二人。」歩くのは一人ではない。いつも、あの人と一緒。
1009. 頭の中の宇宙は、ニンゲンを破滅させるに充分な爆弾でもある。
1010. そうか、零(ゼロ)から1を証明したニンゲンがいたか!!ないからあるへ。あるからいるへ。
1011. 無限に触れてしまうと、いつも(私)は闇の中で痙攣する一匹の虫になる。暗愚。
1012. ニンゲンが発したはじめの言葉は、いったい何だったのだろう。「はじめに言葉ありき。」で、その言葉は?
1013. (死)の可能性よりも、(死)の不可能性の方が、完全なものかもしれない。
1014. ニンゲンは、「人類」を発見したが、人類としては、生きて来なかった。
1015. 呼吸をする。あらゆるものが、呼吸から来る。
1016. やはり、体験だ。数式で表現された宇宙を、ニンゲンは、体験できない。誰にも。(私)を通過する宇宙は、体験できる。誰も。
1017. 一番の科学は、本当に、数学だろうか?数学もまた、数学の中で、自己崩壊しはじめた。
1018. 言語がニンゲンを表現するのか、言語が表現したものがニンゲンなのか?
1019. (決定)の不能は、天才の頭脳を破壊する。
1020. まったくの、無関係のものたちが呼応する不思議。
1021. 「Aでもあり、Bでもある」には、ニンゲンは耐えられない。
1022. 中国の色、インドの色、ヨーロッパの色、アメリカの色、取り除いたあとに、残った日本の色とは、何だろう。日本の原色。
1023. 混沌は混沌のままに。決して、そこから、原理や論理をとり出さない。必ず、ちがったモノになる。
1024. ホッと一息、我を忘れて。遊魂へ。
1025. 無常。あわれ。悲しみ。心は、いつも、同じところへと帰っていく。千年経っても。
1026. アフォリズムは、思考よりも、自由で、しなやかで、未分化で、言葉は、ほぼ、モノそのものであるから、面白い。
1027. 心が強い時は、一人で大丈夫。心が弱い時には、他人を呼んで。
1028. アッ!!黒い煙になった父。焼場の、茶褐色の煙突から、父がモクモクと出て来て空に消えた。
1029. 豚が、牛が、馬が、魚が、鳥が、ある日、突然、意識と心をもって「もう、これからは、私たちを食べないでくれ」とニンゲンに言った。
1030. (私)は(考える)と思っている。ニンゲンは、ソレがどこから来たものか、知ることがあるのだろうか?
1031. ニンゲンは、生きに生きて、四苦八苦して、なぜ、まだそのうえに、(浄土)まで求めるのだろうか?
1032. バッハの無伴奏パルティーターを聴いていると、いつも、無限に触れる。まるで、永遠に交わらぬはずの平行線が、ひとつの音の中でスパークして、火花が砕け散るみたいで。
1033. 生きている。死んでいる。いったい、どういうことであろうか。祖母は、毎朝、死者たちに、仏さまに、ご飯を捧げ続ける。
1034. 循環する水は、何千回も、何万回もニンゲンを通過している。
1035. 孤立無援で生きた池田晶子の、魂の声が、死者となっても、鳴り響いている。
1036. アフォリズムは、未成熟の、未分化の、未結晶の、存在の声を放射する。
1037. ニンゲンは、平気で、嘘も、間違いも生きてしまう。学習しながらも。
1038. 心の中に、一人か二人、大切な人を棲ませておくと、心は充分に、豊かになる。
1039. はっきりと、(顔)という言葉と、実体があった時代は、もう帰って来ない。
1040. ニンゲンの意識というものの作用の仕方が、存在のあり方である。つまり、現象は、意識のかたちだ。
1041. 身ひとつ、なんとか起っていられるようにさえなれば、今度は、歩けない人の声に耳を傾けて。手を伸ばして。
1042. どうにもやり場のない思いは、「文学」にしかならない。哲学も、政治も、経済も役に立たない。
1043. 怒りが、怨みが、渦となって押し寄せる。ニンゲンの顔は、真っ暗である。それが、見える人、見えない人。痛い。
1044. 最近、微かに、遠くから、音楽のような音が流れてくる。首を振って、耳を澄ますと消えてしまう。幻聴?いや、ちがう。では、いったい、何だ?
