Archive for ◊ 3月, 2024 ◊

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• 金曜日, 3月 15th, 2024
●重田昇ワールド 3部作(ライフワーク)
●日本文学史上、初の、1作家・3分野(詩、小説、アフォリズム)同時出版の偉業!!へ
●3つのカテゴリーを超えて疾走するコトバの宇宙の誕生へ

 

① 大河小説全4巻(4000枚) 『百年の歩行』第1巻(阿波篇)1000枚

弘法大師の分身(4人)たちが活動する。明治、大正、昭和、平成を貫く、四国の阿波の国。祖母・父母・子供の3代にわたる物語。遍路文化、祭り、土木工事、さまざまな(事件)や(事故)が発生する、(場)と(人間)の物語。風俗、文化、産業、<人間の裸形>を刻む全体小説。主人公は(時代)と(場)。
◎歩く言葉で書く(小説)(歩行)

② 重田昇全詩集(27歳から75歳) 全40作品

21世紀を告げる詩。(文体とリズムと思想)「人間原理」から「宇宙原理」まで。
鎮魂歌(8作品 大事な人々)
「箱-3部作」「霧箱」「暗箱」「泡箱」
『ある惑星の歩き方』詩集
◎踊る言葉で書く(詩)(舞踏)

③ アフォリズム集『コズミック・ダンスを踊りながら』(4000作品)全4巻

至高の言葉、究極の言葉を求めて。
◎跳ぶ言葉で書く、アフォリズム。(跳躍)
他の追随を許さない、コトバの高みで、堂々の4000作品を完成!!
芥川龍之介、萩原朔太郎、埴谷雄高、寺山修司、永瀬清子、カフカ、パスカル、デリタが愛したアフォリズムの水脈を継ぎ、現代に甦えさせる。(人間と宇宙)がテーマ。
一言半句に宇宙を!!一言半句で人間を。
小説家で(詩)を書く人がいる。詩人で(小説)を書く人もいる。哲学者で(アフォリズム)を書く人がいる。
しかし、3つの言葉で、同時に(小説)(詩)(アフォリズム)を十有余年、書き続けて、3冊の「本」を同時に出版するのは、重田昇がはじめてであろう。
3つの言葉が、入り子細工のように絡みあって、不思議な(宇宙)が誕生した。
(ニンゲン)が壊れてしまうかもしれない危機)を乗り切って、この困難な3部作が完成する。
 歩く言葉の(小説)踊る言葉の(詩)跳ぶ言葉のアフォリズム。同じ単語でも、作品によって、その意味が変わってしまう不思議。
 デザインは、小説が(緑の本)詩が(赤い本)アフォリズムが(青い本)である。そして、本の中心には、白ぬきで、◯と△と□がある。

コトバの宇宙だ。さて、あなたは、どの本から読みますか?(赤)(緑)(青)?
百年、千年生きのびるコトバの力を!!
小説「百年の歩行」について

文芸評論家・秋山駿と対談した折、是非、君の出自の原風景、祖母や父や母のことを書けよ、面白いものになるぞとアドバイスされて、20年以上、ようやく、四国の原風景を書くことになった。
早稲田には、大学を舞台にした、2つの大河小説がある。「人生劇場」尾崎士郎著・全11巻。「青春の門」五木寛之著・全9巻。数十年も読まれている名作である。
そろそろ、第3の、大河小説が出現してもいいだろう。
『百年の歩行』は、4000枚の大河小説。構想は練ってみたが、第1巻(阿波篇)1000枚で苦戦している。(ノオト1200枚-第1稿)
明治生まれの祖母の嫁入り。弘法大師を信仰する信者。父は、2人の父をなくして、6人の弟・妹をかかえて、12歳から、自転車に乗って、土方に出た。戦争で中国へ。砲兵。人殺しと火薬と人の使い方を覚えて帰ってきて建設会社を設立(ミニ田中角栄)母は、貧乏な家の出、すべて甲の成績で、頭よし、文も上手い。息子は、野球、音楽、何になるかわからない少年。早稲田へ。
戦後、昭和という時代の風景。
祖母の家-大里の寒竹迷路、那佐というアジール、八坂神社の大楠のコトバ、峠のダブルバインド、石伐り場の事故、7つの貌をもつ河原、四ツ辻、室戸岬の空海・・・あらゆる(場)の力、(場)と(人間)の関係。
遍路文化のいろいろ。

第1巻(阿波篇 全30章)
第2巻(東京・早稲田の杜で)
第3巻(都市生活者の意見
第4巻(遊行の時)

私の寿命が足りない。第1巻、第2巻まで書ききれるか?生きてみなければわからない。未完になってしまうか?

