Archive for ◊ 9月, 2011 ◊

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• 火曜日, 9月 27th, 2011
「無」からの出発 ~東日本大震災クライシス~
2001. 黄金の蔵がある。ニンゲンの中に、眠っているコトバの蔵が。どうして、人は、耕さないのか、原野を。
2002. 思考の回路さえ見えない、コトバたちの群れ、切れ切れに、文章にさえならぬものたち。言語アーヤラ識のもとに。
2003. 誰もが見ているのに、わからないコトバがある。非・意味のコトバだから。
2004. 狂へと至る道であるかもしれないが、マラルメは、果敢に挑戦をした。そして、日常へと戻ってきた。(美)を携えて。
2005. (私)は斜面にいる男だ。だから、いつも、手足を動かしていないと、深淵へと、滑り落ちてしまう。
2006. 3・11以後は、ニンゲンは、静かに生きられない。危機の意識が、全身に貼りついている。
2007. 科学の(知)は、原爆でも原発でもなく、宇宙へと、むかわねばならない。
2008. ニンゲンの(生きる−死ぬ)というコンセプトを爆破できないものか。
2009. 物質と生命の交流が可能であるならば、その壁も、いつか、突破せねばなるまい。
2010. 宇宙が、一切を記憶しない装置なら、ニンゲンの、生き死にも、何も、残らないだろう。無・意味の時空であるか?
2011. 国を責めても、政治家を責めても、科学者を責めても、東電を責めても、のっぺらぼうになった故郷は、元に戻らない。死者たちは還らない。毎日毎日穴ぼこになった心に、杭を打って生きていくしか術がないのだ。
2012. ビジョンを喪ったから、途方に暮れるのではない。自立するための、足場が崩れているのだ。今、(私)は、野ざらしになっている。
2013. 細い、透明な、糸が、蜘蛛の巣のように、切れ切れのネットワークを作っているから、故郷訛の声で支え合っている。
2014. 誰もが、生きるための、常識として知っていたものさえも、崩れ去ってしまって、仕事、家、故郷、文明、資本主義、昨日まで、普通に考えていたものまで、幻となって、漂いはじめた。
2015. 滅んでしまったものは何だろう。終ってしまったものとは何だろう。大きな、大きな、心の柱としてきたものが、3・11で蒸発してしまった。深層意識から湧き出していたコトバさえ、死んでいる。役に立たない。種子も、渇れたか?
2016. それほどにも、生きているということは、確かなものであったのか?生存の、実在の、根を洗わねば、新しい(私)は、見えてこない。
2017. 幽霊とまではいわない、幻とまではいわない。空で、光って、消える、ひとつの光子の存在に酷似しているニンゲンである。
2018. もう、ニンゲンを終ってしまったから、これからは、新しい生きものとして生きるよ!!何?誰?X氏?
2019. 3・11は、ものの見方も変えてしまう大事件であった。眼の使い方まで変えねばなるまい。
2020. 生きても、生きても、答えはない。つまり、最終的な答えというものがないのだ。あるのは、絶えず、問い続けること、そして、突然、倒れてしまうこと。
2021. 原発を終わらせることができないと、理論を論理を展開する人たちは、結局、昨日までの、自分達の生存の原理を、棄てる覚悟がないのだ。
2022. アフォリズムに問いはあるが、答えを出そうとは思っていない。いつまでも、問い続けるだけだ。
2023. 「資本主義は終った」と、3・11以後の学者たちが語る。いったい、どんな場所にたって、どんな位置にいて、モノを言っているのだろう。中小企業の社長たちには、口が裂けても言えないコトバである。
2024. ああ、気が塞ぐ、気が塞ぐ、3・11からの(私)の病気。
2025. もう、気が晴れることはあるまいって。3・11以後は、笑うことができない、心から。
2026. 身に降りかかる日の粉の払い方には、その人の人格がでる。放射能であれば、思想がでる。
2027. トルストイは、人の道を求めて、(聖)に至ろうとした為、心身症になった(俗)な妻に追い出されて、頓死した。ドストエフスキーは、(狂)に生きて、存在そのものが分裂したが、(魂)を求めて、妻に救われた。
2028. それでも、草は、生えてくるか!!瓦礫の間から、何もなくなった地面から。ニンゲンも、夏草とともに生きるべし。
2029. 3・11のあったあの日から、一人の死者・X氏が(私)の内部に棲みついた。で、(私)の話し相手は、いつも、死者のX氏である。生者は、あれこれと迷ってしまうが、死者は、迷わない。
2030. 時間に、冥界の色が見えはじめたら、そろそろ、お別れの時がくる。どうだい?
2031. めっきり他人には会わなくなったが、木や草や、植物たちの賑わいには、毎日会って、驚いている。
2032. 木に風が吹くと心が感応してしまう。どうやら、垂直に立つ木に流れる時間を見てしまうようだ。
