2801. 身体に芯棒がなければ歩けない。精神にも芯棒がなければ、考えられぬ。
2802. 塔に心柱があり、身体には背骨があり、精神には意識がある。
2803. 意識は、無限速度で刻を移動する(私)に絶えず、同伴をしておる。
2804. 存在の独楽が廻っているうちは、(私)は生きている。完全静止は(私)の終りである。宇宙も同じ原理だ。
2805. ”眩暈”は、起き上がることも、歩くことも、不可能にする。風景の固定は、自然な歩行の条件であった。
2806. 普通に歩くことが、どれだけ多くのエネルギーに支えられているのか、病気をして、”眩暈”にあって、やっと納得した。
2807. 「位置」は、眼と耳で決定される。姿勢を保つのも、足腰だけではなく、眼と耳の力が不可欠だった。
2808. 一兆億年後の、わが宇宙の死滅。ニンゲンは、そのことに、どんな感慨をもつだろうか?無限か永遠か!!
2809. 始まりも知らず、終りも知らず、存在の地平線の内で、今だけを生きている。
2810. 存在の地平の特異点はカミの手に似ている。
2811. 存在も非在も、あるものの見方にすぎない。(体、相、用)
2812. 無限速度でスピンする(私)。千の貌があっても不思議ではあるまい。
2813. 木が、石が、空が、定まって見えるか、ゆらぎの波と見えるか、眼という、能力にかかっている。
2814. 無から吹き上がってくる時空。”私”の顕現、(私)の発見。
2815. ゆらぎの、波の、偶然の、時と場に、存在というコトバが、結晶する。
2816. 宇宙にとって、ニンゲンという存在は何者でもなかった、何事でもなかった、そう断言できるか?
2817. 勝手に、(私)の全細胞が開いて、数十億年という時間を逆行して、単細胞に至ろうとする、そんな、存在自体のざわめきが聞こえる。
2818. 単細胞が見た夢の果てが(私)である、と言うのだろうか?
2819. 21世紀の最大の発見は、(無)から(有)が、つまり、時空が、コトとモノが発生したということであろう。
2820. 今朝も、(私)という存在に躓いて、ニンゲンを発見する、驚愕が、いつのまにか、普通のことになってしまった。
2821. 時空に放り出されてからというものは、もう、本能と知で、ただ、(生きる)をしてきただけだ。それが、何であろうと、同じことであるが。
2822. ニンゲンは、とりあえず、(社会的な役割り)を求めて、生きる、それを、仕事と呼んでいる。では、(宇宙的な役割り)とは、いったい、何であろうか?存在すること−そのものの意味だ!!
2823. (私)も、宇宙の一員であって、毎日、毎秒、コズミック・ダンスを踊っている。しかし、その行為が、何であるのか、まったく、わからない。
2824. つまり、死が、わからないように、生も、まったく、わからないのだ。
2825. 食べる、産むという、本能さえも、考えてみると、(私)には、よくわからない。
2826. 原子の、生命化が、なぜ、そうなるのか、根源的には、わからないように、だから、(私)は、他者を生きている。
2827. 空間に、昨日の、色と線と質感が戻ってきて、時間が流れている。実に、自然に。今日も、コトとモノのカオスの海を泳ぎ切ることができると、意識をした。
2828. 色の限界地点で、草木の緑がふるえている六月。色は、コトバに、存在そのものになって、歩いている(私)を襲う。不意に(私)は、無限時間の中を、おそろしい速度で通過している、と、宙吊りになったまま、思う。
2829. 緑の、色の、力に、時間も、空間も、ニンゲンも、共振れしている、六月である。
2830. 痙攣している六月。どもっている六月。浮遊している六月。光の中で、闇の中で、あたらしく、誕生するものがある。まだ、名前はないが。
2831. 痙攣する六月の歩行は、決して、知ることではなく、楽しむことである。何を?不可能を!!
2832. もう、生への燃え盛るような意思は起ちあがらないが、静かな、静かな、眼だけは在る。
2833. 起つ位置によって、人は、宗教を得、科学を得る。決して、否定しあう関係ではない。
2834. 事象を分析する科学。事象を生きる宗教!!
2835. 共存には寛容の精神がいる。
2836. 文学は、畏怖すべきもの、不可能との対話であり、そこに、ニンゲンがいる。
2837. 沈黙にも、おそろしい、エネルギーがある。決して、何も、考えていない、のではなく、ただ、存在の重みに、耐えているのだ。
2838. コトバよ、来い、あらゆるコトバよ来い、と叫んでも、来ないから、黙る。
2839. コトバを、存在に、存在を、祈りに変えてしまった、空海の真言の力よ。
2840. (科学)も(宗教)も、見えないものをみる。しかし、その、見えないものが、異なる。
2841. 3・11の現場を歩いたとき(私)=生命がひとつの痙攣になった。今日も、歩行のときに、ひとつの痙攣になった。
2842. 空海は、存在そのものを開いてしまう。だから、存在はコトバとなる。
2843. 空海とスピノザ。宗教者と哲学者である。自然を、存在を、宇宙にカミ・ホトケとして、開いてしまった二人である。
2844. コトバの位相。ニンゲンのコトバ、カミ・ホトケのコトバ。
2845. 宇宙に、(私)という身体を投げだす時、宇宙にそのまま流れる時空と合体できる。さて、跳べるか?
2846. 善も悪もない「自然」がある。原子の世界。「宇宙原理」である。善と悪がある「人間社会」である。原発の世界。「人間原理」である。
2847. 3・11の現場の光景は、ニンゲンが忘れていた、畏怖すべき「無」の力の顕現であった。そして、ニンゲンは、同時に、「悪」としての原発を確信した。
2848. さて、3・11の瞬間に、畏怖した「自然」の存在であったが、まだ、二年と三ヶ月しか経っていないのに、もう、ニンゲンの欲望だけが疾走している。暗愚のニンゲン。
2849. ニンゲンは、何を怖れているのだろうか?戦争、飢餓、貧乏、不幸、苦痛・・・ いやいや、唯一、(無)であろう。
2850. (無)に至る、存在の眩暈が、完全に終るならば。
2701. 書いたのは誰か?と問い、言ったのは誰か?と問い、「コトバ」とは何か?を考えると、「言葉」と「ことば」と「コトバ」の多様なものが見えてくる。コトバは、単なる、文字、記号ではなくなってしまうのだ。
2702. 「文字」を使用する。「声」を使用する。「コトバ」を使用する。言ったのは?聞いたのは?書いたのは?いったい、誰であろうか?と考えてみる。
2703. 来るもの、エネルギーである声。いや、声に変換されるあるもの。
2704. 数というものが消失してしまう地点で、存在というのも消去してしまう地点で、一切が結ぼれて。
2705. ものを書かない(書けない)、ものを読まない(読めない)、燃え盛る(知)で生きてきた人が、もう、話をすることもなく、沈黙へと滑り落ちて、そして、ただ、存在している。さようならの、サインであろうか?
2706. あらゆる交流というものが絶たれて、音信が消えていく、静かに。
2707. 新緑を巡って歩いていると、植物たちの、静かな知慧を覚知する。
2708. 見るとは、光のあらわれかたであろう。
2709. 闇は見るを消し去ってしまう。
2710. 原子が、素粒子があるのではなく、あらわれかたを見ているばかりだ。
2711. 色も、また、光とともに、時とともに、移ろっていく日々である。
2712. 木々にも、それぞれ固有の揺れかたがある。風を受けて。
2713. 人も、また、それぞれに、固有の揺れかたがある。
2714. 死ぬことの不思議は、もちろんのことだが、生れてくることも、ひとつの奇蹟である。
2715. 来た者は、去る者となる。もうすぐ、確実に、その時が来る。
2716. あるものがある、ないものはない。もう、そろそろ、いいだろう。そのように、見定めても。
2717. コトバが静かになってきたら、(私)も静かになるだろう。
2718. 大きな、強い、激しいコトバばかりで生きてきた人も、静かなコトバには勝てない。いや、勝ち負けもない。
2719. お互いに「正しい」と主張し合って、相手を、批判、批難、攻撃して、結局、争いに、終止符を打てない愚。
2720. 宇宙に、咲いて、輝いて、散る。一瞬のニンゲン、その意識に覚醒すれば、争いも、消せるものを。
2721. 風景を歩く、コトバは道の外にあるから。
2722. 一切は、変わる、歩く度に、移ろう、風景である。
2723. (私)も、また、ひとつの風景である。
2724. 苦が来る、楽が来る、道である。
2725. 小さな頂点へと、昇って、下りる、一日の波。
2726. 見ても見えず、聞いても聞こえず、語っても語られず、それでも(信)を実践するニンゲンであるか。
2727. 青葉若葉の季節となった。生命がぴちぴち反ねている。葬式も、日々、増えているが。
2728. 革命と隠遁。孔子と老子を惟う。可能性の人と不可能性の人であった。
2729. (私)を発見する。そこにだけ、ニンゲンがいる。
2730. 四月の風景は、歩く度に、音楽に転調する。
2731. 朝から大きな溜息をついて、眠るだけでは取れなくなった無数のシコリがあって。
2732. あれやこれやと点検しても、切りがなく、決断だけが鈍くなって、浮上する機会を逸してしまう。過齢であろうか。
2733. 何度でも、スタートを切れる年齢があった。もう、方向が見えていても、気が起ち上がらぬ。
2734. さようならと言ったり、言われたり。五文字の重さだけが、虚ろに響く。
2735. 本当のことは、言ってしまえば、ただのコトなり、言わなければ、秘密になる。
2736. 暗号化されたコードは、脳という器管にしかないのか?あるいは、腸官にも、胸腺にも遍在しているのか?
2737. 脳は、単に、来る音信を、受ける装置であって、やはり(私)が、コードそのものであるのだ。
2738. コトバ以前の声も、充分に、伝える音信である。
2739. 身振りが、コトバ以上に、ものを言うことがある。
2740. 食べれなくなる、歩けなくなる、話せなくなる、身につけた一切が消えていく。その時は、死ぬ時だ、自然に。
2741. あれだけ輝いていたニンゲンが、もう、光を放たない。何処へ行ったのかあれらの力は。
2742. 誤ちを犯しても犯しても、修正できる力がある。それが若さというものだ。
2743. 老いると、ひとつの誤ちが命取りになる。再生できない。風邪をひいたと。
2744. 「戒律」と「法」どちらも、ニンゲンが作ったものである。「法」は、ニンゲンが社会に生きる時、集団の秩序を乱さないための規則である。「戒律」は宗教者として、生きいくための規則である。
2745. ニンゲンの、最高の快楽は、宇宙を呼吸することである。
2746. 百兆年もすれば、我が地球も太陽も銀河も宇宙も、一切が消滅して、いつか来た(無)へと還ってしまう。もう、コズミック・ダンスを踊る舞台も生きものも、一切がない。
2747. 時空の蒸発した後は、虚時間の宇宙が、別の原理で始まっているか?
2748. どう考えても、おかしい、小さすぎる宇宙の年齢が百三十七億年というのは。二千億個の銀河集団にすぎないというのは。長い間、そう思っていた。ホーキンス博士が言ってくれた。宇宙は10の500乗個はある、と。ホッとした。無限個の宇宙!!ニンゲンの手が、宇宙にとどくのはおかしい!!
2749. 痙攣が来る度に、ひとつの思考が起ちあがる。
2750. (私)はコンタクトする。あらゆるものに。で、(私)の一日が出現する。
2751. 触るものが何であるのか、いつも、意識が、チェックをする。で、あれでもない、これでもないと、(私)は呟いている。
2752. これも良し、あれも良し、と思える日には、風景が(私)にやさしい。
2753. 歯痛が(私)の一日を変えてしまう。忌忌しいのは、いったい何だ!!
2754. 慣れることができない、習慣化できないから、”痛み”は、(私)を破壊する。いい(私)を消し去ってしまう。
2755. 生きる勝手が、まるで、わからなくなる、人生の途上で。ただ、歩け!!
2756. 学習した、習性と化していた、生きる規則が、まったく、役に立たなくなる、それは、恐怖であり、不可思議である。ただ、歩け!!
2757. 生きるスタイルと、存在のスタイルは、必ずしも、重ならない。裂け目がある。深淵に落ちないように。気をつけて。ただ、歩け!!
2758. 何度でも、何度でも、(私)に還ってくる、一日の朝が来るように。で、顔を確かめてみる。顔がどこかへ逃げていないか、と。
2759. (私)の中心にいるか、(私)の辺境にいるか、強気と弱気の現れである。ただ、歩け!!
2760. ”無”からの顕現。入口と出口の鍵である。
2761. 惑星の一回転を一日と呼ぶことに、慣れてしまったニンゲンである。銀河の一回転を、何と呼ぼうか?
2762. 宇宙と、ひとまわりしてきた者が呟いた。歩いてみれば、(私)は遍在していた。
2763. 在るとも無いとも断言できない、確率の中で、偶然、顕れてしまったニンゲンである。
2764. たった、(私)一人を始末できない。
2765. 身体の重さ、重力に合わせて、沈んでいく”私”。
2766. おーいと、遠くで呼ぶものがいる。無限遠点から来る音信!!解読できるのは、なぜか?
2767. まったく、ニンゲンは、何を考えだすかわかったものではない。超えてはならぬ一線を越えてしまうかもしれない。高次元へのジャンプである。
2768. 存在そのものの、在り様が、一瞬にして変わってしまう時、ニンゲンが猿を見ているように、何かが、ニンゲンを見ているだろう。
2769. 道具・機械は、ニンゲンの能力の延長であり、部分であったのに、何時の闇にか、その地位は、逆転してしまった。危機である。
2770. キューバ危機の、ケネディ大統領の選択は、正しい選択であったのだろうか?イラン戦争の、ブッシュ大統領の選択は、正しい選択であったのだろうか?殷の紂王は、亀の甲羅に、漢字を書いて、戦争、戦勝を占った。天の声を聴いた。三千数百年前のことである。ニンゲンは、進歩しているか?
2771. 光に反応することは、実に、シンプルな快楽である。特に、冬の、日溜りでは。
2772. 日々の、あれやこれやを、無用のものと見なして、取り去ってみると、いったい、何が残る?それが(私)だ。
2773. ニンゲンの必要は、そんなには、多くはない。他人が思っているほどには、多くはない。(私)を構成するのは、空気と、極く少量のもので、けっこうである。
2774. これ以上は、超えてはならぬ、と肉体が叫ぶ。痛みは、(私)の破壊への警鐘である。耳を傾けろ。
2775. 歩いているときには、思考を止めて存在の放つオーラーを浴び続ける。
2776. 宗教の宇宙は、ニンゲンと神・仏の宇宙である。科学の宇宙は、ニンゲンを無化して神も仏も非在と化す宇宙である。
2777. (無)から(有=時空=宇宙)が顕現した−その証拠は、終に、カミの存在をも、無化してしまった21世紀である。
2778. (無)から(有)は生じないと、信じていた時代が、妙になつかしい。
2779. ニンゲンはいつも、「正しい選択」を出来るとは限らない。だから、修正があり、やり直しがある。
2780. 風景も文体で変わってしまう。
2781. 機械を作ったニンゲンが機械に使われて一生が終る時代になった。
2782. 機械とニンゲン、能力の一点で、比較すると、”人間性”は奪われてしまう。
2783. 誤ちを犯すからニンゲンである。しかし、もう、二度と、取り返しのつかない誤ちが浮上してきた。
2784. 決定ができない。正しい、誤っている、と決められない時代である。さて、困った、ニンゲンに、選択する道はあるのか?
