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• 土曜日, 2月 09th, 2019

~若い時には”読書”は(知)の楽しみ、生きて齢を重ねると”読書”はココロの(愉楽)である。(重田昇)~

「本(テキスト)」は、もうひとつの宇宙である。「本を読み込むことは、時空を超えて、コトバ宇宙に至ること、コトバ世界を生きることである。
だから、名作には、様々なニンゲンという宇宙がごろごろ転がっている。面白くない訳がない。スリル満点である。何度読んでも、新しい発見があり、楽しみがある。
一人のニンゲンが生きる現実生活の経験は、時間や場所に限定されて、さまざまな人生を生きる訳にはいかない。
「本」は、もう一人の友である。しかも何時でも、好きな時に会える友である。ページをめくって、コトバを読みさえすれば、会うことができる。(私)一人では、生きられなかった人生の世界の、宇宙の貌を見せてくれる。

現代の若者たちは、大学生たちは、「本」を読まないという。月に一冊も読まない人、年に一冊も読まない大学生がいる。なるほど、パソコン、インターネット、ケイタイ、スマートホンと、便利で、面白い道具があふれている。電子空間には夥しい(情報)が洪水のように流れている。
しかし、あくまで(情報)である。(知)の断片である。感性を磨き、深く思考し、感情や情緒を豊かにしてくれる「本」にはかなわない。

感動には、辛抱が必要である。ツイッターの一文は、反射神経の動きがあるだけで、「本」のような楽しみがない。

さて、もう、七年ばかりになるが、大学のOB会(四街道稲門会=早稲田大学のOB)で、「読書会」を始めた。日本の、世界の名作を一緒に楽しみ、感想や意見を交換して、討論する場である。年四回、今回で25回目の「読書会」が終った。

会員の参加者は、約15名。そのほとんどが、人生のひと仕事を終えた、60代~80代の方々である。
理工、商、法、政経、教育、文学部と、(文学)とは縁のなかった方々が大半である。中には、高校卒業以来、はじめて小説を読んだという方もいる。文学を勉強した方は三人。職業もさまざまである。

小説=文学には、数学のような正解はない。一人一人が、人生の現場を生きてきた力で、「本」を読む。だから、感想が、実にユニークで、面白い。
一人一人の知性が光る。討論も、実に、活発である。3~4人の方は、感想を話すだけではもの足らず、レポート(感想文)を書いてくる。その人の人生観が見事に結晶しているレポートである。

講師の私の仕事は ①テキストを選ぶこと ②作者、作品についての説明 ③一人一人の質問に応えること ④面白い裏話・エピソードを語ることである。

読書は、独りでするものであるが、同じテキストを読み、語りあうと、ニンゲンの考え方、人生観、宇宙観が、こんなにも異なるものかと、「読書会」の効用が浮びあがってくる。
一人の読書なら、絶対に、読まなかった「本」を、読むという体験は、一人一人の(知)性を刺激してくれる。

ある日、市の図書館の館長と課長が、「読書会」を見学させてほしいとの申し出があった。で、その結果是非市民の方々を対象にした「読書会」を開いてくれないかとの依頼が来た。
稲門会の主旨が ①OB会員の親睦 ②後輩たちへの支援 ③地域社会への貢献である。
③に該当するので、市民の「読書会」の講師、座長をひき受けることにした。春と秋の読書週間に二回開催している。(定員15名)
難しいのは、現役の30代40代から80前後の高齢者まで、老若男女の会である。「本(テキスト)」選びが、実に難しい。読解のレベルも様々である。しかし、熱心に集ってくれるので、少しは、地域社会の役には立つかと思って、努めている。

