Archive for 8月 29th, 2011

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• 月曜日, 8月 29th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
1901. 3・11の、その日のことを語れば(私)が壊れてしまう人がいて、語らなければ(私)が壊れてしまう人もいる。
1902. スベテが無役に終ったから、コトバの本来の力を信じて、最後のコトバ、呪文を唱えてみる。
1903. 善とか悪とか、信とか疑とか、「人間原理」で生きることに倦み疲れた時には、無限とか無とか、超球とか虚とか、「宇宙原理」に触れて、ココロを、宙に、浮遊してみる。
1904. ニンゲンは、魂魄である。古代人は言った。天から来たものは、天へ、魂。地から来たものは地へ、魄。(私)は死んだか。
1905. 艱難辛苦のセイカツである。四苦八苦の人生である。すっかり終ってしまうと、透明になって、軽々とした。文句もない。
1906. 3・11があって、ココロが日々のあれこれから、異次元のあれこれへと、遊泳しはじめたので、逢うものたちが、まったく、姿を変えてしまった。
1907. 真夏の、朝の海、太陽と水と空と実にシンプルな光景である。無限も永遠も発見できる。
1908. 海が、黒々と、垂直に、天から来た3・11である。
1909. ニンゲンの顔が、のっぺらぼうになってしまう3・11であった。畏怖である。
1910. 僧も、また打つ手なしの3・11だ。
1911. 3・11以後は、心の破れ目に、傷に、どこまでも、伴走してあげる覚悟がある。
1912. 意識の形象化が爆発して、光の乱舞する混沌に、3・11があった。
1913. 生者たちの夏が終って、死者たちが、光となって、はねているお盆の海である。
1914. こんなところで、こんなことをしている場合じゃないのに。3・11以後は、誰もが、そう思って、生きてる。しかし、ついつい、昨日の習慣に縛られて生きてしまう、ニンゲンであるか。
1915. 切りのない、果てのない、無限地獄に落ちてしまった3・11。誰も、歩き方がわからない。
1916. 3・11の空虚(そら)は、開いたままの空虚(あな)である。
1917. 歩いて、歩いて、新しい実存(みち)が出来あがるまで、(私)の中心に心柱をたてて。
1918. マラルメは「虚無」へ。空海は「自心源底」へ。(私)は、「宇宙」のヘソへ。
1919. 確かに、誰かが言っていた。「魂は、ニンゲンが死んでから顕現する」と。なるほど。三陸は、魂たちの海か!!
1920. 光の、「分光器」があるならば、コトバの「分言器」もあるだろう。悲しみの「分心器」もあるのだろうか?
1921. 国は、何時、本当のことを言うのだろう。千人、千五百人、三千人・・・子供たちがフクシマから逃げ去っているのに。
1922. 歩行は、一番の気付きの場である。3・11の現場を歩いてみる。
1923. 気付きの後には、思考が来る。思考の後には、行動が来る。
1924. 「日常→非日常→日常」の経験の中で、東日本大震災からの、本物の思想が起ちあがるものと信ずる。
1925. (私)にとって、生きている(現場)が「本」であった。
1926. 「本」を読む以上に、生きた現場を読んできた。
1927. アフォリズムは「本質直感」(プラトン)かもしれぬ。
1928. 生きる現場を離れて、なんの思想ぞ、その思いが(私)にはある。
1929. 「気付き」の起点がなければ、何もはじまらない。「気付き」から思考へ、実践へ、探求と深化の旅がはじまる。
1930. 3・11では、「宇宙原理」が顕現した。いつも、普通に生きている「人間原理」が役に立たなかった。ニンゲンに、生きものたちに関係なく、廻っている「宇宙原理」である。
1931. 日常では、あらゆるコトとモノに意味と名前を付けてきた。3・11では、名前のない、のっぺらぼうが出現して、無・意味、非意味という現象に驚愕した。
1932. 時空も、また、存在自体の兄弟なら、消えたり、現れたりするシステムの秘密をニンゲンに告げてくれ。
1933. ニンゲンの、何が、どのように、宇宙に残るというのだろうか?眩暈がして、上手く、考えられぬ。生命の出現は、宇宙にとっていったい、何なのか?