詩集『ある惑星の歩き方』

21世紀の詩は、宇宙的視点で書くこと。(現代詩)が読まれない訳は?日常の些細なことをテーマにするから。人間中心ぎみでありすぎるから。言葉が古いから。ビジョンがないから。コトバを、存在に、宇宙に開くこと。
私は、詩は「人間原理」から「宇宙原理」に至らなければ、21世紀の詩ではないと思う。「文体・リズム・思想」の三位一体で書くこと。
思想の核は「霧箱」と「イデアという花」にある。

目次
 第1章(人間原理的)
① 「イデアという花」
② 「石族って何?誰?」(宮沢賢治、秋山駿、石牟礼道子、吉増剛造)
③ 「21世紀の「正名論」」(孔子)
④ 「今・ここを生きるだって」
⑤ 「阿波宍喰の那佐というアジール」
⑥ 「バッハの音楽(うちゅう)」(千住真理子)
⑦ 「ゴッホの渦と私の独楽」
⑧ 「弥勒菩薩の眩暈」
⑨ 「小文字の時代に」
⑩ 「闇の中の幻身を求めて」
⑪ 「花と種子」
⑫ 「流れる」
⑬ 「ある惑星の歩き方」

第2章(喪)
① 「いるからあるへ」(弟・実への鎮魂歌)
② 「喪の日記(コトバ)母やよいへの鎮魂
③ 「最後の挨拶」(父万蔵への鎮魂)
④ 「阿波海南大里の寒竹迷路」(祖母キヨ)
⑤ 「夢枕に立ったのは誰か?」(友・西宮純)
⑥ 「故・安藤貞之さんに捧げる鎮魂」
⑦ 「鎮魂・さらば遠藤(喬)若狭男」
⑧ 「鎮魂アフォリズム」50作品
「内部の人間」秋山駿に捧げる

第3章(宇宙原理的
① 「ビッグ・バンの風に吹かれて」
② 「コズミック・ダンスを踊りながら」
③ 「何?誰?何処?」
④ 「七変化太鼓の音(オト・パルス・コトバ)」
⑤ 「宇宙樹(コズミック・ツリー)」
⑥ 「「事(こと)」と「物(もの)」の宇宙」
⑦ 「宇宙の独楽」
⑧ 「量子の鳥が翔ぶ」
⑨ 「壁・千のステップ」
⑩ 「???」
⑪ 「38億年の華」

第4章(箱)
① 「霧箱」
② 「暗箱」
③ 「泡箱」

(現在35作品 → 40作品で完成へ)
(年に2作書いて発表。もう約18年になる)

アフォリズム集 全4巻 『コズミック・ダンスを踊りながら』

おそらく、日本文学史上、最多であろう。現在3800作品完成。至高のコトバへ。
とにかく、突然はじまったアフォリズム。毎日、歩いて、来たコトバを言葉に変える。昆虫採集のように。
ひらめき、直観、が第一である。作為しない。自然に。(思考)よりも深い。100本くらい書けるかなと思ってはじめた。1000になり2000になり、3000になり、4000近くになった。死の床で、友が、こんなに面白いものはないと、毎日読んでくれた。アフォリズムのコトバの力を知った。

① 第1巻(無)からの贈りもの
② 第2巻(空)からの贈りもの
③ 第3巻(コトバ)からの贈りもの
④ 第4巻(宇宙)からの贈りもの

読んだ人全員が①圧倒される②面白い③深い・・・あとは、読者を広げるだけ。PR。
三つのコトバで「重田昇」の時代へ。

 

 

3部作(詩集・小説集・アフォリズム集)の出版・刊行について

【出版社を募集中】

「夢の企画」三部作の出版・刊行に挑戦してみませんか?