2033. 起きそこなったから、永遠に、その時を失ってしまった。仕方がない、眠り続けるしかないか、目覚めが来ても。
2034. 言語爆発を起こすか、完全に、沈黙しているか、3・11以後には、どちらかの姿勢をとるしかない。
2035. 「読む」と「書く」が一緒になる地点というものが、確かにある。
2036. 原発事故は、「収束」から「終息」へとむかわねばならなぬ。
2037. 在るということの発見こそ、最初の驚きだ。そして、在る、は、多様に分化しはじめた。もちろん、最後のひとつの形態は、無いだ。
2038. 一番簡単な(在る−無い)という存在の形態だが、いつまでたっても、納得のいく説明ができない。
2039. 存在を、実在に限定してしまうと、存在を支える、もうひとつのものが、隠れて、見えなくなる。
2040. 意識は歩く。どこまでも行ってしまうものの名前が、意識である。
2041. 歩けなくなってしまう、領域が、無・意識である。それは、意識に対する無意識ではない。
2042. ニンゲンの発見した、論理、数式、理論が、ことごとく通用しなくなった時代が、アインシュタイン以後であるか。
2043. (私)に、死者を、重ねて生きよ。(私)は、死者X氏を、(私)の内部に顕現させた。いつも、X氏と対話だ。
2044. 奇妙な日常だ。奇妙な時空だ。3・11以後は、希望の火が、幻に変わった。まだ、変わるものはない。
2045. ふわふわとしている。歩いていても。心の、意識の岩盤に穴があいている。
2046. 嘔吐ばかりする。あらゆるものと握手ができない。
2047. (私)という存在の形を、受け入れることが、だんだん、困難になってくるとは。
2048. 決して、早まってはいけない。短気はよくない。潔さは、わかっているだろう。本当の、解決にはならないのだ。
2049. 日常は、だらだらと続くものだから、だらだら坂を登る方法を身につけること。
2050. ニンゲンには、他人と語る時間がいる。ニンゲンには、一人になって、考える時間がいる。どちらが欠けても、ココロは、跛をひいてしまう。
2051. やはり、科学は、宗教と対立しない。日本人の生活形態を視よ。毎日、会社でコンピューターを使いながら、お盆になると、先祖の墓参りをする。
2052. 結局、ニンゲンは、平気で、矛盾を生き、不合理も不条理も受け入れてしまう。
2053. 終日、蝉の声を聴いていると、声が、呪文となって、すべてが、その中にあると思えるから、不思議だ。
2054. 時の流れが加速している。千年が百年に、百年が一年に、一年が一日に、一日が一秒になってしまうほどに、ニンゲンは、時を廻している。
2055. ニンゲンは、何を、待っていられないのだろう。昼と夜の、自然の(時)に合わせて、今を、ゆったりと、呼吸しながら、生きていたのに。現在では、夜もなく、昼もなく、(時間)を計って、生きている。
2056. 夢か現か、どんな方法で、何を計れば、3・11がわかるというのか。
2057. 確かに、確かに、(私)のココロの水準器は壊れてしまった。3・11以後は、調子はずれのコトバばかり吐いている。
2058. 被災者たちは、現に戻ろうと、必死にもがいている。しかし、完全に醒めてしまうと、現は、まるで夢のようで、3・11を、そのまま自分に言いきかせることは出来ないだろう。
2059. 3・11で、何が、無効になったのか?それまでは、役に立つと思っていたのに、まったく、役に立たなくなったものたち。棄ててしまえ。
2060. ニンゲンは、なぜ、いいと思われる方向へと舵を切れるのか。
2061. 損、得を超えたところにある、いいは社会の、常識の、いい、わるいではない。
2062. 毎日、読む、毎日、書く、宇宙の縁に坐って。
2063. 科学は、宗教を排除しているのではない。内側から侵蝕しているのだ。
2064. (私)を読む、(私)を書く、はじまりからおわりまで。
2065. その位置を支える。その場を支える。支える時、人は、生きている。
2066. ニンゲンは、どこまで(私)を、コントロールできるのだろう?(私)が(私)に重なっているうちはいいが、(私)が(私)から遊離した時、ニンゲンは、はたして、正気でいられるかどうか?
2067. 何が(私)をしているのか?
2068. 声が(私)を呼んでいるのか?(私)に声が来るのか?その境目は、誰そ彼れの時間に似ていて、杳としている。
2069. 眼の前に在って、眼の前にはない、つまり、異次元を、そのまま、視ているのだ。父の死後、(私)に迫ってきた動画。
2070. 何度か、(私)も、ヴォワイヤン(見者)になった。その時、その瞬間は、詩人であった。
2071. 生きているうちにも(私)は変わり続ける。まるで、一生のうちに、輪廻転生が起こっているみたいに。(私)は、別の(私)になる。
2072. 3・11以後は、見えないものも見える。死者たちが、顕現した、そこでは。
2073. 文章の、シンタックスが変わらねばならない。思考そのものが、考えるということが、変わらねばならない。(考え方を、変えるのではない)