「本」を読まない時代、「本」が売れない時代と言われるが、「本」の楽しみ、「読書」の愉びが、一人でも多くの方に伝わればと、年六回、「読書会」を続けている。

今まで読んだ「本(テキスト)」作家。(稲門会)
①「黒い雨」井伏鱒二 ②「入江のほとり」正宗白鳥 ③「異邦人」カミュー ④「金閣寺」三島由紀夫 ⑤「痴人の愛」谷崎潤一郎 ⑥「江分利満氏の優雅な生活」山口瞳 ⑦「地下室の手記」ドストエフスキー ⑧「ひかりごけ」武田泰淳 ⑨「蝉しぐれ」藤沢周平 ⑩「月山」森敦 ⑪「黒猫」ポー ⑫「楢山節考」深沢七郎 ⑬「門」夏目漱石 ⑭「雪国」川端康成 ⑮「徒然草」吉田兼好 ⑯「ヴェニスの商人」シェイクスピア ⑰「砂の女」安部公房 ⑱「abさんご」黒田夏子 ⑲「人間失格」太宰治 ⑳「輝ける闇」開高健 ㉑「イワン・イリッチの死」トルストイ ㉒「青春の門」五木寛之 ㉓「奥の細道」松尾芭蕉 ㉔「トリエステの坂道」須賀敦子 ㉕「日の名残り」カズオ・イシグロ

市民の「読書会」テキスト
①「破船」吉村昭 ②「仮面の告白」三島由紀夫 ③「草枕」夏目漱石 ④「楢山節考」深沢七郎

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• 月曜日, 2月 04th, 2019

3351. 宇宙の歯車が、時代の歯車が、またひとつ廻って、ひと呼吸遅れて、(私)も私の歯車を、ゆっくりと廻している。

3352. もうここらでいいだろう、完了しても。と精神は語っているのに、身体は、老いても、病んでも、執拗に生きのびる!!だらだらと。

3353. 逆に、精神は、もっともっと、まだまだ生きたいと叫んでいるのに、病んで、挫折して、ポキンと折れて、滅びてしまう。(私)という生命であるのに自由が利かない。ニンゲンのかかえる矛盾である。

3354. (私)は私以上に大きなものに生かされている。あるいは、大きなものに殺されてしまう。

3355. (事実)はたったひとつだと思っている人は幸せだ。(事実は)、視点によって、人によって、実に多様である。固有なものなど何もない。と考える人は、いつまでたっても、宇宙で、宙吊りになったまま揺れ続ける。不幸なことに。

3356. あらゆる存在はメッセージを放っている。(生きものでなくても)(石でも水でも)それは、存在のコトバである。

3357. 時間や空間も(真空)も時空そのものが、宇宙のメッセージである。

3358. ゆえに、声や文字でなくても、メッセージを放つものは(あらゆる量子も)コトバと言える。(広義の)

3359. 見えるものも、見えないものも、存在するものも、非在と思えるものも、メッセージは放っている。宇宙は無限のメッセージの放射体である。

3360. 量子は、コトバでも数式でも語れぬ。語れば別のものになる。つまり、すりぬけてしまう。同じように「悟り」もコトバでは語れぬ。「悟り」の心境は釈尊も語っておらぬから「無記」わからない。

3361. つまり、モノもコトも、そのモノ自体の(真)は終に、ニンゲンには、語れない。わからない、不思議である。(本当のもの)を見れば気が狂うだけの、ニンゲン存在の限界である。

3362. さて、では、(私)は、ただ、不思議な存在としての(私)の生きるという衝動に身を委ねているだけか?

3363. ココロは、意識の流れから生じて、終に、量子的存在となる、つまり、謎、不思議体である。

3364. 海辺に押し寄せてくる無数の波にはただひとつとして、同じ波はない。しかし波の形をしている。光も木も草も砂も同じことである。たったひとつのものが、無限変容して別の形になっている。(量子の泡たち)

3365. 生きたり死んだり、死んだり生きたり、現象は泡かもしれない。たっとひとつの「泡箱」がある。

3366. 意識が写す現象という幻。

3367. 事象の地平線に、ニンゲンは永遠に起てない。しかし、想像はできる。

3368. (歩く)をコトバで書くのは、矛盾である。コトバから遠く離れるためにぼんやりと、ただ歩いているのに。

3369. ニンゲンをしている。”生涯現役”とは、単に、(仕事)をしていることではない。何をしていてもいいのだ。ただ実在している(私)が、いつも、ニンゲンをしていればいいのだ。