2785. Aでもない、Bでもない、ええい、Cにしておこうか。ニンゲンの手法。
2786. 速く、大量に、正しく、実行する機械。ニンゲンは、とぼとぼ、歩いている。右に左に揺れながら。
2787. 仕事は機械に、遊びはニンゲンに。機械は、決して、遊ばない。
2788. ニンゲンの仕事は、どんどんどんどん電脳機械に奪われて。インプットすれば、後は、遊んでアウトプットを待っている。ニンゲンの(考える)は、いったい、何処へ行ったのだろう?
2789. (考える)を考える機械が出現すれば、ニンゲンの特権が消えてしまう?
2790. 手に負えないのは、天変地異ばかりではない。原爆も原発も機械も、ニンゲンが、コントロールできなくなりつつある。
2791. アインシュタインの脳を、そのまま、コピーした機械は、ニンゲンか機械か?
2792. ニンゲンは、遺伝子による、子供の誕生以外に、もうひとつの”誕生”を創り出しつつある。
2793. ”無限”の前でも、”無”になれないのが、ニンゲンである。
2794. もう、日常には、(私)を刺戟するものがなくなった。さて、逝くか、クラインの壺と化して。
2795. 離合集散!!コレハ、ニンゲンノコトカ ソンザイノコトカ?
2796. マルデ、方角トイウモノガ、ナクナッテシマッタ。東西南北、前後左右上下。揺レテイル。揺ラギノ波ダケガ在ル。
2797. 歩行ノ消滅ハ、ニンゲンの消滅トナル。
2798. 明日、人類ガ滅ビルトモ、ニンゲンヨ、今日ハ歩ケ。
2799. 今日ノ花ヲ、今日摘ム。
2800. 吃ラナイト、考エラレナイ。ソレガ、考エル自然デアル。
2601. コトバを話すことによって、コトバを書くことによって、隠されてしまうものがある。
2602. 告白は、秘めていたものを、表に顕わす行為と思われているが、告白という行為自体が、あるものを隠してしまう。
2603. コトバは、表徴であるから語れば、書けば、意味が発生してしまうが、コトバは、絶えず、表徴の裏で、同時に、隠す性質をも発揮してしまう。
2604. 一切を語ることの、不可能性がコトバにはある。その証拠に、コトバのない世界がある。
2605. コトバで考えていた。コトバを考えていた。今、コトバを生きている。
2606. そうか、コトバは、論じるものではなくて、コトバを生きるのだ。
2607. ある日、突然、(私)の起っている次元が変わっているのに、気がついた。
2608. (私)への執着がだんだん薄くなってきて、(無私)の階段を登ると、そこには(普通)がある。
2609. 西行が、芭蕉が、中也が登った階段を、(私)も、歩きはじめている。
2610. このように生きることが、ニンゲンであったかと、還暦を過ぎて、内省している。暗愚である。
2611. 結局、半分しか、経験することができない。生と死。そのように創られているから。
2612. 痙攣して、放心して、気絶・卒倒する3.11であった。今は・・・
2613. 人は、コトバと共に生きている。いや、コトバがその人を生きている。コトバ以外の世界で、人は生きていない。”文は人なり”とは、”人は文(コトバ)なり”である。”初めにコトバありき”なるほど、納得だ。
2614. コトバの力が弱くなった、衰えたと人は言う。人の力が弱くなって、衰えたから、コトバの力も呼応しているのだ。
2615. (私)とは、ある日、突然、時空に、(場)をもらった者である。光って、生きて消えて死ぬ。ある日、突然、(私)という(場)が消失してしまう。
2616. 空気の薄い時代である。ニンゲンの、エネルギーとなる、酸素が足りない。息切れがする。切れ切れの、事象の、断片ばかりだ。
2617. コトバを書いているのは、半分(私)であり、半分は(私)ではない。コトバの性質上、そのように、コトバを書くしかないのだ。
2618. コトバは、誰のものでもない。ところが、書いてしまった文章を、ソレは、(私)のもので、(私)の意見だと思いはじめる。そして、最後には、コトバそのものも忘れてしまう。
2619. 作者自身は、作品自体ではない。
2620. コトバは、来るものだから、作家が、作品を完全に、コントロールできる訳がない。
2621. 「本」のコトバを読む時と、人のコトバを聴く時では、同じコトバでも、まったく、意味がちがってしまう。眼と耳。
2622. 状況が異なる場合、語る人が異なる場合、コトバはちがった姿と意味を見せる。
2623. 宙にむかって、それぞれが、コトバを放ち、何回も何回も、聴いては投げ合ううちに、コトバの場が出来あがり、ベクトルが決まり、コトバの磁場の中で発生した意味が、形を整えていく会話であるか。
2624. 問答と言っても、はじめから、質問と答えが定まっている訳ではない。勝手に、思いを、投げかけて、少しずつ、蜘蛛の巣のようなコトバの場が出来あがってくる。その、コトバの束の中から問いが誕生し、いつのまにか答えが導かれる。
2625. とりとめもなく、だらだらと続く会話である。何かを語っているのではない。コトバの波に、身を任せて、楽しんでいるのだ。
2626. 私が(私)と書く時、その(私)は、一人称単数ではない。三人称複数である。(私)は、あなたであり、彼であり、彼女たちでもある。(私)は、他者である。
2627. コトバを、論理や知性などでねじ曲げないこと。コトバに、自然に、語らせる。
2628. ニンゲンがいる、あるいは、ニンゲンがいたと宇宙に、報せなければならない。さて、何が、可能であろうか?
2629. 時代とはコトバの環である。ネットワークである。コトバのキャッチボールの中に、ニンゲンが生きている。誰も、その外へは出られない。
2630. 中心は、反転して辺地となり、辺地は、反転して中心となる。
2631. 鳥が飛んできて枯枝にとまった。さて、縁と見るか、偶然と見るか?事象は、見方で、変わってしまう。
2632. 桜の歌と恋の歌ばかり詠んできた西行も、六道を詠み、釈教歌を詠み、最後には、歌が、真言になってしまった。
2633. 極小の素粒子の果てへ、極大の宇宙の果てへと行っても、そこには、ニンゲンがいない!!ニンゲンは、どうやら、中間的な存在である。ちょうど、ニンゲンそっくりのニンゲン。
2634. 死を嫌悪し、遠去けながら、死に魅了され、招き入れる、ニンゲンである。
2635. もう、コトバとは、おさらばだとコトバで語ってしまう、ニンゲンである。
2636. 内的に在る力だけが、生きる力として現れる。
2637. ○○という時代があったのではなくて、○○という時代を発見した、で、コトバで、再編してみた。
2638. 事実は、決して、絶対ではない。過去の○○という時代を考えなくても○○という現在という時代の事実を考えるだけで、充分だ。
2639. モノとコトの(事実)は、一人一人に対して、ちがう貌を見せるではないか。
2640. 生きているニンゲンは、無数の死角がある。(事実)も、非連続的な漂流物にすぎない。
2641. 宇宙の、時空のグレート・マザーとは何か?生命の、たったひとつの、グレート・マザーの種子とは何か?根源的な問いは、このふたつしかない。
2642. 宇宙のファースト・スターを創りあげたものは、時空の種子であろう。
2643. なるほど、「動物たちには歴史がない」と人は言うが、正確には、ニンゲンが、コトバでそう考えているのだ。しかし、コトバを持たぬ動物も、未来を考えぬ訳ではない。本能としての細胞が、遺伝子が、未来へと、子孫という分身を残すのだ。それが動物たちの考え方である。
2644. 隠せば隠すほど、顕れてしまう華もあれば、告白しても告白しても顕れぬ種子がある。
2645. (~から生れてくる)という現象が、思考を規定している。頑固なまでに。強烈に。(母から生れてくる)と。決して、(母を生む)とは言わない。
2646. 意味がある、のではなくて、意味を生むコトバである。
2647. (~から)は(~まで)を決定している。(~から)と言った時、人は、決定の外へは出れない。生れてから、死ぬまで、と。
2648. 現実を(現実)と書くのは、(現実)というものが、モノそれ自体の複雑さ、多様性を含んでいるからだ。
2649. 事実をいくら、厳密に、拾い集めても、決して(現実)は、わからない。
2650. 語りは、単に、ひとつの象徴であって、隠喩以外の何ものでもない。
2651. 誰でも、自分の生が、今、最低点にいると思える、辛い時期がある。一番の思想が育っている時に。
2652. 無意識に隠されたものを、記憶の底に隠されたものを、思考の外に隠されたものを、存在の彼方に隠されたものを、暴露するアフォリズムであらねばならない。当然、コトバの外へと隠されたものをコトバで表現することは不可能だが・・・
2653 コトバの余白に書く。いや、余白を読む。白紙も語るということだ。
2654. 沈黙も、また、コトバである。いや、コトバが反転をしたコトバである。
2655. ディオニコソスとアポロン。ロゴス中心主義からの脱出。ニーチェは、いつも、事象から疾走する。で、ダブル・バイントに陥って、深淵へと落下する。
2656. 大別すると、ニンゲンの考え方は三つになる。
①(神)的なもののもとに、一切が存在する(当然ニンゲンも)。
②一切の存在は、ニンゲンが感じて、考えて、想像・幻想する(宇宙)である。
③(無)から、虚時間から、時間と空間が爆発をして、原子たちが誕生し、時空を疾走し、137億年の進化の道をたどっている。単細胞が37億年かけて、ニンゲンに至った、と。
①②③どの立場に立つかで、ニンゲンの生きる意味、人生観はまったくちがったものになる。さて、あなたは、どの立場に立って生きているか?
2657. ニンゲンは、生き死にを考える。森羅万象を意味付けをする。宇宙は、一切、考えない。ただ、存在する。その一歩の距離が無限である。
2658. 超球宇宙に、原理、法則を求めるのは、ニンゲンである。宇宙はくしゃみすらしない。
2659. 存在がくるりと非在になる時、ニンゲンの眼には見えないが、透明な門が確かにある。
2660. 穴だらけのニンゲン、穴だらけの細胞、穴だらけの原子、内なる空間が形となる不思議。
2661. 時間にも、穴があけば、いったい何が起こるのだろう?
2662. (1+1=2)の世界は、コンピューターに任せておこうか。(1+1=2)の外側へと超出する世界に、ニンゲンは生きているから。
2663. 正しく考えることも出来るが、誤って考えることも出来るニンゲンである。
2664. 子育てには限度がない。百点満点がないからだ。生きるのも、結局、同じことだ。(私)を育てるのも限度がない。
2665. 父の墓の、背景に、山の斜面に、堂々とした、山ツツジの大木があって、その花の色、妙に、気になって、仕方がない。呼んでいるのか?
2666. 今日は、時空も、眩暈している。
2667. 生きるは、殺すである。ニンゲンは、毎日毎日、その大原則に従って、生きている。
2668. ニンゲンは、日々を生きるための、「食事」を、殺すことを、本能のせいにして、通り過すことが出来るだろうか?
2669. 不条理を生きている、(食べる=殺す)を考えることは、無・意味である−では、済ませられない。
2670. 支えきれぬものを、ニンゲンを破壊してしまうものを、(夢)の領域に、無・意識に、押し出して、(私)だけが、安全地帯にいる、そんな便利な構造に、ココロは納得をしていない。
2671. 身体に反逆する。身体も反逆する。ココロが乱れるわけだ。
2672. 長く生き延びる者は、よく殺した者である。
2673. 儀式は、なぜ、必要なのか?人間にとって。食べるからである。生きるものたちを。血を流したのは、捕らえられた生きものと人間である。
2674. 生きものを食べるニンゲンは、宗教的にならざるを得ない。血を流すから。食事の前の、いただきますは、お祈りの儀礼である。
2675. 食事をすると、もう、罪の意識が発生する、ニンゲンである。生命を食べるから。
2676. 生きているものも、死んでいるものも、食べてしまう、ニンゲンである。その時の、自分の顔は、見なくても、充分に、わかっている。
2677. ニンゲンには、まだまだ開発すべき能力が無限にある。その時代の常識や知に、縛られすぎである。ニンゲンの蔵には、無尽蔵の(力)があるのに。
2678. 眼に見えぬものは信じられぬと言いながら、原子や素粒子やヒッグス粒子は、なるほど、と信じてしまう。科学の(知)の証明だからと。
2679. 眼に見えぬ仏や大日如来は、どうであろうか?浄土や天国は、信じられぬか?眼に見えぬから?証明するものがないという理由で?
2680. 横超すると、高次の次元に、浄土がある、と。大日如来の存在が、見えると。
2681. 証明できぬものは、信じられぬか?10の500乗個もあるという、ホーキング博士の、宇宙も、信じられぬか?
2682. 昔の人は、昔の人風に、見えぬものをも信じた。現代人は、もう、そのような、信じ方を持てぬだけだ。否定はできまい。
2683. 十一次元の時空を、異次元を、見えぬからと言って、否定も出来まい。
2684. 毎秒、おびただしい、ニュートリノが(私)の身体を、通りぬけている。眼には見えぬが。真空もエネルギー場だ。
2685. 身体を、あらゆる物事を、貫通するものの存在を、知ってしまった、ニンゲンであるのに、まだ、眼に見えぬ、”神秘な存在”を、信じられぬか?
2686. 無から有が発生すると、数学者は、物理学者は、証明をした。それでも、日常の、生活では、無から有は発生しないと、考えて、生きている。なぜか?
2687. (眼)という機能に、(脳)という機能に、ニンゲンは、捉われすぎている。
2688. ある日、「石」が石を超えたものになる。「火」が火を超えたものになる。「水」が水を超えたものになる。突然、モノの見方が変わってしまう。そんな瞬間が、日が、ターニング・ポイントがあるものだ。
2689. (死)は、垂直に、時間を跳ぶ。
2690. 歩いて、生きる。歩いて、死ぬ。歩いて、再生する。
2691. 俗が聖に。辺地が中心に。変化と遍在は、モノとコトの常だ。
2692. 風景の暗号を解くと、次元がひとつあがって、桜の花も、真言になる。
2693. 宗教も、また、ニンゲンの可能性への挑戦の形式であろうか?
2694. 存在にカミを見る人、非在にカミを見る人、見るという(眼の力)を超えてしまう人。
2695. 考えるというスタイルが終わってしまう。
2696. 突然異変は、誤算ではない。(私)は他者だーの実践である。
2697. 来たものが音になる(モーツァルト)。来たものがコトバになる(ニーチェ)。不思議だ。来たものは、同じものであるのに。
2698. 毎日、毎日歩いている、桜、桜、と。まるで、桜守の西行である。
2699. 歩行(小説)と舞踊(詩)と跳躍(アフォリズム)の日々が続いている。
2700. 古代の廃墟に、ニンゲンの歴史を見るよりも、ニンゲンの身体に、古代の種子を見る。
2501. 時をゆるやかに廻す為には、光の速さに近づけなければならない。(私)は光になろう。
2502. 宇宙には、光の階段がある。それは(私)にはわかっている。時間は、いつも、変化している。速く、遅く。一瞬が、永遠になる地点まで。
2503. 歩行のスピードで生きているから、ニンゲンには、モノが、等身大で見える。覚醒して、今日も、歩行。
2504. 幻身というものがある。聖者に邂逅することである。至高者に至ることである。凡人には、一生、見えないが。
2505. 無からの旅である。時空も旅をしている。はじまりと同じように、終りも、無へと行こうか。
2506. 原子よ、旅をする時空に、一時、ニンゲンという花を咲かせてくれて、ありがとう。さて、(私)は、いったい、お礼として、何をすればいいのか?