2074. て・に・を・は・の、使用法を終らせること。つまり、切れ切れの、モノが、放り出されているように、文章も、時空に、存在として、散在している、おそらく、そのくらいの、大きな変革が、3・11には必要である。
2075. で、新しい、「読み方」と「書き方」の出現が必要となる。
2076. (考える)が何であったか、根本から考えることだ。
2077. 3・11で、1億2千700万人が、瞬時に見たもの、その視力の先にあったもの、共時的に、全員が体感したソレだ。
2078. あと一歩がとどかない。危機一髪で目が覚めた。夢だったのか、と思っても、夢のリアリティは消え去らない。冷汁がでる。
2079. (現実)よりも、夢の力が強い日々が続くと、眠るのが怖くなる。寝ても覚めても、夢に、喰い千切られる、心。
2080. 夢は、夢だけでは終らない。(現実)の、生身の(私)の中にも、深く、鋭い、夢跡を残してしまうから。
2081. 夢という灯がつく。(私)という窓から、眺めている、もうひとつの宇宙だ。
2082. 自分のみた夢を、一生涯、書き綴った、禅僧、明恵の「夢日記」。夢の放つエネルギーに、正気と狂気の紙一重の、淵に起たされて、耐えた力に感服をした。いったい、明恵は、どちらの世界に生きていたのだろう。
2083. 人生を、文学的に考えないこと。考えるからこそ、人生はあるのだと。
2084. 言葉が成熟しない人は、淋しい人だが、決して、その人の、人生が成熟していないのではない。おそらく、人生は、時熟とともに、在るのだ。
2085. 棄てたものが、多いから、失敗したのではない。棄てて、棄てて、やっと摑んだ、最後の一本の糸で、充分だ。
2086. カフカも、やはりアフォリズムを、日々の友としていたか、夢と一緒に。
2087. 思考に、心臓を摑まれた者は、無限へと身を投じるしか術がない。
2088. もう少し生きてみようと呟く時、分身は、死の淵を覗いている。
2089. 千分の一でも、宇宙がわかったらと、友達が言うから、君だって、無限そのものだろうと、針を刺した。
2090. 思考の糸がとどかぬもの、決して、名付けられぬもの、それよ、問題は。
2091. 形態が変わることは、必ずしも、(死)を意味しない。(私という死体)
2092. (私)=(私)というアイデンティティには、意味がない。(私)は変わるXだから。
2093. 形は、単なる物象化である。魂は、形を解き放っている。
2094. ニンゲンは、なぜ、(物体)という物象化された(私)に固執するのか?コズミック・ダンスを踊り続ければいいのに。形態は、一時的なもの、変化は宇宙の法。
2095. (死)は、パンクかもしれない。自転車のパンクは空気が抜けるが、ニンゲンのパンクは、いったい、何が抜けるのだろう?死体を残して。
2096. 「言語による暴力」とはよく使われる言葉である。しかし、言語に暴力をふるうと、いったい、どうなるのか?新しい言語の発生?
2097. コトバで、表現できると思うのは、第一歩だ。コトバでは、表現できぬと思うのが第二歩だ。しかし、すべてのコトバが、次元をステップしてしまって、異次元においても、存在として、成立する時、コトバは、すべてを顕現させると思う、第三歩である。
2098. コトバは、コトバでなくなって、しかも、コトバのままである。メビウスの輪のように、コトバも在る。
2099. 呪文とか、念力とか、現代人が棄ててしまった、力が、実は、心の底の、深層意識の中で、ふつふつと煮えたぎっている。出口を探して。
2100. 意識そのものを、呑み込んでしまうのは、やはり、のっぺらぼうであろう。
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• 月曜日, 9月 26th, 2011

(私)を訪れるコトバで、一人のニンゲンを表現してみよう、と考えはじめたのは、アフォリズムが、100本を越えた頃からだ。

ひらめき、直観、思いつき、イメージ、感覚、ビジョン、幻、夢、意識、あらゆるものが、深層意識の蔵から、種子となって、立ち現れ、(私)のなかで、コトバになる。

毎日、毎日、ソレが来た瞬間に、ノオトに書き記してみた。純粋語に近いものかもしれない。

思考というものでもない。論理でもない。やはり、アフォリズム(イデア)であろう。

小説や評論とちがって、アフォリズムは、ソレが来なければ、書けない。計画して、思考して、書いているのではないから。

それにしても、2000本、コトバにしてみると、(私)というニンゲンに、こんな膨大なコトとモノが、訪れているのか、と我ながら、呆然とした。いったい、誰が、語っているのだろう!!

日々、見過したり、忘れたり、流したり、見棄てたり、(私)の外側で、消えて、死んでしまったはずのコトバが、集結して、結晶となった。

あとは、読んでくれる人が、そのコトバから、次のステップへと、歩を進めてほしい。あなたの、アフォリズムが誕生するかもしれません。

(私)は、行けるところまで行く覚悟です。

(平成23年9月19日)