1045. 思考の目が粗いときには、(考える)ことをやめて、ただ放心して歩く。
1046. 5歳までの子供は、動物であり、植物でもあり、水でもあり、空気でもあり、とにかく、ひたすら、ニンゲンへとむかっている不思議な存在である。自由自在に時空をとびまわっている。
1047. 心が、自然に、動くということは、とても、不思議なことである。
1048. 思考のチックが出はじめると、(私)の崩壊の予兆である。危ない。
1049. (種)の爆発から来た(私)は、いつまでも時空に、宙吊りである。
1050. 他人(ひと)が他人のうちに棲む。よくよく、考えてみれば、おかしなことだ。
1051. 雑踏に足をふみ入れると、確かに、人が波に見えてくる。眩暈がして。
1052. 会社は、誰のものか?という声があった。社長、株主、従業員。問い方が間違っている。会社を構成しているのは、誰か?と問えばいい。
1053. いつも、散歩をする道を、逆方向に廻ってみた。風景の貌が、まったくちがって、うろたえている眼があった。歩行の再発見。
1054. 偶然の宇宙の顕現、偶然の生命の顕現、それでは、ニンゲンの科学は、我慢ができまい。赦せまい。歯ぎしりをして。
1055. カンブリア紀の生命の大爆発で、光に会い、「眼」が出現した。(考える)は、いつ出発したのだろうか?
1056. 狂的なものがない思想は、思想の名に価しない。当然だ。(考える)ことは、兇器でもあるのだから。
1057. なぜ、ニンゲンは、〇(えん)を美しいと感じるのだろうか。始まりもなく、終りもなく、しかも、厳と存在している。完全な円は、ニンゲンの原型を象徴しているとでも言うのだろうか?
1058. ニンゲンは、そうやって、いつまでたっても、争いに明け暮れている。もう、21世紀だというのに。
1059. 「ささいなこと」を唇を突き出して言う。相手の顔が尖っているから、ついつい、語気を荒げて、応答してしまう。あ~あである。
1060. 神話の時代には、神話という宇宙を生きた生身のニンゲンがいた。
1061. 水の質量に圧倒される。世界へとつながる海だ。
1062. 愚痴を聴く。嘆きを聴く。啜り泣く声を聴く。不幸な人の隣にいると、どんな声でも聞き入れてあげなければならない、大きな器と丈夫な耳がいる。
1063. 怨念で生きている人もいる。辛い。その声は、心臓に棘となって突き刺さる。存在が割れてしまうほど。
1064. ニンゲンは「生存競争(パワーゲーム)」だけで、生きるものではない。弱者、病者、貧者を支援する心性もある。
1065. 生命の芯が細くなっている。はっきりと、眼に見えるから不思議だ。
1066. だんだんと、我慢性がなくなっている。結局、残るものだけが残る。
1067. 40年間、寝に帰るだけの(家)が、毎日毎日厳として眼の前に在る。外の(私)は、外が似合うのだ。
1068. 濁って、淀んで、混っているニンゲンだから、一瞬の、透明な清涼が身に沁みる。
1069. 一言で終る話を、蜒々と一時間も、話をする人を見ていると、もう、あきれるを通りこして、それも、ひとつの能力かと溜息がでる。
1070. 余分も、無駄も、すべてきれいに、洗い落として、さて、どうするものか?やはり、香りがない、味がない、無味乾燥だと文句を言ってしまう。
1071. 見たもの、考えたことは、すべて、ニンゲンの方法である。ニンゲン以外の者が、別の方法で見たり、考えたりすると、まったく、異ったものが出現するだろう。従って、在る、無いは、もちろん、確実で、絶対ではない。
1072. あ~あと宇宙は欠伸。ニンゲンは、必死で、その欠伸の意味を探ろうとするのだが。
1073. 光を、マイクロ波を、あらゆる宇宙線を、全身に浴びて、ニンゲンは応答しておるのだ。
1074. 何をしても、カラカラ、空虚である。存在のピンチだ。
1075. 声も文字もとどかない。五感も一切役に立たない。存在が、ただ、ごろんと転がっている。見放されて。時空の外へ。
1076. いったい、ニンゲンは、宇宙が、どのように始まって存在していれば、満足するのだろう?
1077. H2Oの冒険は、ニンゲンの冒険である。
1078. 巨きな、巨きなものから、ソレは送られてくる。(私)は、思考よりも精妙な気配で、気がついている。しかし、まだ、ソレに、確かな名前を付けられない。心は感じているが。
1079. 意識はあらゆるものを追う触手だ。コトとモノ、気分と気配まで一撃で捕える。
1080. 脳内物質が、コトを決めるというが、コトが起こるからソレが分泌される。で、コトを起こすのは(私)である。分泌されるソレが(私)を決める訳ではない。(薬とは何か?)