2507. 原子たちが、時空の流れの岸辺に考えるニンゲンとなった軌道と奇蹟は、気絶しそうな道程である。
2508. 十歳の、少年ともなれば、もう、無常というものを感じる、心性が芽生えている。
2509. ”私”の発見があった少年期から、高齢者と呼ばれる老人期まで来て、さて、(私)が存在する、という驚愕は、一向に、色褪せることがない。解決などというものが、まるで、ないのだ。
2510. 3.11は、ニンゲンという存在の、意識の変革の時であったのに、一年と十ヶ月で、もう、単なる事故として、通り過ぎようとするニンゲンの愚かさである。
2511. 苦即是快、快即是苦。苦は快である。快は苦である。苦と快はメビウスの輪である。
2512. 悪徳も、また、秘められた快楽となる。
2513. 無関係の関係でも、”わかる”存在がある。無限遠点にある、二つのものが、反応し合ってしまう、存在の最高の力だ。
2514. はたして、ニンゲンは、考えているのか?考えさせられているのか?
2515. 60兆の細胞には、いつも、風が吹いている。耳にとどかぬ音も声も流れている。あッ、声が。
2516. ニンゲンは、歩く動物だから、いつまでたっても、等身大の歩く視点で、コトとモノを見る。
2517. 宇宙空間を、浮遊して、生きる存在には、上も下もない。前も後ろもない。左も右もない。宇宙感覚である。
2518. 完全消失は、とても、人間には耐えられまい。存在も時空も、蒸発して、特異点の彼方は、無思考。
2519. (食べる−食べられる)という生きものの宿命を生きざるを得ないニンゲンは、(罪)の存在である。決して、潔垢ではない。しかし、(私)を無化して、(罪)を減滅させることはできる。つまり(人となる道)は、あるのだ。
2520. 「出口」なしのニンゲンである。「罪」を犯さない存在はない。
2521. 耐える、我慢する、ニンゲンである。
2522. (自然)そのものが(罪)という世界である。ニンゲンだけが、それを、逃れられる訳がない。いや、ニンゲンこそが、一番(罪)を作り出している生きものである。
2523. 死んで、殺して、食べて、食べられて、生命は(罪)の果てに、大きな、大きな、目的を達成するとでも、いうのだろうか?
2534. 共生、共存は、そのまま、共犯となる。
2535. 土に杭を刺すこともなく、つるつる、つるつる滑っていかねば、世が廻っていかぬ現代の、コトバも流され、結び目もなく、形姿は、見るに耐えぬ。
2536. 誰も、安心などしておれぬ、3.11は、生きものたちの、礎を破壊した。
2537. また、一見、勇ましい、強者らしき、大きなコトバが幅を利かせはじめた。いやな時代の予感である。
2538. どうして、身の丈にあった、顔と顔を合わせた、心臓を擦り合わせる、実質のコトバで、話をしないのか!?
2539. 3.11の被災民の、意識が、ゼロ・ポイントに陥った、身体の芯から放たれるコトバに、もう、政治家の耳は、塞がれている。
2540. <現実>的にと言う時、いつも、ビジネス最優先の思想があって、総合的な生きものへの視点が欠け落ちてしまう。(損か得か)(安心と安全)
2541. (現実)に引き裂かれて、生きざるを得ない、ニンゲンという条件のもとでは、単純な(正義)のコトバも、(正義)の知も、ないのだ。
2542. (知)の最終の審級においても(正義)のコトバが成立しない、だから「出口」は、どこにもないのだ。
2543. 「罪」の上に、身を横たえて、生きている、絶えざる自覚。
2544. (法)を盾にとって、戦っても、それは(正義)にはならない。国際法も、また、(法)のひとつにすぎない。
2545. 「問題」を宙吊りにして、お互いに、「罪」を生きる。
2546. 誰も、(私)は、3.11と関係がない、とは言えなくなった。これからも、ずーっと。
2547. 生きる限り、有責である。被災者に、死者たちに。
2548. 百人百様。十人十色。人さまざま。顔と顔を合わせて、対話をする。どだい(考え)がちがうのだから。断念すれば、争いばかりだ。
2549. ニンゲンの、長年の、文化や文明も、地域に残した無数の爪跡となって、無化されてしまう、「宇宙原理」の空恐ろしさである。
2550. 一切の生きもの、一切の存在、偶然の名のもとに、(法)もなしか?
2551. 大呵する位置に至った人は、もう、現象そのものを生きている。
2552. もう、一切が、とりかえしがつかない。生れて、(私)を発見すると、どうやら、ニンゲンは、そのことに気がついてしまう。で(私)自身を扱いかねて、ああでもない、こうでもない。四苦八苦がはじまる。
2553. 手を焼いて、呵々と高笑いをする禅者になる者もいる。
2554. もちろん、解決も答えもない。光って、消える、現象体である。
2555. 21世紀になっても、古代や中世の闇がニンゲンの中に息付いている。伝統やら幽霊やら。
2556. 人は、どうしても、至高者を考えてしまう。我が身が暗愚だから。
2557. すでに、わかっているものが、生きるという現象の中に顕れて。
2558. (私)の中に、わかりかたがないものは、いくら見ても、考えても、わかる訳がない。
2559. 内にあるものだけが、形となって外に現れる。
2560. 無限遠点と今・ここの結婚。誰が達成したか?
2561. どうにもこうにも、判断がつかぬ時には、矛盾に、わが身を横たえて、生きる。
2562. 思考、論理を蹴とばして飛ぶ。無私の人。
2563. 時空を抜くとは、これまた、途轍もない、ニンゲンの挑戦である。
2564. さて、これから、どうしよう?生の途上では、悩みが尽きない。たいていの人は、何をしようか、と仕事のことを考える。少数の人は、生きること自体を考える。
2565. 生きた後に、ニンゲンができる。だから、死者は、ニンゲンである。
2566. 往生する、仏になる、死者たちに対して、礼をもって、対する意味がわかっただろうか?仏は、ニンゲンになってしまった、存在である。
2567. 死者と対面する時の、あの、名状しがたい、コトバにならぬ瞬間、顔が、どこかへと、隠れてしまう。
2568. そこにいて、そこにいない、直視できぬ、顔の現前と顔の遁走。
2569. 木も草も鳥も魚も水も石も、あらゆるものに、共鳴しながら生きているニンゲンである。だから、日本人は、「山川草木悉皆仏性」を、感受する。
2570. モノに会う、コトに会う、他人に会う、(私)のすべては、そこからしかはじまらない。出会いは、(考える)となる。(考える)ことは、モノ、コト、他人を、向い入れることである。
2571. 哲学が、(他者)を論じる時、おや、何か変だと思わないだろうか?なぜ?と。(場面)が欠けているのだ。(状況)が欠けているのだ。見られたり、考えられたりする(他者)は、まるで、固定された、モノか、人形のようだ。つまり、生きていない。小説は、説明でも、論理でもない。生きている。(描写)がある。で、ニンゲンがいる。
2572. 木が風に揺れるように、生きて揺れる、哲学のコトバが欲しいものだ。
2573. 木の下で、静かに、思惟をする。釈尊ではないけれど。
2574. 風に誘われて、もう一歩、高次のステージにステップをする。遊心。
2575. 垂直に、(私)を刺し貫いているものが見える。
2576. 宗教は、信仰の実践であるから、「聖典」を読むだけでは、わからない。
2577. 人は、建物を、部屋を、「わが家」としたがる生きものである。
2578. 「わが家」は、雨風を防ぐもの、眠るためのもの、以上に、身体化した空間である。
2579. 他人が、異邦人が来て、寝起きしてみれば、「わが家」の意味がよくわかる。
2580. 引越し家魔は、いつも、自らの身体を、あたらしい箱、空間に、置きたい人だ。おそらく「わが家」というものに、我慢がならぬのだ。
2581. おそらく、(部屋を生きる)と(部屋で生きる)は、同じようでいて、まったく、異なるものである。呼吸方法がちがうのだ。
2582. 開かれた「家」、閉じられた「家」。人は、「家」を通過している。垂直に時間にそって。
2583. 時空を所有する、(私)の分だけ。それが「わが家」の基本である。
2584. 人は、いつも、何かを、摂って、生き続ける存在である。
2585. 呼吸と排出。だから、「私は私である」よりも、私は他者(物)で構成されている、と言った方が、正確である。
2586. すべて、他の摂取で出来ているのに、(私)は変容しないと感じ続けるニンゲンの在り方。幻想であるが。
2587. 現象であり続ける(私)に、死は、一瞬の目くらましを与える。
2588. 毎日毎日、他人化しているのに、(私)である不思議。
2589. エネルギーが集まってくる(私)に。そして、エネルギーが逃げ去る(私)から。
2590. 身体で閉ざさなければ(私)は確立しない。しかし、精神は、いつも、(私)を開きたがる。
2591. 漢字は、じっと眺めていると、自然に、意味が見えてくる、不思議な文字だ。「神聖文字」は、天の、カミの声に通じてしまう。
2592. カミは不在でも、漢字を眺めていると、その文字に、カミが、顕現してくるのがわかる。(神)と。
2593. (神)という文字を眺めていると、意識のゆらぎが、(私)を刺戟する。ソレよ!!
2594. 無いものさえも、感じさせてしまう、矛盾をも、漢字は、生きている。
2595. 読んだら、棄てる、書いたら棄てる。土中に埋められても、漢字は、その力を発揮する。道具よりも力強く。
2596. 世界の文字の中で、漢字だけが、文字そのものである。他の文字は、記号にしかすぎない。と感じさせる漢字であるか。
2597. すべてのモノとコトは、つきつめると「始原」に戻る。つまり、また、振り出しに戻ってしまうのだ。で、何?と。
2598. 角をいくつ曲っても、曲っても、里道は、びくともしないで、そのまま(存在している)歩いているのは誰だ?
2599. わからないままでも、歩いてゆけるという、ニンゲンの力は、素晴らしい。
2600. (私)と(あなた)の交響楽の成立が生きられる時間を生む。
2401. 瑜伽・瞑想は、ポラーニーの暗黙知・ニンゲンのアーラヤ識から湧きあがる、無・意識に眠る、潜在能力を発見する手法である。
2402. 一切は(私)の中に在る。(私)が(私)を生み続ける。で?(私)は宇宙である、と。
2403. (私)とは、他者であり、他者とは宇宙である。
2404. 父と母から生まれてくる(私)は、「天然人間」である。髪の毛や指の細胞から生れてくる(私)は、(私)を生み、その(私)が私を生み、父や母という存在をなくしてしまった「人工人間」である。病いも、老いも、死をも、消し去って、(神の手)を退けてしまう。
2405. 耳がない。3.11の死者たちの声を聞く耳が足りない。
2406. 眼がない。3.11の死者たちを見る眼が足りない。
2407. いい耳を育てたい。いい眼を育てたい。
2408. 一人で来たから一人で行くよ。一緒は、楽しい夢だったけど。
2409. なにもかにも、普通であった。その普通が一番の不思議であったが。
2410. 異次元に投げたコトバは、異次元から来たコトバは、いわゆる言葉の文法と意味を失うか、反転をする。だから、声でも、文字でもない。しかし、コトバである。
2411. 限りない分裂と増殖で、億、兆となって、(私)が来る。つまり、(私)は大日如来であるという秘密の蔵を開く、鍵が、コトバである。
2412. 無為のうちに、一日が溶けてしまう。
2413. 人生に、大欠伸をして、あーあ、しんど。
2414. 非・精神。非・物質。非時空。
2415. 何度も、何度も、出発をしたのに、いつまでも、今、ここに起っている!!
2416. 平成の世を徒然する。水平に、垂直に。
2417. 精神が限界に達すると、胃のコトバに、腸のコトバ、原初の単細胞の声。
2418. 空地で、”猫じゃらし”が風に揺れている。
2419. 土に還る、土葬。空に還る、火葬。分解の王国への旅立ちである。
2420. 子供たちが、夏の光に感応して、自然に、発光しておる。
2421. 快楽から大欲へ。
2422. はるかな、悠久の旅人である、この(私)を、限定された(昨日、今日、明日)という時空に閉じ込めて、生きている、ニンゲンである。目標を、見失うのは、当然である。
2423. 存在がみる夢は、すべて、現実に、実現しなければならぬ。
2424. 「輪廻転生」を信じなくなった現代人も、なぜ、億兆の原子や素粒子が、集って(私)を創るのか、を、説明できない。
2425. ニンゲンになった人間。さて、ニンゲンは、次のステップで、どんな存在になろうとしているのか?(ニンゲン=生死)というコンセプトの破壊と創造が、次なるXを決定するだろう。
2426. 存在を透視する眼、無限遠点からの視点を、完全に獲得した時、(我・宇宙なり)と叫ぶだろう。
2427. まだ、まだ、ニンゲンのレベルは低いものだ。矛盾を解決する手法も知らない。知、理性の外の法則。
2428. 存在としてのニンゲンの、「安心」を語ったのが、釈尊である。つまり、目覚めた人、悟った人。二千五百年の歴史の中で「仏陀」になったのは、たった一人、釈尊のみであるという、驚愕。
2429. そうか、「復活」したのも、イエス・キリスト唯一人である。
2430. 単なる、日常を、生活を、生きるだけが生きることではない。ニンゲンは、もっと、多様に、多重に生きている存在である。眼に見えぬ、透明な、異次元にも、遍在して生きているのだ。さて、信じられるか?
2431. 科学の(知)には、必ず、光と影がある。「原発」、夢の、希望のクリーンなエネルギーには、人間の、コントロールできぬ、10万年の放射能の汚染があった。さて、夢の「万能細胞」=iPS細胞の作製も、光と影を、考え尽くして、光の「病」の治療とは、別の、影をも、熟考しておかねばなるまいって。
2432. 薬を作ろうとしても、毒を作ってしまうこともある。病いを治療しようとして、怪物を生み出さなければいいが。
2433. ニンゲンは、宇宙の中で、自分が何をしているのか、その「真」を知ることができるのだろうか?それとも、「人間同志」の中でのみ意味のある、価値だけを信じて、ただ、生きればそれでよいのだろうか?
2434. 科学の(知)の時代であるからこそ、もう一度、宗教の(知慧)を考え直してみる必要がある。
2435. 「原発事故」は、ニンゲンの「生と死」の意味を、根本から、考え直す、いい機会であった。今、「万能細胞」の作製は、更に、もっと深い、「生・老・病・死」を考えさせる、存在の問題を、提起した。
2436. 生死が終っても、なお(私)は存在する。問題は、その形である。
2437. (考える)は宇宙にとって、何だろうか?
