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• 金曜日, 1月 31st, 2020

八月の光の独楽が青空に廻っている夏である。朝から熱の風が吹いている。やれやれ、汗の中を、終日、歩き廻らなければならない。ホテルを出ると、駅は眼の前だ。養老鉄道である。切符を買って、構内に入る。小さな電車が停まっている。ものの2~30分も乗れば、目的地・養老駅に着く。乗客は、2~3割で、自由に好きな席に坐れた。
「ただの水が酒に変わって、何が悪い?何が不思議だ!!ただの水が、なぜ体液になるのか、言ってみろ!!」
アラカワの声が耳の底に響いている。「「石」をパンに変えた人もいるのに」
「幻種」を交配する。あらゆる形は変化する。どのようにも。だから、形などないのだよ。幻である。その「幻種」を交配させる場が、「天命反転地」なのだ。目的ではない。単なる手段だ。
「形」は、ニンゲンがとりあえず見るための「方便」だ。誰にでもわかるように。本当に、大事なのは、見えないものだ。「形」は、いわば、対機説法のために、あるようなものだ。(日常)を生きるニンゲン、君たちのために。
アラカワの声と(私)の思考が混ざりあって、見定めがつかなくなる。大言壮語とも受け取られ兼ねない、アラカワの声は、反芻してみると、実は、ニンゲンにとっては「ビッグ・クエッション」である。
アラカワの発想の根には、いったい、何があるのだろう?おそらく、あらゆるものを疑え(デカルト風)という規則がある。しかし、アラカワは「私は私である」というコトバを認めない。「考える、だから、私がある」というデカルトの声にも反撥する。
もちろん、「(私)は実在である」というサルトルの声にも、NOと言うだろう。アラカワは、眼も信じていないから。見る?何を?どういうふうに?アラカワは(眼)をも殺してしまう。ニンゲンが、日常で、習慣化してきたモノの見方、感じ方、考え方を、否と否定する。アラカワは、原子の人ではなくて、量子の人である。
だから、「天命反転」を主張する。不可能に挑戦する。人類が、地上に、1400億人も生れたのに、まだ、誰一人、向う側から帰って来た人はいない!!「不死の人」もいない。
”仙人”になろうとした、芥川龍之介の小説「壮子春」も、”仙人”を断念してしまった。アラカワは、養老の地で、”仙人”になる道を実験する!!”不老不死”の夢の実現!!
ヒトは、あらゆるものを、「人間原理」として、生きている。そして、死んでいく。アラカワは「宇宙原理」へとステップする。
考えてみれば、ついこの間まで、夜空に、たったひとつ輝いていた星は、ハップル望遠鏡の発明で、2000億個の星の集り。銀河と判明した。まだまだ、ニンゲンは、宇宙の百分の一もわかっていない。
”眼”も”実在”もアラカワは信用していない。一切が当てにならない。とにかく、独力で、一から考えて、実行する。「天命反転」を企てて試みる。
アラカワは、たったひとつの単細胞が多細胞になり、魚になり、鳥になり、哺乳動物になり、猿になり、ニンゲンになるーその進化の40億年の進化の時間を、今、ここで、成し遂げたいのだ。自分の手で、ニンゲンからxを出現させたいのだ。
ゆらり、ゆらりと養老鉄道の小さな電車に揺られて、夏の青空の下にひろがる、街を眺めながら、小さな旅は続いた。
吹きあげてくるコトバの群れに身を委ねていた。眼に写る風景も、夏の光の下では、幻に見えた。熱風が時空を吹きぬけている。
”養老駅”に到着した。アラカワへの旅は、なかなか、直線的には進まない。時空はゆがんでいる。そのゆがみに添って、歩を進めるしか術がない。
駅前広場で”看板”に描かれた地図を見た。ゆっくりと、山の上へ、坂道を歩きはじめた。眼の前に“養老天命反転地”が顕れるはずだ。汗が流れる夏の日和である。

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• 金曜日, 1月 31st, 2020

~大きな試みの詩集~
詩はひとつのコトバ宇宙である。作者の手を離れると、独立したひとつの生きものとなる。コトバ宇宙は、作者の思いをも超えてしまう。あらゆる存在がコトバを放っている。あとは耳を立てて、傾聴すればよい。

若き日の、処女作「部屋」はまだよく生きていないため、語るべき体験もないのに、(意識)だけは鋭く目覚めていて、存在に対して無限放射するコトバを放出する、いわば、秋山駿風な「内部の人間」の物語である。(意識の詩)
川中子は、出発の時から、すでに(知)的なコトバで武装できた詩人である。

問題は、そこに、キリスト者としての、地上での呻きが加わる。

長い中断の後、留学があり、セイカツの糧を得るための仕事があり(学者として)、(詩)に還る時には、最大のテーマが、(宗教)と(文学=詩)の合一となる。

副題や本文に「聖書」のコトバやドイツ語が出現する。「聖書」を「詩」にするという野望?挑戦?試みが見え隠れする。(日本にも、「仏教説話」という試みがある。)