おそらく、(小説集・詩集・アフォリズム集)の同時出版は、日本では、初めてのことでしょう。たくさんの読者から、何時、どこの出版社から刊行されるのだというお問い合わせがあります。(申し込みはありますが、まだ作品が完成しておらず、正式に、出版社と契約はしておりません。)
現在、①詩作品は、36作発表。残りは4作品で完成。②アフォリズムは、3800作品完成、発表。残りは200作品。どちらも、ホームページ「重田昇ワールド」で自由に読めます。③小説集は、草稿1200枚、第二稿1000枚を執筆中です。「百年の歩行」(第一巻)
「夢の企画」の主旨とビジョンに賛同して、作品に共感、共鳴された、編集者・出版社は是非お問合せください。ご相談、検討いたします。

【お問合せ先】
TEL:043-423-5594
FAX:043-423-5594
E-Mail:genki.21@nifty.com

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• 水曜日, 3月 06th, 2024

増田みず子の、最後の『小説』を読み終えた時、しばらくして、最後の「本」と本人が言っている、エッセイ集『理系的』が出版された。早速、購入して、読んでみた。
全六章から成る、エッセイ集である。新聞や雑誌にも載せたものを
第一章 理系と文系のあいだで
第二章 生命の響き合いー立派に生きること
第三章 読むことと書くこと
第四章 ライフについて
第五章 本棚と散歩道
第六章 隅田川のほとりから
に分類

「小説・詩などの作品」と「エッセイ」の言葉
増田は、多くのエッセイが、自分が「小説」を書かなかったら、生まれなかったと言っている。(おそらく、新聞社や雑誌の出版社から依頼されて、書いたものだろう)
「小説は、虚構であって、想像力を使って、自由に書くもの」(物語)①
「エッセイは?見た、聞いた、読んだ、体験した(事実)をそのまま書くもの。」(現実)②
「文学で書かれたこと、文章で書かれた「本」は、すべて「言葉」の世界の(ジジツ)であって、(現実=事実)は、言葉の外の世界にある。(現象)③
(事実)は、体験した人の、立場、位置、視点によって、異なるものであって、それぞれの(事実)がある。たったひとつの、真実の(事実)などない。(相対論)④
増田は、少女時代から、二つの夢を持っていた。(生命)の不思議を探求するために(研究者)になること。(理系)もうひとつは、面白くて仕方がない小説の作者になること。(文系)
東京農工大学に入学。研究者の道へ。実験生活。挫折する。そして、偶然にも(作家)の道がひらける。
理系の作家と文系の作家?
安部公房(東大・医学部)円城塔(東大・理系のドクター)A
増田も、その系列に入ることになる。
川端康成(東大・国文)太宰治(東大・文系)B
日本的な風土、情的世界での人間関係を描く文系の作家たちB
世界的視点(共通)で、物そのものや存在の不思議を描く理系の作家たちA
AとBを比較してみれば、理系と文系の作風のちがいがすぐにわかるだろう。

日本の風土に育った文系の作家たちは、(場)(抒情)(情念)の物語を書く。松本清張、山田洋次、小津安二郎、浅田次郎、重松清の作品は、(情)と(泣き)が中心である。いかにも日本的。
言葉の根は何処にある。増田のエッセイで、面白いのは、「隅田川」のほとりで、生れ、育ち、生活して、その感性と心性が培われて「言葉」と「科学」の二方向へと成長していった様が、如実にわかる点である。
下町の、家族の生活、風俗、風土、習慣が「隅田川」の流れとともにあることだ。芭蕉や芥川龍之介が生きた土地と川である。一葉の写真がある。増田が撮影した「隅田川」の風景写真である。川の西側に柳橋があって、その背後にビル群がある。「隅田川」の川の水が、二つの色に分かれている。濃い色が「隅田川」淡い色は、「隅田川」に流れ込んだ「神田川」である。柳橋の下を「神田川」が流れている。
水の流れる風景は、ニンゲンのココロにとって、さまざまな思いを去来させる栄養素である。朝日、夕陽に輝く水面の光の暈、昇り下りする舟、終日見ていても飽きることがない。四季の川の貌も、花見の尾形船から隅田川の花火まで、見事な変化を覗かせてくれる。
増田みず子の言葉の原点も、「隅田川」の流れととものあるのかもしれない。「方丈記」の昔から「ゆく川の流れは絶えずして・・・」人のココロに、言葉の火を点もし続けている人、(川)である。

