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• 金曜日, 12月 09th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
2101. 「無」からコトとモノが吹きこぼれて、「無限」に至る。闇の中を、光よ、光よと(私)は歩く。暗から冥まで。
2102. 3.11は、ニンゲンの背丈を告げた。何が不可能かもわかった。さて、もう、迷うまい。
2103. 文字は、表すものではなくて、顕れるものであったか。
2104. 手にて為す、何事もなければ、定印を結ぶ。
2105. 知の人、兼好よりも、情の人、西行に、かえって、断念の深さがあるか。
2106. エスプリは、ユーモアを生むが、パッションは、ユーモアを生まぬ。
2107. 「お客さん、終点ですよ」何度、その声に眼が覚めたことか。(私)は、終りを告げられていた。
2108. 「無記」悟りは、コトバでは、記すことができないと、釈迦は言った。空海は、すべては、コトバで記せると、革命的な発言をした。
2109. 何にしろ、あらゆる存在は、森羅万象は、コトバであると断言した空海である。
2110. 何を語っても、比喩になる。いや、表象になる。文字、コトバそのものが、象徴であるから。だから、モノ自体は、語れない。
2111. その場に、その位置に立たなければ、同じコトバは、語れない。3.11が証明した。
2112. 3.11の(現場)に行くのと、(現場)で生きるのとは、決定的にちがう。物理的な距離は、心理的距離に正比例する。
2113. どんなに、愚かだ、狂暴だ、悪人だと言われている人でも、人は、(私)は正しいと考えて、生きているから、ニンゲンは、奇妙で、面白い。
2114. 沈黙してしまう釈迦と語り続ける空海。因分可説と果分不可説、そこが、二人の別れ道である。
2115. 他人に会う時には、いつも、機嫌のいい者だったが、一人になった時の孤独の深さは計り知れない。
2116. 一者と言い、大日如来と言い、とりあえず、そのように、名前をつけて、呼んでみるしかないものである。そんな、畏怖すべきものが、宇宙にあるということだ。
2117. 不可視のもの、不可知のもの、まだまだ、ニンゲンの(知)が捉えられぬもので、宇宙はあふれている。
2118. 日常に隠れて、よく見えなくなっていた、もうひとつのニンゲンの貌が、3.11の大地震と大津波であぶりだされた。そして、原発の爆発で、貌そのものが消えてしまった。
2119. おろおろし、あたふたとし、結局、宇宙原理が現れた3.11の前では、ニンゲンは、叫び、泣き、そして、沈黙するしかなかったのだ。
2120. 日常が、だらだらと続いたので、長い間、ニンゲンは、危機の感覚をなくしたまま生きていた。足の裏が、ひりひりする、あの感覚をなくしてはならぬ。
2121. 陽気な男がいた。3.11以前には。あれも、ひとつの、天性の財産であったか。
2122. 3.11以降は、ココロの振幅が広がるばかりだ。
2123. 乱れているのは、ココロか?コトバか?思考か?存在そのものか?
2124. たゆたう文体は、何を書いても、どこまで書いても、すべてを宙吊りにする。
2125. 断定する文体は、断言による深さに至るまでに、さまざまなものを殺している。いわば、あやうい一点に立脚しているのが、断定の姿である。
2126. (事実)も(虚構)も、同じ文字で書かざるを得ない、苦痛と不快。
2127. 文章という(現実)が、実も虚も、同じ位置と場に存在する、白紙の力。
2128. 「呼吸」ではじまって、「呼吸」で終るニンゲン。
2129. 思考の形を脱ぎ棄てたいと思う。
2130. 論理もまた、ニンゲンが創りだしたひとつのパターンである。
2131. 悪しき(知)の外へと、脱出すること。
2132. (私)を、「空」であり「無」であると言うが、輪廻する(私)とは、何者か?
2133. 覚、不覚、覚、不覚、の日々である。
2134. (考える)は、どこから、起ちあがってくるのだろう。(私)の意識であろう。意識は?(私)のアラヤ識の蔵から、起ちあがってくる。すると、(私)は、アラヤ識の蔵である。
2135. (私)の(考える)は、(私)が考えるから、来るのか?あるいは、コトバと共に、(考える)が起ちあがるのか?