3370. 宇宙に、地球に、放たれた(私)は、ニンゲンへの道を歩き続けている存在である。

3371. コトバで(事実)は表現できない。ゆえに、小説は(虚構)、ノンフィクションやエッセイは(事実)と、語っている一般人の認識は、誤りである。

3372. 何時、何処で、誰が、コトバを発したか?を考えてみるだけで(事実)の根拠は崩れてしまう。

3373. コトバとしての(事実)があるだけだ。

3374. 他人を見る、月を見る、天の川を見る(見る)ための差異は、いつも、(事実)を、遅れたコトバで表現する。(意識が、他人を、月を、天の川を生かしている!!)

3375. ニンゲンが生きるために、都合がいいように、(じじつ)を共有のものにしたいのだ。

3376. 書かなければ、消化できないものがある。ココロが混沌として、無数の糸が絡み合い、形が、顔が、顕れない。

3377. コトバの中に、移して、コトバを放って消化できないものに、目、耳、鼻、口、足、手と形を与えて、のっぺらぼうを、眼に見える形にする。

3378. ものに、位置と場と形と質量を与えて、やつと、ココロは、混沌から解放される。

3379. しかし、それで、安心というものではない。もの自体は、コトバの中にはない。あくまで、仮構したものの姿である。

3380. その証拠に、コトバで整理されたものたちは、また、コトバとなって、分裂し、結合し、離脱し、いつまでたっても、落ち着くことがないのだ。

3381. 朝、眼が覚めて、(私)が、いつものステージに立っている。と認められるヒトは、幸せである。今日も(私)は、歩いて行ける。自然な(私)として。あらゆる存在の網の上を。

3382. 意識が、ある、ひとつのステージに立つ(私)を認めた時、実感という、自然な(私)という存在が顕現する。

3383. 思考は、意識のあとを追うひとつの術である。

3384. (私)を喪う人がいる。つまり上手く、ひとつのステージに(私)が立てない人である。ただ、空洞、がらんどうだけがあって(私)はいない。辛いことだ。

3385. (私)が分裂するのは、あらゆるステージに(私)が偏在してしまうためである。ヒトは、そんな(私)を認められない。

3386. ただし、多重人格者は、自由に、あらゆるステージに、別の人格として立つことが可能である。

3387. あらゆるものを考える、考えるということも考えたデカルトであるが、虚数(i )だけは認めることがなかった。実体・数の信仰者デカルトは、どうやって、(神)を信仰したのか?

3388. ニンゲンの最高の武器・思考(考えるということ)は、どうやら信仰とはまったく別のものだ。

3389. 思考の、直観の外にあるもの。量子。ニンゲンの能力の及ばぬところにあるもの。いや、あるもないも、超えたもの。(本当のもの)を見れば、ニンゲンは、気が狂ってしまう!!

3390. だから、ボチボチ、まあまあ、で生きる。その以上を希まない。ところが、気が狂っても、行きたいニンゲンがいる。

3391. (仕事)で使うのは(どんなに厳しくても)ニンゲンの一部の能力だ。まだまだ眠っている力がいっぱいある。死ぬまでに、使ってやらなければもったいない。

3392. (仕事)を現場と呼ぶ。で、現場を離れていると、まるで終ったニンゲンのように思う。いやいや、ニンゲンという(存在)の現場では、まだ、いろいろな力が試される世界だ。

3393. (私)は、在る、在るの世界を生きすぎた。(私)は、無い、無いの世界も生きるべきであった。

3394. 見えるものだけを見すぎた。もっと、見えないものも、見るべきであった。

3395. 外へ、外へと歩け、外部へと歩け、外部という表面が世界のすべてだ。

3396. 内へ、内へと歩け、内部へと歩け、内部という深淵が世界のすべてだ。

3397. 外は内、内は外、外部も内部もあるもんか。たったひとつのモノが外と内の貌を覗かせているだけだ。

3398. そのように考える、そのように意識する、そのように存在する。そのこと自体が、ニンゲンの見る夢幻である。

3399. ヒトは、なぜモノを書くのか?モノ書きは(小説家であれ、詩人であれ、書家であれ)エクリチュールの魔にとり憑かれているニンゲンである。ゆえに、何を、どう書いているかよりも、書く瞬間の、コトバの快楽に生きている種族たちである。