1934. 存在という蔵を、開けてしまう鍵があれば、文句はないが、まだ、どこにも、見つからない。
1935. 終日(考える)ということを考えていたが、異次元へと飛翔する思考も、日が蔭って、夜が来ると、(私)のもとへと還ってくる。そして、夕食を食べている(私)。
1936. 神という、どの国にもあるコトバで、神を呼んでも、(神)は、神というコトバの中には、決して納まらぬ。
1937. 感動も虚無も分析を拒否する。語りはじめるのは、時が流れて、大きな渦の中から、外へと、出た時に限る。直後には、必ず、体験とコトバが分離してしまうから。
1938. 3・11で、意識の、存在のゼロ・ポイントまで落ちたニンゲンは、切れ切れの一日を継いで、立ち直って、今度こそ、固有の(私)の歩き方を、身につけねばならない。
1939. (私)をあらゆるものが通過していく。ニュートリノからコトバまで。
1940. 眼が出現してから、もう、何十億年になるのか?そう遠くない時に、眼は、今は、まだ見えない放射能まで見てしまうだろう。
1941. 心的な、神的な、コトバが来る。ほとんど啓示である。彼方から深層意識の、アラヤ識から。
1942. フクシマの子供たちが怒っている。「放射能よ、千年地下で眠っていろ!!」
1943. 真夏日に、帽子に、長シャツに、マスクをして、フクシマの子供たちが学校へ行く。蝉、鳴くか、馬、嘶くか、子供たちは、泣いている、夏の盛りに。
1944. 文句も言わず、愚痴もこぼさず、もう、すっかり、本当のことがわかっているので、フクシマの子供たちは、叫び声を噛み殺している。
1945. 無関係の関係の時代は確実に終った。フクシマは遍在する。地球上のどこにでも遍在する。
1946. ヒロシマに学び、ナガサキに学び、いったい、日本人は、何を学んできたのだ。もう、最後だ、フクシマに学べ。
1947. 素手で生きるしかない。素足で歩いている。着のみ着のままで逃げた。家をなくし、家族をなくし、仕事をなくし、故郷をなくし、これ以上、喪うものがないくらい、深手を負って、ニンゲンの限度で、起っているフクシマの人々。
1948. 誰だ、一年で、帰れるようにする、と寝言のようなことを放言するのは。本当のことが言えなくて、耳触りのいいコトバばかり並べたがる。あなたには、その椅子に坐る資格がない。
1949. フクシマの県知事の顔は、ニンゲンの顔をしているのに、国会では、猿のような顔した政治家が、無為無策の、戯事で、時間を浪資している。死ぬほどに働け。
1950. 原子力発電を推進してきた専門家が、テレビで、言い訳ばかりしている。フクシマに行って放射能を除染しろ、汗にまみれて。あなたの(知)は、見事に死んだのだ。
1951. アインシュタインよ、あなたのE=mc²は、終に、原爆投下から原発事故まで生んでしまった。そちらから還ってきて、一瞬で、放射能を消す方法を発見してくれ。
1952. ニンゲンは、生命史、38億年を、破壊しようとしている。
1953. 大の大人が、拳で、涙を拭って、凝つと海の方を眺めている。沈黙よりと深い、静けさの中で。
1954. ニンゲンに見放された牛が、青空に脚をむけて死んでいる。
1955. 夏である。66度目の夏である。8月6日、ヒロシマの夏。8月9日ナガサキの夏。疼き続けている原爆の傷口。3・11、フクシマの春。原発の、大地震の、大津波の、三重苦、四重苦の終息すら見えない。
1956. 何も、コトバは、文学者だけの特権ではない。自分のコトバを持たぬ人は、政治家ではない。コトバを正すことこそ、為政者の勤めだと語ったのは、孔子である。(正名論)
1957. 答えられなくなると、詭弁を使って逃げる。その時、あなたの中の政治家は死んだのだ、総理。
1958. どうして、3・11の被災者の誰もが、なるほど、と頷けるコトバを、現代の政治家は、語れないのだろう。一人の死者を、あなたの心の中に、意識の中に、棲まわせておけ。
1959. まだ、3・11から5ヶ月だというのに、もう、原発が、(現実)のセイカツに必要だと言いはじめた。商売の国。延々と、国民的な議論を続ければよい。今、日本人が試されているのだ。旗を高く揚げよ。(現実)は、いったい、誰が作るのだ。効率と便利さと快適を求めた(知)の文明が、犯した、大失敗が、もう、遠のいてしまうのか。冗談であろう。(考える)その力が衰えれば、ニンゲンは、本当に、滅ぶ。内省と洞察。
1960. 誤ってしまった大人が持てる、最後の使命のようなものを、未来の子供たちのために、掲げよ。
1961. 光から来たから光へと帰ろう。私たちは光の子。光の化石の子。
1962. 闇から来たから闇へと帰ろう。私たちは闇の子。ダーク・マターの子。
1963. 科学の(知)は、過去へとは戻れない。宗教の(智)は、いつでも過去へと戻っていけるが。
1964. 3・11で、ニンゲンも、存在の泡であると、思い知らされた。
1965. 腰が抜けて、歩けない人に気を落とすなだって、もう、とっくに、気は落ちているのに。