2136. ココロは、顕れ、消え、流動している生きものであるが、コトバを得て、ココロになる。
2137. 名辞以前、コトバ以前、沈黙以前に、コトバで、挑まねばならない。「名辞以前」というコトバで、すましてしまってはならない。
2138. 狂の中にもコトバがある。つまり、狂は、狂ではなくなる。コトバが、(考え)て、表現できれば。
2139. 人も、風景も、常ならず、つまり、無常。3.11は、誰にでも、無常が観えた。
2140. 生命の源をだどっていくと、「生命樹」あり。宇宙の源をたどっていくと、「宇宙樹」あり。
2141. 宇宙は呼び続けている。無限遠点から音信が来る。宇宙から来た者が、宇宙を知悉しなければなんの為の存在ぞ、なあ、ニンゲンよ。見る者がいなければ、存在に、意味はない。最高のビジョンが、それだと知れよ、なあ、ニンゲン。
2142. そのように、働き、作用するものを、大日如来と名付けて、象徴し、コトバとして、顕現させたのは、誰か?
2143. (不可能)ニンゲンにはできないこと。見ることも、聞くことも、触ることも、書くことも、考えることも、実験することも、あらゆる可能性がゼロであること。それでも(不可能)へと挑戦をしたがるニンゲンがいる。石に、コトバを話させるように。
2144. (不可能)からの出口、(不可能)への入口、事象に特異点があるように、思考にも特異点がある。(不可能)は、特異点の彼方、つまり、異次元でもある。
2145. 埴谷雄高、荒川修作は、特異点を突破して(不可能)へ挑戦した、数少ないニンゲンであった。埴谷さん、アラカワさん、音信を、シグナルを送って下さい。(自同律の不快)と(天命反転)を唱えて。
2146. どのように生きているものを、ニンゲンと呼べるのか、あるいは、ニンゲンの持ち得る、最高のビジョンとは何なのか、危機と混沌の時代だからこそ、問い続けなければならない。
2147. 余分なものは何もない、自然の世界を考えてみると、ニンゲンが、あれが足りない、これが足りない、と、四苦八苦しているのが、実に、おかしい。
2148. 3.11以降では、生命を起点として、あらゆるものの価値が変わった。いや、変わったというよりも、順位、必要の度合が変わったのだ。
2149. だから、3.11以前の、スタイルで、そのまま生きていると、心が分離して、浮遊してしまう。(現実)から。
2150. (私)には、どうしても、宇宙が、百四十億光年の、時空をもつ、わが宇宙ひとつだとは、考えられない。(無限)とは、ニンゲンが計れるような単位ではないだろう。宇宙も、また、無限個あるのではないのか?
2151. テキストは、いつも、読み変えられる。1000年たっても。芭蕉の俳句は、それに耐えられる。完璧な、天才、空海のテキストも、現在の時代に、読み変えられるはずである。
2152. 完成に至るまで、構築された、空海のテキストを、弟子たちは、信者たちは、どのように、読み変えることができるのだろうか?
2153. 「暇潰し」をするには、あまりにも、膨大な時間である、10万時間。60歳で、会社を停年となったX氏は、80歳までの、使える時間を、頭の隅で、計算してみる。で、何か面白いこと、何か楽しいことを探さねば、とても、耐えられぬと呟く。
2154. 不条理そのものが、笑いであって、存在そのものが、哄笑である。
2155. 泣きながら、笑う。笑いのなかに、生まれてくるものがある。自然に。力である。
2156. 農本主義と士方、私は、その間で生きてきた。「保守と破壊」。
2157. 電線が鳴っている、鳴っている。電信柱は、どこまでも続いていて、ニンゲンは、その音を聴きながら、歩いてゆける。
2158. 名前をとりもどそう。喪われてしまったニンゲンの名前を。記号から言霊へ。方言で、呼びあいながら。
2159. 水が来た、水が来た、大水が来た、大津波が来た、ニンゲンを呑み込む水が来た。
2160. 風の流れ、水の流れ、(私)の流れ。アッ、(花)が花をしている。
2161. 足が止まる。壁がある。ただちに、廻れ右だ。今までの(私)の法則であった。
2162. 習慣だ。そして、時間のベクトルを(私)の中心の核から引いてみる。さて、何処へ。
2163. 持たないこと、棄て去ること。どうやら、この二つの生きる態度に、宗教の核がある。
2164. シンプルな生きるスタイルが、もっともニンゲンを、深く生きられる。3.11以降は。
2165. 持てば持つほど豊かになると思う人がいて、名刺には、肩書きが、七つも書いてある。
2166. 立腹する。他人のあれこれに。社会のあれこれに。怒っているのは、(私)の心だ。ココロをセーブしよう。
2167. 3.11から来たのは、まったき沈黙であった。そして、時を経て、コトバの洪水が来た。(私)に。
2168. コトバが爆発をした。原発と均リ合うほどに。
2169. 気が狂うのを鎮めるために、(私)は、コトバの洪水に乗った。そして、流された。たどり着く、正気の岸辺も見えぬあたりまで。
2170. 蒼ざめたまま、大量の波が押し寄せるまで、身体は、無数の痙攣に耐えていた。
2171. 千本の手と千本の足で、クロールをしても、脱出できない大津波にニンゲンが、木屑のように呑み込まれていく、痛い。悲鳴が耳を刺した。
2172. その間、ココロは、どこへ行っていたのだろう、3.11の現場では。
2173. 俳階師西鶴は、愛妻の死んだ日に、鎮魂の俳句を一万句詠んだ。数秒に一句、まるで、洪水だ。そして、小説家・井原西鶴が誕生した。
2174. 3.11以降に、笑いとばす、明るい、楽しい、対話的な作品を書くことが可能だろうか?