1081. 「キレイに洗濯して、元の職場に帰して下さい」と人事担当者は言った。その環境・条件のもとで、ウツになったのだから、人を、モノのように考えて、洗濯をして、元の会社に戻しても、無理だと医師は云う。田舎の実家で、農業の手伝いをする。そこでは、充分に、ニンゲンとして生きている。ニンゲンの閾。
1082. 知ることがなければ、見ることではない。
1083. 幼年時代を、少年時代を、思い出しているのではない。(今・ここ)という時間の中で、(私)は子供を生きているのだ。
1084. 夏の、緑の稲穂の下に、光っている水が見える。なんという輝きかただろう。「おーい、田に、水をやって来い」父の声。
1085. 風に揺れる稲穂を眺めていると、どういう訳か、(人)が遠くなってしまった。
1086. 「子供に、お金のこと言うても、しょうがないやろ」母の声に、父の顔が見える。放心。貧乏。
1087. 二歳、四歳、六歳、三人の孫と遊ぶ。三姉妹は、もう、完全に、固有の資質をそれぞれが発揮している。
1088. 夜の樹木には、深い孤独の気配が漂っていて、風が吹くと、樹木の声が闇の中に流れて消えていく。真夜中の、木との対話は、数億年の記憶に火を点ける。
1089. 何かをやっておるのか、させられているのか、見当がつかぬ領域に侵入する。迷っている。
1090. 生きている、生かされている。ソレが(私)だというので、生き続ける限り、自分で、面倒を見なければならぬ。深い、深い溜息をつきながら、やれやれ、と。
1091. 「聖書」をすべて読まなくても、「コーラン」をすべて読まなくても、「仏典」をすべて読まなくても、ニンゲンは、信仰心をもって、信者となる!「声」に導かれて。論理家には耐えられない。
1092. 哲学者・ヴィトゲンシュタインは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を50回通読したと云う。
1093. 「種」の爆発が「私」である。
1094. 裸でいる感覚は、いつも、無限の宇宙に晒らされて、孤独を生む。
1095. 小説は、人間原理(生命)と宇宙原理(存在)の二つが、同時に語られる時、最高のものとなるであろう。
1096. 死と発狂を恐れていては、「宇宙という書物」にはとりかかれない。
1097. 直観と洞察と持続。今、(私)に必要なものは、そのくらいだ。気配のゆらぎまで視る。
1098. 隠遁者も、宇宙からの音信は聴いている。
1099. 来る声すべてを響かせよう。(私)という球体で。
1100. 善・悪の区別は、誰にでもある。(良心)。人間原理だから。しかし、宇宙原理は、善と悪の彼岸にある。(心の消滅)
951. 5月・植物の生命はぴちぴちとはねているのに、ニンゲンという動物の生命は、うなだれている。
952. 手持ちのカードをすべて切って、アフォリズムに生命を吹き込んでいる日々である。
953. 荒川修作は、”存在”に対して、発狂するほどの身悶をして、「死なない家」を創りあげた。ニンゲンを超えようとして、生と死の彼岸へと翔んだ。
954. 人は、記憶を消すことはできない。たとえ、脳が命令を下しても。
955. 山鳩の鳴く声は、低く、リズミカルで、「クゥク、カッカ、カー」と、いつ、どこで聴いても、不思議なことに、遠いところから流れてくる。なぜか?
956. 詩人を数えてみる。マラルメ、ランボー、ポー、ブレイク(外国) 中也、賢治、朔太郎・・・吉増剛造、石原吉郎!!私の中では、それくらいだ。
957. 病いは、気から。(病気をするから心が暗くなる。心が暗いから病気になる)は?病いとは何か?
958. 身体に現れるものは心にも現れる。
959. 沈み込んだり、輝やいたり、気分は、一刻一刻と変わっていく。
960. (言葉)は、身を立てるが、身を滅ぼすこともある。
961. 意識は、あらゆるコトとモノを見つづける。が。意識には(死)がない。
962. ニンゲンは、誰でも、「在る」の発見から歩きはじめる。
963. 「無い」の発見は、「零(ゼロ)」の発見よりも、大きな驚きである。誰もが発見するものだから。
964. ニンゲンの思考の形を決めるのは何か、原子に訊いてみたい。原子に?つまり(私)に。
965. 「無」を、数式、論理で証明されても、それも、ニンゲンの思考のひとつの形である、と考えてしまう。で、形が在る。
966. 「在る」モノだけが「在る」。ソレを見たのか?ソレを聴いたのか?ソレに触ったのか?ソレを嗅いだのか?ソレを考えたのか?ソレを想像したのか?