1966. 着のみ着のままで、すべてが流されて、やっと、体育館にいる人に、禁句を聞く、TVのレポーターがいる。
1967. 大震災の後のアルバム探し。七五三もあったよね。運動会もあったよね。お祭りも、卒業式も、結婚式もあったんだね。ホラ、笑っているよ。
1968. 毎日、夜が来ると泣いている。仮設住宅で。体育館の避難所では、一滴の涙も出せなかったのに。
1969. 若い頃は、(私)だけで生きている、なんて、とんでもない思い違いをしていたが、3・11で、よーくわかった。みんなに、生かされているって。愚かだったね。
1970. 苦も、楽も、生きてこそ。
1971. なにか、不安はないかと訊かれても、不安は、いつも、べったりと貼りついているよ、3・11以後は。
1972. (無)ゼロ・ポイントから、ニンゲンに戻るには、容易ではない。まだ、ニンゲンの顔、してないと思うよ。
1973. 大地が揺れてから(私)が何処にいるのか、わからなくなった。
1974. 信じているものが、ない、とわかったことが、実に、辛い。何を、どこで、間違ったのだろう。
1975. (私)の中にあるものしか見えない。(私)の中にないものは見えない。
1976. 生きる、は、共に在ることだと、この齢になって、3・11で、はっきりとわかった。
1977. (私)は私だ。(私)は私ではない。やはり、(私)は私だ。「(私)は他者だ」と言い放った、ランボーの声が、身に沁みてくる。
1978. 瓦礫の隙間に夏の花が咲いている。美しい。(私)は、花と生きている。
1979. ただの、道端の、瓦礫の下の石ころも、存在し、顕現するまでに、どれだけの時間がかかったか、考えてみる。物自体の不思議がある。
1980. お願いします。(私)を棄ててから、声を掛けて下さい。(私)に重なるように。
1981. 人を嬲るような発言は止めて下さい。形式的な、ありそうもない、虚言を、もっともらしく、正しいこととして、話すのは。
1982. 身体そのものが、封じ込めてしまっているコトバがある。
1983. 宇宙の顔のようなものに触れてそのまま、失神をした。
1984. 身体が痙攣の中にいる時には、コトバも、アヤラ識から湧きあがってこない。
1985. 在る、無いが、こんなにも、はっきりと、形になる経験は、一生に一回で、けっこうである。
1986. 叫びたいのに声がでない。何かが声を呑み込んでしまう。歩きたいのに足が前へと出ない。何かが足を縛っている。
1987. 酷いことだ。子供は風の子。昔から、外で遊ぶと決まってる。フクシマでは、カーテンの内に閉ざされて。
1988. 千年に一度の大地震と言うが、東北、三陸地方の人たちは、明治二十九年の津波、昭和八年の津波、昭和三十五年のチリ地震津波と、平成二十三年の、今回の大津波と百数十年のうちに、四回も、大被害を受けているのだ。
1989. 発狂しないのが、不思議なくらいの、すべてを喪った人たちがいる。どうか(私)が(私)から離れてしまわないように。
1990. 海の底の声、空の上の声。枕許で響き続けておる。
1991. 偶然という魔の恐怖。一切、排除の術がない。
1992. 浦安市、旭市、大洗、ひたちなか市、北茨城市、いわき市、広野市、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、南相馬市、新地町、名取市、仙台市、南三陸町、大槌町、石巻市、南松島市、大船戸市、陸前高田市、宮古市、釜石市、八戸市、(私)が訪問した街である。歩いた街である。泊まった街である。仕事をした街である。共働で、事業をした街々である。あの家、この家、海、山、川、幻が揺れている。
1993. 何億、何兆、何京の生命たちが、この星に生れて死んでいったか。生命の連鎖の果てに、ニンゲンが現れて、(私)が誕生した。ニンゲンの死だけは、不条理である。不可思議である。信じようにも、信じかたがないのだ。もちろん、3・11の死者たちも。
1994. 石や壁や水に記憶はあるのか?つまり、宇宙そのものが、宇宙に起こったことを、記憶できるのか?ニンゲンは、何もないところへと、出てしまうかもしれない。
1995. 一切が(無)、一切が(空)、中国人、インド人の思考は、ひとつの発見ではある。
1996. 深層意識の、一番深いところへ降りて、果たして、宇宙そのものに、遭遇できるのだろうか。
1997. 昔、村に、鉦つきのおっさんがいた。村に、死者がでると、鉦を叩いて歩いて、村中を廻るのだ。妙に、その鉦の音を思いだすのだ。虚空に鳴り響いている、その音は。
1998. 3・11の巨大な空虚をうめるコトバを、ニンゲンが発見できるわけがない。
1999. 空に光子のダンスがあるうちにニンゲンそのものを味わい尽くすのだ。
2000. 夏の光の賑わいの後には、秋の光の寂寥があって、魂たちが、コズミック・ダンスを踊っている。(私)という魂も参加をしよう。
(H23年8月23日完)