2175. ニンゲンの底がぬけてしまうような、圧倒的なコトバの洪水。沈黙の対極に存在する、シャワーのようなコトバの群れ。そんなものが、果たして、可能だろうか?
2176. 意識は、もう、3.11に触れてしまったから、灰色の領域から離陸できない、しかし、行け、歩け。
2177. 存在すること自体を、哄笑する、いや、共に、謳歌する。
2178. あたらしい、ニンゲンに対する切り口がいる。常識を棄て去って。
2179. 笑いが、あたらしい(知)を呼ぶ。意識のゼロ・ポイントでも、笑いは可能か?
2180. コトバにならないものを、あえて、コトバにしてみる。仮の名前をつけて。すると、コトバにならないソレが存在してしまう。ソレらしく。
2181. 同じ道ばかり歩くのは面白くない、とA君
     同じ道を歩いても、毎日毎日道の貌がちがう、とB君
     同じ道を歩くと、安心感がある、慣れかな、とC君
     やはり、はじめての道には、発見がある、とD君。
     やれやれ、道の歩き方でも、人それぞれだ。
2182. なんのために、と問うのは、歩くのも、生きるのも、同じこと。
2183. 仕事をすればするほど、あれが足りない、これが足りない、と、わかってくる。限りというものがない。
2184. 原発のストレス・テストをするのもいいが、ニンゲンの、ストレス度を計ってあげる方が先じゃないか!!限度を越して、壊れ、自死する人の叫び声を聴け。
2185. 人が溺れているのに、浮袋がいいのか、木がいいのか、何を投げてやればいいのかと、岸辺で、議論ばかりしている。頭から、飛び込め!!
2186. ニンゲンの大ビジョンは、宇宙へと、大航海の旅にでることか、あるいは、地球での、限りある生命を、今を、快楽することか!!
2187. 存在としての宇宙に、一撃を加えるニンゲン、はたして、何かできるか?
2188. 時空を歪め、自らも変身して、宇宙に遍在せよ、ニンゲン。
2189. 存在が自由自在に非在になり、死が生に、生が死に、反転できる時、宇宙に、ニンゲンは呼応できる。
2190. (考える)というステージを、どこまでアップできるかが、ニンゲンの課題である。
2191. 「猿から人間へ」とステップしてきた我々も、もう、そろそろ、「人間からXへ」とジャンプする時だ。新しい名前を命名しよう。
2192. ソラ・カラ・クウ。ソラ・カラ・クウ。子供たちが、歩きながら、声をそろえて、日本語の練習をしている。言葉遊びふうに。空(そら)空(から)空(くう)と。何度も何度も。
2193. 発光する、発光する、(私)が発光している。それでよし。
2194. 早く、そのことを忘れたい人がいる。いつまでも、そのことを、心に刻みつけておきたい人がいる。人は、その位置と場で、3.11への態度が、百八十度ちがってくる。
2195. 分析はいくらでもできる。そのことを、身をもって生きることが、ポイントである。
2196. (私)を棄てて、奔走している人がいる。その姿は、実に、眩しい。美しい。
2197. 乾坤一擲・賭ける時が来た。誰にでも、一度はやってくるが、その時を見逃してしまう人があまりにも多すぎる。
2198. (私)は、他人を羨んだことがない。なぜ人は、他人を羨むのかわからない。断っておくが、それは、決して(私)が秀れているとか、恵まれているとかではない。(私)は、私の生命を充分に使用すれば、それでよい、と考えているからだ。身の丈に合わせて。
2199. さあ、起て、自分の足で、とにかく、歩くのだ。
2200. 親切なコトバも、歩く杖にはなる。
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