2438. ニンゲンは、無限の一歩手前までの実数を数えられるか?もちろん、不可能である。だから(無限マイナスⅠ)とする。
2439. あとどのくらい(私)という状態を続けられるか、わからない。だからこそ、現象として、実現を、ただ生きるのだ。如実知自心。
2440. 有も生きる。無も生きる。どちらも(私)の中にあるから。
2441. (私)が、空の空なら、もう、これ以上、存在に、固執することもあるまい。
2442. 時空は(私)だから、(私)は、宇宙である。1である。すべてである。
2443. 3.11日に生起した痙攣は、それ以降(私)の中で止むことがない。
2444. 意識が、これ以上は、耐えられぬ、もう限界である、と(私)を放棄した時に、走った痙攣は、(私)の中の暗闇に、存在し続けている。
2445. 頭痛、吐き気、乱反射する光、わかっている、その震源は、闇の中の痙攣にある。
2446. 死者たちの、中にも、眠っている痙攣があるだろう。
2447. 生と死を同時に、駈け抜けたのも、痙攣である。
2448. 泡を吹き、卒倒して、痙攣しているものを、見て、気絶する少女がいた。
2449. ニンゲンには、ふたつのタイプがある。(私)は、私自身から起ちあがる、と考える、(思考)中心の人と、(私)は、私以外の、他のものから、成立し、構成されている、と考える(身体)中心の人である。
2450. 意識は、思考ばかりではなくて、存在そのものをも、分解してしまう。
2451. 身体と精神を止揚するために、瑜伽(ヨーガ)・瞑想が用いられるが、観想は、異次元での、<身体もなし、精神もなし>の実現である。つまりは(無我)であり、(無法)である境地。
2452. 瞬間という場に、花が咲いた。存在という謎を形にして。
2453. 銀河も素粒子も、その顕現は、時間の、空間の、ひとつの結婚状態である。
2454. 存在へと至ろうとして、アーラヤ識から種子が吹きあげてくる無数劫の種子たちが、たったひとつの花を形象化させるために。
2455. 気がつくと、(私)のアフォリズムは、いつのまにか、メタ・メッセージになっている。
2456. (考える)のでもなく、(書く)のでもなく、ただ、勝手に来たものを、手が、動いて、コトバを、文字として写している。妙な行為である。
2457. しかし、なぜ、来たのもが、コトバになるのか、(私)自身も、実は、知らないのだ。
2458. 歩くと(私)が揺れる。その揺れの中から、ポツー、ポツーと、湧きあがって来るものがある。(私)はソレを捉えて、ただ書き記している。
2459. どだい、神のコトバなど、ニンゲンにわかるはずがない。しかし。ソレが、ニンゲンのコトバに、翻訳(?)されている不思議。
2460. 生命は、来たものを、生命という流れの中に、見事に取り込んで、生命自体にしてしまうから、驚愕である。
2461. (私)は、毎日毎日、あらゆるものと共振れしてすべてに、名前を与えて、闇の中のものを、光の中に、存在させている。
2462. 「四六時中、頭が痛い、眼の底に光が飛ぶ。」3.11の被災者の声である。「いったい、どうして、こんなことになってしまったのか?」医学も医者も、応えられない。あの日から、まだ、身体も心も、揺れ続けている。
2463. 日常に、軟着陸できないまま、とりあえず、仮設住宅で、宙吊りにされている。宙には、揺れと黒い水と放射能がある。
2464. 漱石の「則天去私」神話も、釈尊の「諸法無我」に比べてみると、そのスケールのちがいに、呆然とする。(私)と(仏)のいる時空の差異である。
2465. 目覚めた者、覚醒した者は、どれだけのことに耐えているのか、その我慢の幅を考えると、気が遠くなる、やはり、ニンゲンには、到達できない。仏の境地である。
2466. 仏になる、往生する、現代人は、もう、そのことを信じられまい。
2467. 勝義、行願、三昧地が、仏になる道であると、師資相承された密教である。信仰とは、それを実行することである。(信)は、跳ばなければ、わからない。
2468. 文学は、科学や宗教という杖をついてはいけない。もちろん、政治は、杖にもならない。
2469. 考えるように在る人と、動きがそのままその人である人と。
2470. コトバで生きる人は、沈黙の重さを一番知っている。
2471. 論破できるのは、語る人に対してだ。沈黙する者は、畏怖である。
2472. 「汝自身を知れ」西洋の哲学者。「如実知自心」東洋の仏教者。空海は、見事に、「自心の源底」に至ってしまった。それから、千二百余年の時が流れたが、いったい、何人が、そこに至ったか。進歩も、進化も、虚ろなものだ。
2473. 青年は、正しく想像していても、夢想していると見られるものだ。いや、狂想と思われることもあろう。発見も、発明も、想像も、煮えたぎる青年のパッションから生れるのは、歴史が証明しているのに。
2474. 何を考えだすものやら、何をしでかすものやら、わからないから、青年である。幻想も、夢想も、狂想も、その果てまで、歩いてみるのが、正しく、青年の熱情である。
2475. 夢想する大人、老人とは、悪いジョークであろう。いつまでも、好奇心の衰えぬ、老人は、青年の魂の火を消し去らぬ人だ。
2476. 日々、面白くない、うっとうしい、億劫だと思いはじめたら、(生きる)から(死ぬ)へと、意識的に(私)を転回させてみることだ。モノもコトも、まるで、別の貌を見せてくれる。
2477. 草木も、生きる眼には平凡でも、死ぬ眼には、必ず美しく、固有に見えてくる。さて、末期の眼には、何が見えるか?何が写るか?一回限りの、愉しみである。
2478. 光には光のコトバを。石には石のコトバを、あてがう。もちろん、死者たちには、仏のコトバを。
2479. アーラヤ識から吹きあがってくるコトバは、仏のコトバ同様、異界の声である。決して、ニンゲンの声ではない。
2480. モノがわかる。コトがわかる。わかり合えるというシステムそのものが驚愕である。
2481. 無関心は、ニンゲンの特徴であるが、無関係はない。一切が、関係の絶対性のもとにある。それを、因と言っても、縁と呼んでもいいが。
2482. 毎日毎日、夏の光に、無限を見ておる。飽きるということがない。
2483. 光に感応すると、一瞬は永遠になり、(私)はあらゆる時空に遍在する。愉楽である。畏怖である。
2484. 砂粒が語りはじめるまで、どれだけの時間が流れたか。億、兆、京、石、無限の一歩手前で、石は語る。
2485. わが宇宙は137億歳だというが、他の無数の宇宙たちには、無限の時間が流れておる。”無数劫”の時間が。
2486. どうやら、夏は、頭の廻り方がちがうらしい。意識が、妙なところへと、飛んでしまう。眼も、いつもとちがうものを、見てしまう。光と熱のせいだ。
2487. 頭の回転が遅くなるとか、鈍くなるとかそんな話ではない。春や秋には、とても、考えない、そんなところで、頭が働いてしまう。もちろん(私)は、特別な工夫をしていない。
2488. ある日、ある場所で、一人の子供が叫んだ。「ボク。セシウムもプルトニウムもストロンチームも、みんな見えるよ」母らしき女が言った。「いいかい、絶対、他人の前で、そんなこと言ったらダメだよ、新らしい、もうひとつの眼が誕生したなんて」
2489. 光と影の間を、白昼、夢魔が疾走する。
2489. モノでもない、風の形でもない、見えているのは、遠い昔の、(私)の分身である。
2490. 眩暈がして、振り返ると、風景が、白紙だった。これも、夏の光のせいだ。
2491. 光が音になった。空耳ではない。
2492. 木々の緑が、煮えたぎって、黝んで見える。(私)は、緑を見ていない。
2493. 足場が定まらぬ。どうやら、宙吊りになって、歩いている。
2494. 長い間、四十年も、随分と他人の話を聞いてきたが、気が付けば、(聞く)ということも、(私)にとっては、ひとつの表現の方法であった。
2495. (話す)は(聞く)がなければ、成立しない。いい聞き手になることは、大変むつかしいことではあるが、(入我我入)の関係であろう。
2496. (歩く)は、なぜ、(考える)と結びつくのだろう。モノに会う、モノに衝突するが、(歩く)である。(考える)は、会う、衝突する時、飛び散る火花である。本気で、モノを考える時、人は、必ず、モノに出会い、衝突をしておる。(考える)の本質は、歩行にある因縁だ。
2497. 一人の身体は、一人の身体の場を占める。一人の精神も、一人の精神の場を占める。その存在が脅かされる時、反乱が生れる。
2498. 家、土地、会社、国家、領土、境界では、いつも、(場)の紛争が生じる。身体と精神の延長がそれらであるから。
2499. 宇宙視線には、境界・国境がない。あるのは、地球と宇宙の境界である。で、宇宙人と宇宙場との、紛争が待っている。
2500. 読むことは、時空を歩くことである。しかし、長い人類史で、耳に至福のコトバを、誰が語ったか?何人が語れたか?おそらく、両手の指で足りる人数であろう。
※2301~2316は、「詩と思想」7月号掲載
2301. 存在の底がぬけてしまうと、コトバも反転をする。
2302. 地や背景のない空間では、モノを支える境界がない。
2303. 当然、敵は、ニンゲンではない。沈黙だ。
2304. 書き魔、語り魔になってしまう人がいる。
2305. 深い、深い井戸を掘り続けているが、コトバの水が出なくなった。
2306. いつも、不安という心性が語りだしてしまう、困ったものだ。
2307. せっかくの、在ることが日常のあれやこれやで終わってしまう、無念と無残。
2308. 日常に、不意に滑り込んでくる、その影に似たものを、語れよ!!
2309. 声にしろ、音にしろ、電子にしろ、伝導のための、媒体がいる。
2310. 右足、左足を使って歩く。実は、透明な三本目の足がある。右足が地に着く寸前に、左足が上がる寸前に、いつも第三の足が迷っているのが見えるだろうか?
2311. 自分の意思で生きているのは、2分か3分か。7分か8分は、何かに支えられている。
2312. ひらめきは、思想よりも正しく、理論よりも素速い。
2313. 何気ない歩行の中から、”解”が起ちあがってくる、あの瞬間の不思議。
2314. コトバで語ってしまうと、どうしても、ソレがコトバ風なモノになる。
2315. 確かに、知ることができるものだけを、知る。知ることができぬものは、知らぬ。実に、はっきりとしているのに、(知)と(非知)の間で、悩んでしまうニンゲンの愚である。
2316. 自心の源底に至る、3.11のコトバはまだない。誰も語れない、語っていない。
2317. 悲・苦・病・切・愁・怒・哀・辛・畏・無・空。いくら並べても、とどかない、3.11の自心の源底である。
2318. 眼は見たがる、眼える限りのものを。耳は聞きたがる、聞こえるすべての音を。口は話したがる、知っているコトバのすべてを。しかし、3.11は、それらの外に在る。
2319. 手がある、足がある、首がある、耳がある、肌がある。手のない、足のない、首のない、耳のない、眼のない、ニンゲンが瓦礫の山の、岸辺に、ごろんとある。
2320. 船が、砕けた腹を、空に突き出して、海になった空へ、時空をねじって、存在する。
2321. 妻と幼い子供二人、家、ココロ、故郷すべてを喪くした漁師は、泣いて、泣いて、3.11を、夢・幻に、反転しようと、祈った。
2322. 何を、どう、チェンジすればいい?生き方ではない、考え方でもない、生活のスタイルでもない、(私)の、宇宙に対する位置取りである。聞いてみよ、(私)は宇宙の何であるか、と。
2323. 今日も、流れに添って、いのちをしている。3.11の、神的切断は、一瞬にして、(私)をモノにした。
2324. 水が、光って、濁って、金属になり、途轍もない、力で、ニンゲンを、汚して、切断して、異界へと、一瞬で、運び去った、3.11であった。
2325. 必ず<原発は、必要>というニンゲンが、時を置いて、発言するだろうと、予言しておいた。つまり、現代を享受して、得をして、良かったと、自分の来歴を、自負している者たちだ。家族を、家を、仕事を、故郷を、喪った者には、絶対に言えないコトバ。”原発再開”。
2326. 国、国益。復興、復旧、大義が大手を振る時、必ず、ニンゲンは、数になり、量になり、モノとして、扱われ、(死)は、どこにも見あたらなくなる。(私)の顔は消し去られる。なぜ、ニンゲン益、宇宙益といえないのか?いつまでたっても”国益”が幅を利かせる地球である。
2327. 小さな、小さな、狭い、狭い、限定された条件のもと、ニンゲンの生きている惑星は、宇宙の、微細な一撃で破壊され、泡となる−あの一瞬の、全身を刺し貫いた、畏怖の感覚。日は、また昇る、安心の原理も、無残に消え去った、3.11であった。
2328. 原発メルト・ダウン。何ヶ月も、何年も、議論が交わされるべき、ニンゲンの大問題である。何時の間にか、日常生活から、片隅へと追いやられて、人は、モノを見ず、モノを考えず、巨きな、危うさの上へと、自らを運んでいる愚劣!!
2329. テレビ、新聞、雑誌は、毎日のように、3.11の特集・連載をしなければならないのに、いつのまにか、3.11以前に、戻ってしまう、空おそろしさがある。
2330. 「何時でも、ニンゲンは滅びる、文明は滅びる、人類は終わる。」毎日毎日、テレビ画面を見ながら数字と、限られた説明しかない、アナウンサーの背後から、そんな、声が、立ちあがって、流れてくる。
2331. 3.11で、ニンゲンは、底の底、果ての果ての畏怖まで見てしまった。もう、これは、畏怖だとしか思えないほどに、たたきのめされて、ニンゲンの息の根は絶てた。もう、これ以上、見るべきものがあるのか。コトバも絶てた。奇妙な幻影を生きているような空々しい、漠とした、現象世界の、泡粒と化したニンゲン。
2332. 一気に、一瞬で、時空が抜き取られた。ニンゲンがセイカツをしている、ゆるぎなく、持続している、と思われていた世界が。3.11は、ニンゲンの眼に見えて、眼に見えない、「宇宙原理」の顕現であった。「在る」と「無い」が何時でも、入れ変わってしまって、どこにもない場処になる。→のっぺらぼう。
2333. 「原発のメルト・ダウン」このコトバは、深く、ニンゲンに共有されなければならない。誰もが、念仏のように、唱えるもので、なければならない。そして、そのコトバの先にある世界を、怖くても、共有しなければならない。
2334. 3.11は、特に、原発事故は、ニンゲンを、一気に、無化するものであった。思考停止である。何も出来ない、何をしても、無意味だ。ニンゲンは、「宇宙原理」に嬲られている。
2335. 3.11、一人に、一人の死を、与えられないで、ニンゲンの死を、数にする思考者には、未来の夢は語れない。
2336. 声が来る、他人が来る、夥しい事象の氾濫の中から、ひとつだけとりだしてくる、その瞬間の不思議が、わが生である。
2337. 淵から淵へと、跳んでいるわが姿が見える。足の裏にも汗を掻いて。
2338. 右か左か、そんなアバウトな選択ではない。もっと、微妙な、気配に似た、感触のもとに、進路を定めている。
2339. (知)からの解放が、もっとも豊かな(知)である。だから、歩く。
2340. 捨てると、得るものがある。だから、人は、拾って続ける。家も会社も社会も。
2341. 何も持たないことが、もっとも、豊かだという信仰がある。ディオゲネスの時代から。
2342. モノを持つことが、豊かだとする現代人は、持たない自由を知らない。
2343. 宗教には、ユーモアがない。長い間、なぜだろうと、不思議に思っている。神・仏は、笑わないのだろうか?