967. 眼が覚めると、もう、存在するすべてのモノに囲繞されている。朝という時空に放り出されて。
968. 眠りが来ると、薄っすらと輪郭が消えて、闇の中へと沈んでいく。(私)を手離した時、まだ、夢は、眼をあけている。
969. 気配は、実に、精妙な感覚である。(場)のもつ、(人)のもつ、空気の揺れに等しいものまで、ニンゲンは、感じとって、見分ける力をもっている。
970. 「人間原理」とは、どうしても、ニンゲンとしての(私)が、そう考えてしまう(考える)スタイルのことである。(ソウ在リタイ)
971. 「宇宙原理」とは、ソコにニンゲンがいなくても、純粋論理として、存在する原理のことである。存在自体がニンゲンの思考のスタイルと袂を別かつのだ。
972. ニンゲンには、どうしても、耐えられない論理(もの)がある。無目的、偶然、無神。
973. 「信仰」は、「信ずること」は、考えることが(論理)が破綻しても、眼をつむって、飛ぶことである。だから、祈るという行為、態度は、ニンゲンからは消え去らない。願う生きものがニンゲンだから。ニンゲンは、矛盾をも生きてしまう。
974. 神は、神自身のことを何と呼ぶのだろう?(存在【わたし】)か(有無【わたし】)か(宇宙【わたし】)か?宗教(ニンゲン)の神は宇宙(コスモス)の神とはちがう。
975. サラリーマンをやっている限り、いつも、背広の脱ぎ方だけは考えておかねばならない。
976. 男と女が合わさるのだから、男の中にも女が、女の中にも男が棲んでいても、何の不思議もない。
977. 交通事故で切りすてて、なくなったはずの足の踵が疼くという。足の踵はどこへ行ったのだろう。はたして、(私)の分身をも、棄ててしまったことになるのか?
978. 「いったい、お前は、何処にいて、何をしているのだ」という声に、いつも、責められている。「ここだ、ここだよ、見えるか?わかるか?」返信である。
979. 「どうだい?」と訊くと、「まあボチボチで」と答える人。「ご覧の通りで」と答える人。
980. (精神肉体)と書いて、ニンゲンと読めば、精神の超越とか、肉体の復活という、限定された表現もなくなるだろうに。
981. (生死)と書いて、ニンゲンと読む。すると、あるもの・ないものが見えてくる。
982. 宗教に次いで、科学の法まで破綻すれば、(私)は、のっぺらぼうを前にして、気絶してしまう。
983. 「問い」さえ成立しない時、ニンゲンは、どうして、「信」と「真」を手に入れられる?不可能である。
984. 精神は、「数」という魔に挑むのだが、「数」は、宇宙そのものだからと呟いている。
985. <虚実>と書いて、「あるない」と読みたい。
986. その人の、人柄は、人を裏切らない。
987. 生きることに、泣いたことがない人が、人の上に立ってはいけない。指針(ビジョン)を立てる土台がないから。
988. 汗をかかない人の言葉は、実に、虚しい。声が、自分の咽喉から出していないから。
989. 失敗しても、失敗しても、旗は揚げ続けるのだ。傷の分量だけ、旗の色は鮮明になるから。
990. 身に沁みる言葉と、正しい言葉と、人は、どちらに、耳を傾けるだろうか?
991. 人は、主義・思想で生きるのではない。親身な声に従って生きているのだ。
992. 存在すること自体が悲しみへと傾斜してしまう心性は辛いものだ。
993. 「本質」を捉えるはずの言語に、いつのまにか、裏切られてしまう。「木は、木ではない」と。
994. さて、起こってしまったコトとは、いったい、何のことだろうか?
995. 「物」には影がある。「数」には虚数がある。「十」には一がある。(私)には、何がある?
996. 給料袋を受けとる手、給料袋を渡す手、同じ手だが、その感触の中味がちがった。
997. (私)を形成している(水)が内爆発を起こしておる。
998. 原子の集合体である(私)というニンゲンの核とはいったい何だろう。生命形態という場の(私)
999. 深夜、突然、(私)は崩壊感覚に襲われた。名伏しがたい、存在(私)への不快感が来た。私は、やっとのことで、窓から飛びおりたいという内的な衝動に耐えた。夜が明けて、朝が来た。危機は去った。どうやら、普通の一日のセイカツをはじめている。
1000. 時間を生きる。空間(場)で生きる。長い間そうしてきた。現在では、「時空」を生きる時代になったが、ニンゲンはなかなか慣れることができない。伸縮する「時空」は、あらゆるものを変化させ、コズミック・ダンスを踊る超スーパーシステムのニンゲンは、宇宙を漂流している。「無限」へと。