3400. 「本当のもの」を見た人は発狂してしまう。ニンゲンのココロは「本当のもの」に耐えられるほど強靭ではないから。「本当のこと」を告白することもできない。ニンゲンの全細胞が反乱を起こして、それを拒否するから。まあまあ、ぼちぼち、仕事でもしている方が、ニンゲンには似合っている。
しかし、突然、それを見てしまったニンゲンもいる。ニーチェが、ゲーデルが、ゴッホが「本当のもの」を視た。そして発狂した。物理学者の、ファインマンは、そのことを熟知していた(ノーベル物理学賞受賞)量子は、ニンゲンの頭脳では考えられぬ。わかった、と考えた時、量子は、するりと擦り抜けているから。量子は、「本当のもの」をニンゲンの眼から頭脳から、隠している。永遠に。

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• 月曜日, 2月 04th, 2019

~人生の楽しみは、よき友にめぐりあうことである。(昇)~

俳句道をひたすら歩き続けて、終に俳句になった男である。
俳聖・芭蕉は、伊賀上野から江戸へ。遠藤若狭男は、福井の若狭(敦賀市出身)から東京へ。いつも、何かをはじらい、はにかみながら静かに笑みを浮かべている立ち姿の遠藤がいる。
19歳の出会い、いや邂逅、いや小説や物語よりも不思議な縁によって知り合った。
京都・百万遍にある「平安予備校」の大教室。300人から400人はいただろうか?浪人時代のことである。
ある夏の日、偶然隣に坐った、見知らぬ青年が、「僕、俳句やってや。読んでくれんか」ノオトに、数句、俳句を書いて、そのページを破って、手渡してくれた。

炎天下僕には僕の影がつく

春雷や少年遠き海を愛す

寒月や信仰なき身に翼欲し

生れてはじめて、「俳句・文学青年」に出会った瞬間であった。実に、繊細な文学言語をものにしていた。(早熟)
それから、53年間「文学」の友・いや朋輩となった、遠藤喬(若狭男)である。高校生でもない。大学生でもない。宙ぶらりんの浪人という存在。

偶然にも、運よく、早稲田大学に合格し、入学式が終って、教室に入ると、そこに、遠藤喬がいた。お互い、どこの大学を受けるとも、一切、話したこともない。ただ、挨拶を交わす程度の仲であったのに。奇妙な再会であった。
春の、大隈庭園での、スナップ写真がある。緑の芝生に横たわって、風に吹かれて、春光を浴び、笑っている。クラスメートの、石川知正君、遠藤喬君、そして、私の三人。
三人とも、一浪の末、約30倍の競争率を、勝ちとっての合格であり、ココロのやすらぎが、全身のくつろぎとなって、漂っている。
大学二年生になる年に、教育学専攻から、国語国文学科への転入試験を受けた。申し合わせた訳でもないのに、受験生は、遠藤君と私の二人であった。いわゆる「文学」を志した訳だ。
国語国文科は、俳句、短歌、戯曲、小説、アフォリズム、作詞と、多才な才能を発揮した、鬼才・寺山修司が在席した学科であった。遠藤喬は、高校時代に、雑誌に俳句を投稿して、選者の寺山修司から「日本の高校生俳人の五傑」に選ばれていた。ギターを弾き、サキソフォンを吹き、ブラスバンドで指揮棒を振っていた音楽青年の私とは、「文学」への志が違った。