2344. 教典、教義に(信)を置かないと、コトバにも(信)を置かないことになる。「聖書」(仏典)の外に出て、(神)への(信)は、成立するのか?
2345. 啓示も予言も、コトバである、一切の現象も、コトバである。
2346. 宇宙の迷い児である。ニンゲンである。その正体も知らぬまま、ソレがお前だと云われて、平気で、生きている。生、老、病、死の苦をもって。
2347. 他人が(私)の中で生きている。よくよく考えてみると、不思議な現象である。
2348. 他人がわかる、の根源には、(私)の中で、生きる、という奇妙な現象があるからだ。
2349. 現象が、事象が、(私)の中で生命に変わる、その瞬間よ、そのことよ、一番おかしいのは。
2350. 存在の鍵はヒッグス粒子が握っているとして、存在の外にあるダーク・マター(暗黒物質)の鍵は、何が、握っているのか?問いは無限に続いている。
2351. 存在が考える。存在自体が考える。考えるという系(システム)が起ちあがった、その目的はいったい、何だろう?
2352. 未知の存在と存在が宇宙の一隅で出会って”わかる”と知った時、宇宙は、ニッコリと微笑むだろう。
2353. 存在することの在りようを、ニンゲンは、ここまで来たと、宇宙自体に知らせてやれよ。
2354. 変化する観音、遍在する大日、さて、宇宙に声ひとつ、顕滅せよ、同時に。
2355. 白紙には、一字のみ記せ、沈黙に均り合う、宇宙文字で。
2356. ゆさゆさと風に揺れる、柿の葉の大きさに、妙に、感動する。空が隠れて。身震いをする。
2357. ニンゲンは、ただ存在するだけで、何かである。不思議な現象である。
2358. 意味は、人が勝手に見いだすもの、価値は、人が勝手につけるもの、すべてが「人間原理」のもとにある。
2359. 他人の評価や価値は、「在る−無い」に比べれば、その差は、あってないようなものだ。つまり、誰であっても、ニンゲンは、ボチボチである。
2360. 感応するココロは、考える意思よりも深いと思う。すべては、驚きから。
2361. 傷を負った。悲惨を舐めた、そのレベルに応じてしか、ニンゲンは、モノを認識できない。残念ながら、事実である。だから(傷)の共有はむつかしい。
2362. 余りにも、”原発”に対する、知識が不足していた。日々のセイカツに追われて、知らず知らずに、足元は、放射能の危険に、晒されている事実を知らなかった。無知は、完全に、罪である。
2363. 身につまされなければ、本当に、人は、ものを考えないものだ。
2364. 先送りをする。困難を。で、原発も、使用済燃料の、最終処分方法も決められないまま、未来へと、先送りをする、悪魔のささやきに、耳を傾けて、どうにかなるだろうと。
2365. 境目にいる時には、必ず、ニンゲンは、我に返らなければならない、声に導かれて。発狂しないように。祈れ!!
2366. ニンゲンの一生には、ほとんど、なんの関係もないと思えるほどの、巨大な時間を考える(銀河の時間だ)一億年、一兆年と。すると、必ず、放心がくる。哄笑が来る。そして、流れている現在の時間が爆ぜて静まりかえって、(私)を点滅させる。
2367. 現在の、時空にいる(私)が、遍在しなければ、絶対に、見えない、わからない、そんな視点を、ニンゲンは、持てるか?
2368. まるで、多重人格者のように、分裂しながら統一されてしまう(私)の形式。
2369. もちろん、現在の科学の方法では不可能だから、もうひとつの、新らしいスタイル(科学?)の誕生を持つしか術がない。
2370. セイカツを廻していく日々。ニンゲンを廻していく日々。
2371. 食べて、寝て、食べて、寝て、生きて、死んで、生きて、死んで、一日が、一年が、一生が、(私)を運び去る。
2372. 一日の(私)の重さ、軽さが、急変して、ココロが、悲鳴をあげている。
2373. 胃が鈍重、ココロがウツに傾く。
2374. 桜に恋をした西行法師が、眼の前を歩いている。見える、見える。吉野の山桜。
2375. 行方不明。ココロは永遠の宙吊りだ。3.11で、時間が割れた。止まった時間、流れる時間。
2376. 水平に見える風景がある。垂直に見える風景がある。ニンゲンは、二つの風景を見て、真形を得る。
2377. 現代人は、神変(超能力)の扱いに戸惑ってしまう。
2378. 問いを立てつづける。究極の答えを得る手法だ。
2379. 多数決という方法は、必ずしも、正しい答えを導くとは限らない。
2380. そろそろ、異次元のコトバを、実存として、感覚し、実感するレッスンを始めなければならない。
2381. 見る、見える、見えてくる。(現実)と(異次元)が同時に。
2382. 書く、書いている、書かされている、誰が?何が?来る、来ている、来た。(私)に。
2383. ある。現れる。顕現する。
2384. モノが語る。コトが語る。ただ、(私)は聴いている。
2385. (考える)から(感応する)へと歩いてみると、そこは、異次元の入口。
2386. 瞑想といい、観想といい、瑜伽は、モノとコトから遠く離れて、中心へ。
2387. (行く)と(来る)が重なってこそ次元の壁が超えられる。
2388. (私)を置き去りにして、歩いてみろ。
2389. 生命は、垂直に流れている。横超もする、イデアがある。超球に至る波である。
2390. ここにいるだけなら石である。遍在するのがニンゲンである。
2391. (私)から超出するニンゲンへ。
2392. 狂(信)か、正(知)か?
2393. まだまだ、改革と修正の時代が続くが、いつの日か、今日から明日への境目を消してしまう、跳躍の時が来る。
2394. ここにいる(私)。ここにいない(私)。不条理の根である。
2395. 感じられるから考えはじめる。ソレにびっくりをして。
2396. 存在が、はじめて、語りはじめたのは、何時の頃からだろうか?誰が、発明したものか、とりあえず、天の声とでもしておこうか・
2397. 思う、思い出すという力が衰弱をしておる。新しいことを、次から次へと覚えるのに忙しくて。やれやれ、大事なものが消えていくはずだ。
2398. 自ら語れると、現代人は考える。語り方は、教わった形であるのに。
2399. 意識がコトバを運んでくる。夏が来た、と、風景を読み込んでしまう。
2400. また見つかった!!何が?神の粒子と呼ばれるヒッグス粒子が。
2201. アフォリズムは、(私)の言葉考でもある。小説、評論、論文の散文、短歌、俳句、散文詩の言葉、メタ言語、純粋言語、禅の不立文字、あるいは、ダブル・バインドからくる禅問答の言葉、数学者の人工言語、マラルメの言う絶対言語、そして、天才、井筒俊彦の言う、最強のコトバ、自心の源底に至る真言である。アフォリズムで、それらの言葉を、疾走してみたいのだ。あらゆる存在と非在の死者たちと交感するコトバへ。
2202. コトバとは、その人の位置と場、位相が決定をする。
2203. 3.11からの日が経つにつれて、不幸と苦痛の種類が増えて、だんだんと複雑になって、分化されていく。それが一番辛いのだ。体育館に避難していた時には、みんなが、同じ不幸であったのに。
2204. 被災者と被災者が衝突をする。傷の深さ、被災の大小、住む場所、条件が、衝突の因となる。
2205. 無我で、無私で、(私)を(他人)を支えていた心が、日常を取り戻すために、崩れていくのは、なんとも、耐えがたい。
2206. 自立とは、そんなにも、セルフを中心に、起ち上がらねばならないものか。
2207. 今日も、一日、(私)をしている。
2208. あちこちで、ぷつぷつ切断されている、しかし、流れは、深いところで(私)を貫いている。
2209. 今日も、(私)をしている。そう、気がつくことは、いいことである。
2210. 今日も(いのち)をしている(私)である。行け、とにかく、歩け。
2211. 何かの拍子に、どこからともなく、音が流れてくる。ふと、耳を澄ますと、消えてしまう。誰だ?何のサインだ?
2212. 寂静とでも呼ぶのだろうか、心的エネルギーが、零に近くなって、身体の感覚が消えて無辺の時空に、(私)が放り出されている。
2213. 嬰児でもない、老人でもない、まるで、齢というものが、ぽっかりと、抜けてしまった(私)がいる。
2214. コトバが崩れているのでもない。あまりにも、規則通りのコトバが多いのだ。だから(私)が話している、という、固有のコトバに出合わなくなっている。
2215. 誰かのコトバ、他人のコトバ、共有している文法のコトバ、約束されたコトバ、法のコトバ、もう(私)のコトバは発見できない。
2216. 一人一人、顔がちがうのだから、コトバも、思考の回路も、固有でなければおかしい。
2217. コトバが閉じている。モノとコトを開いていくはずのコトバが、放つ人々の不手際で、だんだんと閉じていく不幸。
2218. 言霊が、いつのまにか、記号になって、呪的な、原エクリチュールの力を喪っている。
2219. 息を吐く、息を吸う、その力を、ふたたび、声に、コトバに。
2220. 3.11以降は、鎮魂のコトバしかやって来ない。来ない時には、沈黙を守る。死者たちと共に、時空を結んで。
2221. 時空に、遍在する、死者たちの叫び声が、鳴り響いて止むことがない。
2222. あの時を、観想すると、意識は、いつも、ゼロ・ポイントに陥ってしまう。心のステップは、躓いてばかりだが、とにもかくにも、歩いてみる。一歩。共に。
2223. もう、生きられる時間だけが、(私)の時間だと、諦念して、生きよう。
2224. 自然から見れば、ニンゲンは、余分なものばかり作りだして、生命の共生の環を破壊している、邪魔者であろう。
2225. (私)のいない文章がある。(私)が入ってしまうと、(知)が変色してしまう。
2226. 色は形、形は色、音は色、結局、すべては、Iへ。
2227. 当然なことに、無限は、(私)の外部にも内部にもある。なんで(私)そのものが、無限になれない訳があろうか。
2228. 染まることは、感性であり、ひとつの能力である。問題は、そこからの、(私)の一歩である。
2229. 条約、憲法、条例、道徳、倫理、規則、戒律、約束、ニンゲンは、やたら(法)を作る。作っても、作っても、破ってしまうが。いったい、どの(法)が一番大事なのか。誰と、何と契った(法)が大切なのか。
2230. 批判の声は、いつも、正しい?いや、批判する人は、いつも、正しいことを語っていると思っている。なぜ?(私)の発言する場を、正しいものと思っているからだ。
2231. しかし、他人を批判する前に、(私)の場を語ってみる。すると、(私)の場は、いつも正しいものではないと、気がつく。
2232. だから、批判よりも、ずっと、創造がむつかしいのだ。
2233. 攻撃は、誰にでも出来る。問題は、(私)のビジョンを揚げる力にある。(私)を語れ!!
2234. 3.11以後には、三つのパターンの作家が生れる。
①習慣、習性で、今まで通りの作品を書き続ける人。(開き直っている)(鈍い人)
②なんとかして、3.11に対応できる、あたらしい意識で、あたらしい方法で、あたらしい文体で、書こうと模索する人(良心派)
③完全に、沈黙する、従来の方法では、書けなくなってしまった人。(書くことへの懐疑)
2235. 白い紙に書いたコトバが他人の眼からココロに入っていく、恐ろしさと不思議。
2236. ニンゲンは、どうしても、二重に生きるように創られている。(私)の「自心の源底」へと探求する道、他人の間で、他人のために、何か役立つ道である。(聖)と(俗)は、二つにして、ひとつの貌である。
2237. 3.11以降に、生き方、考え方、文体が変わらない作家、学者、哲学者は、よほど、鈍いか、衰弱しているか、自分に不正直なニンゲンである。あるいは、もう、終ってしまった人で、昨日を、今日に重ねて、死んだように生きている、無用の人である。
2238. もらったものは、必ず、お返ししなければならない。お中元、お歳暮ばかりではない。もっと、大切なものがある。(私)は、どうやって、それを、お返ししようか。
2239. 食べもの、お金、知恵、情愛・・・数えると切りがない。さて、どうしよう。
2240. ものをもらう。ものを差しあげる。そこにあるのは、礼節である。
2241. もらったものの中で、一番大きな、大切なものは、もちろん(私)である。だから(私)も、お返ししなければならない。誰に?何処へ?
2242. それは、契約か、縁か、法則か、偶然か?
2243. 出家者と在家者は、いったい、何を交換しているのだろう?そう考える中心に、宗教の核がある。
2244. すべてがリズムだ。生命の波調を強弱と整える。今日も一日。
2245. ある時には、(私)を解き放って、ゆるめる、遊ぶ。ある時には、(私)に刺戟を与えて、緊張させる、学ぶ。
2246. (知)で生きてきた人は(身体)へ。(身体)で生きてきた人は(知)へ、チェンジする。
2247. 裏も表も使って生きる。
2248. ニンゲンをしている限り、すべてから、降りてしまう訳にもいかない。
2249. 覚めて、眠って、覚めて、眠って、誰に教わった訳でもないのに、長い間、ずっーとそうして生きてきた。覚醒、正覚は、起きている中で、更に起きることだ。次元を、もうひとつ、ジャンプすること。
2250. 気力、体力、知力、どれも、放っておけば衰えて、錆びついてしまう。磨き続ける努力だけが(私)を支える力だ。
2251. 科学の(知)が語る宇宙は、宗教の(智)が語る宇宙ではない。(信)の有無である。
2252. 歩くことと考えること、俺に残ったのはそれだけだ。そして、それで充分だ。他に何がいる?
