Archive for 6月 21st, 2010

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• 月曜日, 6月 21st, 2010
951. 5月・植物の生命はぴちぴちとはねているのに、ニンゲンという動物の生命は、うなだれている。
952. 手持ちのカードをすべて切って、アフォリズムに生命を吹き込んでいる日々である。
953. 荒川修作は、”存在”に対して、発狂するほどの身悶をして、「死なない家」を創りあげた。ニンゲンを超えようとして、生と死の彼岸へと翔んだ。
954. 人は、記憶を消すことはできない。たとえ、脳が命令を下しても。
955. 山鳩の鳴く声は、低く、リズミカルで、「クゥク、カッカ、カー」と、いつ、どこで聴いても、不思議なことに、遠いところから流れてくる。なぜか?
956. 詩人を数えてみる。マラルメ、ランボー、ポー、ブレイク(外国) 中也、賢治、朔太郎・・・吉増剛造、石原吉郎!!私の中では、それくらいだ。
957. 病いは、気から。(病気をするから心が暗くなる。心が暗いから病気になる)は?病いとは何か?
958. 身体に現れるものは心にも現れる。
959. 沈み込んだり、輝やいたり、気分は、一刻一刻と変わっていく。
960. (言葉)は、身を立てるが、身を滅ぼすこともある。
961. 意識は、あらゆるコトとモノを見つづける。が。意識には(死)がない。
962. ニンゲンは、誰でも、「在る」の発見から歩きはじめる。
963. 「無い」の発見は、「零(ゼロ)」の発見よりも、大きな驚きである。誰もが発見するものだから。
964. ニンゲンの思考の形を決めるのは何か、原子に訊いてみたい。原子に?つまり(私)に。
965. 「無」を、数式、論理で証明されても、それも、ニンゲンの思考のひとつの形である、と考えてしまう。で、形が在る。
966. 「在る」モノだけが「在る」。ソレを見たのか?ソレを聴いたのか?ソレに触ったのか?ソレを嗅いだのか?ソレを考えたのか?ソレを想像したのか?
967. 眼が覚めると、もう、存在するすべてのモノに囲繞されている。朝という時空に放り出されて。
968. 眠りが来ると、薄っすらと輪郭が消えて、闇の中へと沈んでいく。(私)を手離した時、まだ、夢は、眼をあけている。
969. 気配は、実に、精妙な感覚である。(場)のもつ、(人)のもつ、空気の揺れに等しいものまで、ニンゲンは、感じとって、見分ける力をもっている。
970. 「人間原理」とは、どうしても、ニンゲンとしての(私)が、そう考えてしまう(考える)スタイルのことである。(ソウ在リタイ)
971. 「宇宙原理」とは、ソコにニンゲンがいなくても、純粋論理として、存在する原理のことである。存在自体がニンゲンの思考のスタイルと袂を別かつのだ。
972. ニンゲンには、どうしても、耐えられない論理(もの)がある。無目的、偶然、無神。
973. 「信仰」は、「信ずること」は、考えることが(論理)が破綻しても、眼をつむって、飛ぶことである。だから、祈るという行為、態度は、ニンゲンからは消え去らない。願う生きものがニンゲンだから。ニンゲンは、矛盾をも生きてしまう。
974. 神は、神自身のことを何と呼ぶのだろう?(存在【わたし】)か(有無【わたし】)か(宇宙【わたし】)か?宗教(ニンゲン)の神は宇宙(コスモス)の神とはちがう。
975. サラリーマンをやっている限り、いつも、背広の脱ぎ方だけは考えておかねばならない。
976. 男と女が合わさるのだから、男の中にも女が、女の中にも男が棲んでいても、何の不思議もない。
977. 交通事故で切りすてて、なくなったはずの足の踵が疼くという。足の踵はどこへ行ったのだろう。はたして、(私)の分身をも、棄ててしまったことになるのか?
978. 「いったい、お前は、何処にいて、何をしているのだ」という声に、いつも、責められている。「ここだ、ここだよ、見えるか?わかるか?」返信である。
979. 「どうだい?」と訊くと、「まあボチボチで」と答える人。「ご覧の通りで」と答える人。
980. (精神肉体)と書いて、ニンゲンと読めば、精神の超越とか、肉体の復活という、限定された表現もなくなるだろうに。
981. (生死)と書いて、ニンゲンと読む。すると、あるもの・ないものが見えてくる。
982. 宗教に次いで、科学の法まで破綻すれば、(私)は、のっぺらぼうを前にして、気絶してしまう。
983. 「問い」さえ成立しない時、ニンゲンは、どうして、「信」と「真」を手に入れられる?不可能である。
984. 精神は、「数」という魔に挑むのだが、「数」は、宇宙そのものだからと呟いている。
985. <虚実>と書いて、「あるない」と読みたい。
986. その人の、人柄は、人を裏切らない。
987. 生きることに、泣いたことがない人が、人の上に立ってはいけない。指針(ビジョン)を立てる土台がないから。
988. 汗をかかない人の言葉は、実に、虚しい。声が、自分の咽喉から出していないから。
989. 失敗しても、失敗しても、旗は揚げ続けるのだ。傷の分量だけ、旗の色は鮮明になるから。
990. 身に沁みる言葉と、正しい言葉と、人は、どちらに、耳を傾けるだろうか?
991. 人は、主義・思想で生きるのではない。親身な声に従って生きているのだ。
992. 存在すること自体が悲しみへと傾斜してしまう心性は辛いものだ。
993. 「本質」を捉えるはずの言語に、いつのまにか、裏切られてしまう。「木は、木ではない」と。
994. さて、起こってしまったコトとは、いったい、何のことだろうか?
995. 「物」には影がある。「数」には虚数がある。「十」には一がある。(私)には、何がある?
996. 給料袋を受けとる手、給料袋を渡す手、同じ手だが、その感触の中味がちがった。
997. (私)を形成している(水)が内爆発を起こしておる。
998. 原子の集合体である(私)というニンゲンの核とはいったい何だろう。生命形態という場の(私)
999. 深夜、突然、(私)は崩壊感覚に襲われた。名伏しがたい、存在(私)への不快感が来た。私は、やっとのことで、窓から飛びおりたいという内的な衝動に耐えた。夜が明けて、朝が来た。危機は去った。どうやら、普通の一日のセイカツをはじめている。
1000. 時間を生きる。空間(場)で生きる。長い間そうしてきた。現在では、「時空」を生きる時代になったが、ニンゲンはなかなか慣れることができない。伸縮する「時空」は、あらゆるものを変化させ、コズミック・ダンスを踊る超スーパーシステムのニンゲンは、宇宙を漂流している。「無限」へと。