「本」の読み方
私は、中也の「春日狂想」に感動すると、中也のすべての作品を読みたくなる。そして、エッセイも、日記も、手紙も、翻訳も、中也について、書かれたすべての「本」も読みたくなる。最後には、「中原中也全集」全六巻を読む。
ドストエフスキーも『罪と罰』に驚愕すると、結局、同じように、全集二十巻を読んでしまう。
秋山駿の「本」は、『内部の人間』から『「生」の日ばかり』まで、ほぼすべて読み尽くした。残念ながら「全集」がない。『神経と夢想』(ドストエフスキー論)を「図書新聞」で、書評させていただいてから、出版する度に新刊を贈ってくれるようになったが。
「理系的」エッセイ集は、増田みず子を知る上で、貴重な「本」であった。充実した読書だった。

ちなみに、私の愛読する「エッセー」は、
①秋山駿の延々と続く「ノート」の言葉シリーズ。「私」とは何者か、「内部の人間」とは何者か、「石ころ」とは何かと、まるで巨大なひとつの作品である。
②(私)と(他者)のココロの水準器の揺れと見事に捉えたエッセイ。上質なユーモアと、精妙な文体によって紡がれるエッセイ。『須賀敦子全集』
③一切を考え尽くす(考える人)、哲学的エッセイの名手、池田晶子のすべての「本」(考えるコトバの宇宙)
④古典、モンテーニュの『エセー』全六巻。(ニンゲンのすべて)がある作品群。
「エッセイ」は、もちろん、ひとつの見事な「文学宇宙」のコトバである。

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• 水曜日, 3月 06th, 2024

敬愛する、評論家(思想家)の秋山駿が死んで、随分と季節が流れた。早いもので、もう11年にもなる。
命日の10月2日を、私は、勝手に「石の日」と呼んでいる。
秋山駿は、「私は一個の石ころ」である。と自覚して、「石ころ」の「生」を生きて、死んだ。こんなにユニークな生身のニンゲンに会えて、そのノートの言葉に耳を傾け、おつきあい頂いたのは、幸せであった。(25歳の出会いから約40年)「内部の人間」の声に触れた。毎年、命日には、処女作『内部の人間』や最高傑作『舗石の思想』や最後の作品『「生」の日ばかり』を読んで、在りし日の面影を偲んでいる。人は死んでも、その作品を読むと生身の声が、耳のそばに起きあがってくる。あの、低い、単調だが深い独特の声が「どうだい?最近は?書けなくてなあ」一年に一度は、電話で、近況を報告して、執筆の様子をお伺いした。
秋山さんが、死んでからは、奥方、法子さんと話をした。「法事、どうですか?」「誰も来る訳ないじゃないの。うちのおじさんが、あんな生き方をしたからね」義妹とたった二人の法事であった。
その法子さんも、難病に、もうひとつの病気が加わって、会話もできなくなってしまった。(法子さんには、私の「本」=「歩いて、笑って、考える」のデザインをしていただいたお礼を)
秋山駿について、書いたものなら、なんでも読みたい。私の知らない秋山駿の姿があるなら。
そんな時「図書新聞」に、作家・中沢けい氏の書いた書評が載っていた。『小説』というタイトルの小説。作家は増田みず子。(20年ぶりの小説出版)どうやら、作品の中に、秋山駿が、本名で登場する作品集らしい。(後で、作家・佐藤洋二郎も「東京新聞」で、『小説』の書評を書いていることを知って読んだ。)
早速、書店で「本」を取り寄せて購入し、一気に、一日で、読んだ。名前は知っていたが、増田みず子の小説を読むのは、初めてだった。いわゆる(私小説)である。(私)を探求する小説。「人生の検証」の小説であった。こんなに、シンプルな文体で、いわゆる(小説)になるのだろうか?エッセイとも小説ともつかぬ、ただひとつのものにむかって、進んでいく小説の文体。どこかで、見た覚えがある。秋山駿の、「私」を探求するだけの「ノート」の文体である。
一切の装飾を排して、必要な言葉だけで成立している呟きの文体の世界。リズムが心地良くて、直接、ココロに触れてくる。文章の自由度が高くて、小説小説していない。
『小説』は13篇の短篇小説から成る。増田は、約30年間で、百篇近い小説を書いている。芥川賞にも6回候補になっている。「本」は約30冊出版。増田を、「文学」の舞台にあげたのは、秋山駿だった。
雑誌の新人賞の候補を、秋山駿が絶賛した。増田にとって、秋山駿は恩人である。「群れずに暮らす夜行性の小動物のようだ」その後も、発表する度に、作品を分析、評価し、そこに、現代人のリアルを発見してくれた。
増田は、約35年間、小説を書いた後、一度筆を置いている。そして、一年に一作品のペースで(約10作)の小説を書いている。出版社の担当の編集者の元で書く小説ではなく、自分の思いの丈を、自由自在に書くスタイルで。「こころ」「雨傘」「線香花火」「言葉」これらの作品を書くために、作家になったような気がすると告白。なるほど、秀作である。
秋山駿が、実名で登場する作品が「言葉」「鏡のある部屋」「履歴」である。