2253. 宇宙の沈黙は、実に、徹底している。まだ、何も言わない。秘めていて。
2254. ひととき、瞬間、この惑星で生れたね、いろいろあったけど。宇宙が、一切を、水に流してくれるよ。時という水に。
2255. 気がついたら、もう、おさらばの時だ。長いような、短いような、スキン・シップだけが、唯一のリアリティだったね。コトとモノとニンゲンとの邂逅がバネになったね。
2256. 人の器量だけは、勉強しても変わらない。
2257. アフォリズムの一本一本が、それぞれの、背景に物語と思想を秘めていて、その一本一本から短篇小説が作りだせる。つまり、いくらでも、考え、想像し、眺めていられるのが、アフォリズムである。
2258. 現在、書かれている小説には(核)がない。文体が、ゆるく、思考の回路が、見えなくて、弱い。胸に迫る一行がないのだ。
2259. 宇宙に、身一点、放りだしてみれば、ニンゲンは、無数のことを考えはじめる。誰だって、すぐにできる。
2260. その覚悟がないから、身辺雑記と、おぼつかない思考で、書かれた小説ばかりが濫乱するのだ。
2261. 貌のない、無意味な、作品ばかりが、一見、小説らしく、書かれているから、読者も、驚かない、感動しない。
2262. 一度、物書きは、自らのアフォリズムを書いてみるといい。いかに、発想が貧しく、モノを、本気で考えていないかがわかる。
2263. いつでも、何度でも、あの、意識が、ゼロ・ポイントに陥った、3.11に戻ることだ。出発は、そこにしかない。共有するというニンゲンの力を信じて、(無)から、歩きはじめたのだから。
2264. 瓦礫の中にも起つコトバがいる。その為にも、我に仕事を与えよ、である。日常の、回復と再生のために。
2265. 一円でもいい、黙って、秘かに、送り続けよう、それは、死者たちへのもうひとつのコトバである。
2266. 病んでる人がいる限り、苦しんでいる人がいる限り、(私)だけが、幸せになれるわけがない。傷は、疼き続けるのだ。
2267. 人がみんな、同じように見える時には、苦痛はない。小さな、差が見えはじめた時、人の心は、不幸に染まりはじめる。どうして、(私)だけが、と。
2268. 極く普通にあった日常が、根こそぎもっていかれた。破壊された。大地震と、大津波と原発事故で。そして。今。
2269. 負と傷をかかえて、日常を、そのままとり戻すことさえ、容易ではない。
2270. 支援、援助は、いくらでも要る。延々と、東北に、エネルギーをつぎこまねば、救われない。
2271. 私の一生は、もう、余分だから、せめてその半分のエネルギーは、支援として、投資しよう。
2272. 頭の中にあった、普通に生きる、プログラムが、すべて、壊されてしまった3.11の被災者である。残ったのは、傷と、喪われたものたちの、空虚な思い出。何を、軸にして、心の芯を起たせるか、想えば、気が遠くなる道程である。凝っと、(私)の中から、もう少し、生きてみようと、力が湧いてくるのを待つしかない。
2273. (知る)というよりも(わかる)という力が不思議である。なぜ?モノがわかるという力。その力が、ニンゲンに備わっているから、宇宙に、驚愕することができる。だから、すべてを、知りたくなる。
2274. (私)の中にあるものしか、わからない。そういう仕組みをニンゲンはもっている。悲も、苦も、痛も、病もわかる。だから(私)は、他人も、宇宙もわかる。当然、(私)の中には、宇宙がある。当然(私)は他者である。
2275. (私)だけでは、すべてを、わかることができない。で(知)のリレーが生れる。肉体で。
2276. (私)の中に、よい方へと歩む力が多くあれば、ニンゲンは、戦争も紛争も、止めることができる。その力に、賭けてみるしかない。
2277. つまり、共生の、共同の、いのちの、ビジョンを、ニンゲンが、何時、完全に、創出できるかが、勝負だ。もちろん、鍵は、宇宙である。
2278. 量で、数で考える人。質で、深さで考える人。同じ、考えるにしても、まったく、結果が違ってしまう。
2279. 3.11の現場で考える人。3.11から遠く離れて考える人。距離は、思考を一変する。
2280. (場)と(位置)が、こんなにも、コトバ自体を変えてしまうとは。
2281. コトバが変わらなければ、思考は変わらない。その単純な法則がわからない人がいる。
2282. (傷)から考える人。(損得)で考える人。その必要まで変わってしまう。
2283. 断念の、底からでも、声は放たねばならない。単独者として。
2284. いのちをするのは、いつでも今だ。
2285. (私)の呼吸する場は、いつでも、(私)のいるところだが、ニンゲンは、どこにでも遍在できる。想像する生きものだから。
2286. 力(エネルギー)だけが、(私)の推進力だ。衰弱するな、枯れるな、涸渇するな。
2287. 科学の進歩が遅いから、もう、何度も、アンドロメダ銀河には行ってきたよ。何?真夜中に。
2288. 3.11から、10ヶ月が過ぎると、爪を隠していた人々が発言をはじめた。(現実)を考えると、原発は、必要だ、と。つまり、いい思いをしてきた人々、得をしてきた人々が、(現実)の必要性を、訴えるのだ。あ~あ、である。(現実)を創るのも、変えるのも(私)である。(私)ぬきの発言は、3.11以前のコトバである。傷ついた人々、身も心も。死者たちに。コトバも、祈りも、足りない日々に。もう・・・。ニンゲンは、まだ・・・。
2289. あなたは何処から来たと訊くから、(私)は、わが地球を含む無限宇宙から来たと応えた。で、これからどうすると訊くので、あるがままに、しばらくは、生きて、ニンゲンをして、終ったら、また、来た無限宇宙へと還っていくだけさ。何も、特別なことはないと応えた。
2290. 科学には、どうしても、出来ないことがある。情報が、いのちに変わること。つまり、情報がいのちになることだ。
2291. (私)が成ってしまう、(私)に。メカニズムを分析しても、(私)をつくる力にはならない。
2292. ニンゲンがやってきたことは、モノを変形させることだけだ。
2293. 単細胞は、なぜ、他の単細胞と結合したのだろう?単細胞の、内なる夢の顕現か?
2294. 書くことは、アフォリズムは、宇宙の暗号を読み、顕現させることだ。(あ、また、来た、ソレが)
2295. 物質の素も、生命の素も、コトバの素も、結局、宇宙自体の顕れである。
2296. 顕れたニンゲンが、自らの素を考える−なんとも妙な具合である。
2297. 読むとは、(私)を知ることとなる。で、(私)は、宇宙であると知るばかりだ。
2298. 来るソレを、顕しておれば、いつか、暗号の謎が、解けるかもしれないではないか。なあ、アフォリズムよ。
2299. しかし、最後には、ソレ、音信も、ニンゲンには読めぬ、未知のシンタックスであるかもしれぬ。
2300. まあ、規則もない、文法もない、異次元からの音信に、触れるだけでも、いいか。
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
2101. 「無」からコトとモノが吹きこぼれて、「無限」に至る。闇の中を、光よ、光よと(私)は歩く。暗から冥まで。
2102. 3.11は、ニンゲンの背丈を告げた。何が不可能かもわかった。さて、もう、迷うまい。
2103. 文字は、表すものではなくて、顕れるものであったか。
2104. 手にて為す、何事もなければ、定印を結ぶ。
2105. 知の人、兼好よりも、情の人、西行に、かえって、断念の深さがあるか。
2106. エスプリは、ユーモアを生むが、パッションは、ユーモアを生まぬ。
2107. 「お客さん、終点ですよ」何度、その声に眼が覚めたことか。(私)は、終りを告げられていた。
2108. 「無記」悟りは、コトバでは、記すことができないと、釈迦は言った。空海は、すべては、コトバで記せると、革命的な発言をした。
2109. 何にしろ、あらゆる存在は、森羅万象は、コトバであると断言した空海である。
2110. 何を語っても、比喩になる。いや、表象になる。文字、コトバそのものが、象徴であるから。だから、モノ自体は、語れない。
2111. その場に、その位置に立たなければ、同じコトバは、語れない。3.11が証明した。
2112. 3.11の(現場)に行くのと、(現場)で生きるのとは、決定的にちがう。物理的な距離は、心理的距離に正比例する。
2113. どんなに、愚かだ、狂暴だ、悪人だと言われている人でも、人は、(私)は正しいと考えて、生きているから、ニンゲンは、奇妙で、面白い。
2114. 沈黙してしまう釈迦と語り続ける空海。因分可説と果分不可説、そこが、二人の別れ道である。
2115. 他人に会う時には、いつも、機嫌のいい者だったが、一人になった時の孤独の深さは計り知れない。
2116. 一者と言い、大日如来と言い、とりあえず、そのように、名前をつけて、呼んでみるしかないものである。そんな、畏怖すべきものが、宇宙にあるということだ。
2117. 不可視のもの、不可知のもの、まだまだ、ニンゲンの(知)が捉えられぬもので、宇宙はあふれている。
2118. 日常に隠れて、よく見えなくなっていた、もうひとつのニンゲンの貌が、3.11の大地震と大津波であぶりだされた。そして、原発の爆発で、貌そのものが消えてしまった。
2119. おろおろし、あたふたとし、結局、宇宙原理が現れた3.11の前では、ニンゲンは、叫び、泣き、そして、沈黙するしかなかったのだ。
2120. 日常が、だらだらと続いたので、長い間、ニンゲンは、危機の感覚をなくしたまま生きていた。足の裏が、ひりひりする、あの感覚をなくしてはならぬ。
2121. 陽気な男がいた。3.11以前には。あれも、ひとつの、天性の財産であったか。
2122. 3.11以降は、ココロの振幅が広がるばかりだ。
2123. 乱れているのは、ココロか?コトバか?思考か?存在そのものか?
2124. たゆたう文体は、何を書いても、どこまで書いても、すべてを宙吊りにする。
2125. 断定する文体は、断言による深さに至るまでに、さまざまなものを殺している。いわば、あやうい一点に立脚しているのが、断定の姿である。
2126. (事実)も(虚構)も、同じ文字で書かざるを得ない、苦痛と不快。
2127. 文章という(現実)が、実も虚も、同じ位置と場に存在する、白紙の力。
2128. 「呼吸」ではじまって、「呼吸」で終るニンゲン。
2129. 思考の形を脱ぎ棄てたいと思う。
2130. 論理もまた、ニンゲンが創りだしたひとつのパターンである。
2131. 悪しき(知)の外へと、脱出すること。
2132. (私)を、「空」であり「無」であると言うが、輪廻する(私)とは、何者か?
2133. 覚、不覚、覚、不覚、の日々である。
2134. (考える)は、どこから、起ちあがってくるのだろう。(私)の意識であろう。意識は?(私)のアラヤ識の蔵から、起ちあがってくる。すると、(私)は、アラヤ識の蔵である。
2135. (私)の(考える)は、(私)が考えるから、来るのか?あるいは、コトバと共に、(考える)が起ちあがるのか?
2136. ココロは、顕れ、消え、流動している生きものであるが、コトバを得て、ココロになる。
2137. 名辞以前、コトバ以前、沈黙以前に、コトバで、挑まねばならない。「名辞以前」というコトバで、すましてしまってはならない。
2138. 狂の中にもコトバがある。つまり、狂は、狂ではなくなる。コトバが、(考え)て、表現できれば。
2139. 人も、風景も、常ならず、つまり、無常。3.11は、誰にでも、無常が観えた。
2140. 生命の源をだどっていくと、「生命樹」あり。宇宙の源をたどっていくと、「宇宙樹」あり。
2141. 宇宙は呼び続けている。無限遠点から音信が来る。宇宙から来た者が、宇宙を知悉しなければなんの為の存在ぞ、なあ、ニンゲンよ。見る者がいなければ、存在に、意味はない。最高のビジョンが、それだと知れよ、なあ、ニンゲン。
2142. そのように、働き、作用するものを、大日如来と名付けて、象徴し、コトバとして、顕現させたのは、誰か?
2143. (不可能)ニンゲンにはできないこと。見ることも、聞くことも、触ることも、書くことも、考えることも、実験することも、あらゆる可能性がゼロであること。それでも(不可能)へと挑戦をしたがるニンゲンがいる。石に、コトバを話させるように。
2144. (不可能)からの出口、(不可能)への入口、事象に特異点があるように、思考にも特異点がある。(不可能)は、特異点の彼方、つまり、異次元でもある。
2145. 埴谷雄高、荒川修作は、特異点を突破して(不可能)へ挑戦した、数少ないニンゲンであった。埴谷さん、アラカワさん、音信を、シグナルを送って下さい。(自同律の不快)と(天命反転)を唱えて。
2146. どのように生きているものを、ニンゲンと呼べるのか、あるいは、ニンゲンの持ち得る、最高のビジョンとは何なのか、危機と混沌の時代だからこそ、問い続けなければならない。
2147. 余分なものは何もない、自然の世界を考えてみると、ニンゲンが、あれが足りない、これが足りない、と、四苦八苦しているのが、実に、おかしい。
2148. 3.11以降では、生命を起点として、あらゆるものの価値が変わった。いや、変わったというよりも、順位、必要の度合が変わったのだ。
2149. だから、3.11以前の、スタイルで、そのまま生きていると、心が分離して、浮遊してしまう。(現実)から。
2150. (私)には、どうしても、宇宙が、百四十億光年の、時空をもつ、わが宇宙ひとつだとは、考えられない。(無限)とは、ニンゲンが計れるような単位ではないだろう。宇宙も、また、無限個あるのではないのか?
2151. テキストは、いつも、読み変えられる。1000年たっても。芭蕉の俳句は、それに耐えられる。完璧な、天才、空海のテキストも、現在の時代に、読み変えられるはずである。
2152. 完成に至るまで、構築された、空海のテキストを、弟子たちは、信者たちは、どのように、読み変えることができるのだろうか?
2153. 「暇潰し」をするには、あまりにも、膨大な時間である、10万時間。60歳で、会社を停年となったX氏は、80歳までの、使える時間を、頭の隅で、計算してみる。で、何か面白いこと、何か楽しいことを探さねば、とても、耐えられぬと呟く。
2154. 不条理そのものが、笑いであって、存在そのものが、哄笑である。
2155. 泣きながら、笑う。笑いのなかに、生まれてくるものがある。自然に。力である。
2156. 農本主義と士方、私は、その間で生きてきた。「保守と破壊」。
2157. 電線が鳴っている、鳴っている。電信柱は、どこまでも続いていて、ニンゲンは、その音を聴きながら、歩いてゆける。
2158. 名前をとりもどそう。喪われてしまったニンゲンの名前を。記号から言霊へ。方言で、呼びあいながら。
2159. 水が来た、水が来た、大水が来た、大津波が来た、ニンゲンを呑み込む水が来た。
2160. 風の流れ、水の流れ、(私)の流れ。アッ、(花)が花をしている。
2161. 足が止まる。壁がある。ただちに、廻れ右だ。今までの(私)の法則であった。
2162. 習慣だ。そして、時間のベクトルを(私)の中心の核から引いてみる。さて、何処へ。
2163. 持たないこと、棄て去ること。どうやら、この二つの生きる態度に、宗教の核がある。
2164. シンプルな生きるスタイルが、もっともニンゲンを、深く生きられる。3.11以降は。
2165. 持てば持つほど豊かになると思う人がいて、名刺には、肩書きが、七つも書いてある。
2166. 立腹する。他人のあれこれに。社会のあれこれに。怒っているのは、(私)の心だ。ココロをセーブしよう。
2167. 3.11から来たのは、まったき沈黙であった。そして、時を経て、コトバの洪水が来た。(私)に。
2168. コトバが爆発をした。原発と均リ合うほどに。
2169. 気が狂うのを鎮めるために、(私)は、コトバの洪水に乗った。そして、流された。たどり着く、正気の岸辺も見えぬあたりまで。
2170. 蒼ざめたまま、大量の波が押し寄せるまで、身体は、無数の痙攣に耐えていた。
2171. 千本の手と千本の足で、クロールをしても、脱出できない大津波にニンゲンが、木屑のように呑み込まれていく、痛い。悲鳴が耳を刺した。
2172. その間、ココロは、どこへ行っていたのだろう、3.11の現場では。
2173. 俳階師西鶴は、愛妻の死んだ日に、鎮魂の俳句を一万句詠んだ。数秒に一句、まるで、洪水だ。そして、小説家・井原西鶴が誕生した。
2174. 3.11以降に、笑いとばす、明るい、楽しい、対話的な作品を書くことが可能だろうか?