東大教授であり、ドイツ文学・思想の研究者であり、詩人である。そんな存在があり得るのだろうか?
一人いる。西脇順三郎(ノーベル文学賞候補)である。慶応大学の教授、英文学の研究者、そして、詩人。詩集「ambarvalia(アム・バルワリア)」と「旅人かえらず」のシュールな長編詩を書いた第一級の詩人。

(私)は、文学・詩のコトバを三つグループにわけて考えている。
①自らの体験・生を、自分だけのコトバだけで語っている。中原中也、種田山頭火。
②知性そのもので武装した、アレゴリーのコトバ。ボルヘス、カフカ。
③生の体験と(知)を組み合わせたコトバ。宮沢賢治、ティック・ナット・ハン師。小説「ブッダ」田川建三「イエスという男」
川中子義勝は、どの範中に入るのだろうか?②か③か?
(私)は川中子義勝のセイカツと祈りの実践の現場をまったく知らないので、判断できない。((詩)はビジョン、(宗教)は実践。)

キリケゴールの思想、リルケの詩から出発した、川中子の(詩)の試みは、キリスト者(中村不二夫、森田進、加藤常昭)には、身に沁みて実感できるのだろう。(解説より)

「井戸」や「釣瓶」は、モノ自体に語らせるという試みである。副題に「砕けたるたましい」(詩篇)「われ渇く」(ヨハネ伝)が添えられている。
(水が渇いていた)(釣瓶は渇く)(渇き)がどのように見えるか、がポイントの詩である。ビジョンが見えるかどうか?キリスト者ではない、普通の読者である(私)には、おそらく、作者・川中子が見えているものと、同じものは見えない。深く読み込むための、副題ではあると思うが・・・。
(ちなみに、仏教による(渇き=渇愛)は、執着、欲望であって、苦の根源(四苦八苦)である。)

(詩)の方法論も主題も目的も実に明確である。知者であるから。(決して、難解な詩ではない)

デクノボウのコトバ(無知の智)で語る宮沢賢治の詩(東洋の智)と「聖書」のコトバを折り込む川中子義勝の詩を読みくらべてみた。(知者の詩)(西洋の知)

誰にでも、自由に開かれた、普通のコトバで書かれた賢治の詩には(私性)があって、風景や人物が匂い立ち、身に沁みるのに、(知)のコトバ、(聖書のコトバ)で書かれた川中子の詩の深みには、(私)は、まだ、降りていけない。(実感が)
時間を置いて、もう一度、川中子義勝の詩に、挑戦してみよう!!
(はじめて川中子義勝の詩を読んだ感想である。(私)の川中子義勝との(対話)のはじまりでもある!!)(詩)の深さについて。(信仰)の深さについて。(1月26日記)

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• 金曜日, 1月 31st, 2020

①(社会の言葉=ネーミング)と(文学のコトバ=評論)の探求と考察に生きた人。
②「一言半句」に作者の意図を読み込んで、人間を、社会を、世界を発見しようとした人。
③不幸は、突然やってくる。訃報も、突然、舞い込んでくる。11月のある夜、会員の中津川丹さんから、突然の電話。「安藤さんが亡くなりました。」絶句。ただ、悲しい。
④咽喉が渇き、鼓動が早くなって、胸が痛んだ。二階の書斎にあがって、8月に、安藤さんから届いた、一通の長い手紙と一冊の本を机の上において、読み直してみた。深呼吸をして、「般若心経」を三回唱えた。
⑤ヒトはあらゆるものに名前をつける。星に、山に、川に、草に、魚に、もちろん、人間にも、ていねいに。安藤さんの仕事は「会社」に「商品」に名前を付けることだった。その傑作は「セシール」。主著『ネームングは招き猫』。単なる実用書ではなく、「言葉」の発見の書。(社会の言葉で)
⑥「読書会」には、いつもユニークなレポートと解釈、そして珍しい資料持参。青春の「大岡昇平『野火』論」は、見事な、文学のコトバで。(稲門会、図書館の会、年六回出席)
⑦早稲田に入って「文学」を学ぶと、誰でも一度は、作家、詩人、評論家を志すものだ。黒田夏子は『abさんご』で芥川賞受賞(史上最高齢75歳で)。下重暁子は、元NHKの美人アナウンサー。70歳を過ぎて、エッセイ集がベストセラーに。早大、国語国文(教育)卒で、ともに、安藤さんの同級生。
⑧晩年は、「読むこと」に生きて「書くこと」に生きて、「読書会」を魂の交換の場所としていた。「文学の本」を執筆していた安藤さん、出版事情が叶わず、断念。残念無念。「幻の本」に。
⑨「一言半句」の審美眼の人、いつも、物静かだが、心を貫く棒の如き意志の人。私の最後の、送るコトバは、魂よ、安らかなれと「ニルヴァーナ」である。
(岐阜県出身・早稲田大学教育学部国語国文卒 享年84歳2019年10月7日永眠)
(「四街道稲門会だより」より転載)

(注)「幻の本」が、作者・安藤貞之さんの死から四ヶ月たって、見事な一冊の「本」になりました。
タイトルは「樋口一葉を世に出した男ー大橋乙羽」です。日本初の編集者の評伝です。(百年書房刊)
一人でも多くの読者に安藤貞之さんの声がとどけば、と念しております。