小説は、何を、どう書いてもいい自由な器である。しかし、一番大事な人を、本名で登場させるとなると、最低守らなければならない「礼節」があると思う。
(実名小説の、実例は?ナタリア・ギンズブルグ著『ある家族の会話』ピエール・パシェ著『母の前で』)
「礼節」(恩人に対して)がある。書いてはいけないことがある。
①本人自身が書かなかったこと(言わないこと)
②あいまいな、他人からの伝聞
③「本人」の思想に反すること
④人間として、残酷なこと
エッセイであれ、小説であれ、実名で他人のことを書く場合、最低限の「礼節」というものがある。作家と評論家の関係も、二人三脚で(作品)を作り、時代を創り、(文学)の場を形成する場合がある。初期の大江健三郎と江藤淳、中上健次と柄谷行人。増田みず子にとって、秋山駿の役割りと言葉が、それである。書いた作家本人よりも、もっと深く読み込み、広く(作品)を時代に位置付けてくれる。
増田の作品には、秋山駿の批評の言葉に対する感謝と敬愛と喜びであふれている。発見してもらった作家の恍惚感が読者にも伝わってくる。

惜しむらくは『小説』の「鏡のある部屋」には、致命的な(疵)がある。(二ヶ所)
②「あいまいな、他人からの伝聞」をそのまま信用して、小説に書き込んでしまったことだ。しかも、それは「秋山駿の思想」を歪めてしまうことになる(③)
「子供」めぐる問題である。
「子供をもたない理由だ。イトコどうしの結婚だったから遺伝のことを心配したみたいだ、と知り合いから教わった」(引用)(秋山駿の愛読者の友より)
「繰り返すけど、秋山夫妻はイトコどうしと教えてくれた人がいる。それで子供を持たないと決意したということだ」(引用)
頭から火が出た!!なんということを書くのだ。恩人に対して。自分で調べもしないで。秋山駿の「本」をすべて読まないで。秋山駿の「内部の人間」の思想が死んで、歪んでしまう。「石ころ」は、子供を産まないんだ。「内部の人間」には、もう一人の別の血を分けた子供などいらないのだ。秋山の血を(私)で終りにしようとするその思いが歪んでしまう!!
増田みず子さん、『小説』、こんなに見事な作品なのに、たったひとつの(疵)が、作品を台なしにしてしまう。どうか、その部分を削って、消して下さい。(再販の時に)