2175. ニンゲンの底がぬけてしまうような、圧倒的なコトバの洪水。沈黙の対極に存在する、シャワーのようなコトバの群れ。そんなものが、果たして、可能だろうか?
2176. 意識は、もう、3.11に触れてしまったから、灰色の領域から離陸できない、しかし、行け、歩け。
2177. 存在すること自体を、哄笑する、いや、共に、謳歌する。
2178. あたらしい、ニンゲンに対する切り口がいる。常識を棄て去って。
2179. 笑いが、あたらしい(知)を呼ぶ。意識のゼロ・ポイントでも、笑いは可能か?
2180. コトバにならないものを、あえて、コトバにしてみる。仮の名前をつけて。すると、コトバにならないソレが存在してしまう。ソレらしく。
2181. 同じ道ばかり歩くのは面白くない、とA君
同じ道を歩いても、毎日毎日道の貌がちがう、とB君
同じ道を歩くと、安心感がある、慣れかな、とC君
やはり、はじめての道には、発見がある、とD君。
やれやれ、道の歩き方でも、人それぞれだ。
2182. なんのために、と問うのは、歩くのも、生きるのも、同じこと。
2183. 仕事をすればするほど、あれが足りない、これが足りない、と、わかってくる。限りというものがない。
2184. 原発のストレス・テストをするのもいいが、ニンゲンの、ストレス度を計ってあげる方が先じゃないか!!限度を越して、壊れ、自死する人の叫び声を聴け。
2185. 人が溺れているのに、浮袋がいいのか、木がいいのか、何を投げてやればいいのかと、岸辺で、議論ばかりしている。頭から、飛び込め!!
2186. ニンゲンの大ビジョンは、宇宙へと、大航海の旅にでることか、あるいは、地球での、限りある生命を、今を、快楽することか!!
2187. 存在としての宇宙に、一撃を加えるニンゲン、はたして、何かできるか?
2188. 時空を歪め、自らも変身して、宇宙に遍在せよ、ニンゲン。
2189. 存在が自由自在に非在になり、死が生に、生が死に、反転できる時、宇宙に、ニンゲンは呼応できる。
2190. (考える)というステージを、どこまでアップできるかが、ニンゲンの課題である。
2191. 「猿から人間へ」とステップしてきた我々も、もう、そろそろ、「人間からXへ」とジャンプする時だ。新しい名前を命名しよう。
2192. ソラ・カラ・クウ。ソラ・カラ・クウ。子供たちが、歩きながら、声をそろえて、日本語の練習をしている。言葉遊びふうに。空(そら)空(から)空(くう)と。何度も何度も。
2193. 発光する、発光する、(私)が発光している。それでよし。
2194. 早く、そのことを忘れたい人がいる。いつまでも、そのことを、心に刻みつけておきたい人がいる。人は、その位置と場で、3.11への態度が、百八十度ちがってくる。
2195. 分析はいくらでもできる。そのことを、身をもって生きることが、ポイントである。
2196. (私)を棄てて、奔走している人がいる。その姿は、実に、眩しい。美しい。
2197. 乾坤一擲・賭ける時が来た。誰にでも、一度はやってくるが、その時を見逃してしまう人があまりにも多すぎる。
2198. (私)は、他人を羨んだことがない。なぜ人は、他人を羨むのかわからない。断っておくが、それは、決して(私)が秀れているとか、恵まれているとかではない。(私)は、私の生命を充分に使用すれば、それでよい、と考えているからだ。身の丈に合わせて。
2199. さあ、起て、自分の足で、とにかく、歩くのだ。
2200. 親切なコトバも、歩く杖にはなる。
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
2001. 黄金の蔵がある。ニンゲンの中に、眠っているコトバの蔵が。どうして、人は、耕さないのか、原野を。
2002. 思考の回路さえ見えない、コトバたちの群れ、切れ切れに、文章にさえならぬものたち。言語アーヤラ識のもとに。
2003. 誰もが見ているのに、わからないコトバがある。非・意味のコトバだから。
2004. 狂へと至る道であるかもしれないが、マラルメは、果敢に挑戦をした。そして、日常へと戻ってきた。(美)を携えて。
2005. (私)は斜面にいる男だ。だから、いつも、手足を動かしていないと、深淵へと、滑り落ちてしまう。
2006. 3・11以後は、ニンゲンは、静かに生きられない。危機の意識が、全身に貼りついている。
2007. 科学の(知)は、原爆でも原発でもなく、宇宙へと、むかわねばならない。
2008. ニンゲンの(生きる−死ぬ)というコンセプトを爆破できないものか。
2009. 物質と生命の交流が可能であるならば、その壁も、いつか、突破せねばなるまい。
2010. 宇宙が、一切を記憶しない装置なら、ニンゲンの、生き死にも、何も、残らないだろう。無・意味の時空であるか?
2011. 国を責めても、政治家を責めても、科学者を責めても、東電を責めても、のっぺらぼうになった故郷は、元に戻らない。死者たちは還らない。毎日毎日穴ぼこになった心に、杭を打って生きていくしか術がないのだ。
2012. ビジョンを喪ったから、途方に暮れるのではない。自立するための、足場が崩れているのだ。今、(私)は、野ざらしになっている。
2013. 細い、透明な、糸が、蜘蛛の巣のように、切れ切れのネットワークを作っているから、故郷訛の声で支え合っている。
2014. 誰もが、生きるための、常識として知っていたものさえも、崩れ去ってしまって、仕事、家、故郷、文明、資本主義、昨日まで、普通に考えていたものまで、幻となって、漂いはじめた。
2015. 滅んでしまったものは何だろう。終ってしまったものとは何だろう。大きな、大きな、心の柱としてきたものが、3・11で蒸発してしまった。深層意識から湧き出していたコトバさえ、死んでいる。役に立たない。種子も、渇れたか?
2016. それほどにも、生きているということは、確かなものであったのか?生存の、実在の、根を洗わねば、新しい(私)は、見えてこない。
2017. 幽霊とまではいわない、幻とまではいわない。空で、光って、消える、ひとつの光子の存在に酷似しているニンゲンである。
2018. もう、ニンゲンを終ってしまったから、これからは、新しい生きものとして生きるよ!!何?誰?X氏?
2019. 3・11は、ものの見方も変えてしまう大事件であった。眼の使い方まで変えねばなるまい。
2020. 生きても、生きても、答えはない。つまり、最終的な答えというものがないのだ。あるのは、絶えず、問い続けること、そして、突然、倒れてしまうこと。
2021. 原発を終わらせることができないと、理論を論理を展開する人たちは、結局、昨日までの、自分達の生存の原理を、棄てる覚悟がないのだ。
2022. アフォリズムに問いはあるが、答えを出そうとは思っていない。いつまでも、問い続けるだけだ。
2023. 「資本主義は終った」と、3・11以後の学者たちが語る。いったい、どんな場所にたって、どんな位置にいて、モノを言っているのだろう。中小企業の社長たちには、口が裂けても言えないコトバである。
2024. ああ、気が塞ぐ、気が塞ぐ、3・11からの(私)の病気。
2025. もう、気が晴れることはあるまいって。3・11以後は、笑うことができない、心から。
2026. 身に降りかかる日の粉の払い方には、その人の人格がでる。放射能であれば、思想がでる。
2027. トルストイは、人の道を求めて、(聖)に至ろうとした為、心身症になった(俗)な妻に追い出されて、頓死した。ドストエフスキーは、(狂)に生きて、存在そのものが分裂したが、(魂)を求めて、妻に救われた。
2028. それでも、草は、生えてくるか!!瓦礫の間から、何もなくなった地面から。ニンゲンも、夏草とともに生きるべし。
2029. 3・11のあったあの日から、一人の死者・X氏が(私)の内部に棲みついた。で、(私)の話し相手は、いつも、死者のX氏である。生者は、あれこれと迷ってしまうが、死者は、迷わない。
2030. 時間に、冥界の色が見えはじめたら、そろそろ、お別れの時がくる。どうだい?
2031. めっきり他人には会わなくなったが、木や草や、植物たちの賑わいには、毎日会って、驚いている。
2032. 木に風が吹くと心が感応してしまう。どうやら、垂直に立つ木に流れる時間を見てしまうようだ。
2033. 起きそこなったから、永遠に、その時を失ってしまった。仕方がない、眠り続けるしかないか、目覚めが来ても。
2034. 言語爆発を起こすか、完全に、沈黙しているか、3・11以後には、どちらかの姿勢をとるしかない。
2035. 「読む」と「書く」が一緒になる地点というものが、確かにある。
2036. 原発事故は、「収束」から「終息」へとむかわねばならなぬ。
2037. 在るということの発見こそ、最初の驚きだ。そして、在る、は、多様に分化しはじめた。もちろん、最後のひとつの形態は、無いだ。
2038. 一番簡単な(在る−無い)という存在の形態だが、いつまでたっても、納得のいく説明ができない。
2039. 存在を、実在に限定してしまうと、存在を支える、もうひとつのものが、隠れて、見えなくなる。
2040. 意識は歩く。どこまでも行ってしまうものの名前が、意識である。
2041. 歩けなくなってしまう、領域が、無・意識である。それは、意識に対する無意識ではない。
2042. ニンゲンの発見した、論理、数式、理論が、ことごとく通用しなくなった時代が、アインシュタイン以後であるか。
2043. (私)に、死者を、重ねて生きよ。(私)は、死者X氏を、(私)の内部に顕現させた。いつも、X氏と対話だ。
2044. 奇妙な日常だ。奇妙な時空だ。3・11以後は、希望の火が、幻に変わった。まだ、変わるものはない。
2045. ふわふわとしている。歩いていても。心の、意識の岩盤に穴があいている。
2046. 嘔吐ばかりする。あらゆるものと握手ができない。
2047. (私)という存在の形を、受け入れることが、だんだん、困難になってくるとは。
2048. 決して、早まってはいけない。短気はよくない。潔さは、わかっているだろう。本当の、解決にはならないのだ。
2049. 日常は、だらだらと続くものだから、だらだら坂を登る方法を身につけること。
2050. ニンゲンには、他人と語る時間がいる。ニンゲンには、一人になって、考える時間がいる。どちらが欠けても、ココロは、跛をひいてしまう。
2051. やはり、科学は、宗教と対立しない。日本人の生活形態を視よ。毎日、会社でコンピューターを使いながら、お盆になると、先祖の墓参りをする。
2052. 結局、ニンゲンは、平気で、矛盾を生き、不合理も不条理も受け入れてしまう。
2053. 終日、蝉の声を聴いていると、声が、呪文となって、すべてが、その中にあると思えるから、不思議だ。
2054. 時の流れが加速している。千年が百年に、百年が一年に、一年が一日に、一日が一秒になってしまうほどに、ニンゲンは、時を廻している。
2055. ニンゲンは、何を、待っていられないのだろう。昼と夜の、自然の(時)に合わせて、今を、ゆったりと、呼吸しながら、生きていたのに。現在では、夜もなく、昼もなく、(時間)を計って、生きている。
2056. 夢か現か、どんな方法で、何を計れば、3・11がわかるというのか。
2057. 確かに、確かに、(私)のココロの水準器は壊れてしまった。3・11以後は、調子はずれのコトバばかり吐いている。
2058. 被災者たちは、現に戻ろうと、必死にもがいている。しかし、完全に醒めてしまうと、現は、まるで夢のようで、3・11を、そのまま自分に言いきかせることは出来ないだろう。
2059. 3・11で、何が、無効になったのか?それまでは、役に立つと思っていたのに、まったく、役に立たなくなったものたち。棄ててしまえ。
2060. ニンゲンは、なぜ、いいと思われる方向へと舵を切れるのか。
2061. 損、得を超えたところにある、いいは社会の、常識の、いい、わるいではない。
2062. 毎日、読む、毎日、書く、宇宙の縁に坐って。
2063. 科学は、宗教を排除しているのではない。内側から侵蝕しているのだ。
2064. (私)を読む、(私)を書く、はじまりからおわりまで。
2065. その位置を支える。その場を支える。支える時、人は、生きている。
2066. ニンゲンは、どこまで(私)を、コントロールできるのだろう?(私)が(私)に重なっているうちはいいが、(私)が(私)から遊離した時、ニンゲンは、はたして、正気でいられるかどうか?
2067. 何が(私)をしているのか?
2068. 声が(私)を呼んでいるのか?(私)に声が来るのか?その境目は、誰そ彼れの時間に似ていて、杳としている。
2069. 眼の前に在って、眼の前にはない、つまり、異次元を、そのまま、視ているのだ。父の死後、(私)に迫ってきた動画。
2070. 何度か、(私)も、ヴォワイヤン(見者)になった。その時、その瞬間は、詩人であった。
2071. 生きているうちにも(私)は変わり続ける。まるで、一生のうちに、輪廻転生が起こっているみたいに。(私)は、別の(私)になる。
2072. 3・11以後は、見えないものも見える。死者たちが、顕現した、そこでは。
2073. 文章の、シンタックスが変わらねばならない。思考そのものが、考えるということが、変わらねばならない。(考え方を、変えるのではない)
2074. て・に・を・は・の、使用法を終らせること。つまり、切れ切れの、モノが、放り出されているように、文章も、時空に、存在として、散在している、おそらく、そのくらいの、大きな変革が、3・11には必要である。
2075. で、新しい、「読み方」と「書き方」の出現が必要となる。
2076. (考える)が何であったか、根本から考えることだ。
2077. 3・11で、1億2千700万人が、瞬時に見たもの、その視力の先にあったもの、共時的に、全員が体感したソレだ。
2078. あと一歩がとどかない。危機一髪で目が覚めた。夢だったのか、と思っても、夢のリアリティは消え去らない。冷汁がでる。
2079. (現実)よりも、夢の力が強い日々が続くと、眠るのが怖くなる。寝ても覚めても、夢に、喰い千切られる、心。
2080. 夢は、夢だけでは終らない。(現実)の、生身の(私)の中にも、深く、鋭い、夢跡を残してしまうから。
2081. 夢という灯がつく。(私)という窓から、眺めている、もうひとつの宇宙だ。
2082. 自分のみた夢を、一生涯、書き綴った、禅僧、明恵の「夢日記」。夢の放つエネルギーに、正気と狂気の紙一重の、淵に起たされて、耐えた力に感服をした。いったい、明恵は、どちらの世界に生きていたのだろう。
2083. 人生を、文学的に考えないこと。考えるからこそ、人生はあるのだと。
2084. 言葉が成熟しない人は、淋しい人だが、決して、その人の、人生が成熟していないのではない。おそらく、人生は、時熟とともに、在るのだ。
2085. 棄てたものが、多いから、失敗したのではない。棄てて、棄てて、やっと摑んだ、最後の一本の糸で、充分だ。
2086. カフカも、やはりアフォリズムを、日々の友としていたか、夢と一緒に。
2087. 思考に、心臓を摑まれた者は、無限へと身を投じるしか術がない。
2088. もう少し生きてみようと呟く時、分身は、死の淵を覗いている。
2089. 千分の一でも、宇宙がわかったらと、友達が言うから、君だって、無限そのものだろうと、針を刺した。
2090. 思考の糸がとどかぬもの、決して、名付けられぬもの、それよ、問題は。
2091. 形態が変わることは、必ずしも、(死)を意味しない。(私という死体)
2092. (私)=(私)というアイデンティティには、意味がない。(私)は変わるXだから。
2093. 形は、単なる物象化である。魂は、形を解き放っている。
2094. ニンゲンは、なぜ、(物体)という物象化された(私)に固執するのか?コズミック・ダンスを踊り続ければいいのに。形態は、一時的なもの、変化は宇宙の法。
2095. (死)は、パンクかもしれない。自転車のパンクは空気が抜けるが、ニンゲンのパンクは、いったい、何が抜けるのだろう?死体を残して。
2096. 「言語による暴力」とはよく使われる言葉である。しかし、言語に暴力をふるうと、いったい、どうなるのか?新しい言語の発生?