同人雑誌『あくた』(1~13号)時代。教育・国文の2つの学科の有志が集って、同人雑誌をはじめた。小説、詩、評論、戯曲、歴史小説が載った。
後に、政経、商学部、法学部、文学部、そして、青山学院の在校生も参加して、13号まで続いた。息の長い同人雑誌であった。(数十人が参加した)
私は拙い、習作、小説を書いていた。
遠藤喬は、大学二年生になる直前に突然、父を亡くして、アルバイトをしながらの苦学生となった。それでも、創作意欲を刺激されたのか、5号から投稿者となり、同人に加わって小説「風霊」(60枚)を、9号に「乖離」(134枚)と12号に「告別」(172枚)を掲載した。後に、小説集『檻の子供』として上梓。8号には、「檻の弱獣族たち」として、16才から21才までに詠んだ俳句から、50句を選んで掲せている。
お金もない学生が、なんとか、お金を出し合って、(表現)への熱い思いを実現した、同人雑誌であった。1号は200部(定価200円)、13号は500部(定価400円)を印刷して、同人で販売した。(赤字)
創刊号は約60ページ、13号は約140ページ。昭和43年から昭和51年まで約8年間続いた。
合評会「茶房わせだぶんこ」「喫茶ラビアンローズ」では、作品の批評、分析、白熱した討論が繰りひろげられた。(小説論と芸術論)

遠藤喬は、庄野潤三、森内俊雄、古井由吉、伊東静雄と大人のセイカツの中にある静かな(私性)の強い作風・作家たちを敬愛していた。(ただ一人例外は『金閣寺』を書いた三島由紀夫)

伊東静雄は、京大を出て、大阪・住吉中学の教師をしながら孤高の詩を書き続けた。(第一級の詩人)
遠藤喬は、早大を出て、東京・目白の川村学園の教師をしながら、俳句を詠み続けた。同じように、都市生活者でありながら、芸術を探求したスタイルが似ている。
第一句集『神話』 第二句集『青年』 第三句集『船長』 第四句集『去来』 第五句集『旅鞄』を上梓した。約2400の句が収めらている。詠んだ句は、おそらく、その二倍以上はあるだろう。

「父、母、故郷」への哀歌が目につく。

「金閣寺」の句も、「八月」の句も「癌」という病いの句も、すべて遠藤若狭男の、人生の(私性)が色濃く漂っている。

敬愛した作家森内俊雄が称えた句。

われ去ればわれゐずなりぬ冬景色
(この句を詠んで、12年後の12月16日冬に遠藤は逝くのだが・・・)(享年71歳)

「鎮魂」として
八月のホテルにこもりニーチェ読む
(「八月」は死者の霊を弔うお盆のためか?あるいは敬愛する伊東静雄の「八月の石にすがりて」に啓発されたのか?単に、夏・八月が好きであったのか?)

修司忌や津波のあとに立ちつくし
(寺山修司は、俳人・若狭男発掘の恩人)

ふるさとは菜の花月夜帰らばや

若狭去る日の丘に群れ赤とんぼ
(故郷哀歌、抒情あふれる句)

旅鞄重たくなりぬ秋の暮
(「旅鞄」は父の遺品。第五句集のタイトル)

金閣にほろびのひかり苔の花
(三島由紀夫『金閣寺』は遠藤の生涯の愛読書)

わが肺の癌たとふれば霜の花
(胃ガンから肺ガンへ転移)

人間の証明として枯野ゆく
(第五句集、最後の句。俳聖・芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」に殉じた句か?)

若い頃、(大学生の時か?)遠藤君に、真剣な眼差しで、質問されたことがあった。今でも、その声が、耳の底に残っている。妙にココロを刺している。
「重田、意識ってなんだろう?わからないんだなあ」私は、なんと答えたか覚えていない。
三島由紀夫の『金閣寺』を読んで「唯識」(大乗仏教)のことが気にかかっていたのか?(アーラヤ識と種子が)
現在なら、哲学者・ジル・ドルーズの「意識は、文字どうり、眼を開いたまま見ている夢にすぎない」と答えたかもしれない。

訃報のハガキを受け取って(和子夫人から)もう10日ほどになるが、遠藤若狭男の俳句を詠み続けている。
俳人を知るには、俳句を読むしかない。残された者にできることは、その俳句を、後の世に伝えることである。
俳句は、若狭男は、時を超えはじめた。友よ、朋輩よ、ありがとう。

時を超え若狭男俳句が翔んでいる。(昇)

平成31年1月29日