秋山駿には「生」の綱領がある。
私は一個の石ころである①「内部の人間」の発見
私は自分の(家)は持たない②
私は自分の(土地)を持たない③
私は自分の(子供)を持たない④
私は一切の血族の関係を断つ⑤
以下、生活のすべてにおいて(必要)なものだけを最低限持つが、余分なものはいらない。(お金も)まるで、デカルトのような、合理的な方法で、秋山駿は生きた。日本風な、じめじめした、風土、習慣、人間関係を嫌悪した。
もちろん、結婚式などしない。妻を実父や義母にも会わせない。妻の父母への挨拶もなし。兄とも死ぬまで会わない(兄が何をして、生きているのか、兄が死んで、はじめて、教師だと知った)父の葬式にも出ない。とにかく、徹底している。
原因?自分の心性である。自分の存在が他人を苛立たせる。自分の言葉が他人を傷つける。
父との確執。父は貧しくて、小学校卒。国鉄へ就職。人一倍働いて、課長に。出世頭。同期の希望の星。明治の人。武士の家系。
「文学」に目覚めた息子と話が合わない。(デカルト、ランボー、ヴァレリー、ドストエフスキー、中也)
母の死。(中学校)父の再婚(義理の妹生まれる)
耳の手術(片耳が聞こえなくなる)
敗戦時の少年の体験と見聞。
「内部の人間」の発見!!
「私とは何者か?」という永遠のテーマーに憑かれて、私だけの言葉を発見(ノートの言葉)。
そして、ひばりヶ丘団地へ。秋山駿の夫婦二人三脚、同行二人の旅のはじまりである。(秋山駿は「スポーツ報知」へサラリーマン。夜は評論を書く日々。妻は、ブック・デザイナー)
妻の父は、宇都宮の大学教授。妻はその一人娘。
秋山駿の母は、長野県、須坂のお寺の娘。何もいらないから、大学へ行きたいと目白の「日本女子大」へ(卒論は?「法然」であった)
どうして、秋山駿と法子さんが、イトコどうしか、さっぱりわからない。(山梨と長野と東京池袋)
秋山駿は、自著『舗石の思想』で書いている。「私たち夫婦には子供がない。私の咎のために」と。そして、妻にはしたが、女としての母の役割りも、嫁としての役割りも与えることはできなかったと。
原因は、(私の咎)であると明言している。決して(イトコどうし)のためなどとは、書いていない。秋山駿、「内部の人間」「石ころ」その心性。歩行者。無私の人。

秋山駿!!
人と人の結ぼれの、その関係を断った人。(「分裂少女の手記」など精神の病の「本」をよく読んだ。心性が自分に似ていると)
最後には、サラリーマンでもなく、非常勤講師でもなく、文芸評論家でもなく、私だけの(ノート)の言葉の住人であった人。石ころの「生」を生き、石ころの「死」を死んで「内部の人間」を貫いた人。

増田みず子の主な作品を(「シングル・セル」など)初期作品を是非読みたいと思って、書店に行ってみたが、「文庫本」すら、一冊もなかった。
(25歳で、早稲田の「喫茶店」でお会いして、約40年、座談会、対談、お酒、魚釣り、書評といろいろお世話になった秋山駿である。)

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• 火曜日, 3月 05th, 2024

那佐という風景を発見すると 音と形と色の交響曲が時空を超えて流れてくる ナ サ ナサという美しい音を舌の上で何度か転がしてみると ひとつの風景が立ちあがってくる ナサ NASA 那佐という言葉の向う側に那佐というコトバの原初が見えてくる 言葉は呪術でもある 古代から この土地の人々は「波」のことを「ナ」と呼んでいた 波の騒ぐ場処 文字が伝わると 和那佐があてがわれ 後に 省略されて 那佐となった(阿波風土記)美しい入江にきれいな透明な水が流れていて そこで食べた貝(志深里)が 実に美味しかったと履仲天皇も語っている(播磨風土記)和那佐意富曽神社の誕生の地 四国は海に囲繞されているが 実は 同時に山の国でもある 剣山から石鎚山まで東西に四国山脈が走り そこから 四方八方に 無数の山や峯や連峰が点在して 海へと雪崩れ込むから 平野は少なく狭い 土佐と阿波の国境に 宍喰という町があって その町の北側に鈴ヶ峰という連峰があり その裾野は数キロにわたって なだらかに東へ延びて 太平洋へ突入する その麓に 20~30軒の集落がある 那佐だ 陸地に添って 平行に「陸繋島」が走っている 入江が那佐湾である 西側に美しい砂嘴があって 半島は 緑で蔽われた巨大な戦艦のように海に浮かんでいる 岬だ 天然の良港である
四季の 那佐湾の入江に流れる水を 1800回以上視ただろうか 通学バスに揺られて 宍喰から海南高校まで 約30分 バスは那佐湾の岸辺を走りぬけていく 行きは バスの右側に 帰りはバスの左側の窓際に立って 緑の水が千変万化する光景を眺めた 長い長い梅雨が終った初夏 入江の水は 緑の中の緑となって燃えあがった 青空の光 松の緑 ウバメガシの深い緑を映して 水面に緑の王国が出現した 緑色の革命? 緑の爆発 光と水の祭典 入我我入 一瞬が永遠であるような「一即無限」の小宇宙が那佐湾の入江に流れる緑の水に発生 水の道であろうか 緑の水がイデアになった 那佐は 正に アジールであった

※大河小説「百年の歩行」(現在、執筆中)の第二章を「散文詩」にしてみました。

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