2097. コトバで、表現できると思うのは、第一歩だ。コトバでは、表現できぬと思うのが第二歩だ。しかし、すべてのコトバが、次元をステップしてしまって、異次元においても、存在として、成立する時、コトバは、すべてを顕現させると思う、第三歩である。
2098. コトバは、コトバでなくなって、しかも、コトバのままである。メビウスの輪のように、コトバも在る。
2099. 呪文とか、念力とか、現代人が棄ててしまった、力が、実は、心の底の、深層意識の中で、ふつふつと煮えたぎっている。出口を探して。
2100. 意識そのものを、呑み込んでしまうのは、やはり、のっぺらぼうであろう。
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1901. 3・11の、その日のことを語れば(私)が壊れてしまう人がいて、語らなければ(私)が壊れてしまう人もいる。
1902. スベテが無役に終ったから、コトバの本来の力を信じて、最後のコトバ、呪文を唱えてみる。
1903. 善とか悪とか、信とか疑とか、「人間原理」で生きることに倦み疲れた時には、無限とか無とか、超球とか虚とか、「宇宙原理」に触れて、ココロを、宙に、浮遊してみる。
1904. ニンゲンは、魂魄である。古代人は言った。天から来たものは、天へ、魂。地から来たものは地へ、魄。(私)は死んだか。
1905. 艱難辛苦のセイカツである。四苦八苦の人生である。すっかり終ってしまうと、透明になって、軽々とした。文句もない。
1906. 3・11があって、ココロが日々のあれこれから、異次元のあれこれへと、遊泳しはじめたので、逢うものたちが、まったく、姿を変えてしまった。
1907. 真夏の、朝の海、太陽と水と空と実にシンプルな光景である。無限も永遠も発見できる。
1908. 海が、黒々と、垂直に、天から来た3・11である。
1909. ニンゲンの顔が、のっぺらぼうになってしまう3・11であった。畏怖である。
1910. 僧も、また打つ手なしの3・11だ。
1911. 3・11以後は、心の破れ目に、傷に、どこまでも、伴走してあげる覚悟がある。
1912. 意識の形象化が爆発して、光の乱舞する混沌に、3・11があった。
1913. 生者たちの夏が終って、死者たちが、光となって、はねているお盆の海である。
1914. こんなところで、こんなことをしている場合じゃないのに。3・11以後は、誰もが、そう思って、生きてる。しかし、ついつい、昨日の習慣に縛られて生きてしまう、ニンゲンであるか。
1915. 切りのない、果てのない、無限地獄に落ちてしまった3・11。誰も、歩き方がわからない。
1916. 3・11の空虚(そら)は、開いたままの空虚(あな)である。
1917. 歩いて、歩いて、新しい実存(みち)が出来あがるまで、(私)の中心に心柱をたてて。
1918. マラルメは「虚無」へ。空海は「自心源底」へ。(私)は、「宇宙」のヘソへ。
1919. 確かに、誰かが言っていた。「魂は、ニンゲンが死んでから顕現する」と。なるほど。三陸は、魂たちの海か!!
1920. 光の、「分光器」があるならば、コトバの「分言器」もあるだろう。悲しみの「分心器」もあるのだろうか?
1921. 国は、何時、本当のことを言うのだろう。千人、千五百人、三千人・・・子供たちがフクシマから逃げ去っているのに。
1922. 歩行は、一番の気付きの場である。3・11の現場を歩いてみる。
1923. 気付きの後には、思考が来る。思考の後には、行動が来る。
1924. 「日常→非日常→日常」の経験の中で、東日本大震災からの、本物の思想が起ちあがるものと信ずる。
1925. (私)にとって、生きている(現場)が「本」であった。
1926. 「本」を読む以上に、生きた現場を読んできた。
1927. アフォリズムは「本質直感」(プラトン)かもしれぬ。
1928. 生きる現場を離れて、なんの思想ぞ、その思いが(私)にはある。
1929. 「気付き」の起点がなければ、何もはじまらない。「気付き」から思考へ、実践へ、探求と深化の旅がはじまる。
1930. 3・11では、「宇宙原理」が顕現した。いつも、普通に生きている「人間原理」が役に立たなかった。ニンゲンに、生きものたちに関係なく、廻っている「宇宙原理」である。
1931. 日常では、あらゆるコトとモノに意味と名前を付けてきた。3・11では、名前のない、のっぺらぼうが出現して、無・意味、非意味という現象に驚愕した。
1932. 時空も、また、存在自体の兄弟なら、消えたり、現れたりするシステムの秘密をニンゲンに告げてくれ。
1933. ニンゲンの、何が、どのように、宇宙に残るというのだろうか?眩暈がして、上手く、考えられぬ。生命の出現は、宇宙にとっていったい、何なのか?
1934. 存在という蔵を、開けてしまう鍵があれば、文句はないが、まだ、どこにも、見つからない。
1935. 終日(考える)ということを考えていたが、異次元へと飛翔する思考も、日が蔭って、夜が来ると、(私)のもとへと還ってくる。そして、夕食を食べている(私)。
1936. 神という、どの国にもあるコトバで、神を呼んでも、(神)は、神というコトバの中には、決して納まらぬ。
1937. 感動も虚無も分析を拒否する。語りはじめるのは、時が流れて、大きな渦の中から、外へと、出た時に限る。直後には、必ず、体験とコトバが分離してしまうから。
1938. 3・11で、意識の、存在のゼロ・ポイントまで落ちたニンゲンは、切れ切れの一日を継いで、立ち直って、今度こそ、固有の(私)の歩き方を、身につけねばならない。
1939. (私)をあらゆるものが通過していく。ニュートリノからコトバまで。
1940. 眼が出現してから、もう、何十億年になるのか?そう遠くない時に、眼は、今は、まだ見えない放射能まで見てしまうだろう。
1941. 心的な、神的な、コトバが来る。ほとんど啓示である。彼方から深層意識の、アラヤ識から。
1942. フクシマの子供たちが怒っている。「放射能よ、千年地下で眠っていろ!!」
1943. 真夏日に、帽子に、長シャツに、マスクをして、フクシマの子供たちが学校へ行く。蝉、鳴くか、馬、嘶くか、子供たちは、泣いている、夏の盛りに。
1944. 文句も言わず、愚痴もこぼさず、もう、すっかり、本当のことがわかっているので、フクシマの子供たちは、叫び声を噛み殺している。
1945. 無関係の関係の時代は確実に終った。フクシマは遍在する。地球上のどこにでも遍在する。
1946. ヒロシマに学び、ナガサキに学び、いったい、日本人は、何を学んできたのだ。もう、最後だ、フクシマに学べ。
1947. 素手で生きるしかない。素足で歩いている。着のみ着のままで逃げた。家をなくし、家族をなくし、仕事をなくし、故郷をなくし、これ以上、喪うものがないくらい、深手を負って、ニンゲンの限度で、起っているフクシマの人々。
1948. 誰だ、一年で、帰れるようにする、と寝言のようなことを放言するのは。本当のことが言えなくて、耳触りのいいコトバばかり並べたがる。あなたには、その椅子に坐る資格がない。
1949. フクシマの県知事の顔は、ニンゲンの顔をしているのに、国会では、猿のような顔した政治家が、無為無策の、戯事で、時間を浪資している。死ぬほどに働け。
1950. 原子力発電を推進してきた専門家が、テレビで、言い訳ばかりしている。フクシマに行って放射能を除染しろ、汗にまみれて。あなたの(知)は、見事に死んだのだ。
1951. アインシュタインよ、あなたのE=mc²は、終に、原爆投下から原発事故まで生んでしまった。そちらから還ってきて、一瞬で、放射能を消す方法を発見してくれ。
1952. ニンゲンは、生命史、38億年を、破壊しようとしている。
1953. 大の大人が、拳で、涙を拭って、凝つと海の方を眺めている。沈黙よりと深い、静けさの中で。
1954. ニンゲンに見放された牛が、青空に脚をむけて死んでいる。
1955. 夏である。66度目の夏である。8月6日、ヒロシマの夏。8月9日ナガサキの夏。疼き続けている原爆の傷口。3・11、フクシマの春。原発の、大地震の、大津波の、三重苦、四重苦の終息すら見えない。
1956. 何も、コトバは、文学者だけの特権ではない。自分のコトバを持たぬ人は、政治家ではない。コトバを正すことこそ、為政者の勤めだと語ったのは、孔子である。(正名論)
1957. 答えられなくなると、詭弁を使って逃げる。その時、あなたの中の政治家は死んだのだ、総理。
1958. どうして、3・11の被災者の誰もが、なるほど、と頷けるコトバを、現代の政治家は、語れないのだろう。一人の死者を、あなたの心の中に、意識の中に、棲まわせておけ。
1959. まだ、3・11から5ヶ月だというのに、もう、原発が、(現実)のセイカツに必要だと言いはじめた。商売の国。延々と、国民的な議論を続ければよい。今、日本人が試されているのだ。旗を高く揚げよ。(現実)は、いったい、誰が作るのだ。効率と便利さと快適を求めた(知)の文明が、犯した、大失敗が、もう、遠のいてしまうのか。冗談であろう。(考える)その力が衰えれば、ニンゲンは、本当に、滅ぶ。内省と洞察。
1960. 誤ってしまった大人が持てる、最後の使命のようなものを、未来の子供たちのために、掲げよ。
1961. 光から来たから光へと帰ろう。私たちは光の子。光の化石の子。
1962. 闇から来たから闇へと帰ろう。私たちは闇の子。ダーク・マターの子。
1963. 科学の(知)は、過去へとは戻れない。宗教の(智)は、いつでも過去へと戻っていけるが。
1964. 3・11で、ニンゲンも、存在の泡であると、思い知らされた。
1965. 腰が抜けて、歩けない人に気を落とすなだって、もう、とっくに、気は落ちているのに。
1966. 着のみ着のままで、すべてが流されて、やっと、体育館にいる人に、禁句を聞く、TVのレポーターがいる。
1967. 大震災の後のアルバム探し。七五三もあったよね。運動会もあったよね。お祭りも、卒業式も、結婚式もあったんだね。ホラ、笑っているよ。
1968. 毎日、夜が来ると泣いている。仮設住宅で。体育館の避難所では、一滴の涙も出せなかったのに。
1969. 若い頃は、(私)だけで生きている、なんて、とんでもない思い違いをしていたが、3・11で、よーくわかった。みんなに、生かされているって。愚かだったね。
1970. 苦も、楽も、生きてこそ。
1971. なにか、不安はないかと訊かれても、不安は、いつも、べったりと貼りついているよ、3・11以後は。
1972. (無)ゼロ・ポイントから、ニンゲンに戻るには、容易ではない。まだ、ニンゲンの顔、してないと思うよ。
1973. 大地が揺れてから(私)が何処にいるのか、わからなくなった。
1974. 信じているものが、ない、とわかったことが、実に、辛い。何を、どこで、間違ったのだろう。
1975. (私)の中にあるものしか見えない。(私)の中にないものは見えない。
1976. 生きる、は、共に在ることだと、この齢になって、3・11で、はっきりとわかった。
1977. (私)は私だ。(私)は私ではない。やはり、(私)は私だ。「(私)は他者だ」と言い放った、ランボーの声が、身に沁みてくる。
1978. 瓦礫の隙間に夏の花が咲いている。美しい。(私)は、花と生きている。
1979. ただの、道端の、瓦礫の下の石ころも、存在し、顕現するまでに、どれだけの時間がかかったか、考えてみる。物自体の不思議がある。
1980. お願いします。(私)を棄ててから、声を掛けて下さい。(私)に重なるように。
1981. 人を嬲るような発言は止めて下さい。形式的な、ありそうもない、虚言を、もっともらしく、正しいこととして、話すのは。
1982. 身体そのものが、封じ込めてしまっているコトバがある。
1983. 宇宙の顔のようなものに触れてそのまま、失神をした。
1984. 身体が痙攣の中にいる時には、コトバも、アヤラ識から湧きあがってこない。
1985. 在る、無いが、こんなにも、はっきりと、形になる経験は、一生に一回で、けっこうである。
1986. 叫びたいのに声がでない。何かが声を呑み込んでしまう。歩きたいのに足が前へと出ない。何かが足を縛っている。
1987. 酷いことだ。子供は風の子。昔から、外で遊ぶと決まってる。フクシマでは、カーテンの内に閉ざされて。
1988. 千年に一度の大地震と言うが、東北、三陸地方の人たちは、明治二十九年の津波、昭和八年の津波、昭和三十五年のチリ地震津波と、平成二十三年の、今回の大津波と百数十年のうちに、四回も、大被害を受けているのだ。
1989. 発狂しないのが、不思議なくらいの、すべてを喪った人たちがいる。どうか(私)が(私)から離れてしまわないように。
1990. 海の底の声、空の上の声。枕許で響き続けておる。
1991. 偶然という魔の恐怖。一切、排除の術がない。
1992. 浦安市、旭市、大洗、ひたちなか市、北茨城市、いわき市、広野市、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、南相馬市、新地町、名取市、仙台市、南三陸町、大槌町、石巻市、南松島市、大船戸市、陸前高田市、宮古市、釜石市、八戸市、(私)が訪問した街である。歩いた街である。泊まった街である。仕事をした街である。共働で、事業をした街々である。あの家、この家、海、山、川、幻が揺れている。
1993. 何億、何兆、何京の生命たちが、この星に生れて死んでいったか。生命の連鎖の果てに、ニンゲンが現れて、(私)が誕生した。ニンゲンの死だけは、不条理である。不可思議である。信じようにも、信じかたがないのだ。もちろん、3・11の死者たちも。
1994. 石や壁や水に記憶はあるのか?つまり、宇宙そのものが、宇宙に起こったことを、記憶できるのか?ニンゲンは、何もないところへと、出てしまうかもしれない。
1995. 一切が(無)、一切が(空)、中国人、インド人の思考は、ひとつの発見ではある。
1996. 深層意識の、一番深いところへ降りて、果たして、宇宙そのものに、遭遇できるのだろうか。
1997. 昔、村に、鉦つきのおっさんがいた。村に、死者がでると、鉦を叩いて歩いて、村中を廻るのだ。妙に、その鉦の音を思いだすのだ。虚空に鳴り響いている、その音は。
1998. 3・11の巨大な空虚をうめるコトバを、ニンゲンが発見できるわけがない。
1999. 空に光子のダンスがあるうちにニンゲンそのものを味わい尽くすのだ。
2000. 夏の光の賑わいの後には、秋の光の寂寥があって、魂たちが、コズミック・ダンスを踊っている。(私)という魂も参加をしよう。
(H23年8月23日完)